Sightsong

自縄自縛日記

ババ・シソコ『Jazz (R)Evolution』

2016-10-08 23:13:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

ババ・シソコ『Jazz (R)Evolution』(Caligola Records、2014年)を聴く。

Baba Sissoko (vo, tamani, n'goni, perc)
Antonello Salis (p, accordion, key)
Famoudou Don Moye (ds, perc)

ファマドゥ・ドン・モイエのもっとも最近の吹き込みに近いものだと思う。

ここでは、マリのパーカッショニストであるババ・シソコをリーダーとして、イタリアのアントネッロ・サリス、そしてシカゴのモイエ。これが実に愉しそうである。アフリカ的でもあって、ジャズ的でもあって、要は祝祭である。シソコの存在感は大したものだが、かれが歌い叩いている中で、サリスのピアノやアコーディオンがぎゅわわわと介入してきて盛り上げ、またやはりモイエのタイコもふたりと伍して大輪の花を咲かせている。

モイエがこんなに元気なら、明後日(10/10)、東京での生活向上委員会とのライヴも期待できそうだ。わたしにとっては、レスター・ボウイ・ブラス・ファンタジーのライヴをブルーノート東京に2回観に行って以来である(1998年頃?)。

●ドン・モイエ
ワダダ・レオ・スミス『Spiritual Dimensions』(2009年)
ライトシー+モイエ+エレケス『Estate』(2000年)
アーサー・ブライス『Hipmotism』(1991年)
アート・アンサンブル・オブ・シカゴの映像『Null Sonne No Point』(1997年)
アート・アンサンブル・オブ・シカゴ『カミング・ホーム・ジャマイカ』(1995-96年)
アート・アンサンブル・オブ・シカゴの映像『LUGANO 1993』(1993年)
ドン・モイエ+アリ・ブラウン『live at the progressive arts center』、レスター・ボウイ・ブラス・ファンタジー『Serious Fan』(1981、89年)
チコ・フリーマン『Kings of Mali』(1977年)
アート・アンサンブル・オブ・シカゴ『苦悩の人々』(1969年)


トーマス・ルフ展@東京国立近代美術館

2016-10-08 22:21:16 | ヨーロッパ

竹橋の東京国立近代美術館に足を運び、トーマス・ルフ展を観る。

かれはドイツでベッヒャー夫妻に師事した写真家であり、アンドレアス・グルスキーと同様に、ベッヒャー夫妻の影響下からはじまって独自の世界を発展させている。例えば、90年頃の「Haus」のシリーズでは、ベッヒャー夫妻が複数のガスタンクなどを同じ構図と条件において撮ったのとは異なり、まるで、あるがままに家々を無機質に撮っている。<あるがまま>の掘り起こしと挑発であるかのように。

大判カメラ・自然光で室内の様子を切り取った、80年代前半の「Interieur」では、そこに居る者・居た者の跡を感じさせるものだった。このあたりは、ヴィム・ヴェンダースの写真作品(『Written in the West』等)と通じるものを感じるのだが、ヴェンダースはドイツ写真のトレンドとどのように接していたのだろう。

Thomas Ruff、Interieur 5E (1983)、「トーマス・ルフ展」、東京国立近代美術館

やがてルフは、デジタル技術を利用しはじめ、また、写真家が個人単位で努力しても実現できない作品に取り組んでいく。「jpeg」のシリーズでは、画像を圧縮して情報が落ちた結果としてのピクセルを前面に押し出した。2001年のアメリカ同時多発テロ事件をこれにより図像化した作品など、技術のお遊びではなく、情報や認識に関わる多くの示唆を含んでいる。また「cassini」のシリーズは、国家の保有する巨大な画像データを用いて精細な土星の環(カッシーニ)を写真作品として実現したものであり、もはや写真撮影と制作という活動を暴力的なまでに相対化したものだと言うことができる。

Thomas Ruff、jpeg ny01 (2004)、「トーマス・ルフ展」、東京国立近代美術館

本展での展示作品はさらにヴァラエティに富んでいる。ここまで拡がりを持つ作家とは思わなかった。

(ところで、立体視の作品群があり、左眼を眼帯で隠している自分にとってはタイミングが悪かった。)

