Sightsong

自縄自縛日記

バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』

2010-08-11 00:56:47 | 中東・アフリカ

バフマン・ゴバディの最新作、『ペルシャ猫を誰も知らない』(2009年)。映画館に行けるか不安なので、DVDを入手した。円高ゆえその方が却って安い。ゴバディは本作を撮ったあと、イランに戻ることができない状況になってしまった。

大好きな日本へ行きたかった。しかし、パスポートの査証ページがなくて、その再発行(増補)をしようとしたけれど、イラン大使館から「イランに戻らなければ発行しない」と言われた。今の私がイランに戻るということは、刑務所に入れられるか、二度とイランの外へ出られないということ。私はイラクのクルディスタンを第二の母国として、新しい国籍のパスポートを得たい」(「中東カフェ」より引用

巷の評判通り、冗談抜きに素晴らしい出来。冗談抜きにというのは、無許可で撮られたテヘランの断片であるらしいからで、また、素晴らしい出来というのは、本当のアンダーグラウンドであるからだ(日本のアングラは構造的にシュミと化している)。音楽が体制批判や変革の力を持つのは不思議なことではなく、インタビュー映像でも、そのために投獄されることは珍しくないと出演者が発言している。

音楽はインディー・ロックだけではない。民族音楽も、ペルシャ語のラップも、子どもたちに弾き語るギターもある。そしてそれらは、隠れたライヴハウスや、個人宅でのパーティーや、農地や、牛小屋や、高速道路脇の高台でのパフォーマンスであり、さらに、テヘランの隠し撮りされた風景がヴィデオ・クリップのように構成される。いや~、かっちょいいね。

DVDの特典映像として、撮影の裏話を収めた1時間ほどのドキュメンタリーがあった。この手のものは自画自賛に満ちていて退屈なことが多いが、これは面白かった。17日間だけで朝から晩まで使って撮られたようで、カメラマンも音声も「ゴバディにつきあうのは大変だったが、それだけの体験ができた」と嬉しそうに語っている(まさかその後、ゴバディが帰れなくなるとは)。実際にその場でどんどんイメージを膨らませてプロットや撮影方法を変えていくゴバディの様子に惹きつけられる。

ジャファール・パナヒの拘束といい、アフマディネジャド独裁政権の下でイラン映画の才能が失われるのは損失に他ならないように思える。

●参照
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
酒井啓子『<中東>の考え方』(プロテストの手段としてのラップに言及)


柄谷行人『探究Ⅰ』

2010-08-09 00:05:28 | 政治

ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』(原著1918年)は、以下の有名な一文で締め括られる。

「語りえぬものについては、沈黙しなければならない。」(叢書ウニベルシタス版より)

柄谷行人『探究Ⅰ』(講談社学術文庫、原著1986年)は、<他者>なるものを探究し(はじめ)た書である。それによれば、<他者>とは同じ<言語ゲーム>を共有しない者をこそ意味する。例えて言えば宇宙人や猫であり、決して対話が成立することが予見できる者ではない。<言語ゲーム>を共有する<共同体>の中での対話においては、言うことは自ら聞くことであり、独我であり、それは書くことでも何ら変わりはない。それがヴィトゲンシュタイン哲学の核心だという。

論理を追求した結果としての諦念なのかヤケクソなのか、『論理哲学論考』の提示は強く印象的なものだった。いやしかし、論理の枠組こそひとつの<言語ゲーム>であることを考えれば、上の一文も<他者>なるものと絡み合っていたのだと、今、気付かされる。

そうすると、本来<他者>とのコミュニケーションは<命がけの飛躍>であったはずで、それが見えないのは、<共同体>の論理による隠蔽工作が奏功しているからに過ぎない。柄谷は、ここにマルクスの可能性をも見出している。貨幣による価値均衡は後付けのまやかしであり、物々交換はやはり<命がけの飛躍>であった。そして貨幣という存在へのフェティシズム性を見なければならないのだ、と。

読んでいると、どうしても沖縄のことを考えてしまう。裁判の例が挙げられているが、これもそのアナロジイとなりうる(抽象にとどまらないのが柄谷行人の魅力であると感じている)。

