Sightsong

自縄自縛日記

WaoiL@下北沢Apollo

2019-04-24 08:02:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

下北沢のApollo(2019/4/21)。

Tokutaro Hosoi 細井徳太郎 (g)
Koki Matsui 松井宏樹 (as, ss)
Katsumasa Kamimura 上村勝正 (b)
Raiga Hayashi 林頼我 (ds)

この日のテーマは細井さんによれば「赤子が生まれるまで」。ファーストセットは受精まで、セカンドセットは妊娠と出産なのだと微笑みながら話している。もはや冗談と真面目の領域がどうでも良くなっている。

モンクの「Bye-Ya」「Misterioso」からはじまった。ソプラノサックスのあとの太いギター、ノーリミットで叩き押さえるようなドラムス、いきなり異世界であり面白い。細井さんの泡立つようなギター(ビニールで弦を押さえてもいた)、それに続きバブルが大きくなる松井さんのアルト。細井さんのオリジナルでは全員が息をあわせてマッドマックスとなり爆走する。松井さんのソプラノは槍のようであり、アルトはときに寂寥を感じさせる。このサックスの感覚は次の曲でもあって、音の立ち上がりに聴き惚れる。林さんは派手に花火をぶち上げる。

セカンドセット、冒頭のモンクの「Criss-Cross」では、一転して、狂気を感じさせるソプラノソロからはじまった。次は「Trinke Tinkle」だったか、全員が回転しながらクレイジーな様相を強めていく。上村さんは一貫して独特のノリでサウンドを下から煽り前に進めている。「I See Your Face Before Me」では、ギターがキーボード的な音を出し、ブラシがあちこちで鼠花火のように火花を散らしまくる。この中でゆったりと吹くアルトが次第にドラマを創出していく。最後はコルトレーンの「Dear Load」であり、なめらかさも違和感も感じさせるアルトがあらためてとても良い。ギターはいまだわけがわからない。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●細井徳太郎
ヨアヒム・バーデンホルスト+シセル・ヴェラ・ペテルセン+細井徳太郎@下北沢Apollo、+外山明+大上流一@不動前Permian(2019年)
合わせ鏡一枚 with 直江実樹@阿佐ヶ谷Yellow Vision(2019年)
SMTK@下北沢Apollo(2019年)
伊藤匠+細井徳太郎+栗田妙子@吉祥寺Lilt
(2018年)

●上村勝正
今村祐司グループ@新宿ピットイン(2017年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2017年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その3)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その2)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その1)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2014年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2011年)
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ

●林頼我
永武幹子+加藤一平+瀬尾高志+林ライガ@セロニアス(2018年)
林ライガ vs. のなか悟空@なってるハウス(2017年)
森順治+高橋佑成+瀬尾高志+林ライガ@下北沢APOLLO(2016年)


Outer Pulsation@台北Gongguan Underpass

2019-04-23 22:33:04 | アヴァンギャルド・ジャズ

台北のレコード店・先行一車は噂通り素晴らしい場所だった。以前に東京のライヴハウスで知り合ったI-Cheng Linさん経由で話が伝わっていたようで、初訪問のとき店主(なのか?)の王啟光さんに、あああんたかと言われてしまった。確かに品ぞろえが面白いし、いろいろな人が出入りする。インプロにすごく詳しいJan-wen Luさんともお会いできて、いろいろと珍しい盤を見せてくれた。

ここに集まる人たちの企画で、地下道でギグをやるという。辿り着く自信もないし、先行一車に集まって一緒に車で出かけた。はじめは誰が演奏者で誰がリスナーなのかわからない。

以下、演奏順に。(I-Chengさんが背景などあとで教えてくれた。)

■ Dino

No-input electronicsを使う。台湾にアヴァンギャルド音楽が入ってきた1990年代半ばには高校生であったようだ。ヴェテランらしく、シートに広げたエレクトロニクスを淡々と扱う。地下道という効果もあるのか、いきなり音があちこちから聴こえてきて頭がくらくらする。

