【ぼちぼちクライミング&読書】

-クライミング&読書覚書rapunzel別館-

第7回 備中の岩場清掃・草刈活動

2011年05月31日 21時40分04秒 | クライミング(広報)

TCネットよりメールを頂いた。
次にリンクしておく。

第7回 備中の岩場清掃・草刈活動

さて、ちょっと近況報告を書いておく。
心配してメールを頂くことがある。
最近登ってるのか、と。本のことばかりじゃないか、と。
登りのお誘いメールも頂くが、都合により遠慮している。
(大変バチ当たりで申し訳ない)
それにしても、あっという間に、持久力、体力落ちる。
(2月くらいから、練習回数を減らし、練習時間も減らした)
それに比例して、瞬発力、指力の減少・・・と連鎖反応。
(上達は膨大な時間と労力を必要とする事を考えると、なんとも情け無い)
秋には、モチ復活予定ですので、よろしく。


「RDG レッドデータガール」(4)荻原規子

2011年05月29日 21時29分15秒 | 読書(小説/日本)


「RDG レッドデータガール」(4)荻原規子

シリーズ最新刊。(カレンダーに印を入れて、ずっと待っていた)
面白さ失速せず、ストーリー益々盛りあがってきた。
前作では夏休みの途中で終わったので、今回どこから始まるのかな、と思って読み始めた。
う~ん、そう来たか。
前作を思い出してもらいながら、巧く繋ぎましたね。

さて、今回も姫神顕現。
でも、まさかこういう登場をするとは思わなかった。
意表を突かれた。
泉水子は「・・・・姫神は・・・悪い女だと思う」と発言している。(P225)
私の見たかぎりでは、そう感じない。
何千年も生き、過去も未来も見てきたのに海千山千の印象をうけない。
つまり現在、泉水子の器の影響をかなり受けている、と感じる。
そんな泉水子の性格をよく表現しているセリフがある。(P33)
「わたし、そんなふうに、だれもかれも疑ってかかるのはいや。だれひとり信用しないのなんて、気持ちが暗くなるばかりだもん。毎日が楽しくなくなっちゃう」

次回は、いよいよ学園祭。
いったい高柳一条は何を仕掛けるのか?
私の予想では、過去の層・・・・戦国時代を現代に重ねてくる、と思う。
そして、自分は秀吉側の武将となり、宗田真響、真夏を北条氏に見立てて滅ぼそうとする。
それを助けようとして、泉水子は姫神を呼ぶのか?
和宮と一体化した深行は、どう活躍するのか?
紫子や、大成は絡んでくるのか?
山場まっしぐら、怒濤の展開、第4巻であった。

PS
蕎麦文化について触れている箇所が興味深い。(P145)

「昔、山岳修行者がいた場所には、今でも蕎麦文化があるそうだよ」
さりげない話題として、穂高が言った。
「山で修行をする人々が、木食といって、五穀断ちをしたからだ。人間が耕作した穀物を、修行中に食べてはいけないんだ。けれども、蕎麦は五穀のうちに入らないからね。蕎麦粉は、湯で溶くだけでも栄養がとれるし、旅人の食糧としても重宝しているものだった」

ちなみに、私は何度も大峰山系に足を運んでいるが、『蕎麦文化』を感じたことは無い。
関西と関東では異なるのだろうか?


「大江戸100景地図帳」

2011年05月27日 22時27分22秒 | 読書(エッセイ&コラム)


大江戸100景地図帳 時代小説副読本

これは便利で楽しい。
古地図+浮世絵版画ビジュアル本。
さらに、その場所が舞台になった時代小説を紹介している。
1冊で3回おいしい内容、である。
浮世絵版画を見るだけでも楽しいし、
時代小説の解説を読んで、次にどれを読もうか、と考えるのも楽しい。


【参考リンク】

大江戸100景地図帳 時代小説副読本


大阪国体予選

2011年05月27日 21時54分32秒 | クライミング(コンペ、国体)

5/25水曜日、ナカガイジムでボルダー国体予選が行われた。
5/15ほしだカップのリードコンペの結果と合わせて、メンバーが決まるでしょう。
でも、女性代表選手選出が、ちょっと微妙かな。
リード1位のさーりちゃんが、ボルダーコンペ欠場。
逆に、ボルダー1位のほっしーが、リードコンペ欠場。
そこで、選抜方法は2種類考えられる、と思う。