「裁判官の判決は、判例として、法的言語ゲームを変えて行くが、それは言語ゲームの外部に出ることにはならない。裁判を経験した者は、弁護士を見方と思うよりも、彼らがすべて共犯して勝手なゲームをやっているのではないかと感じるはずである。さらに、それに同意することは、対話的な「承認」などではなく、国家(共同体)による「強制」である、と。」

閉ざされた政治社会という系にあって、<他者>性を楔のように打ち込むことは如何にすれば可能だろうか。それは柄谷の用語で言えば<倫理>であるはずで、本書でも、ヴィトゲンシュタイン哲学を<倫理的>と位置付けている。

「「言語の意味はその用法である」というウィトゲンシュタインの言葉は、プラグマティックな意味で理解されてはならない。それは、内的な意味(私的言語)から出発するかわりに、≪他者≫との交換というレベルに立ちもどることを主張しているのである。日常言語学派とちがって、彼の認識は”倫理的”である。」

●参照
柄谷行人『倫理21』 他者の認識、世界の認識、括弧、責任
小森健太朗『グルジェフの残影』を読んで、デレク・ジャーマン『ヴィトゲンシュタイン』を思い出した


金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」

2010-08-08 18:20:58 | 沖縄

金城実を中心として、鎌田慧辛淑玉石川文洋というメンバーでの討論会「差別の構造―沖縄という現場」に足を運んだ(8/7、日本教育会館)。小ぶりな会場だったが、参加者でぎっしりと埋まった。司会の古川美佳氏から、「権力的なタテ軸の歴史ではなく、連なる島々のヨコ軸の歴史を見ていこうという狙いだ」との説明があった。

会場の外で、金城実のいくつもの近しい写真を展示していた大木晴子さんにご挨拶できたのは嬉しかった。(>> 大木晴子さんの記事

■知花昌一・三線ショー

電車のトラブルのため石川文洋氏の到着が遅れ、会場に来ていた知花昌一氏(読谷村議会議員)が三線を披露した。嘉手苅林昌の「時代の流れ」、そして「二見情話」。そうか、二見とは辺野古の隣だったのか。

■金城実

叩き台だとして、これまでの琉球・沖縄差別の歴史についてレジュメをもとに述べた。

①人類館事件(1903年、大阪・第5回勧業博)

事件後、沖縄紙の社説において、「沖縄人は紛れもなく日本人であり、それをアイヌなどの生蕃と一緒に陳列されるとは許し難い」とする社説が掲載された。ここで沖縄は加害者に転落したのであり、のちに天皇の赤子となって過度の忠誠を尽くすことの「ハシリ」であった。沖縄の加害性は検証されなければならない。

②河上肇の発言「琉球の人は忠君愛国の思想が薄弱・・・」(1911年)

これは差別というよりむしろ、国家的結合が弱いことは、偉大なる豪傑を生む筈だ、誇りを持てという主旨であった。しかし、沖縄紙は「非国民的精神を鼓舞するものだ」と批判した。

③大宅壮一の発言「動物的忠誠心・・・」(1959年)

当時(金城実は)大阪に居て聞いていた。父親は犬死であったし、言い当てていると思った。

④久志芙沙子の小説『滅びゆく琉球女(民族)の手記』(1932年)

沖縄出身であることを妻子にも告げていなかった男が、不幸があって沖縄に帰るとき、妻子にも会社にも「×県に行ってくる」と隠し、見送りも断り、周囲の目を気にしながら恐怖心を持って帰ったとするストーリー。これに対し、東京のインテリは怒り、「アイヌや朝鮮と同列に並べることは沖縄に対する侮辱だ」と批判した。やはり差別のなかの差別であった。しかし久志は、差を設けて優越を感じようとすることには同意できないと反論した。

⑤「にんげん教科書事件」(1971年)

大阪において出された、沖縄差別を扱った副読本に対し、「朝鮮やは心情論の差別だが、沖縄は政治的差別である」との批判がなされた。やはり差別の中の差別であった。これに対し、兵庫県の沖縄県人会の会長が「差別された者同士は団結して闘うべきだ」と批判した。④や⑤からわかることは、インテリの方がむしろ鈍感であったということだ。

⑥国連ディエン報告(2010年)

