「隠居すごろく」西條奈加
主人公は、老舗糸問屋の店主・徳兵衛。
還暦を機に隠居生活に入った。
平穏な日々が訪れるかと思ったら、とんでもない。
老後、新たな人生が始まる!
さすが西條奈加作品、レベルが高い。
人情ものを書かせたらトップクラス、と思う。
面白いから読んでみて。
P234
「経世在民という言葉は、ご存じでしょうか?」
「うむ、一応はな。商人仲間の寄り合いなぞで、たまに耳にするが」
「昨今は、経済とも言うそうです」
「経済・・・・・・それは耳新しいですね」
経世在民とは、唐の古い書物にある言葉で、世を治め、民の苦しみを救うことを意味する。もともとは治世、つまりは政治や行政のあり方を示唆していたが、貨幣の流通が盛んになると意味合いが変わってきて、生産や消費、売買などをさすようになった。
P258
寺町奉行・町奉行、・勘定奉行は三役と称されて、いわば後の出世に繋がる花形の役目であったが、町奉行と勘定奉行が旗本の役職なのに対し、寺社奉行だけは大名が指名される。
【参考リンク】
西條奈加「隠居すごろく」 何歳からでも人は変われる|好書好日 (asahi.com)
【ネット上の紹介】
巣鴨で六代続く糸問屋の嶋屋。店主の徳兵衛は、三十三年の働きに終止符を打ち、還暦を機に隠居生活に入った。人生を双六にたとえれば、隠居は「上がり」のようなもの。だがそのはずが、孫の千代太が隠居家を訪れたことで、予想外に忙しい日々が始まった!千代太が連れてくる数々の「厄介事」に、徳兵衛はてんてこまいの日々を送るが、思いのほか充実している自分を発見する…。果たして「第二の双六」の上がりとは?
「生物と無生物のあいだ」福岡伸一
2007年 第29回 サントリー学芸賞・社会・風俗部門受賞
科学読み物の秀作、と思う。
2008年 第1回 新書大賞受賞作品だけど、古さを感じさせない内容。
ぜひ読んでみて、お薦めです。
「面白かった、読んでよかった」、って思える内容です。
P4
生命とは何か?それは自己複製を行うシステムである。20世紀の生命科学が到達したひとつの答えがこれだった。
P36
ウイルスは、栄養を摂取することがない。呼吸もしない。もちろん二酸化炭素を出すことも老廃物を排出することもない。つまり一切の代謝を行っていない。(中略)
ウイルスは自己複製能力を持つ。(中略)
結論を端的にいえば、私は、ウイルスを生物であるとは定義しない。つまり、生命とは自己複製するシステムである、との定義は不十分だと考えるのである。
P84
博士号とかけて足の裏についた米粒と解く
そのこころはとらないとけったくそ悪いが、とっても喰えない
P163
私たちが仮に断食を行った場合、外部からの「入り」がなくなるものの内部からの「出」は継続される。身体はできるだけその損失を食い止めようとするが「流れ」の掟に背くことはできない。私たちの体タンパク質は徐々に失われていってしまう。したがって飢餓による生命の危険は、エネルギー不足のファクターよりもタンパク質欠乏によるファクターのほうが大きいのである。エネルギーは体脂肪として蓄積でき、ある程度の飢餓に備えうるが、タンパク質はためることができない。
P180
常に傷ついたタンパク質、変性したタンパク質を取り除き、これらが蓄積するのを防御することができる。(中略)生命はさまざまなストレスにさらされ、その都度、構成成分であるタンパク質は傷つけられる。酸化や切断、あるいは構造変化をうけて機能を失う。糖尿病では血液の糖濃度が上昇する結果、タンパク質に糖が結合し、それがタンパク質を傷害する。(アルツハイマー病、狂牛病、ヤコブ病もタンパク質が構造に異常を来し、脳の内部に蓄積する。廃物の蓄積速度が、くみ出す速度を上回った状態になる、と)
【ネット上の紹介】
ページをめくる手がとまらない極上の科学ミステリー。分子生物学がたどりついた地平を平易に明かし、目に映る景色がガラリと変える。読むとかならず誰かにすすめたくなる一冊です。15万部突破!。朝日新聞、読売新聞、産経新聞、週間文春等各詩誌、王様のブランチ(TBSテレビ系)ほかで絶賛、話題沸騰!「福岡伸一さんほど生物のことを熟知し、文章がうまい人は希有である。サイエンスと詩的な感性の幸福な結びつきが、生命の奇跡を照らし出す。」――(茂木健一郎氏)「超微細な次元における生命のふるまいは、恐ろしいほどに、美しいほどに私たちの日々のふるまいに似ている。」――(内田樹氏)「スリルと絶望そして夢と希望と反逆の心にあふれたどきどきする読み物です!大推薦します。」――(よしもとばなな氏)「分子生物学の最前線は福岡さんの異議申し立てにどう反論するか。興味津々だ」――(最相葉月氏)
ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク
アンサング・ヒーロー
フォー・レター・ワード
シャルガフのパズル
サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ
ダークサイド・オブ・DNA
チャンスは、準備された心に降り立つ
原子が秩序を生み出すとき
動的平衡とは何か
タンパク質のかすかな口づけ
内部の内部は外部である
細胞膜のダイナミズム
膜にかたちを与えるもの
数・タイミング・ノックアウト
時間という名の解けない折り紙
「あきない世傳金と銀」(13)高田郁
シリーズ最新刊にして、最終刊。
これで完結!
