「キリスト教英語の常識」石黒マリーローズ
P7
〈旧約聖書の例〉
「創世記」Genesis=Gn
「出エジプト記」Exodus=Ex
「ヨブ記」Job=Job
「詩編」Psalms=Ps
「箴言」Proverbs=Pr
「イザヤ書」Isaiah=Is
〈新約聖書の例〉
「マタイによる福音書」Matthew=Mt
「マルコによる福音書」Mark=Mk
「ルカによる福音書」Luke=Lk
「ヨハネによる福音書」John=Jn
P56
「7つの大罪」
Pride(高慢)Convetousness(物欲)、Lust(色欲)、 Anger(憤怒)、 Gluttony(貪欲)、 Envy(嫉妬)、 Sloth(怠惰)
「7つの美徳」
Prudence(賢明)、 Justice(正義)、 Fortitude(剛毅)、 Temperance(節制)、 Faith(信仰)、 Hope(希望)、 Charity(愛)
P65
wash one's hands of(手を洗う)は「マタイによる福音書」に出てくる言葉で、「問題から手を引く」という意味です。
P74
He that is without sin among you, let him first cast a stone at her.
あなたの中で罪を犯したことがない者が、まずこの女に石を投げなさい。
P92
初めに言葉があった
In the beginnig was the Word
P108
「X」マークを書くと、それはキスの意味です。(中略)
{{{XXX}}}で、hag and kiss の意味だそうです。
P124
祈りが届いた
Prayers were answered.
P130ーP131
ミサの始まりの回心の祈り
昔はその時に、3本の指を合わせて軽く自分の胸をたたく習慣がありました。今でも、あやまちを犯して許しを請うときに、あるいは親しい友人にあやまる際にこのジェスチャーをする人がいます。(中略)
「風と共に去りぬ」初めに出てくる家族の祈りで、母親がこういいます。
Through my fault, through my fault, through my most grievous fault.
わがあやまちなり、わがあやまちなり、わが大いなるあやまちなり。
こう言いながら自分の胸をたたきます。
P213
日本に来た最初の頃は、いろいろな勘違いがたくさんありました。
「奉仕、祈り(service)」のことでは、ホテルや喫茶店の「モーニングサービス」が、とても不思議に思えました。
【ネット上の紹介】
英語理解にキリスト教的要素の把握は不可欠だ。「ハルマゲドン」や「スケープゴート」など聖書由来の慣用表現、God、Loveなどキリスト教的精神を基盤とする日常表現を正確な意味で知る。
1章 「聖書」からの日常表現
2章 日常表現にみるキリスト教の心(「愛」の表現
「祈り」の表現
「祝福」の表現 ほか)
3章 発見し、使ってこそ身につく表現(日常の中の「神」の存在
迷い、選択、そして結果
コミュニケートしましょう)
「6カ国転校生ナージャの発見」キリーロバ・ナージャ
著者は、世界6カ国(ロシア、日本、イギリス、フランス、アメリカ、カナダ)で転校を繰り返した。
教育の常識や「ふつう」がひっくり返る本。
P52
フランスの小学校に転校して、初めてのお昼の時間がやってきた。「案内するよ!」と誘ってくれた隣の子と一緒にカフェテリアへ向かった。どんな給食が出るのだろうか。ワクワクしながら向かったが、出てきたのはあまりおいしくないお肉の何かと蒸し野菜だった。とりあえず、食べ始めた。カフェテリアはガラガラだった。ぜんぜん人が増える気配はない。みんなごはんを食べないのだろうか?と気になったがフランス語が話せない。身ぶり手ぶりで「みんななんで食べにこないのか?」と聞いてみた。
すると、しばらくの説明とジェスチャーで、フランスの学校では多くの人は家族と一緒にお昼と食べるために家に帰るのだということが分かった。「え、家に帰る!?」。わたしは、信じられなかった。「親は仕事じゃないの?」。しばらくしてどうやら親も同じように長めの昼休みがあって家に帰って食べる人が多いとのことだった。(中略)
ロシアの小学校は日本と同じでみんな給食だ。(中略)
アメリカの小学校はイギリスと似ていて、朝の出欠をとるときに、「HOT」(給食)か「COLD」(自前のランチ)かを先生に伝える。ここの違いは、みんな事前に配られた給食メニューを見て自分が好きな食べ物が出るときだけ給食にすることが出来ることだ。ピザ、ホットドッグ、ラザニア、タコスなどは人気で、給食を選ぶ人が普段よりも倍くらいになる。(中略)ここでは誰も嫌いなものを無理に食べさせることもしなければ、残しても問題ない。なぜなら、お金を払ったのはあなた(あなたの親)だから、お金を払ったものをどう扱うかはあなたの自由と考えると同級生から聞いた。(中略)
日本の給食の面白いところは、給食当番がみんなに給食を配ったり取り分けたりするところだ。子どもでやってもいいのか?(中略)カフェテリアがなく教室で食べるというのも新鮮だった。ただ、日本の給食にはひとつ大きな欠点がある。それは、ロシアにもいえることだが、多様性を許さないことだ。
