Sightsong

自縄自縛日記

向島ゆり子@裏窓

2016-11-21 14:37:13 | アヴァンギャルド・ジャズ

新宿ゴールデン街の裏窓にて、向島ゆり子ソロ(2016/11/20)。入院中で無理かなと思ったが、休診の日曜ゆえ、行くことができた。

向島ゆり子 (p, vln)

マスターと向島さんを除き、11人で一杯の店内。2人はカウンターの中に入り、3人はずっと立っている。入ると珍しくビートルズが流れていて、向島さんがそれに合わせてピアノを弾いていたりしていた。

しかし、それは気紛れによるものではなく、1曲目は「Fool on the Hill」。この夜の演奏は、亡くなって4年くらいが経つ今井次郎さんに捧げられたものだったのだが、今井さんは自由保育で「3年間くらいひたすら空を見上げて回っていた」、その話を向島さんが思い出したというわけだった。そして、主に、今井さんが病院生活の中で書いた「かわいい」曲が演奏された。「My Blue Heaven」も演った。向島さんはずっとピアノを弾き、最後に、ヴァイオリンで再び「Fool on the Hill」。

淡々とメロディを大事にする演奏、ときに激しくてもその印象は変わらない。弾く人も聴く人もその場に存在することを証明するような音楽だった。

●参照
飯島晃『コンボ・ラキアスの音楽帖』(1990年)
パンゴ『Pungo Waltz』(1980-81年)


ヤン・ウソク『弁護人』

2016-11-21 11:32:43 | 韓国・朝鮮

ヤン・ウソク『弁護人』(2013年)を観る。入院中だが外出許可を得て、新宿のシネマカリテに足を運んだ。

韓国では、朴正煕が暗殺された後も、全斗煥大統領の強圧的な政治により、民主化運動が潰されていた。1980年の白色テロ・光州事件があって、さらに1981年には、釜山において民主化への蕾を刈り取るため、捏造により、読書会(E.H.カー『歴史とは何か』など!)を行っていた19人の学生や会社員が逮捕された。この映画のもとになった「釜林事件」である。かれらは国家保安法のもと拷問され、嘘の自白をさせられた。ようやく無罪となったのは、2014年になってのことである(>> ハンギョレ新聞の記事)。

ソン・ガンホが演じる弁護士は、盧武鉉をモデルとしている。ソン・ガンホへのインタビュー記事によれば、釜林事件の関係者から「少しでも嘘を描いたら告訴する」と言われたため、名前を変えたそうである。しかし、作る側も観る側も事件を前提としていることには間違いがない。

弁護士は貧困家庭に育ち、高卒で弁護士になるがそのことを馬鹿にされ、それでもオカネを稼いだ。まったく政治に疎く、全政権下での検閲後の報道に疑問など持たないような人だったが、知りあいが逮捕・拷問されることを知り、その弁護士を引き受けることとなった。短期的には無罪を勝ち取ることはできなかったものの、公権力の乱用に抗し、民主化への道を拓いたのだった。

それにしても良い演出である。ユーモアもあり、客席からは笑いが何度も起きる。そしてソン・ガンホの味のある実に良い演技もあって、最後まで目を離すことができない。韓国では長らく、「アカ」と呼ばれることが死を意味したわけだが、そのことをこの映画のように作り公開できる時代になったのだな。むしろ、どうしても現代日本と重ね合わせて視てしまう。

ところで、映画館の壁に、秋山登氏(元朝日新聞編集委員)によるレビューが貼りだされていた。文章の最後になって、「ついでながら、ウソクのモデルは若き日の盧武鉉元大統領だそうである。私たちは、盧元大統領の晩年の栄光と屈辱と悲劇を知っている。余計なことを言うようだが、映画はフィクションである。主人公の晩年に、モデルのその後を重ね合わせるようなことはしないほうがいい。」と、不自然でまさに余計なことを記している。なぜここまで現実を視ることを回避させようとしているか。掲載誌は『月刊hanada』、つまり、かつて『マルコポーロ』にホロコースト否定論を掲載し、いまは『Will』と同様に花田紀凱氏が編集長を務めている雑誌である。まあ、合点のいくことだ。


小川紳介『三里塚 五月の空 里のかよい路』

2016-11-21 10:15:16 | 関東

小川紳介『三里塚 五月の空 里のかよい路』(1977年)を観る。

小川紳介『三里塚 辺田』(1973年)から数年後、小川プロの三里塚シリーズ最終作。また、『日本解放戦線・三里塚』(1970年)に続くシリーズ2本目のカラー作品でもある。前作のあと、小川プロは山形の牧野に移り住み、そこを「生活地」として、コメ作りを行っていた。

