Sightsong

自縄自縛日記

レジー・ワークマン『Summit Conference』、『Cerebral Caverns』

2014-05-18 10:03:33 | アヴァンギャルド・ジャズ

久しぶりに聴きたくなって、レジー・ワークマンがpostcardsレーベルに残した2枚。

■ 『Summit Conference』(postcards、1993年)

Reggie Workman (b)
Andrew Hill (p)
Sam Rivers (ts, ss, fl)
Julian Priester (tb)
Pheeroan akLaff (ds)

この超強力にして変わり者を集めた布陣。いきなりの1曲目、ワークマンが小刻みに放つベースラインの中を、アンドリュー・ヒルの滋味溢れるピアノと、マッシブで敏捷なフェローン・アクラフのドラムスが入ってきて、サム・リヴァースジュリアン・プリースターがユニゾンとそれぞれのソロとを絡ませつつ吹く。

はじめて聴いた当時、あまりにも鮮烈だった。印象はいま聴いても褪せない。

ワークマンのベースはあまり硬く張っていないのだろうか、中音域でややユルくも感じる。しかし、強烈に音楽を駆動しまくる。

■ 『Cerebral Caverns』(postcards、1995年)

Reggie Workman (b)
Sam Rivers (fl, ts, ss)
Julian Priester (tb)
Geri Allen (p)
Elizabeth Panzer (harp)
Gerry Hemingway (ds)
Al Foster (ds)
Tapan Modak (tabla) 

フロントのふたりはこの作品にも参加。しかし、ピアノはジェリ・アレンに、ドラムスはジェリー・ヘミングウェイアル・フォスターとに替った。

好みでいえば、ピアノ、ドラムスともに前作のほうが唯一無二の味を染み込ませている。何よりも、曲によって、とっかえひっかえ、メンバーを入れ替えている。ピアノトリオあり、ワンホーンあり、オールスターあり。

やはり、シンプルなほうが良い。初代ウルトラマンの白兵戦の迫力には、どの兄弟も敵わなかったのと同じである。

ところで、このpostcardsというレーベルは、ゲイリー・ピーコックとビル・フリゼールとのデュオなど、なかなか面白いものを出していたのだが、やはりもう活動停止しているようだ。アルバム数もさほどない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Postcards_Records 

 


倉沢愛子『9・30 世界を震撼させた日』

2014-05-16 23:37:01 | 東南アジア

倉沢愛子『9・30 世界を震撼させた日 インドネシア政変の真相と波紋』(岩波書店、2014年)を読む。

1965年9月30日、インドネシア国軍将軍たちが殺害されるクーデターが起きた。黒幕は、今に至るもはっきりしていない。それよりも重要なことは、この事件が、スカルノの失脚とスハルトの権力奪取というプロセスの中に位置づけられること、それが東西冷戦構造の中でこそ起きたものであること、そして、クーデター後、共産党シンパや華僑を対象とした大虐殺事件が起きたことである。(大虐殺については、ジョシュア・オッペンハイマー『アクト・オブ・キリング』のテーマになっている。)

本書は、その流れを丹念に追ったものであり、これまでほとんど知られることのなかった歴史を示してくれる。たいへんな力作であり、良書である。

クーデター発生まで、スカルノ政権は、親中国であり、共産主義(組織としてPKIがあった)への傾倒を強めていた。米国が直接手を下したかどうかについては明示されていないものの、間接的に、共産主義勢力の殲滅を指向したことは確かであった。その意向のもと、インドネシア国軍は、クーデターはPKIが首謀者として起したものであり、また、PKIは市民の殺害対象者リストを持っている、性的異常者の吹き溜まりであるといったデマを流し、PKIを憎悪と恐怖の対象に仕立てあげていった。その結末として、殺さねば殺されるという異常心理により、市民が市民を殺すという悲劇が起きたということなのである。

実際に、米国大使館は、権力交代の時期に、「我々が取るべき態度」として、次の内容を含む文書を国務省に送っている。

「PKIの罪悪、謀反、残虐性についてのストーリーを広める。(これが現在のところ我々が国軍のためにできる、最も必要とされている援助であろう)」

日本はどうであったか。スカルノの夫人・デヴィは、『アクト・オブ・キリング』上映時のトークにおいて、佐藤首相から齋藤大使を通じ、虐殺の加害側に資金が渡ったという発言をしている。本書には、そこまでの証言は書かれていない(同じデヴィ夫人)。しかし、明らかに、佐藤政権は米国に追従し、共産主義勢力の滅亡を強く望んでいた。そして、虐殺の事実を認識しながら目をつぶり、スハルト政権下の開発独裁により得られる大きな利益を享受した。すなわち、日本の経済社会も、この歴史と無縁ではありえない。

