Sightsong

自縄自縛日記

セシル・テイラー『Dark to Themselves』、『Aの第2幕』

2011-06-12 23:59:00 | アヴァンギャルド・ジャズ

ここのところ、通勤時にセシル・テイラーを聴く。いや別に、奇を衒っているわけでも、過激派でもない。上が100を切るような低血圧のため朝が弱く(ということにしている)、むらっ気がある自分には、無理矢理にテンションを高めたほうが良いのだ。勤務先に着くころには多少は眼が血走っている。

『Dark to Themselves』(Enja、1976年)。ラズウェル細木の漫画で、ジャズ喫茶に来たおとなしい客を椅子に縛り付けてこのディスクを聴かせるシーンがあるが、実際のところ、かなり構造的で聴きやすい。ソロはラフェ・マリク(トランペット)、デイヴィッド・S・ウェア(テナーサックス)、ジミー・ライオンズ(アルトサックス)の順に回され、それぞれのソロの間、テイラーの強靭なピアノはそれを煽り、次第に前面に出ていく。その意味で構造的だ。そして最後のピアノソロは時に抒情的な和音さえ聴かせる。

ここでウェアの割れそうなテナーソロが果てしなく素晴らしいのだが、その後に出てくるライオンズも割を喰うわけでもなく存在感を発揮する。過小評価されているひとりである。

最後まで聴いて50分くらい、ちょうど丸の内に到着する。

先週あたり、CDプレイヤーの中身を『Fondation Maeght Nights Vol.2』(Fonac、1969年)に入れ替えた。日本では『Aの第2幕』として出された記録の2枚目にあたる。1枚目はLPで持っていて(フランス盤タイトル『Nuits de la Fondation Maeght』)、A面はテイラーとアンドリュー・シリル(ドラムス)とのデュオに近い。煽っているのはテイラーかシリルか、本当に血が沸騰する。そしてB面から2枚目の前半(LPならC面)にかけて、フロントでサム・リヴァース(テナーサックス、ソプラノサックス)とジミー・ライオンズ(アルトサックス)が参入してカオスを形成する。『Dark to Themselves』の構造化とは大きく様相が異なるところだ。その後、ふたたびテイラーのピアノソロ。

やはりリヴァース、ライオンズともに個性の塊であるから、俺が俺がである。それにしても、セシル・テイラーは何を聴いても素晴らしい。故・清水俊彦が、セシル・テイラーについてこのように書いている。

「こうして彼は奔流のような語り口で、扇動的で、刺戟的で、並はずれた音楽風土を現出させる。
 それはインプロバイズされると同時に構成される音楽であり、自らが生まれる空間を構成し、破壊する音楽なのだ。」
『ブルーノートJAZZストーリー』(新潮文庫、1987年)所収

ところで、『Aの第2幕』は2枚続きのライヴ作だと信じ込んでいて、さっきWikipediaで調べてみると、なんと3枚組だった。この興奮を1.5倍にするためには、3枚目を探し出さなければならない。う~ん。

●参照
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット
イマジン・ザ・サウンド(セシル・テイラーの映像)


海原写真の秘密、ヨゼフ・スデク『Prazsky Chodec』

2011-06-12 21:41:08 | 写真

先週末、写真家の海原修平さんと神保町の「さぼうる」で呑んだ。何しろ、写真集『消逝的老街』をいただいたお礼にビール6杯(中国価格)をご馳走しなければならない。折角の機会であるから、1997年にオリンパスギャラリーで海原さんの個展を観て以来のファンだという、研究者のTさんも誘った。

当然ながら、ほとんど写真の話と中国の話ばかり。曰く、写真集を日本で2000部さばくのも大変。昔のペンタックスのタクマーやトプコール58mmなどが個性的で描写が良い。コダクロームは工場や出荷単位でまったく質が異なっていて、テスト後に同じものを大量に確保しなければならなかった。そんな前提でこそレンズの色などを語ることができる。フジTXのレンズを使える中判ボディを作る話があって実現しなかったのは、イメージサークルではなくフランジバックの問題だろう。プロで生き残っている写真家は、結果的に、これと決めたことを続けてきた人たちであり(森山大道など)、アマチュアもそうすべきだ。そんなもろもろの話である。


『季刊クラシックカメラ No.11 メータード・ライカ』に収録された、フジTX-1による上海の写真

前からの疑問について訊ねた。『消逝的老街』では暗い路地もよく再現されていて、覆い焼きはどのようにしたのでしょうか、と。意外なことに、覆い焼きは基本的にしていないという。主に使ったフィルムが、T400CNなどカラーネガと同じ方式で処理されるものであり、これを感度100で使うと、ハイライトが飛ばないのだとのことだ。