P350
――おあしにはな、金と銀がある。銭は日々の暮らしを支えるもの。お前はんがこれから生きる商いの世界で使われるんは、金と銀だす。金は銀より重うて、柔らかい。何より、いつまでも変わらんと光り続けることが出来ますのや。金と違うて、銀は曇ってしまう。けど、その曇りは、銀がひとからひとの手ぇに渡った証、仰山のひとの商いに役立った証だす。金と銀、両方揃わな、商いは出来ませんのや。五鈴屋のご寮さんは紛れもない、金貨だす。(タイトルの意味が分かった)
【作者のお言葉】
本作を手がけるきっかけとなったのは、「いとう呉服店」(のちの松坂屋)十代目店主の宇多という女性でした。
(中略)
少し先に、特別巻を2冊刊行させて頂く予定です。(楽しみに待ちましょう!)
【ネット上の紹介】
宝暦元年に浅草田原町に江戸店を開いた五鈴屋は、仲間の尽力を得て、一度は断たれた呉服商いに復帰、身分の高い武家を顧客に持つことで豪奢な絹織も扱うようになっていた。だが、もとは手頃な品々で人気を博しただけに、次第に葛藤が生まれていく。吉原での衣裳競べ、新店開業、まさかの裏切りや災禍を乗り越え、店主の幸や奉公人たちは「衣裳とは何か」「商いとは何か」、五鈴屋なりの答えを見出していく。時代は宝暦から明和へ、「買うての幸い、売っての幸せ」を掲げて商いの大海へと漕ぎ進む五鈴屋の物語、いよいよ、ここに完結。
「韓国カルチャー」伊東順子
P33
「日本では『愛の不時着』が人気だけど、いったいどうして? 他の国ではそうでもないのに」――と、韓国の人によく驚かれるが、理由はいろいろだろう。すぐに思いつくのは主役のヒョンビンの人気が他国より盤石であったこと。そしてもうひとつはドラマの舞台となった「北朝鮮」への感心の高さである。(後略)」
P60
「韓流」という言葉はそもそも中国で作られた新造語だった。それを韓国が取り入れ、日本も飛びついた。2000年代初頭に中国で巻き起こった韓流ブームは、ストレートに北朝鮮にも伝わったのである。
P98
孤独な男性の子守は母親世代までで十分。「風と石と女」に象徴される済州島にしても、男たちは「強い女」を持ち上げながら、実際は女に甘えていたとか。
P197
最近の韓国ドラマは最終的には「和解」が訪れる。信じられないほどの意地悪や騙し合いがあっても、「悪人」は打倒されるか、反省して「善人」に変身して手を取り合う。そうやって人間についての希望を失わないにする。そこには孟子に倣う韓国儒教の「性善説」がベースにある。
P208
1997年の秋、アジア通貨危機が起こり、韓国は「国家倒産」の寸前の段階までいく。
P211
韓国では病院のランクによって、外来診療の自費負担率が異なり、上級総合病院クラスになると6割負担と高率になる。(中略)
ちなみに韓国の医療機関は、医院、病院、総合病院、上級総合病院というランクに分かれている。
P215
「(前略)韓国の小学校ではね、『困っている人を見たら助けましょう』と教えるんです。今、日本の学校ではどうでしょう?むしろ『他人に迷惑をかけないように』じゃないですか?」