視線が土地と生活の詳細に注がれることは、依然として、徹底している。それにより、権力と抵抗との闘いというようなドラマを形成しようとする意思はさらさらない。

具体的には、辺田の産土神社たる面足神社の経緯とご神体(かつて塚から掘り出された埴輪)。春になると北総台地に吹き荒れ、せっかくの土壌を吹き飛ばしてしまう赤風。そして、反対同盟が建てた鉄塔(1972年『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』で描かれる)が突然の機動隊の「家宅捜索」と撤去の仮処分により、身軽なレンジャー部隊により倒されてしまうのだが、そのとき、農民たちがどこで何をしていたか、また炊き出しのおにぎりを食べる様子。ヘリの風が西瓜畑に吹き付け、どのようにせっかくの西瓜をダメにしてしまったかの分析。機動隊が使った毒ガス弾(催涙弾など)の中身の分析。この徹底した手法の映画において、生活や闘いのプロセスを抽象論に落とし込むことは不可能だ。

鉄塔の撤去にあたり、機動隊員は、関西から青森まで「全国動員」がなされていた。ここに、いまの高江と重なる弾圧の姿を視ることができるわけである。

西瓜畑をダメにされた農民の言葉が重い。自分のことを「きちげえだと思っているだろう」。「今まで出てった人も決して好き好んで出てってったわけじゃない」。畑に「愛着がある」というのは、「なじむまで10年も15年もかかる」という技術的なことを表現しているのでもある。移転したところで、限られた時間の人生の中で新しいことなどできない。イデオロギーで反対しているわけではない。「農民から土地を取り上げられたら何が残るっていうの」。

●参照
小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』(1986年)
小川紳介『牧野物語・峠』、『ニッポン国古屋敷村』(1977、82年)
小川紳介『三里塚 辺田』(1973年)
小川紳介『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(1972年)
小川紳介『三里塚 第二砦の人々』(1971年)
小川紳介『三里塚 第三次強制測量阻止闘争』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)
『neoneo』の原発と小川紳介特集
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』(2008年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
宇沢弘文『「成田」とは何か』(1992年)
前田俊彦編著『ええじゃないかドブロク』(1986年)
三留理男『大木よね 三里塚の婆の記憶』(1974年)


ウォルフガング・ムースピール『Rising Grace』

2016-11-20 08:52:57 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウォルフガング・ムースピール『Rising Grace』(ECM、2016年)を聴く。

Wolfgang Muthspiel (g)
Ambrose Akinmusire (tp)
Brad Mehldau(p)
Larry Grenadier (b)
Brian Blade (ds)

オールスターメンバーの名前に驚いて入手してみたものの、理知的な人ばかりの上品なセッションであり、いまひとつ惹かれない。ムースピールはバッキングもときに前に出てのソロも悪くないのだが、かれが登場してきたころの、たゆたいながら力強くサウンドの連続性を押し出してくるような個性は、もはや希薄。とはいえ、やはり理知的なトランペットを吹くアンブローズ・アキンムシーレとの親和性はあるようで、大音量で音の重なりに耳を傾けていると、うっとりもする。

不幸なことに、わたしはブラッド・メルドーのピアノやキーボードにただの一度も「感じた」ことがないのだが、ここでのピアノは好きになった。しばしば色気でぬるりと輝くピアノのフラグメンツが見えてきて、またときにフォーク的でもあったりして、とても良い。


メアリー・ハルヴァーソン『Away With You』

2016-11-19 07:20:52 | アヴァンギャルド・ジャズ

メアリー・ハルヴァーソン『Away With You』(Firehouse 12 Records、2015年)を聴く。

Mary Halvorson (g)
Susan Alcorn (pedal steel g)
Jonathan Finlayson (tp)
Jon Irabagon (as)
Ingrid Laubrock (ts)
Jacob Garchik (tb)
John Hébert (b)
Ches Smith (ds)

これまでのメアリー・ハルヴァーソンの作品は、そのひとつひとつが、想像を超える変態的・無重力的なサウンドによってこちらを驚かせてくれた。この作品はどうかといえば、さほどでもない。こちらがメアリーに馴れたというよりも(それはしばらく無い)、多くのメンバーの個性を生かした和やかなアンサンブルが指向されているからではないかと思うがどうか。

アンサンブルも何癖もある。冒頭曲「Spirit Splitter」において、マイルドに積み上げられたはずのサウンドが抽象的な構成にシフトしていき、いきなり分断されつなぎ合わされたりして、ちょっと嬉しい。

ジョナサン・フィンレイソンのトランペットはやはりこのサウンドに大きく貢献している。丹念に構築していき、実のところ宇宙を自在に浮遊しているという感覚。マジメな秀才なのに実はシニカルに物事を見通しているという感覚。

期待したジョン・イラバゴンはM-BASEの化身になっているようで、この人の個性は何なのだろうと考えてしまう。一方、イングリッド・ラウブロックの深みのあるテナーはいつも通り素晴らしい。中音域で外側にはみ出る音のジョン・エイベアのベースもいい。そして、スーザン・アルコーンのペダル・スティール・ギターとメアリー・ハルヴァーソンのギターの重なりとずれがまた快感。そうか、エラソーに「さほどでもない」と言いつつ、十分に驚き愉しんでいる。

アルコーンとハルヴァーソンとは、ネイト・ウーリーのグループでも組んで面白いサウンドを創りだしているようで(「JazzTokyo」連載第17回 ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報)、形になったらこれと聴き比べてみるのが愉しみなのだ。