確かに、話のネタに持参した『季刊クラシックカメラ No.18 ローライ』でも、ローライフレックス3.5Fによる氏の作品が掲載されており、そのようなことが書かれていた。但し、ここでの作品「上海光景・大世界」はデジタルスキャン後にデジタル処理での覆い焼きをして芸人を浮き出させている。自分の印象はそれに引きずられていた。なお、もうデジタルに移行した氏は、このローライも売ってしまったそうだ。欲しかったな。


『季刊クラシックカメラ No.18 ローライ』に収録された、ローライフレックス3.5Fによる上海の写真

話の中で、日本の写真家はやはりヨーロッパを範としている側面がある、しかし宗教というバックボーンの違いが無視できないはずだとの指摘があった。セバスチャン・サルガドだって作品は好きではないが尊敬する、との言。それならばヨゼフ・スデクも宗教ではないか、と口走ってしまった。後で思いだしてみるとそこまでの話ではなかったかもしれない。しかし、やはりチェコの文化社会の中で、大判カメラを三脚に立てて奇妙な風景やオブジェを撮り続けたスデクを、簡単にこちらの感性で捉えることはできないと思うのだ。

手持ちの『Prazsky Chodec』は1981年にプラハで発行された本で、チェコの詩人ヴィーチェスラフ・ネズヴァルのテキストの間に4分の1くらいの頁ほど、スデクの写真が収録されている。ネズヴァルの詩をまったく解することができないのは悔しいところだが、それでも、スデクが撮ったチェコの光と影の写真だけでも価値がある。ルーマニア出身の作家・宗教学者ミルチャ・エリアーデの小説を思い出させるような雰囲気で・・・と、やはり背負っているものが違う自分にはその程度の感想しか出すことができないのだった。

●参照
海原修平『消逝的老街』 パノラマの眼、90年代後半の上海
2010年5月、上海の社交ダンス


4 Corners『Alive in Lisbon』

2011-06-12 14:44:09 | アヴァンギャルド・ジャズ

ケン・ヴァンダーマーク(リード)、アダム・レーン(ベース)という米国勢と、ポール・ニルセン-ラヴ(ドラムス)、マグヌス・ブルー(トランペット)という北欧勢との顔合わせによるバンド、「4 Corners」によるライヴ映像、『Alive in Lisbon』(clean feed)を観る。なおPALフォーマットゆえ通常のDVDプレイヤーでは観ることができない。

爆発的な「Alfama」(ジョルジュ・ブラックに捧げられた曲)から始まる演奏、静かで緊張感のある曲もあり、飽きさせない。2回続けて味わってしまった。ヴァンダーマークは3曲でバスクラを吹き、それも悪くないのだが、何しろライヴの白眉は4曲目の「Tomorrow Now」だろう。ここではヴァンダーマークはバリトンサックスを吹き、そのエネルギーと音の拡がりは凄い。レーンは、ベース・ソロになるや、まるで電子音のノイズであるかのような高音をアルコで表現し、これにも驚かされてしまう。この曲はレスター・ボウイに捧げられたもので、悦びとともに発散する音色と気分は、確かにボウイだ。また、2曲目「Spin with the EARth」でのヴァンダーマークのクラリネット・ソロも壊れそうで愉しい。

ユニット名の通り、4つの極が感応し合い、激しい放電があったと思えば通常の電磁場に戻るグルーヴ感覚が良い。ヴァンダーマークについては、フレッド・アンダーソンとの共演や他の記録にいままでピンとこないところがあって避けていたのだが、これならば他の作品を聴いてもよさそうだ。

ドラムスのポール・ニルセン-ラヴは、恐らくライヴを体感すれば良さがもっとわかるんだろうな、という感覚はあるが、まだ何なのか掴みかねている(何度も来日しているのに、まだ実際の演奏に立ち会ったことがないのだ)。横井一江『アヴァンギャルド・ジャズ ヨーロッパ・フリーの軌跡』においても、「欧州の前衛達のスピリットを引き継ぎつつ、現代的にグルーヴさせるバンド」の中で、「最も注目すべき存在」であると位置付けている。