●両方のコンペにきっちり出場した方を選出する。
・・・この方法がもっともあっさりしていいかも。

でも、出場する選手本人が、イマイチすっきりしない、って言うなら次の方法も考えられる。
●有力候補選手を絞って、再度コンペをする。

いずれにせよ、後味の悪い方法は避けた方が良い。
出場選手が気持ちよく参加できて、力を発揮できる大会であって欲しい、と願う。
(欲を言えば、近畿ブロックを勝ち進んで、本大会でも良い結果が出たら、なお嬉しい)

【参考リンク】
NKGIシリーズ11第5戦リザルト
http://nakagaiclimbing.blog.eonet.jp/nakagaigym/


「まんが落語ものがたり事典」勝川克志

2011年05月26日 20時28分41秒 | 読書(マンガ/アニメ)


「まんが落語ものがたり事典」矢野誠一/監修 勝川克志/まんが

これは楽しかった。
落語の代表的な作品41話が収録されている。
一口に落語と言っても、いろいろある。
笑える話や、怖い話、人情話もある。
また、笑える話だけでも、ナンセンスがあったり、言葉の面白さだったり、キャラクターのおかしさだったり、と様々。
ホント、幅が広いなぁ、と感心する。
勝川克志さんが絵を描いてるけど、これがにぴったり、雰囲気でてる。
さらに、欄外に註釈が書いてあって、参考になる。
いくつか紹介する。

五臓六腑。(P306)
五臓とは、心臓、肝臓、肺臓、腎臓、脾臓のこと。
六腑とは、大腸、小腸、胃、胆、膀胱、三焦(これが何を示しているのかわかっていない)のこと、とある。

お金の単位「両」「分」「朱」「文」(P304)
1両=4分、1分=4朱、1朱=250文。 1分は約4万円。

お店をしくじった(P302)
・・・ごひいきにしてくれている大きな商店の主人に、失礼なふるまいをし、出入り禁止をいいわたされた。


【参考リンク】
勝川克志の落語+マンガ『落語ものがたり事典』

【ネット上の紹介】
八つぁん、熊さん、与太郎、若旦那…などが活躍する、「落語」の世界が、とびきりゆかいな、まんがになって登場!『寿限無』から『芝浜』まで、全41話収録。
[目次]
春(初天神;元犬 ほか);夏(化け物使い;うなぎ屋 ほか);秋(三方一両損;かぼちゃ屋 ほか);冬(親子酒;ねずみ ほか)


「ピエタ」大島真寿美

2011年05月24日 22時09分01秒 | 読書(小説/日本)

ピエタ
「ピエタ」大島真寿美

久しぶりに大島真寿美作品を読んだ。
大島真寿美作品の特徴は、家族や友情がテーマ、文章はあっさり系。
今回も、そのあたりは変わらず。

舞台は18世紀、ヴェネツィア、孤児を養育するピエタ慈善院。
そこでは、ヴィヴァルディが〈合奏・合唱の娘たち〉を指導。
この娘たちの友情、連帯、その周りの人々が描かれる。

感情もストーリーもおさえ気味演出。
登場人物のキャラクターの濃い影を表現せず、物語も静かに進行する。
(このあたり、好き嫌いが出るでしょうね・・・私も少しもの足りなく感じる)
大きな感情の振幅がないなぁ、このまま終了するのかな、と思っていたら・・・。
最後にガツンと来ました。
楽譜の謎が解ける、その瞬間がすばらしい。
感情が解放される。(P320-322)

ねえ、エミーリア、あれはなんという歌。
ずっと押し黙ったままだったヴェロニカが、わたしに訊ねた。
ああ、あれは・・・・・・すみません、名前はわからないのですが、あれは、ヴィヴァルディ先生がロドヴィーゴさんのために作られた歌なのだそうです。ロドヴィーゴさんしか知らない歌なのだそうですよ、と説明する。
そうなの?
ヴェロニカは納得がいかないという顔をして、ほんとうに?と訊ねた。
ほんとうもなにも、とわたしは言いかけてヴェロニカの異変に気づく。

このシーンのためにこの物語があったんですね。
いろいろ不満を感じながら読み進んできたけど、このシーンで全てが許される。
そのように、私は感じた。


PS
ピエタというと、ミケランジェロを思い出すでしょうが、
本作とは関係ないので、悪しからず。
ピエタ (ミケランジェロ)