本展での写真撮影と利用について

●参照
アンドレアス・グルスキー展@国立国際美術館(2014年)


クリスチャン・ボルタンスキー「アニミタス-さざめく亡霊たち」@東京都庭園美術館

2016-10-08 20:57:38 | ヨーロッパ

東京都庭園美術館に足を運び、クリスチャン・ボルタンスキーの個展「アニミタス-さざめく亡霊たち」を観る。

まずは、本展に際して行われたボルタンスキーへの20分ほどのインタビュー映像を観る。かれは、人をカテゴリーに押し込めることを激しく拒絶する。そのたとえが、「ユダヤ人を皆殺しにせよ」との命令の非論理・非倫理は、「床屋を皆殺しにせよ」との命令と同じ水準であるとする。そして、その対極にあるものとしてかれが表現手段としたものが、それぞれが異なる特別な存在たる者たちの声なき声であり、音声としての声であり、生命のあかしであり、生命の痕跡なのだった。


※映像ルームでの撮影は許可されている

本展では、古い洋館の部屋ごとにおいて、その囁きが提示されている。

最初の「さざめく亡霊たち」では、部屋の四方から人びとの囁きや呟きが聞えてくる。それは日本語ではあるが、聴きとれたり、とれなかったり。我々はもとより、個々を個々として認識する以上のことはできない。まとめてカテゴライズする行為は本質的に暴力を孕んでいるということだ。

次の「影の劇場」では、コミカルなモビールたちの影絵が揺らめき、それらは明らかに死を思わせるものであり、しかし同時にノスタルジックでもある。

書庫での「心臓音」では、人びとの心臓音が増幅され流されている(豊島にアーカイヴとして保存されている)。「MONUMENTA 2010 / Personnes」でも使われた手法だ。その場に身を置くことは、個への一体化を要請されることにもなる。すなわち、かけがえのないもの・取返しのつかないもの・一度限りのものとしての個の生命を、否が応でも実感させられてしまう。

新館の大きな部屋に入ると、そこには、人びとの眼がプリントされた布が数多く吊るされており、「眼差し」と題されている。それらの間をかきわけて歩いてゆくと、「帰郷」という物がある。ナチスの強制収容所で没収された大量の古着の山がイメージされ、それを、金色のシートが覆っている。やはり「MONUMENTA 2010 / Personnes」では古着類が積み上げられ、クレーンが掴み上げては上から放り落とすことを続けていた。それが痛いほど直接的な暴力を示したものであるとすれば、本展はシートの向こうに人の痕跡があることを間接的に想像させられるものだ。いずれも息が詰まってしまうほどの迫真性をもっている。

そして、上映室の真ん中にスクリーンが置かれ、両側から風鈴のプロジェクト風景が上映されている。片方はチリ・アタカマ砂漠におけるものであり、多数の棒の上から風鈴と白い短冊が吊るされ、風に揺れて音を立てている。もう片方は豊島の森におけるものであり、木からやはり風鈴と透明な短冊が吊るされている。短冊には名前や何かが記されている。それらは<無数>であり、かつ<個々>であるものとの共振であるように感じられた。

囁きや存在の予感とともにふるえさせられる、素晴らしい展示だった。美術館の外に出ると、上映室に敷き詰められた稲わらが1本、靴にへばりついていた。世界がシームレスにつながっているように感じさせられた。

●参照
クリスチャン・ボルタンスキー「MONUMENTA 2010 / Personnes」(2010年)


キース・ジャレット『The Bremen Concert』

2016-10-08 09:29:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

キース・ジャレット『The Bremen Concert』(private、1975年)を聴く。

Keith Jarrett (p)

同じブレーメンでは1973年に録音しているが、この盤は、1975年2月2日になされたソロコンサートである。名盤とされる『Koln Concert』が同年1975年1月24日の録音であるから、その9日後。ヨーロッパツアーをやっていたのだろうか。

