Sightsong

自縄自縛日記

保阪正康『日本原爆開発秘録』

2015-07-18 03:33:16 | 環境・自然

保阪正康『日本原爆開発秘録』(新潮文庫、原著2012年)を読む。

あまり知られていないことだが、日本では、戦中に原爆の開発が進められていた(山本義隆『原子・原子核・原子力』でも言及されている)。しかし、それは開発と言えるような水準のものではなかった。むしろ、工学の領域に入る前段階の基礎研究といったものに近かった。ウラン235の濃縮も中性子の生成もうまくいかなかった。

開発に関わった科学者たちの水準が低かったのではない。陸軍が抱えた理化学研究所では、仁科芳雄をリーダーとして、湯川秀樹、朝永振一郎らが在籍し、東京帝大の嵯峨根遼吉らと連携した(長崎への原爆投下後、アメリカの科学者たちから嵯峨根宛てに戦争を止めるよう書いたメッセージが投下されたことは有名である)。また、海軍が抱えた京都帝大にはやはり湯川秀樹が在籍し長岡半太郎や仁科芳雄らと連携した。重なるメンバーもいるが、基本的には、仲の悪い陸軍・海軍それぞれで予算を付けて研究を進めさせた。

このように世界的にもトップ水準の頭脳がいても、もっと資本を投入し、国家を挙げたプロジェクトチームを作らなければ、理学から工学へと突き進み、「悪魔の兵器」を製造することなどできなかった。それが可能なのはアメリカだけであった(マンハッタン計画)。

しかし、仁科らは、日本軍が期待するような短期間で原爆の開発を行うことなど不可能だと知っていた。それを認識しながら、自由な研究活動と予算を確保できる体制を選んだということだ。広島への原爆投下後、仁科はすぐにそれを原爆であると悟ったという。しかし、陸軍に対し、このまま戦争を続けていてはさらに原爆が投下される可能性があることを、進言することはなかった。

理化学研究所には、陸軍から、国内でウラン鉱石を探索するよう指示があった。福島県の石川町では、ウラン鉱がある可能性など限りなく低いにも関わらず、中学生(現在の高校生)が足を血だらけにしながら、敗戦まで、採掘した石を運び続けたという。胸が痛くなる史実だ。

科学者たちは、原爆製造など日本では不可能と知りながら体制を利用して研究を続け、一方では、将来のエネルギー源としての可能性を口にしていたという。戦後の「原子力の平和利用」につながる芽を、ここに見ることができる。実態を理解できない日本軍は、とにかく敵国にダメージを与える大量破壊兵器の完成を切望し、さらに噂となって(マッチ箱程度のもので大都市を殲滅しうる、というような)、不利な戦局打開を望む世論とも同調した。そして、戦後、「原子力の平和利用」の名のもとに、実に奇妙な政治主導が行われた。「平和」という曖昧なイメージによって個々の問題を糊塗するあり方は、「大東亜共栄圏」と本質的に同じだというのが、著者の見立てである。

すなわち、戦前から戦後の原子力技術開発の変遷を見ていくことで、科学者、市民、軍の倫理意識が垣間見えるわけである。

●参照
山本義隆『原子・原子核・原子力』
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
太田昌克『日米<核>同盟』


ヨハネス・ウォールマン『The Town Musicians』

2015-07-16 23:39:28 | アヴァンギャルド・ジャズ

ヨハネス・ウォールマン『The Town Musician』(Fresh Sound、2013年)を聴く。

Johannes Wallman (p)
Gilad Hekselman (g)
Russ Johnson (tp)
Sean Conly (b)
Jeff Hirshfield (ds)
Dayna Stephens (ts)

何しろ全員のプレイが綺麗すぎて、ニュートリノのようにまったく反応せずに耳と脳を通過してしまう。2曲にのみ参加しているデイナ・スティーブンスを聴きたさに入手したようなものなのだが、そのデイナもニュートリノ化。かれには混濁して熱い場所のほうが似合うような・・・。

いや、よく聴くとみんなそれなりにカッコいいのだが、どうも、はみ出したりおかしいことをしていたりしなければどこにも引っかからない模様。最近、トマトやアロエやオレンジで少しだけ味を付けたミネラルウォーターをよく飲むのだが、それに近い印象である。それに比べれば、たとえば、ハービー・ハンコック『Maiden Voyage』などはいまだに鮮烈で、ミネラルウォーターなどではなくキンキンに冷えた旨い井戸水。