【参考リンク】
http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=80007180

【ネット上の紹介】
18世紀、爛熟の時を迎えた水の都ヴェネツィア。『四季』の作曲家ヴィヴァルディは、孤児たちを養育するピエタ慈善院で“合奏・合唱の娘たち”を指導していた。ある日、教え子のエミーリアのもとに、恩師の訃報が届く。一枚の楽譜の謎に導かれ、物語の扉が開かれる―聖と俗、生と死、男と女、真実と虚構、絶望と希望、名声と孤独…あらゆる対比がたくみに溶け合った、“調和の霊感”。今最も注目すべき書き手が、史実を基に豊かに紡ぎだした傑作長編。


「青の炎」貴志祐介

2011年05月23日 20時56分49秒 | 読書(小説/日本)


「青の炎」貴志祐介

高校生が主人公なので、青春小説?、学園モノ?、って思ってしまう。
確かに、その要素もある。
高校生の日常がリアルに描かれる。
母、妹、主人公の高校生、3人で平和な生活を送っている。
そこに乱入してくる異分子。
母が再婚して別れた、義理の父親。
殺意を覚える主人公。
(このあたり、感情移入して、主人公を応援しながら読んでしまう)
物語前半は、完全犯罪を計画し実行するところでまで。

後半は、完全犯罪の破綻を描く。
この後半部分の心理描写がすばらしい。
前半は、主人公を応援しながら読んでいたけど、
後半は、主人公を応援できず、立ち位置が不安定になってくる。
もうどうしようもない、泥沼状態。
どこで狂ったのか?
もう引き返せないのか?
幕の閉じ方はこれしかないのか?
他の選択は無いのか?
カタルシスを拒否したエンディング、である。

ところで、タイトルの「青の炎」は、次の描写から来ている。
P188
「・・・・・・何、描いてるのよ?」
後ろから、紀子の声がした。
「見てわからないか?」
秀一は、そう言いながらキャンバスに目をやって、ぎょっとした。頭を空白にしたまま、絵の具を塗りたくっていたらしい。そこには、心の中で渦巻いていたものが、すっかりさらけ出されていた。
疾走する、虎のような動物のシルエット。だが、その姿は、どこか、前傾姿勢をとった人間に似ている。その背後では、黄色い虹彩の無い双眸が、こちらを睨みつけていた。手前では、異様に細長いヘビが、赤と黒の二つの鎌首をもたげている。
そして、画面いっぱいに揺らいでいるのは、すべてを焼きつくしようとする青の炎だった。

PS
この作品が、高校を舞台にした「悪の教典」(上・下)に繋がっていくんでしょうか。

【ネット上の紹介】
櫛森秀一は、湘南の高校に通う十七歳。女手一つで家計を担う母と素直で明るい妹との三人暮らし。その平和な家庭の一家団欒を踏みにじる闖入者が現れた。母が十年前、再婚しすぐに別れた男、曾根だった。曾根は秀一の家に居座って傍若無人に振る舞い、母の体のみならず妹にまで手を出そうとしていた。警察も法律も家族の幸せを取り返してはくれないことを知った秀一は決意する。自らの手で曾根を葬り去ることを…。完全犯罪に挑む少年の孤独な戦い。その哀切な心象風景を精妙な筆致で描き上げた、日本ミステリー史に残る感動の名作。


「かなしみの詩」上條さなえ 「10歳の放浪記」その後

2011年05月22日 08時18分39秒 | 読書(伝記/自伝/評伝)


「かなしみの詩」上條さなえ 「10歳の放浪記」その後

先日読んだ「10歳の放浪記」続編。(→「10歳の放浪記」上條さなえ)
前作では、養護施設「竹田学園」へ行くところで終わった。
本作では、そこでの生活が描かれている。

P198
竹田養護学園での日々は、ホームレスだったわたしの再生の日々でもありました。世の中の守るべきルールや規範から大きく逸脱していたわたしにとって、学園での生活は、朝起きて夜寝るまで、すべてが再生のための学習でした。

そこで、著者は石川啄木「一握の砂」と出会う。

いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ

P139-140
「早苗ちゃん、啄木の歌をいくつ覚えた?」
山下先生にきかれて、わたしは首をかしげた。
「うーん、八十ぐらい・・・・かな」
「いちばん好きな歌は、どんなの?」
「みんな好きですけど・・・・・」
わたしは、ちょっと考えてから言った。