それにしても、じっと聴くほかはなく、またため息しか出ないソロピアノである。録音も良い。まるで溢れ出るひらめきを指で何とか抑制しているようだ。粘っこく、ブルージーで、また同時期のアメリカン・カルテットに強く漂うフォーク感もあり、そして歓びと哀しみとが同時に交互に訪れる。30歳のキースである。この頃のキースがもっとも好きな人は少なくないと思うが、ソロもまた素晴らしい。

面白いことに、即興曲2曲のあとに、「Treasure Island」を演奏している。前年にアメリカン・カルテット+アルファで吹き込まれた『Treasure Island』(Impulse!、1974年)での表題曲なのだが、これは、サム・ブラウンのギターをフィーチャーしていてキースのピアノもデューイ・レッドマンのテナーも目立たないものだった。そしてここではソロピアノ。カルテットでの演奏も聴いてみたいところ、どこかでやっていないかな。

Keith Jarrett (p, ss, osl drum)
Dewey Redman (ts, tambourine)
Sam Brown (g)
Charlie Haden (b)
Paul Motian (ds, per)
Guilherme Franco, Danny Johnson (per)

●参照
キース・ジャレット『North Sea Standards』(1985年)
キース・ジャレット『Standards Live』(1985年)
ピーター・ブルック『注目すべき人々との出会い』、クリストのドキュ、キース・ジャレットのグルジェフ集 (1980年)
キース・ジャレット『Staircase』、『Concerts』(1976、81年)
キース・ジャレットのインパルス盤(1975-76年)
キース・ジャレット『Arbour Zena』(1975年)
70年代のキース・ジャレットの映像(1972、76年)
キース・ジャレット+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Hamburg '72』(1972年)
キース・ジャレット『Facing You』(1971年)


旨いテヘラン その4

2016-10-08 07:41:56 | 中東・アフリカ

今回は体調極悪につきあまり遠出しないのだ。イラン料理は仕事で食べまくっているので、夕食はちょっと違うものを探し求める。

■ JOPWAY(ハンバーガー)

フードコートにあるSUBWAYを真似たハンバーガー店。みたまんまの味。

■ DARA BURGER(ハンバーガー)

2か月前(2016年8月)には作っている途中だった。開店したばかりだからか、頼んでいないケーキだのポテトのチーズかけだのを出してきてくれる(食べきれないけど)。壁にはアメリカ映画のイラストがたくさん描かれていて、BGMとして「ホテル・カリフォルニア」なんかをがんがん流している。なんだアメリカ大好きなんじゃないか。

■ Cecilia's Kitchen(アジア料理)

フードコート内にあるアジア料理店。イラン料理も旨いしファーストフードも悪くはないのだが、疲れていると熱いアジアの汁麺が欲しい。そんなわけで、「Panchit Mami Noodle Soop」の「Beef」を注文(どういう意味だろう?)。まあ欲しいものズバリではないが。

■ TAVAZO(ナッツ)

有名なナッツの店。店内には実に多くのナッツが山盛りになっていて、店員も食べてみろとサービス満点である。最高級ピスタチオもミックスナッツもレーズンも乾燥イチジクもひたすら旨く、つい色々と買ってしまった。テヘランに行くときにはぜひ。

■ Monsoon(アジア料理)

韓国料理店を探したが見つからず、ここを再訪。「Futomaki」や「Hosomaki」が色々あって、試しに「ロブスター天ぷらとスパイシーマンゴのロール」なる「Futomaki」を食べてみると、確かにそれぞれの味がして、協和音はいまひとつだった。

■ サフラン味のアイス

つい、また空港で食べてしまった。「PRIMA」は有名ブランドらしい。イランのアイスをいくつか食べてみた結果、クリーム自体が思いっきり生クリーム的であることがわかった。もうすこし爽やかなものが欲しい。