P216
医師と聖職者と軍人という3つの職業が並ぶことは、今の日本ではあまりないだろう。
【関連図書】
「韓国社会の現在」春木育美
「韓国現地からの報告」伊東順子
「となりの韓国人」黒田福美
「「不時着」しても終わらない」黒田福美
【ネット上の紹介】
韓国カルチャーが世界で人気を博している。その理由は、それらが韓国社会の“いま”を巧妙に映し出す鏡であるからだ。近年話題となった小説、ドラマ、映画などのさまざまなカルチャーから見た、韓国のリアルな姿を考察する。
小説と映画、それぞれの凄絶『82年生まれ、キム・ジヨン』―憑依する「恨」、フェミニズムの時差と逆転、母は清渓川で働いていた
成長物語としての、ドラマ『サイコだけど大丈夫』―治癒のための韓国料理、家族と戦争のトラウマ、「クレメンタインの歌」の謎
北朝鮮の人々は『愛の不時着』を見たのだろうか?―北朝鮮における韓流、過去と現在
韓国ドラマ・映画と北朝鮮―「北のヒーロー」、その系譜 映画『南部軍』からドラマ『愛の不時着』まで
『梨泰院クラス』(1)―ダイバーシティとしての梨泰院 レインボーカラーが交差する街で見た夢
『梨泰院クラス』(2)―基地の街から外国人労働者の街へ 私にとっての梨泰院
映画『ミナリ』―これまでとは少し違った「韓国系移民の物語」受賞の喜びと、さまざまな感想
光州は世界をつなげる―パク・ソルメ著『もう死んでいる十二人の女たちと』と映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』、そして白竜、高橋悠治、富山妙子の世界へ
韓国の財閥とは?―ドラマ『Mine』から、そのリアルに迫る
なぜ、ドラマ『SKYキャッスル』が韓国を知るうえで重要と言われるのか?―「上級階級の妻たち」がモンスター化する、その理由
『賢い医師生活』で知る、韓国の人々の幸福感や倫理観―頑張ってきた自分は、次は何に頑張ればいいのだろう?
チョンセと再開発―不動産階級社会としての韓国 ドラマ『賢い医師生活』、映画『パラサイト 半地下の家族』、小説『こびとが打ち上げた小さなボール』、小説『野蛮なアリスさん』
「まるまるの毬」西條奈加
菓子屋を舞台にした時代小説。
店主は、武士から転身した変わり種・治兵衛。
驚異の記憶力を持つ出戻り娘・お永。
孫娘のお君。
この3人を中心に物語は展開する。
P84
「昔は月見と言えば、里芋だったんだがな」
(中略)
「麻布六本木に芋洗い坂があるだろ、あそこにはいまも青物屋がある。8月15日が近づくと、大きな市が立ってな、里芋を売り出すんだ」
「その里芋が、お団子になったのね」
【ネット上の紹介】
武士から転身した変わり種、諸国の菓子に通ずる店の主・治兵衛。菓子のことなら何でもござれ、驚異の記憶力を持つ出戻り娘・お永。ただいま花嫁修業中!ご存じ、南星屋の“看板娘”・お君。親子三代で営む菓子舗「南星屋」。繁盛の理由は、ここでしか買えない日本全国、銘菓の数々。でもこの一家、実はある秘密を抱えていて…。思わず頬がおちる、読み味絶品の時代小説!
「暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ」堀川惠子
今年のベスト、と思う。
戦史ノンフィクションの傑作。
よくこれだけ調べて掘り起こした。
広島・宇品港と三人の司令官について書かれている。
私の説明では面白さが伝わらないけど、読んでみて。
同著者による「原爆供養塔」に匹敵する内容。
お薦めです。
P9
太平洋戦争が開戦すると、ルーズベルト大統領はただちに「無制限作戦」を発令。武装していない日本の輸送船にいっさいの警告なしに攻撃を加え、撃沈するよう命じた。(あきらかに国際法違反)
P42
海軍のエース山本権兵衛はこれから後に大本営条例を改正する際、陸軍と海軍が共同する必要性について「最小限に制限」する方針を打ち出しており、あくまで陸軍のことは陸軍内で処理すべきといった基本姿勢を明確にしている。
海軍が陸軍の輸送に対して非協力的だった背景には、建軍当初から陸軍(長州)と海軍(薩摩)の縄張り争いに加えて、この国の鎖国の歴史も無関係ではないだろう。(大本営は「国民一丸となって」って言いながら、自分達は陸軍と海軍で覇権争いをしていた訳だ・・・「日本は太平洋戦争において、本当はアメリカと戦っているのではない。陸軍と海軍が戦っていた、その合い間にアメリカと戦っていた・・・・・・」、と揶揄されるくらい仲が悪かった―「あの戦争は何だったのか」保阪正康よりP121-122。また、戦争末期、昭和18年になると、「米機を撃つなら、英機を撃て!」などと大書きしたビラが、電信柱やガード下の壁に貼り付けられているのを見かけるようにもなった。この場合の「英機」とは東条英機首相のことであったのであろう。・・・みんな精神論にうんざりしたのかもね。「B面昭和史1926-1945」半藤一利よりP464)
陸軍の台湾出兵について
P43
陸軍の窮地(船がない)を救ったのは海軍ではなく、民間の船会社だった。これを機に政府に大恩を売った三菱は三年後の西南戦争でも会社をあげて軍事輸送にあたり、大きく飛躍していったのは周知の事実だ。
昭和15年8月下旬、篠原優参謀と渡辺信吉参謀長(大佐)の会話
「実は、アメリカと戦をすることになりました」
参謀長の顔が一気に上気した。
「なにをバカなことを!」
もともと大声で知られる参謀長が顔を真っ赤にして、建物の外にまで響くような声を発した。同席した嬉野(通軌)は戦後になっても、このときの「参謀長のすごい剣幕」は忘れられないと語っている。(彼らは、戦争を始めることが出来ても、「終わらせ方」を知らなかった。関係ないけど、仲のよい夫婦は、夫婦喧嘩の収め方を知っている)
P309
大東亜戦の天王山はガダルカナルです。ガダルは戦で負けたのではなくて、要するに手持ちの優秀船が、全部なくなっちゃったんです。高速輸送船団という戦略兵器が局地戦で潰されちゃったんです。そのあとの戦というのは、掛け声だけですね。
南海の離島への輸送で、兵站戦は果てしなく広がる。その兵站戦を誰が守ってくれるかというと、海軍は全然考えてくれない。(大本営や参謀本部のエリートたちは兵站の重要性を理解していなかったのだろうか?どうして精神論ばかりが幅をきかすようになったのだろう?そんなのでお腹がふくれる道理がないのに。武器や弾薬なしでどう戦えと言うのだろうか?インパールでも同様のことが起こっている。最高水準の偏差値の持ち主たちじゃないのか?畢竟、記憶力と理屈だけ。頭の良さだけでリーダーを選んだら、とんでもない事になる、と。現在の官僚制度も考え直す必要ありかもね)
P313
今村(均)はガ島撤退の後、自決を申し出た第17軍司令官の百武中将に「ガ島の敗退は戦いによるものではなく、飢餓の自滅だったのです。この飢えはあなたが作ったものですか。そうではありますまい。・・・・・・全く、わが軍中央部の過誤によったものです」と、自決よりガ島戦の顛末を詳しく記録して後生に伝えることこそ肝要だと諭した。そして自身はラバウルに対米戦に向けた堅固な要塞を築くのと並行して自ら鍬を振るい、大規模な農作業を展開して食糧を備蓄、自給自足体制を構築した。アメリカ軍の飛び石作戦でラバウル基地は後に完全に孤立させられ、補給も途絶えるが、陸海軍10万もの将兵を島内に抱えながら敗戦まで1人の餓死者も出さなかった。
P353
アメリカ軍の海上封鎖によって宇品の輸送機能はほとんど失われており、もはや原爆を落とすほどの価値はなかった。さらに言えば、兵糧攻めと度重なる空襲で芯から干上がった日本全土に原爆投下の標的にふさわしい都市など残されていなかった。
それでも原爆は落とされねばならなかった。莫大な国家予算を投じた世紀のプロジェクトは、必ず成功させねばならなかった。ソ連の南下を牽制するためにも一刻も早く、その威力を内外に示さねばならなかった。それは終戦のためというよりも、核大国アメリカが大戦後に覇権を握ることを世界中に知らしめるための狼煙であった。(「正当な理由として掲げ続けた軍事目標・宇品」を外して「住宅や商店が密集し、人々の営みが行われていた繁華街の真上」が原爆の投下地点として選ばれる。東京裁判における、「平和に対する罪」(A級犯罪)と「人道に対する罪」(C級犯罪)は、どうなるの?特に、一般住民に対する非人道的行為を国際犯罪とする「人道に対する罪」は、どう説明するの?)