●参照 
ジョー・マクフィーとポール・ニルセン-ラヴとのデュオ、『明日が今日来た』


マノエル・ド・オリヴェイラ『永遠の語らい』

2011-06-12 11:47:29 | ヨーロッパ

録画しておいた、マノエル・ド・オリヴェイラ『永遠の語らい』(2003年)を観る。オリヴェイラ95歳の時の作品である。

レオノール・シルヴェイラ演じるポルトガルの歴史教師は、娘を連れて、インド・ボンベイ(ムンバイ)に滞在しているパイロットの夫に会うため、豪華客船での旅に出る。この機会に、歴史の舞台となった地を訪ねながら行こうという思惑である。バスコ・ダ・ガマら大航海時代の船乗りに想いを馳せながらリスボンを出発し、フランス・マルセイユ、イタリア・ナポリ、ギリシャ・アテネ、トルコ・イスタンブール、エジプト・カイロと地中海を東進し、スエズ運河紅海を経てイエメン・アデンへと至る。そこでテロリストが客船に仕掛けた爆弾により、船はインドへと着くことはない。

物語の設定は「9・11」より前の2001年7月、構想はもっと前だったという。アデンでは、オリヴェイラ得意の固定カメラにより、スークの路地しか写されない。この地だけは現地ロケではないように見える。恐らくは、アラビア=テロ、という典型的な図式にオリヴェイラさえも陥った、とする観方は間違いだろう。そこに、ポール・ニザン『アデン、アラビア』にも顕れる、あるいはアルチュール・ランボーの破滅的な到達地を視るときの、オリエンタリズムを否定はできないとしても。映画の中でオリヴェイラが繰り広げる会話は、そのような政治さえひとつの人間活動として置いているように思える。

映画は、さまざまな地とそこが持つ地霊のようなもの、さまざまな国籍と言語を抱える人びとが、複層的な世界を創りだし、すぐに記憶を残して雲散霧消させる。幕間は、水面を切り裂きながら進む客船の切っ先であり、港という境界であり、語り手不在のまま都市を見つめる視線である。カイロでは、ルイス・ミゲル・シンドラが本人役で登場し(やはり陸と海との境界で撮られた『コロンブス 永遠の海』でもそうだった)、ナポレオンのエジプト遠征やスエズ運河の開発をポルトガル語で話す。客船の中では、船長役のジョン・マルコヴィッチが英語で、実業家役のカトリーヌ・ドヌーヴ(フランス人)、モデル役のステファニア・サンドレッリ(イタリア人)、女優・歌手役のイレーネ・パパス(ギリシャ人)が、それぞれ母国語で話し、グローバルという言葉とは対極にある場を形成する。素晴らしい映画、すべてがオリヴェイラである。なぜ日本公開時に観なかったのだろう。

オリヴェイラは、この映画を撮っているときに、次のように語っている。これは<女性>という偉大な存在の映画でもあったのだな。

「・・・私が多いに興味をそそられて調べたのは人魚伝説だ。確かめたかったのは、伝統的に女=魚という人魚はユリシーズの時代には女=小鳥だったということだ。女=魚だった国によって後に変えられたんだ。」
―――今日人魚はいますか?
今日世界はもっと現実的だよ・・・・・・それは政治の形のなかに見ることができる。」
『マノエル・デ・オリヴェイラと現代ポルトガル映画』(エスクァイア・マガジン・ジャパン、2003年)

●参照
マノエル・ド・オリヴェイラ『ブロンド少女は過激に美しく』
マノエル・ド・オリヴェイラ『コロンブス 永遠の海』
『夜顔』と『昼顔』、オリヴェイラとブニュエル


『これでいいのか福島原発事故報道』

2011-06-10 08:29:42 | 環境・自然

『これでいいのか福島原発事故報道 マスコミ報道で欠落している重大問題を明示する』(丸山重威 編・著、あけび書房、2011)が届いた。

テレビや新聞の報道にはどうも不可解な点がある、何かおかしい、という声は大きくなってきている。逆に存在感を増したのは、情報のスクリーニングがかけられる前のインターネットであった。それを含め、実状を捉えるために読まれるべき本。

<目次>

第1章 「想定」されていた原発事故 伊東達也

津波による原発被害が「想定外」などではなく、何度も公の場で直接指摘され、対策を要請されていたことがわかる。

第2章 原子力開発における言論抑圧と安全神話の形成 舘野 淳

有馬哲夫『原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史』(新潮新書、2008年)にも詳しく書かれているように、1950年代、冷戦構造に乗る形で、日本への原子力導入が方向づけられた。そのため、研究機関や学会においても、原子力に不利となるようなことを書く者には大きな抑圧があったという。恐ろしいことは、今回の原子力事故でテレビに登場する学者たちの存在も、安全神話を信じている「教育の成果」であるということだ。

