【ぼちぼちクライミング&読書】

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「中国語は楽しい」新井一二三

2024年06月28日 07時45分45秒 | 読書(台湾/中国)


「中国語は楽しい」新井一二三

P75
中華人民共和国公認の民族は56、そのうち漢族の人口が92パーセントを占めている。他はすべて少数民族という位置づけだが、それぞれに固有の言語があり、モンゴル族、チベット族、ウイグル族など独自の文字を持つ民族も23にのぼる。

P76
秦より前の時代、後の漢族は華夏という民族名を名のっていた。華と夏は伝説の皇帝、黄帝と炎帝が治めていたとされる国の名だ。草冠を持つ「華」の時は、定住して農業を営み、周囲の遊牧民族を凌駕する高度な文明を築いた誇りを示す。「華」は美しい服装、「夏」は優れた倫理文化を示すともいわれる。世界の中心、文明の地を意味する「中華」という表現も当時生まれた。「華夏」の皇帝を天の子、天下の「中心」ととらえ狩猟民族を「四夷(東夷、南蛮、西戎、北狄)」と呼んだのだ。

P82
北京で満洲族は旗人(きじん)と呼ばれた。(いわゆるチャイナドレスが中国語で「旗袍(チーパオ)」と呼ばれるのは、もともと旗人の衣装だったことによる)

P92
秦の始皇帝が始めた中央集権システムは、皇帝に代わって各地で権力を執行する中間支配層を必要としたが、士大夫階級の地位を裏書きしたのは漢字の知識を根拠とする古典的教養(儒学)だった。
中国の士大夫は日本の武士とは異なり、文人である。学問をして官僚になることで、権力と経済力の両方を手に入れることができた。

P93
中国語について語るときには、万人の話し言葉、市井の生活で使われた漢字と、ほぼ士大夫階級によって独占されていた書き言葉とを分けて考える必要があるのだ。

P93
科挙は隋の時代(598年)から清末(1905年)まで1,300年にわたって行われたが、隋の後を継いだ唐の時代、すでに状元こと最終試験の第1位合格者が南の涯の広東省から出ている。

P223
長年中国語を話すうちにしみじみ感じるようになったのは、「「中国語」は心底左右対称が好きだ」ということ。相手の問いに同じ形で答えて生み出される「左右対称」が、なんとも心地よく感じられるのである。

P237
中国語の「娘(ニャン)」は日本語の「母」、中国語の「姑(グー)」は日本語の「おば」、中国語の「姑娘(グーニャン)」は日本語の「お嬢さん」。日本語の「娘」は「女児(ニューアル)」という。

P239
故宮の後宮には「東六宮」「西六宮」があったが、東の地位が上と決まっている。だから、かの西太后は皇帝の夫人ではあったが、正室ではなく、東の側室の次にくる西の側室、つまり第三婦人だった。

P239・・・一人っ子政策時代の子どもは、わがままに育ち「小皇帝」と呼ばれた。
「小皇帝」はよくても「小皇后」は不可。(中略)なぜなら中国語の「大小」は第一義的には年齢の上下を指すが、スラングとして「大」が第一夫人、「小」は第二夫人を指すからだ。

P240
見知らぬ人に声をかけるとき、相手が学生なら「同学(トンシュエ)」と呼ぶが、社会人の場合には「同志(トンズー)」が定番だった。それが政策の変更とともに、意味合いも変わり、「同志」はその後、香港や台湾で同性愛者を指すようになった。

P240
若い女性に対して「小姐」という呼び方が使われるようになった。(中略)ところが、若い女性に対する「小姐」は、水商売の女性を指して使われることが多かったために、一般社会で激しいボイコットにあい、レストランなどホール係に向けて「小姐」などと呼んだ日には、いつまでたっても注文を取ってもらえない羽目に陥ったのであった。

P244
蔡英文総統はといえば、一家の末っ子として育った印象が強いからか、還暦を過ぎても「小英(シャオイン)」と選挙民を含め、みんなに呼ばれている。

P245
習近平国家主席と彭麗媛夫人はメディアに「習大大(シーダーダー)」「彭麻麻(ポンマーマー)と左右対称で呼ばれている。

【ネット上の紹介】
中国語の世界は広く、面白い。その話者は、中国のみならず、台湾、香港、東南アジア、北米…世界各地に分布し、十億人を超える。それだけの人が話せるのだから、じつは中国語はマスターしやすい。そして学ぶのが楽しい、魅力がたっぷりの言語である。中国語で書く作家として活躍する著者が、文法や発音など基礎はもちろん、華語として世界に広がるこの言語と文化の魅力を存分に描き出す。
第1章 十億人も話せる理由―合理的な文法構造
第2章 話すと楽しくなる理由―歌う発音の楽しみ
第3章 中国語で「中国語」は何と呼ぶ?―始皇帝と毛沢東をつなぐ中国語史
第4章 華語とは何か?―中国を飛び出した中国語
第5章 漢字の愛と哀しみ―字体と言語改革の歴史秘話
第6章 台湾、変貌する言語―「台湾華語」と南洋
第7章 香港の言語革命―民主化運動と広東語
第8章 中国語の宇宙観―方位と呼称の秘密


