Sightsong

自縄自縛日記

テレビドラマ『運命の人』

2012-03-19 01:08:35 | 沖縄

TBSのドラマ『運命の人』、全10話が終わった。国家支配のかたち、外交のあり方、国民の権利などが「下半身問題」にすり替えられていった様子も、メディアの機能不全ぶりも、構造的な沖縄差別も、ややデフォルメし過ぎている感があるものの描かれていて、それなりに面白く観ることができた。

以下、忘れないうちに、気になること。

○西山記者も、蓮見喜久子氏も、佐藤栄作首相も、あまりにも美男美女で堂々としすぎていて違和感だらけ。千野皓司『密約 外務省機密漏洩事件』(1978年)のほうが、そうでないだけリアルだった。
○読売新聞のナベツネをモデルにしたという「山部記者」が、やたらと「いいところ取り」をしている。ナベツネは現実と違うといって激怒したが、実はポーズで、何かあったんじゃないの~?(下司の勘繰り?)
○佐藤首相退陣後の田中、福田、大平、中曽根らの描き方がかなりおざなり。特に大平(「小平」)は密約問題と党内抗争とを関係付けてみられることもあっただけに、突然出なくなったのは不自然(西山氏はドラマを観て、自分は大平に土下座なんかしていないと言ったとか)。
○明らかに政権寄りの判決をくだした司法の動き、特に政治家からの策動だってあったはずだ。ドラマならそれくらい描いてほしかった。
○最終回のみで沖縄が描かれるが、詰め込もうとしたために滅茶苦茶なデフォルメになってしまった。1995年の米兵による少女暴行事件や、2004年の沖縄国際大学へのヘリ墜落事件(中学校ということになっている)が、すべて80年代の同じような時期に押し込められてしまった。
「集団自決」の描写もやや不自然ではあったが、ここまで取り上げたことで可とする。(日本軍が中国で残虐行為を行っていたがために、今度は自分たちがやられると考えたという台詞も盛り込んでいる。)
○2000年に米公文書館で密約の証拠書類を発見した我部政明氏(琉球大学教授)役の「琉球国際大学・我楽助教授」が登場するのは愉快だった。

●参照
澤地久枝『密約』と千野皓司『密約』


海原修平写真展『遠い記憶 上海』

2012-03-18 00:42:57 | 中国・台湾

研究者のTさんを誘って、海原修平さんが新宿ゴールデン街の「十月」で開いている写真展『遠い記憶 上海』に足を運んだ。「十月」は、海原さんに紹介してもらって以来だが、やっぱりなかなか辿りつけず右往左往した。

古今の上海の姿を捉えた写真群である。キヤノン5Dに、FD時代のレンズ(50mmF1.4、85mmF1.8、FD35mmF2)を付けて撮ったという。まずは、これらのレンズによるソフトな描写。エッジがふわりとして、光の周辺は滲み、逆に白地に黒が滲みだしてさえいる。いつどこの世界なのか、まるで「記憶から薄れかけた夢」のようだ。

そして、被写体たる上海は、古い時代の残滓であるだけに、嬉しいような哀しいような気分。特に、南京路で、何故か一輪車に乗る男が前ボケの中に存在する写真は何ともいえず魅力的で、しばらく酒を呑み、海原さんや他のお客さんと話しながら、何度も観てしまう。また上海に行きたいなあ。

「十月」は相変わらずいい雰囲気で、程なくして満員になった。カウンターと壁との間はさほど広くないから、写真をじっくり観るなら、開店早々のほうがよいと思う。

ところで、写真を観る前に、数軒隣の「」でラーメンを食べた。少し前に、何かのテレビ番組で紹介していたことを覚えていたのだ。店は2階にあり、まずはその2階で食券を買う。それを店員に渡し、一端階下に降りて外の路地で並んで待つ。店から入口脇まで妙なパイプが伸びており、座ってよいとなれば、そのパイプを通じて声が聞えるという仕組みである。店は極めて狭く、食べ終えた他の客が出ようとすると、一緒に立ちあがって避難しなければならない。

スープには煮干しのダシがかなり出ている。麺はちぢれていて、その中に、敢えてラザニアのような幅広の麺が入っている。かなり旨い。

●参照
半年ぶりの新宿思い出横丁とゴールデン街
三田の「みの」、ジム・ブラック
海原写真の秘密、ヨゼフ・スデク『Prazsky Chodec』
海原修平『消逝的老街』 パノラマの眼、90年代後半の上海
2010年5月、上海の社交ダンス