現在では、インドネシアの司法も、PKIの謀略説を否定している。それでも、教科書からその記述を消そうとすると、大きな抵抗勢力があってできないのだという。歴史修正主義はここにも存在する。


ホルガで銀座

2014-05-14 00:00:04 | 写真

ホルガという香港生まれのトイカメラがあって、昔から有名である。あまりにもチープなつくりゆえ、物欲を刺激せず、これまで距離を置くことができていた。しかし、ミラーレス用の交換レンズが出てしまった。20mmF8、絞り固定。これは試さなければならない。

実際に手にしてみると、本当にチープである。装着してもカタカタという音を立てる。ピントリングは非常に固い。とはいえ、わたしには、旧ソ連製のカメラを、「このまま強引に動かしたら壊れるのではないか」という不安とたたかいながら操作し、そのうちに指の皮がむけそうになった経験がある。こんな固さなどかわいいものだ。

何となくの距離指標(ひと1人、3人、大勢、山)があるものの、まったく当てにならないので、ファインダーを凝視してピント合わせをする必要がある。開放F8と暗く、そのうちに目が疲れてくる。

結果。ピントが合っているのかどうかよくわからない。異常に歪む。夢のようである。


白昼夢


歪んだ消防署


歪んだ歌舞伎座


昔、ここでペンタックスのLマウント43mmを買った


張芸謀『菊豆』

2014-05-12 22:35:55 | 中国・台湾

張芸謀『菊豆』(チュイトウ)(1990年)を観る。(Youtubeの英語字幕版

1920年代、中国の山村。四十の男が、染色業を営む叔父のところに働きに来た。叔父は、子を産まない妻を異常な方法で虐待しては殺し、3人目の妻(コン・リー)を娶ったばかりだった。男はその妻を性欲をもって覗き視る。妻は、虐待から逃れたい一心で、男を誘惑して関係を持ち、妊娠する。叔父は自分の子だと信じ喜ぶが、妻と男は関係を持ち続ける。やがて、叔父が倒れ、下半身不随になってしまう。叔父は事実を知り、子を殺そうとする。そして、子は男(父)と母を憎む。

因果応報の物語ともいうことができるが、それだけでは片づけられないほど不条理であり、観ていてやりきれない。しかし、確かなストーリーテリングの技により、一刻も目が離せない。ほとんどホラー映画である。いや、怖かった。

たくさんの染めた布が乾かされている中で、叔父の妻が男を誘惑し、関係するシーン。漫画や映画で多い手法だが、肝心の場面で、コン・リーの顔と、布が染色液にさらさらと落ちていくカットとが交互に繰り返されて、それを、湿度の高い空気が包む。張芸謀の初期作品であり、既に巧い。

張芸謀
『紅いコーリャン』(1987年)
『紅夢』(1991年)
『活きる』(1994年)
『上海ルージュ』(1995年)
『初恋のきた道』(1999年)
『HERO』(2002年)
『LOVERS』(2004年)
『単騎、千里を走る。』(2006年)


ビル・ムーディ『Fade to Blue』

2014-05-12 00:30:31 | アヴァンギャルド・ジャズ

ビル・ムーディ『Fade to Blue / An Evan Horne Mystery』(Poisoned Pen Press、2011年)を読む。

サブタイトルにある通り、エヴァン・ホーンというジャズ・ピアニストを主人公にしたミステリーのシリーズ最新作である。このシリーズは、初作の『Solo Hand』のみ、『脅迫者のブルース』(文春文庫、原著1994年)という題名で邦訳されたことがある。そこでは、主人公エヴァンが交通事故で手をやられてしまい、ピアニストをやめざるを得ない状況にあった。2回も読んだのに中身をほとんど忘れたものの、(たぶん)それなりに面白く、また、表紙も秀逸だった。ところが、エヴァンがピアニストとして再起したらしいというのに、邦訳が続かなかった。