もうちょっと物分かりがよくなったらふたたび聴こう。

●参照
ジョン・エイベア@The Cornelia Street Cafe(2015年)(デイナ・スティーブンス参加)
デイナ・スティーブンス『Peace』(2014年)
テオ・ヒル『Live at Smalls』(2014年)(デイナ・スティーブンス参加)
デイナ・スティーブンス『I'll Take My Chances』(2013年)
デイナ・スティーブンス『That Nepenthetic Place』(2010年)


富樫雅彦『風の遺した物語』

2015-07-16 09:51:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

ふと思い出して、LP棚から、富樫雅彦『風の遺した物語』(Columbia、1975年)を取り出して聴く。

富樫雅彦 (perc)
高木元輝 (ss, perc)
池田芳夫 (b, perc)
翠川敬基 (cello, b)
豊住芳三郎 (perc)

一聴すると題名通りの爽やかな音楽だ。しかし、それなりの音量で、場を共有する感覚でじっくり聴いてみると、これは「爽」などではなく「狂」であることが否応なく伝わってくる。

リズムの創出を率いるのは、当然、富樫雅彦。妖刀の切れ味を持つ本人のパーカッションだけでなく、翠川敬基を除く全員と、場合によっては録音スタッフまでもがパーカッションや鈴を持ち、同時多発的、分散的な複合リズムを創り出す。それは静かな狂える祭なのであって、その中心に、服を着たパーカッションこと富樫雅彦が座っている。そして、どこからともなく聞こえてくるような高木元輝のソプラノ。

●参照
富樫雅彦が亡くなった(2007年)
『富樫雅彦 スティーヴ・レイシー 高橋悠治』(2000年)
富樫雅彦『セッション・イン・パリ VOL. 1 / 2』(1979年)
富樫雅彦『かなたからの声』(1978年)
翠川敬基『完全版・緑色革命』(1976年)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(1976年)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『新海』、高木元輝+加古隆『パリ日本館コンサート』(1976、74年)
小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』(1968年)(富樫雅彦のパーカッション・ソロ)


アンドリュー・シリル『What About?』

2015-07-15 07:15:52 | アヴァンギャルド・ジャズ

アンドリュー・シリル『What About?』(Affinity、1969年)。シリルの完全パーカッション・ソロである。LPがカット盤(片隅にパンチ穴が開けられている)で安かったので、思わずつかんでしまう。

Andrew Cyrille (per)

ささやかで消えてしまいそうな音、クリスタルが美しく割れてみせるような音、がらんどうのものがアクシデントで発するような割れた音、こちらに聴かせようとする音、そういったものが、勢いによってではなく、統制の取れた意図によって持続的に発せられている。

この強靭な知があってこそ、全盛期のセシル・テイラーと互角に組むことができたに違いない。シリルのプレイを目にするとわかることだが、いまだキレキレのプレイを、武術の達人のように平然とこなしてみせる人である。

●参照
トリオ3@Village Vanguard(2015年)
ビル・マッケンリー+アンドリュー・シリル@Village Vanguard(2014年)
トリオ3+ジェイソン・モラン『Refraction - Breakin' Glass』
US FREE 『Fish Stories』(シリル参加)
アンドリュー・シリル『Duology』
アンドリュー・シリル+グレッグ・オズビー『Low Blue Flame』
アンドリュー・シリル『Special People』
ビリー・バング+サン・ラ『A Tribute to Stuff Smith』(シリル参加)


佐谷眞木人『民俗学・台湾・国際連盟』

2015-07-13 23:24:09 | 中国・台湾

佐谷眞木人『民俗学・台湾・国際連盟 柳田國男と新渡戸稲造』(講談社選書メチエ、2015年)を読む。

本書に取りまとめられているのは、新渡戸稲造~柳田國男~矢内原忠雄という思想の系譜である。新渡戸は、農学者として植民地台湾に赴任したことも契機として、それぞれの民族はそもそも違う特質を持つものであるからゆくゆくは独立すべきだ、という民族自決権の考えを持っていた。もちろん、ここには、台湾の民政長官を務めた後藤新平の開発独裁とも関連して、優位に立つ日本がそれを導いていくのだというパターナリズムや、驚くほどの差別意識があった。しかし、やがて支配的となる同化方針よりは遥かにまともであった。

柳田國男も矢内原忠雄も、新渡戸の薫陶を受けて、同様の思想を育てていった。ただ、柳田が独特だったのは、それが日本の地域ごとの独自性を見出していく方向に走っていったことだった。柳田は、すでに国際連盟の要職に就いていた新渡戸に引っ張られるかたちで、国際連盟で委任統治に関する委員に就任した。しかし、話し言葉としての英語やフランス語の壁に当たり、職を辞した。著者の見立てによれば、それが新渡戸との喧嘩別れの原因になった。このあたりは、いまも海外で仕事をする日本人の障壁であり、柳田がその大先輩だと思うと不思議な気持ちになる。