■ Lala Reich

石塚俊明や富樫雅彦を好むというドラマー。3年前から活動をはじめ、今回がはじめてのソロだという。

小さな音をとても大事にしていることが伝わってくるし、それだけに大きな音で鳴らすときにそれが際立つ。櫛を使ってシンバルを擦ったりもした。静かな集中のためか、時間の経過を忘れてしまう演奏だった。

■ Jyun-Ao Lin

4年前にパリから帰国してから、実験的な音楽を追求している。ミュージック・コンクレートの影響を受け、また大友良英グランドゼロや灰野敬二を愛聴しているという。ギターを弾きながら前後に大きくステップして動き、足で獲物を狙うかのようにエフェクターを扱う。サウンドがカラフルになった。かれの動画を観るともとよりそのスタイルのようだが、この日は地下道全体をサウンド創出に使っていることになった。

■ Chia-Chun Xu

高校生の頃からノイズをやっているらしい。エレクトロニクスでの拡がりのあるサウンドが伝わってきて、その多層性がとても良い。工事用コーンを片手で使いサウンドに変化を付ける、そのアナログ操作も効果的だった。

■ IC Jean

ギターを横に寝かせ、エレクトロニクスとつないで音響発生器として使う。Jyun-Ao Linをリスペクトしており、これがライヴ3回目だそうである。ユニークなアプローチゆえ、サウンドがシンプルになったこととあわせて変化が生まれた。

■ Shao-Yang Xu

香港出身、現在ロンドン在住。気さくな人で、演奏前後にあれこれと話した(わたしの業界とわりと近かった)。新潟に在住していたこともあるそうだ。また、マヘル・シャラル・ハシュ・バズのメンバーだったこともあるという。ロンドンのCafe Otoでは10回近く演奏したことがあり、また結婚式もそこで挙げたんだと笑った。

かれは地べたに座り、Lalaのドラムス、Jyun-Ao Linのギターに指示しながら、マイクを口の近くに近づけて両手で覆い、ヴォイスをさまざまに変化させる。リストを見せてもらうとベートーヴェンもバッハも入っている。とは言え曲の流れだとか周辺の空気感だとかいったものが溶解してゆき、朦朧とさせられるサウンドとなっている。面白い。

こうして演奏が続くうちにどんどん人が増えていく。東京だってここまで集まることはないかもしれない。王さんは月桂冠をラッパ飲みしてはこちらに手渡してくる(翌朝発つから控えていたのに)。やはりコミュニティの力というものは強い。このような音楽ならばなおさらのことだ。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4 


里茶叔叔、阿布斯@台北Witch House(女巫店)

2019-04-23 07:49:40 | ポップス

朝カフェに入ったら、Witch House(女巫店)における一連のライヴシリーズのフライヤーが置いてあった。アジアンポップスか、面白そうなので覗いてみた(2019/4/18)。

里茶叔叔はギター、ハーモニカと歌。MCでも何かを軽妙に話していて、男女問わず人気がありそう。

しかし後半の阿布斯(Abus)のステージになってさらに店の雰囲気が親密になった。客は8割方20代だろうか。阿布斯はどうやら18歳のようで、ときおり英語で切々と歌っている。客とも顔見知りのようで、やはり男女問わず、憧れの仲間であるように見つめていた。


陳穎達カルテットの録音@台北

2019-04-23 00:41:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

台北でサックスの謝明諺さんに牛肉麺をごちそうになって、そのまま、かれが参加している陳穎達カルテットの録音を観に行った。場所は士林のスタジオである(2019/4/18)。

Ying-Da Chen 陳穎達 (g)
MinYen "Terry" Hsieh 謝明諺 (ts, ss)
Kinya Ikeda 池田欣彌  (b)
Wei-Chung Lin 林偉中 (ds)

リーダーはギターの陳穎達さん。録音はこの日で3日目とのことであり、前回満足しなかった曲の演奏となった。「離峰時刻」という陳さんのオリジナル曲で、音がみちみちに詰まった良い演奏だった。いちど演って前回の録音を聴くと、隙間があるように感じられる。それはベースの池田欣彌さんによれば夜も遅くてみんな疲れていたからだ、とのこと。しかしなおも執拗に演奏を行う。

