【ぼちぼちクライミング&読書】

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「ニッポン社会」入門/ コリン・ジョイス

2016年04月30日 20時44分55秒 | 読書(現代事情)


「ニッポン社会」入門 英国人記者の抱腹レポート」 コリン・ジョイス

英国記者による「日本事情」。
日本人なら、当たり前すぎて気づかない点を指摘してくれる。
英国人らしいユーモアあふれる文章を楽しめる。

P15
 ぼくは一度、一週間にふたつの記事を提出したことがある。ひとつは日本のセックスレスの夫婦について、もうひとつは「できちゃった結婚」についてだ。デスクはすっかり戸惑ってしまったようだ。「日本人はサカリがついたようにヤリまくっているのか、セックスをしなくなっているのか。いったい、どっちなんだ?」

P37
 まず、日本語には気の利いた諺がいくつもある。なかでも、「猿も木から落ちる」は日本語学習者なら誰でも早い段階で学ぶ諺だし、おそらく最も優れた言い回しだろう。初学者でもわかる簡単な単語を用いながら、それをつなげた文全体は、人間には誤りがつきものであることを力強く、かつユーモラスに伝えている。

P49
 小便をしようとして便器に近づくと自動的に水が流れ、用を足して便器から離れるとまた水が流れる。もう本能的に笑ってしまった。便器にセンサーがついてるなんて!その後、ばくは日本には「超」がつくほど発達した便器と、信じられないくらい原始的な便器の二種類があると知ることになる。

P140
そもそもイギリスはひとつの国ではない。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドという四つの別々の国から成り立つ連合王国である。イギリス以外の人にはわかりにく仕組みであることは認めよう。しかし、スコットランド人を決して”English”(イングランド人)と呼んではいけない。

【ネット上の紹介】
日本社会について手っ取り早く学びたければ、近くのプールに行ってみることだ。規則と清潔さを愛し、我慢強く、大きな集団の悪事に寛容な国民性が理解できるはずだから。過剰なまでに礼儀正しく親切な人々、思ったより簡単で奥深い日本語、ガイドブックには載っていない名所の数々…。14年間日本に暮らす英紙記者が無類のユーモアを交えて綴る、意外な発見に満ちた日本案内。

[目次]

基礎編―プールに日本社会を見た
日本語の難易度―日本語、恐るるに足らず
おもしろい日本語―イライラ、しくしく、ずんぐりむっくり
日本の第一印象―サムライ・サラリーマンなんていなかった
日本の日常―日本以外では「決して」見られない光景
行儀作法―英国紳士とジャパニーズ・ジェントルマン
独創性―日本人はすぐれた発明家だ
ビールとサッカー―日本の「失われなかった」十年
行動様式―日本人になりそうだ
ジョーク―イギリス人をからかおう
東京の魅力―わが町、東京を弁護する
東京案内―トーキョー「裏」観光ガイド
ふたつの「島国」―イギリスと日本は似ている!?
メイド・イン・ジャパン―イギリスに持ち帰るべきお土産
特派員の仕事―イギリス人が読みたがる日本のニュース
ガイジンとして―日本社会の「和」を乱せますか?
日英食文化―鰻の漬物、アリマス
おさらい―ぼくの架空の後任者への手紙


ポンポン山▲678.9m

2016年04月29日 21時34分48秒 | 登山&アウトドア(関西)

ポンポン山に登ってきた。
今日は気温が低かった。本来なら、この季節、半袖で十分のはず。
半袖Tシャツ+長袖で歩いていたが、一向に汗をかかなかった。(寒いくらい)

でんでん虫を見つけた

登山口の鯉のぼり

山頂からの愛宕山方面


「台湾生まれ日本語育ち」温又柔

2016年04月27日 21時09分52秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「台湾生まれ日本語育ち」温又柔