【同著者による作品】
もし、「原爆供養塔」未読なら、先に読んだ方がいいかも。
大宅壮一ノンフィクション賞で、名作だから。
「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」堀川惠子
「戦禍に生きた演劇人たち」堀川惠子
「チンチン電車と女学生」堀川惠子/小笠原信之
「狼の義」林新/堀川惠子
「死刑の基準」堀川惠子
「教誨師」堀川惠
「日本の戦争BC級戦犯60年目の遺書」田原総一朗/田中日淳/堀川惠
【ネット上の紹介】
日清戦争、上海事変、ガダルカナル、そして8・6―。日本の「海の戦争」を支えた輸送基地=宇品港の三人の司令官と、軍都・広島が背負った「宿命」。日本軍事史上の最重要問題に光を当てる傑作。
第1章 「船舶の神」の手記
第2章 陸軍が船を持った
第3章 上陸戦に備えよ
第4章 七了口奇襲戦
第5章 国家の命運
第6章 不審火
第7章 「ナントカナル」の戦争計画
第8章 砂上の楼閣
第9章 船乗りたちの挽歌
第10章 輸送から特攻へ
第11章 爆心
後立山会計報告、次の通り。
大阪から白馬、電車賃 | 12,080 |
白馬から栂池高原、バス | 570 |
栂池ロープウェイ、ケーブル | 2,000 |
栂池ヒュッテで昼食・塩ラーメン | 850 |
栂池ヒュッテ(夕食) | 10,300 |
白馬山荘で昼食・おでん | 1,000 |
村営頂上宿舎で昼食追加・カレー | 1,100 |
天狗山荘(夕食) | 11,500 |
五竜山荘で昼食・チャーハン | 900 |
五竜山荘(夕食) | 11,900 |
冷池山荘で昼食・ラーメン | 1,100 |
冷池山荘(夕食・朝食) | 13,000 |
扇沢で昼食・ネギカツ丼 | 1,150 |
扇沢から大町温泉郷、バス | 1,030 |
アルペンルートホテル(懐石プラン) | 13,200 |
大町温泉郷から信濃大町、バス | 540 |
信濃大町から大阪、電車賃 | 11,710 |
松本で駅弁・釜飯とお茶 | 1,042 |
合計 | 94,972 |
今回の行程について書いておく。
最初、考えた行程は次の通り。
【プラン(1)】
栂池ヒュッテ→白馬頂上宿舎→唐松頂上山荘→キレット小屋→アルペンルートホテル
これだと、どれも8時間くらいの行程で、最後、10時間くらい。
7時間半→8時間→9時間→10時間
だんだん、調子を上げていけて良い感じ。
でも、どうしてもキレット小屋が押さえられなかった。
そこで、全体を調整しなおして変更した。
【プラン(2)】
栂池ヒュッテ→天狗山荘→五竜山荘→冷池山荘→アルペンルートホテル
結局、このプランで実施した。
このプランの欠点は、いきなり10時間歩く必要があること。
10時間→8時間半→10時間半→5時間半
初日、疲れてしまうと、なかなか調子が戻らない。
どの行程も、8時間以内で押さえたい。
実際、かかった時間は次の通り。
10時間30分→6時間48分→9時間39分→5時間36分
【結論】
今後、(初日は特に)ゆるめで計画すること!
虹が二重になっている・・・指摘されて気づいた!