沖縄「集団自決」問題(20) 『記録・沖縄「集団自決」裁判』

2012-03-17 08:59:32 | 沖縄

岩波書店編『記録・沖縄「集団自決」裁判』(岩波書店、2012年)を読む。2005年8月の提訴から2011年4月の最高裁判決まで続いた一連の裁判について、その記録と論考をまとめたものである。

いまさら言うまでもないことだが、カッコ付きの「集団自決」、口頭では「いわゆる集団自決」とするのには理由がある。一般的に定着した用語であるから、共通認識と連続性のために「集団自決」という言葉を使ってはいるものの、それ自体が、集団が自らの自由意思で自決したものと捉えられるおそれがある。実態には、権力構造と皇民化教育のなかで強制的に、あるいはマインドコントロールによって、(子どもを含む)人々が実質的に殺された一連の現象を指す。従って、「強制集団死」などの言葉によって表現する場合もある。

言葉の意味が誤解されてしまうだけではない。まさにこの裁判自体が、多くの死は「国のために命を捧げた美しい殉国死」であるとの読み替え(すなわち、歴史の捏造)をねらって起こされたものであった。

改めて、読みながらの発見、想ったことがあった。

大江健三郎『沖縄ノート』において、渡嘉敷島の守備隊長がナチスのアドルフ・アイヒマンのように絞首刑にされるべきだと主張したのではなかった。アイヒマンは、戦後逮捕されそうになったとき、もはや逃げようとしなかった。その理由は、戦後ドイツの若者たちを、ユダヤ人虐殺についての「或る罪悪感」が捉えており、その罪責の重荷を取除くことにあった。大江は、罪責があるはずの守備隊長たちが、その罪責を他のものに恣意的に置き換える欺瞞、さらにそのことを他者の意識にも及ぼそうとする瞞着と、アイヒマンとの対照的な姿から想像し、『沖縄ノート』を書いたのだった。この考えは、戦争責任、侵略責任、加害責任などにおいていまだ広く巣食っている病理をみるとき、とても示唆的ではないか。
○裁判の策動は、「戦争ができる国」への道を拓くためだと指摘される。これに抗するだけでなく、大江健三郎は、さらに、「個人が受忍しない」という決意をあきらかなものとして主張しうるとしている。驚くべきことに、厚生省(当時)は、1985年の「原爆被害者調査」にあたって、「・・・戦争により何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあげての戦争による「一般犠牲」として受忍しなければならない・・・」と書いているのである。それから20年以上、東日本大震災のあと、国の方針は本質的に何も変わっていないのではないか。
○大江健三郎は、守備隊長にとっての「集団自決」犠牲者を「」と表現した。これは日本語の感覚とズレていることを確認のうえ敢えて使った言葉であったといい、しかし、もし差別的と受け取る読み手がいるのであれば書きかえるつもりだとしている。ところで、中国では南京大虐殺のことを「南京大」と称する。もちろん日本語ではない、しかし、同じ時代に同根から生じた事件をつなぐ言葉として、捉えてもいいのではないか。
○この裁判において、名誉棄損などは手段でしかなく、実際のところそれを借りものにして歴史の捏造を図ろうとする歴史修正主義者たちの願望そのものであった。その暴論は裁判により退けられたが、また似たような手段をもって、司法を手段とする策動が出てこないとも限らない(高裁判決は、歴史認識の判断を司法に求めるのは「場違い」であるとした)。その危うさが、各氏の論考からよくわかる。
○裁判だけではなく、1972年の沖縄施政権返還以前から、沖縄は靖国神社とかかわらされ続けていた。それを理解しないと、裁判の歴史的な意味の理解が表層的なものにとどまる(石原昌家)。

●参照
沖縄「集団自決」問題(1) ビデオ証言で学ぶ沖縄「集団自決」と教科書記述削除問題
沖縄「集団自決」問題(2) 週刊金曜日、国会、『日本誕生』
沖縄「集団自決」問題(3) 沖縄戦首都圏の会 結成総会(石原昌家)
沖縄「集団自決」問題(4) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第1回「教科書検定─沖縄からの異議申し立て」(高嶋伸欣)
沖縄「集団自決」問題(5) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第2回「米軍再編・教科書検定・自衛隊出動―沖縄のいま」(村上有慶)
沖縄「集団自決」問題(6) 軍命を認めたが認めないという実にヘンな話(安部晋三答弁)
沖縄「集団自決」問題(7) 今、なぜ沖縄戦の事実を歪曲するのか(山口剛史)
沖縄「集団自決」問題(8) 鎌田慧のレポート、『世界』、東京での大会
沖縄「集団自決」問題(9) 教科書検定意見撤回を求める総決起集会
沖縄「集団自決」問題(10) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第3回「沖縄戦の真実と歪曲」(大城将保)
沖縄「集団自決」問題(11) 『沖縄戦と「集団自決」』
沖縄「集団自決」問題(12) 謝花直美『証言 沖縄「集団自決」』
沖縄「集団自決」問題(13) 大江・岩波沖縄戦裁判 地裁判決
沖縄「集団自決」問題(14) 大江・岩波沖縄戦裁判 勝訴!判決報告集会
沖縄「集団自決」問題(15) 沖縄戦首都圏の会・結成1周年集会
沖縄「集団自決」問題(16) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第7回「沖縄戦・基地・9条」(小森陽一)
沖縄「集団自決」問題(17) 大江・岩波沖縄戦裁判 高裁でも一審判決を支持
沖縄「集団自決」問題(18) 森住卓『沖縄戦「集団自決」を生きる』
沖縄「集団自決」問題(19) 大江・岩波沖縄戦裁判 最高裁で原告の上告棄却
大江健三郎『沖縄ノート』