●メアリー・ハルヴァーソン
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
『Illegal Crowns』(2014年)
トマ・フジワラ+ベン・ゴールドバーグ+メアリー・ハルヴァーソン『The Out Louds』(20ウ14年)
メアリー・ハルヴァーソン『Meltframe』(2014年)
アンソニー・ブラクストン『Ao Vivo Jazz Na Fabrica』(2014年)
イングリッド・ラウブロック(Anti-House)『Roulette of the Cradle』(2014年)
『Plymouth』(2014年)
トム・レイニー『Hotel Grief』(2013年)
チェス・スミス『International Hoohah』(2012年)
イングリッド・ラウブロック(Anti-House)『Strong Place』(2012年)
イングリッド・ラウブロック『Zurich Concert』(2011年)
メアリー・ハルヴァーソン『Thumbscrew』(2013年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』(2012年)
ステファン・クランプ+メアリー・ハルヴァーソン『Super Eight』(2011年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』(2009年)
アンソニー・ブラクストン『Trio (Victoriaville) 2007』、『Quartet (Mestre) 2008』(2007、08年)


小川紳介『三里塚 辺田部落』

2016-11-18 15:07:35 | 関東

小川紳介『三里塚 辺田』(1973年)を観る。

小川紳介『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(1972年)の続編ではあるが、描かれた時期は重なっている。前作では、1971年9月16日に行われた第二次強制代執行からはじまり、時間が少し飛んで、1972年3月以降に、滑走路予定地において離着陸を阻止する鉄塔を建設する様子を描いていた。

代執行の日には3人の機動隊員が亡くなるという事件(東峰十字路事件)があった。また、事件直後の10月1日には、青年行動隊のひとりだった三ノ宮文男さんが、「空港をこの地にもってきたものをにくむ」と書き遺し、自死を選んだ。まさに大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)でもわかるように、他のメンバーにも大きく影響を与えることになった。

そのことが前作では言及されておらず不思議に思っていたのだが、本作において描かれていたのだった。

しかし、本作は、死亡事件やその後の捜査や弾圧・抵抗といった過程を、物語的に追ったものとは全く異なっている。すなわち、前作まで程度の差こそあれ、権力と抵抗との衝突が結果としてスペクタクルとなっていたわけだが、その要素は、本作ではほとんど皆無に近い。映画が直接的に与える印象としては地味かもしれないのだが、特徴としては異形とも言えるものだ。

たしかに、東峰十字路事件と三ノ宮さんの自死のあとからはじまる本作の中で、事件は起きている。青年行動隊員が多数逮捕され、傷害や傷害致死などで起訴され(結局東峰十字路事件の犯人は不明で実刑判決はなかった)、機動隊員がこともあろうに三ノ宮さんの家に乗り込み、逮捕された物たちが村に戻ってくる。しかし、映画が見つめるものはその直接の過程ではない。

最初に、三里塚の自然を愛するおじいさんが登場し、旧道の跡や、水の流れや、空港反対運動で起きた村八分のことや、その家の葬儀の様子(土葬が普通だったが遺体を運べないため、現地で火葬したという)なんかを詳しく語る。抵抗運動を「まるで子供のように」熱心に行っている女性が、「子安大名神」に捧げる男根状のものを、大根や芋ふたつで愉しそうに作っている。86歳のおばあさんが、村の昔のことや自分の苦労話を愉しそうに語る―――父親に刀で斬りつけられ、その父親は井戸に身を投げたが死にきれなかった、などという凄惨な話を、淡々と。

そして、映画の多くの時間は、村の集会で皆が思い思いに自分の考えをまとめて話す場面を捉えている。いかに、権力が、警官三人の死を手段として利用し、反対同盟の中に亀裂を入れようとしているか、また、それに抗するためにどうすればよいのか、ということを。驚いてしまうほど本質的な話し合いである。ずっと拘留されて戻ってきた青年行動隊の男は、安堵しながら、「俺ら弱いわけだっぺよ」と、そこを突かれるのだと話したりもしている。(なお、この男の隣で拘留されていた「やくざ」は、木更津の漁業権放棄によりオカネを得て、バクチで豪遊し、リンカーンコンチネンタルに乗っていたのだという。井出孫六・小中陽太郎・高史明・田原総一郎『変貌する風土』に描かれたように、当時の千葉県にはそのようなこともあった。)

映画は、おばあさんたちが木魚や鐘を叩きながら延々と唱え続ける念仏講の場面で終わり、「このを壊しにくるか」との言葉で締めくくられる。明らかに、小川プロは、政治などの動きそのものよりも、より土着的な足許を見つめていた。ところで、この念仏講はパーカッション音楽としても見事なのだが、小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』(1986年)を締めくくる、富樫雅彦の素晴らしいパーカッションソロにつながる地下水脈でもあったのかなと思いついたのだが、どうだろう。

●参照
小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』(1986年)
小川紳介『牧野物語・峠』、『ニッポン国古屋敷村』(1977、82年)
小川紳介『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(1972年)
小川紳介『三里塚 第二砦の人々』(1971年)
小川紳介『三里塚 第三次強制測量阻止闘争』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線・三里塚』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)
『neoneo』の原発と小川紳介特集
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』(2008年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
宇沢弘文『「成田」とは何か』(1992年)
前田俊彦編著『ええじゃないかドブロク』(1986年)
三留理男『大木よね 三里塚の婆の記憶』(1974年)