第3章 低線量被ばく報道はこれでいいのか 崎山比早子

メディアで喧伝される「放射線量は低いから問題ない」について、過小評価であり、科学者の自殺行為、将来の子ども・若者の苦しみの見殺しだと指摘している。

第4章 原子力、報道と広報の限りなき同化 塩谷喜雄

日本のメディアがあまりにも権力の大犯罪に寛大であり、冷厳な評価を放棄しているか、という指摘。

第5章 原発労働者〝被曝〟の実態 布施祐仁

今回の事故現場で働く作業員たちが追いやられている過酷な状況のルポ。働く人がいないから「日当ウン十万」との噂があったが、実際には、下請け構造の中で随分と異なっているという(日当15-40万円からどんどんマージンが引かれ、7次、8次請けの会社に至ると、2-3万円になってしまう)。

第6章 「原子力安全キャンペーン」の系譜と「がんばろう日本」の仕掛け人 三枝和仁

なぜ震災後、ACのコマーシャルが激増したのか、「日本は強い国」との標語は戦時中の「日本良い国、強い国」とも共通する自己肯定の目くらましなのではないか、との問題提起。

第7章 「脱原発」の声と運動はどう報道されたのか 齊藤春芽

山口県上関町の祝島など原発反対の運動は断片的に報道されるが、実際のところ、住民自らの意志で原発立地を退けた事例はいくつもある。それらを思い出し、共通の記憶とし、「抵抗権」の意義を考えるために。

第8章 バラ色の原発推進論とメディアの責任 丸山重威

震災後、大手全国紙や地方紙がいかに原発について論じたか。比較することで、政治的なポジションが見えてくる。

●参照
○あけび書房、本書のチラシ >> リンク
○有馬哲夫『原発・正力・CIA』 >> リンク
○山口県の原発 >> リンク
○使用済み核燃料 >> リンク
○『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ) >> リンク
○『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』 >> リンク
○東北・関東大地震 福島原子力の情報源 >> リンク
○東北・関東大地震 福島原子力の情報源(2) >> リンク
○石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』 >> リンク
○長島と祝島 >> リンク
○既視感のある暴力 山口県、上関町 >> リンク
○眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』 >> リンク


松田定次『獄門島』

2011-06-09 00:40:12 | 中国・四国

神保町シアターで、松田定次『獄門島』(1949年)を観る。『獄門島』と『獄門島 解明篇』の連作をまとめた総集編である。横溝正史の原作や他の映画化された作品と異なり、「ごくもんじま」と読む。

水曜の夜にも関わらず映画館は満員。みんな映画が好きなんだな、何だか嬉しくなる。

片岡千恵蔵金田一耕助を観るのははじめてだ。古谷一行や石坂浩二のような汚いやさ男ではなく、顔がでかく弁当箱のような身体をした偉丈夫である。他にも渥美清や鹿賀丈史や豊川悦司などが金田一を演じているが、自分にとっては、もの悲しいテレビドラマでの古谷がベスト金田一だ。それでも、さすが名優、眼がでかい顔に吸い寄せられる。

市川崑のモダンできめ細かい演出に慣れているせいか、とても大雑把なつくりだ。その隙間が却って魅力を生み出しているのは奇妙なところである。しかし、せっかくの「気違い」=「季違い」というトリックが無視されてしまったのは残念だ。また、真犯人が原作と違って無理に設定してあり、これもまた不自然極まる展開になっている。

最大の見ものは、フライヤーにもあるように、千恵蔵の哄笑。「うわっははは、うわっははは、うひょひょひょ、うほほほ」と叫び、突如として映画に異空間が訪れる。千恵蔵のでかい顔と同様、ケレンそのものか。何を考えていたんだろう。映画館でも耐えられず皆笑ってしまう。ヘンなの。

●参照
『悪霊島』
おかしな男 渥美清


サレハ大統領の肖像と名前の読み方

2011-06-08 00:30:42 | 中東・アフリカ

イエメンを旅したのは1998年、もう随分前だ。サレハ大統領の肖像画を、街のあちこちで見かけた。1978年に北イエメンの大統領となり、90年の統一後数年たって、やはり大統領に君臨した。ぞっとするほどの長期政権である。「サレハが・・・」と、「ハ」をはっきり発音したところ、それは女性の名前の呼び方だ、しかし奴にはそれで十分だ、などと言う男がいた。

貧しい国、部族社会のイエメンで勢力を伸ばしたアルカイダ、そしてサレハ大統領のエジプトへの出国。イエメンはどうなるのだろう。


街角のサレハ(1998年) Pentax MZ-3、FA28mmF2.8、Provia 100


路地の武器売り(1998年) Pentax MZ-3、FA28mmF2.8、Provia 100


一族の男たち(1998年) Pentax MZ-3、FA28mmF2.8、Provia 100

●参照
イエメンの映像(1) ピエル・パオロ・パゾリーニ『アラビアンナイト』『サヌアの城壁』
イエメンの映像(2) 牛山純一の『すばらしい世界旅行』
イエメンとコーヒー
カート、イエメン、オリエンタリズム
イエメンにも子どもはいる


