Sightsong

自縄自縛日記

松下初美、川島小鳥、石川竜一、サクガワサトル

2015-04-20 07:14:39 | 写真

研究者のTさんと新宿のギャラリーをハシゴ。

■ 松下初美『ディアベイビーナナ』(ギャラリー蒼穹舎)

ヘルシンキで撮られた日常のスナップ。ハーフ版カメラにネガカラーを使っており、画面中心だけピントが合っていて周辺は流れぼやけている。滲み、くすんでいて、夢のようである。なんでも、ゴールデンハーフというトイカメラを使ったということだ。

■ 川島千鳥(コニカミノルタプラザ)

台湾で撮られた「カワイイ」写真。梅佳代に続く系譜を描くことができるのかな。確かに巧い。Tさんによれば、ニコンF6にネガカラーを使っているようだ。

■ 石川竜一(コニカミノルタプラザ)

川島小鳥とともに木村伊兵衛賞を受賞しており、川島コーナーの奥に石川コーナー。沖縄出身であり、すべて沖縄で撮られている。いきなりハッセルブラッドにデジタルバックを使い始めたという。しかも人物に向かい合ってストロボ一発。

これが凝視すればするほど怖い。怖くて、そしてヤバすぎる。あまりにもリアルである、ということは、すべてに死の影がへばりついており、観る側にもそれは伝染する。森山大道が嫉妬したという話もわかる気がする。

■ サクガワサトル『A Sign Bar』(コニカミノルタプラザ)

宜野湾市普天間飛行場そばのバーで撮られた写真群。こんな暗いところでクリアーにとらえられるのはデジタルならではだ。


石川直樹+奈良美智『ここより北へ』@ワタリウム

2015-04-19 23:14:55 | 北海道

久しぶりにワタリウムに足を運び、石川直樹(写真)と奈良美智(絵、写真)とのコラボレーションによる展示『ここより北へ』を観る。

きっかけは、北海道と東北とにいくつもの同じ地名があったことだという。かつてアイヌは、和人との交易をなし、また東北に移ってきたこともあった。そこから、さらにサハリンへと向かうふたりの旅がはじまっている。

サハリンもアイヌの活動・生活範囲であった。日本統治の時代があり、敗戦によりソ連=ロシアの支配に移り、それでも地名も文化も風土も残る。残留コリアンの血をひくのではないかと思われる人の写真もあった。

現在でも、普通にサハリンを旅することはそんなに簡単でもないようだ。そのことと、日本統治時代の廃墟(王子製紙の工場)、山や原野の風景があいまって、猛烈な旅情を掻き立てる。いつか必ず行こう。

奈良さんの蔵書の展示がまた楽しい。エドワード・サイード、宮本常一、ミシェル・レリス、エリック・ホッファー、山口昌男、なぜか根本敬、アントン・チェーホフ、南方熊楠、数多くのアイヌ関係の書物。あれれ、師匠筋のA.R.ペンクの画集がない。

●参照
瀬川拓郎『アイヌ学入門』
姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』
井上勝生『明治日本の植民地支配』(アジア侵略に先だってなされたアイヌ民族の支配)
伊佐眞一『伊波普猷批判序説』(伊波はアイヌをネーションを持たぬとして低く評価した)
OKI meets 大城美佐子『北と南』(OKIはアイヌの弦楽器トンコリの使い手)


アンドリュー・ディアンジェロ『Norman』

2015-04-19 09:40:57 | アヴァンギャルド・ジャズ

アンドリュー・ディアンジェロ『Norman』(AD、2014年)を聴く。

Andrew D'Angelo (as, bcl)
Jim Black (ds)
Trevor Dunn (b)

LPレコード限定である。ディアンジェロがインストアライヴを行ったDowntown Music Galleryで、その数日後に入手した。

ライヴのとき、ディアンジェロはこんなふうに言った。

「最近久しぶりにヴァイナル(Vinyl)を出したんだよ。いやヴァイナルって、LPとかレコードとか言えばいいんだけど。回転もいろいろあるだろ、33とか45とか、あと何だっけ」
(客)「78」
「そうそう。回転数を間違えてかける奴とかいるよな」

ついでに、手持ちの『Morthana with Pride』にサインをいただいたところ、渡した黒ペンを見て、「黒ペンか。俺はいつも金のペンでサインをしてるんだけどな」(笑)と。実際に、LPの番号には「171」と金ペンで書いてある(432枚というヘンな枚数の限定プレスなのだ)。