作家のウェブサイトによると、これまでに、エヴァン・ホーン・シリーズとして、以下の作品が発表されている。

『Solo Hand』(『脅迫者のブルース』) 1994年
『Death of a Tenor Man』 1995年 ワーデル・グレイがネタ。
『Sound of the Trumpet』 1997年 クリフォード・ブラウンがネタ。
『Bird Lives!』 1999年 チャーリー・パーカーがネタ。
『Looking for Chet Baker』 2002年 チェット・ベイカーがネタ。
『Shades of Blue』 2008年 マイルス・デイヴィスがネタ。
『Fade to Blue』 2012年 本作。

そんなわけで、エヴァンのその後が気になって、読んでみた。

ジャズクラブでピアノトリオを組んで演奏していたエヴァンは、突然、ハリウッドの超大物スター・ライアンからの依頼を受ける。ジャズ・ピアニストを主人公とする映画を作るので、演奏シーンがそれらしく見えるようピアノを教えてほしい、また、映画音楽を作曲してほしい、というのだ。戸惑いながらも承諾するエヴァン。ところが、ライアンにしつこく付きまとっていたパパラッチがひとり死体で発見され、ライアンに疑いがかけられる。さらにもうひとり、変死体で死ぬ。エヴァンは、FBIのガールフレンドと協力して、得意の素人探偵ぶりを発揮する。そして、もっとも怪しいのは、ライアンではなく、映画のプロデューサーだということがわかってきた。

『脅迫者のブルース』で感じたように、ストーリーテリングや謎解き自体は、まったくもって大したことがない。これまでのシリーズに登場してきたと思しき人物が、唐突に現われ、しかも脈絡がない。どんでん返しも何にもない。英語が平易なこともあってラストまで一直線、そのまま腰砕け。

とは言え、この作品の面白さは、随所で開陳されるジャズのネタにある。『バード』では、フォレスト・ウィティカーもサックス未体験にも関わらずそれなりに訓練してのぞんだらしい、とか。『グレン・ミラー物語』では、ジェームス・スチュワートのトロンボーンの音がひど過ぎて、音が出ないようにされてしまった、とか。クリスチャン・ジェイコブのピアノが素晴らしいとか(これについても、不自然に、ライヴの描写がひとしきり挿入されるのだが)。もちろんそれだけでなく、「ああ、ヴィレッジ・ヴァンガードみたいだな」などといった言葉が散りばめられていて、ニヤリとさせられるわけである。

どこか、シリーズの邦訳希望。

●参照
ビル・ムーディ『脅迫者のブルース』
シャーロット・カーターがストリートのサックス吹きを描いたジャズ・ミステリ『赤い鶏』、『パリに眠れ』
ジャズが聴こえないジャズ・ミステリ、ポーラ・ゴズリング『負け犬のブルース』
フランソワ・ジョリ『鮮血の音符』


5・10「復帰42年糾弾!沖縄基地強化を許さない!集会」

2014-05-11 10:36:50 | 沖縄

5・10「復帰42年糾弾!沖縄基地強化を許さない!集会」に足を運んだ(2014/5/10、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック主催、文京区民ホール)。

安次富浩さん(ヘリ基地反対協・共同代表)の講演は以下のようなもの。

○現在の沖縄は、自決権(自己決定権)および生存権を問われている状況にある。
○米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去、県内移設断念などを求めた「建白書」は、沖縄県議会各会派、全41市町村長・議長らが署名した(2013年1月)。しかし、現政権はそれを無視し、逆に、4月28日(サンフランシスコ講和条約が発効)を、「主権回復の日」として定めた。これは、いつでも沖縄を取引材料とすると宣言したようなものだ。沖縄では、4月28日を「屈辱の日」と位置付けることがある。この「屈辱」にも違和感がある。すなわち、「復帰」を是とすべきかどうかということだ。
名護市長選(2014年1月)では、辺野古基地反対の稲嶺市長が再選された。それに先立つ2013年12月には、仲井間知事が埋立を承認してしまった。また、やはり反対のはずの自民党議員5名が、賛成に回らされてしまった。こうした動きにも関わらず市長選で勝利したことは大きい。従来の保守経済界が、基地建設に疑問を抱き、稲嶺支持に回ったからでもあった。
○それでも、読売新聞(2014年5月10日)には、「辺野古工事 秋に着手」とある。県知事選(2014年12月)の前に行うということは、現政権が、知事選に勝てないと踏んでいるということだ。
○辺野古のボーリング調査は、おそらく2014年6-7月頃に行われる。それは、名護市議選(2014年9月)への影響を避けようという考えでもあるだろう。
○今後、知事選の結果や、世界自然遺産への辺野古の組み込みをもって、米国オバマ大統領への意思表明、国際的支援の構築(チョムスキー、ストーンらの声明)、国連での人権問題の訴え等に結びつけていきたい。
○この5月には、稲嶺名護市長が訪米する。
○また、この5月には、沖縄意見広告(第5期)を各紙に掲載する。
ジュゴン裁判(カリフォルニア州連邦地裁が、普天間米軍基地の移設計画が、アメリカ文化財保護法に違反していることを認めた)が、新たな局面に入る。
○埋立や、それに伴うハコモノの建設に、何千億円もの税金を使うべきではない。