かなしみとはいはばいふべき
物の味
我の嘗めしはあまりに早かり

【ネット上の紹介】
昭和36年、10歳のホームレス生活を経てたどりついた学園で、11歳の著者を待っていたのは…。愛情あふれる先生と、それぞれに事情を抱えた生徒たちとの出会い、将来の夢、友情、勉強する楽しみ、そして、文学への目覚め…。「10歳の放浪記」の著者が描く、再生の物語。児童文学作家・上條さなえ、渾身の自伝第2弾。


「森の写真動物記」(1)-(8)宮崎学

2011年05月21日 08時03分04秒 | 読書(写真エッセイ)




宮崎学さん動物写真シリーズ。
『森の写真動物記』シリーズ、全8巻。
2ヶ月くらい前から、少しずつ読んでいった。
いずれも興味深い内容、である。
例えば「樹洞」。
樹に出来た穴を動物が順番に住んでいく。

台風や大雪などの自然の力で枝が折れると、そこに菌類やアリなどの昆虫が入りこみ、10~20年ぐらいかけて、穴ができていきます。そうした穴にシジュウカラが巣をつくり、世代交代をしながら10年くらいかけて、利用していきます。
そのうちに、巣穴にのこされた巣材が内部でくさって、菌がひろがったり、昆虫やムササビがかじったりして、穴がさらにひろがると、シジュウカラは利用できなくなります。すると、この穴をムササビが巣穴にします。ムササビも世代交代をくりかえしながら、20~30年間つかいつづけます。
やがて、穴がもっと大きくなると、こんどはアオバズクやオオコノハズクなど、小型のフクロウのなかまが、世道交代をしながら50年、さらに大型のフクロウが100年かけて、つかいつづけていきます。
そして穴が、木がもちこたえられるギリギリの大きさになったところで、さいごにツキノワグマが、冬眠用の穴につかいます。ここまでくるのに、200年~300年。そこからクマは、おなじく世代交代をくりかえしながら、さらに200年~300年ものあいだ、つかいつづけていくことでしょう。


こうして考えると、人間の家など、なんと寿命が短いことでしょう。
自然だと、シジュウカラ→ムササビ→アオバズク→フクロウ→ツキノワグマ・・・と、様々な動物が利用し、1000年のスパンで使われる。

まれに何百年に1度というような大きな自然災害があり、森が大きなダメージを受けることもあります。これは、1000年以上の単位でみたときには、古くなった森をつくりなおしたほうがよい場合があるからです。

う~ん、実に奥深い。

【ネット上の紹介】
日本の森に、どんな生きものが、どのようにくらしているか、知っていますか。この本では、森でくらす鳥や動物を、無人で撮影できるデジタル・ロボットカメラで追いました。人間に通学路があるように、動物たちにも、毎日とおる道があります。それを「けもの道」といいます。たくさんの動物たちが、この道をつかっています。動物たちが踏みかためてつくる道、渓流の飛び石づたいの道、人間がとおる登山道や車道など、「けもの道」には、いろいろあります。「けもの道」を、山の頂からふもとまで、じっくり観察することによって、わたしたちがふだん知ることのない、動物たちのいきいきとしたくらしがみえてきます。小学中級から。
宮崎 学 
1949年、長野県に生まれる。精密機械会社勤務を経て、1972年、独学でプロ写真家として独立。『けもの道』『鷲と鷹』で動物写真の世界に新風を巻き起こす。現在、「自然と人間」をテーマに社会的視点に立った「自然界の報道写真家」として日本全国を舞台に活躍中。1978年『ふくろう』で第1回絵本にっぽん大賞。1982年『鷲と鷹』で日本写真協会新人賞。1990年『フクロウ』で第9回土門拳賞。1995年『死』で日本写真協会年度賞、『アニマル黙示録』で講談社出版文化賞。2002年「アニマルアイズ(全5巻)」シリーズで学校図書館出版賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


「漂流するトルコ」小島剛一

2011年05月19日 22時04分41秒 | 読書(ノンフィクション)


「漂流するトルコ」小島剛一

4/21、「トルコのもう一つの顔」を紹介した。(→「トルコのもう一つの顔」小島剛一
すばらしく面白かった。
専門的なことを書きながら、これほど面白い作品は珍しい。
さて、これは「続編」、である。