ピーター・エヴァンス+サム・プルータ+ジム・アルティエリ『sum and difference』

2016-11-18 07:51:48 | アヴァンギャルド・ジャズ

ピーター・エヴァンス+サム・プルータ+ジム・アルティエリ『sum and difference』(Carrier Records、2011年)を聴く。

Peter Evans (tp)
Sam Pluta (laptop)
Jim Altieri (vln)

トランペット、エレクトロニクス、ヴァイオリンという変わったトリオである。

サム・プルータとピーター・エヴァンスとはNY即興シーンで多く共演しているし、エレクトロニクスの使い方を様々に模索し拓いてゆく動きにも驚くものではない。むしろヴァイオリンの存在が新鮮に思えるが、ジム・アルティエリとプルータとは長いコラボレーションの実績があるのだという。

どの楽器も、たとえばベースやテナーサックスのように低音の響きで聴く者を重力で落ち着かせるものとは対極にある。擦り、一部でのみ共鳴させ、高周波でサウンドに裂け目を入れる。二者や三者でのシンクロやユニゾンもあり、相互の偽装もあり、一者が二者を包みこむような時間もある。まるで可能性のショーケースである。

●ピーター・エヴァンス
Pulverize the Sound@The Stone(2015年)
Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
トラヴィス・ラプランテ+ピーター・エヴァンス『Secret Meeting』(2015年)
ブランカート+エヴァンス+ジェンセン+ペック『The Gauntlet of Mehen』(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
チャン+エヴァンス+ブランカート+ウォルター『CRYPTOCRYSTALLINE』、『Pulverize the Sound』(2013、15年)
ピーター・エヴァンス『Destiation: Void』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
ピエロ・ビットロ・ボン(Lacus Amoenus)『The Sauna Session』(2012年)
ピーター・エヴァンス『Ghosts』(2011年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ピーター・エヴァンス『Live in Lisbon』(2009年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』(2012年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』(2009年)
MOPDtK『Blue』(2014年)
MOPDtK『The Coimbra Concert』(2010年)
MOPDtK『Forty Fort』(2008-09年) 

●サム・プルータ
ドレ・ホチェヴァー『Transcendental Within the Sphere of Indivisible Remainder』(2016年)
Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
スティーヴ・リーマン@Shapeshifter Lab(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
ピーター・エヴァンス『Destiation: Void』(2013年)
ピーター・エヴァンス『Ghosts』(2011年) 


里国隆のドキュメンタリー『黒声の記憶』

2016-11-17 07:30:21 | 沖縄

里国隆のドキュメンタリー『黒声(クルグイ)の記憶』(2016/11/17、鹿児島テレビ制作)を観る。

奄美の唄者・築地俊造さんの声が、張りがあって奄美独特の裏声も美しい「白声」だとすれば、里さんの声は、ダミ声で、決してコンテストなどで一番になることのない「黒声」。CD『黒声』に収録された短い里国隆の映像があって(唯一ネット上で観ることができる里さんの動く姿だった)、それを8ミリで撮った原田健一さん(新潟大学)によれば、1メートル離れたところで唄われると、もはやその歌声は快適どころか苦痛で逃げられないものであったという。また、沖縄の唄者・知名定男さんは、その歌声に接して「身体中が総毛立つようだった」と証言している。わたしは『あがれゆぬはる加那』をはじめて聴いたとき、どちらかといえば拒否反応のようなものを感じた。しかし聴き続けている。

里国隆の活動遍歴は、概ね、ここ(里国隆のドキュメンタリー『白い大道』)に書いた通りだ。同番組では、戦前・戦中における沖縄での足跡として国頭村の楚洲と安波を紹介していたが、今回は、同じ国頭村の安田に住む方を取材している。安田小学校でも唄い、ヒーローだったという。

戦後、奄美が先に「本土」に復帰した(『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』)。もとより、働き先は奄美よりも沖縄本島にあったために、多くの奄美人が沖縄に渡っていたわけだが、奄美の先行復帰以降、沖縄において奄美人は「外国人」として扱われることになった。それに伴い、雇用も沖縄人優先となってしまった。里国隆が那覇の平和通りで座って唄っていた奄美の唄は、奄美人にとって、懐かしい望郷の唄でもあった。(なお、ここで里さんの唄をナグラで録音していた宮里千里さんが登場し、唄の合間に子どもたちと交した声などを再生してくれる。これらもいずれCD化してほしいものだ。宮里さんと娘さんとは、いま、那覇・栄町市場の「宮里小書店」の店長・副店長である。)

奄美の人たちは、大阪市の此花区高見に多く住んできた(沖縄人が大正区に集まったように)。加計呂麻島出身の唄者・牧志徳さんは、奄美人の心のよりどころは島唄であったと言い、また、里さんが亡くなる直前の1985年に尼崎で開かれたコンサートのことを思い出している(1985年の里国隆の映像)。もとの映像の状態が良くないためか、引用は短い。わたしが持っているものも、ベーシストの齋藤徹さんがくださったものだが、やはりそのようなわけでノイズが少なくなかった。だがあまりにも貴重な記録であり、できれば、剽軽な里さんのしゃべりをこそ引用して欲しかったと思う。ここでもヒーローだったのだろうなあ。