(ムスリムやユダヤ教徒は特定の肉が食べられないし、アレルギーの子もいる。今後の課題、と思う)
【ネット上の紹介】
6つの国4つの言葉で学ぶとどうなるか?ソ連(当時)に生まれ、両親の転勤で世界6カ国(ロシア、日本、イギリス、フランス、アメリカ、カナダ)の地元校で教育を受けた著者ナージャが、それぞれの国での体験&発見を紹介。机の並べ方、筆記用具、テスト、ランチ…世界の教室はこんなに違った!正解はない、違いがあるだけ。「ふつう」がひっくり返り、世界の見え方が変わる本です。
第1章 ナージャの6カ国転校ツアー(筆記用具は?「よく書く」ためのえんぴつ。「よく考える」ためのペン
座席は?小学校の座席システム。実は、全部違った
体育は?ロシアの学校では、体育で整列するとき背が高い人が前だった
学年は?ロシアでは、「1年生」という学年が2学年ある
ランチは?小学校のランチシステム。実は、さまざまだった ほか)
第2章 大人になったナージャの5つの発見(「ふつう」が最大の個性だった!?
苦手なことは、克服しなくてもいい!
人見知りでも大丈夫!しゃべらなくても大丈夫!
どんな場所にも、必ずいいところがある!
6カ国の先生からもらったステキなヒントたち)
闇金ウシジマくん
若い女は元気がある。
それだけで価値がある。
杏奈はもーすぐ24歳。
風俗嬢のピークを超えてしまった。
アルコール入りのボディソープで痛がる客は、
ヤバイ性病持ってるって、店の人が言ってた・・・・・・
「あいつ色恋営業かけて、客を”教育”してンだよ!」
「フツーじゃん!そんなの!」
「つーか、客がフツーの奴じゃねェーンだよ!」
「え?」
「普通の風俗嬢だったら、速攻NGにするキモ客」
TVは、各9話で3シーズン。
映画は、Part3+Finalで、4作品。
元になるコミックは46冊。
シリーズが複数あり、それぞれテーマがある。
*【膨大な作品を整理してみた】
1 2004 9 奴隷くん 債務者くん ウシジマくん 金主くん 若い女くん バイトくん 闇金狩りくん
2 2005 9 ヤンキーくん
3 2005 12 ヤンキーくん ゲイくん
4 2006 5 ゲイくん ギャル汚くん
5 2006 8 ギャル汚くん フーゾクくん
6 2006 10 フーゾクくん
7 2007 1 フーゾクくん フリーターくん
8 2007 6 フリーターくん
9 2007 9 フリーターくん
10 2008 2 サラリーマンくん
11 2008 4 サラリーマンくん
12 2008 8 サラリーマンくん タクシードライバーくん
13 2008 12 出会いカフェくん
14 2009 4 スーパータクシーくん
15 2009 7 テレクラくん
16 2009 10 楽園くん
17 2010 2 楽園くん
18 2010 6 ヤミ金くん
19 2010 10 ヤミ金くん
20 2010 12 ヤミ金くん トレンディーくん
21 2011 5 トレンディーくん
22 2011 8 ホストくん
23 2011 11 元ホストくん
24 2012 4 生活保護くん
25 2012 7 生活保護くん
26 2012 11 洗脳くん
27 2013 2 洗脳くん
28 2013 6 洗脳くん
29 2013 11 中年会社員くん
30 2014 2 フリーエージェントくん
31 2014 5 フリーエージェントくん
32 2014 10 フリーエージェントくん 復讐くん
33 2015 2 ヤクザくん
34 2015 6 ヤクザくん
35 2015 11 ヤクザくん
36 2016 2 ヤクザくん 逃亡者くん
37 2016 6 逃亡者くん
38 2016 9 逃亡者くん
39 2017 4 ウシジマくん
40 2017 7 ウシジマくん“過去編”
41 2017 10 ウシジマくん“過去編”
42 1018 3 ウシジマくん“最終章”
43 2018 6 ウシジマくん“最終章”
44 2018 10 ウシジマくん“最終章”
45 2019 2 ウシジマくん“最終章”
46 2019 5 ウシジマくん“最終章”
「幕末バトル・ロワイヤル」野口武彦
人気シリーズ、第1弾。
天保の改革から黒船来航あたりまでを振り返っている。
よく調べている、面白い。
P66
日啓とは何者であろうか。大奥に深く食い入った怪僧であった。
なにしろ、日啓はお美代の方の実の父親なのだ。
(ほとんどラスプーチン状態)
P90
いわゆる「天保の改革」は、天保12年(1841年)5月15日、12代将軍家慶の上意として示された布達からスタートする。(中略)
高価な品物の売買を禁じたのである。売れなければ物価は下がると見た。信念から生じる思い込みの力は恐ろしい。忠邦の姿にはどこか、非常な経済法則に素手で立ち向かっているようなところがある。
P172
担保を取らずに金を貸すのを「素金」(すがね)といって、今のサラ金と同じで利子が高い。幕命で利率の限度は15パーセントと定められていたが、もちろん守られない。50パーセントや60パーセントはザラで、需給関係次第でいくらでも跳ね上がる。中でも「座頭金」が一番高利で、なんと100パーセントが公認されていた。(闇金ウシジマくんでも、50%なのに!)
