Sightsong

自縄自縛日記

「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie その3

2015-07-05 09:11:47 | 小型映画

Nuisance Galerieにおける「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」展。最終日(2015/7/5)は、栗原みえ『チェンマイ チェンライ ルアンパバーン』(2012年)という8ミリ映画の上映が行われた。企画した安田哲さんが8ミリ映写機にこだわっていたのだが、諸事情によりDVDプロジェクターが使用された。

映画は、栗原さんがタイのチェンマイとチェンライ、それから旅仲間のことばに心動かされてラオスのルアンパバーンに旅をするプロセスである。現地の人たちと仲良くなって、やたらクローズアップしたり遊んだり。8ミリの滲んだ映像と、揺れ動きと、栗原さんの脱力したようなナレーションがやたらと楽しい。いや~、旅はいいね。

ところが、帰国後、「3・11」を迎えて映画のトーンは一変し、緊迫感に満ちたものになる。外界を本能的に恐怖して閉じこもる栗原さんは、タイやラオスでの狂犬病などにも思いを馳せる。直視するとそれに囚われて逃れられなくなる「死」というものが、すべての共通項として浮上してくるわけである。安田さんがこの映画を最終日にもってきた理由かな。

終わった後、サンポーニャ奏者の青木大輔さんによるソロ。最初は真っ暗ななかで、そのあと、足元に蝋燭の火をいくつか灯して。暗闇と息遣いは8ミリ映画にも共通するものである。

●参照
「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie(2015/6/6、丸木美術館・岡村幸宣さんとの対談)
「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie その2(2015/6/13、浄土真宗本願寺派僧侶・大來尚順さんとの対談)
岡村幸宣『非核芸術案内』


崎山多美講演会「シマコトバでカチャーシー」

2015-07-05 00:30:12 | 沖縄

立教大学において、日本文学会の主催により、崎山多美さんの講演会「シマコトバでカチャーシー」が行われた(2015/7/4)。

崎山氏は、「シマクトゥバ」という用語を、昔からの「ウチナーグチ」よりも比較的新しく流布されているものであり、そこにはイデオロギーと権威付けがあるという。それへの加担を拒む氏は、14歳まで西表島で育った。身体化したことばは、いかに「日本人化」しようと、外部との交換に際してつねに「引っかかり」や「溝」を意識させずにはいない。山之口貘も、その違和感を詩にうたった。

「生活のため」に、崎山氏は、予備校の講師を30年も続けている。教えた生徒の2割くらいは「本土」へと旅立ち、しかし、戻ってきて話をすると、自分自身を「やはり日本人ではない」と認識することが多いという。人の目を見て話さないといった身振り、ことばのトーンやリズムやスピードの違い。そんなとき、氏は生徒たちに「もっと日本語を学べ、慣れろ」とは言わない。違和感を、溝を、大事にすべきだと考えているからだ。同化ではないのだ。

そのうえで、ことばを字面ではなく音やリズム感で伝えたいということに、希望を見出している。沖縄では日本と違い、アジアとのつながりも感覚的に濃密である。さまざまな硬直の溶融という希望の種があるというわけである。まさにこれが、氏が呼びかけて創刊した『越境広場』創刊0号のテーマでもある。

『越境広場』創刊0号には、北島角子『ウチナーグチ版・憲法九条』も収録されている。意訳であり、崎山氏が「わったー日本国民のー」(私達日本国民の)と朗読しはじめると、確かにうたのようだ。ことばの異化とフリクションを敢えて起こすことによって、壁を溶かす。さらには、崎山氏は「お笑い」も重視する。

さて、カチャーシー。何でもかんでも最後にカチャーシーで「混乱させておしまい」か、いやそうではない。お互いに動きを誘い、盛り上がっていけば、ハグしたくなるのだという。ことばの遣り合いによって、わからないことを前提に交流し、抱きしめたくなること。ずいぶんと前向きで希望に満ちた「野望」である。謎めいた作品を生み出してきた崎山多美という小説家に親近感がわいた。

●参照
崎山多美『ムイアニ由来記』、『コトバの生まれる場所』
崎山多美『月や、あらん』
『現代沖縄文学作品選』(崎山多美)
『越境広場』創刊0号