中村哲医師講演会「アフガン60万農民の命の水」(2012/6/7、セシオン杉並)に足を運んだ。(編集者のSさんから写真係を拝命したのだった。)
中村哲さんは、「ペシャワール会」を率いて(ペシャワールはパキスタン北西部の都市)、現地のハンセン病対策や灌漑の推進に取り組んでいる。パキスタンでの活動が困難ゆえ、現在のフィールドはアフガニスタンである。
田中良・杉並区長、保坂展人・世田谷区長の挨拶のあと、中村さんは、スライドを用いてゆっくりとした口調で話をした。
2000年以降、アフガニスタンの干ばつは想像を絶するひどさのようだ。村ひとつがまるごと消えることも珍しくないという。中村さんは、「アフガニスタンは政治によってではなく干ばつによって滅びる」との警告を発する。水がなければ当然食べ物もできない。
アフガニスタン北部のヒンドゥークシュ山脈は雪で覆われている。特に温暖化が進んだ結果、一気に水が流れ出て洪水を引き起こし、それは破壊のあとに消え去ってしまう。従って、必要なのは、洪水に耐えうる定常的な表流水の存在だということになる。ペシャワール会は、そのために灌漑の支援を行っている。乾燥してひびわれた土地であったところが、数年後、緑に覆われた写真を次々に見せられ、会場からは感嘆の声があがった。
灌漑の方法は非常に興味深い。例えば水路や護岸工事にはコンクリートを使うのではなく、現地での調達もメンテナンスも可能な石を使う(アフガニスタン人は石を扱うことが大好きだ、ということだ)。これをワイヤーで編んだ籠に入れ、うまく積み上げていく。ワイヤーは何年も経つと錆びてしまうが、同時に、石を保持するような植生も整備する。
また、洪水で決壊しないよう、筑後川の「斜め堰」をモデルにした堰を建設し、成功しているという。近代的な堰などではなく、江戸時代につくられた古来の土木工法である。中村さんは「自然に謙虚にならねばならない」というが、まさに、自然との対話の結果、昔の人が保持していた技術である。やはり江戸時代につくられた吉野川の「第十堰」が、自然環境と調和し、治水上も立派な機能を果たしていることを思い出した。非常に愉快なことだ。
中村さんは、2001年「9・11」以降の米国介入により、ケシ栽培、売春、貧困が目立って増加したと憂える(誤爆などの直接被害は言うまでもない)。しかしその一方で、外国人は過度に立ち入ってはいけないとして、現地の政治批判は控えていた。これもひとつの見識かと思えた。
打ち上げにも参加させてもらい愉しい時間を過ごした。
●参照
○姫野雅義『第十堰日誌』 吉野川可動堰阻止の記録
○『タリバンに売られた娘』
○セディク・バルマク『アフガン零年/OSAMA』
○モフセン・マフマルバフ『カンダハール』
○モフセン・マフマルバフ『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』
○中東の今と日本 私たちに何ができるか(2010/11/23)
○ソ連のアフガニスタン侵攻 30年の後(2009/6/6)
○『復興資金はどこに消えた』 アフガンの闇
○イエジー・スコリモフスキ『エッセンシャル・キリング』
○ピーター・ブルック『注目すべき人々との出会い』(アフガンロケ)