P223
国が亡びるのはアッという間である。
徳川家康の創業から250年にわたる無戦争を世界に誇ってきた江戸幕府は、ペリー来航からわずか15年でガタガタッと崩れてしまった。
福地桜痴は『幕府衰亡論』の中で、その原因は三つあったといっている。①京都に奏聞したこと。②水戸斉昭を顧問にしたこと。③諸大名に和戦の評議をさせたこと。
【ネット上の紹介】
徳川幕府の生き残りを懸けたイチかバチかの天保改革が、幕末の幕を切って落とした―。改革失敗、経済混乱、飢饉に火事に異国船、未曾有の事件が頻発する中、虚々実々の駆け引きに翻弄される幕府首脳の姿は、青雲の大志と権力欲が渾然一体となった政治の現実を教えてくれる。尊王攘夷・倒幕開国のうねりが押し寄せる直前、黒船来航までを、さまざまな名珍場面でたどる、既成史観ではわからない幕末政界権力争奪史。
第1部 天保政怪録(老中願望
セクハラ大名
三方領知替え
怪盗日本左衛門 ほか)
第2部 嘉永外患録(大江戸金融事情
火元争い
ワンポイントリリーフ
イケメン宰相 ほか)
P79
大江(健三郎)さんが、現場へも行かず、沖縄の那覇で沖縄タイムスの記者か誰かの話を聞いて、『沖縄ノート』に書いた。それはまったくのデタラメでした。
後に曾野綾子さんが渡嘉敷にも行って取材し、証言をとって、『沖縄ノート』の記述はおかしいですよと指摘しました。(中略)
そして「私が現地に行って調べたら、こういう資料がありました。だからこれを差し上げましょうか」と。すると、大江さんはいきなりガチャンと電話を切った。
P147
「正当防衛」は実は、自己と同時に他人を守るものなのです。
日本国刑法でも、正当防衛は〈急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為〉(第36条)となっています。
P228
植村隆さんは韓国人と結婚し、その義母は「太平洋戦争犠牲者遺族会」の幹部・梁順任氏でした。遺族会は慰安婦裁判で日本政府を訴えた原告の団体です。
(中略)
利害関係者にその記事を書かせていいのか、という倫理の問題です。
【参考リンク】
元朝日「植村隆」敗訴に韓国が沈黙する理由
元朝日の植村隆氏、敗訴確定
【ネット上の紹介】
平和、弱者、隣国、原発…戦後正義の暴走が一目瞭然!言論テレビのキャスター、櫻井よしこ氏と花田編集長が初タッグ!6人の論客を招いて戦後日本の謎をひもとく。
第1章 慰安婦問題だけではないメディアの病
第2章 イデオロギーのためには弱者を食い物にする
第3章 「けちな正義」の暴走
第4章 世論はこうしてつくられる
第5章 軍事はイメージとイデオロギーで語られる
第6章 勘違い「リベラル」と反日
第7章 朝日新聞が歪めた事実と歴史
TCNet事務局から、「権現通行止め」のお知らせを頂いた。
次の通り。
3月23日から6月30日の期間で権現谷エリアへのアクセス道が全面通行止めとなるようです。
まだ詳細は不明ですが、ご注意ください。
旅行者が多い、と感じた。
若いカップル、小さな子連れ夫婦、熟年夫婦。
さらに行きも帰りも、目立って修学旅行生が多かった。
いろんな方が南の島に来られているな、と。
下の写真は西表島のパイヌマヤホテル。
窓からジャングルが見えた。
次の写真は沖縄本島、かりゆしビーチリゾート・オーシャンスパ
窓から名護湾が見えた(景色の良い部屋を指定した)
【南エリア・沖縄文化と戦跡巡り】
①道の駅かでな 〒904-0202沖縄県中頭郡嘉手納町屋良1026番地3
098-957-5678
②嘉数高台 沖縄県宜野湾市嘉数1
嘉数展望台098-893-4431
嘉数公園098-897-2751