至近距離で聴く謝明諺(テリーさん)のサックスはさすがである。テイクによって異なるフレーズをもりもりと吹く。アイデアと技術とが手を取り合っているからに他ならない。途中でうまくいかなかった場面も含めてとても面白い。

陳さんのギターはソフトでもあり芯が通ってもおり、初対面ながら、やわらかな人柄をあらわしているような音に聴こえた。林偉中のドラムスもまた、いろいろと工夫したビートに柔軟に対応しつつも力強いパルスを放つ。もう長いこと台北に住んでいるという池田さんは、この日はエレキベースを弾いた。鋭くおさえながらサウンドを前に進めるのは池田さんのベースでもあるのだった。

録音は終始和やかで、それでも満足行くまで聴きかえしてはまた戻る。愉快だったのは、宇宙遊泳的な陳さんのオリジナル「Universe Navigation Log Book」を聴いていて、テリーさんがここはオーヴァーダブだと言ってスタジオに戻り、いろいろと愉快な音を重ねる。昔のテレビゲームのようだ。テリーさん以外はみんな聴きながら笑っているが、さてどんな面白いサウンドが出来上がるだろう。

このカルテットは、『R.E.M Moods』(2015年)、『Animal Triste』(2017年)と2年おきにアルバムを出している。この第3作がどのようなものに仕上がってくるか楽しみだ。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4mm、XF60mmF2.4

●謝明諺
東京中央線 feat. 謝明諺@新宿ピットイン(2018年)
謝明諺+大上流一+岡川怜央@Ftarri
(2018年)
謝明諺『上善若水 As Good As Water』(JazzTokyo)(2017年)


My Afternoon talk with Kuo the “Master”@台北Sappho Live Jazz

2019-04-22 23:41:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

台北にはじめて着いた日の夜は、Sappho Live Jazzを覗いてみた(2019/4/17)。ここではどこも開演が遅く、21時半あたりなのだろうか。

ギターとキーボードとのデュオである(KuoとLeeとあるだけで名前がわからない)。「Along Came Betty」のような有名曲も、ケニー・カークランドやスティーヴ・スワロウらの複雑な曲も演った。ギターは堅実で気持ちがいい。またキーボードは巧みに音を散らしており鮮やかだった。サックスの謝明諺さんによれば、かれの後にベルギーに音楽留学した人のようだった。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4mm、XF60mmF2.4


MoE+メテ・ラスムセン+灰野敬二+藤掛正隆@荻窪Club Doctor

2019-04-16 00:36:49 | アヴァンギャルド・ジャズ

荻窪のClub Doctor(2019/4/15)。

Guro Skumsnes Moe (b, vo)
Håvard Skaset (g)
Mette Rasmussen (sax) 
Keiji Haino 灰野敬二 (g, vo)
Masataka Fujikake 藤掛正隆 (ds)

メテ・ラスムセンと灰野敬二が並んで立っているなんて冗談のようだ。しかもその音の強度は甲乙つけがたい。それはかれらふたりだけではない。

藤掛さんの極めて圧の高いドラムス。グロの知的騒乱のようなベースとヴォイス。ホーヴァールもやはり知的に、しかも巧みな技術でサウンドをコントロールする。しかし、グループ全体を指揮したのは灰野敬二だ。やや音量的には抑えつつも、すべてを毎回振り切って崖から躊躇なく飛ぶようにギターを弾く(これはかれのドラムスも同じだった)。

そしてメテ・ラスムセンは、覚醒したキャリーのように、1928年製のアルトからエネルギー密度が異常に高い波動砲を四方八方に放ち続ける。淡々としていてあまりにも強く、その成分たる異なる周波数それぞれがすべて強い。