(最新号の『けーし風』を参照しながら)日本政府に対する、沖縄差別解消の国連勧告。日本政府は、差別はない、基地は地政学的にやむを得ないとの回答しかしていない。これを読むと暴れたくなってくる。抑止力ではなく「ゆくし力」だ(「ゆくし」=嘘)。

■辛淑玉

現在の日本は暴力装置を必要としており、そのベースとなるのが朝鮮に対する恐怖だ。恐怖を増幅させながら、「武力が必要だ」としているわけである。

これまで、パチンコ疑惑、テポドン、拉致など、日本社会は「朝鮮」に対し、驚くほどパニックに陥っている。その都度発生する在日コリアンに対する暴力事件に関し、捜査も検挙もゼロに近い。そんなとき、「ひどい日本人だけでない、頑張って」との応援をもらうことがあるが、これは「自分は殴らないでね」という言葉と同じだ。従って、自分(辛氏)は、韓国籍でありながら、酷い扱いを受けている「朝鮮人」だと名乗っている。

講演の際に多い質問は、「日本が好きですか」だが、これは「日本が嫌いだったら出て行け」ということだ。また、東大では「日本と韓国が戦争になったらどちら側に与しますか」との質問もあった。まったくリアリティがないどころか、常に踏み絵を踏ませ、敵か味方かを延々とはかりつづけているのである。そのため、日本に怒りを向けないであろう外国人ならば仲間扱いにするが、そうでなければバッシングの対象となる(朝青龍)。関東大震災の際の朝鮮人虐殺と同じ構造だ。

 

■鎌田慧

辺野古の新基地建設に関し、現地の人々が「イヤだ」と言っているのに、「負担軽減だ、良いではないか」としてこれ以上押し付けるのは、もはやファシズムだと言うことができる。

沖縄に関しては、戦後、米国に売り渡し、サンフランシスコ平和条約(1957年)で切り離し、施政権返還(1972年)以降も植民地的扱いは続いた。海洋博(1975年)では、土地売り渡しに応じた場所から工事を始め、残った地主にとっては「ブルドーザーで攻めてきた」という囲い込み作戦にひとしかった。彼らは「米国が攻めてきたときと同じだ」と語った。

そして「730」すなわち1978年7月30日、自動車交通が左側に一斉に変えられた。米兵の事故は、もし以前どおりなら少ない筈だった。

こういったことを考えるとき、小さな亀を大きな亀が喰っていく、ブリューゲルの作品を思い出す。

武田泰淳『ひかりごけ』を読んだことがあるだろうか。仲間の人肉を喰って生き延びた船長の話であり、ここで提起されている問題は、犯罪の定義である。これは難しい。しかし、例えば佐藤優が最近書いていたように、稲嶺知事が勝ったときの沖縄知事選で、多額の官房機密費が知事選に投下されたことを思い出すなら、まさにこういった自民党政治は人を喰う仕組であった。個人の意思がつぶされ、企業票の大量集票がまかり通ってきた社会だった。そして、基地を維持して人が死んでも何も起きなかった。

もはや、「大変ですね」、「連帯します」では済まないところまで来ている。

■石川文洋

現在、状況が軍事力強化に結び付き、それを利用する者がいるのが残念だ。

ただ、どこでどんな人にあっても、人としては同じである。政策と人とは分けて考えなければならない。そこがゴッチャにされている。

差別とは大きな無関心である。全国の知事アンケートでは、基地を引き受けるところはなかった。そのような知事が沖縄の負担軽減と言ったところで、それは口先だけだ。そしてその知事を選んだのは、地域の住民だ。沖縄国立大学へのヘリ墜落のときにも、日本から怒りの声はさほど出てこなかった。

自分(石川氏)は昭和18年に父(石川文一氏)の仕事のため本土に渡った。沖縄に軍隊が来たのは昭和19年のことで、まだ影はあまりなかった。本土では、「オキナワ」というあだ名をもらいはしたが、個人的には差別をあまり感じなかった。一方、歴史や負の部分の共有という意味で、沖縄戦を体験していないというコンプレックスがある。

敗戦後、身分証明書の取得や税関の通過が大変で、同じ沖縄人であっても官吏は権力の手先だった。そういった状況で、本土復帰には賛成だった。 しかし、負担軽減などなされなかった。