タイトルだけで、読みたくなる作品。
表紙のヤドカリもいい感じ。

P128
1980年代後半、バブル景気に沸く日本が人手不足緩和のため就労制限のない「定住者」という在留資格を与え、主に南米諸国出身の外国人を単純労働者として迎え入れたことをまったく知らない。円高の日本で1カ月働けば、母国で稼ぐ1年分になる……この時期、「定住者」資格を付与された外国人のほとんどが「日系人」だったということも、まだ知らない。

P165
 2012年7月、『台湾海峡一九四九』が刊行されるや否や、わたしは書店に急いだ。
(そうだろう、と思った。台湾と文学に傾倒する著者が、この本を読まないですます事なんてないでしょう)

P234
 そもそも、中国語と台湾語と日本語と、ひとつずつ数える必要はないのかもしれない。三つの母語がある、というよりも、ひとつの母語の中に三つの言語が響き合っている、としたほうが、自分の言語的現実をぴたりと言い表せるのではないか。

【感想】
著者の人柄のよさ、優しさが偲ばれる文章だ。

【参考リンク】
作家 温 又柔さん|法政大学

温又柔 ×中島京子 『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社)刊行記

【ネット上の紹介】
3歳から東京に住む台湾人作家が、台湾語・中国語・日本語、三つの母語の狭間で揺れ、惑いながら、自身のルーツを探った4年の歩み。

[目次]
1(私のニホン語事始め
なつかしさよ、こんにちは ほか)
2(ペーパーガイジン
「投票」したい ほか)
3(母「國」語の憂鬱
幻の原稿 ほか)
4(イマジナジア―馬祖への旅(1)
台湾海峡の彼方へ―馬祖への旅(2) ほか)
5(失われた母語国を求めて
終わりの始まり)


「京都ぎらい」井上章一

2016年04月26日 22時15分33秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「京都ぎらい」井上章一

新書大賞1位の作品を読んだ。

P39-40
 大阪市の北、京都市の南西に、高槻という都市がある。大阪府下の都市である。その高槻に住む人々を、大阪人はよくひやかす。
「あんたら、もうほとんど京都やんか。大阪ちゃうわ。いっそのこと、京都になってしもたらどうや」
 おわかりだろうか。大阪では京都に近いことが、しばしばからかいの的となる。こういう揶揄がなりたつのは、大阪人があまり京都をうやまっていないせいである。統計的には語れないが、私の実感でも、京都をみくびる度合いは、大阪がいちばん強い。

芸者と芸子の違い
P66
 宴席で芸を披露して接待につとめるのは、もともと男の仕事だとされていた。江戸でも京大坂でも、彼らは芸のある者=芸者と呼ばれている。武芸の達人を武芸者というが、それと同じような呼称として、この言葉はなりたった。
 18世紀のなかごろには、その宴席へ女たちもはべるようになる。上方では、新しく登場した彼女らを、芸者(男)と区別するために、芸子とよびだした。そして、男である芸者は事実上絶滅し、今は女の芸子だけがのこっている。だから、芸者と言えば、もう見られなくなった、歴史上の男たちをさすことになる。
(中略)
 いずれにせよ、女の芸者をただの芸者とよびだしたのは、江戸東京の花柳界である。京大坂、上方では彼女らを芸子と名づけていた。
(中略)
 ちなみに、芸妓は、芸者や芸子を総称する漢語である。
(じゃあ、白拍子はどうなのか?宴席で芸をしなかったのか?そのあたりも説明して欲しかった)

P205
 新政権が慰霊の対象としたのは、討幕派、いわゆる官軍側の戦死者だけである。自分たちの味方になって死んだ者の例は、招魂社、のちの靖国神社をもうけ、合祀した。しかし、彼らが賊軍とみなした側の死者については、その霊的な処理をおこたっている。