とんでもないカタルシスが得られた2セットだった。

なお、グロさんが灰野さんと初めて共演したのは2018年9月のことで、灰野さんのドラムスとヴォイスに対し、彼女は4メートルもある巨大なベースのオクトベースを使ったのだという(いずれその記録がリリースされるようだ)。ホーヴァールさんは4メートルだぞと愉快そうに話した。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●メテ・ラスムセン
メテ・ラスムセン+MoE@東高円寺二万電圧(2019年)
MoE+メテ・ラスムセン『Tolerancia Picante』(2018年)
Kiyasu Orchestra Concert@阿佐ヶ谷天(2017年)
メテ・ラスムセン@妙善寺(2017年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ@Candy、スーパーデラックス(2017年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ@Candy(JazzTokyo)(2017年)
メテ・ラスムセン+タシ・ドルジ+タイラー・デーモン『To The Animal Kingdom』(2016年)
メテ・ラスムセン+タシ・ドルジ『Mette Rasmussen / Tashi Dorji』(2016年)

ドレ・ホチェヴァー『Transcendental Within the Sphere of Indivisible Remainder』(JazzTokyo)(2016年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ『A View of The Moon (from the Sun)』(2015年)
メテ・ラスムセン+ポール・フラハーティ+クリス・コルサーノ『Star-Spangled Voltage』(2014年)
シルヴァ+ラスムセン+ソルベルグ『Free Electric Band』(2014年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ『All the Ghosts at Once』(JazzTokyo)
(2013年)
『Trio Riot』(2012年)

●MoE
メテ・ラスムセン+MoE@東高円寺二万電圧(2019年)
MoE+メテ・ラスムセン『Tolerancia Picante』(2018年)

●灰野敬二
Psychedelic Speed Freaks/生悦住英夫氏追悼ライヴ@スーパーデラックス(2017年)
Sound Live Tokyo 2016 ピカ=ドン/愛の爆弾、私がこれまでに書いたすべての歌:バンド・ナイト(JazzTokyo)(2016年)
勝井祐二+ユザーン、灰野敬二+石橋英子@スーパーデラックス(2015年)
ジョン・イラバゴン@スーパーデラックス(2015年)
本田珠也SESSION@新宿ピットイン(2014年)


ビョーク『Utopia』

2019-04-14 23:53:08 | ポップス

ビョーク『Utopia』(One Little Indian Records、2017年)。

アナログで買ったあとにさらりと聴いただけだったことを思い出し、あらためて聴きなおした。

別離のあとの『Vulnicura』から気持ちを引きずってはいるものの、痛々しさが消えて、より開かれた雰囲気になっている。これには、『Vulnicura』がストリングスを多用していたのに対し(もっとストリングスを引きたてた『Vulnicura Strings』『vulnicura live』さえもあった)、もっとフルートやエレクトロニクスの貢献を増やしたこともあるのかもしれない。

どちらかと言えば、切実さがいくつもの名曲となって結実した『Vulnicura』のほうが好きである。それでも、言葉ひとつひとつの発音を手でなぞりながら歌うようなビョークの声は、とても魅力的だ。

●ビョーク
Making of Björk Digital @日本科学未来館(2016年)
ビューティフル・トラッシュ『Beautiful Disco』 アルゼンチンのビョーク・カヴァー(2015年?)
ビョーク『vulnicura live』(2015年)
ビョーク『Vulnicura Strings』(2015年)
ビョーク『Vulnicura』(2015年)
MOMAのビョーク展(2015年)
MOMA PS1の「ゼロ・トレランス」、ワエル・シャウキー、またしてもビョーク(2015年)
ビョーク『Volta』、『Biophilia』(2007、2011年)
ビョーク『Vespertine』、『Medulla』(2001、2004年)
ビョーク『Post』、『Homogenic』(1995、1997年)
ビョーク『Gling-Glo』、『Debut』(1991、1993年) 


老丹のサックスと笛

2019-04-14 21:41:57 | アヴァンギャルド・ジャズ

中国遼寧省出身の老丹(Lao Dan)というサックス奏者がいる。今度来日して、豊住芳三郎や照内央晴といった人たちと共演するらしい(2019/7/5・アケタの店、7/6・エアジン)。