タイトルの「Norman」はディアンジェロのミドルネームであり、この曲だけ、テナーサックスのビル・マッケンリーがディアンジェロに捧げている。それというのも、ディアンジェロが一時期脳腫瘍で入院していたからであり、ここでの演奏も、かれの兄弟が書いた解説によれば、病気の影響でかつてほど苛烈なものではないという。確かに『Morthana with Pride』に比べればそうかもしれない。しかし、ここで聴こえる音は、真っ赤になって息の圧でサックスをびりびり震わせ、ときに肉声を混ぜるディアンジェロのものだ。

かつての「Gay Disco」にかけた「Gay Crisco」は変拍子を愉しみまくっている(もちろん、こちらも愉快)。アルトのみならず、特に「Intro Vota Ju」におけるバスクラ・ソロなど素晴らしくよれていく。そして、音割れのするシンバルとタイコなどガジェットとともにともかくも駆けるジム・ブラックも良い。

●参照
アンドリュー・ディアンジェロ@Downtown Music Gallery
アンドリュー・ディアンジェロ『Morthana with Pride』
エド・シュラー『The Force』


ブロッツ&サブ@新宿ピットイン

2015-04-19 00:37:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

ペーター・ブロッツマンが今年も来日し、豊住芳三郎と組んでツアーを行っている。今回、近藤等則がゲストの日に新宿ピットインに足を運んだ(2015/4/18)。

Peter Brotzmann (sax, cl)
豊住芳三郎 (ds)
近藤等則 (el-tp)

ブロッツマンのエネルギーは相変わらずだ。ブギャーブギョーと、おのれのブルースをひたすら吹く。ときに折り畳みナイフを取り出し、マウスピースに装着したままのリードを削ったりしている。豪快というべきなのか。確か、かれが東京の楽器店にサックスを持ち込んで点検してもらったところ、こんなボロボロで吹ける人がいるということが信じられないという反応があった、との話。

相変わらずといえば、近藤等則のトランペットもそうである。さまざまな工夫やギミックを見せつつも、意識は、広い広い向こう側にトランペットを響かせることにあるように思える。

そして豊住芳三郎。まるで空翔るハヌマーンのようなポーズで、すべてのものをビシバシと叩き、フラグメンツと化さんとする。わたしは多分15年ぶりくらいに演奏を観るような気がするが、これほどにパワープレイの人だったか。何しろ、途中でスティックが折れて客席に飛んできたのだ。豊住さんのもっとも印象に残っている演奏は、世田谷美術館においてミシャ・メンゲルベルグと繰り広げたデュオだが、それも、ここまで強靭なものであったら、もっと凄いものになったに違いない。

●参照
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男@新宿ピットイン(2014年)
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン(2011年)
『BROTZM/FMPのレコードジャケット 1969-1989』
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(ブロッツマン参加)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(ブロッツマン参加)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』
ペーター・ブロッツマン
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(ブロッツマン参加)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(ブロッツマン参加)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『新海』、高木元輝+加古隆『パリ日本館コンサート』
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』
トリスタン・ホンジンガー『From the Broken World』、『Sketches of Probability』(近藤等則参加)
本田珠也SESSION@新宿ピットイン(近藤等則参加)(2014年)
浅川マキ『幻の男たち』 1984年の映像(近藤等則参加)


『“じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー』

2015-04-18 15:36:11 | 政治

NNNドキュメント'15」枠で放送された『“じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー』(2015/2/22放送)を観る。

パラオ・ペリリュー島では、日米の殲滅戦が行われた。米国は、フィリピンを攻略するためにペリリュー島の滑走路(日本軍がつくり、まだ残されている)を欲し、1943年9月、上陸した。日本軍は、防空壕や洞窟を利用した持久戦を展開したが、結果的に、1万人余のうち34名しか生き残ることができなかった。多くの米兵も死んだ。米軍がレイテ島を直接攻撃し、ペリリュー島の戦略的意義が失われても、狂気の戦闘は続けられた。

これが、その後、「本土防衛の捨て石」として展開される硫黄島や沖縄戦のはじまりであり、また、それらの場所では、火炎放射器やナパーム弾がより大規模に使われることとなった。

このドキュメンタリーでは、95歳になる数少ない生き残りの土田さんが、孫娘を連れて、何度目かのペリリュー島訪問を行うところを追う。土田さんは、終戦後、2年間もそれと知らず壕に隠れていた。そして、土田さんは、勝っても負けても戦争はしてはいけないものだと言う。孫娘も、祖父の体験を伝えていかなければならないという決意を語る。