今までの基地は占領を引きずったものだった。それに対し、辺野古の基地は、日本政府も沖縄県も許可した上での新基地となる。これは全く異なる大きな意味を持つ。この基地を使った戦争で人々が殺されたなら、私たちは加害者となる。

■知花昌一

2010年5月28日の日米共同声明は、1879年、1952年、1972年に続く、第四の琉球処分だ。民主党への期待が大きかっただけに、余計に怒りを覚えている。こうなれば、政治に一喜一憂せず頼らないあり方、徹底した不服従の闘いしかないと考えている。

■金城実 

筑紫哲也が阿波根昌鴻の取材をしていた。阿波根昌鴻はやられるのも同情されるのも嫌いだった。元気が出る存在だった。

安重根や尹東柱などを含め、抵抗の文化史を共有することが必要ではないか。

■辛淑玉

沖縄と朝鮮は、「大衆が敵になる」という共通点がある。民主党は、野党時には善人のフリをしておきながら、政権を取ったらそういった存在を一気に切り捨てた。政治を動かしていくことは重要だ。

■石川文洋

復帰以前には復帰したかったが、今では独立した方が良いと思っている。世界にもそのようなところはあり、決して絶縁ということにはならない。経済的にどうなるかわからないが、人間はいろんなところで生きている。空いた土地で芋を育ててもいい。こうすることで、日本と対等にものが言えるようになる。

独立すれば、沖縄に戻って何かの役に立とうと思う。日本の心のよりどころになるかもしれない。何かあれば喧嘩も辞さない。

■鎌田慧

東北地方では、人を喰うのは決して珍しいことではなかった(人を喰った者の眼は「異様に輝く」と言われていた)。今でも冗談ではなく、原子力発電所の建設で農地を追われて野垂れ死にする人もいる。辺野古において、「イヤだ」というのに土地や海を奪うのはファシズムだ。

■金城実

昨日(8/6)、芸術面についての討論会があったが、政治との乖離が大きい。芸術と政治がどう絡んだか、もっと考えるべきだ。メキシコのシケイロスは、レーニン平和賞の受賞金をベトナムのホー・チ・ミンに送ったことがあった。米国と闘えという意味だった。

■鎌田慧

(会場から、地元に密着しない運動は駄目だ、このような集会に出るだけという方法も無意味だという意見があった。それに対して)

何もしない、無関心というのが批判されるべきなのであって、何か動く人に対し、効果的でないとかつまらないとか糾弾するのは駄目だ。運動が成熟してくると運動ニヒリズムは必ず出てくるもので、それは運動を分断するものでしかない。自分の地域でなくてもよいし、その経験を他の地域にも生かすことができる。タコつぼ的な地域密着型の運動が必ず勝つというものでもない。

■金城実・下駄踊り

既にかなり酔っていた氏が、得意の「下駄踊り」を披露した。三線は知花昌一。

会場で、金城実の小品を「半額」で販売していた。ひとつ入手して、署名をいただいた。

●参照
豊里友行『彫刻家 金城実の世界』、『ちゃーすが!? 沖縄』
金城実『沖縄を彫る』
「官邸前意思表示~『県外移設』の不履行は絶対に認めない!」Ust中継
『ゆんたんざ沖縄』
坂手洋二『海の沸点/沖縄ミルクプラントの最后/ピカドン・キジムナー』
『けーし風』ディエン報告
鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』
鎌田慧『抵抗する自由』
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』
六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
前田俊彦『ええじゃないかドブロク(鎌田慧『非国民!?』)
野中広務+辛淑玉『差別と日本人』
石川文洋の徒歩日本縦断記2冊
石川文一の運玉義留(ウンタマギルウ)


阪本順治『KT』 金大中事件の映画

2010-08-08 16:03:22 | 韓国・朝鮮

1973年、日本を訪れていた金大中は、大統領・朴正熙の意向を汲んだKCIAや大使館のメンバーにより拉致される。阪本順治『KT』(2002年)は、事件の裏側を描いた映画だ。ようやく観ることができた。

三島事件の前、二・二六のように決起するつもりであった自衛官が主人公。自衛隊が存在意義を認められない「日蔭者」であることに不満を抱いている。10・21だって、安田講堂だって、あさま山荘だって、機動隊で何とかなった、では自分は何なのかと自問自答する男。KCIAに手をかせという自衛隊命令を大きく踏み越えて、彼は拉致に協力することになる。