「物語オランダの歴史」桜田美津夫

2024年06月24日 06時53分44秒 | 読書(歴史/時代)


「物語オランダの歴史」桜田美津夫

P6
低地諸州がヨーロッパ屈指の人口密集地域であったのは、14世紀の黒死病(ペスト)大流行の際、この地域だけ著しく死亡率が低かったことに起因する。乳製品や魚から良質の蛋白質を摂取していたおかげで総じて栄養状態がよかったためという説があるが、確かなことはわからない。

P72
一般にユダヤ人は、中世以来、ヨーロッパ・キリスト教社会に身を置き、都市生活者として主に金貸しや行商によって生きてきた。(中略)
彼らがオランダに迎え入れられたのは、主にその国際商業上のノウハウや広範な通商網ゆえである。

P153
リーフデ号には18門の大砲、500挺の小銃、5000個の砲弾など武器弾薬が大量に積み込まれていた。商売敵のオランダ人に激しい敵愾心を抱くポルトガル人たちは、この重装備を根拠として、漂着したオランダ人たちを海賊ときめつけ、極刑にするよう家康に求めた。(中略)
もし家康がポルトガル人の讒言を安易に信じて、アダムス、ヤン・ヨーステンらを「海賊」として本当に処刑していたら、その後の平戸や出島での日蘭貿易もいっさいなかったかもしれない。

【ネット上の紹介】
16世紀、スペイン王権との戦いから「低地諸州」北部であるオランダは独立。商機を求めてアジアや新大陸へ進出し、17世紀、新教徒中心の共和国は、世界でも最有力の国家となった。だが四次にわたる英蘭戦争、フランス革命の余波により没落。ナポレオン失脚後は王国として復活し、20世紀以降、寛容を貴ぶ先進国として異彩を放つ。本書は、大航海時代から現代まで、人物を中心に政治、経済、絵画、日本との交流などを描く。
第1章 反スペインと低地諸州の結集―16世紀後半
第2章 共和国の黄金時代―17世紀
第3章 英仏との戦争、国制の変転―17世紀後半~19世紀初頭
第4章 オランダ人の海外進出と日本
第5章 ナポレオン失脚後の王国成立―19世紀前半
第6章 母と娘、二つの世界大戦―19世紀後半~1945年
第7章 オランダ再生へ―1945年~21世紀


「香港とは何か」野嶋剛

2024年06月21日 07時36分31秒 | 読書(台湾/中国)


「香港とは何か」野嶋剛

P11
アヘン戦争による南京条約で割譲されたのは(中略)香港島だけで、1860年のアロー号事件の「北京条約」で九龍が割譲された。(中略)1898年の新界租借条約により、英国は99年の期限で清朝から新界を租借した。

P26
人口は1851年の太平天国の乱で10万人に急増し、1911年の辛亥革命で60万人になり、日中戦争が起きると160万人になった。日本占領時に60万人に減少したが、1950年には国共内戦で200万人に戻り、大躍進と文化大革命で400万人を突破した。

P106・・・林則徐
「貴国では、女王が阿片を禁止しているではないか。女王の命令で、広東に行く船は禁止品を運んではならないと定めている。英国でもアヘンは禁止されている。どうしてジャーディンのような連中が命令に反してアヘンを持ち込んでいるのか」
ジャーディンとは、英国人、ウィリアム・ジャーディンのことで、ジェームズ・マセソンと組んでアヘンを扱った。2人で設立した商社ジャーディン・マセソン商会はアヘンで荒稼ぎして巨大企業となった。長崎のグラバー園で知られる、坂本龍馬とも交流があった英国人トーマス・グラバーは、同社から派遣された。ジャーディン・マセソン・ホールディングスは、香港返還を前に本拠をバミューダ諸島に移して話題になった。