前作を読み終わってすぐ、続きが読みたくなった。
しかし、書店に無く、図書館にも無い。
出版社からの「取り寄せ」しかないが、これがなかなか来ない。
(待ちくたびれた頃に、やっと手元に来た)

前作では、1986年、「国外自主退去」させられるところで終わった。
著者には政治的意図は全くないのだが、少数民族の世界に立ち入り過ぎた。
トルコ政府も把握していないトルコ国内の事情に深入りしすぎてしまった。
そして、結果として「国外自主退去」である。

トルコ入国を諦めた著者だが、1994年トルコ入国をはたす。
政府関係者から「ブラックリストに載っていない」、と告げられたからだ。
そして、2003年再び「国外追放」となるまでのトルコ訪問を描いている。

P336
「先生は不思議な方ですね。決して政治思想や経済体制の議論には加わらないのに、言語に関しては私たちには言いにくいことをずばりと言ってのける。動詞の活用だとか諺だとか民謡だとか、浮世離れしたことだけを調べているのにラズ人やクルド人の心を惹きつける」

7月12日、アルハーウィ町へ戻って来たところで、私服警察4人に取り囲まれる。
イスタンブール空港で著者を見張る警察官が横柄な態度で口をきいてくる。

「俺たちゃ、何も知らされていないんだよ。お前、国外追放だなんて、いったい何をしでかしたんだ」

著者はラズ語を研究して文法書を刊行しただけ、と説明する。

「ラズ語の文法書だって?俺はラズ人なんだよ。そっちの同僚もそうだ。お前、ラズ語が話せるのか」

著者は、『ほんの少し』ラズ語の知識を披露する。その後、「お前」から「先生」に昇格する。
やがて、警察官の引継ぎで勤務交替があった。

この二人も、言語学者だという日本人がなぜ国外追放されるのか、興味津々の様子だった。質問にあれこれ答えているうちに、トルコの少数民族言語状況の講義のようになった。ある少数民族の名を挙げたときに、二人の目許が特徴的な微細な動きを見せた。喉仏も同時に動いたが、声は出さない。しかし互いに一瞬目を交わした。その時から二人は、私に対して敬語を使い始めた。やがて、そろそろ日付も変わる時刻になる。
(中略)
二人は、任務どおり、私をフランクフルト往きの航空機に搭乗させる。別れ際、二人揃って丁重に挨拶する。
「閣下、ご無事をお祈りします」
そう言いながら、年長の男が、手袋を外して、無言で握手を求めた。差し出す右手を固く握りながら、私はそこに左手を添えて固く握り返す。もう一人も手袋を外した両手を無言で差し出す。両手で固く握り返す。
「いつかまた逢いましょうね。トルコで」
「インシャッラー」
と、二人は異口同音に言い、二人同時に、敬礼した。


感動の「続編」である。
2作目になっても、まったく失速無し。
1作目同様、ミステリ小説のような面白さ。
この著者、只者ではない。

【ネット上の紹介】
政府に弾圧され続けるトルコの少数民族の言語と、その生活の実態を、スパイと疑われながら、調査し続けた著者。前著『トルコのもう一つの顔』(中公新書)が、まるで推理小説のようなスリルに満ちた物語と、著者の少数民族に対する愛情に涙が出たと絶賛され、長らく続編が待望されながら20年。前著でトルコを国外追放されたあと、再びトルコへの入国を果たし、波瀾万丈のトルコ旅行が開始される。著者の並外れた行動力と、深い知識、鋭い洞察力が生み出した画期的トルコ紀行。


「10歳の放浪記」上條さなえ

2011年05月18日 21時50分08秒 | 読書(伝記/自伝/評伝)


「10歳の放浪記」上條さなえ

児童文学作家・上條さなえさんの自伝。
1960年(昭和35年)著者は小学校5年生に進級する。
しかし、父が酒を飲んで暴れるため、家庭崩壊、母と姉は出て行く。
借金取りが来るので、最初は親戚の家、後に池袋の簡易宿泊所を渡り歩く。
そんな10歳の頃の1年を子どもの視点で描いている。