●参照
いま、沖縄「問題」を考える ~ 『沖縄の<怒>』刊行記念シンポ(2013年)
10万人沖縄県民大会に呼応する8・5首都圏集会(2012年)
6.15沖縄意見広告運動報告集会(2012年)
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う(2012年)
大田昌秀講演会「戦争体験から沖縄のいま・未来を語る」(2011年)
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」(2010年)
シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2010年)
シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(2)(2010年)
シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(3)(2010年)
シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(4)(2010年)
シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(5)(2010年)
シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(6)(2010年)
沖縄・高江へのヘリパッド建設反対!緊急集会(2010年)
水島朝穂「オキナワと憲法―その原点と現点」 琉球・沖縄研(2009年)
7・18 沖縄県議会決議を尊重し、辺野古新基地建設の断念を求める国会請願署名提出2・3報告集会(2009年)
ゆんたく高江、『ゆんたんざ沖縄』(2008年)
ヘリパッドいらない東京集会(2008年)
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(1)(2007年)
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(2)(2007年)
新崎盛暉氏の講演(2007年)
沖縄の海も山もクニ(日本)のものかッ!!(2007年)
「やんばるの森を守ろう!米軍ヘリパッド建設を止めよう!!」集会(2007年)


北井一夫『村へ』

2014-05-11 09:24:51 | 写真

ツァイト・フォト・サロンで、北井一夫さんの写真展『村へ』が開かれている。

70年代の素晴らしいヴィンテージプリントばかり。会津のお堂の写真(1971年)などは、ひび割れてさえいる。

じっくりと観ていくと、面白い再発見がいろいろ。1970年代前半には、ときにカチカチのハイコントラストのプリントだが、後半になって、明らかに、柔らかくなっている(自分の好みは、柔らかい方だ)。東北の東日本大震災の被災地において、なお残されている「道」をテーマとしている氏だが、昔から、向こうに向かう道を好んで撮っている。そして、真ん中に子どもを配し、左に傾いだ北井写真。

岩手の農地におけるリヤカーの写真(1973年)では、背景の真ん中に電柱があり、画面の中を縦横に電線が走っている。かつての風景写真的美学に正面から抵抗するような作品であり、これもまた、改めて氏の反骨が感じられるようであり、笑ってしまった。

いただいたDMに、ご在廊日とあったのだが、その時間にはおられなかった。近いことでもあるし、また機会を見つけてお話を伺おうと思う。

●北井一夫
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『湯治場』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)


桑原史成写真展『不知火海』(2)

2014-05-11 08:46:44 | 九州

銀座ニコンサロンにて、桑原史成の写真展『不知火海』を観る。昨年11月にも開かれたばかりだが、今回、桑原氏が土門拳賞を受賞した記念での再度の開催である。構成や個々の写真は、前回と少し変えてあるようだ。

5歳で水俣病を発病し、23歳で亡くなった少女は、その美しさから「生ける人形」と呼ばれた。また、石牟礼道子『苦界浄土』に登場する杢太郎少年のモデルとなったと言われる少年の写真もある。

桑原氏は、「生ける人形」を、できるだけ美しく撮りたかった、と述べている。それだけでなく、白黒プリントが非常に巧く、さすがである。それだけに、なお、水俣病を発生させ、放置し、さらには別の公害病を生んだ罪が、重いものとして迫ってくる。

