Sightsong

自縄自縛日記

勅使河原宏『東京1958』、『白い朝』

2012-06-09 22:14:27 | 関東

勅使河原宏『東京1958』(1958年)、『白い朝』(1965年)を観る。両作とも30分に満たない小品である。

『東京1958』は、正確には勅使河原の単独作ではなく、勅使河原宏、羽仁進、松山善三、草壁久四郎、荻昌弘、川頭義郎、丸尾定、武者小路侃三郎、向坂隆一郎による集団「シネマ57」が、海外映画祭への出品を目的に集団製作した作品である。

満員電車の勤め人たちを参勤交代に、化粧をする女性の顔を浮世絵の幽霊画に重ね合わせ、ことさらに一歩引いて視た日本なるものを演出している。さらに、大野伴睦や間組社長を「サムライの末裔」であると紹介する。確かに、保守政党と土建・重厚長大産業は、経済成長する日本のシンボルであったかもしれない。(いまもその幻想を持っている者たちが少なくない。これは50年以上前のことだ。)

サム・フランシスの絵をバックに着物の着付けを行う女性を撮っているところなど、いかにも時代だ。しかし、屈折したオリエンタリズムの他には、映画としての面白さを見出すことは難しい。

『白い朝』は、大傑作『砂の女』の翌年に撮られた小品。パン工場で働く若者たちの青春を断片の集合として描いたものであり、この時期にも関わらず、勅使河原の冴えを感じることはない。主演の入江美樹は、翌年の『他人の顔』において、被爆した少女を演じることになる。その印象が強いせいか、ここでも薄幸な存在に見えて仕方がない。

●参照
勅使河原宏『十二人の写真家』(1955年)
勅使河原宏『ホゼー・トレス』、『ホゼー・トレス Part II』(1959年、1965年)
勅使河原宏『おとし穴』(1962年)
勅使河原宏『燃えつきた地図』(1968年)


勅使河原宏『ホゼー・トレス』、『ホゼー・トレス Part II』

2012-06-09 15:52:03 | スポーツ

勅使河原宏『ホゼー・トレス』(1959年)、『ホゼー・トレス Part II』(1965年)を観る。

プエルトリコ人ボクサーのホゼー・トレス(日本での表記はホセ・トーレス)が、WBA・WBC世界ライトヘビー級チャンピオンになる前となった時のドキュメンタリー映画である。

第一部ではまだ無名の存在であったようで、『前衛調書』によると、写真家の石元泰博とのつながりから出逢うことができたのだという。ストイックな練習を行い、試合に勝つ。このとき勅使河原宏みずからがリングサイドから16mmで撮影しており、ボクサーの背中のマッスが素晴らしい映像となっている。その後のシャワーシーン、誰もいなくなったリングサイドでの恋人との抱擁なども収めており、20分そこそこながら密度が非常に高い。

第二部の冒頭では、王者のタイトルマッチを示す前に、既に勝利したトーレスが、ニューヨーク・ハーレムのプエルトリコ人居住区において、ベランダから姿を現し、大喝采を受ける。映画の中心はファイトシーンだが、撮影の許可が得られず、コミッショナーが撮った映像を編集するにとどまっている。そのため、面白くはあっても、第一部に結実したような、観る者に迫ってくる肉体の生生しさはない。

王座についた夜、トーレスは、ニューヨークのノーマン・メイラー邸に招待され、歓喜の表情を見せる(誰がメイラーなのかよくわからない)。のちにモハメッド・アリマイク・タイソンの伝記をものすインテリのトーレスに、文章の手ほどきをしたのは、このメイラーであったという。

2本とも、森川ジョージ『はじめの一歩』で知った、「ピーカブー・スタイル」を視ることができる。これを使うトーレスは天才であったが、タイソンはそれを上回る天才であったという。2009年に亡くなったトーレスを偲ぶコラム(>> リンク)を読んでいると、彼のタイソン伝を読んでみたくなる。

ところで、タイソンのPRIDE参戦はなぜ消滅したのだろう。幕ノ内一歩の世界挑戦はいつだろう。

●参照
勅使河原宏『十二人の写真家』(1955年)
勅使河原宏『おとし穴』(1962年)
勅使河原宏『燃えつきた地図』(1968年)
鈴木清順『百万弗を叩き出せ』、阪本順治『どついたるねん』


熊谷博子『むかし原発いま炭鉱』

2012-06-09 11:45:53 | 九州

熊谷博子『むかし原発いま炭鉱 炭都[三池]から日本を掘る』(中央公論新社、2012年)を読む。

著者の熊谷氏は、ドキュメンタリー映画『三池 終わらない炭鉱の物語』(2005年)の監督であり、本書も主にその製作時に得られたことが中心に記述されている。「むかし炭鉱、いま原発」ではない、今こそ「炭鉱」なる過去を凝視しようとの意図である。

勿論、著者は東日本大震災の原発事故を機に、現在の原発をめぐる社会にかつての炭鉱を重ね合わせているのでもある。「情報を隠して出さない今の政府を当時の政府に、電力会社を鉱山会社に、マスコミなどで”安全”を主張、解説をする原子力工学や医学の専門家たちを、当時の政府調査団の団長ら、御用学者と言われた鉱山学者たちに置き換えるだけでいい」と。私たちも、不幸なことに、もはや原発問題を通じずに炭鉱を視ることは不可能となっている。