2006年10月、与世山澄子+鈴木良雄

2012-03-17 01:57:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

2006年10月20日、青山ボディ&ソウルにて。与世山澄子(vo)、鈴木良雄(b)、野瀬栄進(p)、広瀬潤次(ds)。


ライカM3、ズミクロン50mmF2、Tri-X、月光2号

●参照
与世山さんの「Poor Butterfly」
いーやーぐゎー、さがり花、インターリュード
城間ヨシさん、インターリュード、栄町市場
35mmのビオゴンとカラースコパーで撮る「インタリュード」
与世山澄子ファンにとっての「恋しくて」


加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『新海』、高木元輝+加古隆『パリ日本館コンサート』

2012-03-12 00:36:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『新海』(Kaitai Records、1976年録音)を何度も聴いている。因縁浅からぬ3人の邂逅とでもいうべき記録である。

加古隆 (p)
高木元輝 (reeds)
豊住芳三郎 (ds)

副島輝人『日本フリージャズ史』(青土社、2002年)と、本盤の予約時に書かれたKaitai Recordsの解説(>> リンク)などから整理してみる。

富樫雅彦が事故に倒れたあと、高木・豊住デュオがはじまった。豊住はかつて富樫のボーヤであった。この関係は1年2ヶ月続き、1971年4月、豊住はシカゴのAACMを訪ねに渡米する。その直前、同月の演奏が、豊住芳三郎+高木元輝『If Ocean Is Broken(もし海が壊れたら)』(1971年)(>> リンク)として残されている。そして高木が1973年秋、パリに旅立つが、既にインドネシアに向かっていた豊住とはすれ違いになってしまう。パリでは、高木はノア・ハワードらと活動していた加古隆と組み、『パリ日本館コンサート』(1974年)というライヴ録音を残している。

高木と豊住の2人が再度組んだのは、1975年のことだった。ひとあし先に帰国した高木元輝が、豊住芳三郎の帰りを待ちわびて企画したコンサートは、「7つの海」と題され、1975年7月に行われた。その一部を記録したレコードが、豊住芳三郎『藻』(1975年)(>> リンク)である。同年の傑作『モスラ・フライト』(>> リンク)は、アート・アンサンブル・オブ・シカゴの曲「苦悩の人々」を演奏していることでも知られているが、実は、その4年前の『If Ocean Is Broken』でもその端緒を聴くことができる。

そして翌1976年、加古が一時帰国し、1月に高木、豊住、加古の三者が相まみえる。この記録が、本盤『新海』であり、その前日の録音『滄海』である。なお、同月には加古と豊住との共演盤『パッサージュ』も吹き込まれている(聴いたことはない)。

さて『新海』だが、いきなりの高木元輝のバスクラによる変な音に驚かされる。何かを語ろうとして語りつくせないようなテナーサックスとソプラノサックスも素晴らしい。当時、スティーヴ・レイシーの影響が云々されたようだが、自分はむしろ、1960年代後半にオーネット・コールマンと共演し、『黒い星を探せ』(1966年)を吹き込んでいた頃の、初期のデューイ・レッドマンを想起する。

豊住芳三郎のパーカッションは何だかもう吹っ切れているようで、富樫雅彦的な部分もあり、奔放な部分もあり。スタイルをストイックに狭めず、抑制せず、破綻のエッジを敢えて提示するくらいの「スキゾ」的(死語か)な演奏が、「らしい」もののように感じる。勿論、愉しそうに様々な叩きを試している様子が目に浮かぶようで、こちらも愉しい。加古隆のピアノは、ノア・ハワードとの諸作と同様、「何かが起こりそう」な予兆を強く感じさせる硬質なもので、これもまた良い。