柳田は、後年、日本の源流を琉球に見出す(『海南小記』等)。この物語的学説について、村井紀『南島イデオロギーの発生』においては、日韓併合に関与した高級官僚としての柳田の傷心を糊塗するものだとしているのだが、著者は、その仮説を根拠なきものとする。柳田の個人的な問題だけではなく、社会全体の南島幻想を検証する必要があるというわけである。確かに『南島イデオロギーの発生』を読んだとき、やや断定的に感じたことも事実である。しかし、このような学説をリードしたのは柳田という個人であったのではないかとも思うがどうか。

●参照
柳田國男『海南小記』
村井紀『南島イデオロギーの発生』
小熊英二『単一民族神話の起源』
高良勉『魂振り』
西銘圭蔵『沖縄をめぐる百年の思想』
与那原恵『まれびとたちの沖縄』
伊波普猷『古琉球』
伊佐眞一『伊波普猷批判序説』
島尾敏雄対談集『ヤポネシア考』 憧憬と妄想
岡本恵徳『「ヤポネシア論」の輪郭 島尾敏雄のまなざし』
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』


エヴァン・パーカー+吉沢元治『Two Chaps』

2015-07-12 08:15:32 | アヴァンギャルド・ジャズ

エヴァン・パーカー+吉沢元治『Two Chaps』(ちゃぷちゃぷレコード、1996年)を聴く。

Evan Parker (ts, ss)
吉沢元治 (b)

CDジャケットの裏面には、エヴァン・パーカーのツアーのチラシ(1996年)が印刷されている。1996年4月21日の歌舞伎町ナルシスからはじまって(ナルシスの壁には、そのときの写真が貼られている)、5月3日の横浜エアジンまで。

この演奏は4月29日、山口県のカフェ・アモレスでの記録であり、わたしは、その2日後の5月1日に、世田谷美術館ではじめて彼の演奏に接した。あまりエヴァンのことは名前くらいしか知らずに行ったのだが、それまでの体験を遥かに超える音だった。世の中にこのような人がいるのかという驚愕だった。

そんなわけで、20年近く前のことを思い出しながら聴いているのだが、やはり、エヴァンの循環奏法の密度が半端なく高い。いったんかれの音に集中すると耳が貼り付いてはがすことができなくなり、ちょっと吐きそうにさえなってしまう。

そのような高密度のサックスの波動が、吉沢元治の柔軟に即応するベースとともに大きな波を創り出している。これはエヴァンにとっても最良の演奏なのではないか。

●参照
シュリッペンバッハ・トリオ『First Recordings』(エヴァン・パーカー参加)
シュリッペンバッハ・トリオ『Gold is Where You Find It』(エヴァン・パーカー参加)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(エヴァン・パーカー参加)
『Rocket Science』(エヴァン・パーカー参加)
ネッド・ローゼンバーグの音って無機質だよな(エヴァン・パーカー参加)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(エヴァン・パーカー参加)
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』(エヴァン・パーカー参加)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(エヴァン・パーカー参加)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(エヴァン・パーカー登場)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(エヴァン・パーカー登場)
吉沢元治ベース・ソロ『Outfit: Bass Solo 2 1/2』、『From the Faraway Nearby』
高木元輝の最後の歌(吉沢元治参加)
友惠しづね+陸根丙『眠りへの風景』(吉沢元治登場)


植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」

2015-07-11 22:41:15 | 政治

植民地文化学会主催のフォーラム「内なる植民地(再び)」に足を運んだ(2015/7/11、江東区東大島文化センター)。会場は、1923年の関東大震災の直後に、多くの中国人や朝鮮人が殺された場所の近くである。水運のために中川と日本橋をつないだ小名木川には、多くの遺体が浮かんだという。

「内なる植民地」とは何か。植民地文化学会代表理事の西田勝さんより説明があった。国内にも心の中にも植民地主義は巣食っている。前回(2014年)のフォーラムでは、そのような背景があって「内なる植民地」を掲げたのだが、継続すべきテーマであり、「(再び)」を付したのだとのこと。また、座長の纐纈厚さん(山口大学)からは、「戦後、内なるファシズムを脱却できないでいるうちに、アベ的なものが現れた」との発言があった。

問題提起は4氏による。

※文責は当方にあります。

■ 【フクシマ】 エネルギー植民地としての福島 本田雅和(朝日新聞記者)