③斎場御嶽(せーふぁーうたき)300円 那覇空港から車で約50分
住所:沖縄県南城市知念久手堅地内
TEL:098-949-1899 営業時間:3月〜10月 9:00〜18:00
④沖縄県平和祈念公園 〒901-0333沖縄県糸満市摩文仁
098-997-2765
⑤米津海岸、ジョン万次郎ビーチ(大度海岸)
⑥魂魄の塔
⑦ひめゆり平和祈念資料館(ひめゆりの塔)450円
沖縄県糸満市字伊原671-1
TEL 098-997-2100
【中央エリア】
A 古宇利島(こうりじま)アクセス:那覇空港から車で約1時間30分
住所:沖縄県国頭郡今帰仁村古宇利 古宇利島
B ネオパークオキナワ 名護自然動植物公園
沖縄県名護市名護4607-41 0980-52-6348
C 沖縄美ら海 水族館(海洋博公園内)2180円、
16:00~1,510円空港から車で約2時間
住所:沖縄県国頭郡本部町石川424(海洋博公園内)
TEL:0980-48-3748 営業時間:通常期(10〜2月)
8:30〜18:30(最終入館17:30)・・・行けなかった
【今回行けなかったところ】
旧海軍司令部壕 600円 〒901-0241 沖縄県豊見城市字豊見城236番地
TEL: 098-850-4055
対馬丸記念館 500円 木曜休館 沖縄県那覇市若狭1-25-37
電話:098-941-35
糸数アブチラガマ 午前9時~午後5時 300円
沖縄県南城市玉城糸数667−1
098-852-6608 要予約
ニライカナイ橋 那覇空港から車で約30分
住所:沖縄県南城市知念知念
ガンガラーの谷 098-948-4192 前日までに要電話予約2,500円
〒901-0616 沖縄県南城市玉城字前川202
那覇国際通り商店街 那覇空港から車で約15分
沖縄県那覇市牧志3-2-10
TEL:098-863-2755
【番外編】
●ブルーシール イオン名護店 沖縄県名護市名護見取川原4472
0980-53-5822・・・行けなかった
●ブルーシール 名護店 沖縄県名護市東江5丁目22-20
0980-51-1339・・・行けなかった
●優美堂(「ひめゆり」の前)〒901-0344沖縄県糸満市字伊原372-2
098-997-3443・・・閉まっていた
【会計報告】
飛行機代・ホテル代・沖縄でのレンタカー代=156,100円
西表島でのレンタカー代=19,000円(やまねこレンタカー)
西表島でのガソリン代=2,900円
西表島での諸経費①=8,250 円
西表島での諸経費②=3,000 円
沖縄での諸経費=5,000円(クーポン使用)
沖縄での車の保険追加=1,650円
沖縄でのガソリン代=2,500円
*他にもいろいろ使ったので、総合計20万くらい
無事、帰阪しました。
最終日は、沖縄文化と戦跡巡りを実施しました。
もっと予定していたけど時間切れで廻りきれず。
ホテル8時前出発、那覇空港17時過ぎ到着。
那覇空港18:05→伊丹空港20:00
(那覇空港では、人員削減により、手続きを自分でする必要あり)
道の駅かでな ↓ ・・・エレベーターで屋上に上がると嘉手納基地が見える
正面の海岸から米軍が上陸した ↓(屋上からの景色)
嘉手納基地 ↓ ・・・広い嘉手納基地の手前に小さな農地がある(屋上からの景色)
嘉数高台 ↓ ・・・本格的な地上戦が始まったところ(展望台がある)
トーチカ跡 ↓ ・・・砲弾により鉄骨までむき出しになっている
普天間飛行場 ↓ ・・・嘉数高台の展望台から普天間飛行場も見ることができる
斎場御嶽 ↓ ・・・世界遺産
沖縄県平和祈念公園 ↓ ・・・広すぎてよく分からなかった
ジョン万次郎 ↓ ・・・ここに上陸した!