【感想】
著者がひがみっぽい性格である、と分かった。
大阪人なら、洛中・京都人のプライドの高さを笑いとばしただろう。
きっと、真面目な方なんでしょう。

ただし、本作品はひがみだけじゃない。
様々な角度から京都を論じ、歴史的な蘊蓄が語られる。
だから、新書大賞受賞した、と思われる。
ただ、1位になるほどかどうかは、後世の判断に委ねたい。
(2位になった「生きて帰ってきた男」の方が、労作と思うし、先日読んだ「歴史認識」とは何か」も、もっと高ランクになっても良かった、と思う。基準がイマイチ分からない。歴史問題を扱った作品は当たり障りがある、とか…。まぁ、「参考にしてくれ」、ってことだろう。もし、関東の方なら、お坊さんの話とか新鮮に感じただろう…もう知ってるし)

PS
これって、京都に限らず、東京二三区の住民が、埼玉県をはじめ他府県民を低く見るのに通じる感情のように思う。

新書大賞|特設ページ|中央公論新社

honto - 新書大賞2016 今最も読むべき新書が決定!!:ネットストア

【ネット上の紹介】
あなたが旅情を覚える古都のたたずまいに、じっと目を凝らせば…。気づいていながら誰もあえて書こうとしなかった数々の事実によって、京都人のおそろしい一面が鮮やかに浮かんでくるにちがいない。洛外に生まれ育った著者だから表現しうる京都の街によどむ底知れぬ沼気(しょうき)。洛中千年の「花」「毒」を見定める新・京都論である。

[目次]
1 洛外を生きる(京都市か、京都府か
さまざまな肥やし ほか)
2 お坊さんと舞子さん(芸者か、芸子か
呉服と映画の時代は、すぎさって ほか)
3 仏教のある側面(北山の大伽藍
写真とイラスト ほか)
4 歴史のなかから、見えること(皇居という名の行在所
京都で維新を考える ほか)
5 平安京の副都心(嵯峨、亀山、小倉山
南朝の夢の跡 ほか)


「日本の神話古事記えほん」三浦佑之/荻原規子

2016年04月25日 20時48分27秒 | 読書(絵本)

国生みのはなし―イザナキとイザナミ
「日本の神話古事記えほん」三浦佑之/監修 荻原規子/文

シリーズ全5巻の1巻目。
国生みのはなし イザナキとイザナミの巻、である。
例のオルフェウスの神話と似たエピソードが出てくる山場のひとつ。

私が子供の頃に読んだ作品は、イザナキではなく、イザナギだったと記憶している。
イザナキと言われると、違和感がある。
三浦佑之さんが監修してるので、例の「口語訳古事記」が元になっているのかもしれない。
でも、文は荻原規子さんなので、ある程度自由に書かれているところもある、と思う。
例えば、「口語訳古事記」では「黄泉つ平坂」となっているが、
本作品では「黄泉つ比良坂」となっている。(もちろん、こちらの表記の方が私の好み)


ヨモツシコメは、強くおそろしい女たちです。

イザナキが、ももの実をもぎ取って、次つぎに三つ投げつけると、追ってきたすべての者が、たちまちにげもどってしまいました。

「口語訳古事記」によると、イザナキとイザナミは兄妹だそうだ。
口語訳古事記 完全版
最初の結婚が兄と妹によって語られるのは、世界的に例が多く、兄妹始祖神話と呼ばれる。


【参考リンク】
古事記えほん1 国生みのはなし


スベトラーナ・アレクシエービッチ

2016年04月23日 11時28分47秒 | 読書(エッセイ&コラム)

スベトラーナ・アレクシエービッチさんへのインタビュー、朝日新聞2016年4月15日


「軍事の原子力と、平和の原子力が、双生児だとは、誰も思い浮かばなかった」

「19世紀以降、『科学は人類を救う』と信じられてきました。チェルノブイリがこの信仰をぐらつかせました。ソ連ではこの時まで多くの教会は閉鎖されていましたが、この事故で教会が再開され、人々が駆け込みました。科学もマルクス・レーニン主義も答えを与えてくれなかった。神のみが残り、祈るしかなくなったのです」