有馬哲夫『原発・正力・CIA』

2011-06-07 01:51:11 | 環境・自然

有馬哲夫『原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史』(新潮新書、2008年)を読む。本書の一次情報は、米国の情報公開法によって開示されたCIAの内部文書であり、従って憶測や噂で組み立てられた話ではない。

読売新聞社主にして日本テレビ(初めての民間放送会社)社長の正力松太郎にとって、さらなる野望はテレビ、ラジオ、軍事用・新聞用のファックス、データ放送、無線、通信、電話などのメディアを牛耳る「マイクロ構想」の支配だった。それと同時に、首相となることも彼の野望であった。一方、米国は核の軍拡競争において共産圏を凌ぐため、またビジネス拡大のため、「原子力の平和利用」なるプロパガンダとともに日本を自陣営に組み込む必要があった。このふたつの潮流がマッチしたところに、日本への原子力導入のレールが敷かれたというのである。すなわち、正力が原子力利用を高邁な理念として掲げていたわけではなく、また、真っ当な国策として原子力導入が進められたわけでもなかった。言ってみれば、野望のための手段に過ぎないものだった。

勿論、この「原子力の平和利用」という奇妙なスローガンは生きているし、正力というメディアを利用したCIAが狙っていた「テレビによる大衆誘導」も今なお有効だ。米国は、日本に一人前の国家にはなって欲しくなかった。また、国際原子力機関(IAEA)がこの米国の意志から生まれたものであった。さらには、ディズニーやディズニーランドさえも、原子力プロパガンダと大きな関わりを持って発展してきた。こういったことが現在と確実に地続きであるだけに、この歴史には怖ろしいものを感じざるを得ない。

正力は首相になるどころか、政界では大成しなかった。ここには、日本の政治力学だけでなく、正力の政治的野望に手を貸してはならずメディア王として自立させてはならないが、正力を利用したいCIAとの間で起きたプロセスが大きく影響していることがわかる。それにしても、CIAは読売新聞を自らの情報網としても利用することを模索していた、という事実には驚く。そのことはともかく、その後、原子力を大義ある国策としてアピールし続けたこの大メディアの意志は、最初から形成されていたということだ。たまに米国を刺すような論調の記事を続けると、CIAは、それを書いた記者まで特定していたという(!)。

原発は民間なのか、国策なのか。その問題の種も、正力が撒いたものだった。政敵・河野一郎が、原発の推進主体を国として考えたのに対し、正力は民間ベースで急速に進めるべきだと猛反対した。

「・・・民間企業ではたとえ保険を掛けたとしても、原子力発電所の事故が引き起こす甚大な被害を賠償することはできない。これができるのは国しかない。
 しかし、正力は河野と対決してまで民間主体を押し通していた。そうしなければ、自分を押し立てた電力業界の支持を失うからだ。
 だが、賠償法作成においてこのことが障害になることは明らかだった。つまり、事業は民間主体なのに被害の賠償だけなぜ国がしなければならないのかということだ。河野が主張したように国が主体となっていれば、この賠償法を作る上でも矛盾はなかったはずだった。
 あるいはまた、河野の主張に沿って、十分な時間をかけ、研究と検討をしながら慎重に進めていれば、そもそもこのような問題は存在しなかったといえる。」

さて、またもや保守大連立の動きが出てきている。「菅下ろし」は、浜岡原発を止めた菅首相に対する原子力推進の反攻、さらには沖縄の基地を数の力で片づけ、日米の軍備上の緊密化を目指すものに見えて仕方がない。


蔵出し『四次元の世界?』

2011-06-05 01:08:08 | もろもろ

突然、生家の母から封書が届いた。私が小学生の時に原稿用紙に書いた物語が入っていた。思い出した、ああ、しょうもない。たぶん小学5年性の頃である。担任の先生からは何のコメントもなかった。母よ、なぜ突然送りつける。