○「3・11」後、福島第一原発から25km離れた南相馬市に居を構えた。20km圏内はいまだ除染が進まないし、人の手も入らない。
○約1万6千人の死者の多くは一夜にして亡くなっている。しかし、原発事故のために避難せざるを得ず、「助かった命」であったが救出できなかった人も少なくない。
○今も22.9万人が避難生活を送り、その半数近い9.79万人以上が福島からの避難者である。いわば難民である。
○本来は短期間だけ使うはずの仮設住宅には、まだ多くの人が住んでいる。若い人は他へと移転し、そこに生活の根拠ができると、戻ることはない。その結果高齢化が進み、その人たちの希望は「戻りたい」「家族一緒に暮らしたい」ということ。福島の人は声を出さないと言われることがあるが、単純な問題ではない。うめきやため息は聞こえてくる。
○かつて、「村八分」になりながらも、何十年も原発の恐怖を詩に書いていた佐藤祐禎という農民詩人がいた(『青白き光』)。しかし、アカデミズムもジャーナリズムもそのような活動を取り上げることは少なく、いまだ、多くの人の共有財産とはなっていない。
○沖縄は米軍基地を押し付けられたが、福島は原発を誘致したという違いがあると言ったところ、金城実さんに「バカヤロウ」と一喝された。「オキナワでも、カネをぎょうさんもろうて基地に賛成しとる手先はいっぱいおる」と。

■ 【少数民族】 アイヌ民族否定論を駁する 岡和田晃(文芸評論家)

○「アイヌ民族はもういない」と発言した札幌市議(その後落選)など、アイヌ民族を否定するヘイトスピーチを吐く公人がいた。それに煽られた多数のネットユーザーが、攻撃的なデマを拡散した。その者たちに共通するのは、何ら知識を持つことなく発言することであった。
○マイノリティを「外部」として設定し、彼らに<憑依>することでその真意を代弁するつもりになったマスメディア(<マイノリティ憑依>)。それを過剰に内面化して仮想敵とみなし、社会の真の弱者を自認する者たちが、その原因を生み出した権力ではなく、マイノリティを攻撃するに至った可能性がある。すなわち、本質的に、相手がアイヌ民族であろうと在日コリアンであろうと誰でもよかった。
向井豊昭という作家がいた(1933-2008年)。かれは征服者=和人の立場から、アイヌ民族を創作のモチーフにした。日本近代文学では稀な存在であった。かれは小熊秀雄という詩人に魅せられ、また批判もした。小熊の叙事詩「飛ぶ橇」(1935年)に出てくるイメージが、アイヌを征服した和人の言語感覚から由来するものだとして。その批判的視線が、自分自身にも向けられたものであることを、向井はよく知っていた。
『アイヌ民族抵抗史』(1972年)を書いた新谷行も、征服される者からみた歴史を語る者であった。新谷はアイヌの血が自身に入っていることをカミングアウトするのだが、そのことは敢えて言わず、細かなひだをかきわけるように、屈折して同書を書いたのだった。

 

■ 【女性】 「満洲」女性作家呉瑛の場合 岸陽子(中国文学研究家)

○中国東北地方の女性作家たちは、女性、「満洲」という二重の圧迫を受ける存在であった。
○さらに戦後は、「売国奴の文学」として扱われた。しかし、銭理群(北京大学)という研究者は「設身処地」、すなわち、「そこに人間が存在するかぎり、人間の精神活動があるかぎり、文学は生まれる。必ず語る者が現れ、あれこれの声を発する」として、「満洲」文学の研究をはじめた。
呉瑛という女性作家は、満洲族として吉林省に生まれた。日本に利用され、体制に沿った活動をしてはいたが、それでも官憲には危険人物として睨まれていた。いかに思想統制が厳しかったかということだ。戦後、売国奴扱いされることを避け、南京へと移った。
○呉瑛が書いた小説(『両極』など)では、旧いものが残されたまま日本の近代化が持ち込まれ、新旧が切り結ぶことなく分断した姿が描かれた。主体的に受容したのではない近代化は、個人の空洞化をももたらしたのだった。

■ 【在日】 ヘイトスピーチに抗して 梁英聖(一橋大学大学院)