「何が起きたのか誰もまだ理解できないころ、たとえば漁師は餌のミミズが一匹も見つけられなかったといいます。村からミミズが消えたのです。蜜蜂は1週間巣箱から飛び立たなかった。チーズ工場では2カ月間、酵母が働かずチーズができなかった。何かが起きた、でも理解できない。それほど奇妙なことが起きたのです」


「若冲」澤田瞳子

2016年04月20日 22時05分15秒 | 読書(小説/日本)


「若冲」澤田瞳子


人気の高い若冲、その生涯を描いている。
生涯独身だった、とされているが、澤田瞳子さんは大胆な仮説を基に物語を展開している。
実際こうだったかも、と思わせる筆力である
今回も楽しませてもらった。

P54
 葉ばかりで幹を持たぬ芭蕉は、古来、儚い人間のたとえにも用いられる植物。そのためかこれを庭に植えると祟りがあるとも伝えられ、庭忌草の異名を有しもしていた。

P269
若冲という号は、枡源の主を退くと決意した際、大典が『老子』第四十五章の「大盈は沖しきが若きも、その用は窮まらず」、すなわち「満ち足りたものは一見空虚と見えるが、その用途は無窮である」という一節から付けてくれたもの。色の上に色を重ねるが如き華やかな絵に漂う寂寥を承知の上で、だからこそ若冲の絵には、何者にも真似できぬ意義があると断じての命名であった。

全部で8章あり、章が進むにつれ、少しずつ歳をとっていき、時代背景も変わっていく。
円山応挙や与謝蕪村といった有名人も登場し、物語に絡んでくる。
一番楽しめるのは、当時の京都が魅力的に描かれていること。
けっこう骨太な作品、第153回直木賞候補作である。

【作品・・・小説】
「孤鷹の天」2010年
「満つる月の如し 仏師・定朝」2012年
「日輪の賦」2013年
「ふたり女房」2013年
「泣くな道真-大宰府の詩-」2014年
「若冲」2015年
「与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記」2015年
「師走の扶持 京都鷹ケ峰御薬園日録」2016年
*あと読んでいないのは、「与楽の飯」のみとなってしまった。

【作品・・・エッセイ】
「京都はんなり暮し 京都人も知らない意外な話 」2008年

【参考リンク】
第1回 京都へ 若冲旅

「若冲、大雅、蕪村、応挙 画師たちの運命が京の都で交錯する……」インタビュー・対談(本の話WEB 2015.04.24)

直木賞のすべて-第153回候補詳細

「澤田瞳子-直木賞候補作家|直木賞のすべて」
http://prizesworld.com/naoki/kogun/kogun153ST.htm

【ネット上の紹介】
奇才の画家・若冲が生涯挑んだものとは―― 今年、生誕300年を迎え、益々注目される画人・伊藤若冲。緻密すぎる構図や大胆な題材、新たな手法で周囲を圧倒した天才は、いったい何ゆえにあれほど鮮麗で、奇抜な構図の作品を世に送り出したのか? デビュー作でいきなり中山義秀賞、次作で新田次郎賞を射止めた注目の作者・澤田瞳子は、そのバックグラウンドを残された作品と史実から丁寧に読み解いていく。底知れぬ悩みと姿を見せぬ永遠の好敵手――当時の京の都の様子や、池大雅、円山応挙、与謝蕪村、谷文晁、市川君圭ら同時代に活躍した画師たちの生き様も交えつつ、次々に作品を生み出していった唯一無二の画師の生涯を徹底して描いた、芸術小説の白眉といえる傑作だ。


「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて」大沼保昭/江川紹子

2016年04月19日 21時57分46秒 | 読書(昭和史/平成史)


