Sightsong

自縄自縛日記

神谷千尋『ウタ織イ』

2013-12-02 23:43:09 | 沖縄

気が付かないうちに、神谷千尋の新譜『ウタ織イ』(SINPIL RECORDS、2012年)が出ていた。慌てて入手して聴いている。

『美童しまうた』(2003年)は、民謡とポップスとが絶妙に組み合わさった名作だと思っている。『ティンジャーラ』(2004年)、さらにそのあとの吹き込みでは、どんどんポップス色が強くなっていき、こちらの聴きたい神谷千尋ではなくなってしまった。

そんなわけで、注目しないでいたために気付かなかったようなものだが、ここにきて『美童しまうた』のような民謡とポップスとのブレンド率。これは嬉しい。

それにしても、この人は唄が冗談でないほど上手い。乾いた声というべきなのかもしれないが、技巧で潤いも湿りも加えられていて、聴き惚れてしまう。「ケーヒットゥリ節」や「浜千鳥」などの沖縄民謡もオリジナル曲もいい。

面白いのは、曲によって相方をつとめる弟の神谷幸昴。若いはずなのに、妙にとぼけてお爺さんのようないい声。さすが、津堅島の神谷一族。


神谷千尋(2006年) Leica M3、Summicron 50mmF2、Tri-X、フジブロ2号

●参照
さがり花(『美童しまうた』)
松島哲也『ゴーヤーちゃんぷるー』(『ティンジャーラ』)


鬼海弘雄『眼と風の記憶』

2013-12-02 08:02:45 | 東北・中部

鬼海弘雄『眼と風の記憶 写真をめぐるエセー』(岩波書店、2012年)を読む。

写真は誰にも撮ることができる。そのために、却って、尋常でないほどの時間と精力と意思とを吸い込まれるものだと、この写真家は言う。「写真が写らない」ことを知ったときから、写真家としての旅がはじまったのだ、とも。

必然的に、インドであろうと、トルコであろうと、浅草であろうと、時間効率でいえば無駄にも見えるほどの長い時間を費やして、あの作品群が生み出されている。写真としてのアウラは、時空間の蓄積でもあったのだ。その原点には、東北の農村があった。納得である。

悩んだ末に書かれているというテキストは非常に味わい深い。

●参照
鬼海弘雄『東京ポートレイト』
鬼海弘雄『しあわせ インド大地の子どもたち』
鬼海弘雄『東京夢譚』


伊藤ルイ『海の歌う日』

2013-12-02 00:01:57 | 九州

伊藤ルイ『海の歌う日 大杉栄・伊藤野枝へ―ルイズより』(講談社、1985年)を読む。

故・伊藤ルイ(ルイズ)は、大杉栄伊藤野枝の娘である。この両親は、ルイ幼少時に、軍部(甘粕正彦)により、1923年の関東大震災直後に虐殺された。そのため、ルイは福岡において祖母・伊藤ムメに育てられた。松下竜一の名作『ルイズ 父に貰いし名は』(1982年)は、祖母のことを書くという条件で取材を受けている。

本書は、さまざまな思いを綴ったエッセイ集であり、ルイ独特の文体もあり、読む者も行きつ戻りつする思索や回想につきあうこととなる。

ルイは、その出自のこともあり、小さいころから大人たちの差別的な扱いを受けてきた。そのためもあって、自分の「特別」な両親のことは意識上も対外的にも回避していたが、次第に、そのことを受け容れてきたという。それは、差別を受け、自らのルーツを知るために勉強し、そして社会運動にかかわり、権力のからくりを直視し続けたからにほかならない。

甘粕事件のとき、大杉栄の甥にあたる橘宗一少年も、同時に無惨にも殺されている。その父親・橘惣三郎は、宗一の墓石に、「大正十二年(一九二三)九月十六日ノ夜大杉栄、野枝ト共ニ犬共ニ虐殺サル」と書いた。晩年のルイの姿を撮ったドキュメンタリー映画、藤原智子『ルイズその旅立ち』(1997年)には、名古屋の寺の藪の中にその墓石があることを知りながら、住民たちが軍部に知らせることもなく、戦後まで隠しおおせたのだということがわかる場面がある。

そのことを胸に抱き、ルイは、沖縄戦において新垣弓太郎なる人物が、日本兵に撃ち殺された妻のために「日兵逆殺」と記した墓を確かめるため、沖縄を訪れている。しかし、その甥にあたる人物は、既に、「沖縄と日本とがひとつになってやっていかなければならないときに妨げになる」という理由で、墓を打ち壊してしまっていた。ルイは、愕然として、次のように言う。まさに、歴史修正主義の臭い風が吹くいま、発せられるべきことばでないか。

「そうではなくて、戦争という状況のなかで、人間が無思慮に暴力を使い、人を殺したあと、その暴力を使ったことによって、人間がどのように堕落していくものであるか、それは人間が人間でなくなる、そういう恐ろしさを私たちに教える証拠として、それを残しておいていただきたかったのです。」