「百年の女」酒井順子
1916年創刊の『婦人公論』の主要記事やトピックから世相を読み解いていく企画。
日本女性と社会の変遷を丹念に追った近現代史。
興味深く面白い。
現代あたりまえ、と思ってることが、裏に歴史あり、と分かる。
P72
現在、フランス以外のヨーロッパのラテン系国家や韓国、日本なの、低出生率に悩む国は、女性の参政権において後れをとった国であり、女性の参政権を早くから認めた国は現在の出生率も高いという点は、注目に値しましょう。
小林一三氏のコメント
P119
見合いで結婚したならば、「どの道、女は男の運命に黙従するより外に途はない」のだからして、「尊敬されよう」などとは夢にも思うものではない、と。(小林一三氏といえば阪急電鉄創業者・・・もっと開明的な方、と思っていた)
P158
新憲法施行後にあらわれた新しい離婚理由が「性格の不一致」であるという話も、登場しました。(戦前は、それって「贅沢きわまりない離婚原因」だった)
P181
昭和29年には、自由党憲法調査会長である岸信介が、「憲法第24条を改正し、全体として昔の家族制度を復活したい」という意思を持つ、との報道がなされていました。(岸信介は安倍晋三のお祖父さん。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し・・・」も気に入らなかったらしい)
P200
旧来の日本家屋は、今となっては信じられないことですが、外から鍵をかけることができなかったのです。常に誰かが留守番をしていなければならず、そのせいで主婦は家に縛り付けられました。(落語を聞いていると、中からつっかえ棒はしてたようだ)
P273
「専業主婦」は、この頃までは「へんな言葉」だったようなのです。それというのも、従来は「主婦」といえば専業が当たり前で、わざわざ「専業」をつける必要がなかったのでしょう。携帯電話が登場した後、それまでは単なる「電話」と言われていたものが「固定電話」とか「イエデン」などと言われるようになった(後略)
P291
父親はずっと仕事、母親はカルチャースクールかパート、そして子供は学校から塾へ、戻ってくれば二階の自室に籠もってウォークマンかファミコン。
・・・・・・ということで、家族が顔を合わせる時間がなく、「家庭に緊張がなく、家族の団らんも会話もない」からこそ、ホームドラマが成立しない。
P331
平成6年に老いや死について記された『大往生』(永六輔)がベストセラーとなりましたが、平成7年3月号には、「大往生は男の発想、女は介護で立ち往生」(樋口恵子)という記事が。
【ネット上の紹介】
〈女人全開〉の歩みに驚愕、呆然のち爽快――面白く、ためになる異色の近現代史。大正の「非モテ」、女タイピストの犯罪者集団、ウーマン・リブとセックス、専業主婦第二職業論……トンデモ事件から時代を揺るがせた論争まで。人気エッセイストが、『婦人公論』(1916年創刊)の主要記事やトピックを取り上げながら、日本女性と社会の変遷を丹念に追った、トリビア満載の労作。祖母たち、母たちの100年分の知恵がここに!
大正の爛熟―大正5年~15年(創刊前夜
女の心得、説くのは男? ほか)
昭和娘の気質―昭和元年~21年(変わりゆく女性美の基準
令嬢から荷馬車輓の娘まで ほか)
戦後の希望―昭和22年~39年(憲法は宝の持ち腐れ?
冷戦と浮かれた若者 ほか)
リブの挑戦―昭和40年~63年(ゆらいできた「幸福」の形
青春の只中を生きる日本 ほか)
平成の分かれ道―平成元年~28年(「女の時代バブル」が到来
女の人生、ロールモデルは? ほか)
後立山の縦走に行ってきた。
●1日目(8月9日)晴れ時々曇り、一時雨
早朝大阪を出発し、新幹線で名古屋-JR松本駅、大糸線白馬駅まで。
バスで栂池高原、そこからゴンドラロープウェイ、ケーブルを乗り継ぎ自然園駅へ。
少し歩いて栂池ヒュッテ到着。ここが今日のお宿。
電気と水を潤沢に使えるので、山荘レベルをはるかに超える贅沢さ。
風呂も広い。料理は生涯ベストかも?