以下、全文掲載(笑)。

『四次元の世界?』

 その日、私はへんな夢を見た。目玉焼がにらんで「おいで、おいで、ここへおいで・・・」とさそうのだ。まあ、へんな夢だった・・・と考えながら、ゆったり起きた。朝食はお茶づけと、みそしるだ。その時、母が「目玉焼も食べなさいよ。」と言ったのだ。私は「夢とおなじ・・・。」と笑いながら目玉焼を食べようとした。
 その時!目玉焼がにらんだのだ!
 「ギ・ギャアアアァァァ・・・」
 どのくらい眠っただろうか?はっと目をさました。ここはどこだろう?平凡ないなかである。しかし、見たこともない。私は何げなく空を見た。
 「ウワァ~~~~!」
 な・な・なんと・・・鳥が飛んでいたのだ!しかも・・・焼鳥が!・・・・・・「しかし・・・うまそう!」 私はさけんだ。そうすると焼鳥がおどろき、肉をおとしてきた。私は食べた。なかなかの味だ。
 その時、「ボワヮヮヮ・・・」という音と同時に、私の体は宙にういた。それだけではない!なんと、私は焼鳥になっていたのだ!
 「・・・ア?・・・」 気が遠くなった。~~~~
 はっと気がついた時、なにか飛んでくるのが見えた。「ナニイッ?」
 ブタだ。焼ブタが飛んでくるのだ。
 私は、またもや食べ物に目がくらみ、全部たいらげてしまったのだ?
 「シマッタ!」
 私はわめいたが、時すでにおそし、焼ブタになっていた!
 私は、ここで気がついた。「ここの世界はどうせ、食べた物に変身するのなら、自分を食ってやろう?」 しかし・・・なぜか口に入らなかった。それはそうだ。巨大な焼ブタと、巨大な鳥肉を食ったのだから。しかし、のろのろしていると、何かに食われてしまう!
 「モ、ヤケ!」
 私は私を全部食ってしまった・・・
 その時、光ばかりのトンネルに入っていた。
 ヒュウゥゥゥ・・・ 「ドブ~ン!」
 私はどこかのドブ川へ・・・
 「これ、そんな所で何をしておる?このなわにつかまりなされ。」
 時代げきにでてくるようなかっこうをした人にたすけてもらった。
 しかし、急にその人は、こう言った。
 「き・・・きさま、田吾作か?」
 たしかに私は田吾作という名前だったので、
 「ハイ、そうですが・・・」
 と答えると、そのおっさんは、
 「ここで会ったが3年目・・・父のかたき!」
 と言って刀をぬいてくるのだ!そこで私は、
 「まあまあ、これをあげますから・・・」
 と言いつつ、ビー玉をわたすと、喜んで帰っていった。
 どうもさっきからへんなことばっかりと思って、ほっぺたをつんねりつんねりした。
 「ギャー!イタイ!」
 私はまたもや、光のトンネルへ・・・
 気がつくと、私は宇宙船の中でそうじゅうしていた。目の前を見ると、みかんそっくりの星だ。ちゃくりく方法が分からないので、ついにぶつかった。地ばんがやわらかく、オレンジ色だったのだ。まさにみかんだ。しかし、人間はすんでいた。私は人にはかまわず、地面をほりまくって、腹いっぱいみかんをたいらげた。
 そこの人間は、この星の中身をしらなかったようだ。その時、「×☆#Φ+?」としゃべってきた。おどろいているようだったので、私は身ぶり手ぶりで「食べろ!」と話した。
 人間は、お礼に目玉焼をくれた。私は、
 「ギャアアァァ・・・」とわめいてしまった。
 またまたトンネル・・・だが、トンネルが2つに分かれていた。私は左の方を選んだ。
 パッと出てきたのはもとの世界だ!
 それからは、私は目玉焼を食べなくなった。
           終わり


海野弘『千のチャイナタウン』

2011-06-04 01:11:07 | 中国・台湾

福岡への行き帰りの機内で、海野弘『千のチャイナタウン』(リブロポート、1988年)を読む。それにしても、やっぱり散々酒を飲んで空を飛ぶと気持ちが悪くなるね。まだ頭が痛い。

チャイナタウンは世界中にある。何年か前、ラオスのヴィエンチャンでも、近々チャイナタウンができるから経済社会がずいぶん変わるだろうね、という話があった(その後どうなったか知らない)。那覇の久米村もいわばチャイナタウンで、琉球史において大きな役割を果たしている。それくらいの大きな影響力を持つかたまりが世界の津々浦々に存在するということは、実は凄いことだ。この本も、チャイナタウンの様々な姿を見せてくれるのかと思って読み始めたのだが、さにあらず、サンフランシスコ、香港、上海など限られた場所について語っているに過ぎず、羊頭狗肉の感がある。それでも、途中からぐんぐん面白くなってくる。

チャプスイという中華料理がある。去年、インドのバドーダラーという地方空港の中で食べたチャプスイは強烈にまずかった記憶があるが、それはともかく、本書によれば、そもそもはアメリカ製中華料理であったらしい。19世紀、清朝が傾いてくると、南方の漢民族がいたるところで反乱を起こした。そんな中でアメリカに旅立った南方の男が、サンフランシスコでゴールドラッシュをあてこんでレストランを開いた。ある晩、店を閉めたあとにやってきた鉱夫たちに、残り物を茹でてスープとともに皿に盛って出した。このまかない料理は、中国では乞食にやる食物であったというが、これは何かと訊かれてとっさに答えた名前がチャプスイだったというのである。