Nikon P7800

●参照
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2
旨いテヘラン その3


テヘランのメッラト宮殿

2016-10-07 23:08:32 | 中東・アフリカ

2か月ぶりのテヘラン。ちょっとだけ空いた時間に、サアダーバード文化・歴史コンプレックスというパフラヴィー朝の離宮跡を再訪した。

ここは市内とはうって変わって緑が多い公園になっていて、みんなとてもリラックスしている(なぜか記念写真を一緒に撮ったりして)。多くの博物館があるのだが、時間もないため、今回は入り口の近くにあるメッラト宮殿を覗いた。

緑の宮殿と同様に、パフラヴィー朝初代皇帝のレザー・シャーが作らせ、使った宮殿である。なかはやはり凄い。何十畳もありそうな絨毯。その上には虎の毛皮。とても重そうなシャンデリア。豪華なチェスセット。クリスチャン・ディオールによるカーテンやベッド。

こんな贅沢をしていては倒されても仕方がないというものだ。


クリスチャン・ディオールのベッド


シャンデリア



樹には多くの落書きがあるが、これは革命前?

Nikon P7800

●参照
2016年2月、テヘラン
2015年12月、テヘラン
イランの空
スーパーマーケットのダレイオス1世
テヘランの軍事博物館と緑の宮殿
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2
鵜塚健『イランの野望』
桜井啓子編『イスラーム圏で働く』、岩崎葉子『「個人主義」大国イラン』


コーエン兄弟『ヘイル、シーザー!』

2016-10-07 21:37:45 | 北米

ドバイから成田に向かう飛行機の中で、コーエン兄弟『ヘイル、シーザー!』(2016年)を観る。

1950年代のハリウッド。朝から晩まで、俳優の恋愛や出産や不祥事の尻拭いに奔走し、共産主義に染まったスター俳優(ジョージ・クルーニー!)に往復ビンタをくらわし(赤狩りの時代だった)、イモ俳優でも何とか使わせ、頭と胃とを痛める映画会社の部長。それでも、生まれてくる映画は、西部劇もミュージカルも歴史大作も素晴らしいもので、つい劇中劇とは知りつつも魅せられてしまう。

書割のようなセットで小気味よく話を進めていくコーエン兄弟、いや素晴らしい。なんだかビリー・ワイルダーと重なってくるのだがどうか。

●参照
コーエン兄弟『トゥルー・グリット』、『バーン・アフター・リーディング』(2010年、2008年)
コーエン兄弟『バーバー』(2001年)
コーエン兄弟『バートン・フィンク』(1991年)


ローランド・エメリッヒ『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』

2016-10-06 22:33:17 | 北米

テヘランからドバイへの飛行機で、ローランド・エメリッヒ『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』(2016年)を観る。

20年前の前作と同じように、信じられないほど好戦的で、人を単純な役割に当てはめていて、アメリカ中心主義で、信じられないほど都合がよくて、そして何の驚きもない。

さすが『スターゲイト』や『Gozilla』や『デイ・アフター・トゥモロー』を撮ったエメリッヒである。演出もなんもあったものではないアホアホ映画を大金をかけて作るという活動は何ならむ。


Sound Live Tokyo 2016 ピカ=ドン/愛の爆弾、私がこれまでに書いたすべての歌:バンド・ナイト(JazzTokyo)

2016-10-06 21:17:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

六本木のスーパーデラックスで、「Sound Live Tokyo 2016」と題された一連のライヴがあった。

前半の「ピカ=ドン/愛の爆弾」(2016/9/11)、「私がこれまでに書いたすべての歌:バンド・ナイト」(9/18)、「マージナル・コンソート」(9/21)に、足を運んだ。

そのうち、「ピカ=ドン/愛の爆弾」について、レビューを「JazzTokyo」に寄稿させていただきました。

>> #911 Sound Live Tokyo 2016 ピカ=ドン/愛の爆弾

「機械仕掛けの神」(ジェームズ・テニー、1982年)
神田佳子(タムタム)
有馬純寿(エレクトロニクス)

「ピカ=ドン」(ジェームズ・テニー、1991年)
神田佳子、佐々木啓恵、稲野珠緒、服部恵(打楽器)
有馬純寿(エレクトロニクス)