「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて」大沼保昭/著 江川紹子/聞き手

良い本であった。
聞き手が江川紹子さんで、大沼保昭さんがレクチャーする形式。

この手の本で重要なのは、公平さ。
出来る限り公平に語ろうとしている点に好感を感じる。
それも、平易な言葉で基礎知識となる内容を語っている。 

目から鱗の数々・・・。
チェックすべき項目が多すぎて、付箋だらけに。
その中の一部を紹介する。

東京裁判について
P15
米国の原爆投下とかソ連の日ソ中立条約侵犯など、連合国側の違法行為を弁護側が取り上げようとしても、この裁判には関連性がないということで、許されなかったことです。

慰安婦問題について
P162
日本の首相が元慰安婦のところへ行き、深々と頭を下げてその手を握り、その様子がメディアを通して広く伝えられれば、元慰安婦の方々の多くの満足も得られるし、韓国国内でも国際社会でも、慰安婦問題で傷ついた日本の名誉は大きく回復される(後略)
(キスまでしなくてもハグのような象徴的なパフォーマンスは必要、かもしれない。ヴィリー・ブラント西独首相が1970年にポーランド・ワルシャワを訪問した際、ゲットー・英雄記念碑の前で跪いて黙祷を捧げたそうだ。こういう分かりやすい形で反省と謝罪を表現して、国際社会で評価された。←P195、日本のリーダーに必要なのは、メディアを意識したパフォーマンスか?こういったことを早くにやっておけば、ここまで日韓関係が、こじれなかったかもしれない)
ワルシャワのゲットー英雄記念碑の前でひざまずくブラント首相
ワルシャワのゲットー英雄記念碑の前でひざまずくブラント首相
©Bundesregierung Photo: Engelbert Reinekeワルシャワでひざまずいたブラント Brandts Warschauer Kniefall

P168
 スペイン、ポルトガルに続いて、オランダ、英、仏、ベルギー、ドイツ、ロシア、さらに米国も世界各地を植民地化した。こうした国々には植民地支配が悪であるという観念はほとんどなかったし、そういう国々がつくり運用した国際法も、植民地支配を認め、むしろその道具として機能した。19世紀後半には、欧米の白人の間で、自分たちのすぐれた文明をアジアやアフリカの「未開」「野蛮な民族」にもたらす尊い義務がある、という考えが流布します。

P170
19世紀から20世紀初頭の欧米中心的な国際社会で、戦争は国家政策のひとつと考えられていました。外交の延長線上に戦争があり、外交と戦争を組み合わせて国家利益を実現するというのが、ヨーロッパの古典的な国際関係だったわけです。

P172
1920年代に戦争を違法化すべきだという運動が盛り上がり、1928年に不戦条約が結ばれる。これで戦争が国際法上はじめて、原則として禁止されました。世界が戦争を違法なものにしようとして、国際法上画期的といってよい成果が出た。
しかしその三年後に、日本が満州事変をおこしてしまったのです。

P192
かつての欧米列強は、日本とドイツを批判することはやっても、自分たちの植民地支配責任や帝国主義政策、他国への侵略行為に関しては、ほとんど反省の意を表していない。典型は米国で、ベトナム戦争であれだけ枯れ葉剤を使い、その結果多くの障碍児が生まれるような残虐なことをしておきながら、ベトナムに対してまったく謝罪していません。

P198
異民族支配それ自体が悪という意識が高まるのは、ナショナリズムが重要な意味をもつようになった19世紀以降のことなのです。それ以前は異「民族」――「民族」という意識自体、基本的に近代以降のものです――支配は、世界各地でどこにもあある現象でした。

香港返還での記者会見
P200
最後の総督だったクリストファー・パッテン氏は記者会見で、「(英国が香港の)民主制度を発展させた」と述べ、過去1世紀半に及んだ植民地支配について謝罪しないのかと聞かれると、「アヘン貿易まで正当化しようとは思わないが、一体、今何を謝罪するのか。この未来志向の都市で、19世紀の話をするのは驚くべきことだ」と述べています。