そして、著者お得意の秘密結社の話。上海には蒋介石が利用した青幇(チンパン)があり、華南には、太平天国や、清朝打倒・明朝再興を掲げた洪門(三合会、トリアド、天地会)があった。少林寺はその拠点、従って殺し屋とカンフーは深く結びついている。ジョニー・トー『エレクション』2部作で描いたのも、この洪門である。毛沢東さえ、洪門に抗日戦の協力を求めたのだという。しかし、この非合法の集団は、香港でアンダーグラウンドの犯罪勢力となり、麻薬ビジネスにもつながっている。なるほどなあ、地下水脈がいろいろとあったわけだ。

著者によれば、上海こそが世界中にあるチャイナタウンのマザー・シティであり、チャイナタウンとは都市のアンダーワールドである。勿論、ここには闇を求める願望が込められている。そのような、魔都を夢見る系譜に、確実にJ・G・バラードが位置する。著者も、「J・G・バラードの上海」という項を設けて、彼の意識に多大な影響を与えた上海というものを見ている。

バラードが得たイメージのひとつについて、バラードが書いた次のような文章が引用されている。この眼前に煌めき目が眩むようなヴィジョンは、明らかにバラードのものだ。これを読んでクラクラする自分も、やはり魔都を求めている。

「私自身の最も昔の記憶は、毎年訪れる長い洪水の夏のシャンハイだ。町中の街路は2、3フォートの褐色の沈泥をたっぷりと含んだ水に漬かり、揚子江の洪水平野の中心地である周辺の田園地帯は、水沈した田んぼがつづく一枚の鏡さながらになって、灌漑用水路は熱い陽光を浴びてゆらゆらとたゆたっていた。考えてみると、「沈んだ世界」の中心的な景観を構成するイメージ―――繁茂する熱帯の植物に覆われ、半ば水没した広大な都市のイメージは、私のシャンハイでの子供時代の記憶と、この十年間のロンドンでの記憶とが融合したものであるように思われる。」

●参照
『エレクション 死の報復』(ジョニー・トー)
『エレクション』(ジョニー・トー)
J・G・バラード自伝『人生の奇跡』
藤井省三『現代中国文化探検―四つの都市の物語―』(青幇に言及)
伴野朗『上海伝説』、『中国歴史散歩』(青幇が登場)
菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』(太平天国など南からの力に言及)
上海の夜と朝
上海、77mm
2010年5月、上海の社交ダンス


J・G・バラード自伝『人生の奇跡』

2011-06-02 23:43:42 | 思想・文学

J・G・バラードによる自伝『人生の奇跡』(東京創元社、原著2008年)を読む。バラードという名前を聞くだけで、あの底なしの穴を覗くような恐怖と、その裏返しの興奮を覚えてしまう。バラードはそのような存在だった。

1930年生まれのバラードにとって、上海はワンダーランドであった。日常的現実さえ存在しない都市、時代に先んじたメディア都市、「90パーセントが中国的で、100パーセントアメリカナイズされていた」都市、「世界でいちばん邪悪なる都市」、文字通り魔都である。その現場は、常に少年バラードの接する路上にあった。この自伝を読むと、上海体験を全て吸い込み、インナーワールドという脳内世界で生物化学的反応を起こさせ、世界に吐き出し続けたのだということがよくわかる。そして、その感覚の中には、宙ぶらりんの奇妙さも含まれている。

「1945年8月は奇妙な空白期間であり、本当に戦争が終わったのか誰一人確信を持てなかった。その感情はそれから数ヶ月、あるいは数年ものあいだわたしから離れなかった。今日にいたっても、安楽椅子でまどろむ今、しばしあのときと同じ不確かさを味わう。」

上海での少年時代については『太陽の帝国』(1984年)、英国に移り住んでからの半生については『女たちのやさしさ』(1991年)に描かれており、概ね、この2冊が自伝的な小説であったことも確認できる。しかし、それだけではない。機械と死と性というタブーに挑んだ怪作『クラッシュ』(1973年)さえ、バラード自身の物語であったのだ。

後年、バラードは上海を再訪している。バラードにとって夢見るような遊び場所、中国軍戦闘機の残骸があった場所は、今では上海虹橋国際空港になっているという。恐らくは誰にとっても場所の地層を辿ることが極めて困難な都市だが、見出す亀裂の向こう側には、やはり機械の残骸と記憶の残滓が合い混じるように見え隠れする。