なぜKCIAが金大中を暗殺せずにソウルで放したか、それは日本政府への米国の圧力だった。朴正熙の独裁政権を支援し、KCIAの活動をも公安を通じて黙認していた日本政府。ホワイトハウスからの電話を受けた官房長官は、「朝鮮半島を第二のベトナムにしたくないだけだろう!」と怒りをあらわにする。そして、金大中を拉致した男は、船上で、日本政府にそのような干渉をする権利があるのかと叫ぶ。

佐藤浩市や原田芳雄の演技もあって、映画としてはかなり出来が良い。どこまでが事実に基づいた話なのか判らないので、まずは原作となった中薗英助『拉致―知られざる金大中事件』を読みたいところだ。

●参照
T・K生『韓国からの通信』、川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』(金大中事件、光州事件の映像)


西沢善介『エラブの海』 沖永良部島の映像と朝崎郁恵の唄

2010-08-08 15:25:20 | 沖縄

西沢善介『エラブの海』(1960年)を借りてきて観る。沖永良部島近くの孤島が舞台となったセミドキュメンタリーである。孤島には真珠の養殖を行う老人、2人の海女、老人の孫の少年の4人が住んでいる。

琉球石灰岩の島、その岩礁が少年の遊び場。貝に紐を喰いつかせて釣り上げ、焼いて食べたりしている。少年はウミガメの産卵を覗き、卵を育てようと砂浜に埋める。卵を狙うハブを棒でやっつけ、台風のあとは無事かどうか確認する。そして無事に孵化し、海に戻っていく。こういった情景描写のナレーションは小沢栄太郎。

半裸の海女ふたりは、小舟から潜っては、真珠を育てるための大きな貝を採る。浮かび上がった後の呼吸は凄い声だ。サメが迫ってきたりもする。こうして採った貝に小さな真珠を埋め、金網に入れて海の底に沈める。5年ものを引き上げてみると、中には立派な真珠がふたつもあった。

お盆には、少年と海女が沖永良部島(本島)に遊びに行く。墓の前で踊る人たち、そのは石灰岩の塀に囲まれており、日本の四角い墓石と瓦屋根の小さな石小屋。沖縄の亀甲墓とは随分異なっている。闘牛もあり、頭を互いにぐいぐい押しつける方法は沖縄のそれと同じだ。

みどころは、朝崎郁恵の唄が何度も挿入されていることだ。当時18歳、いまの声とほとんど変わらないことに驚く。はじめから朝崎郁恵だったのだ。ただ、お祭りで大ぜいが唄い踊るのは、裏声も激しいバチの三線でもない沖縄の音楽であり、奄美の朝崎とはどうしても違う。こういった事情に詳しいAさんに、徳之島あたりで音楽が移り変わると聞いた。当時、作る側にも観る側にも違和感はなかったのだろうか。

DVDを販売している「ゆめ企画」のサイトに解説があった(>> リンク)。海女は石川県の本職の方。ウミガメは屋久島。闘牛は徳之島。さまざまな要素が詰め込まれたものだった、というわけである。しかし貴重な映像であることは確かである。特に海と空の狭間、そのボーダーを鳥が行き来するさまには動揺させられる。

●参照
屋慶名闘牛場
『老人と海』 与那国島の映像(ジャン・ユンカーマン。闘牛の映像がある)
『ウミガメが教えてくれること』
『屋久島ウミガメ展』
『第二楽章 沖縄から「ウミガメと少年」』


吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」

2010-08-06 00:23:21 | アート・映画

ブログに書きこまれたクイナ2号さんの囁きが木霊して、結局行ってしまった。吉増剛造の写真展「盲いた黄金の庭」に合わせて行われたトーク、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」鵜飼哲、李静和、若木信吾という面々が登場した。