魂魄の塔 ↓ ・・・周辺に散乱していた遺骨3万5千余柱が納められているそうだ
ひめゆりの塔 ↓
【参考図書】
「大島和典の歩く見る考える沖縄」
「生かされて生きて」与那覇百子
名護岳に登った。
眺望良好。
次に嘉津宇岳(カツウダケ)に登った。
(関西だったら、1日2本も登らないのだけど、スケジュールが押し迫ってるから)
こちらも眺望良好。
山に登って海が見えると気分が良い。
時間に余裕があったので、ネオパークに移動。
植物や動物を身近に見ることが出来る。
けっこう楽しい。
午前、ユツンの滝を見に行ってきた。
名瀑と思う。
でも、二度と行こうと思わない。
なぜなら、ヒルだらけだから。
とんだ流血山行になった。
昼から気分転換に、南風見田の浜(はえみだのはま)を見に行ってきた。
西表島の郵便局
西表島に来ている。
西表島には、空港がない。
石垣島からフェリーで約1時間。
そこからホテルまでレンタカー。
行くだけで、1日仕事・・・何となく、先日の長野県・野猿公苑を思い出した。
最寄りの渋温泉に行くだけで、1日かかったから。
渋温泉は、サルのおかげで観光客が来て、
西表島は、ネコが呼び水となっている。
大原港 ↓
マングローブ ↓
マリュドゥの滝 ↓
マングローブ ↓
由布島 ↓
浦内川の遊覧船 ↓
星砂の浜 ↓
浦内川を 遊覧船で軍艦岩まで。
そこから歩きで、マリュドゥの滝、カンビレーの滝往復。
1時間半から2時間のコース。
【YAMAP】
マリュドゥの滝、カンビレーの滝/西表島
「魂の昭和史」福田和也
著者は、1997年当時、慶應義塾大助教授。
なるほど、って思う箇所もあるが、
あれ?、と思う箇所もある。
P69
日清戦争とは、中国が朝鮮を支配するのを避けるために、ありていに云えば、朝鮮半島を日本の勢力範囲におくために、日本と中国は戦争したんだね。
P73
(ロシアは)なぜ膨張したがるのかというと、臆病だからだね。
ロシアというのは、もともと国のなりたちからいって、スラブ民族が、モンゴル帝国に支配されたことをきっかけにできた国だ。
モンゴルがユーラシア大陸を席巻したとき(13世紀)、今のロシアあたりにいた領主たちは、モンゴルの支配下で、とてつもないひどい目にあった。
そういう目にあわないようにと、スラブの領主連中が集まってできたのがロシアだ。
P90
第一次世界大戦でそれまでの国際秩序が全部変わってしまった。
特に大事なのは、四つの帝国がなくなったことだ。
四つの帝国とは、一つは敗戦国のドイツ帝国、それからドイツと同盟して戦ったオーストリア・ハンガリー二重帝国、その東側のトルコ帝国、そして敗戦国ではないけれども、戦争中に革命で倒れたロシア帝国、この四つの帝国がなくなってしまった。
P100
イギリスの貿易収支を見ていくと、大英帝国の最盛期でもモノの収支はほとんど全部赤字なんだ。
だからイギリスは自由貿易を常に堅持して、自由貿易を守るために国際的な自由経済市場というのを保護した。そのために自国の市場も全部開放した。そしてモノの行き来を活発にして、モノの行き来に関わる保険とか投資とかで儲けていた。
国際金融システムを通じて世界を支配し、世界経済を安定させるというのが、イギリス基本的な国家戦略だったんだ。(中略)
ところが第一次世界大戦で、イギリスが力を失ってしまう。
ということは同時に、この自由貿易システムや金融システムがうまく動かなくなり、ついには壊れてゆくということだ。
P124
実際、日本が単純に満州を植民地にしたのであれば、西欧諸国との妥協は難しくなかったともいわれている。
(満州とあり、満洲と表記されていない、そこが気になる。――
かれらの自称「マンジュ」は、文殊菩薩の「文殊」に由来するものですが、その音に「満洲」という字を当てたのは「明」が火をイメージさせる文字であることから、マンジュの発音に合う文字の中から水のイメージをもつものを選んだと言われています。ですから、最近は「満州」と「さんずい」のつかない表記が多いのですが、本来は「満洲」が用いられるべきなのです。P282「教養としての「中国史」の読み方」岡本隆司 )
P183
朝日とか、読売とか、毎日といった新聞が、日本人を戦争にかりたてていったこと、その第一の責任を負うべきことについて、今さらとやかく云うつもりはない。ただ、こういう立派な新聞の記者さんたちが、自分の会社のことは棚に上げて、昔から戦争に反対していたようなことをいいながら、日本人は戦争への反省が足りないなんて主張するのはおかしなことだと思う。本当に恥ずかしいね。
でも、この恥ずかしさを味わうのはとても大事なことで、それは戦後民主主義とか、日本国憲法のなりたちを考えるよりも、よほど大切なほどだ。
P192
いくら戦争に勝ったからといって、占領軍がその国の国家体制を変えて、憲法を書き改めるなんていうことは、国際法に違反している。
そういう権限を占領軍に与えるなんてことは、連合軍が日本側に降伏条件として突きつけたポツダム宣言にも、国際法にも、でていない。