広く読まれるべき本、と思う。
忙しい方は第5章だけでも読んでみて。

【ネット上の紹介】
日中・日韓関係を極端に悪化させる歴史認識問題。なぜ過去をめぐる認識に違いが生じるのか、一致させることはできないのか。本書では、韓国併合、満洲事変から、東京裁判、日韓基本条約と日中国交正常化、慰安婦問題に至るまで、歴史的事実が歴史認識問題に転化する経緯、背景を具体的に検証。あわせて、英仏など欧米諸国が果たしていない植民地支配責任を提起し、日本の取り組みが先駆となることを指摘する。

[目次]

第1章 東京裁判―国際社会の「裁き」と日本の受け止め方(ニュルンベルク裁判と東京裁判
「勝者の裁き」と「アジアの不在」 ほか)
第2章 サンフランシスコ平和条約と日韓・日中の「正常化」―戦争と植民地支配の「後始末」(サンフランシスコ平和条約とは何か
寛大だった連合国との講和 ほか)
第3章 戦争責任と戦後責任(「敗戦責任」から「戦争責任」へ
被害者意識と加害者認識 ほか)
第4章 慰安婦問題と新たな状況―一九九〇年代から二十一世紀(なぜ慰安婦問だけが注目されるのか
慰安婦問題は日韓問題? ほか)
第5章 二十一世紀世界と「歴史認識」(十九世紀までの戦争観と植民地観
第一次世界大戦と戦争の違法化 ほか)


「ゴミ屋敷奮闘記 」村田らむ

2016年04月18日 20時58分10秒 | 読書(現代事情)

ゴミ屋敷奮闘記
ゴミ屋敷奮闘記 」村田らむ

人の心を覗き見ることは出来ない。
しかし、その人の部屋を見ることはできる。
それで、どんな方か、およそ解るのではないだろうか?

ごみ屋敷の状態にする住人とは、どんな人物なのか?
私の想定を覆して、フツーの人であった。
身近にいても分からない、ような。
フツーにOLをしていたりする。
しかも、美人であったりする。(家の中はキレイに出来ないけど、外見を整える能力はある、という事だ)

P28
2年間、ほぼゴミ出しはしていないらしいので、その間の生理用品は全部たまっていることになる。そのままだしっぱなしならすぐに乾燥してしまっただろうが、ビニールに入れていたため、いつまでも乾かずに腐ってしまい、臭いを放ち続ける結果となってしまったのだ。

それでも、自分の部屋を「ごみ屋敷」にする、って行為は「フツー」じゃない。
精神を病んでいる、と言える。
以前、「狂いの構造」を紹介した。「「狂い」の構造」春日武彦/平山夢明
次のような箇所がある。

春日:みんなは100万画素なのにさ、例えば殺人を犯したヤツだけは、なんか70万画素になってる感じ。画質が粗くなってる印象がある。
平山:ああ、それはあるかもしれない。結局、やっぱりある種の感度を鈍らせてるわけでしょう。
春日:そうそう。70万画素で、しかもポツポツとドットが抜けてる。
平山:それは、表に出ちゃうんだよね。やっぱり。


社会生活を営めないほどじゃないけど、ドットが欠けてる人がいる、って事だ。(人の事、言えないけど)
それにしても、ゴキブリが這い回って腐臭を発している部屋に住めるだろうか?
読んでいて気分が悪くなった。
それでも、人それぞれに「事情」はあるのだ。
自業自得なのもあれば、絶句するような悲しい事情もある。