この人のサックスは、コンピレーション盤『Saxophone Anatomy』(Armageddon、2017年)で聴いたのみである。一聴して異様な迫力に満ちている。苛烈であり、獣のように吹いては獣のように叫ぶ。ナマでどのような演奏をみせてくれるのか楽しみである。

なお、同盤には、リック・カントリーマンによる艶々したアルト、コリン・ウェブスターによるタンポ音をカラフルに使うバリトンと、3人のサックスソロが収録されている。

Lao Dan 老丹 (as)
Rick Countryman (as)
Colin Webster (bs)

『逐云追梦 Going After Clouds and Dreams』(Modern Sky、2016-17年)はすべて老丹のソロである。しかしサックスではなく中国の笛であり、どうやら、通常は付いている笛膜(吹き込み口と指孔の間の孔に貼る葦の膜)を取り除いてしまっているようだ。そのせいか気が前面に押し出されているような息遣いである。なるほど、これも体感してみたい。

Lao Dan 老丹 (Chinese bamboo fl)


キム・エランら『目の眩んだ者たちの国家』

2019-04-14 19:07:21 | 韓国・朝鮮

キム・エランら『目の眩んだ者たちの国家』(新泉社、原著2014年)を読む。

本書には、セウォル号沈没事件について韓国の作家たちが寄せた文章が集められている。

これは事故ではなく人災の事件であった。2014年4月16日のことであるから、およそ5年が経つ。そんなに前だったかと驚いてしまうが、亡くなった299人の乗員・乗客はそのように忘れたり思い出したりすることもできない。絶望したり憤激したりする自由も残されていない。

作家たちは各々の言葉で何が起きたのかを探ろうとする。それはどうしても、新自由主義的なオカネの重視とドライな役割分担、でたらめな制度の運用、見て見ぬふり、ハンナ・アーレントが言うような人間の悪、責任逃れの方法が組み込まれたシステム、といったことに収斂する。もちろんその通りである。そして日本に住む読み手は、これを自分たちのこととして読まなければ何の意味もない。向こう側に隠しているものをこちら側に持ってくる行為、恥辱を恥辱として共有する行為がなければ。


姜泰煥@下北沢Lady Jane

2019-04-14 10:44:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

下北沢のLady Jane(2019/4/13)。

Kang Tae Hwan 姜泰煥 (as) 

おそらく姜泰煥のソロだけのライヴを観るのははじめてだ。昂揚を抑え演奏を待った。

以前よりも多彩になったのだろうか?いやこれは姜さんがその日にどの引き出しを開けるかによって異なるに過ぎない。

循環呼吸奏法は勿論だが、それによらず、重音が絶えず変貌する。それは静的なグラデーションというよりも動的・生物的なコンターであった。目の前の時空間は歪み続けた。意外にも曲的なものもあった。また、セカンドセットのアンコール前にみせた、地響きのごとき轟音には呆気に取られてしまった。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●姜泰煥
TON KLAMI@東京都民教会(2016年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
姜泰煥『素來花』(2011年)
姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2008年)
姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2)(2008年)
大倉正之助『破天の人 金大煥』(2005年)
姜泰煥+美妍+朴在千『Improvised Memories』(2002年)
TON-KLAMI『Prophecy of Nue』(JazzTokyo)(1995年)
『ASIAN SPIRITS』(1995年)
サインホ・ナムチラックとサックスとのデュオ(1992-96年)


齋藤徹+久田舜一郎@いずるば

2019-04-12 07:55:18 | アヴァンギャルド・ジャズ

先週の沢井一恵さん(箏)に続いて、沼部のいずるばにおいて、能楽師の久田舜一郎さんとの共演(2019/4/11)。

※沢井一恵さんとの共演については後日詳報。

Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)
Shunichiro Hisada 久田舜一郎 (鼓)
guest:
Ryotato Yahagi 矢萩竜太郎 (dance)