映画『三池』を観ながら疑問に感じていたこと、判然としなかったことについて、さまざまな発見があった。

上野英信、山本作兵衛、勅使河原宏『おとし穴』などが描いた北九州の筑豊と、大牟田の三池との違い。筑豊には貧しく小さな「コヤマ」が多く、夜逃げによって「ケツを割って」、ヤマからヤマへと渡り歩く坑夫たちが多かった。三池は日本最大手であり、それとは様相が異なった。坑道が大きく広がり、駅もある坑道列車で長い時間をかけて移動するのは、三池の姿であり、筑豊の姿ではなかった、というわけである。三池で1930年に女性の坑内労働が禁止されても、筑豊の女性たちはずっと働き続けていた(法律では1933年に禁止)。本多猪四郎『空の大怪獣ラドン』(1956年)において描かれた阿蘇の炭鉱(実際には存在しなかった)も、三池的だったのだろう。

『三池』においては、労働組合分裂後、企業側に立った第二組合(新労)のメンバーの声がかなり多く、「ためにする」映画でないことに新鮮な驚きを覚えたのだったが、そのことについても書かれている。三池労組=英雄、新労=裏切り者、という定着した考えを認識しつつ、まずは難しい新労側から撮ったのだという。これがなければ、告発映画と化していた。勿論、その場合でも意義はあるのだろうが、記憶の共有として広く使われるためには、この方がよかったのだろう。実際、新労側で動いた人物へのインタビューで、オカネを払ったのかと監督が訊ねたときの10秒あまりの沈黙は怖ろしいほど迫真的であり、現地の上映でも、観る者が固唾を呑んでいたという。

勉強会を通じて組合を指導した向坂逸郎氏について、「争議のみじめさは向坂学級のせいだ」という女性の発言。これにも驚かされ、三里塚や福島での「有識者」の役割と重ね合わせてみてしまったのだったが、これは映画完成後かなりの物議をかもしたのだという。福岡の映画館ではこの部分で拍手が起きたり、映画の掲示板では削除してくれとの書き込みがあったり、と。大きな社会問題において、「有識者」は、場合によって「知性」や「良心」であったり、「御用学者」であったりする。これをクローズアップすれば興味深い分析になるかもしれない。

全国に数多く存在する「雇用促進住宅」。わたしの育った田舎にも、小学生のとき突然建てられ、あれは何だろうと思ったが、周りの大人は誰も適切な答えをくれなかった(最近訊ねたら、ほとんど入居していないと聞いた)。もともとは、炭鉱閉鎖にともなって都市部に流入してきた労働者のために、自立支援政策として始められた事業であった。本書でも、著者は、かつて三池から元炭鉱労働者たちが流れてきた八王子の雇用促進住宅を訪ねている。

三池での炭塵爆発(1963年)とその後のCO中毒患者のこと。本来の事故原因は、石炭の水分が増えてしまうのを嫌い、会社側が安全対策で行うべき散水を行っていなかったことにあった。しかし、やはりここでも、原因を隠蔽する力とその手先になる御用学者がおり、真相を明らかにしようとする者を潰そうとしていた。ここで著者は、東日本大震災での状況と重ね合わせて、次のように書いている。

「当時の山田元学長を連想させる学者たちが、マスメディアに出ては原発の”安全性”を力説していた。
 これだけの人災で、まだ原因究明すらきちんとできていないのに、経済優先で運転再開を急ごうとする人々の姿も同じだった。
 ただ違うのは、インターネットなどを通じ、荒木さんのように気骨のある学者の存在と意見が、私たちのもとに届くことだ。」

映画では、三池における与論島からの移住者、強制連行された朝鮮人と中国人についても、当事者の証言をもとに描かれている。本書の記述はさらに詳しい。1908年の三池港完成にともない三池に再移住した与論島出身者たちは、差別的な待遇と視線のもと、前近代的な肉体労働を受け持った(1942年まで下請け専門)。彼らの差別待遇の相対的な改善は、朝鮮人強制連行(1942年~)、中国人強制連行(1944年~)に伴うものでもあった。政府と企業による犯罪であった。このことに対する補償は、政府間の約束や法的な制約をたてになされていない。

勿論、三池だけではない。わたしの故郷の近く、宇部は石炭のまちであった。山口の長生炭鉱も事故で多くの犠牲者を出しているが、人々はここを「朝鮮炭鉱」と呼んだという。このようなことを何も知らない自分を恥じてしまう。

本書も、そのもととなった映画『三池』も、示唆するところが非常に多い。著者の次のような記述を読むと、それも当然かと思えてくる。

「国のあり方も、労使の関係も、職場の安全も、自然との闘いも、地方の経済も、産業の発展も、政治も戦争も、差別も、文化遺産も・・・・・・。
 いわば日本がつまっているのだ。」

●参照
熊谷博子『三池 終わらない炭鉱の物語』
上野英信『追われゆく坑夫たち』
山本作兵衛の映像 工藤敏樹『ある人生/ぼた山よ・・・』、『新日曜美術館/よみがえる地底の記憶』
勅使河原宏『おとし穴(九州の炭鉱)
本多猪四郎『空の大怪獣ラドン』(九州の炭鉱)
『科学』の有明海特集
下村兼史『或日の干潟』(有明海や三番瀬の映像)
『有明海の干潟漁』(有明海の驚異的な漁法)
石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』
『花を奉る 石牟礼道子の世界』
石牟礼道子+伊藤比呂美『死を想う』
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』
島尾敏雄対談集『ヤポネシア考』 憧憬と妄想(石牟礼道子との対談)