P207
中国にとって、香港が最大のオフショア人民元取引センターであることは言うまでもない。中国人の金持ちが香港に預けている資金は3兆億米ドルと言われる。

【ネット上の紹介】
香港が歴史的転換点を迎えている。一国二制度のもと特別行政区として五〇年間の高度な自治が保証されるはずだった。ところが中国・習近平政権は力による「中港融合」を推し進め、一国二制度を形骸化させる国家安全法を香港の頭越しに決めた。世界を驚かせた二〇一九年の大規模抗議デモに続き、香港問題はいま米中新冷戦の最前線に浮上している。東洋の真珠と呼ばれ、日本とも関係の深い国際金融都市・香港を知りたいすべての人に届ける一冊。
第1章 境界の都市
第2章 香港アイデンティティと本土思想
第3章 三人の若者―雨傘運動のあと
第4章 二〇一九年に何が起きたか
第5章 映画と香港史
第6章 日本人と香港
第7章 台湾の香港人たち
第8章 中国にとっての香港
第9章 香港と香港人の未来


宇治・仏徳山

2024年06月17日 06時44分16秒 | 登山&アウトドア(関西)

先日、宇治・仏徳山に登った。
8年ぶり。(仏徳山=大吉山)

下の写真は仏徳山の展望台。

宇治橋と紫式部

朝霧橋

宇治神社の兎

源氏物語ミュージアム

以上、「源氏物語」「響け!ユーフォニアム」の聖地巡礼。

――「そして次の曲が始まるのです」


「キリスト教と戦争」 石川明人

2024年06月14日 07時19分48秒 | 読書(宗教)


「キリスト教と戦争」 石川明人

7年ぶりの読み返し。

P22
全世界で見るならば、全キリスト教徒約23億人のうち、最も多いのはカトリックであり、その信者数は12億人にのぼると推定されている。各プロテスタント諸派の合計は5~6億人、東方正教会は2~3億人、残りはその他もしくは不明、というのが大まかな内訳である。

P36
アジアに目を向けるなら、伊藤博文を暗殺した安重根も、実はカトリックの信者であった。(中略)
1909年、ハルビン駅で伊藤を暗殺した時、安は「天主よ、ついに暴殺者は死にました、感謝します」と言ったと伝えられている。

P60
ローマ・カトリック教会から独立した英国教会が誕生したのが1534年である。(ピューリタン革命は、その約100年後)

P69
聖書に「右の頬を打たれたら左の頬も向けよ」と書かれているから、キリスト教徒はみな、せめて建前上は絶対平和主義者である非暴力主義者だろうと考えるのは「宗教」に対しても「戦争」に対しても、認識が甘いのである。

P74
新約聖書はイエスの死後、かなりの時間がたってから、コイネーと呼ばれる俗語ギリシア語で書かれ、編纂された。イエスが新約聖書を書いたわけではない。そもそもイエスはギリシア語ではなくアラム語を話していたので、イエスの教えはイエス自身の話した言葉ではない言語で今に伝わっているわけである。

P75・・・「創世記」カインとアベル
人間から生まれた最初の人間に関するエピソードは「殺人」なのである。

P136
単純に考えれば、もし最初からすべてのキリスト教徒が「平和主義的」に振る舞っていたら、キリスト教徒は絶滅していたか、せいぜい小さなセクトであるにとどまっていたのではないかと思われる。

P147・・・1099年の十字軍について
十字軍がエルサレムに突入した時は、イスラム教徒に対するおぞましい虐殺が行われた。守備隊のみならず、女や子供も殺された。戦闘や虐殺がなされた場所には血が池のようにたまり、十字軍兵士と彼らをのせた馬も、そのなかをじゃぶじゃぶとわたっていったと伝えられる。

P150
2000年に、ようやくローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は、十字軍の経緯のなかでイスラム圏やビザンツ圏でなされたさまざまな罪過について謝罪したのである。

P157・・・ジャンヌ・ダルクについて
平和主義を自称するキリスト教徒たちも、剣を手にした「聖人」ジャンヌの姿を見て、「話し合いで解決すべきだ」などと批判したりしない。

P175
1637年の「島原の乱」も、単なる美しい殉教の話ではない。キリシタン側も人々に武力で改宗を強制し、寺院を破壊し、罪のない僧侶を処刑したのである。

【ネット上の紹介】
世界最大の宗教、キリスト教の信者は、なぜ「愛と平和」を祈りつつ「戦争」ができるのか?殺人や暴力は禁止されているのではなかったか?本書では、聖書の記述や、アウグスティヌス、ルターなど著名な神学者たちの言葉を紹介しながら、キリスト教徒がどのように武力行使を正当化するのかについて見ていく。平和を祈る宗教と戦争との奇妙な関係は、人間が普遍的に抱える痛切な矛盾を私たちに突きつけるであろう。
序章 キリスト教徒が抱える葛藤と矛盾
第1章 ローマ・カトリック教会の説く「正当防衛」
第2章 武装するプロテスタントたち
第3章 聖書における「戦争」と「平和」
第4章 初期キリスト教は平和主義だったのか
第5章 戦争・軍事との密接な関係
第6章 日本のキリスト教徒と戦争
終章 愛と宗教戦争