久田さんは「クラシック音楽のようなもので、能しかやっていない」と言う。しかし、その能楽の巨匠が即興も行ってきた。テツさん、ミシェル・ドネダらとも行動を共にしたフランスの現代音楽祭ミュージック・アクシオンでは、ステージ後の夜のセッションにおいて、久田さんは「月に吠えた」のだという。また、アフリカのミュージシャンたちとも意気投合したのだという。

ただ、それはエキスパティーズを持った人が即興の世界で繰り広げる凄さ、というだけのことではなさそうである。長い歴史を持つ能楽そのものが、中世のさまざまな芸能を取り込み、また異なる流派の間でも馴れ合いにならないようにして緊張を保ってきた音楽なのだった。テツさんは「道成寺」での乱拍子を世界最高水準の即興演奏だと言った。

先週の沢井一恵さんとの話と同様に、ここでも「日本とは?」という問いが、抽象的なものではなく実感を伴うものとして出てくる。テツさんによれば、外国人の即興演奏家は即興ですぐに反応し、会話をしようとするという。そして、きっちりとしたリズムや即応ではなく、「揺れ」を大事にするのだという久田さんの発言があった。

45分ほどのトークが終わり演奏。久田さんは入念に鼓の調整をしている。紐を締めたり緩めたり、また、紙をちぎって口で湿らせ、鼓の表面に貼っているようにみえる。

はじめてナマで観る共演はたいへんな緊張感を共有させるものだった。テツさんは音楽には無酸素運動と有酸素運動があるのだと話していたが、これは前者だとしか思えない。久田さんのかけ声と鼓の一様ではない響かせ方。ときに破裂するようにコントラバスと重なりあい、あっと言いそうになってしまう。まさにここには「揺れ」「揺らぎ」があって、個人の意思も揺れ、ふたりの意思も揺れながら重なり離れ、ずっと動く影や水面を見つめているような気がしてくるのだった。

近藤真左典『ぼくのからだはこういうこと』においては、このふたりにザイ・クーニンのパフォーマンスを加えた姿がとらえられている(2018年、長野でのライヴ)。矢萩竜太郎・皆藤千香子のダンサーふたりが入る前に、既に映像でもわかる結界のようなものが出来ていた。それもあってこの日来るのがちょっと怖い気持ちもあったのだが、実際のライヴを観ると、迫力だけでなく交感も感じられた。

しばらくして矢萩竜太郎さんが入ってきた。先週の沢井一恵さんとの共演時とは異なり、大きな円環をテーマにしたようなダンスであり、音楽との距離感が絶妙に思えた。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●齋藤徹
近藤真左典『ぼくのからだはこういうこと』、矢荻竜太郎+齋藤徹@いずるば(2019年)
2018年ベスト(JazzTokyo)
長沢哲+齋藤徹@ながさき雪の浦手造りハム(2018年)
藤山裕子+レジー・ニコルソン+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2018年)
齋藤徹+長沢哲+木村由@アトリエ第Q藝術(2018年)
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(2018年)
かみむら泰一+齋藤徹@喫茶茶会記(2018年)
永武幹子+齋藤徹@本八幡cooljojo(JazzTokyo)(2018年)
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
DDKトリオ+齋藤徹@下北沢Apollo(2018年)
川島誠+齋藤徹@バーバー富士(JazzTokyo)(2018年)
齋藤徹+喜多直毅@板橋大山教会(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+外山明@cooljojo(2018年)
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+皆藤千香子@アトリエ第Q藝術(2018年)
2017年ベスト(JazzTokyo)
即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』(2017年)
『小林裕児と森』ライヴペインティング@日本橋三越(2017年)
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
長沢哲+齋藤徹@東北沢OTOOTO(2017年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
齋藤徹ワークショップ特別ゲスト編 vol.1 ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+佐草夏美@いずるば(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
齋藤徹@バーバー富士(2017年)
齋藤徹+今井和雄@稲毛Candy(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)
りら@七針(2017年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム(2016年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年) 
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
ローレン・ニュートン+齋藤徹+沢井一恵『Full Moon Over Tokyo』(2005年)
明田川荘之+齋藤徹『LIFE TIME』(2005年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
齋藤徹+沢井一恵『八重山游行』(1996年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ジョゼフ・ジャーマン 