父親が肉体労働で僅かな金を稼いで、その日暮らし。
そんなある日、池袋の大衆食堂のテレビが、カトリック系最年少43歳ケネディ大統領の就任式を伝える。

「たいしたもんだねぇ、倉さん。俺、五十一だぜ。日本の首相の池田勇人は、六十一か二だろ、すごいねぇ、アメリカは」
父は店員の、通称クマさと仲よしだった。クマさんは父のことを、倉田という姓から取って「倉ちゃん」とか「倉さん」と呼んでいた。
「だって、日本は戦争に負けてから十年だろ。若い政治家なんて急には育たないさ。去年の秋に厚生省がやった国民栄養調査ではさ、国民の四分の一が栄養不足だったんだろ」
父はそう言いながら、梅割り焼酎をおかわりした。
「それで、首相は『貧乏人は麦を食べなさい』って言ったのか。倉ちゃんさ、だめだよ、こんなの飲んでちゃ。麦を食べなくちゃ」
早苗は父とクマさんの会話をききながら、ケネディ大統領の言葉を思い出していた。
国が何をしてくれるか、ではなく、国のために何ができるかを問うて欲しい」
早苗は同じ画面に映ったケネディ大統領夫人の毛皮のついたコートや、そのそばにいた女の人の毛皮のショールを見て、アメリカという国の豊かさを感じた。
この地球上に、自分のような貧乏な人間もいれば、あのテレビ画面に映し出されるお金持ちの人間もいるのだと、早苗は思い知らされた。


4月になって、父は風邪で熱を出して寝こむ。

「なこちゃん」
父が目を開けた。
「ン?」
早苗が父の顔をのぞきこむと、
「死のうか・・・・・」
と、ポツリとつぶやいた。
「やだ。まだ、マティーニを飲んでないもん」
早苗は首をふった。
「もう、金がないんだ。明日の朝十時にここを出たら、行くところがないんだよ」


さて、ここからの早苗の行動力がすごい。
ケネディ大統領の言葉を思い出す。

(これはつまり、親が何をしてくれるか、ではなく、親のために子が何をできるか、に替えられる)と、早苗は思った。
(わたしが働く、つまり、稼げばいいんだ)

早苗は翌日、パチンコ屋に走っていく。
落ちているパチンコ玉を七個拾って打つ。
無くなってくると、ブザーを押す。

「どうかしましたか?」
台の上から顔をのぞかせたお兄さんは、早苗と目が合うと、うなずいて台の中に戻った。
それから、早苗の受け皿は玉であふれた。

早苗は、これまで池袋で生活してきた人脈で、パチンコ屋のヤクザと親しくなっていたのだ!
さて、この作品には続編がある。
いずれ読もうと思っている。

【ネット上の紹介】
10歳のわたしはホームレスだった 児童文学作家・上條さなえの10歳の1年間を綴った自伝。複雑な家庭で生まれ10歳でホームレス生活をおくった著者を支えたのは、出会った人々の優しさだった


「私たちはこうして「原発大国」を選んだ」武田徹

2011年05月17日 22時39分11秒 | 読書(ノンフィクション)


「私たちはこうして「原発大国」を選んだ」武田徹

いったいどうしてこんなことになったんだろう?
どこでボタンを掛け違えたんだろう?
反対派と推進派は、永久に噛み合いそうにない。
中立の立場で書かれた本を読みたい、と思ってこの本を選んだ。

結論から言うと、明快な解答は書かれていない。
この書籍の元のタイトルは『「核」論』、である。
だから、核に関する一般概論を述べた作品。
編集部が、3.11以降に、タイトルを変えて増補した。
だから、タイトルと内容がマッチしない。
でも、中立の立場で、基本概論が述べられてるからヨシとしよう。

付箋を貼りながら、読んでいったけど、もう付箋だらけ。
すべてを紹介するのは不可能。
ほんの一部・・・「しっぽの先の毛」程度を紹介する。

P43
日本学術会議で原子力研究をいかに行うべきかの議論を繰り広げているときに、国際状況が変わった。1953年の国連総会でアイゼンハウアーが「原子力を平和目的に利用すべし」とぶちあげた。そしてこのスローガンに呼応するように中曽根康弘代議士によって「原子炉築造予算2億3500万円」が国会に提出され、可決されている。
これは伏見康治ら核物理学者を中心とする科学者サイドにしてみれば聖天の霹靂だった。学術会議は科学に関する重要事項を審議し、実現を図るための組織である。ところがその学術会議を飛び越して原子力関係の予算が通過してしまうのだ。

つまり安全や、国民の合意より、アメリカの意向、政治が優先された、ということ?