戦争体験の継承は、これを含め、数多くなされ、紹介されている。問題は、戦争を知る世代が確実にいなくなってきているという厳然たる事実なのである。

●参照
『沖縄 島言葉(しまくとぅば)の楽園』、『狂気の戦場 ペリリュー』

●NNNドキュメント
『100歳、叫ぶ 元従軍記者の戦争反対』(2015年)
『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』(2014年)
大島渚『忘れられた皇軍』(2014年)
『ルル、ラン どこに帰ろうか タンチョウ相次ぐ衝突死』(2013年)
『狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言』(2013年)
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013年)
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』、『基地の町に生きて』(2008、11年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『風の民、練塀の街』(2010年)
『証言 集団自決』(2008年)
『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』(1979、80年)
『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1971、79年)
『沖縄の十八歳』、『一幕一場・沖縄人類館』、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』 (1966、78、1983年)


アントニオ・サンチェス@COTTON CLUB

2015-04-18 07:59:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

COTTON CLUBに足を運び、アントニオ・サンチェス。

Antonio Sanchez (ds)
Ben Wendel (sax)
John Escreet (p, key)
Matt Brewer (b)

サンチェスのドラミングは非常に巧みで、ボクサーの「ハートアタック」のごとく、時間を止める術も駆使する。多くのジャズドラマーのように時間のある幅の中でスイングするというよりは、進んでいく時間のバスに否も応もなく乗せられ、未来も過去もなくその時点にパフォーマンスを集中する感覚。その圧と多彩さは見事で、わたしは観ながら「ひとりEXILE」と命名した。

ジョン・エスクリートも見事。絶えず流麗なピアノでコアの周辺にまとわりつく機械蝶か。「Naima」が一瞬別の曲に聴こえるベン・ウェンデルのソロも良かった。

●参照
アレハンドロ・G・イニャリトゥ『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』


内里美香『ミカノウタ』

2015-04-17 06:23:12 | 沖縄

むかしから内里美香の声が好きである。新譜をずっと望んではいたのだが、油断していたら、1年前に『ミカノウタ』(キャンパス、2014年)が出ていた。なんで誰も教えてくれない。

内里美香(歌、三絃、太鼓)
松田一利(三絃、歌)
嘉手苅聡(p)
田中秀樹(g)
東江厚史(b、鉦)
久保田諒(囃子)

シンプルな沖縄民謡も、ピアノやギターが入った民謡ポップスも良い。内里美香の声は、どっしりとして低いところから、一度刷毛に付けたらどんどん塗ることができる絵具のように、声を出し切るまでのびていく。

また東京で歌ってくれないかな。 

●参照
内里美香『たびだち』 
大島保克『島渡る』、わしたショップでのライヴ(『風のションカネー』)


瀬川拓郎『アイヌ学入門』

2015-04-16 22:27:03 | 北海道

瀬川拓郎『アイヌ学入門』(講談社現代新書、2015年)を読む。

本書によれば、アイヌとは、歴史的には「自然のなかに生きる孤立した人々」などではなく、絶えざる交易活動により生活を成り立たせ、文化を発展させてきた人々である。サハリンのオホーツク人との勢力争いがあり、江戸末期以降の和人による封じ込めより前にも和人との交流があり、北千島さえも活動範囲であった。コロポックルは北千島のアイヌであるという。

交易に用いられるものは、たとえば、北千島で獲れるラッコの毛皮であった。姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』には、オコジョの毛皮をもって、サハリンを介してモンゴル帝国(元)との交易をしていたとあり、それはクビライが身にまとってもいる(杉山正明『クビライの挑戦』の表紙画)。 また、モンゴル帝国は日本との海戦と同時期に、アイヌとも戦っている。北海道で採れる金は、やはり交易の対象となり、その過程でアイヌ、和人、朝鮮半島からの渡来人との交流があった可能性さえあるという。すなわち、そのようなダイナミズムを抜きにしては、アイヌの歴史を理解できないということになる。

近現代のアイヌに対する差別政策についても言及されている。たとえば、旭川の事例がある。和人の入植者が急増した一方、道庁は、給与地を設定し、アイヌを集めて各戸に割り渡した。しかし、その土地は川べりのしばしば氾濫をともなう湿地帯であり、他のひどい扱いも相まって、アイヌの人々は大変な苦難を強いられた、とある。誰だ、教科書に「土地を与えた」などと書かせようとする者は。

