Sightsong

自縄自縛日記

鈴木清

2013-12-21 11:21:49 | 写真

今年の10月に、六本木のタカ・イシイギャラリーで観た鈴木清の写真展『流れの歌、夢の走り』は、素晴らしいものだった。

炭鉱町や、川崎や、新宿や、沖縄や、上海を捉えた写真群は、確信犯的に心象が焼きこまれたものであり、確信犯的に斜に構えたものだった。まるで、フィルムと印画紙の粒子のひとつひとつがものいわぬ意思を持ち、ざわざわと蠢いているような印象を覚えた。

わざわざ足を運んだのは、研究者のTさんの推薦があったからだった。2010年に、国立近代美術館で鈴木清の回顧展が開かれたとき、結局行かなかったことを激しく悔んだ。

展示された写真群は、写真集『流れの歌』と『夢の走り』から選ばれている。ただ、Tさんによれば、未発表とされる作品のなかには、『天幕の街』に収録された作品もあるという。少し奇妙なことだ。

そんなわけで、新宿の蒼穹舎で、写真集『流れの歌』(オリジナル1972年、復刻2010年、白水社)を入手した。国立近代美術館の回顧展をきっかけとして出された復刻版である。もはやオリジナル版は高騰していて入手できない。

レンズは、経済と社会のなかでまるでマージナルな位置にあるかのような存在に向けられている。一葉一葉からは、観る者の記憶の奥底を掘り返すような気味悪い力を感じる。

印刷も素晴らしいのだが、オリジナル写真集は活版印刷で刷られている。Tさんが持っているそれと比較してみると、確かに、オリジナル版は黒が潰れ、まったく違う印象を与える。もちろん、印刷も含め、それがオリジナルの味である。なお、復刻版のカバーを1枚はずすと、オリジナル版を模したカバーがあらわれる。


左が復刻、右がオリジナル

鈴木清は、没後、オランダの写真家によって「再発見」され、ヨーロッパで写真展が開かれた。そのときの図録『Kiyoshi Suzuki: Soul and Soul 1969-1999』(Noorderlicht、2008年)を紐解くと、まだ知らない写真世界があることがわかる。この写真家の魅力にいままで気付かなかった自分を恥じてしまう。


マイラ・メルフォード『life carries me this way』

2013-12-21 09:06:58 | アヴァンギャルド・ジャズ

マイラ・メルフォードのソロピアノ『life carries me this way』(firehouse、2013年)を何度も聴いている。

Myra Melford (p)
Don Reich (art)

ソロピアノとは言っても、裏面に記されている名前はふたり。2010年に亡くなった画家、ドン・ライヒの作品に触発された演奏集なのである。

ブックレットには11曲それぞれのタイトルを持つライヒの絵が収録されている。具象に近い抽象画であり、パステルなども使ったあたたかみのあるマチエールである。これらを凝視しながらピアノを聴くと、さらにイマジネーションが拡がっていくようだ。邪道の聴き方ではない。

メルフォードのピアノは昔から独自の曲想を持っている。これまで、ピアノトリオや管楽器とのコラボレーションばかりを聴いてきたが、そのことが、他者の勢いとの相乗効果もあって、尖って突き進むメルフォード像をつくりあげてきた。

ソロでもピアノは尖っている。まるで冷たい石を限りなく広い空間で鳴り響かせているようなときもある。しかし、同時に、聴けば聴くほど、さまざまな風景が出現してくる。

●参照
マイラ・メルフォード『Alive in the House of Saints』 HAT HUTのCDはすぐ劣化する?
ブッチ・モリス『Dust to Dust』(マイラ・メルフォード参加)
ジョゼフ・ジャーマン『Life Time Visions』(マイラ・メルフォード参加)
ヘンリー・スレッギル(5) サーカス音楽の躁と鬱(マイラ・メルフォード参加)