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自縄自縛日記

5・10「復帰42年糾弾!沖縄基地強化を許さない!集会」

2014-05-11 10:36:50 | 沖縄

5・10「復帰42年糾弾!沖縄基地強化を許さない!集会」に足を運んだ(2014/5/10、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック主催、文京区民ホール)。

安次富浩さん(ヘリ基地反対協・共同代表)の講演は以下のようなもの。

○現在の沖縄は、自決権(自己決定権)および生存権を問われている状況にある。
○米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去、県内移設断念などを求めた「建白書」は、沖縄県議会各会派、全41市町村長・議長らが署名した(2013年1月)。しかし、現政権はそれを無視し、逆に、4月28日(サンフランシスコ講和条約が発効)を、「主権回復の日」として定めた。これは、いつでも沖縄を取引材料とすると宣言したようなものだ。沖縄では、4月28日を「屈辱の日」と位置付けることがある。この「屈辱」にも違和感がある。すなわち、「復帰」を是とすべきかどうかということだ。
名護市長選(2014年1月)では、辺野古基地反対の稲嶺市長が再選された。それに先立つ2013年12月には、仲井間知事が埋立を承認してしまった。また、やはり反対のはずの自民党議員5名が、賛成に回らされてしまった。こうした動きにも関わらず市長選で勝利したことは大きい。従来の保守経済界が、基地建設に疑問を抱き、稲嶺支持に回ったからでもあった。
○それでも、読売新聞(2014年5月10日)には、「辺野古工事 秋に着手」とある。県知事選(2014年12月)の前に行うということは、現政権が、知事選に勝てないと踏んでいるということだ。
○辺野古のボーリング調査は、おそらく2014年6-7月頃に行われる。それは、名護市議選(2014年9月)への影響を避けようという考えでもあるだろう。
○今後、知事選の結果や、世界自然遺産への辺野古の組み込みをもって、米国オバマ大統領への意思表明、国際的支援の構築(チョムスキー、ストーンらの声明)、国連での人権問題の訴え等に結びつけていきたい。
○この5月には、稲嶺名護市長が訪米する。
○また、この5月には、沖縄意見広告(第5期)を各紙に掲載する。
ジュゴン裁判(カリフォルニア州連邦地裁が、普天間米軍基地の移設計画が、アメリカ文化財保護法に違反していることを認めた)が、新たな局面に入る。
○埋立や、それに伴うハコモノの建設に、何千億円もの税金を使うべきではない。

●参照
いま、沖縄「問題」を考える ~ 『沖縄の<怒>』刊行記念シンポ(2013年)
10万人沖縄県民大会に呼応する8・5首都圏集会(2012年)
6.15沖縄意見広告運動報告集会(2012年)
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う(2012年)
大田昌秀講演会「戦争体験から沖縄のいま・未来を語る」(2011年)
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」(2010年)
シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2010年)
シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(2)(2010年)
シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(3)(2010年)
シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(4)(2010年)
シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(5)(2010年)
シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(6)(2010年)
沖縄・高江へのヘリパッド建設反対!緊急集会(2010年)
水島朝穂「オキナワと憲法―その原点と現点」 琉球・沖縄研(2009年)
7・18 沖縄県議会決議を尊重し、辺野古新基地建設の断念を求める国会請願署名提出2・3報告集会(2009年)
ゆんたく高江、『ゆんたんざ沖縄』(2008年)
ヘリパッドいらない東京集会(2008年)
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(1)(2007年)
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(2)(2007年)
新崎盛暉氏の講演(2007年)
沖縄の海も山もクニ(日本)のものかッ!!(2007年)
「やんばるの森を守ろう!米軍ヘリパッド建設を止めよう!!」集会(2007年)


北井一夫『村へ』

2014-05-11 09:24:51 | 写真

ツァイト・フォト・サロンで、北井一夫さんの写真展『村へ』が開かれている。

70年代の素晴らしいヴィンテージプリントばかり。会津のお堂の写真(1971年)などは、ひび割れてさえいる。

じっくりと観ていくと、面白い再発見がいろいろ。1970年代前半には、ときにカチカチのハイコントラストのプリントだが、後半になって、明らかに、柔らかくなっている(自分の好みは、柔らかい方だ)。東北の東日本大震災の被災地において、なお残されている「道」をテーマとしている氏だが、昔から、向こうに向かう道を好んで撮っている。そして、真ん中に子どもを配し、左に傾いだ北井写真。

岩手の農地におけるリヤカーの写真(1973年)では、背景の真ん中に電柱があり、画面の中を縦横に電線が走っている。かつての風景写真的美学に正面から抵抗するような作品であり、これもまた、改めて氏の反骨が感じられるようであり、笑ってしまった。

いただいたDMに、ご在廊日とあったのだが、その時間にはおられなかった。近いことでもあるし、また機会を見つけてお話を伺おうと思う。

●北井一夫
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『湯治場』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)


桑原史成写真展『不知火海』(2)

2014-05-11 08:46:44 | 九州

銀座ニコンサロンにて、桑原史成の写真展『不知火海』を観る。昨年11月にも開かれたばかりだが、今回、桑原氏が土門拳賞を受賞した記念での再度の開催である。構成や個々の写真は、前回と少し変えてあるようだ。

5歳で水俣病を発病し、23歳で亡くなった少女は、その美しさから「生ける人形」と呼ばれた。また、石牟礼道子『苦界浄土』に登場する杢太郎少年のモデルとなったと言われる少年の写真もある。

桑原氏は、「生ける人形」を、できるだけ美しく撮りたかった、と述べている。それだけでなく、白黒プリントが非常に巧く、さすがである。それだけに、なお、水俣病を発生させ、放置し、さらには別の公害病を生んだ罪が、重いものとして迫ってくる。

ニコンサロンは、この写真展の次に、石川文洋氏のベトナム戦争の写真展を予定している。福島の原発事故も、これまでテーマとしてきている。この姿勢を貫くならば、安世鴻氏による慰安婦の写真展を中止したことの理由も明確にすべきである。

●参照
桑原史成写真展『不知火海』
工藤敏樹『祈りの画譜 もう一つの日本』
土本典昭『水俣―患者さんとその世界―』
土本典昭さんが亡くなった
原田正純『豊かさと棄民たち―水俣学事始め』
石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』
『花を奉る 石牟礼道子の世界』
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』