それにしても、奄美の「かずみ」において、店主の西和美さんと築地俊造さんとが掛け合いで唄っていて、とにかく「かずみ」に行ってみたいと思う。後ろのお客さんたちは飲み食いして唄三線を観ていなかったりして、この贅沢さは、ビル・エヴァンスのヴィレッジ・ヴァンガードのライヴで談笑している声が聞えることを思い出してしまう。

深夜の放送時間に目が覚めてしまい寝ながら観た。友人が録画してくれるものをもう一度確認しながら味わって観たい。

●里国隆
里国隆のドキュメンタリー『白い大道』
1985年の里国隆の映像(番組でも引用)
『1975年8月15日 熱狂の日比谷野音』(番組でも引用)


ポール・ボウルズが採集したモロッコ音楽集『Music of Morocco』

2016-11-16 14:26:32 | 中東・アフリカ

『Music of Morocco』(Dust to Digital、1959年)を聴く。ポール・ボウルズが1959年にモロッコ北部において採集した音楽の記録、CD4枚組である。

これを手にするまで、てっきり作家ポール・ボウルズがタンジールに移住して、生活の傍ら、趣味で録音したものだろうと思っていた。わたしは最初の長編『シェルタリング・スカイ』(1949年)を読んだだけだ。1999年に亡くなるちょっと前に、日本でもボウルズ再評価があって(それはベルナルド・ベルトルッチによる映画化も影響したのだろう)、四方田犬彦の翻訳による『蜘蛛の家』など作品集が出されたもののすぐに書店から姿を消してしまった。

実際には順番が逆であり、ボウルズはもともと作曲を学び、その後作家に転じたのだった。このモロッコ音楽の記録も、ロックフェラー財団やアメリカ議会図書館から予算を取得し、実施されたプロジェクトである。

このCDセットには120頁もの分厚いブックレットが付いており、1曲ずつにボウルズ自身が書き残したメモと解説がまとめられている。これを紐解きながら順に聴いていくと、実に愉しい。

というよりも、モロッコ音楽と一言でまとめられるようなものはなく、音楽のかたちや印象が非常に多岐に渡っており、しかもそのひとつひとつが音楽としてとても深いことが実感できる。オーネット・コールマンが傑作『Dancing In Your Head』で共演したのはジャジューカの音楽家たちであり、シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 でその一部を観ることができる(本CDではジャジューカ村で録音したものはない)。また、のちにドン・チェリーらが共演したグナワの音楽も知られるようになった(本CDでは3枚目で取り上げている)。しかし、それはごく一部に過ぎない。

さまざまなパーカッション類、ダブルリードの笛、二股に分かれた長い笛、一弦や数弦の弦楽器、男性や女性のヴォーカリーズ、絶妙極まりないリズムの鐘、女性の甲高い震え声(ウルレーション)、ダンスの足を踏み鳴らす音。これらが混じりあい、ひとつひとつ異なるサウンドを創り上げている。また、スペインから伝わった、ヨーロッパ中世の伝統音楽の影響もあるという。これは驚きの世界だ。

4枚目の最後は、タンジールにおける早朝の生活音で締めくくられる。素晴らしい記録である。


ジャッキー・マクリーン『The Complete Blue Note 1964-66 Jackie McLean Sessions』

2016-11-15 12:56:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジャッキー・マクリーン『The Complete Blue Note 1964-66 Jackie McLean Sessions』(Mosaic/Blue Note、1964-66年)は、タイトルの通り、ジャッキー・マクリーンがBlue Noteに1964-66年に吹き込んだセッションを集めたCD4枚組である。

ちょうど入院していて、改めてまとめて聴くかと思い持ち込んだ(もちろん、箱は置いてきた)。以前はこのようなMosaicのボックスセットがいちいち宝箱に見えた。いまではもう流行らないんだろうね。

1-1 to 1-6: 『It's Time!』(1964年)
Charles Tolliver (tp)
Jackie McLean (as)
Herbie Hancock (p)
Cecil McBee (b)
Roy Haynes (ds)

1-7 to 2-3: 『Action』(1964年)
Charles Tolliver (tp)
Jackie McLean (as) 
Bobby Hutcherson (p)
Cecil McBee (b) 
Billy Higgins (ds)

2-4 to 2-8: 『Right Now!』(1965年)
Jackie McLean (as)
Larry Willis (p)
Bob Cranshaw (b)
Clifford Jarvis (ds)

3-1 to 3-5 & 4-4 to 4-8: 『Jacknife』(1965、66年)
Lee Morgan (tp)
Charles Tolliver (tp)
Jackie McLean (as)
Larry Willis (p)
Larry Ridley (b)
Jack DeJohnette (ds)

3-6 to 4-3: 『Consequence』(1965年)
Lee Morgan (tp)
Jackie McLean (as)
Harold Mabern (p)
Herbie Lewis (b)
Billy Higgins (ds)

