黒部(峡谷)と槍(ヶ岳)。全く別のエリアに思えるが、槍ヶ岳を北上すると意外と近い距離で黒部湖に当る。実際ネットで検索すると槍⇔黒部縦走記が何件も引っ掛かるので、山ヤでない自分が知らないだけのことだと判った。とは言え一般人のアプローチコースは全く別物の両者、一つの写真展で並び立たせる意味(意義)がどこにあるのか?
黒部を撮ったのは冠松次郎(かんむり・まつじろう)、大正末期~昭和初期(戦前)。見るだに恐ろしい桟道など映っており、後年こうした道を歩荷(ボッカ)が担いで資材を運び多大な犠牲を払いながら「黒部の太陽」黒部第四ダムなどを建設したと言うことか。日本の谷としては明らかに深く鋭いV字谷、モノクロームの写真ゆえ余計に陰影や白い飛沫で谷の深さ流れの速さが判る。
槍は穂苅三寿雄、こちらの写真は雄大なパノラマが多く、黒部の写真に見る空の狭さと対称的。撮影時期はやはり古く、鋭いが岸壁に取り付くクライマーの装備はいま見ると心許ない。あの辺り良く行ってる方(Dさん?)なら、雄大なパノラマを見ればキャプションを見ずともあれはxx岳、それはxxと諳んじているだろうし、自身の山行の思い出も語れよう。登山に縁のない身にはフラストレーションと憧れが溜まる一方であった。
これらの山々、撮影された数十年前と今とではどれほど違うであろうかと思ったら映像コーナーで現代の写真家(黒部は志水哲也氏、槍は息子の穂苅貞雄氏)との対比スライドが上映されており興味深かった。予想通り黒部はほとんど手付かずの印象変わらず、槍はずいぶん人が増えたと感じるのはアプローチの容易さなど考えれば無理ないところ。もちろん甲乙優劣つけられるものではない。
ところで写真に残る固有名詞として、(信濃)大町の旅館・対山館は、残念ながら廃業してしまったがその名を東京阿佐ヶ谷の喫茶店に引き継ぎ、現在も営業されているそうである。大澤(沢)小屋は、針の木小屋とともに存続(現在は冬季休業中)。そんなことを楽しむのも面白い。
鑑賞後、早い時間であればそのまま同じ恵比寿にあるモンベルショップに駆け込んでしまいそうなほど刺激を受けたが幸い閉館閉店真際で、散財せずに済んだ。何はともあれピストンコースは好きじゃない、縦走と言うか通り抜けが好きです私は。
2014年4月18日 恵比寿・東京都写真美術館にて
黒部を撮ったのは冠松次郎(かんむり・まつじろう)、大正末期~昭和初期(戦前)。見るだに恐ろしい桟道など映っており、後年こうした道を歩荷(ボッカ)が担いで資材を運び多大な犠牲を払いながら「黒部の太陽」黒部第四ダムなどを建設したと言うことか。日本の谷としては明らかに深く鋭いV字谷、モノクロームの写真ゆえ余計に陰影や白い飛沫で谷の深さ流れの速さが判る。
槍は穂苅三寿雄、こちらの写真は雄大なパノラマが多く、黒部の写真に見る空の狭さと対称的。撮影時期はやはり古く、鋭いが岸壁に取り付くクライマーの装備はいま見ると心許ない。あの辺り良く行ってる方(Dさん?)なら、雄大なパノラマを見ればキャプションを見ずともあれはxx岳、それはxxと諳んじているだろうし、自身の山行の思い出も語れよう。登山に縁のない身にはフラストレーションと憧れが溜まる一方であった。
これらの山々、撮影された数十年前と今とではどれほど違うであろうかと思ったら映像コーナーで現代の写真家(黒部は志水哲也氏、槍は息子の穂苅貞雄氏)との対比スライドが上映されており興味深かった。予想通り黒部はほとんど手付かずの印象変わらず、槍はずいぶん人が増えたと感じるのはアプローチの容易さなど考えれば無理ないところ。もちろん甲乙優劣つけられるものではない。
ところで写真に残る固有名詞として、(信濃)大町の旅館・対山館は、残念ながら廃業してしまったがその名を東京阿佐ヶ谷の喫茶店に引き継ぎ、現在も営業されているそうである。大澤(沢)小屋は、針の木小屋とともに存続(現在は冬季休業中)。そんなことを楽しむのも面白い。
鑑賞後、早い時間であればそのまま同じ恵比寿にあるモンベルショップに駆け込んでしまいそうなほど刺激を受けたが幸い閉館閉店真際で、散財せずに済んだ。何はともあれピストンコースは好きじゃない、縦走と言うか通り抜けが好きです私は。
2014年4月18日 恵比寿・東京都写真美術館にて