ゴミ屋敷お掃除業者「孫の手」社長のお母さんへのインタビュー
P185
 最近一番印象に残っているのは、2人姉妹のお宅でしたね。小さなマンスリーマンションに2人で住んでいて。
 お姉さんは25歳で、妹さんは19歳。妹さんは知的障がいがあって仕事は難しいかんじでしたね。
 ゴミの質は本当に最悪で、すべてが生ごみという感じ。全部が腐って、とんでもない悪臭が部屋中に漂っていました。
 壁にはチャバネゴキブリの群が何百匹も歩いていて……私たちも普段の現場でしょっちゅうゴキブリは見ますからね。1~2匹見たってなんとも思わないですけど、数百匹のゴキブリにはさすがに引いてしまいましたね。(中略)
 その姉妹はね、お父さんが娘たちにDVをしてたらしいの。それでお母さんはDVを止めることもなく、他の男と駆け落ちして、その挙句に死んじゃって。お父さんはお母さんが死んだら、姉妹に5千円渡していなくなっちゃったんだって。

【参考リンク】
村田らむ『ゴミ屋敷奮闘記』 (04/03)

代行サービス「孫の手」-ハウスクリーニング


仏徳山+平等院鳳凰堂

2016年04月16日 21時17分43秒 | 登山&アウトドア(関西)

仏徳山に登ってきた。
JR宇治→平等院参道→平等院鳳凰堂→橘橋→喜撰橋→天ヶ瀬吊橋→琴坂→仏徳山→宇治橋→JR宇治(6.6Kmコース)

正面の山が仏徳山、右が鳳凰堂で、阿弥陀如来座像を見るためには、予約+別料金300円が必要(現地で簡単に予約できる、但し、1時間待たされた)

↑頂上直下、展望ポイントからの宇治の町

今回、ガイドブックを忘れて、いくつかチェックポイントを見逃してしまった。
メインとなる次の3点は押さえた。
①平等院鳳凰堂の阿弥陀如来座像…定朝の作品なのでチェックしておきたかった→「満つる月の如し」澤田瞳子
②仏徳山…当然、今回のメイン、宇治の町が一望できる
③宇治橋…日本3古橋のひとつ

今回見逃したのが、宇治橋の近くにある紫式部像、源氏物語ミュージアム、宇治神社、橋姫神社。(時間の都合でわざと行かなかったところもある)

天ヶ瀬吊橋


庭の雑草2

2016年04月14日 20時23分09秒 | 身辺雑記


先日、ありがたい雑草について書いた。
この雑草は迷惑。
やたらでかくなって、抜こうと思ってもトゲトゲで痛い。
困った奴だ。
人間の都合で、誉められたりけなされたり…植物もありがた迷惑。


宮下奈都さん「本屋大賞」受賞

2016年04月13日 21時06分37秒 | 読書(小説/日本)


朝日新聞2016.4.13記事…宮下奈都さん「本屋大賞」受賞
どちらかというと、マイナーな作家だったが、直木賞候補になったり、少しは有名になってきた。
正当な世間の評価を得てきた、と言うことか。

PS
日本の作家で、ぶっちぎりの面白い作品を書くと言えば、荻原規子さんだけど、
世間での知名度は、あまり高くない。
同じファンタジー系でも上橋菜穂子さんの方がはるかに有名。
認知度と面白さは比例しない、と言える。(世間は見る目がない)


Ms. Vocalist

2016年04月12日 21時03分48秒 | 音楽

 
名曲集とかベスト盤が好きだ。
当たりハズレがないし、耳に馴染んだ曲ばかりだから。
先日、デビー・ギブソンの「Ms. Vocalist」を購入。
日本の名曲ばかりを集めてある。

1.TSUNAMI (デビー・ギブソン)
2.セイ・イエス (デビー・ギブソン)
3.アイ・ラブ・ユー (デビー・ギブソン)
4.浪漫飛行 (デビー・ギブソン)
5.サドンリー~ラブ・ストーリーは突然に~ (デビー・ギブソン)
6.トゥルー・ラブ (デビー・ギブソン)
7.瞳をとじて (デビー・ギブソン)
8.桜坂 (デビー・ギブソン)
9.ハウエバー (デビー・ギブソン)
10.ロビンソン (デビー・ギブソン)
11.ロスト・イン・ユア・アイズ 2010<ボーナストラック> (デビー・ギブソン)
12.世界中の誰よりきっと(MSV ver.)with エリック・マーティン<ボーナストラック> (デビー・ギブソン)