いや~、このあたりのサウンドは何度聴いても胸が熱くなる。それまでのハードバップから脱却を図ったような鮮烈さがあって、ハービー・ハンコックやジャック・デジョネットやチャールス・トリヴァーらの才能も取り入れ、いつでも再ブーストして飛躍できるぞと言わんばかりである。「Right Now!」のふたつのテイクなんて超カッコいい。

共演者たちの個性も出まくっている。ハービー・ハンコックの目が覚めるようなバッキング。ロイ・ヘインズのタメて斬る感覚。ジャック・デジョネットの空回りドライヴ。セシル・マクビーの重さ。ビリー・ヒギンズも何だかばたばたしていて好きである。

もちろんマクリーンの意気も勢いも素晴らしい。もう、うっとりである。この時期に先立つ『Let Freedom Ring』(1962年)でも、既にフリーキーなハイトーンを使っていたのだが、ここではもう完全に自分の声として駆使している(1966年のセッションの「High Frequency」がとても良い)。 

この感覚のサウンドが、いまでもジョシュ・エヴァンスやフランク・レイシーらに引き継がれていて、そんなわけでまた胸が熱くなるわけである。

●ジャッキー・マクリーン
ジャッキー・マクリーン『Let Freedom Ring』(1962年)
ジャッキー・マクリーンのブルージーな盤(1956、59年)


セルゲイ・クリョーヒン/アレクセイ・アイギ『The Spirit Lives』

2016-11-14 20:21:05 | アヴァンギャルド・ジャズ

セルゲイ・クリョーヒン/アレクセイ・アイギ『The Spirit Lives』(Leo Records、2015年)。セルゲイ・クリョーヒンは1996年に亡くなって20年近くが経つロシアの天才音楽家だが、本盤は、かれに捧げられた2015年のコンサートの記録であり、DVDとCDの2枚組である。DVDの前半はアレクセイ・アイギの音楽、DVDの後半とCDとは同一内容でクリョーヒンの音楽。ともにアイギが指揮とアレンジを行い、ヴァイオリンも弾いている。

Alexei Aigui (conductor, vln)
Alexei Kruglov (sax)
Sergey Letov (sax)
Ekaterina Kichigina (soprano vo)
Erkin Yusupov (tb)
Vyacheslav Guyvoronsky (tp)
Andrey Goncharov (tp, flh)
Denis Kalinsky (cello)
Vladimir Volkov (b)
Konstantin Kremnyov (g)
Sergey Nikolsky (bass g)
Vladimir Zharko (ds)
Arkady Marto (key)
Ad Libitum Orchestra 

アイギのコンポジションも悪くないし(ときどき、なぜかクリョーヒンのテイストが感じられる)、トロンボーンやアイギのヴァイオリンなど見せ場も多いのだが、やはり目当てはクリョーヒン作品である。「Tragedy, Rock Style」、「The Science Section」、「Tragedy in the Style of Minimalism」などにおいて、哀切で、転調してよじれるクリョーヒンのメロディが出てくると、それは嬉しくなる。

だが、ここには、文字通りソ連・ロシアのアンダーグラウンドから暴発し、壁を突き破ったエネルギーも猥雑さも、あまり感じられない。オーケストラが美しくコンポジションを再現するサウンドとは、クリョーヒンのオリジナルは全く異なるのだ。

それでも、クリョーヒンとともに活動したセルゲイ・レートフが、「Tibetan Tango」や「Tragedy in the Style of Minimalism」などにおいて、フリーキーなサックスでサウンドを擾乱し、そして、エカテリーナ・キチギナが、「Donna Anna」において、顎が外れんばかり、喉が裂けんばかりのソプラノヴォイスを響かせるとき、彼岸でクリョーヒンが少し目を覚ましたのだった。「Donna Anna」は、おそらく、クリョーヒンの大傑作『Sparrow Oratorium』(雀語によるオラトリオ)の1曲目「Winter」である。

●参照
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2)(2010年)(セルゲイ・レートフ)
現代ジャズ文化研究会 セルゲイ・レートフ(2008年)
ロシア・ジャズ再考―セルゲイ・クリョーヒン特集(2007年)
モスクワ・コンポーザーズ・オーケストラ feat. サインホ『Portrait of an Idealist』(2007年)(セルゲイ・レートフ)
セルゲイ・クリョーヒンの映画『クリョーヒン』(2004年) 


パトリシオ・グスマン『チリの闘い』、『チリ、拭い去れない記憶』

2016-11-13 20:38:32 | 中南米

1970年、チリにおいてサルバドール・アジェンデによる社会主義政権が誕生した。自由選挙に基づくものであった。しかし、1973年、アメリカの支援とアウグスト・ピノチェト陸軍総司令官が率いる軍事クーデターにより打倒され、アジェンデは死んだ。ピノチェトの独裁政治は1990年の失脚まで続いた。

