Sightsong

自縄自縛日記

ジョシュア・オッペンハイマー『アクト・オブ・キリング』

2014-05-05 22:57:12 | 東南アジア

青山のイメージフォーラムで、ジョシュア・オッペンハイマー『アクト・オブ・キリング』(2012年)を観る。そろそろ大丈夫かと思ったが、直前に行くと満席だった。立ち見だと言われて入ると、幸運にも、空席があった。

1965年9月30日、インドネシア国軍によるクーデター未遂事件が起きる。これはスカルノ大統領失脚、スハルト大統領誕生のきっかけとなり、また、このときに、やくざや民兵たちにより、共産党シンパや華僑たちをターゲットとした大虐殺があった。犠牲者数は明らかでなく、概数で100万人規模だとされている。

映画は、このときに手を下した者たちにインタビューを行い、さらに、自分の行為を演じてもらうという手法で作られている。彼らはその罪を追求されるどころか、むしろ、社会的地位を得てさえいる。また、北スマトラ知事(メダンでのロケだろう)や、カラ副大統領が、やくざ民兵集団「パンチャシラ青年団」に対し、支持を取り付けようとして、彼らの価値を認めるようなコメントやスピーチを吐いているのである。現在も、もたれ合いの構造が強く残っているのだろうなと思わざるを得ない。

虐殺者たちは、自らの殺人行為を、嬉々として身振り手振りで再現する。誰がみても、最低な下衆連中である。

しかし、かれらの様子が次第に変わってゆく。犠牲者の声を聴き、また犠牲者の役を演じているうちに、心身に異変が生じてくるのだ。口では、「当時はしかたがなかった」、「そのようなものだった」と威勢のいいことを言いながらも。そして、ついに、虐殺場所において、虐殺者は、嘔吐しはじめる。歴史の実態が、隠しようもなく姿をあらわし、「大文字の歴史」にお墨付きを得ていたはずの虐殺者の内臓を喰らい荒らした瞬間だった。

決してドキュメンタリーとして傑作とは言えないし、作り手にも山師的なものが見え隠れする。しかし、これは「私たち」の映画である。すなわち、「大文字の歴史」を内部から噛み進める虫があってしかるべきだということだ。

●参照
朴寿南『アリランのうた』『ぬちがふう』(重なるものが確実にある)


ポール・ブレイ『Plays Carla Bley』

2014-05-05 11:02:13 | アヴァンギャルド・ジャズ

ポール・ブレイがカーラ・ブレイの作品を演奏した記録には、『Homage to Carla』(1992年)があるが、『Plays Carla Bley』(SteepleChase、1991年)は、その前年に吹き込まれている。2年続けてかつての妻の作品集を出すとは、何を考えていたのだろう。

Paul Bley (p)
Marc Johnson (b)
Jeff Williams (ds)

2枚を比べてみると、「Vashkar」、「Seven」、「Around Again」、「Turns」、「And Now The Queen」、「Ictus」、「Olhos de Gato」、「Donkey」と、8曲も同じ曲を演奏している。しかし、決定的な違いは、本盤はピアノトリオ、『Homage to Carla』はピアノソロ。

『Homage to Carla』を聴いた耳で本盤を聴いてみると、もちろんポール・ブレイらしさはあるものの、どうも聴き手のこちらの内奥にまで到達しない印象が拭えない。逆に、本盤を聴いてから、あらためて『Homage to Carla』を聴いてみると、五里霧中の空間に誘い込まれる。ソロゆえ、音と音との間と、音そのものとが、同じ存在感を持って迫ってくるのである。

トリオならば、ゲイリー・ピーコック、ポール・モチアンと組んだ『Not Two, Not One』や、チャーリー・ヘイデン、ポール・モチアンと組んだ『Memoirs』のように、ベース、ドラムスとが同じような強度を持っているべきなんだろうね。


昔、ポール・ブレイにいただいたサイン

●参照
ポール・ブレイ『Homage to Carla』
ポール・ブレイ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Memoirs』
ポール・ブレイ『Solo in Mondsee』
イマジン・ザ・サウンド
カーラ・ブレイ+アンディ・シェパード+スティーヴ・スワロウ『Trios』
スティーヴ・スワロウ『Into the Woodwork』
ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ
アート・ファーマー『Sing Me Softly of the Blues』


張芸謀『活きる』

2014-05-05 00:51:29 | 中国・台湾

張芸謀『活きる』(1994年)を観る。(Youtubeの英語字幕版

国共内戦時。賭け事に熱中する男は、ついに身上をつぶし、妻子に去られ、家を奪われる。得意の人形劇で生計を立てるが、突然、国民党軍に徴用されてしまう。ところが、軍は人民解放軍に敗れ、男はそこでも人形劇を行い、革命に貢献したとの証明書を得る。命からがら戻った実家では、娘が口がきけなくなっており、息子が生まれていた。

50年代、大躍進政策。地域ごとに課された鉄の生産計画を達成するため、皆が無理をして働く。そして、そのために、息子が死んでしまう。

60年代、文化大革命。多くの者が共産主義の敵として捕らえられる中、娘が嫁ぎ、妊娠する。経験のある医者は投獄されており、医者のタマゴしかいない。男と娘婿は、牢屋から老医師を連れてくる。娘の出血が止まらない。空腹の老医師は饅頭を急に詰め込み、身動きが取れない。

30年以上にもわたり、苦労しながら生きのびていく家族を描き、同時に、当時の共産党政策批判にもなっている。また、さすが張芸謀。ドラマの作りかたが手馴れていて、本当に巧い。登場人物たちを襲う運命にハラハラさせられ、何度か涙腺がゆるんでしまった。

●参照
張芸謀『紅いコーリャン』(1987年)
張芸謀『紅夢』(1991年)
張芸謀『上海ルージュ』(1995年)
張芸謀『初恋のきた道』(1999年)
張芸謀『HERO』(2002年)
張芸謀『LOVERS』(2004年)
張芸謀『単騎、千里を走る。』(2006年)