「NNNドキュメント'15」枠で放送された『“じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー』(2015/2/22放送)を観る。
パラオ・ペリリュー島では、日米の殲滅戦が行われた。米国は、フィリピンを攻略するためにペリリュー島の滑走路(日本軍がつくり、まだ残されている)を欲し、1943年9月、上陸した。日本軍は、防空壕や洞窟を利用した持久戦を展開したが、結果的に、1万人余のうち34名しか生き残ることができなかった。多くの米兵も死んだ。米軍がレイテ島を直接攻撃し、ペリリュー島の戦略的意義が失われても、狂気の戦闘は続けられた。
これが、その後、「本土防衛の捨て石」として展開される硫黄島や沖縄戦のはじまりであり、また、それらの場所では、火炎放射器やナパーム弾がより大規模に使われることとなった。
このドキュメンタリーでは、95歳になる数少ない生き残りの土田さんが、孫娘を連れて、何度目かのペリリュー島訪問を行うところを追う。土田さんは、終戦後、2年間もそれと知らず壕に隠れていた。そして、土田さんは、勝っても負けても戦争はしてはいけないものだと言う。孫娘も、祖父の体験を伝えていかなければならないという決意を語る。
戦争体験の継承は、これを含め、数多くなされ、紹介されている。問題は、戦争を知る世代が確実にいなくなってきているという厳然たる事実なのである。
●参照
『沖縄 島言葉(しまくとぅば)の楽園』、『狂気の戦場 ペリリュー』
●NNNドキュメント
『100歳、叫ぶ 元従軍記者の戦争反対』(2015年)
『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』(2014年)
大島渚『忘れられた皇軍』(2014年)
『ルル、ラン どこに帰ろうか タンチョウ相次ぐ衝突死』(2013年)
『狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言』(2013年)
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013年)
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』、『基地の町に生きて』(2008、11年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『風の民、練塀の街』(2010年)
『証言 集団自決』(2008年)
『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』(1979、80年)
『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1971、79年)
『沖縄の十八歳』、『一幕一場・沖縄人類館』、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』 (1966、78、1983年)