○ヘイトスピーチは言葉にできないほど酷い差別であり、当然、レイシスト以外はこれを駄目だとする。
○話題になりはじめたのは2013年から、しかし、実態としてはその前からあった。また、発せられる言葉自体は百年前からあるものだ(「不逞鮮人」など)。
○何が過去と異なるか。それはレイシズムが暴力に達していることだ。
○ヘイトスピーチは暴力ゆえ視える。レイシズムは視えない。ヘイトスピーチはレイシズムの一部なのであって、前者だけを取り出して言論の自由などと論ずるのはおかしいことである(日本のみ)。実際に、日本における反レイシズムの規制や理解は、欧米より二周遅れている。
○まずは、レイシズムの可視化が必要である。低次元だが、そこからはじめなければならない。可視化されていないからこそレイシズムが視えないのである(セクハラが可視化されてはじめてセクハラをセクハラと認識できるようになったのと同様)。
○ただの差別意識が暴力にまで至るとき、上からの差別の煽動がなされることが多い。すなわち、キーワードは国家と政治空間である。関東大震災直後の虐殺も、軍隊や警察による上からの煽動があった。石原元都知事の「三国人」発言も、上からの煽動である。日本ではまだ、レイシズムが政治空間に入り込んでしまっている。
○レイシズムが暴力につながる回路はもうできている。もし何かあったときに、上からの煽動があったら、ヘイトクライムやジェノサイドは現実のものになりうる。
○したがって、批判されやすい「シングルイシュー」ではあるが、反レイシズムで一点突破することが必要である。それは他のシングルイシューを呼び寄せる結節点となるだろう。

 

■ コメント 李恢成(作家)

○現在、戦前レジームへの回帰がなされている。戦後の総括が極めて甘いものだったことも理由のひとつだ。
○アイヌ民族否定論は地域的な問題なのではないか。問題の根底には、これまで日本がアイヌを差別的に扱ってきたことがあるのではないか(たとえば、本庄陸男『石狩川』にもアイヌは出てこない)。
小熊秀雄の『飛ぶ橇』は好きな作品だ。かれの作品には、アイヌも朝鮮人も登場する。そのような目を持った人だった。
○長見義三『アイヌの学校』では、和人(シャモ)とアイヌが共生しようとする。モラリッシュでヒューマンな作家の戦いである。また、鶴田知也『コシャマイン記』には、アイヌが感謝して作家の碑を建てた。こうした文学活動はもっと知られるべきだ。
○「やられた、やられた、やられた、やっつけた、やっつけた」ではないのだ。内と外とを、全体を見る視点が必要なのだ。
○人間は完全な存在ではない。戦争になれば、制御できないものが間違った形であらわれる。戦争はかならず性被害者を生み出す。慰安婦だけではなく、サハリンにおけるソ連兵によるレイプもそうだ。
○高見順は、『高見順日記』において、ビルマで慰安婦と寝たことを告白した。隠して尤もらしいことは書けないという、文学者としての精神性に賭けて書いたものであっただろう。韓国の民主化運動においても、運動にかかわる著名な者が、自分も仲間もそのような行為をしたのだと告白・告発した。その後、運動には関与しなくなった。アイデンティティを求め、沈黙に走ったのである。
○戦争が精神を破壊していく姿を追っていかないと、問題は、セクショナリズムの浅いところにとどまったままだろう。

■ コメント 岡田英樹(中国文学研究者)

○呉瑛の作品に、植民地であるがゆえの問題は見出されているのか。一般的な、封建社会から近代社会への移行という視点ではカバーできないのか。もっと分析が必要である。

 

■ コメント 岸陽子

○日本人の中には、満洲に結果として近代をもたらした、女子教育を改善した、いいことをしたのだという意見を持つ者が少なくない。
○それに反駁するために、この論点を取り上げた。自発的でない近代化は、個人の幸福は生まず、空洞を作り出してしまう。
○(中国東北地方出身の若い方がコメント)いまの若い人には、「結果としてよかった」などと言う者はいない。

■ コメント 本田雅和

○法規制でレイシズムは無くならない。レイシズムの底辺は、小市民(ファシズムを支える市民)による沈黙・容認である。関東大震災直後の虐殺を実行したのは、自警団という一般民衆だったのではないのか。ユダヤ民族を虐殺したクリスタルナハト(水晶の夜)もそうであった。
○シングルイシューでは不十分であり、しなやかな対応が必要なのではないか。
○上からの規制ではなく、下からのゲリラ的な運動こそが必要なのではないか。

■ コメント 岡和田晃

○インターネット時代にあって、アイヌ民族否定論は地域にとどまらない現象となっている。実際に、銀座でのデモがなされた。
○これに限らず、ヴァーチャルな仮想敵が設定されている。

■ コメント 梁英聖

○本田氏の指摘も正しいものである。しかし、シングルイシューに限界があるからこそ、シングルイシューが重要なのだ。
○自律性のない小市民に潜在的なレイシズムはあるのだろう。そのガスは抜かなければならない。しかし、ガスが充満している部屋で火を付けようとする輩を止めることがまずは必要なのではないか。