正力松太郎、って人物がいる。
1955年、原子力利用キャンペーンを行い、原子力委員会を設置し初代委員長に着任、初代科学技術庁長官として入閣も果たした。ところが恥ずかしいことに「核燃料」を「ガイネンリョウ」と読み上げて満場の失笑を買ったそうだ。(のちに社会党委員長となった成田氏から「カクですよね?」と質問されている)
さらに正力を補佐するために経済企画庁計画部長の佐々木義武氏が総理府初代原子力局長に就くが、彼もまたその指名を受けたときに「ハラコリョク局長とは何かね」と尋ねた・・・これが日本原子力政策の始まりなのか?あぁ、おそまつ!(P2-P73)

電源三法について(P159)
①電源開発促進税法
②電源開発促進対策特別会計法
③発電用施設周辺地域整備法
「東京に原発を作れない」原発は実は過疎地にしか作れないものだった。
なぜか?それは原子力損害賠償法に関わる。(P159-164)
アメリカのブルックヘブン国立研究所が原子力施設の事故に関する報告書を提出していた。WASH-740と名付けられたレポートは、アメリカで検討されていた原子力賠償法の参考となるべきもので、大型原子炉内部の核分裂生成物が最悪の気候条件の下で50%大気中に放出された場合を想定して、その被害を理論的に計算していた。(中略)
このレポートの存在は、日本の原子力関係者に衝撃を与えた。(中略)復旧措置のために財源をあらかじめ確保しておく必要がある。そのための体制作りをどうするか―。(中略)
万一の破壊力が想像できないほど強くなりえる核技術の平和利用は、原理的に保険という考え方となじまないのだ。しかしそうした性格についての真剣な検討はなしに、日本では61年6月8日に原子力損害賠償法が成立した。(中略)
原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめやすについてという資料がある。
①原子炉の周囲は、原子炉からある距離の範囲内は非居住区域であること。
②原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側は、低人口地帯であること。
③原子炉敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること。
(中略)
人Svの値を下げるために「人」数を減らすしかないからだ。こうして立地条件を限定することで原子力事故の賠償が天井知らずになることを防ごうとした。
これは、しかし、原子力発電所の運転継続を国が望む場合、その地域は過疎であり続けなければならないことにもなる。そうでないと立地指針によれば原発立地に相応しくなくなる。逆に言えば過疎化を前提とせずには、事故の際に現実的な範囲で、賠償可能の域に留めることは出来ない。これが原子力損害賠償法の裏側にあるリアリズムだった。
電源三法交付金は地域振興を本当に目的にすることは出来ない。では、それは何を目的としていたのかといことになる。電源三法交付金は永遠に過疎の運命を強いる事への迷惑料、慰謝料的な性格が強かった。


P174-175
事故の際の被害が見積もられ、そこからのリスク・マネジメントの発想から、原発立地には都市を避けるべきだと考えられていたことが、立地予定地をはじめとして充分に社会全体に知られていたら、歴史はまったく変わっていただろう。(中略)
電源三法を中心とした振興策の明るい面だけが無根拠に謳われる。その意味で日本の原子力を巡る状況を大きくねじれさせた分水嶺となったのは74年なのだ。

【参考リンク】
原子力損害の賠償に関する法律
・・・事故を起こした原子力事業者に対しては、事故の過失・無過失にかかわらず、無制限の賠償責任がある、とある。
・・・ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない、と。
原子力安全委員会サイト→http://www.nsc.go.jp/
原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめやすについて」も原子力安全委員会サイトに資料として保存されている。


ロバート・オッペンハイマー1904/4/22-1967/2/18
J. Robert Oppenheimer,
この時期(1946)、オッペンハイマーはアチソンの紹介でトルーマンに会っている。
自分が作り出した「悪魔の兵器」を、実際に使用する命を下したトルーマン大統領と初めて面会したとき、オッペンハイマーは彼らしい芝居がかったせりふを述べる。
「閣下、私の手は血まみれです」
トルーマンはそれに応えて言った。
「気にしなさんな、洗えば落ちる」
そしてトルーマンはオッペンハイマーが去った後にアチソンにこう語ったという。「あの泣きべそを連れてくるのはもうやめてくれ」。
P120

