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自縄自縛日記

沢木耕太郎『オリンピア ナチスの森で』

2016-08-09 06:59:00 | スポーツ

沢木耕太郎『オリンピア ナチスの森で』(集英社文庫、原著1998年)を読む。

1936年のベルリンオリンピック。それは、ナチスドイツによる内外への国威発揚でもあった。若い日のレニ・リーフェンシュタールは、政権に乞われ、『民族の祭典』『美の祭典』の2本を撮る(まとめて通称『オリンピア』)。それは結果として、ナチスのプロパガンダにもなった。

驚くべきことに、著者は、最晩年のレニにインタヴューを行っている。実は、レニは一度はこの話を断っている。ところが、その後、映画に使われることになるギリシャの肉体美のイメージを幻視し、引き受けることにした。それは「恍惚とする体験であると同時に、痛みにも似た体験」であったという。おそらくは、彼女は、政治的な意図ではなく、内面からの野生のような衝動によって映画を撮ったのだろう。大会の間も、もぐって撮影するための穴を掘り、走り回り、美を追い求め、ときには選手よりも目立っていた。

それにしても、陸上や水泳において日本選手が世界のトップレベルにいたことには驚かされる。三段跳びやマラソン、いくつかの競泳では金メダルを取っているし、走り高跳びや棒高跳びでも取っていてもおかしくはなかった。本書では、日本占領下の朝鮮、満州、ソ連を経て遠路はるばるヨーロッパ入りした日本人選手たちのドラマを描いている。これが非常に面白く、また隔世の感もある。ついさっき、リオオリンピックの男子体操団体において日本チームが金メダルを取ったばかりだが、この時代は正反対。誰も使わない大昔の技を繰り出したりしてついていけず、観客からは爆笑が起きていた。

マラソンで金を取った孫基禎は、日本占領下の朝鮮半島出身者である。日本代表は3人。しかし選考過程において、上位が孫を含む朝鮮人2名と日本人1名という構成となり、それは、朝鮮人1名と日本人2名にするというマラソン界の上層部の思惑とは違っていた。その結果、さらに日本人1名を追加した4名をベルリンに派遣し、現地の調子で選ぶことにした(結果は選考過程通り)。孫は優勝し、表彰台で「君が代」を聴き「日の丸」を見ながら、亡国の悲しみを感じていたという。また故国の「東亜日報」は、表彰台の孫の胸にあった日の丸を削ぎ落とした写真を掲載し、朝鮮総督府によって半年間の発禁処分となった。「日本がすごかった」以上に記憶されるべきエピソードであろう。

●参照
レニ・リーフェンシュタール『ヌバ』