ニコンサロンは、この写真展の次に、石川文洋氏のベトナム戦争の写真展を予定している。福島の原発事故も、これまでテーマとしてきている。この姿勢を貫くならば、安世鴻氏による慰安婦の写真展を中止したことの理由も明確にすべきである。

●参照
桑原史成写真展『不知火海』
工藤敏樹『祈りの画譜 もう一つの日本』
土本典昭『水俣―患者さんとその世界―』
土本典昭さんが亡くなった
原田正純『豊かさと棄民たち―水俣学事始め』
石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』
『花を奉る 石牟礼道子の世界』
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』


千葉スペシャル

2014-05-10 23:09:17 | もろもろ

ほんらい革靴は毎日履きかえる方が良いし、マメにクリームでケアする方が当然良い。誰でも知っている。

しかし、わたしは面倒臭がりであり、帰って脱いだら翌日同じものを履いて出かけることが多い。ケアもあまりしない。そもそも、靴をあまり持っていない。

そんなわけで、大事な靴を綺麗に長く使うため、評判の「千葉スペシャル」を試した。有楽町の東京交通会館前で営業しており、1回千円。土曜日にも関わらず、オシャレな若者やオシャレなおじさんが順番を待っていた。上品なる女性もいた。

さて、自分の番。ビニール袋を靴下の上にかぶせ、また靴を履く。引き出しの中にはクリームが何種類もあり、その中から2種類を使って、磨いていただく。磨く前の靴は、くすんでいて、靴先はぶつけて傷が付いていて、皺が変色していた。それが、あっという間に鏡のようにピカピカになった。何時間経ってもピカピカのままだ。これは嬉しい。

高いかもしれないが、長く大事に使うことを考えれば、高くない。

磨く前(左)と磨いた後(右)


フェイ・ウォン『The Best of Faye Wong』、『マイ・フェイヴァリット』

2014-05-09 00:23:11 | ポップス

ウォン・カーウァイ『恋する惑星』(1994年)を観てからというもの、主演のフェイ・ウォンが気になってしまい、PV集『The Best of Faye Wong』(Cinepoly、1996年)を入手した。

いや~、魅力爆発。猛烈に可愛い。いまみてもオシャレで、コケティッシュで、メヂカラが強烈で、目が釘付けになる。

凝ったPV集ということもあって余計にそう感じてしまうのだが、壁にチラシやポスターをベタベタと重ねて貼っていくようなメディアの雑踏のなかにあっての、この人の魅力なんだろうなと思う。メディアがどんどん変貌していって、勢いも隙間もものすごくあって、そのなかで爆竹を鳴らしていたという感覚。

この中で、(PVではなくライヴ映像だが)「千言萬語」を唄っている。この曲は、フェイ・ウォンがテレサ・テンに捧げたアルバム『マイ・フェイヴァリット』(Cinepoly、1995年)にも収録されている。こうなると、どうしてもテレサ・テンと比べてしまって、フェイ・ウォンには分が悪い。奥深さ、包容力、声のエッジの丸さという点で、テレサにかなうわけがないのだ。大袈裟ではあるが、故・中村とうよう氏は、テレサの歌を「聞き手を慰撫する仏の境地だった」と振り返っている(中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』、岩波新書)。

実際に、これまで、テレサの名盤『淡淡幽情』(Polygram、1983年)と聴き比べては(特に、同じ曲「但願人長久」)、フェイは何てペラペラに浅くて軽いのだろうと感じていた。最近、以下の文章を目にして共感してしまった。

「・・・奇しくもテレサ・テンが亡くなった年に、テレサへのトリビュート・アルバム『マイ・フェイヴァリット』を発表、特にボーナス・トラックの「千言萬語」(語り尽せぬ愛)」は雰囲気たっぷりの名演として、フェイのベスト盤にも収録されている。幼いころからテレサの大ファンだったフェイは、その後継者になる。当時は誰もがそう思い、期待したはずだ。ところが・・・・・・要するに、力量が違いすぎた。フェイの声には芯がない。テレサの声も、軽くふっくらとしているが「よく響く」声で、ここぞというときには、堅固な芯がしなやかに表れる。フェイの場合、芯のない声と同じように、音楽性も一貫していなかった。」(昼間賢「歌謡曲のアジア」、「Narasia Q」2013年5月/特集・うたうアジア)