●参照
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(2013年)
新谷行『アイヌ民族抵抗史』
瀬川拓郎『アイヌ学入門』
田原洋『関東大震災と中国人』
加藤直樹『九月、東京の路上で』
藤田富士男・大和田茂『評伝 平澤計七』
李恢成『またふたたびの道/砧をうつ女』
李恢成『流域へ』
李恢成『沈黙と海―北であれ南であれわが祖国Ⅰ―』
李恢成『円の中の子供―北であれ南であれわが祖国Ⅱ―』


チコ・フリーマン+ハイリ・ケンツィヒ『The Arrival』

2015-07-11 08:37:34 | アヴァンギャルド・ジャズ

チコ・フリーマン+ハイリ・ケンツィヒ『The Arrival』(Intakt Records、2014年)を聴く。

Chico Freeman (ts)
Heiri Kanzig (b)

チコの新作はベースとのデュオ。ハイリ・ケンツィヒという人とは、2013年のライヴでチコが急いでベーシストを探していて急遽参加、意気投合したという経緯があるようだ。柔らかい音である。

それでチコはというと、端正にロジカルなフレーズを積み上げていくチコ節。要するに、もう何にも変わっていない。もちろんつまらないわけではなく、聴けばああチコだなという癖がある。わたしはチコのテナーを偏愛するのでそれだけでよい。かれの名曲「To Hear a Teardrop in the Rain」のほか、コルトレーンの「After the Rain」、意表をついてスローな「Dat Dere」も演奏している。

●参照
チコ・フリーマン『Elvin』(2011年)
チコ・フリーマン『The Essence of Silence』(2010年)
最近のチコ・フリーマン(1996, 98, 2001, 2006年)
サム・リヴァースをしのんで ルーツ『Salute to the Saxophone』、『Porttait』(1992年)
チコ・フリーマンの16年(1979, 95年)
ヘンリー・スレッギル(4) チコ・フリーマンと(1976年)


高木元輝『不屈の民』

2015-07-10 23:03:41 | アヴァンギャルド・ジャズ

高木元輝『不屈の民』(ちゃぷちゃぷレコード、1996年)を聴く。

高木元輝 (ts)

1970年代にスティーヴ・レイシーに出会い、高木元輝のプレイはレイシーの影響を受けたのだと言われる。その話を聞いてはいてもピンとくることがなかったのだが、ここで聴くことができる高木のプレイには、明らかにレイシーが重なっている。ソプラノでなくテナーであり、レイシーよりもエアを含んだブロウではある。しかし、内省的なフレージングも、虚空をさまようようなヨレ具合も、落ちをつけるようなベンドも、やはりレイシーだ。

それにしても、1996年。わたしが2000年にただ一度だけ高木元輝のプレイを観たときには、そのような影響を感じさせる要素は微塵もなかった。完全サックス・ソロという立ち向かい方が、身体と脳に深く刻まれたレイシーを引き出したのだろうか。

●参照
高木元輝の最後の歌(2000年)
2000年4月21日、高木元輝+不破大輔+小山彰太
1984年12月8日、高木元輝+ダニー・デイヴィス+大沼志朗
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(1976年)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『新海』、高木元輝+加古隆『パリ日本館コンサート』(1976年、74年)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』(1971年、75年)


ルイス・モホロ+マリリン・クリスペル『Sibanye (We Are One)』

2015-07-10 00:21:52 | アヴァンギャルド・ジャズ

ルイス・モホロ+マリリン・クリスペル『Sibanye (We Are One)』(Intakt Records、2007年)を聴く。

Louis Moholo-Moholo (ds)
Marilyn Crispell (p)

手に取ったときのイメージは「美女と野獣」だが、実際に聴いてみてもそのイメージが増幅される。

モホロは非常に力強く、ひたすらにサンドバックを拳で打ち続ける。その音が響くボクシングジムのなかで、クリスペルは、あちらからこちらへと分身と瞬間移動する。しかも、冗談のように優雅に謎めいている。すでにクリスペルに魅せられてしまったわたしにとって、彼女は美女というより魔女なのだ。

最近、同じIntakt Recordsからクリスペルとジェリー・ヘミングウェイとのデュオが出されたようなので、そちらも聴いてみたいところ。

●参照
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2)(2010年)(ルイス・モホロ参加)
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2007年)(ルイス・モホロ参加)
イレーネ・シュヴァイツァーの映像(2006年)(ルイス・モホロ参加)
ルイス・モホロ+ラリー・スタビンス+キース・ティペット『TERN』(1977年)
マリリン・クリスペル+ルーカス・リゲティ+ミシェル・マカースキー@The Stone(2015年)
「ニューヨーク、冬の終わりのライヴ日記」(2015年)
マリリン・クリスペル+バリー・ガイ+ジェリー・ヘミングウェイ『Cascades』(1993年)
ペーター・ブロッツマン(マリリン・クリスペル参加)
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)(マリリン・クリスペル参加)
映像『Woodstock Jazz Festival '81』(1981年)(マリリン・クリスペル参加)


