ウォン・カーウァイ『恋する惑星』(1994年)を観てからというもの、主演のフェイ・ウォンが気になってしまい、PV集『The Best of Faye Wong』(Cinepoly、1996年)を入手した。
いや~、魅力爆発。猛烈に可愛い。いまみてもオシャレで、コケティッシュで、メヂカラが強烈で、目が釘付けになる。
凝ったPV集ということもあって余計にそう感じてしまうのだが、壁にチラシやポスターをベタベタと重ねて貼っていくようなメディアの雑踏のなかにあっての、この人の魅力なんだろうなと思う。メディアがどんどん変貌していって、勢いも隙間もものすごくあって、そのなかで爆竹を鳴らしていたという感覚。
この中で、(PVではなくライヴ映像だが)「千言萬語」を唄っている。この曲は、フェイ・ウォンがテレサ・テンに捧げたアルバム『マイ・フェイヴァリット』(Cinepoly、1995年)にも収録されている。こうなると、どうしてもテレサ・テンと比べてしまって、フェイ・ウォンには分が悪い。奥深さ、包容力、声のエッジの丸さという点で、テレサにかなうわけがないのだ。大袈裟ではあるが、故・中村とうよう氏は、テレサの歌を「聞き手を慰撫する仏の境地だった」と振り返っている(中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』、岩波新書)。
実際に、これまで、テレサの名盤『淡淡幽情』(Polygram、1983年)と聴き比べては(特に、同じ曲「但願人長久」)、フェイは何てペラペラに浅くて軽いのだろうと感じていた。最近、以下の文章を目にして共感してしまった。
「・・・奇しくもテレサ・テンが亡くなった年に、テレサへのトリビュート・アルバム『マイ・フェイヴァリット』を発表、特にボーナス・トラックの「千言萬語」(語り尽せぬ愛)」は雰囲気たっぷりの名演として、フェイのベスト盤にも収録されている。幼いころからテレサの大ファンだったフェイは、その後継者になる。当時は誰もがそう思い、期待したはずだ。ところが・・・・・・要するに、力量が違いすぎた。フェイの声には芯がない。テレサの声も、軽くふっくらとしているが「よく響く」声で、ここぞというときには、堅固な芯がしなやかに表れる。フェイの場合、芯のない声と同じように、音楽性も一貫していなかった。」(昼間賢「歌謡曲のアジア」、「Narasia Q」2013年5月/特集・うたうアジア)
しかし、その一方で、「声」だけで比較しない贔屓があってもいいのではないか、とも思う。テレサはテレサ、フェイはフェイ。
●参照
ウォン・カーウァイ『恋する惑星』
宇崎真、渡辺也寸志『テレサ・テンの真実』
私の家は山の向こう
私の家は山の向こう(2)