しかし、その一方で、「声」だけで比較しない贔屓があってもいいのではないか、とも思う。テレサはテレサ、フェイはフェイ。

●参照
ウォン・カーウァイ『恋する惑星』
宇崎真、渡辺也寸志『テレサ・テンの真実』
私の家は山の向こう
私の家は山の向こう(2)


峰厚介『Plays Standards』

2014-05-06 22:34:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

峰厚介『Plays Standards』(A60JAZZ、2008年)を、中古で入手した。発売されたときから欲しいと思っていたのだが、何しろ日本のCDは高い。申し訳ない。

峰厚介 (ts)
板橋文夫 (p)
井野信義 (b)
村上寛 (ds)
福村博 (tb) (7,8)
松島啓之 (tp) (4,5)

峰さんのテナーサックスの音には独特の匂いがあって、渋谷毅オーケストラにも欠かせないのだが、スタンダード演奏も良い。逆に、オリジナル曲で固めた自身のグループは、その独特の匂い満載になってしまい、ちょっとわたしのストライクゾーンから外れる。こればかりは嗜好によるものなので、仕方がない。

この盤は、タイトル通り、スタンダード曲ばかり。「You Are My Everything」、「Beautiful Love」、「Peace」、「I Hear a Rhapsody」、「Lament」、「'Round Midnight」など、ほとんど「待ってました」である。しかも、ヴェテランでメンバーを固めている。これでいいのだろうか、いいのである。

目立っているのは、板橋文夫さんのピアノ。「Beautiful Love」のイントロなんて、浅川マキも十八番にしていた名板橋曲「グッドバイ」の雰囲気そのものだ。バッキングも楽しそうである。

めでたしめでたし。

●参照
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2014年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2011年)
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ
菊地雅章クインテット『ヘアピン・サーカス』
板橋文夫『ダンシング東門』、『わたらせ』
板橋文夫+李政美@どぅたっち
板橋文夫『うちちゅーめー お月さま』
森山威男『SMILE』、『Live at LOVELY』
ユーラシアン・エコーズ、金石出


ウカマウ集団の映画(5) ホルヘ・サンヒネス『叛乱者たち』

2014-05-06 10:31:54 | 中南米

新宿K's Cinemaで、ボリビア・ウカマウ集団/ホルヘ・サンヒネスの最新作『叛乱者たち』(2012年)を観る。

早めに着くと、太田昌国さん(日本でずっとウカマウ集団の活動を紹介・支援)がロビーにいて、ご挨拶。もうDVDは出来あがっていて書店でも売っているとのことで、ちょうど持っておられた『鳥の歌』を購入した。

上映前に、太田さんと津島佑子さんとのトークショーがあった。津島さんは、これまでの先住民族をめぐる言説の移り変わりとともに、オーストラリアのアボリジニの方が、福島原発において自分たちの土地で採掘されたウランが使われていたという現実に心を痛めると表明したことを紹介した。すべて、「まずは自分のこととして考える」事例として、である。太田さんは、日本は先住民族問題に関してずっと鈍感であり続けており、その意味でも、ウカマウ集団の映画を観る意義があるのだとしめくくった。

2006年、ボリビアにおいて、先住民族出身のエボ・モラレス政権が誕生した。このことが、如何に画期的な歴史的意味を持ち、また、今後への課題を孕んでいるのかといったことが、映画において、過去の再現をコラージュのように示す方法により、示される。

18世紀、先住民族たちが、トゥパク・アマル、トゥパク・カタリ、バルトリーナ・シサらを指導者として、植民地政府に対し武力蜂起を行った。半年もの戦いの末、裏切りによってカタリは処刑されるのだが、絶命前、カタリは「われわれは100万人になって戻ってくる!」と叫んだという。その後も、幾多の抵抗運動と弾圧があった。1944年に大統領となった白人のビリャロエルは、先住民への弾圧を緩和し、農地改革を行おうとして、保守層に抵抗されて失脚した。そして、水資源、天然ガスの民営化に抗する「水戦争」(2000年)、「ガス戦争」(2006年)は、新自由主義を排除する動きとなり、ついに、モラレス政権が誕生した。