●2日目(8月10日)曇り
《乗鞍岳(白馬連峰)・船越の頭・小蓮華山(大日岳)・白馬岳・離山(白馬村)・丸山(黒部市)・白馬鑓ヶ岳 》
栂池ヒュッテから天狗山荘を目指す。
天狗山荘は、噂通り、食事が美味い。
登山者も少なく、穴場でお勧め。
●3日目(8月11日)曇り時々雨、風が強い
《天狗の頭・不帰嶮・唐松岳・大黒岳・白岳》
天狗山荘から五竜山荘を目指す。
今回の核心・不帰キレットがある。
天狗の大下りを経て、不帰キレットに到着する。
すると、絶妙のタイミングで雨が降り出す。
「まいったなあ」と思いながら、慎重に手足を動かす。
気合いを入れたせいか、予定より早く、五竜山荘に到着。
●4日目(8月12日)曇り時々雨、一時晴れ、風が強い
《五竜岳・北尾根の頭・鹿島槍ヶ岳(北峰)・鹿島槍ヶ岳(南峰)・布引山》
今日の核心は八峰キレット。
五竜山荘から冷池山荘を目指す。
天気が目まぐるしく変わる。服装も着たり、脱いだり、カッパを着たり。
キレット小屋あたり、一番雨が激しかった。
●5日目(8月13日)晴れ
《爺ヶ岳(北峰)・爺ヶ岳(中峰)・爺ヶ岳(南峰)》
冷池山荘から扇沢に下山する。
扇沢でネギカツ丼を食べて、大町温泉郷に向かう。
あちこちにLINEで「無事下山」を伝える。
今日のお宿はアルペンルートホテル。
上高地と違って、料金はリーズナブル。13,200円(懐石料理プラン)
温泉に浸かって癒やされる。(素泊まりプランもあり)
●6日目(8月14日)曇り一時雨
大町温泉郷から信濃大町にバスで向かう。
信濃大町-松本-名古屋-大阪と、帰阪する。
帰宅後、しゃぶしゃぶを食べて体重を戻す努力をした。
↑大町温泉郷・アルペンルートホテル
【装備】
Tシャツ、長袖Tシャツ、ダウン、帽子、目出帽、手袋、ハンカチ
Keen黒、グレゴリー青24、ザックカバー、ヘルメット白、ゴア雨具黄緑上下、
スマホ+充電器、ヘッデン+充電コード、時計、ゴミ袋、地図、資料、日焼け止め、
行動食、ペットボトル500ml×4本、ツエルト、トレッキングポール、
寝袋インナー、アルコールスプレーかウェットティッシュ、体温計
着替え(Tシャツ・パンツ2・短パン・靴下2)、歯ブラシ、洗顔剤
*Keenローカットとグレゴリー24が、今回も役にたった。
*トレッキングポールは、初日と最終日に使用。
*不帰キレット、八峰キレットの日は、収納したまま。
*ヘルメットは、最終日以外ずっと装着していた。
【感想】1
先々週の大キレット、今回の不帰キレットと八峰キレット。
ひと夏で、3大キレットを経験したことになる。
これで、今年の目標達成です。
難しさの順位だけど・・・
①大キレット
②不帰キレット
③八峰キレット
あくまでも、感覚的な私見です。
なお、大キレットより難しいのが、西穂から奥穂へのジャンダルム越え。
故に、西穂から槍の縦走が、後立山縦走より技術的に難しい。
でも、しんどさで言うと後立山縦走の方が疲れた。
いずれにせよ、普段から岩を登って基本をマスターし、高度になれておく必要がある。
【感想】2
五竜と唐松で熊の目撃情報を聞いた。
気をつける必要がある。
登山者の2、3割が熊鈴をつけている。
霊は、金属音を嫌うそうだ。
私は熊に追いかけられた経験がある。
それにもかかわらず、熊鈴は付けていない。
霊と同様、金属音が苦手だから。
山は静かに登りたい。
人それぞれだろうが、何とかならないだろうか?