今回、高木・豊住デュオによる1曲の記録が付いた限定版を購入した。これが実は驚きなのであって、手探りで始まったデュオが、やがてあるパーカッションのパターンに触発され、高木はソニー・ロリンズばりの明るいフレーズを連発する。そうすると、それに呼応して、豊住はカリプソリズムを刻み始めるのである。このようなカラーもあったのだな。何故だか、1回だけ聴いた高木元輝の晩年のライヴで、演奏後にサインを求めたところ、「照れちゃうな!」と実に人間くさく微笑んだ氏の顔を思い出すのだった。

あらためて、高木元輝+加古隆『パリ日本館コンサート』(TRIO、1974年)を聴いてみる。

高木元輝 (ts, ss)
加古隆 (p)
Kent Carter (b, cello)
Ron Pittner (ds, perc)

ベースのケント・カーターは当時加古隆とピアノトリオ作やノア・ハワードのグループで共演していた仲間であり、サウンドの色もそのような雰囲気を持っているような印象がある。貴重なドキュメント、演奏も素晴らしい。ただ、高木元輝+加古隆+豊住芳三郎の邂逅を聴いてしまうと、後者により魅かれざるを得ない。

もう1枚Kaitai Recordsから買ったLP『槍海』は、また日を改めて聴く。折角の機会なので、大事にじっくり聴きこみたい。(ところで、この2枚を予約したところ、ご返信のメールに「やっと繋がった」と書かれていた。このような意外なリンクはとても嬉しい。)

●参照
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』
高木元輝の最後の歌


ユルマズ・ギュネイ(3) 『群れ』

2012-03-11 16:48:12 | 中東・アフリカ

ユルマズ・ギュネイのDVDボックスの1枚、『群れ(Sürü)』(1978年)を観る。ギュネイが投獄されていた時期の作品であり、『路』と同様に、獄中から指示を行っての監督という形がとられている。

東トルコ。シヴァンは互いに敵とみなす家の女性ベリヴァンを妻としているが、憎しみは絶えない。ベリヴァンの産んだ子は3人とも死産となり、それ以来、ベリヴァンは心を病んでしまい一言も口をきけなくなった。もはや羊の放牧では食べていけないと悟った一家は、首都アンカラで羊を売りさばくべく旅に出るが、シヴァンの父ハモは、ベリヴァンを災厄の元だとして同行させるのを渋る。そして旅の途中、羊は次々に死に、泥棒に遭い、どんどん少なくなっていく。到着したアンカラで、ベリヴァンは死ぬ。それまで抑えてきた感情を爆発させたシヴァンは、父ハモを罵り、軽口を叩いた羊商人を絞め殺してしまう。

旧い蒸気機関車での旅、車窓からのアナトリア高原の光景が素晴らしい。茶色の高原におけるテント生活の風景に、これはいつの時代の物語だろうと訝しんでしまうが、近代的なアンカラに出たところで、現代であることがはっきりする。羊飼いの放牧生活が難しくなり、みんな農耕を始めている時期であった、ということだ。

オカネが親族の間の関係を歪め、売春でオカネを失う若者がいて、オカネがないと医者に診てもらうことができず、幻想を抱いて都会に出るも何にもならない。それどころか抑圧され続けた主人公は白眼視され、最愛の者を失い、人殺しになってしまう。暴君の父の前には、ここに至り、狂気への道が開ける。時代の移り変わりの様子をとても切実に捉えた映像であると思えるのだがどうだろう。

ギュネイの作品リストは以下の通りである。(DVDボックスに収録されている作品は★印)

?(Hudutların Kanunu) 1960年代 ★
 他、60年代にも作品
希望(Umut) 1970年 ★
エレジー(Agit) 1971年
歩兵オスマン(Piyade Osman) 1970年
七人の疲れた人びと(Yedi belalıar) 1970年
逃亡者たち(Kacaklar) 1971年
高利貸し(Vurguncular) 1971年
いましめ(Ibret) 1971年
明日は最後の日(Yarin son gundur) 1971年
絶望の人びと(Umutsuzlar) 1971年
苦難(Acı) 1971年
父(Baba) 1971年
友(Arkadas) 1974年
不安(Endise) 1974年
不幸な人々(Zavallılar) 1975年
群れ(Sürü) 1978年(獄中監督) ★
敵(Düsman) 1979年(獄中監督)
路(Yol) 1982年(獄中監督) ★
壁(Duvar) 1983年 ★