P194
講和条約をむすんで、占領が終了し日本が独立した後でも、日本を武装解除しつづけ、アメリカの保護下におく。
それが第九条の本質だ。
P204
北方領土、つまり国後、択捉、歯舞、色丹等の諸島は、サンフランシスコ講和条約のときに、アメリカは、わざと日本のものかソビエトのものか、はっきりしないようにしておいた。
日本とソビエトが、領土問題のために。こじれた関係にならざるをえないようにするめにだね。
本当に知恵のある悪党じゃないか。外交っていうのはこういうもんだね。
P210
日米安保条約は、日本をアメリカの軍事的占領下におくという条約であって、日本はこの条約を結んでいるかぎり、本当は独立していない、とも考えられる。(じゃあ、安保を破棄して、独力で防衛できるのか?代替案を示してほしい)
【関連図書】・・・昭和史と言えば、先にこちらを押さえるべき、と思う。
「昭和史 1926-1945」半藤一利
「昭和史 戦後篇」半藤一利
「昭和史裁判」半藤一利/加藤陽子
「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子
「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて」大沼保昭/江川紹子
【ネット上の紹介】
“もし自分がその場にいたら、戦争を止められただろうか”“なぜ日本はふたたび経済的な発展ができたのか”“君が「売春をしたっていい」と言えるまでになるのに、どれだけの蓄積が必要だったか”…。本書は、世界の動きを追いつつ、大きな流れの中で昭和史を捉え直す。歴史は単に年表を追うものでも、他人事として裁くものでもない。時代の波に翻弄され続けた先人たちの喜びや悲しみ、誇り、戸惑いなどに思いを馳せれば、歴史はもっと身近になる。すべての日本人が自分に直接かかわる問題として共感できるようやさしく語りかける、渾身の一冊。こんな歴史観があったのか。
魂の震えとしての歴史(あらゆる時代を超えて)―魂の核心で感じる、それが歴史を学ぶということ
江戸時代の意味(17世紀~19世紀中頃)―世界史に例のない平和で文化的だった時代
明治時代について(19世紀後半~1890年代)―残酷きわまる世界のなかで、命がけで走り続けた
日清、日露戦争(1894年~1910年)―独立を守るため戦争をしなければならなかった
昭和の始まり(1910年代~20年代末)―世界秩序の変化に気づかなかった日本の悲運
満州国とは何か(1930年代初頭)―独自の道を歩み始めた日本と、西欧の鋭い対立
昭和前期について(1920年代後半~30年代)―ひどい貧困のなかで新しい国家のデザインを模索
大東亜戦争とは何か(1930年代後半~45年)―勝ち目のない戦争に進まざるをえなかった悲しさ
占領は日本を変えたか(1945年~51年)―わかりやすい目標が生まれ、変な陽気さがあった
高度経済成長(1951年~60年代)―経済発展が国民に一体感を与えた幸福な時代〔ほか〕
9人の女性作家の評伝。
父との関係に焦点を当てて描かれている。
今年のベストの1冊と思う。
P11・・・渡辺和子
2.26事件関連の本で、父の殺害を目撃した幼い娘が泣きじゃくったという記述を読んだ記憶があった私が改めて確認すると、和子は「いいえ、泣いておりません」と否定した。
「私は、父の死で涙を流したことは一度もございません」
P32・・・齋藤史
ゆくすゑを誰も知らねば渡邊・齋藤の名もつらねたり一つ碑の面に
瀏の娘、齋藤史の歌である。
史は1980年、71歳のときにこの碑を訪れた。二人の名が同じ碑面に刻まれているのを見て複雑な思いを抱いたようで、
人の運命(さだめ)過ぎし思えばいしぶみをめぐるわが身の何か雫す
P62・・・島尾ミホ
「死ニタイ、シンドイ、結婚シタ事ヲクヤム」
「ジュウ(父)ヲ捨テタバチカモ」
ミホが結婚写真を嫌ったのは、それが父を孤独の中で死なせたことを思い起こさせるものだったからかもしれない。
P110・・・石垣りんの詩
家は夢のゆりかご
ゆりかごの中で
相手を食い殺すかまきりもいる
P168・・・田辺聖子
東条英機が自決に失敗したことを知った日の日記には〈とんだ死に恥をさらして気の毒ともあさましいともいいようがない〉(昭和20年9月14日)
P186・・・辺見じゅん
(父の)源義が再婚したのは1949年、辺見が10歳になる年のことである。
2月の末に子どもたちは富山の祖父母のもとから東京に戻り、新しい母・照子と暮らしはじめた。「お母さん」と呼ぶきっかけがなかなかつかめないでいた辺見だが、雛祭りが近づき、一緒に雛人形を飾っていたとき、気持ちがほどけて、自然に「お母さん・・・・・・」と呼びかけていた。
母は虚をつかれた表情でしばらく私の顔を見つめていた。そして次の瞬間、私を強く抱きしめた。(中略)