パトリシオ・グスマンによる3部作のドキュメンタリー『チリの闘い』(1975、77、79年)は民衆運動の盛り上がりと軍事クーデターに伴う白色テロまでを捉えた作品であり、また、『チリ、拭い去れない記憶』(1997年)はピノチェト時代が去った後にこのときのことを振り返った作品である。前者は今年(2016年)に日本公開され大きな話題になった。わたしは観に行く時間を捻出できず、英語版DVDを入手した。

『チリの闘い』は、確かにおそるべき強度を持った、力強いドキュメンタリーである。

アジェンデは鉱業部門などを国有化し、アメリカ資本の寡占状態を解消した。ずっと南米はアメリカの裏庭であり、富がごく一部の者にのみ集中する仕組みになっていた。自国の資源を取り戻そうとする動きはここだけの現象でもなく、21世紀になってからのベネズエラやボリビアに象徴される大きな揺り戻しにもつながっている(モラレスによる『先住民たちの革命』)。しかしこれは、新自由主義的な経済構造としても、また東西冷戦構造としても、アメリカにとっては看過できないことであった。

アメリカはCIAを通じてチリの運輸業界にカネを流して活動をボイコットさせ、経済の麻痺に追い込もうとする。国内では産業活動が打撃を受け、また食糧の供給も滞った。これに対し、アジェンデを支持する市民たちは、自前での物流、農家からの直販、産業ごとの連帯(すなわち労働組合というわけではない)などにより対抗する。

市民たちが経済社会を下から再構築しようとする力は大変なものだ。もちろん反対派もノンポリもいた。しかし、雑踏や集会において、何かの組織の専従というわけでもない市民が自らの考えを臆することなく話す空気には、シニカルに視る・視られるの要素は見当たらない。

軍部とアメリカはこれを力で押しつぶした。ついに1973年9月11日、アジェンデは軍部による攻撃の中で亡くなる。アルンダティ・ロイ『帝国を壊すために』太田昌国『暴力批判論』においても強調される「もうひとつの9・11」である。そしてアジェンデを支持した数千人の市民たちはその場で殺され、あるいは連れ去られて(行方不明)、亡き者となった。映画でも、第1部の最後および第2部の最初に、カメラに向かって軍が発砲し、カメラマンが亡くなる瞬間が記録されている。

このクーデターと白色テロ、独裁時代のはじまりが、『チリの闘い』に記録されている。DVDに収録されているグスマンへのインタビューによれば、マドリッドで映画を勉強したグスマンは祖国に戻り、この騒乱を記録しようと決め、4-5人のメンバーで秘密裡に撮影を開始した。フィルムは限られているため、プロットも練った上で20-25時間の撮影を行い、現像した。投獄されたが釈放後ストックホルムに逃れ、その後、おじなどがスウェーデン大使館の荷物だと偽って船便でフィルムを荷出し、3か月後、グスマンのもとにすべて無傷で届いたのだという。なお、80年代には、ミゲル・リティンがピノチェト政権下のチリに潜入してもいる(G・G・マルケス『戒厳令下チリ潜入記』)。現在よりは監視体制が緩かったのかもしれないが、命を懸けたうえでの奇跡であったということができる。グスマンはパリからハバナへと移り、そこで編集作業を行った。第1部、第2部のあと、精根尽き果てたようになり、2年を置いて第3部を制作している。尋常ならざる密度と強度は当然のことでもあった。

「9・11」から23年を経て、ピノチェト時代も去ったあと、グスマンはチリに戻り、『チリ、拭い去れない記憶』を撮る。『チリの闘い』はピノチェト政権下では上映禁止、このときもまだ配給するリスクを取る者はなかった。グスマンは、生き残った者たちにフィルムを見せる。かれらの口からは、あれは自分だ、あれは誰それだ、あれは行方不明だ、との切実な証言が次々に出てくる。また、当時をあまり知らぬ若者たちにもフィルムを見せる。誰もが自国の歴史に直面し、涙を流している。一方、ピノチェトがやったことは内戦の回避や経済不況の打開であり良かったことだとの発言もある。そのような、命を天秤にかけようとする誘惑はどの時代にもあるものに違いない。ちょうど、米軍の空爆による無関係な者の犠牲を「コラテラル・ダメージ」だと位置付けたり、日本への原爆投下が戦争終結を早めたのだとみなしたりするように。

ピノチェトは失脚してから渡った英国から戻り、グスマン判事(監督とは別人)に追い詰められるが、最終的には判決が下される前に死んでしまう。2006年、ごく最近のことである(ドキュメンタリー『将軍を追いつめた判事』)。グスマンの『光のノスタルジア』(2010年)および『真珠のボタン』(2015年)は決して歴史の総括ではない。歴史を捉えなおす過程としての映画だということができるのではないか。

●参照
パトリシオ・グスマン『真珠のボタン』(2015年)
パトリシオ・グスマン『光のノスタルジア』(2010年)
G・G・マルケス『戒厳令下チリ潜入記』、ドキュメンタリー『将軍を追いつめた判事』 


