サウジアラビアへの行き帰りの時間に、ミシェル・フーコー『狂気の歴史』(新潮社、原著1961年)を読む。
16世紀、狂気は「こちら側」にあるものではなかった。それは、ヒエロニムス・ボッシュが「阿呆船」で描いたように、川という境界の「向こう側」へと追いやられるものであり、また別の意味では、無限の拡がりを秘めていた。
やがて、狂気は「こちら側」へと滲出してくる。狂気の側での変容ではない。狂気を位置付け、受容し、あるいは忌避する制度・社会の変容である。そのとき、「理性」と「非理性」とは如何に共存し牽制しあうのか。狂気は「理性」と「非理性」のどちら側に身を置くのか。
フーコーは、無数の政治文書、文学、医学書といったアーカイヴからそれを執拗に追っていく。内容だけでなく、何のアーカイヴにおいて狂気が論じられているかも、狂気がその時代で置かれた場を示すものであった。
狂気の原因を視る視線が、身体的異変から精神へとシフトしていった。あるいは、ヨーロッパ的・近代的な倫理と関連付けられた。あるいは、倫理によって狂気が断罪された。あるいは、監禁された(監禁対象はハンセン病患者から狂人へと移行した)。あるいは、監禁の対象として、犯罪者との差別化が図られた。
表現の手段としては、「理性」に対峙しうる強度を持った「非理性」として、ニーチェやワイルドやゴッホといった者の手により閃光のように登場してきたものの、やがて、狂気は、「客観」の対象になり下がってしまう。
一度の通読などだけでは、容易にフーコーの語りを受けとめられないほどの厚みを持った本である。別の語りを経て、また本書に戻ってこなければならない。
●参照
○ミシェル・フーコー『知の考古学』(1969年)
○ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール』(1973年)
○ミシェル・フーコー『監獄の誕生』(1975年)
○ミシェル・フーコー『コレクション4 権力・監禁』
○ジル・ドゥルーズ『フーコー』(1986年)
○桜井哲夫『フーコー 知と権力』
○ルネ・アリオ『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』(1976年)