フィリップ・K・ディック『聖なる侵入』(創元SF文庫、原著1981年)を読む。
原作のタイプ原稿は「VALIS Regained」と題されていた。すなわち、同年に刊行された『ヴァリス』(>> リンク)を発展させた作品ということになる。実際に、本作にも、VALISという言葉が、神を示唆するように登場する。
厳しい環境の外宇宙で生きる女性は、常に陰鬱でふさぎ込んでいる。その女性が、神の力で処女受胎する。彼女と、夫として神に指定された男、息子マニー、養父は地球への帰還を目指すが、地球は、既に悪魔べリアルにより邪悪なゾーンに覆われていた。神の子マニーは悪魔に狙われ、宇宙船が撃墜され、母が死に、父は何年間もの冷凍保存に処せられ、マニーも脳の損傷を受ける。
地球では、神と悪魔との闘いが続き、マニーはそのなかで覚醒してゆく。同時に、別世界の物語も、相互にそれと気付きつつ展開していく。
これは、ディックが壮大な神と悪魔のヴィジョンを複層的な物語にしようとした、野心的な作品に違いない。個々の挿話は必ずしも整合しない。物語全体が大団円を迎えるわけでもない。神と悪魔との闘いはその半ばで放り出される。しかし、その、意余ってすべてが中途半端に溢れ出ている感覚が、ここでは、傑作となることに貢献している。
ここで描かれる神は、邪悪なものも、人びとの苦しみも、すぐに死ぬ存在も含めて、それと知りながら創りだした存在である。それに対し、マニーを覚醒に導く少女ジナは、過去を書きかえて、望ましい世界を創りだすことを幻視させる。しかし、マニーはそれを否定する。神の矛盾にみえようと、それが現実世界であり、そこでは、相互依存の関係が創りだされていくものであるから、と。
ジナがマニーに渡すスレートという機械が登場する。皆の持っているスレートは、世界を監視するデータベースにつながっているが、マニーがもつそれは、同じ「IBM」というロゴが描かれているものの、神の示唆を表示する特別版である。このスレートこそ、いまでいうモバイル、タブレットではないか。ディック恐るべし、である。
スレートだけでなく、メディアも、人びとを操縦する手段、メッセージ伝達の手段の両面として描かれる。何だか、情報過多のなかでやすやすと大衆操作がなされているいま、本書は、30年前よりも切実な価値をもっていると感じられてならない。仮に、ディックが、メディアと情報技術が急速に発展している現在の姿を目にしていたとしたら、狂喜乱舞し、さらなる怖ろしいヴィジョンを提示してくれたのかもしれない。
●参照
○フィリップ・K・ディック『ヴァリス』(1981年)
○フィリップ・K・ディック『空間亀裂』(1966年)
○フィリップ・K・ディックの『ゴールデン・マン』(1954年)と映画『NEXT』
○ジャック・デリダ『死を与える』(キリスト教の神の矛盾)
○アショーカ・K・バンカー『Gods of War』(神々の戦争)