森口豁『子乞い 沖縄・孤島の歳月』(2000年)は、沖縄の国境に近い小さな鳩間島での、凄絶な80年代の記録である。普段は想像もできないような状況が、極端な姿であらわれている。
鳩間島では、小学校を廃校にしないために、小学生を最低1人は確保しなければならなかった。廃校になるということは、小学生の家族と、学校の先生とその家族がまとめていなくなることを意味する。それが5人であっても、島の人口50人程度の1割が減ってしまう。そして子どもという「未来」がいなくなることは、時間とともに「廃村」が見えてくるということだ。
これを防ぐために、ぎりぎりのところで島の方々が取った手段は、外部から子どもを連れてくることだった。当然、公募などではないから、親類縁故や出身者に対し、島がなくなってもいいのかという気持ちを衝くことによって、何とか1人1人とつないでいった。
このあたりの過程を読んでいると、郵便局は窓口業務だけになってしまう、医療が不安、効率化やコスト削減のための教育委員会からの圧力など、小さく/マージナルで/不利な場所/人に対する無策(あるいは、無策という政策)が明らかになっていく。このような思想の根本をなすものは、第一次産業の軽視、環境の軽視、現在の「格差社会」、さらには均一化の社会とダイレクトにつながっている。
「だが西原は想う。
どんなに空と海が碧く美しくても、ワシらの腹が満たされることはない。
その想いのなかに彼のいう花が秘められている。生きているあいだに花も咲かせたい、犠牲になる前に一度は花も咲かせて欲しい・・・・・・。
その花とはなんだろう、と佐藤は考える。」
『子乞い』を原作として、尾瀬あきらの漫画『光の島』や、テレビドラマ『瑠璃の島』がつくられている。『光の島』を最初の何巻かブックオフで立ち読み(笑)したが、島に他の小学生がきたときに万歳した子どもの写真が漫画のコマにも活かされていて、思わずほろりとしてしまう。正月休みに、『瑠璃の島』のDVDをレンタルしてこようと考えている。
戦後の一時期に600人以上だった人口が日本復帰以降はずっと50人程度。そのなかで小学生が1人とか2人とかいう時期があったのだ。私の田舎は1学年20人くらいだった(中学校は数年前に合併によって潰された)。それでもよほど田舎だが、ちょっとこれはなかなか想像が難しい。
いま調べると、現在では70人台にまでなっていて、中学校が復活した鳩間小中学校の在校生は11名のようだ。鳩間可奈子は、中学生のときに父親の実家がある鳩間島で過ごしたそうで、90年代だからこれも中学校復活後ということになる。
『八重山人の肖像』(今村光男・石盛こずえ、南山舎、2004年)より
結論はそれではありません(笑)が、まあその。