●参照
ユルマズ・ギュネイ(1) 『路』
ユルマズ・ギュネイ(2) 『希望』
シヴァン・ペルウェルの映像とクルディッシュ・ダンス
クルドの歌手シヴァン・ペルウェル、ブリュッセル


伊丹十三『タンポポ』、ロバート・アラン・アッカーマン『ラーメンガール』

2012-03-11 11:42:11 | 関東

伊丹十三『タンポポ』(1985年)を観る。

食と性とを同根のものとして描いたり、フランス料理の注文マナーやイタリア料理の食事マナーに対してぼろを出さないように努める俗物たちを描いたり、まるでルイス・ブニュエルのようだ。なかでもラーメンに賭ける宮本信子、山崎務、加藤嘉(いい!)らの情熱ぶりに抱腹絶倒。『美味しんぼ』の「ラーメン三銃士」、味のわかるホームレスたちとの交流など、この映画がなくては生まれなかったのだな。マーラーの「交響曲第5番」を使っているのが、また下世話で愉しい(いま映画を反芻しながら、ブーレーズ指揮の録音を聴いている)。

ついでに、ロバート・アラン・アッカーマン『ラーメンガール』(2008年)を観る。明らかに『タンポポ』へのオマージュであり、豚の頭で卒倒しそうになる主人公、雨に降られたことがきっかけでの恋、それから山崎務に「師匠」を演じさせることなど、にやりとさせられる場面が多い。何よりも共通するのは、ラーメンを「小宇宙」とする精神である。日本にいる外国人の疎外感を、恋愛相手の在日コリアン3世の男と共有するところなど、目が行き届いている感もある。

映画公開の翌年、主演のブリタニー・マーフィはわずか32歳で亡くなっている(心不全)。良い演技だったのに。


『タンポポ』のあとは、マーラーで映画を反芻

●参照
恵比寿の「香月」
「屯ちん」のラーメンとカップ麺
西荻窪の「ひごもんず」
18年ぶりくらいの「荻窪の味 三ちゃん」
博多の「濃麻呂」と、「一風堂」のカップ麺
「らーめん西や」とレニー・ニーハウス
札幌「五丈原」
札幌「雪あかり」、「えぞっ子」
札幌「喜来登」
沖縄そば(2)
沖縄そばのラーメン化
ラーメンは国境を超える(笑)
ポニョ・ラーメン
韓国冷麺
上海の麺と小籠包(とリニア)
北京の炸醤麺
中国の麺世界 『誰も知らない中国拉麺之路』


2005年、紫禁城

2012-03-10 12:12:00 | 中国・台湾

北京紫禁城(故宮)。2005年にはじめて入ったとき、改修中であまり中を観ることができなかった。その後追い出されることになるスターバックスもまだあった。それ以来北京には何度も足を運んだが、紫禁城は周りから眺めるばかり。

もう1年以上中国に行っていない。北京はいまもひたすら寒いんだろうね。

※写真はすべてPentax Espio Mini、シンビ200、DP。

●参照
入江曜子『溥儀』
ベルナルド・ベルトルッチ『ラストエンペラー』
ジャッキー・チェン+チャン・リー『1911』、丁蔭楠『孫文』
北京の今日美術館、インスタレーション
北京の散歩(1)
北京の散歩(2)
北京の散歩(3) 春雨胡同から外交部街へ
北京の散歩(4) 大菊胡同から石雀胡同へ
北京の散歩(5) 王府井
北京の散歩(6) 天安門広場
北京の冬、エスピオミニ
牛街の散歩
盧溝橋


石牟礼道子+伊藤比呂美『死を想う』

2012-03-10 01:42:46 | 九州

石牟礼道子伊藤比呂美との対談『死を想う われらも終には仏なり』(平凡社新書、2007年)を読む。

石牟礼道子という、戦争体験、自殺未遂体験、そして水俣病との接触を経て、おそらくは目的でも手段でもなく、ただ書かざるを得なかった作家。その内奥では、死への距離は不思議なくらい近いものだったように感じられる。この対談では、その心持ち、精神が、淡々と披露される。

石牟礼道子の眼にうつる現代日本は「死相を浮かべた国」。その裏返しのあらまほしき世界とは、あらゆる小さい生命が「縁」によって繋ぎあわされ、それら小さき者たちの声が「ミシミシミシミシ遍満している気配」がするようなものか。本人は、宮沢賢治が想像した「宇宙の微塵」ならぬ「浜辺の微塵」を口にする。勿論、浜辺は生死の境でもあり、彼岸への出入り口でもあった、と関係付けても、さほど見当はずれではないはずだ。

