Sightsong

自縄自縛日記

大島渚『忘れられた皇軍』

2014-01-13 13:28:08 | 韓国・朝鮮

大島渚によるテレビドキュメンタリー『忘れられた皇軍』(1963年)が、「NNNドキュメント'14」の枠で再放送された。快挙といえる。

日本占領下の朝鮮あるいは日本において徴用された朝鮮人たちは、「天皇の赤子」として、日本軍の一員となった。しかし、敗戦後、戸籍によって国籍を定められた。

このことは、国家が国民をどのように支配し、あるいは排除してきたかを考える上での観点となる。(内海愛子氏、植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』 >> リンク

そして、責任や賠償を論じる前提として<国籍>が置かれ(憲法も、審議段階で、その対象を人から国民へと変更した)、そのために、朝鮮など植民地支配下の住民、強制連行・強制徴用した住民、慰安婦など、そのカテゴリーから外れた(外された)人びとへの戦後の待遇が理不尽なものとなった。(波多野澄雄『国家と歴史』、中公新書、2011年 >> リンク

『忘れられた皇軍』には、自らの窮状とあまりにも不公平な国家の扱いを訴える、在日コリアンの傷痍軍人たちが登場する。日本政府からは、ろくな補償を受けることができず、当時、ならば国籍主義に則り韓国政府に訴えてはどうかと言われたという。しかし、被占領下にあった国の政府がその責任を負うということは、そもそも誤りであった。

カメラは、日本の軍人として負傷し、失明し、顔に火傷の痕が残り、片手を失った人の姿に迫る。まさに、カメラも加害者だという大島渚の言葉通りに迫る。その迫力は今観ても(今観るからこそ)、凄まじいものだ。

映像は何度も問いかける。「日本人たちよ、これでいいのだろうか。わたしたちよ、これでいいのだろうか。」と。もちろん、よくはない。番組に登場した田原総一郎氏が言うように、このドキュメンタリーは、日本人の加害性という歴史と、そこから目を背ける日本人の欺瞞を突くものであった。

なお、『忘れられた皇軍』は、すぐれた番組を対象とした「ギャラクシー賞」(放送批評懇談会)の第一回を受賞している。そして2012年度の受賞作品のひとつは、琉球朝日放送・三上智恵ディレクターによる『標的の村』(>> 映画版テレビ版)であった。50年を経てなお、大きな暴力への視線が求められているのだということができるだろうか。

●大島渚
大島渚『青春の碑』(1964年)
大島渚『アジアの曙』(1964-65年)
大島渚『大東亜戦争』(1968年)
大島渚『新宿泥棒日記』(1969年)
大島渚『少年』(1969年)
大島渚『夏の妹』(1972年)
大島渚『戦場のメリークリスマス』(1983年)

●NNNドキュメント
『ルル、ラン どこに帰ろうか タンチョウ相次ぐ衝突死』(2013年)
『狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言』(2013年)
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013年)
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』(2011年)、『基地の町に生きて』(2008年)
『風の民、練塀の町』(2010年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『シリーズ・戦争の記憶(1) 証言 集団自決 語り継ぐ沖縄戦』(2008年)
『音の記憶(2) ヤンバルの森と米軍基地』(2008年)
『ひめゆり戦史・いま問う、国家と教育』(1979年)、『空白の戦史・沖縄住民虐殺35年』(1980年)
『毒ガスは去ったが』(1971年)、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1979年)
『沖縄の十八歳』(1966年)、『一幕一場・沖縄人類館』(1978年)、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』(1983年)


マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』

2014-01-13 10:08:28 | 思想・文学

ユーロスペースに足を運び、マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』(2012年)を観る。

 

ナチスドイツでユダヤ人を強制収容所・絶滅収容所に移送する責任者であったアドルフ・アイヒマンは、戦後アルゼンチンへ逃亡し、1960年、イスラエル・モサドにより拘束された。自身もユダヤ人であり、フランスの収容所に拘束されていたハンナ・アーレントは、裁判の傍聴を申し出る。

アーレントがそこで観察したアイヒマンは、根源的な悪を抱え持つ人間ではなく、ただの「お役人」であり、上から命令された義務を忠実にこなすだけの「凡庸な悪」であった。それは同時に、アイヒマンが「人間」でなくなっており、「考える」ことをやめた者であることを意味した。そして、それは「全体主義」がもたらした悪なのだとした。

雑誌に寄稿したアーレントの文章に対し、アイヒマン擁護だとの激しいバッシングが起きた。歴史的な犯罪、巨悪は有無を言わさず裁くべきであり、それに加担しないアーレントの存在は許し難いものなのだった。(しかも、アーレントは、ナチスとユダヤ人犠牲者との間に立って「取引」をしたユダヤ人リーダーたちへの非難さえしていた。「全体主義」によるモラルの崩壊が加害側だけでなく被害側にも及んだ結果だとして。)

よくできた映画であり、ドラマとしてまったく飽きることがない(マルティン・ハイデッガーと恋仲にあったとは知らなかった)。しかし、この映画を、「地味なテーマに対するドラマ性」、「感動的なアーレントの演説」、あるいは映画のコピーにあるような「真実」などということばでのみ評価してはならない。というのは、「凡庸な悪」とは、戦争責任についてだけ適用されるのでなく、現在も生き続ける大きなテーマであるからだ。

戦争において、組織的にそのような位置におかれ、戦争遂行の指導や、下手人として虐殺を行ったとして、その者は免罪されるのか? それは否である。それでは、かけがえのない価値を棄てようとする動きに対する市民の声・抵抗を押しつぶし、まるで戒厳令のもと、環境破壊や基地建設を強行する下手人たちについてはどうか?

ウクライナにおいて、デモ隊が、機動隊に向けられるための鏡を持ち込んでいるという。また沖縄の高江や普天間においても、相手の名前を覚えて呼び掛けると、その者からは暴力性が薄れることがあるという。これはまさに、自ら「考える人間」であることを取り戻させようとする方法ではないのか。そのような点で、アーレントの考えは現代的であると言うことができる。

柄谷行人の責任論を思い出してしまう。

人の行動や考えに、その人の自由は反映されないのか―――そうではない。その時々刻々の存在のなかで、人は自由である義務をまぬがれない。たとえば、日本軍に徴兵されていることと、率先して虐殺に手を染めることとはイコールではない。認識に基づき、その自由度を「括弧に入れる」、すなわち、態度変更を私たちは身に付けなければならない。ここに責任が発生する。(柄谷行人『倫理21』) 

●参照
仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』
マルティン・ハイデッガー他『30年代の危機と哲学』(アーレントが非難したハイデッガーの講演録)
クロード・ランズマン『ショアー』
クロード・ランズマン『ソビブル、1943年10月14日午後4時』、『人生の引き渡し』
芝健介『ホロコースト』
高橋哲哉『記憶のエチカ』(アーレント論)
アラン・レネ『夜と霧』
マーク・ハーマン『縞模様のパジャマの少年』
プリーモ・レーヴィ『休戦』
フランチェスコ・ロージ『遥かなる帰郷』
クリスチャン・ボルタンスキー「MONUMENTA 2010 / Personnes」
ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1(『メカスの難民日記』)
徐京植『ディアスポラ紀行』
飯田道子『ナチスと映画』