ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』(白水uブックス、原著1984年)を読む。
ギュスターヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』において、ボヴァリー夫人ことエンマの瞳の色の説明は茶色だったり黒だったりと矛盾しているという。フローベール(ここでは「フロベール」と翻訳)が作品を書くときに参考に使った鸚鵡の剥製は、1つならず残されているという。フローベールの情事や死には、まだわかっていないことが少なくないという。
この小説は、そういった疑問に答えるものでも、解き明かそうとするものでもない。むしろ、作家の生涯や小説が生み出された時代背景といった批評・評論の馬鹿馬鹿しさを、これでもかと笑い飛ばす小説である。読んで不快に思った文学研究者もいただろうね。さすがバーンズ(といって、あまり面白かったわけでもないのだが)。
●参照
ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』(2011年)
ジュリアン・バーンズ『Pulse』(2011年)
ギュスターヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』(1857年)