●久田舜一郎
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)

●矢荻竜太郎
近藤真左典『ぼくのからだはこういうこと』、矢荻竜太郎+齋藤徹@いずるば(2019年)
即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』(2017年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)


白洲正子『木』

2019-04-10 08:07:12 | 環境・自然

白洲正子『木 なまえ・かたち・たくみ』(平凡社ライブラリー、原著1987年)を読む。

ドイツ在住のダンスの皆藤千香子さんが白洲正子のことを薦めていて、ふと古本屋で見つけて読んでみた。

なるほど、文章に無駄な装飾がないし、もとより自分を着飾ってみせようという心はまったく見出せない。ちょっと変わったふうにみえるとすれば、それは白洲正子というひとの美学である。彼女は、たとえば生活の中での木のありようだったり、樹種によって異なる素材の性格や美しさだったり、木に関わるひとたちの生き方だったりといったものに、凝視に近い親密な視線を送っており、それが文章に衒いなく反映されている。いい文章だ。

面白いのは、白洲正子さんは、葉っぱや樹皮のことをほとんど書いていないことである。たとえばクスノキであれば、わたしなどは、分厚く丸っぽく、ダニの棲みかがある葉っぱが好きだし、幹の表面も好きである。一方、白洲正子さんは、霊木としての歴史、仏像への利用、全体の佇まいなどを書いている。他の木については、道具に化けたあとのことをよく書く。

だからどうだというわけではない。面白いなあ、ということである。

●参照
斎藤修『環境の経済史 森林・市場・国家』
上田信『森と緑の中国史』
只木良也『新版・森と人間の文化史』
そこにいるべき樹木
園池公毅『光合成とはなにか』
館野正樹『日本の樹木』
荒俣宏・安井仁『木精狩り』
東京の樹木
佐々木高明『照葉樹林文化とは何か』
湯本貴和『熱帯雨林』
宮崎の照葉樹林
オオタニワタリ
科学映像館の熱帯林の映像
森林=炭素の蓄積、伐採=?
『南方熊楠 100年早かった智の人』@国立科学博物館
南方熊楠『森の思想』
小川眞『キノコの教え』


森本あんり『異端の時代』

2019-04-10 07:19:24 | 思想・文学

森本あんり『異端の時代―正統のかたちを求めて』(岩波新書、2018年)を読む。

著者がこの思考のもとにしたのはキリスト教の歴史だが、それは、より広い言説や発想の前提にあてはまる。

丸山眞男は「L正統」と「O正統」とを定義した。前者は権力継承の正閏を問うもの、後者は教義解釈の正邪を問うものである。そこで現れる言説が、西欧社会には「O正統」があり、日本社会は「L正統」に依拠してしまいがちだというものである。丸山の「であること」と「すること」にも重なってくる概念であり、それは、日本の近現代史や政治や社会のありようをみるなら的を射た捉え方のように思える。

だが、著者は、ことはそう簡単ではないと説く。なぜなら「正典」や原理的な「教義」ではなく、もっと広い「正統」が先にあり、それは矛盾やツッコミどころを抱え持つとはいえ、多くの者に共有され支持されてきたイデアだからだ、と。「正典」が「正統」を作るのではないというわけである。原理を持たず権力に依りかかるのは日本特有のことではない。逆に、「異端」を、ピンポイントでなにかに焦点を当てているからこそ「異端」なのだとする。

この思考に沿って、著者は、たとえば政権が「正統をつくる」として憲法改定を喧伝することを思い上がったものとみなす。その一方で、政権への反対(常に権力に反対する社会運動や万年野党)を、その「異端」と位置付けてもいる。後者の考え方はわたしには危険なものに思える。「正統」が理詰めに説明可能なものではないのだとして、それでは、伝統や社会性といった漠とした概念を「正統」とする間違った保守に安易に陥るのではないか。あるいは、ピンポイントの主張が全体性に劣後するということになってしまうのではないか。