ポン・ジュノ『殺人の追憶』

2016-11-13 14:02:41 | 韓国・朝鮮

ポン・ジュノ『殺人の追憶』(2003年)を観る。

まずは、刑事役のソン・ガンホの味わいに感心する。ちょっと粗暴だが人間味があって、パク・チャヌク『JSA』やキム・ジウン『グッド・バッド・ウィアード』(もちろん、原題が同じセルジオ・レオーネ『荒野のガンマン』の韓国版)でも忘れがたい演技をしていた。

映画は、韓国の田舎において80年代に起きた連続猟奇的殺人事件を題材にしている。かつての警察のひどい捜査や犯人の捏造を描いている一方、イ・ギュマン『カエル少年失踪殺人事件』と同様に、「異常者が社会の中で野放しにされている」というメッセージもあるようで、ちょっとそれも病理ではなかろうかと気になることだった。


ドン・チードル『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス空白の5年間』

2016-11-10 14:14:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

ドン・チードル『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス空白の5年間』(2015年)をDVDで観る。マイルス・デイヴィスの伝記映画であり、主に、1970年代後半の休息期間に焦点を当てている。

物語は時間をジャンプするが、さほど複雑でもなく、マイルスの音楽の変遷をある程度知っていれば混乱することはない。

興味深い場面はいくつもある。『Porgy and Bess』の収録場面(ギル・エヴァンス役がイケメンすぎる)。『Kind of Blue』メンバーでのライヴ(キャノンボール・アダレイ役もビル・エヴァンス役も暗くて似ているかどうかわからない)。『Nefertiti』の練習場面(ハービー・ハンコック役がショボい)。そして復帰後の『We Want Miles』的なセッション(エンディング)では、エスペランサ・スポルディング、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロバート・グラスパー、アントニオ・サンチェスらが愉しそうにマイルス役のチードルと演奏している。マイルスが結婚したフランシス夫人役の顔に合わせて、『Someday My Prince Will Come』のジャケットも修正。演奏の合間にジャズクラブの外で煙草を吸っていると、レイシストの警官に殴られ拘束される有名な逸話の再現。

しかし、それはそれとして、映画の出来はあまり良くない。チードルはマイルスにあまりにも似ておらず、貫禄もなく、そのことがずっと気になってしまう。ロバート・バドロー『ブルーに生まれついて』におけるマイルス役のケダー・ブラウンのほうが1万倍はマシだ。

また、『Roling Stone』誌の記者(架空の存在、ユアン・マクレガー)との諍いや、コロムビア社とのギャングの抗争ばりの闘いが、映画を中途半端なアクション物にしてしまっている。

結論は、「マイルスが好きで、あれこれツッコミを入れたいのであれば、観ても損はしないのではないか」。

●参照
MOPDtK『Blue』
『A Tribute to Miles Davis』
マイルス・デイヴィスの1964年日本ライヴと魔人
キャノンボール・アダレイ『Somethin' Else』


『Number』のカープ対ファイターズ特集

2016-11-09 15:58:09 | スポーツ

ちょっと前には予想もできなかった、カープとファイターズとの日本シリーズ。

25年前にカープが優勝したときはライオンズと日本一を争った。カープの主軸はいまひとつ迫力不足で、4番は西田だったりアレンだったりしたが、そのアレンも4番なのに代打を出されたりした。佐々岡がいいところまでノーヒットピッチングを見せた。川口が大活躍したが、この「ひとりの調子が良い投手を使いまくる」伝統は、その後のスワローズの川崎や岡林にも見られた。北別府は結局日本シリーズでは勝てなかった。懐かしいな。

それにしても、広島にとっては、オバマ大統領が来たりカープが優勝したりと大変な年だったわけである。できれば、カープに勝って欲しかった。

今回ちょうど入院していて、第3戦から4試合をテレビでフル観戦できたのだが、全部ファイターズが勝ってしまった。すべて面白いゲームだった。中でも白眉は黒田博樹が先発した第3戦。黒田の経験値や凄みも、大谷が化け物であることを証明したサヨナラ打もきっと忘れないだろうね。いや~、野球っていいものですね。

そんなわけで、毎年恒例の『Number』日本シリーズ特集号を買ってきて、それぞれのゲームを反芻するように読んでいる(最初にこの雑誌を読んだのは、1989年にジャイアンツがバファローズを破って日本一になったときの特集号だった。表紙は駒田だった)。概ね、カープの采配も選手の動きも、最初の2試合に勝ってしまったために、守りに入ってしまい、その後はカープらしさを見せることができなかったのだとする論調であり、まあそうなのだろうなと思う。ただ黒田がさすがの存在感を見せつけた第3戦で、カープが勝っていたとしたら、またその後の展開は違ったものになったに違いないのだ。結果ありきの言説の限界である。

●参照
『Number』のイーグルス特集(2013年)
『Number』のホームラン特集(2013年)
石原豊一『ベースボール労働移民』、『Number』のWBC特集(2013年)
『Number』の「BASEBALL FINAL 2012」特集(2012年)
『Number』の「ホークス最強の証明。」特集(2011年)
『Number』の「決選秘話。」特集(2011年)
『完本 桑田真澄』(2010年)
WBCの不在に気付く来年の春(2009年)
『Number』の清原特集、G+の清原特集番組、『番長日記』(2009年)
『Number』の野茂特集(2008年)