藤井忠俊『国防婦人会』

2015-07-09 22:52:16 | 政治

藤井忠俊『国防婦人会 ―日の丸とカッポウ着―』(岩波新書、1985年)を読む。

「国防婦人会」(国婦)は、1932年にわずか40人で結成された。のちに割烹着に白いタスキ姿が象徴的な存在となるその集団は、出征兵士を見送る女性たちであった。しかし多くは若い独身の兵士には直接的な関係がなく、家族でも妻でも恋人でもなかった。むしろ、「母」の構造なのであった。

国婦の特徴は、無思想と庶民性。当時すでに大勢の会員を擁していた「愛国婦人会」はオカネ持ちの集団であり(献金を行うときには目立つ存在であった)、また、羽仁もと子などに代表される先進的な思想を掲げた集団は広がりを持ちえなかった。それゆえに、国婦は、陸軍にとって社会統制のための使いやすい存在となり、急成長していった。

はじめは、哀れな若者を慰撫する活動。それは根本的に、戦争を所与の前提としてとらえる発想であった。やがて、戦争のために若者を送り出す活動、そして、戦争遂行を支えるために、歪な「イエ」制度を守り、無理な節約を進め、無理な食糧増産に励むほうへと進んでいった。そして、この構造は、「隣組」という相互監視の仕組として完成した。国家管理を下から引き受けるファシズムである。

これがどれだけ恐ろしいことか。藤田省三が説いた大小無数の天皇制社会にも近いものがある。

国婦や愛婦を含めた婦人団体は、1942年に統合され、「大日本婦人会」となり、それが戦後の婦人会にも引き継がれている側面があるという。なお、1943年の大日本婦人会のスローガンは以下の通りである。

一、誓って飛行機と船に立派な戦士を捧げましょう。
二、一人残らず決戦生産の完遂に参加協力いたしましょう。
三、長袖を断ち決戦生活の実践に蹶起いたしましょう。

●参照
『藤田省三セレクション』
多木浩二『天皇の肖像』


2000年4月21日、高木元輝+不破大輔+小山彰太

2015-07-08 07:09:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

先日、不破大輔さんが仰天する録音を送ってくださった。2000年頃、高木元輝の横浜エアジンでのライヴ。不破さんが小山彰太さんと車中でこの音源を聴いていて、やはり凄いという話になったという代物だ。

高木元輝 (ts)
不破大輔 (b)
小山彰太 (ds)

調べてみると、おそらく2000年4月21日。だとすると、わたしはその翌日、渋谷7th Floorにて高木元輝のプレイを観ている(ドラマーは大沼志朗さんだった)。最晩年の貴重きわまりない記録であり、この頃の演奏は、翌年同メンバーで録音された『2001.07.06』(地底レコード)が出されているのみ。

イヤホンで大音量で聴くと、いや、血が沸騰して血圧が急上昇する。「Lonely Woman」を引用しながらの、紛れもないアジアン・ブルースである。不用意にアジアだとか民族だとかに結び付けるのは安易、ならば、東アジアの人である高木ブルース。豪雨のあとの泥流だ。底知れない深みがあって、絶望や叫びが込められているようでもある。不破さんの同音でグイグイと駆動するベースも、独立国家を創り出し続ける小山彰太節のドラムスも素晴らしい。電話の音やヒソヒソ話には妙な臨場感があって、エアジンに座っているような気がする。

●参照
高木元輝の最後の歌(2000年)
1984年12月8日、高木元輝+ダニー・デイヴィス+大沼志朗
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(1976年)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『新海』、高木元輝+加古隆『パリ日本館コンサート』(1976年、74年)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』(1971年、75年)
不破大輔@東京琉球館(2015年)
のなか悟空&元祖・人間国宝オールスターズ『伝説の「アフリカ探検前夜」/ピットインライブ生録画』(不破大輔参加)
『RAdIO』(不破大輔参加)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(小山彰太参加)


ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』

2015-07-06 07:33:34 | ヨーロッパ

ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』(白水uブックス、原著1984年)を読む。

ギュスターヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』において、ボヴァリー夫人ことエンマの瞳の色の説明は茶色だったり黒だったりと矛盾しているという。フローベール(ここでは「フロベール」と翻訳)が作品を書くときに参考に使った鸚鵡の剥製は、1つならず残されているという。フローベールの情事や死には、まだわかっていないことが少なくないという。