対談するふたりが好きだという、『梁塵秘抄』に入っている歌。

「儚き此の世を過すとて、海山稼ぐとせし程に、万の仏に疎まれて、後生我が身を如何にせん」

よろずの仏に疎まれる!何というイメージだろう。

●参照
石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』
『花を奉る 石牟礼道子の世界』
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』
島尾敏雄対談集『ヤポネシア考』 憧憬と妄想(石牟礼道子との対談)


鈴木道彦『越境の時 一九六〇年代と在日』

2012-03-08 00:36:00 | 韓国・朝鮮

鈴木道彦『越境の時 一九六〇年代と在日』(集英社新書、2007年)を読む。

フランス文学者の著者は、小松川事件と金嬉老事件への接近を通じて、「われわれ」あるいは「私」あるいは「日本人」にとっての在日コリアンという課題について、思索し、それをおのれに突きつけた人でもあった。その直接のきっかけは、フランス留学時のアルジェリア戦争(1954-62年)にあったという。ヴェトナムから撤退したばかりのフランスは、同じく植民地支配していたアルジェリアの独立を暴力的に弾圧する。間近でのその体験が、翻って日本人にとってのアルジェリア、在日コリアンへ視線を向けさせることになった。

小松川事件(1958年)。大島渚『絞死刑』(1968年)のもとになったことでも知られている。当時18歳の在日コリアン・李珍宇は、女性ふたりを殺害し、死刑に処せられた。著者は、当時、それを単なる凶悪犯罪としてではなく、歴史的な差別・実生活での差別によって噴出せざるを得なかった側面をもつ事件として捉えている。そのときに大きな衝撃となった本が、朴寿南との往復書簡集であったのだという。そこでは、大文字の「民族」や「正義」を説く朴に対し、自らの悪を認識した李とのすれ違いがあった。

戦争責任、植民地支配責任を曖昧にしたまま、親日の朴正煕政権と佐藤栄作政権とは、極めて強引かつ頭越しに、日韓基本条約(1965年)を結ぶ。オカネで過去を不問に付すという決着は、決して真摯な議論に基づくものではなかった。そのように、根本的に過去を問い直すことなく、それの代償として差別を残した社会のなかで、金嬉老事件(1968年)が起きる。著者は8年間もこの裁判に関わり、支援し、ひとつの大きな結論を得ている。それは、如何に正当な告発であっても、すべての責任を他者に負わせる形であれば、必ず頽廃を招かずにはいない、ということであった。勿論、『絞死刑』で主役の「R」を演じた尹隆道や、李恢成らが、自分が金嬉老であってもおかしくないと証言した、その背景となっている日本社会の非人道性を全面的に認めてのうえである。そこを、李珍宇と金嬉老との違いとして見出しているのである。

すなわち、出自や立場の違いによらず、誰もがおのれに向き合えということだ。言うは易しく実現は難しい、ただ、著者の言うように、現在の日本社会がその観点からすれば最低の状況にあることにはひたすら共感を覚える。

「公然と戦前の日本を肯定する言説もあらわれたし、「愛国心」の合唱も始まった。「国益」だの「愛国」だのという言葉を恥ずかしげもなく口にするのは、「民族責任」の自覚のはるか手前にある無神経な態度で、国民国家の形成される19世紀ならともかく、とても21世紀を生きようとする人間のやることではない。」

「・・・私たち日本人は「戦争責任」を果たしてこなかった。現在この国で目にする政治やメディアや世論の頽廃は、その戦後史が作り出したものだ。このような傾向は、たぶん当分のあいだ変わることがないだろう。ただそのような無反省史観の作ろうとする醜悪な「美しい国」の陰で、それに同意しない人も少なくないだろう。」

●参照
金元栄『或る韓国人の沖縄生存手記』
朴寿南『アリランのうた』『ぬちがふう』
朴三石『教育を受ける権利と朝鮮学校』
枝川でのシンポジウム「高校無償化からの排除、助成金停止 教育における民族差別を許さない」
荒井英郎+京極高英『朝鮮の子』
林海象『大阪ラブ&ソウル』
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
梁石日『魂の流れゆく果て』
野村進『コリアン世界の旅』
『世界』の「韓国併合100年」特集
尹健次『思想体験の交錯』
尹健次『思想体験の交錯』特集(2008年12月号)
金石範『新編「在日」の思想』
李恢成『沈黙と海―北であれ南であれわが祖国Ⅰ―』
李恢成『円の中の子供―北であれ南であれわが祖国Ⅱ―』
朴重鎬『にっぽん村のヨプチョン』
高崎宗司『検証 日朝検証』 猿芝居の防衛、政府の御用広報機関となったメディア
菊池嘉晃『北朝鮮帰国事業』、50年近く前のピースの空箱と色褪せた写真