【YAMAP参考リンク】
後立山①栂池〜白馬
後立山②不帰キレット
後立山③八峰キレット
後立山④爺ヶ岳〜扇沢
【会計報告】
後立山会計報
【総括】
とても疲れた。
歩いていて、「引退」の2文字が目の前にちらついた。
しばらく縦走休み。
「孔子暗黒伝」諸星大二郎
諸星大二郎、初期の名作。
「顔淵(顔回)死す 子 これを 哭して慟す」
孔子門一の俊才であり
孔子をして 後生 おそるべしと いわしめた顔回は
若くして 髪が まっ白になり
35歳で 死んだという――
紀元前479年 孔子は73歳で死んだ
その一生は 挫折と絶望の連続であった
弟子たちは 泗水のほとりで
三年の喪に服したという・・・・・・
【ネット上の紹介】
紀元前495年、赤気と共に生まれた二人の子供―赤とアスラ。中国とインドにそれぞれ生まれながらも、やがて運命のもとに出会い、仏陀の導きにより一人の人間として生まれ変わる…。彼こそが孔子の待ちわびた天子だった!
「女たちの明治維新」鈴木由紀子
P73
横井小楠の政治思想に深く傾倒していたのが勝海舟であり、それを具体的に実践していったのが坂本龍馬であった。
P75
まだ開国もしていない幕末に日本茶を世界に紹介し、製茶貿易の先がけとなって巨万の富をきずきあげた女性の貿易商がいた。
P136
のちに同志社総長をつとめた小崎弘道、横井時雄、海老名弾正などは、みな新島(襄)にならって妻を「あなた」という敬称でよんだといわれ、日本家庭に新しい風を吹きこんだことはたしかである。
大山捨松の名の由来
P138
官費で10年間も勉強の機会があたえられるという現代から見ればうらやましいほどの条件にもかかわらず、応募者は1人もいなかった。嫁入り前の娘を10年間も親元から手ばなすのは捨てたも同然であり、女性は15歳くらいで結婚した当時の感覚からすれば、婚期を逸してしまうのは目に見えていた。(中略)
母の唐衣は「捨てたつもりで待つ」との切なるおもいをこめて、咲子という幼名を「捨松」とあらためた。
P141
欧米列強と肩を並べていうには、優秀な人材を育成しなければならない。それには賢い母親となる女性の教育が先決だと感じたあたりが、いかにも明治の政府高官の感覚である。彼らには男性と対等の人間として女性をうけいれ、社会に貢献させようという発想もなければ、日本の社会もそこまで熟成してはいなかった。
陸奥宗光夫人・陸奥亮子
P191
25年も日本に滞在したイギリスの外交官、アーネスト・サトウはめったに日本女性の容姿をほめなかったが、かれの日記に「美人」だと記しているのは、亮子だけだという。
1888年頃、亮子33歳頃の写真
【ネット上の紹介】
製茶貿易を先駆けた大浦慶、日本初の女医となった楠本稲、『小公子』を翻訳した若松賎子、外交の一翼を担った陸奥亮子…。幕末から明治への激動期をたくましく生きぬいた女性たちに光を当て、その足跡に迫る。逆境から道を拓いた女性たちの勇気と情熱をとおして、生きるための戦略が見えてくる。
第1章 変革への始動―常識を破る女たち(女囚高須久子と吉田松陰
松陰との再会と別れ ほか)
第2章 維新前夜―挑戦する女たち(日本茶を世界に広めた大浦慶
侠気で龍馬をささえた楢崎龍 ほか)
第3章 敗者からの転身―会津藩の女たち(同志社の母とよばれた新島八重
伯爵夫人となった大山捨松 ほか)
第4章 世界デビュー―外交官の妻たち(森有礼と契約結婚した広瀬常
陸奥宗光の杖となった亮子の献身)
西穂~槍縦走で、靴を酷使した。
特に、初日雨が降り、どろどろの登山道を西穂高山荘に向かった。
Keen店員さんに聞いた、クリーニング&メンテ方法を書いておく。
①靴底をブラシでこすり水洗い。
②革箇所は、水を含ませたスポンジでやさしく拭き泥を落とす。
③乾いたのち、革箇所を保革油を使い別スポンジで拭く。
④時間をおいて、撥水スプレーで吹き付け防水処理。
普通の革靴には、ミンクオイルを使用。
起毛革の靴には、栄養ミスト、スプレータイプを使用。
↓ この際、まとまてメンテした。
山用無雪期としてよく履いているのは、最奥左keenローカット。積雪期では、手前左スポルティバ・トランゴ。普段街用でよく履くのは中央右端。足型にあわず痛いので使ってないシューズもある。(前列右2足と中央左端)