●参照
姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』
井上勝生『明治日本の植民地支配』(アジア侵略に先だってなされたアイヌ民族の支配)
伊佐眞一『伊波普猷批判序説』(伊波はアイヌをネーションを持たぬとして低く評価した)
OKI meets 大城美佐子『北と南』(OKIはアイヌの弦楽器トンコリの使い手)


ウィーゼル・ウォルター+クリス・ピッツィオコス『Drawn and Quartered』

2015-04-16 07:36:14 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウィーゼル・ウォルター+クリス・ピッツィオコス『Drawn and Quartered』(One Hand Records、2014年)を聴く。クリス・ピッツィオコス本人から購入し持ち帰ったLP盤、150枚限定プレス。

Weasel Walter (ds)
Chris Pitsiokos (as)

ここで、ピッツィオコスはこれまでの『Maximalism』『Paroxysm』以上に多様な姿と貌をみせる。

A面の「Hanged」と「Drawn」では、ウォルターが肉体の内部から内部を叩くようなくぐもった音のドラムス。その横で、ピッツィオコスは小鳥のようにさえずり、鵺のように叫ぶ。一転してB面の「Quartered」では、陽の射さない藪の中に棲息する虫のように鳴く。ピッツィオコスがメタモルフォーズする対象として想像させるものは生き物だけではなく、音そのものでもあるように思える。

圧倒されるばかりのピッツィオコスの演奏。次の作品(2015年7月)が楽しみでならない。

●参照
クリス・ピッツィオコス@Shapeshifter Lab、Don Pedro
クリス・ピッツィオコス『Maximalism』
クリス・ピッツィオコス+フィリップ・ホワイト『Paroxysm』


デイヴィッド・バークマン『Live at Smalls』

2015-04-14 07:19:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

デイヴィッド・バークマン『Live at Smalls』(Smalls Live、2013年)を聴く。

David Berkman (p)
Tom Harrell (tp)
Ed Howard (b)
Jonathan Blake (ds)

このピアニストの演奏をはじめて聴く。決して尖ってはいないし、破綻に向けてバウンダリーを突き破ろうとするあやうさもない。しかし、なのか、だから、なのか、素晴らしい深みを持っていて、特に、故ケニー・カークランドに捧げられた「For Kenny」では情感の熟成のようなものを見せる。そういえば、カークランドもそのようなピアニストだったと言えるのかな。(旧ブルーノートでケニー・ギャレットのライヴを観に行ったとき、サックスを持っていたところ、おおサクソフォンと気さくに声をかけてきたことを覚えている。)

しかしそれよりも存在感を強烈に示すのは、トム・ハレルのトランペットである。ファジーな音とフレージングであり、まるで分厚い雲に包まれているような印象を覚える。コアが見え隠れして、目を凝らすと(耳を澄ますと?)、それは震えて身をかわしてしまう。

こんなライヴを「Smalls」のような親密な空間で観ることができたらどんなにいいか。

●参照
トム・ハレル@Village Vanguard
トム・ハレル『Trip』
トム・ハレル『Colors of a Dream』


ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』

2015-04-13 22:37:41 | 思想・文学

積読だった、ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』(上下、河出文庫、原著1972年)をようやく読む。

洗練された『千のプラトー』(1980年)と比べるとまだ粗削りな印象があるが、その分、世界を語りつくそうとするかのようなエネルギーを感じる書である。わたしのような者にはとても受け止めきれないから、これまでのように、音楽を聴くように、ドゥルーズ=ガタリの語りに身をゆだねる。そのような怠惰な付き合い方でも、かれらのヴィジョンを、文字通りイメージとして思い描くことができる。

家族や父母子といった言説は権力を伴うコードである。それはいつでも、少なくない者が、世界への拭い去ることができない違和感としてよく知っていることだ。フロイト流の精神分析によるエディプス神話も、さらにはエスや超自我といった構造も、コードへの愚鈍な固執の象徴なのである。すなわち、構造があってそれによる結果を語るのではなく、コードを形成しながらそのコードについて語る愚鈍さの飽くなき再放送。「それはあなたの父に対する深層心理ですね」「はっそうだった、私には父がいて、私は深層心理を抱いているのだった」というわけだ。

このヴィジョンからは、コードを逸脱し逃走線を描き続けるように、分裂症的に、あらゆるものに触手をのばし生産を行うことができる資本主義こそが、最強の社会システムなのだった。さらには、すでにこの時代において、新自由主義のからくりを見破るような記述もあることには驚かされてしまった。