ウィリアム・パーカー『Luc's Lantern』

2012-03-07 00:31:25 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウィリアム・パーカー『Luc's Lantern』(Thirsty Ear、2005年)はピアノトリオ作品で、多彩・多作なパーカーであるからこそ聴きたくなるというものだ。ずっと気になっていて、最近中古盤を入手した。

William Parker (b)
山本恵理 (p)
Michael Thompson (ds)

フリージャズ地獄への招待状とも言うべき怪作、田中啓文『聴いたら危険!ジャズ入門』(>> リンク)では、パーカーのベースを評して「重さと速さが同居している」と書いている。まさに共感を覚える個性であって、わたしは、このことを、ラオウの剛の拳とトキの柔の拳を持つのだと自分に説明していた。たぶん同じ音が脳内で響いている。

ここでは、神経質なほど切れそうで繊細な山本恵理のピアノを得て、さまざまな曲想を試している。おそらくはチャールズ・タイラーに捧げられた「Song for Tyler」。ジャキ・バイアードの悠然として現実離れした和音を思い出させる「Jaki」。バド・パウエルのどこかおかしいバップライクな「Bud in Alphaville」は、何と、ジャン・リュック・ゴダール『アルファヴィル』からのインスピレーションも同居している。全体を通して聴くと、抒情的であったり、幽玄的であったりもする。そして、パーカーのベースは、腰から下が微動だにせず、上はさまざまな生き物に化けているようだ。大きなスピーカーで聴くと陶然とする。

やはりパーカーのライヴに接したい。

●参照
ウィリアム・パーカーのベースの多様な色
ウィリアム・パーカーのカーティス・メイフィールド集
ジョー・ヘンダーソン+KANKAWA『JAZZ TIME II』、ウィリアム・パーカー『Uncle Joe's Spirit House』 オルガン+サックスでも随分違う
ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(ウィリアム・パーカーが語る)
ESPの映像、『INSIDE OUT IN THE OPEN』(ウィリアム・パーカーが語る)
サインホ・ナムチラックの映像(ウィリアム・パーカー参加)
ペーター・ブロッツマン(ウィリアム・パーカー参加)
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(ウィリアム・パーカー参加)


アンヌ・フォンテーヌ『ココ・アヴァン・シャネル』

2012-03-06 07:06:37 | ヨーロッパ

アンヌ・フォンテーヌ『ココ・アヴァン・シャネル』(2009年)を観る。仏語の「avant」は「前」の意味だそうで(わたしは仏語を解さない)、すなわち、シャネル前史のココといった意図でタイトルがつけられている。ココとはキャバレーでの歌い手時代の渾名である。

どこかで、丸谷才一が、20世紀を代表する女性はサッチャーでもボーヴォワールでもなくココ・シャネルだと書いていたと記憶しているが、それを確かめようにもどのエッセイ集であったか探し出せない。それはともかく、シャネル「以前」の個人史という意味での「アヴァン」ではなく、アヴァンギャルド=前衛であったという意味で、確かに20世紀的な存在であったのだな、と、映画を観て感じる。

芸能人になることを諦め、パリ郊外の交際相手の屋敷で過ごすうち、ココは、自分の美意識に沿ったファッションを希求するようになる。時は20世紀になったばかり、金持ちたちのファッションは、ごてごてと過剰な装飾を付け、コルセットで贅沢の結果としての身体を締め付けるようなものだった。ココは、それらへのアンチテーゼとして、シンプルかつ自然な服装を押し出す。

金持ちたちは、それを見て「男の子のようだ」、「まるで貧乏人」と評した。しかし、いまの目で見れば、ファッションの近代化どころか現代そのものである。映画が本当ならば、シャネルは時代を飛び越えた「アヴァンギャルド」だった。


上里隆史『海の王国・琉球』

2012-03-05 23:04:42 | 沖縄

上里隆史『海の王国・琉球 「海域アジア」屈指の交易国家の実像』(洋泉社、2012年)を読む。

12世紀頃から1609年の島津氏侵攻までの時代を「古琉球」と称する。三山時代、15世紀からの琉球王国の時代、古琉球は常に海を介した関係のなかに成立していた。著者はこの視点のことを「海域史」という。

14世紀に成立したとは冊封・朝貢の関係にあり、博多-寧波ルートとは別の南方ルートを活用していた。16世紀頃、明の貨幣システムがを日本や南米から吸い込むようになると(16世紀には石見銀山の銀生産量は世界の3分の1に達していた >> リンク)、「倭人」を利用した貿易を行った。そして、シャム(タイ)やマラッカ(マレーシア)など東南アジアとの交易も大きかった。琉球はまさに海洋王国であった。その中心になったハブ都市が、那覇であったのだという。珊瑚礁のリーフに座礁することのない港湾が、那覇と、本部半島の運天など数少ない場所に限られていたからである。