ジョン・ヒックス『Hells Bells』

2019-04-09 00:22:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョン・ヒックス『Hells Bells』(Strata-East、1975年)を聴く。最近再発された重量盤LP。

John Hicks (p)
Clint Houston (b)
Cliff Barbaro (ds)

これがヒックスの初リーダー作である。分厚くコードを叩いて突き進むスピード感はマッコイ・タイナーと比較されてきたりもしたが、熱さと哀しみとが共存しているこの個性を、なにもマッコイと比較する必要はない。これを聴くと、ヒックスは最初からヒックスだったことがわかる。

クリント・ヒューストンの必要以上に熱くやかましいベースは気にならない。ヒックスを聴ければそれでよい。

●ジョン・ヒックス
ソニー・シモンズ『Mixolydis』(2001年)
ソニー・フォーチュン『In the Spirit of John Coltrane』(1999年)
ジョン・ヒックス+セシル・マクビー+エルヴィン・ジョーンズ『Power Trio』(1990年)
デイヴィッド・マレイの映像『Live at the Village Vanguard』(1986年)
ファラオ・サンダースの映像『Live in San Francisco』(1981-82年)
チコ・フリーマンの16年(1979、95年)
ソニー・シモンズ


ジョーンズ・ジョーンズ(ラリー・オクス+マーク・ドレッサー+ウラジミール・タラソフ)『A Jones in Time Saves Nine』

2019-04-08 23:04:41 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョーンズ・ジョーンズ(ラリー・オクス+マーク・ドレッサー+ウラジミール・タラソフ)『A Jones in Time Saves Nine』(clean feed、2016年)。300枚限定のLPである。

Jones Jones:
Larry Ochs (ts, sopranino sax)
Mark Dresser (b)
Vladimir Tarasov (ds, perc)

なんというか、曲者というか癖者が3人。聴いてみるとやはりひっそりと奇妙。

ラリー・オクスの過激にひしゃげた音。もちろんそのままやり通すのだが、中音域の巨匠であるところのマーク・ドレッサーも意図的にか割れた音を発する。そしてウラジミール・タラソフはそのふたりの波動で雑音を生じさせると同時に、自らも音を割れさせて、なにかを策動しているに違いない物語世界を提示している(たぶん)。

そういったサウンドを、かれらは実にゆったりと展開する。美学を貫く変人たちが集まるとこちらも勇気付けられる。

●ラリー・オクス
ラリー・オクス+ネルス・クライン+ジェラルド・クリーヴァー『What Is To Be Done』(2016年)
ロヴァ・サクソフォン・カルテットとジョン・コルトレーンの『Ascension』(1965、1995年)

●マーク・ドレッサー
マーク・ドレッサー7@The Stone(2017年)
マーク・ドレッサー7『Sedimental You』(2015-16年)
テイラー・ホー・バイナム+マーク・ドレッサー『THB Bootlegs Volume 4: Duo with Mark Dresser』(2014年)
マーク・ドレッサー『Unveil』、『Nourishments』(2003-04年、-2013年)
『苦悩の人々』再演
(2011年)
クリスペル+ドレッサー+ヘミングウェイ『Play Braxton』(2010年)
スティーヴ・リーマン『Interface』(2003年)
マーク・ドレッサー+スージー・イバラ『Tone Time』(2003年)
ユージン・チャドボーン『Pain Pen』(1999年)
藤井郷子『Kitsune-Bi』、『Bell The Cat!』(1998年、2001年)
ジェリー・ヘミングウェイ『Down to the Wire』(1991年)
ジョン・ゾーン『Spy vs. Spy』(1988年)

●ウラジーミル・タラソフ
ウラジーミル・タラソフ+エウジェニュース・カネヴィチュース+リューダス・モツクーナス『Intuitus』(2014年)
イリヤ・カバコフ『世界図鑑』(2008年)
モスクワ・コンポーザーズ・オーケストラ feat. サインホ『Portrait of an Idealist』(2007年)
ロシア・ジャズ再考―セルゲイ・クリョーヒン特集(2007年)
ガネリン・トリオの映像『Priority』(2005年)