JohnvonNeumann-LosAlamos.jpg
ジョン・フォン・ノイマン
(ハンガリー名ナイマン・ヤーノシュ、ドイツ名ヨハネス・ルートヴィヒ・
フォン・ノイマン)
日本に対する原爆投下の目標地点を選定する際には「京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっているからこそ殲滅すべき」だとして、京都への投下を進言した。スタンリー・キューブリック『博士の異常な愛情』の登場人物モデルの一人ともされている。
「・・・彼は原爆投下にあたっても、被害者に対する同情の念をほとんどもたなかった。〈徳盲〉が〈悪魔の頭脳〉をもった時、結末は真に〈悪魔的〉なものになる」『二十世紀数学思想』(みすず書房)

【ネット上の紹介】
唯一の被爆国でありながら、「豊かさ」への渇望ゆえに「原発大国」となった日本。「兵器としての核」の傘の下で、平和憲法を制定した日本。このねじれを推進/反対どちらにも寄らない筆致で検証。その視野は政財官から「鉄腕アトム」まで及ぶ。2011年の原発事故論を増補。 
[目次]
一九五四年論 水爆映画としてのゴジラ―中曽根康弘と原子力の黎明期;一九五七年論 ウラン爺の伝説―科学と反科学の間で揺らぐ「信頼」;一九六五年論 鉄腕アトムとオッペンハイマー―自分と自分でないものが出会う;一九七〇年論 大阪万博―未来が輝かしかった頃;一九七四年論 電源三法交付金―過疎と過密と原発と;一九八〇年論 清水幾太郎の「転向」―講和、安保、核武装;一九八六年論 高木仁三郎―科学の論理と運動の論理;一九九九年論 JCO臨界事故―原子力的日光の及ばぬ先の孤独な死;二〇〇二年論 ノイマンから遠く離れて


ほしだカップ2011

2011年05月16日 20時42分57秒 | クライミング(コンペ、国体)

5/15、国体予選を兼ねる『ほしだカップ』が開催された。
様子を伝えているブログをリンクしておく。

ほしだカップ2011 
ほしだカップ2011(2)
●ほしだカップ2011
 →http://mizunoawa9.exblog.jp/13584572/

【さらに過去の参考リンク】
ほしだカップ2010年の結果
http://sangaku-osaka.com/climing/10/hosidacup/hosidacup2/index.html
ほしだカップ2009年の結果
http://sangaku-osaka.com/climing/09/hosidacup2/index.html
ほしだカップ2008年の結果
http://sangaku-osaka.com/climing/08/08hosidacup2/08hosidacup.html


『オーストラリア・ブルーマウンテンズ写真』

2011年05月15日 11時20分31秒 | クライミング(海外)

このブログは『クライミング』と『読書』のブログ、である。
でも、このところ、本のことばかり。
「クライミング記事がさっぱりない!」とお叱りをうけそう。
そこで、3年前(2008年)オーストラリアでの写真を公開しておく。(これで御容赦)

オーストラリアと言えば、アラプリーズ、ナウラ、グランピアンズなど、有名エリアがある。
私が訪問したのはブルーマウンテンズ。(シドニーから高速使って約2時間)
岩質は硬く、豊富なエリア、変化に富んだ内容濃いルート。
ただ、岩がすっきりしすぎていて、弱点が少なく、リーチが必要だったり、その個所のムーブが出来ないとさっぱりダメ、ってルートもある。それにもかかわらず、魅力的で、ヨーロッパ有名エリアに匹敵する、と感じた。
なお、その時のレポートはこちら→taki.o.oo7.jp/Australiareport.htm


「三陸海岸大津波」増刷

2011年05月12日 19時53分50秒 | 読書(小説/日本)

先日(4/23)、「三陸海岸大津波」を紹介した。(→「三陸海岸大津波」 吉村昭
私が購入した時は、入手困難で、あちこち探した。
今は、増刷されて、平積みされている。
東日本大震災後に全国から注文が相次ぎ、この2カ月間で15万部を増刷、とのこと。
手に入りやすくなって良かった、と喜んでいる。

さて、吉村昭さんの奥さん、と言えば津村節子さん。(夫婦揃って作家)
津村節子さんが、増刷続きの「三陸海岸大津波」印税を寄付されているそうだ。
次の記事を参考にして。


【参考リンク】
増刷続く吉村昭さん「三陸海岸大津波」印税を被災地に

http://www.asahi.com/national/update/0509/SEB201105090003.html

災害時の流言飛語を取材した「関東大震災」も、3万部増刷。
今回も、様々な流言飛語が飛びかっているようだ。