「正史」という「大文字の歴史」においては語られない歴史である。パンフレットに太田さんが寄稿した文章によると、このような先住民族の歴史を可視化するウカマウ集団の活動自体も、かつては、弾圧されていた。従って、これらがプロパガンダ映画的であっても、それは権力の正当化・正統化のためではない。

ビリャロエル大統領の失脚の際、先住民の村では、「私たちを救おうとしたのに、私たちは彼を助けることをしなかった」と悔いている場面がある。また、サンヒネスの『第一の敵』(1974年)でも、チェ・ゲバラを支援できなかったことへの贖罪の気持が表明されているのではないかと感じた場面があった。キューバ革命を成功させたチェ・ゲバラは、次に、ボリビアでの革命をこころざすも、農民の支援を得られず、失敗に終っているのである。その反省を含め、ウカマウ集団の映画は作られ、上映されているということではないか。映画の中で、モラレス大統領の就任演説が流される。そこでは、18世紀のトゥパク・アマル、トゥパク・カタリ、バルトリーナ・シサに加え、チェ・ゲバラの名前も挙げられていた。

パンフレットには、藤田護「『叛乱者たち』はボリビアの現状を批判しうるか」という文章が寄稿されている。映画がモラレス政権の公式プロパガンダになってもいいのか、さまざまに噴出してきている政権の問題点にも目を向けるべきではないのか、という批判である。確かに、それは違和感として残る。

映画の中で、モラレス大統領が貧しい先住民とすれ違い、見つめ合う場面が2回ある。先住民はもの言わず、期待なのか、「風景」としてなのか、あるいは監視の表明なのか、厳しい目でモラレスを凝視する。わたしは、これこそが、映画のモラレスに向けられたメッセージではないのかと捉えた。

●参照
ウカマウ集団の映画(1) ホルヘ・サンヒネス『落盤』、『コンドルの血』
ウカマウ集団の映画(2) ホルヘ・サンヒネス『第一の敵』
ウカマウ集団の映画(3) ホルヘ・サンヒネス『地下の民』
ウカマウ集団の映画(4) ホルヘ・サンヒネス『ウカマウ』
モラレスによる『先住民たちの革命』
松下俊文『パチャママの贈りもの』 貨幣経済とコミュニティ(松下監督とサンヒネス)
太田昌国の世界 その24「ゲバラを21世紀的現実の中に据える」
太田昌国の世界 その10「テロリズム再考」
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
『情況』の、「中南米の現在」特集
太田昌国『「拉致」異論』
太田昌国『暴力批判論』を読む
廣瀬純『闘争の最小回路』を読む
中南米の地殻変動をまとめた『反米大陸』


ジョシュア・オッペンハイマー『アクト・オブ・キリング』

2014-05-05 22:57:12 | 東南アジア

青山のイメージフォーラムで、ジョシュア・オッペンハイマー『アクト・オブ・キリング』(2012年)を観る。そろそろ大丈夫かと思ったが、直前に行くと満席だった。立ち見だと言われて入ると、幸運にも、空席があった。

1965年9月30日、インドネシア国軍によるクーデター未遂事件が起きる。これはスカルノ大統領失脚、スハルト大統領誕生のきっかけとなり、また、このときに、やくざや民兵たちにより、共産党シンパや華僑たちをターゲットとした大虐殺があった。犠牲者数は明らかでなく、概数で100万人規模だとされている。

映画は、このときに手を下した者たちにインタビューを行い、さらに、自分の行為を演じてもらうという手法で作られている。彼らはその罪を追求されるどころか、むしろ、社会的地位を得てさえいる。また、北スマトラ知事(メダンでのロケだろう)や、カラ副大統領が、やくざ民兵集団「パンチャシラ青年団」に対し、支持を取り付けようとして、彼らの価値を認めるようなコメントやスピーチを吐いているのである。現在も、もたれ合いの構造が強く残っているのだろうなと思わざるを得ない。

虐殺者たちは、自らの殺人行為を、嬉々として身振り手振りで再現する。誰がみても、最低な下衆連中である。

しかし、かれらの様子が次第に変わってゆく。犠牲者の声を聴き、また犠牲者の役を演じているうちに、心身に異変が生じてくるのだ。口では、「当時はしかたがなかった」、「そのようなものだった」と威勢のいいことを言いながらも。そして、ついに、虐殺場所において、虐殺者は、嘔吐しはじめる。歴史の実態が、隠しようもなく姿をあらわし、「大文字の歴史」にお墨付きを得ていたはずの虐殺者の内臓を喰らい荒らした瞬間だった。

