鳥原学『日本写真史』(上、下)(中公新書、2013年)を読む。
写真の日本到来と受容から現在のシーンまでを、社会のありようと関連付けて追った通史。好きな写真家たちが歴史の中に位置づけられることは新鮮かつ快感でもあり、あっという間に読了してしまった。
写真とは技術であり、芸術であり、手段であり、メディアである。何でもないもの、でもある。だからこそ容易にはとらえられない。
戦時中、日本の写真家たちは戦意高揚と情報操作のためのプロパガンダに協力した(間接的な形、意図せざる形であっても)。戦後の反省や、作品への影響は大きかった。しかし、権力との距離という課題はいまもついてまわっている。逆に、プロパガンダや安易な商売に堕すことのない写真活動も、影響力を持ち続けている。
もちろん、写真はたんなる告発の手段に終わるものではない。しかし、有効な告発の手段にもなりうる。それは、新たな視線を獲得し、それを提示するという形かもしれない。これも写真の奥深さか。
いまや写真を誰もが撮って共有する時代。今後の姿がどうなるかについては、著者も揺れ動いているように感じられる。それは当然のことである。「眼」って何、「手」って何、というのと同じものになっているのだから。
多士済々の生み出してきた写真群をどのように位置づけるか、本書を出発点にして各々が考えを巡らすのも悪くない。また何度も読んでしまいそうである。