●参照
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(上)
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(中)
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(下)
ジル・ドゥルーズ『フーコー』
ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ『ディアローグ』
フェリックス・ガタリ『三つのエコロジー』
廣瀬純『アントニオ・ネグリ 革命の哲学』
廣瀬純トークショー「革命と現代思想」
平井玄『彗星的思考』


2015年4月、ニューヨーク

2015-04-12 23:32:02 | 北米

すべて、ライカM4、Summicron 50mmF2.0、Fuji 400H

●参照
2014年6月、ニューヨーク(1) ミッドタウン
2014年6月、ニューヨーク(2) メトロ
2014年6月、ニューヨーク(3) イースト・ヴィレッジ
2014年6月、ニューヨーク(4) ハーレム
2014年6月、ニューヨーク(5) ブルックリン
2014年6月、ニューヨーク(6) 世界貿易センター
2014年6月、ニューヨーク(7) 自由の女神とエリス島
2014年7月、ニューヨーク(8) チェルシー


オリン・エヴァンス『"... It Was Beauty"』

2015-04-12 22:00:47 | アヴァンギャルド・ジャズ

オリン・エヴァンスのビッグバンドにおけるシンプルなピアノが気になって、かれのピアノトリオ『"... It Was Beauty"』(Criss Cross Jazz、2013年)を聴く。人気がさほどでもないのだろうか、新しいビッグバンドもこの盤もアウトレット扱い。

Orrin Evans (p)
Eric Revis, Ben Wolfe, Luques Curtis (b)
Donald Edwards (ds)

やはりと言うべきか、限られた音をコキーンコキーンと弾いている。和音もそんなに重ねない。アーマッド・ジャマルに通じるようなブルースのスタイルである。つまり、ダンディでかなりイケている。

かれの手にかかれば、オーネット・コールマンの「Blues Connotation」もまるで別の雰囲気だ。そしてさらに音数を絞った「Rockin' Chair」。『真夏の夜のジャズ』においてサッチモが歌っていた印象が強い曲だが、それがユーモラスで暖かいものであったのに対し、これは本当に聴き手がロッキンチェアと化す。わたしは夜中に聴いていて、突然居眠りをして椅子から横に崩れ落ち、オーディオの棚でこめかみを強打した。まだ痛い。

●参照
オリン・エヴァンスのCaptain Black Big Band @Smoke


クリス・ピッツィオコス+フィリップ・ホワイト『Paroxysm』

2015-04-12 13:35:24 | アヴァンギャルド・ジャズ

クリス・ピッツィオコス+フィリップ・ホワイト『Paroxysm』(Carrier Records、2014年)を聴く。

Chris Pitsiokos (as)
Philip White (electronics)

『Maximalism』が持てる霊力をダイレクトに吐いたのに対し、これはまたかなり色彩が異なる。

パートナーはエレクトロニクスの音を駆る。それに抗し、絡みつき、明らかに共存の意思を示さんとしたピッツィオコスのアルトサックスである。エレクトロニクスの偽装というべきか、エレクトロニクスへのメタモルフォーゼというべきか、そのような瞬間がつぎつぎにあらわれる。本能であっても、戦略であっても、驚くべきことだ。

それにしても、ピーター・エヴァンス、スティーヴ・リーマンなど、エレクトロニクスとの対立・共存の音楽を模索する活動が目立っているようで、面白いかぎりだ。傍目にはピッツィオコスのサックスとの類似性について言いたくなるエヴァン・パーカーのエレクトロアコースティック・アンサンブルなどを、かれらはどれほど意識しているのだろう。

●参照
クリス・ピッツィオコス『Maximalism』
クリス・ピッツィオコス@Shapeshifter Lab、Don Pedro


クリス・ピッツィオコス『Maximalism』

2015-04-11 09:50:03 | アヴァンギャルド・ジャズ

クリス・ピッツィオコス『Maximalism』(Eleatic Records、2013年)を聴く。ニューヨークのDowntown Music Galleryで購入した(本人もそこで働いている)。他のCDとLP 1枚ずつは本人から買った。それ以外はもうソールドアウトだという。

Chris Pitsiokos (as, syn)
Weasel Walter (ds, perc)
Ron Anderson (g)

内臓まで噴き出すのではないかというほどの音である。狭い隘路から猛烈なエネルギーが放出され、通過する箇所のあちこちをびりびりと震わせているような・・・。ギターの電子的ノイズに対しても、サックスとしてではなく音を発する者として全身で対峙する。ときに鳥のような音も発するが、可愛い小鳥ではなく、それは小鳥と猛禽とが合体したキメラだ。

●参照
クリス・ピッツィオコス@Shapeshifter Lab、Don Pedro