吉増剛造写真展「盲いた黄金の庭」

ギャラリーには、吉増剛造が近年取り組んでいる、多重露光によるカラー写真が展示されている。映画、『島ノ唄』(伊藤憲)には吉増の撮影の様子が捉えられているが、そこで観察できるのは、ギクシャクと歩き、また呟きながら、パノラマカメラのフジTX-1を使う姿である。とても本人の言うように「口笛を吹くように撮る」とは言うことができないが、この姿も紛れもなく吉増剛造であった。そんなことを思い出した。そしてこの写真群は、意味を剥奪された状態で、光の解釈を許さず、また光に従属するでもなく、ただ光と共存していた。

まずトークに先立って、暗黒舞踏と共演した吉増剛造の朗読の映像(若木信吾による)が上映された。何ものかを通過して絞り出された言葉を断ち切りつつ、吃りつつ、再生産していく。吉増の声は、以前と変わらず、剥き出しの血管のようだ。言葉の恐ろしさを傷だらけになって提示する詩人・吉増。

トークでは、鵜飼哲が、吉増の写真世界についてコメントを述べた。見える世界が重なることで、却って見えない世界のことが気になってしまう。それは決して不快ではなく、引寄せられるものだ。偶然性と自由などさまざまなボーダーが曖昧である。吉増の写真を観るものは、彼の文学と同様に、神経のような無数の導線がさまざまな世界とつながっていることに気が付くであろう。そして吉増の文学が世界とつながりを持つのは極めて狭い点においてであり、そこでの底は非常に深い―――と。

写真集に文章を寄せた李静和は済州島の出身である。済州島の山を流れる川は、岩の間を「縫うように」、「小枝のように」流れるという。吉増剛造は、島尾ミホが奄美において同様の流れを指さし、ここで選骨をしたと呟いた話を紹介した。もう10年以上使っているという『韓日辞典』からもインスピレーションを得ながら、吉増は、ミクロなトポロジーによって、韓国、琉球、日本を不可思議にシンクロさせていく。

ナマの声を聴いて改めて感じる言葉の恐ろしさ、なのだった。


吉増剛造、鵜飼哲


お土産に、巻物状の巨大な原稿作品の印刷を頂いた

●参照
島尾ミホさんの「アンマー」
札幌の書肆吉成、『アフンルパル通信』


ブライアン・デ・パルマ『キャリー』『殺しのドレス』

2010-08-04 23:59:11 | 北米

いつも下らなさに呆れてしまうブライアン・デ・パルマ。また、つい、初期の『キャリー』(1976年)と『殺しのドレス』(1980年)を観てしまった。近所のTSUTAYAに立ち寄ったら、DVDを5本・1週間レンタルで1,000円というキャンペーン中だったのだ。たぶん以前観たのは20年くらい前だが、強烈だったためか、ディテールを鮮明に覚えていることに驚いた。

両方とも、過剰に官能的な長回しのカットや、ぐるぐる回るカメラによって、デ・パルマらしさを見せつけている。ああ下らない。

『キャリー』には、特典映像として、スタッフやキャストたちへのインタビューが収録されていた。デ・パルマは、豚の血を浴びて超能力が覚醒するキャリーが暴れるシーンを二画面としたことに関し、失敗だったと振りかえっている。せわしなさすぎた、という理由だ。しかしその後の『殺しのドレス』でも『ミッドナイトクロス』でも憑かれたように使っていて、こんな男の言うことを真に受けるわけにはいかない。

例によって、特に感想なし(笑)。ひたすら、デ・パルマのパラノイアにつきあうのみである。

「わたしは自分が《キャリー》のシシー・スペイセクだったらどんなにいいかと思いながら、縁石の上に立っていた。あのくそいまいましい黄色い車が車輪二つでスリップしながらコンクリートの壁に激突し、空高々とふっとばされるところを思い描くだけ、そしてわたしはと言えば、平然として唇にかすかに笑みをうかべ大火事を見つめている。」(シャーロット・カーター『赤い鶏』)

●ブライアン・デ・パルマ
『ミッドナイトクロス』『ブラック・ダリア』
『ミッション・トゥ・マーズ』『ファム・ファタール』
『リダクテッド 真実の価値』


堀江則雄『ユーラシア胎動』

2010-08-04 00:09:12 | 中国・台湾

堀江則雄『ユーラシア胎動―――ロシア・中国・中央アジア』(岩波新書、2010年)を読む。当方の問題意識は、新疆ウイグル自治区の現在について手がかりを得ることにあった。