この小説は、そういった疑問に答えるものでも、解き明かそうとするものでもない。むしろ、作家の生涯や小説が生み出された時代背景といった批評・評論の馬鹿馬鹿しさを、これでもかと笑い飛ばす小説である。読んで不快に思った文学研究者もいただろうね。さすがバーンズ(といって、あまり面白かったわけでもないのだが)。

●参照
ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』(2011年)
ジュリアン・バーンズ『Pulse』(2011年)
ギュスターヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』(1857年)


「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie その3

2015-07-05 09:11:47 | 小型映画

Nuisance Galerieにおける「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」展。最終日(2015/7/5)は、栗原みえ『チェンマイ チェンライ ルアンパバーン』(2012年)という8ミリ映画の上映が行われた。企画した安田哲さんが8ミリ映写機にこだわっていたのだが、諸事情によりDVDプロジェクターが使用された。

映画は、栗原さんがタイのチェンマイとチェンライ、それから旅仲間のことばに心動かされてラオスのルアンパバーンに旅をするプロセスである。現地の人たちと仲良くなって、やたらクローズアップしたり遊んだり。8ミリの滲んだ映像と、揺れ動きと、栗原さんの脱力したようなナレーションがやたらと楽しい。いや~、旅はいいね。

ところが、帰国後、「3・11」を迎えて映画のトーンは一変し、緊迫感に満ちたものになる。外界を本能的に恐怖して閉じこもる栗原さんは、タイやラオスでの狂犬病などにも思いを馳せる。直視するとそれに囚われて逃れられなくなる「死」というものが、すべての共通項として浮上してくるわけである。安田さんがこの映画を最終日にもってきた理由かな。

終わった後、サンポーニャ奏者の青木大輔さんによるソロ。最初は真っ暗ななかで、そのあと、足元に蝋燭の火をいくつか灯して。暗闇と息遣いは8ミリ映画にも共通するものである。

●参照
「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie(2015/6/6、丸木美術館・岡村幸宣さんとの対談)
「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie その2(2015/6/13、浄土真宗本願寺派僧侶・大來尚順さんとの対談)
岡村幸宣『非核芸術案内』


崎山多美講演会「シマコトバでカチャーシー」

2015-07-05 00:30:12 | 沖縄

立教大学において、日本文学会の主催により、崎山多美さんの講演会「シマコトバでカチャーシー」が行われた(2015/7/4)。

崎山氏は、「シマクトゥバ」という用語を、昔からの「ウチナーグチ」よりも比較的新しく流布されているものであり、そこにはイデオロギーと権威付けがあるという。それへの加担を拒む氏は、14歳まで西表島で育った。身体化したことばは、いかに「日本人化」しようと、外部との交換に際してつねに「引っかかり」や「溝」を意識させずにはいない。山之口貘も、その違和感を詩にうたった。

「生活のため」に、崎山氏は、予備校の講師を30年も続けている。教えた生徒の2割くらいは「本土」へと旅立ち、しかし、戻ってきて話をすると、自分自身を「やはり日本人ではない」と認識することが多いという。人の目を見て話さないといった身振り、ことばのトーンやリズムやスピードの違い。そんなとき、氏は生徒たちに「もっと日本語を学べ、慣れろ」とは言わない。違和感を、溝を、大事にすべきだと考えているからだ。同化ではないのだ。

そのうえで、ことばを字面ではなく音やリズム感で伝えたいということに、希望を見出している。沖縄では日本と違い、アジアとのつながりも感覚的に濃密である。さまざまな硬直の溶融という希望の種があるというわけである。まさにこれが、氏が呼びかけて創刊した『越境広場』創刊0号のテーマでもある。

『越境広場』創刊0号には、北島角子『ウチナーグチ版・憲法九条』も収録されている。意訳であり、崎山氏が「わったー日本国民のー」(私達日本国民の)と朗読しはじめると、確かにうたのようだ。ことばの異化とフリクションを敢えて起こすことによって、壁を溶かす。さらには、崎山氏は「お笑い」も重視する。

さて、カチャーシー。何でもかんでも最後にカチャーシーで「混乱させておしまい」か、いやそうではない。お互いに動きを誘い、盛り上がっていけば、ハグしたくなるのだという。ことばの遣り合いによって、わからないことを前提に交流し、抱きしめたくなること。ずいぶんと前向きで希望に満ちた「野望」である。謎めいた作品を生み出してきた崎山多美という小説家に親近感がわいた。

●参照
崎山多美『ムイアニ由来記』、『コトバの生まれる場所』
崎山多美『月や、あらん』
『現代沖縄文学作品選』(崎山多美)
『越境広場』創刊0号