まだ21歳だった照子を、辺見は母として慕い、生涯にわたって大切にした。弟たちもそれは同じだった。(辺見じゅんは、生涯にわたってお父さん子だった、でも、新しい母をライバル視しなかった。なかなか出来る事じゃない)
P192・・・辺見じゅん(父は、角川書店創業者・角川源義)
弟の角川春樹は、当時、辺見から聞いたあるエピソードが忘れられないと話す。
大和が沈没したのは、春の盛りの4月7日だった。駆逐艦に救助された乗員たちは、翌日、九州の佐世保に帰還した。そのとき一人の兵士が、「桜が咲いている!」と叫びながら、気かふれたように甲板を転げまわったという。陸では桜が満開だった。(中略)「この話に心を動かされた私は、取材を続けてぜひ本にすべきだと辺見に言いました」
大和の乗員は3,332名。うち生存者は276名とされる。辺見はこのうち117名から話を聞き、遺族にも取材している。
P258・・・石牟礼道子
小学校の代用教員として終戦を迎えた道子は、翌年3月、勤め先の学校から帰る汽車の中で、ひとりの戦災孤児と出会う。骨と皮ばかりに痩せ、うつろな目をした裸足の少女。満員車内のでは彼女のまわりだけ空席ができていた。
話を聞くと、少女は15歳でタデ子といった。大阪付近の駅で半年ほど寝泊まりし、姉のいる兵庫県の加古川に行こうと切符を持たずに乗ったという。そのまま遠い九州まで来てしまったのだ。
車掌は、下車を命じたが降りないので困っていると言った。このままでは終点の鹿児島で放り出されることになる。道子はタデ子を連れて帰った。
道子におぶわれた異様な姿の少女を見るなり、晩酌をしていた亀太郎(父)がすぐに立ち上がり、水とお茶を持ってきた。松太郎(祖父)はみずから風呂をたき「このような姿になるまで、よう生きとったのう」と嘆息した。(中略)父と祖父は正反対の性格で、折り合いもよくない。だが家族全員が、他人の窮状を見れば迷わず手を差し伸べる人たちだった。
【参考リンク】1
旧「第七師団転地療養所」について: 旭川平和委員会 (cocolog-nifty.com)
【参考リンク】2
「昭和二十年夏、僕は兵士だった」梯久美子
「昭和二十年夏、子供たちが見た戦争」梯久美子
「昭和二十年夏、女たちの戦争」梯久美子
「百年の手紙 日本人が遺したことば」梯久美子
「狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ」梯久美子
「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」辺見じゅん
「よみがえる昭和天皇 御製で読み解く87年」辺見じゅん/保阪正康
【ネット上の紹介】
不朽の名作を生んだ9人の女性作家たち。唯一無二の父娘関係が生んだ、彼女たちの強く、しなやかな生涯。
渡辺和子―「私は父の最期のときを見守るために、この世に生を享けたのかもしれない」
齋藤史―「もののふの父の子に生れもののふの父の寂しさを吾が見るものか」
島尾ミホ―「死ニタイ、シンドイ、結婚シタ事ヲ悔ヤム。ジュウ(父)ヲ捨テテ来タバチカモ」
石垣りん―「父と義母があんまり仲が良いので鼻をつまみたくなるのだ」
茨木のり子―「いい男だったわ お父さん 娘が捧げる一輪の花」
田辺聖子―「やさしい言葉の一つもかけることなく、父を死なせてしまった」
辺見じゅん―「父が亡くなり、私もまた死んだと思った」
萩原葉子―「私はまさしく父親の犠牲者としてこの世に生まれた」
石牟礼道子―「憎くて、ぐらしかおとっつあま、地ごく極楽はおとろしか」
「ペルソナ」中野信子
珍しく自分自身を語っている自伝エッセイのような作品。
P42
生まれか、育ちか、というのは生物分野の研究者たちがしばしば議論の俎上に載せる定番のネタである。英語では Nature or nurture といって、韻を踏むような語句になっている。
P194
勝ち組・負け組という言い方があるが、私はあまり好きではない。なんとも下品な言い方で、軽く使われているが、この言葉には稼いでいなければ生きている価値がないといでもいうかのような野蛮で貧しい響きがある。
同様に、働かざる者食うべからずという言葉も私は大嫌いだ。
P227
通知表に「利己的」と書かれたことがある。誰とも結ばず、一人の時間を楽しむ私に対して教師が抱いた印象がそれだったのだろう。私は「生物はすべて利己的なものだけど?」と思うだけだったが、母がなぜかショックを受けて、私に怒鳴り散らしたのを覚えている。(中略)子どもならではの残酷さで、この人が本当に私を産んだのだろうか、と落胆することもあった。(中略)自分のせいでこんなことを書かれたのかもしれないね、ごめんね、と余裕のある女性なら言ったかなあと思うけれど。ともあれ、7歳の子どもに八つ当たりできるくらいの人格ではあった、と言うことになる。また、小学校の教員といってもあまり頭が回らないのかもしれない、とこの時は腹立たしかった。こんなことを書けば、子が親にどんな目にあわされるか、想像がつかないのだろうか?