【リンク】
Debbie Gibson - Ms. Vocalist (Full Album) - YouTube
「トゥルー・ラブ 」が特に良かった


亀の甲羅干し

2016年04月11日 21時10分49秒 | お出かけ

どの程度、桜が散っているか観に行ってきた。

天気が良いせいか、亀が川から上がっていた

先週と比べて、人影は少なかった。 
今年の桜は終了、です。 


「日輪の賦 」澤田瞳子

2016年04月10日 08時53分25秒 | 読書(小説/日本)

日輪の賦 
「日輪の賦 」澤田瞳子

澤田瞳子作品は、ゆっくり動き出す。
最初は退屈に感じるかも知れないが、途中から一気に面白くなる。
「満つる月の如し」「孤鷹の天」、そして本作がそうである。

奈良時代を舞台にした歴史小説。
有名人も多数出演…持統天皇(讃良)、藤原不比等、柿本人麻呂、山上憶良。
今回のテーマは「律令」。
律令とそれを巡る人々が描かれる。

P71
古来、歌を能くする者は言霊を操る呪者。いわば巫覡(ふげき)に近い存在であったという。彼らは王の側に侍し、時にはその政務を褒め称え、時には主君に代わって民衆を鼓舞した。

P136
「そんなわが国を、漢や魏をはじめとする大陸の各王朝は、『倭国』と呼んで侮った。いいか、倭だぞ、我々が矮人ゆえにそう呼んだのか、はたまた阿る様を指して委ねる者と思ったのかは知らないが、この字は蔑字じゃないか。こんなふうに見下されて、君は平然としていられるのか」(「卑弥呼」も蔑字である…腹立たしい限りだ。中華思想の根は深い)

P186
ここで彼と手を携えれば、今後不比等は――いや藤原氏は、自分たちを脅かす太い藤蔓となり、宮城に繁茂するかもしれない。されど律令という世々不倒の幹さえ打ち立てれば、いかなる蔓も容易にそれを枯らせはすまい。(大化の改新で功績のあった中臣鎌足から不比等へ、順調に権力の階段を登った、と思っていた。しかし、壬申の乱でしくじった。大友皇子の側についてしまったのだ。これにより、リセットされてしまい、不比等は登りなおした。後の藤原氏の栄華は不比等の頑張りのおかげ、と言える)

P267
「明神(あらみかみ)と御宇(あめのしたし)らす日本(ひのもと)の天皇(すめらみこと)が詔旨(おおむらごと)らまと云々、咸(ことごと)くに聞きたまえ、と読む」
「日本――」
「さよう。この国の新しき国号じゃ」
(持統天皇時代に「日本」「天皇」という言葉が出来た、ということだ・・・知らなかった)

P268
「この律令によって、本邦の主は大王より天皇に変わり、国そのものもまた、倭から日本へ改まる。この一条はその変革を示す、なによりの宣言じゃ」

P364
 倭から日本へ、そして大王から天皇へ。だがそこに新たに現れるのは、絶対的権力を有する当事者ではない。
 整備された官僚制は、天皇すらもただの意志決定機関に変える。律令国家の完成はすなわち、大王一人が権勢を振るう時代からの脱却であった。


【ネット上の紹介】
ときは7世紀終わり―古よりの蔑称「倭」の名に甘んじる小国は、海を挟み強大化する唐と新羅の脅威にさらされている。国家存亡の危機を前に、改革を急ぐ女王・讃良(さらら・持統天皇)と、それに反発する豪族たちの対立は激化していた。讃良により国の仕組みを根本から変える律令の編纂が密かに命じられる裏で、ある恐ろしい謀略が動き始める―。書き下ろし。「日本」誕生の壮大な歴史エンターテインメント。