ドン・デリーロ『ボディ・アーティスト』(ちくま文庫、原著2001年)を読む。
どこにでもあるように、違和感を覚えていた男女。その男が突然自殺し、女は古い家にとどまる。夫のオーラが残る部屋には、存在するのかしないのかわからない男が出現する。
女は舞踏家のように身体を他の視線に晒す「ボディ・アーティスト」。贅肉だけでなく、皮膚や舌の表面などからも、すべての老廃物を取り去っていく。その身体への執拗な確認の表現が凄まじい。まるで、存在を、研ぎ澄ませた身体感覚でのみ感知しようとするかのようなのだ。感知機能だけの存在とは想像すらしなかった。
それが外部に感知した存在、あるいは創りだした存在たる男には、時間機能も、言語機能も欠落していた。極大化した感知機能が、感知の前提である時間と言語とを欠いているとは、何という設定か。
こうなると物語は抽象になり、読後は、痛みのようなものが残る。