「愛の爆弾」(テーリ・テムリッツ、2003年)
テーリ・テムリッツ(上映、パフォーマンス)

また、「私がこれまでに書いたすべての歌:バンド・ナイト」のレビューは剛田武さんが寄稿。

>> #916 Sound Live Tokyo 2016 私がこれまでに書いたすべての歌:バンド・ナイト

わたしにとって印象的だったのは、詩を書いたジェイコブ・レンさんの問いかけに対する灰野敬二さんの応答。自身を「mover」であり「activist」だと位置付けてのことである。

「自分の感情を意味するものについては、「良い」ではなく「好き」を使いたい。」
「とても失礼ですけど、動く勇気がない人間が書くことになる。」
「政治的とか、団体とか、そういうものはすべて嫌いです。」
「説明することによって、自分の言い訳を言いたくない。」

The Hardy Rocks
工藤礼子
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ
モーマス
ジェイコブ・レン

Fuji X-E2、XF 60mmF2.4、XF 35mmF1.4

●参照
横浜美術館の蔡國強「帰去来」展(2015年)
ドーハの蔡國強「saraab」展(2011-12年)
燃えるワビサビ 「時光 - 蔡國強と資生堂」展(2007年)
『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』
勝井祐二+ユザーン、灰野敬二+石橋英子@スーパーデラックス(2015年)
ジョン・イラバゴン@スーパーデラックス(対バンで灰野敬二)(2015年)
本田珠也SESSION@新宿ピットイン(2014年)


照内央晴「九月に~即興演奏とダンスの夜 茶会記篇」@喫茶茶会記(JazzTokyo)

2016-10-06 21:14:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

2016年9月3日に四谷の喫茶茶会記で行われた、照内央晴「九月に~即興演奏とダンスの夜 茶会記篇」のライヴレビューを、「JazzTokyo」に寄稿させていただきました。ダンサーふたりをまじえた異種交流は、その成果が創り上げられていく過程を楽しむことができるものでした。

>> #908 照内央晴「九月に~即興演奏とダンスの夜 茶会記篇」

照内央晴 (p)
横山祐太 (tp)
白石美徳 (ds)
藤田恵理子 (dance)
佐藤有紀恵 (dance)

Fuji X-E2、XF60mmF2.4、XF35mmF1.4

●参照
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)


「JazzTokyo」のNY特集(2016/10/1)

2016-10-06 21:01:25 | アヴァンギャルド・ジャズ

「JazzTokyo」のNY特集(2016/10/1)。

■ ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報(連載第17回)

翻訳・寄稿させていただきました。

マーク・エドワーズさん(セシル・テイラー『Dark to Themselves』『Michigan State University, April 15th 1976』で叩いているドラマー)は、あらためて、ヨニ・クレッツマー『Book II』のレビュー。クレッツマーにデイヴィッド・S・ウェアの影を見出しているのは、その経験とは無関係ではないに違いない。

シスコ・ブラッドリーさんは、メアリー・ハルヴァーソンらが参加したネイト・ウーリーの新グループのこけら落としライヴについてレビュー。これも録音が出ればぜひ聴いてみたいところ。 

■ 蓮見令麻さんのコラム「ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま」

今号は蓮見さんの日本ツアーにつきお休みです。空いた時間に、剛田武さん(最近『地下音楽への招待』を書いて地下で話題沸騰中)と3人でお茶。いろいろと興味深いお話や期待のニュース(!)などをお聴きできて、面白かった。

●参照
「JazzTokyo」のNY特集(2016/9/1)
「JazzTokyo」のNY特集(2016/8/1)
「JazzTokyo」のNY特集(2016/7/1)
「JazzTokyo」のNY特集(2016/6/1)
「JazzTokyo」のNY特集(2016/5/1)
「JazzTokyo」のNY特集(2016/4/1)
「JazzTokyo」のNY特集(2016/1/31)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/12/27)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/11/21)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/10/12)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/8/30)
「JazzTokyo」のNY特集(2015/7/26)