【ネット上の紹介】
親との葛藤、少女時代の孤独、男社会の壁…人間の本質を優しく見つめ続ける脳科学者が、激しく綴った思考の遍歴。
はじめに わたしは存在しない
1章 サイコマジック―2020
2章 脳と人間について思うこと―災害と日本 2010~2019
3章 さなぎの日々―塔の住人はみな旅人である 2000~2009
4章 終末思想の誘惑―近代の終わり 1990~1999
5章 砂時計―1975~1989
おわりに わたしモザイク状の多面体である
「すべてを手に入れたってしあわせなわけじゃない」鈴木涼美
15のシチュエーションで、30人の女性への聞き取り調査。
P36
思えば女の一生は、妊娠を心配する10代20代に次いで、不妊を心配する30代40代が始まり、子どもができない身体になって終わる。高校生や大学生は基本的に生理が遅れるたびに、酔って甘かった避妊を後悔し、妊娠検査薬を天にかざして祈り、遅れてきた生理に安堵の涙を流して生きている。
P102
「どうせなら、高校生とか暇なときに子供産む方か゛いい気がする」
P132
いかにも男ウケを狙ったファッションやキャラ作りというのは得てして他の女からの評判を落とすが、男に全くモテない人生というのはそれはそれで他の女からバカにされるものだ。つまり私たちは、男ウケをそんなに狙っていないふりをして男ウケを狙う、というものすごく手の込んだことをしながら生きていかなくてはいけない。そうです、女は面倒臭いんです。
【感想】
人生の節目で様々な選択を迫られる。
結婚するかどうか?
子供を産むかどうか?
仕事を続けるかどうか?
理性で夫を選ぶか、胸キュンで選ぶか?
しかし、どの選択をしても後悔は残る。
選ばなかった選択肢を振り返ってしまう。
ひとつ選ぶとひとつ失う。
本書は30代の女性たちが登場するが、
さらに歳をとるとどうだろう?
認知症のお年寄りは、あるはずのない物を探すことがあります。
(中略)
年をとるということは、多くのものを得て、そして失うということでもあります。あなたはいまも生きているし、あなたのことを大切に思っている人がここにいる。そのいちばん大切なことは何も失われていないということを、探し物を一緒に探すという行為を通して伝えます。(「認知症介護びっくり日記」)
【関連図書】
女性への聞き取り調査というと「沼で溺れてみたけれど」を思い出す。
【ネット上の紹介】
キャリア、結婚、子育て、不倫。女の人生には、果てしない選択肢があり、そのどちらも、意外としんどい。風俗やAVの経験も持ちつつ、東大大学院で社会学を修め、元日経新聞記者でもある、気鋭の書き手、鈴木涼美が、15のシチュエーションで、30人の女性を取材。30代半ばの女のリアルを、エッジの聞いた文章で読ませます。女の人生、15本勝負。軍配はどちらに! 生きるヒントが見つかる、注目のエッセイです。
会社人生―会社は真綿でできた鉄の檻。いてもやめても苦しい
不倫問題―専業主婦を見下す独身、でも妻の方は…
子作り―早く産むか遅く産むかで、女の人生は引き裂かれる
学歴―使えない高学歴は無意味、でもそれがないと…
雇用形態―本当にやりたいことは会社じゃできない、という夢想
出身地―都会のど真ん中で婚期を逃すか、ワンオペ育児か
独身生活と結婚願望―好きでなくなったら別れる、で、なんでいけないの?
ママ―自分が何者でもないのは、会社員も専業主婦も同じ
旦那のスペック―夫に期待したのが間違いだった。主婦が夢から覚める時
モテ―いつまでもモテ続けるわけではないという絶対真理
自分の歴史―過去をひきずり、人生に折り合いがつけられない不幸
東京と地方―キラキラの東京は、捨てるにはあまりにも惜しくて
彼氏―頭の満足と、心や子宮の満足はまったく別もの
地方と都会の不倫事情―ママ友がいたって、寂しさは消えないから不倫する
港区女子―キャバ嬢とソーシャライトの間、それが港区女子