バラードはやはり「本質的に鬱」な英国人であることも、屈折した形で、示されている。英国の「自己欺瞞」に違和感を抱き、「アメリカナイズ」を望み、しかし内的宇宙を志向した新しいSFをアメリカに拒絶され、どちらに属することもできないアウトサイダーである。だからこそ、あの作品群が生み出されたのに違いない。あらゆる矛盾とおぞましい記憶とが、彼を不世出の作家へと導いた。

「理性と論理では人間行動は説明できなかった。人間はしばしば非合理的で危険な存在であり、精神分析は狂気と同じくらい正気について学ぶ手段でもあるのだ。」
「いかな儀式によれば、絶望的な不安と恐怖症から組みあげられた狂える秘跡を通じて、世界の意味を召喚できるのだろうか?」
「自分たちが信じているよりもはるかに暗い想像力を人間は抱いている、とわたしは確信していた。」

現代アートがバラードにとってのインスピレーションの源でもあった。シュルレアリスム、ポップアート、フランシス・ベーコン。特にベーコンを戦後世界でもっとも重要な画家だと位置づけているのは面白い。バラードによれば、評論家デイヴィッド・シルヴェスターが俗的な質問を避けてアカデミックな内容ばかりを訊ね、ベーコンが同様に曖昧でわかりにくい言葉で答えたため、この画家が謎に満ちた存在になってしまったのだという。(このインタビュー集は『肉への慈悲』として発表されているが、決して曖昧なばかりではない。)

ニコラス・ローグについての言及も興味深い。この、どこか共通する性向を持つに違いない映画監督に、バラードの作品を映画化してほしかった。

●参照
J・G・バラード『楽園への疾走』
池田20世紀美術館のフランシス・ベーコン、『肉への慈悲』


ロモLC-Aで浦安(と、丸の内)

2011-06-02 01:24:21 | 関東

今頃になって、LOMO LC-Aを初めて使った。「+」の付かないオリジナルである。

ロゴがキリル文字なのは良いとして、フィルム感度の単位が「ГОСТ」と書いてあり、見慣れない数字である。ググってみて、現在のISO(ASA)との対応がわかった。いきなりフジのベルビア100を詰めて、数字を65にセットする。半信半疑だったが、あがりは全て適正露出だった。

ГОСТ → ISO
 16 →  25
 32 →  50
 65 →  100
130 → 200
250 → 400

露出よりも驚いたのは、意外にまともな描写性能である。しかし、ルーペで仔細に見ると、合うべきところでヘンにピントがぼけ、ヘンなところでピントが合っている。何じゃこりゃ。そして、ボケの崩れ方は過激で、フランシス・ベーコンの絵を見ているようだ。勿論、周辺光量が激しく落ちるトンネル効果も過激。


浦安1 Lomo LC-A、Minitar 32mmF2.8、ベルビア100


浦安2 Lomo LC-A、Minitar 32mmF2.8、ベルビア100


浦安3 Lomo LC-A、Minitar 32mmF2.8、ベルビア100


浦安4 Lomo LC-A、Minitar 32mmF2.8、ベルビア100


浦安5 Lomo LC-A、Minitar 32mmF2.8、ベルビア100


浦安6 Lomo LC-A、Minitar 32mmF2.8、ベルビア100


浦安7 Lomo LC-A、Minitar 32mmF2.8、ベルビア100


丸の内1 Lomo LC-A、Minitar 32mmF2.8、ベルビア100


丸の内2 Lomo LC-A、Minitar 32mmF2.8、ベルビア100

●参照
陸元敏のロモグラフィー


鈴木雅之『プリンセストヨトミ』

2011-06-01 00:25:41 | 関西

仕事帰りに、鈴木雅之『プリンセストヨトミ』(2011年)を観る。万城目学の小説が矢鱈と面白かったので、見逃すわけにはいかない。

会計検査院による大阪府の検査、そのリーダーの個人史、大阪国誕生史、女性になりたいお好み焼き屋の息子と大阪国女王、と、4つの物語をうまくまとめている。勿論小説でのディテールはバサバサと端折られているが、さほど違和感はない。

しかし、コンパクトにまとめたところが達成点に過ぎない映画である。こまかな設定やエピソードはともかく、大阪の魅力をもっと見せつけなければいけない。堤真一中井貴一といった「味顔」の芸達者たちの存在感に助けてもらって成立してはいるが、演出は駄目である。何しろ説明過多であり、映画的間合が皆無だ(セザンヌの塗り残しを見習うべきだ)。振り向いて想いを込める表情、仲間や近い人物にひそかに微笑む表情、そんなもので大団円ならぬ小団円を作りあげようとするなど下の下である。

愉しんだのではあるけれども。

●参照
万城目学『プリンセス・トヨトミ』