Sightsong

自縄自縛日記

鈴木則文『少林寺拳法』

2014-01-11 22:36:16 | 中国・四国

鈴木則文『少林寺拳法』(1975年)を観る。

少林寺拳法とは、中国の少林拳とは異なり、満州から引き揚げてきた日本人・宗道臣(※)が創始した武術である。異なるとは言っても、宗は、中国河南省の崇山少林寺出身者に教えを乞うており、それに他の武術の要素を組み合わせたものであるようだ。(実はさっきはじめて知った。)

この映画も、実在の宗の生涯をモデルとしている。もっとも、宗が千葉真一のような濃いキャラであったかどうかわからないが。

宗は、敗戦後、大阪の闇市で警察に目をつけられ、香川県多度津町へと渡り、道場を開く。よそ者であるにも関わらず、宗は地元に受け容れられ、どんどん若者を入門させ一大勢力となっていく。そして地元ヤクザとの抗争。

やはり鈴木則文ならではの面白さ最優先主義、すべてにおいて過剰。誠直也(アカレンジャーにしか見えない)の右手を人形みたいに切り落とさせたり、安岡力也の局部を鋏で断ち切ったり、最後にとどめをさされる男が口から吐く血を煮こごりのようなコロイドにしてみたり。

そして、悪人がうそぶきながらガラッとふすまを開けたところ、暗闇の中に千葉真一の顔が浮かび上がる場面なんて、待ってましたと言いたくなってしまう。(この場面で、千葉真一が「少林寺拳法が無頼の徒なら、お前たちは何だ」と、絞り出すような低い声で威嚇するところだけ、何故か覚えていた。)

ところで、いろいろ検索していて発見した。中国の崇山少林寺の近くに、「少林拳とサッカーを融合させて教えるサッカースクールを2017年までに建設する計画」があるという。もろに『少林サッカー』の影響らしい。記事には、まさに映画を地でいく写真があって、笑うというより仰天した。そのうちワールドカップやオリンピックでセンセーションを巻き起こしたりして。チャウ・シンチーが監督とかやったりして。

「中国“少林サッカー”専門校建設へ 成績向上に期待」(スポニチ、2013/8/10)

そういえば、何年か前、杭州だか寧波だかの空港の売店で、崇山少林寺の写真集を発見して立ち読みした。その中には、超人としか思えない人たちが紹介されていた。中でも、男が自分の局部に紐を通し、その紐で重たい石を引きずって歩くという写真があった。驚愕してすぐに頁を閉じたが、強烈すぎて忘れられない。おそるべし崇山少林寺。

※実は、一筋縄ではいかない側面が大きいようである。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/geography/gaihouzu/newsletter2/pdf/n2_s2_3.pdf
http://budo.sence-net.com/siryou/
http://budo.sence-net.com/siryou/shiryou6.pdf

●参照
鈴木則文『ドカベン』(1977年)
鈴木則文『忍者武芸貼 百地三太夫』(1980年)
鈴木則文『文学賞殺人事件 大いなる助走』(1989年)


大島渚『大東亜戦争』

2014-01-11 12:02:15 | アート・映画

大島渚によるテレビ作品『大東亜戦争』(1968年)を観る。

岸信介の揮毫によるタイトル画面からはじまり、日本人の戦死者数で締めくくられるこのドキュメンタリーは、冒頭に以下の但し書きが付くように、当時の日本という文脈の時空間を提示する。

「このフィルムは、すべて大東亜戦争当時、撮影されたものである。/言葉、音、音楽もすべて当時、日本人によって録音されたものである。/外国から購入したフィルムも、すべて当時の日本人の言葉でつづった。/これは、私たち日本人の体験としての大東亜戦争の記録である。」

この映像からは、既に開戦当初から、戦死した軍人を「英霊」と呼んでいたことがわかる。そして、それは、「玉砕」や「神風」と同じ位置に置かれ、すべて、侵略戦争を覆い隠す大きな物語の構築と強化に活用され、回収されていった。

もちろん、そのような独特なことばだけではない。大本営発表やニュース映像において、ことばも音楽も人々の姿も、徹底的にコード化されていた。学徒出陣も、南瓜の増産奨励も、皇民化教育も、戦地の日本軍と米英軍の挙動も、すべてが「英霊」「玉砕」「神風」と地続きなのだった。(ジョホールバルからの攻撃によるシンガポール攻略後の、山下大将のいかにも勇ましく立派な動きと、英国軍パーシバル中将のおどおどした動きとの違いは、驚くほど対照的に選択・提示されている。)

すなわち、この映像は、誤れり奇怪な「物語」「コード」を外部から眺めた、すぐれた作品となっているのである。情報操作と多くの者による物語の共有のありよう、そしてその無惨な結果を感じ取ることなく、「物語」「コード」内部のことばを未だに使っている者がいるとは、信じ難いことだ。

●参照
大島渚『青春の碑』(1964年)
大島渚『アジアの曙』(1964-65年)
大島渚『新宿泥棒日記』(1969年)
大島渚『少年』(1969年)
大島渚『夏の妹』(1972年)
大島渚『戦場のメリークリスマス』(1983年)
中野聡『東南アジア占領と日本人』
後藤乾一『近代日本と東南アジア』