本書で最初から最後まで強調され続けているのは、サブタイトルにもあるように、中国、「スタン系」の中央アジア、ロシア、さらにはイランやインドにおける開発の協力と相互の貿易が、かつてないほど盛り上がっていることだ。相互をつなぐのは道路や鉄道、石油・天然ガスのパイプラインといったインフラであり、そのベースとなる枠組が「上海協力機構(SCO)」となっている。また、Win/Winのため、中露の国境はすべて確定している。

方や米国追従、まるで解決に向かいたくないような対北朝鮮政策と北方領土政策、鳩山元首相の「東アジア共同体」構想には臆病で過敏な反応しかできないあり様。確かに、まなざしをアジアに向けよとする主張には、戦略的にも、説得力がある。

それはそれとして、上海協力機構は、新疆ウイグル自治区やアフガニスタンなどにおける戦争犯罪、人権無視に関して、手を付けないことを決めているようだ。すなわち、内政不干渉を掲げ、米国流の人権外交へのアンチテーゼとしているわけである。米国基地を撤廃する方向はあるとしても、その一方では、対アフガニスタンの米国の行動については容認している。経済活性化(しかもテンポラリーな)によって世界が良い方向に進むと信じる限りにおいて、積極的に評価されるべきものか。

新疆ウイグル自治区における運動や衝突に関しては、本書の分析はまったく物足りない。たとえば、『情況』(2009年10月号、情況出版)における加々美光行による論文(以下のような内容)を検証するようなものが読みたいのだ。

●従来の新疆の独立運動は、イスラム信仰と必ずしも結びついていなかった(世界ウイグル会議主席のラビア・カーディルもカリスマではない)。
●国家発展改革委員会による「西部大開発」プロジェクト(2000年~)や、上海から新疆を抜けてドイツまで光ファイバーを敷く「ユーラシア・ランド・ブリッジ計画」(1992年~)などインフラ事業が本格化している。ウルムチには出稼ぎ労働者が流入し、中国沿岸部の資本側が使いやすい漢人が優先された結果、あぶれたウイグル人はあちこちに出稼ぎに出ることとなった。広東の事件に新疆のウイグル人たちが反応したのは、そのようにつながった同胞意識があったからだ。
●今回のデモは、独立運動関連ではなく、漢人とウイグル人との貧富格差に起因する。その背景には、政府の開発至上主義により、地方の従属化が進んだことがある(地元ではなく外部が開発の主体になる)。
●開発の肥大化は、地方政府の権限の膨張にもつながっている。河北省の毒入りギョーザ事件において、原因は日本側だと公言したのは、地方政府の独走だった。
●一部の独立運動だけでなく、一般民衆を巻き込んだ民族解放運動につながっていく可能性は高まっている。これまでカリスマ不在で盛り上がらなかった東トルキスタン独立運動にも結びつく兆候もある。胡錦涛がラクイラから慌てて帰ったのは異例のことであり、危機感を募らせていることのあらわれである。
●「中華ナショナリズム」は、孫文たちの生み出した「中華民族」の概念に起因している。本来は国境も宗教も民族も跨り、さまざまな要素を丸呑みする普遍的な色彩が強いものであった。90年代から排他性を強め、自己を尊大視する「中華ナショナリズム」は崩壊の危機を迎えている。

また、『アジア記者クラブ通信』(2010年1月号)に掲載された、川島真・平野聡「新疆ウイグルとチベットでの騒乱をどう見るのか」においては、胡錦濤派と江沢民派との争いがあったこと、中国は情報の隠蔽から利用へと方針を変えていることなどについても言及していた。

パワーシフトは認識しなければならないが、開発と経済波及効果に重きを置きすぎる分析はアンバランスだということだろう。

●参照
『情況』の、「現代中国論」特集(その後、習近平の名前は当たり前のものになってしまった)
加々美光行『中国の民族問題』


『けーし風』読者の集い(11) 国連勧告をめぐって

2010-08-01 22:43:46 | 沖縄

『けーし風』第67号(2010.6、新沖縄フォーラム刊行会議)の特集は「国連勧告をめぐって―――脱植民地主義と沖縄の自己決定権」と題されている。その勉強会に参加した(7/31)。参加者は9名。議論は以下のようなもの。