従って、那覇は、日本人、中国人(久米村に居住)、東南アジア人など多様な民族が滞在し、活動する場となった。非常に興味深いのは、このことと関連する宗教のありようだ。琉球といえばごく一部を除いて在来信仰が中心であり続けたと思ってしまうが、実はそうでもなかった。波上や普天間など、権現社(権現とは本地垂迹思想に基づき、仏が日本の神々の姿となって現れた仮の姿)は多く根付き、それらは熊野信仰で占められていた。実は、熊野が地中の黄泉の国に通じることと、琉球に数多くの鍾乳洞があることとの共通点にも起因するのだという(!)。

とにかくエキサイティングで面白い本である。少なくとも、日琉同祖論などよりも実証的であり、ロマンチックでさえある。著者には、薩摩侵攻前後の琉球を描いた『琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻』(ボーダーインク、2009年)という良書もある。

●参照
上里隆史『琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻』
杉山正明『クビライの挑戦』
村井紀『南島イデオロギーの発生』
柳田國男『海南小記』
伊波普猷の『琉球人種論』、イザイホー
伊波普猷『古琉球』
与那原恵『まれびとたちの沖縄』
屋嘉比収『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』
岡本恵徳『「ヤポネシア論」の輪郭 島尾敏雄のまなざし』
島尾敏雄対談集『ヤポネシア考』 憧憬と妄想
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』
島尾ミホさんの「アンマー」
齋藤徹「オンバク・ヒタム」(黒潮)
西銘圭蔵『沖縄をめぐる百年の思想』
仏になりたがる理由(義江彰夫『神仏習合』)
浦安・行徳の神社(2)(熊野とイザナミ)


是枝裕和『幻の光』

2012-03-05 00:29:59 | 東北・中部

是枝裕和『幻の光』(1995年)を観る。

尼ヶ崎に住む男(浅野忠信)は、妻・ゆみ子(江角マキコ)と生後3ヶ月の息子を残し、突然、線路を歩き轢死する。何の予兆もない自殺だった。数年が経ち、彼女は、大阪を出て輪島市で暮らす子連れの男(内藤剛志)と再婚する。家族にも地域にもとけ込み、ふたたび幸せな生活を取り戻す。しかし、いつまでも、夫の自殺を納得できないことが、心にしこりとして残っていた。ある時、葬列に加わり、夜になっても燃え続ける送り火を視て、それは噴出する。そして、義父がこう言ったのを耳にする。夜、漁に出ていると、向こう側に光が視える、呼んでいることがあるのだ、と。

尼ヶ崎の路地、アパートの室内、田舎のトンネル、輪島の古民家の中、日本海を望む隙間と日本海から視る民家、それぞれのフレームのなかで静かに進むドラマのテンポが秀逸。低アングルからのカメラは、ときに小津安二郎を思わせる。北陸の民家は、自分のなじみ深い瀬戸内のそれとは随分異なるが、時に、民家の佇まいや湿った田園風景に、胸がしめつけられそうになる。

いい映画である。ツボを突かれてしまった。もっと早くに観たかった。


成島出『八日目の蝉』

2012-03-05 00:12:28 | 中国・四国

成島出『八日目の蝉』(2011年)を観る。

何と言おうか・・・、一面的なモラルらしきものの押し付けがどうも。

それでもいい映画だと思うのは、誘拐犯役の永作博美や写真館主人の田中泯の押し出しの強さ。永作の演技は完全に主役を食っていた。ストーリーテリングの巧さ(そうか、成島監督は『クライマーズ・ハイ』の脚本を書いた人か)。それから、小豆島の高低差のある風景による。

瀬戸内の島々は、山田洋次『男はつらいよ 寅次郎の縁談』(1993年)において松坂慶子が歩いていたり、松田定次『獄門島』(1949年)で片岡千恵蔵の金田一耕介がのり込んだりといった風景を観るたびに、ああ滞在したいという気持ちで一杯になる。

●参照
山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』と井口奈己『人のセックスを笑うな』(永作博美)
本谷有希子と吉田大八の『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(永作博美)
篠原哲雄『地下鉄に乗って』と浅田次郎『地下鉄に乗って』(田中泯)
姜泰煥・高橋悠治・田中泯
姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2)
犬童一心『メゾン・ド・ヒミコ』、田中泯+デレク・ベイリー『Mountain Stage』
松田定次『獄門島』