決してドキュメンタリーとして傑作とは言えないし、作り手にも山師的なものが見え隠れする。しかし、これは「私たち」の映画である。すなわち、「大文字の歴史」を内部から噛み進める虫があってしかるべきだということだ。

●参照
朴寿南『アリランのうた』『ぬちがふう』(重なるものが確実にある)


ポール・ブレイ『Plays Carla Bley』

2014-05-05 11:02:13 | アヴァンギャルド・ジャズ

ポール・ブレイがカーラ・ブレイの作品を演奏した記録には、『Homage to Carla』(1992年)があるが、『Plays Carla Bley』(SteepleChase、1991年)は、その前年に吹き込まれている。2年続けてかつての妻の作品集を出すとは、何を考えていたのだろう。

Paul Bley (p)
Marc Johnson (b)
Jeff Williams (ds)

2枚を比べてみると、「Vashkar」、「Seven」、「Around Again」、「Turns」、「And Now The Queen」、「Ictus」、「Olhos de Gato」、「Donkey」と、8曲も同じ曲を演奏している。しかし、決定的な違いは、本盤はピアノトリオ、『Homage to Carla』はピアノソロ。

『Homage to Carla』を聴いた耳で本盤を聴いてみると、もちろんポール・ブレイらしさはあるものの、どうも聴き手のこちらの内奥にまで到達しない印象が拭えない。逆に、本盤を聴いてから、あらためて『Homage to Carla』を聴いてみると、五里霧中の空間に誘い込まれる。ソロゆえ、音と音との間と、音そのものとが、同じ存在感を持って迫ってくるのである。

トリオならば、ゲイリー・ピーコック、ポール・モチアンと組んだ『Not Two, Not One』や、チャーリー・ヘイデン、ポール・モチアンと組んだ『Memoirs』のように、ベース、ドラムスとが同じような強度を持っているべきなんだろうね。


昔、ポール・ブレイにいただいたサイン

●参照
ポール・ブレイ『Homage to Carla』
ポール・ブレイ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Memoirs』
ポール・ブレイ『Solo in Mondsee』
イマジン・ザ・サウンド
カーラ・ブレイ+アンディ・シェパード+スティーヴ・スワロウ『Trios』
スティーヴ・スワロウ『Into the Woodwork』
ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ
アート・ファーマー『Sing Me Softly of the Blues』


張芸謀『活きる』

2014-05-05 00:51:29 | 中国・台湾

張芸謀『活きる』(1994年)を観る。(Youtubeの英語字幕版

国共内戦時。賭け事に熱中する男は、ついに身上をつぶし、妻子に去られ、家を奪われる。得意の人形劇で生計を立てるが、突然、国民党軍に徴用されてしまう。ところが、軍は人民解放軍に敗れ、男はそこでも人形劇を行い、革命に貢献したとの証明書を得る。命からがら戻った実家では、娘が口がきけなくなっており、息子が生まれていた。

50年代、大躍進政策。地域ごとに課された鉄の生産計画を達成するため、皆が無理をして働く。そして、そのために、息子が死んでしまう。

60年代、文化大革命。多くの者が共産主義の敵として捕らえられる中、娘が嫁ぎ、妊娠する。経験のある医者は投獄されており、医者のタマゴしかいない。男と娘婿は、牢屋から老医師を連れてくる。娘の出血が止まらない。空腹の老医師は饅頭を急に詰め込み、身動きが取れない。

30年以上にもわたり、苦労しながら生きのびていく家族を描き、同時に、当時の共産党政策批判にもなっている。また、さすが張芸謀。ドラマの作りかたが手馴れていて、本当に巧い。登場人物たちを襲う運命にハラハラさせられ、何度か涙腺がゆるんでしまった。

●参照
張芸謀『紅いコーリャン』(1987年)
張芸謀『紅夢』(1991年)
張芸謀『上海ルージュ』(1995年)
張芸謀『初恋のきた道』(1999年)
張芸謀『HERO』(2002年)
張芸謀『LOVERS』(2004年)
張芸謀『単騎、千里を走る。』(2006年)