柄谷行人『政治と思想 1960-2011』(平凡社、2012年)を読む。
歴史の60年周期説や120年周期説を拵え、過去の事件を重ね合わせることはまだ良いとして、今後の動きについても推測することなどには、何の根拠もなく、呆れかえってしまう。
それは忘れることとして、いくつも考えさせてくれる指摘があった。
○フランスの現代思想は、1968年の5月革命の挫折から生まれたものであり、現実において不可能な革命を、観念で起こそうとした。(白川静『孔子伝』において、「思想は本来、敗北者のものである」としていたことを思い出す(>> リンク)。数多い1968年についての本では、そのことについての考察があるだろうか?)
○1960年代、東大の学生は、経済学部でも法学部でも、みな宇野経済学を学んだ。そこでは、資本主義においては恐慌が不可避だとしていた。彼らが官僚や企業人となりそれをどう活かしたか不明だが、市場経済万能主義を学んだ者よりはましだろう。
○アントニオ・ネグリは、国家を社会から生まれたものと考える。そのために、国家を、社会の公共的合意のもとにおけばよいと考えている。しかしそれは実現などしない。国家は他の国家に対して生まれる。
○また、ネグリは、マルチチュードの反乱による国家の無化を考えるが、それは反対である。革命は国家の強化を生み出す。そしてこれからも、国家・資本に対抗する運動は、それがマルチチュードによるものであっても、世界戦争に結びつく。(この論理展開はよくわからない。歴史の周期を想定した結論だとすれば、非常にバカバカしいことだ。)
○EUは、かつての「第三帝国」や「大東亜共栄圏」と同様に、広域国家の実現による「帝国」の実現に過ぎない。(この指摘には違和感がある。EUの創設による、英国、フランス、ドイツなどの国家間の諍いのかなりの現実的な解決は、もっと評価されてよいはずだ。)
○1980年代、中曽根政権によって実施された政策により、国鉄の労働組合(国労)が解体され、総評(現・連合)の解体、社会党の消滅を生んだ。日教組の弾圧、公明党の取り込みに伴う宗教勢力の抑制、解放同盟の制圧などとあわせて、2000年には、中間勢力がほぼ消滅した。そして小泉政権は、その残党を守旧派・抵抗勢力と呼んで一掃し、新自由主義化を進めた。
○この、中間勢力(個別社会)の消滅が、市民の政治参加への道を閉ざしてしまった。現在の間接民主制は、市民の意思を反映するものでは、まったくない。日本では自治的な個別社会のネットワークが弱く、社会がそのまま国家である。
○従って、デモを数多く行うべきである。現在のデモは、60年代のように、一部の団体によって指揮され、過激な行動によって市民参加を排してきたようなものとは異なっている。
○社会の強さは、個人の強さであり、それは中間勢力としての共同体・アソシエーションの存在を前提とする。個人の力はアソシエーションの中で鍛えられる。インターネットだけではアソシエーションの創成には結びつかず、実社会での身体的な参加が不可欠である。
○日本国憲法は、国家が規定した法ではなく、国家権力に規範を与えるために存在する。(田村理『国家は僕らをまもらない』においても、日本国憲法の位置づけを、「ほっておくとろくなことをしない」国家権力に対して制約を加えるものだと明言している。(>> リンク))
○脱原発は、たんにエネルギーシフトでかたづくような問題ではない。カントのいう「他者をたんに手段としてのみならず同時に目的として扱え」という倫理に深く関連している。この道徳法則は、人間を「手段」としての扱うことによって成立する資本主義経済では、成り立たない。
●参照
○柄谷行人『探究Ⅰ』
○柄谷行人『倫理21』 他者の認識、世界の認識、括弧、責任
○『浅川マキがいた頃 東京アンダーグラウンド -bootlegg- 』(柄谷行人が登場)
○アントニオ・ネグリ『未来派左翼』(上)
○アントニオ・ネグリ『未来派左翼』(下)
○廣瀬純『闘争の最小回路』を読む
○デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』
○『情況』の新自由主義特集(2008年1/2月号)
○『情況』のハーヴェイ特集(2008年7月号)
○『藤田省三セレクション』