国連勧告とは、沖縄に対する人権侵害に関して、日本政府に対し、国連人権条約監視委員会からここ数年継続して出されている勧告のことであり、その背景となった国連報告書が「ディエン報告書」と称されている。勧告の内容としては、民族の言語・文化に関する教育が導入されるべきこと、琉球民族の土地の権利を認めるべきこと、さらに米軍基地の異常な集中による悪影響を撤廃すべきこと、などが含まれている。これに対し、日本政府は真っ当な応答をしなければならないが、沖縄には他の地域と同様の政策が採られており差別などはあり得ない、といった建前論を繰り返している。

ここで、<差別>なる構造の受容が問題となる。差別されている(された、されているかもしれない、これからされるかもしれない)側にとっての差別へのまなざしは多様であり、それを拒否する側面が多いのだという。被差別の側に身を置きたくない歴史的な蓄積があり、大田昌秀ですら、<構造的差別>という言葉を使い始めたのは比較的最近のようだ。その一方で、必ず相手がヤマトンチュかウチナーンチュかを見極めるのだ、とのウチナーンチュの発言があった。

<先住民>という概念が、豪州や米国のように広く受容されていないのではないか、その上で問題視したところで一部の上滑りになってしまうのではないか、というのが私の問題提起。実際に、「あなたは先住民か?」と問われて「はい」と答える沖縄人は少ないだろうねとの意見。また、それに対し、国連の先住民族の定義はもっと広く、先住か後住かだけではなく、植民地支配や同化政策が行われていたか、が重要視されており、それによる気付きの効果は評価すべきではないかとの意見があった。そして、同様に<植民地>という概念の受容はどうなのか、とも。

議論のなかで目立ったのは、<自己決定権>についての評価であり、それを即<独立>に狭めてしまうべきではなく道州制や連邦制だって視野に入るものだとの意見だった(いわゆる「居酒屋独立論」は現実性を欠く)。現状は自己決定権どころではなく、自己の言い分を伝える機会すらない状況。安保そのものの意義に関する議論を、ウソの抑止力論にのみ囚われず広めていかなければ、自己決定権の獲得などできない。しかし、いまの間接民主制のもとでどうすればいいのか。

ところで自分は千葉県民である。もちろん沖縄の置かれる状況とは話が違うことは解っているが、その上で言えば、千葉県民に自己決定権はあるのか。成田だって、三番瀬だって、習志野へのPAC3配備だって、それが問題にならない間接民主制のもとでは、市民の声はなかなか届かない。それどころか声をあげようとする市民をゼロにしようとするシステムである。<自己決定権>はもっと広く考えられるべき概念なのではないか。

最後に、沖縄のUさんから興味深い体験談があった。

「戦前に、『冒険ダン吉』という漫画があった。ダン吉は、<土人>の手下を従えていた。もちろんダン吉のつもりになって読んでいた。支配される側になりたい子どもはいない。しかしあるとき、子供ごころに気が付いた。俺たちは、ダン吉ではなく、土人だったのだな、と。」

●参照
『けーし風』読者の集い(10) 名護市民の選択、県民大会
『けーし風』読者の集い(9) 新政権下で<抵抗>を考える
『けーし風』読者の集い(8) 辺野古・環境アセスはいま
『けーし風』2009.3 オバマ政権と沖縄
『けーし風』読者の集い(7) 戦争と軍隊を問う/環境破壊とたたかう人びと、読者の集い
『けーし風』2008.9 歴史を語る磁場
『けーし風』読者の集い(6) 沖縄の18歳、<当事者>のまなざし、依存型経済
『けーし風』2008.6 沖縄の18歳に伝えたいオキナワ
『けーし風』読者の集い(5) 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』2008.3 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』読者の集い(4) ここからすすめる民主主義
『けーし風』2007.12 ここからすすめる民主主義、佐喜真美術館
『けーし風』読者の集い(3) 沖縄戦特集
『けーし風』2007.9 沖縄戦教育特集
『けーし風』読者の集い(2) 沖縄がつながる
『けーし風』2007.6 特集・沖縄がつながる
『けーし風』読者の集い(1) 検証・SACO 10年の沖縄
『けーし風』2007.3 特集・検証・SACO 10年の沖縄