DMG MORI アリーナ

2024年06月12日 07時38分49秒 | クライミング(広報)

三重県DMG MORI アリーナに行ってきた。



注意点として、メンバーの1人は「安全講習受講済み」の必要あり。
でないと利用できない。
滅多に「講習会」がないので、ビジネスする気がないと思われる。
森精機社員の方も正規料金を払っているので、社員で元を取っているのかも。

エアコンは1時間1万円。
夏は暑いので避けた方が良い。
ちなみに一番簡単なルートは10dで、1本だけ。


「井伊直弼の首」野口武彦

2024年06月10日 07時28分50秒 | 読書(歴史/時代)


「井伊直弼の首」野口武彦

P24
最初に日章旗を採用したのは徳川幕府であり、嘉永七年七月11日の老中通達に始まる。

P71・・・井伊直弼
彦根藩11代藩主井伊直中の14男として彦根城で生まれた。側室腹の庶子である。

P81
水戸藩主徳川斉昭は子だくさんだったが、その七男にあたる七郎麿は生まれたときから特別扱いだった。後に徳川最後の将軍になる慶喜である。(母は有栖川宮織人親王の娘登美宮)

P100・・・関税自主権
そもそも日本全権はハリスから《関税とは何か》の初歩をレクチャーされる段階からスタートしたのだらか自主権も何もあったものではない。

P138・・・安政の大獄
井伊直弼は「敵」を見境なく殺しすぎた。反対派の勢力を削ぐだけでは満足せず、殲滅し尽くさなければ安心できない性格の暗さが、幕末流血史の幕を切って落としたのであった。

P222
現代日本が本当に必要としているのは、井伊直弼のように、あえて泥をかぶるのを辞さない政治家なのではあるまいか。

【ネット上の紹介】
黒船到来という外患が内憂に転じ、動乱期が始まった―。激動期には、誰が政治権力を握るかが決定的な重要を帯びる。本書で扱う安政期のキーパーソンは、部屋住みの庶子から幕府権力の絶頂、大老にまで駆け上がった井伊掃部頭直弼だ。条約勅許、将軍継嗣問題、地震、インフレ、コレラなど難問が山積する中、京都朝廷の意向を無視して調印を強行し、反対派を弾圧することで自ら墓穴を掘ることになる…。
第1部 安政内憂録(下田開港
便利屋役人
ひるがえる日の丸
伊豆の大津波
海上の遊牧民
爆発事故
お台場崩壊
水戸と彦根
日本橋と深川
江戸大風水害
講武所始まる
お茶坊主
井伊の赤鬼
ストレスに死す
英遇公子
英国領事は見た
幕末親米派
日米交渉
堀田の大汗
攘夷利権
条約調印
押し掛け登城
戌午の蜜勅)
第2部 安政血風録(安政の大獄
暗黒裁判
安政コロリ
薩海入水
至誠人を動かす
死地の思想
小塚原の首
金貨大流出
天狗の羽ばたき
桜田門外の変
あいまい解決
富士女人解禁
斉昭の死
万延遣米使節団
外国奉行憤死
ヒュースケン暗殺
万延小判
五品江戸廻送令
江戸城御金蔵破り
三人吉三)


「トルコのもう一つの顔」小島剛一

2024年06月07日 08時14分09秒 | 読書(海外事情)

「トルコのもう一つの顔」小島剛一

13年ぶりの再読。

Pⅱ
回教徒の友人にある日「キリスト教徒でない者がナザレのイエスのことを『キリスト(救世主)』と呼ぶのは不謹慎だ」と責められて一言もなかった。ナザレのイエスは回教徒とユダヤ教徒にとっては「予言者」であって「救世主」ではない。

P35
トルコ政府代表は「クルド民族というものは存在しない」という答弁を続けている。(中略)トルコ政府の言明とは裏腹に、トルコ国民の実に3分の1がクルド人なのである。

P135
お寺や教会の鐘の音を聞いて「美しい」と言う人も「喧しい」と言う人もあり、さらには「恐ろしい」と言う人もある。では、トルコ人は山を見て「美しい」と思うことがほとんどないようである。

P144-152
「クルド人の民族主義者が皆マルクス・レーニン主義だなどということはない。ムシュ県はいつの選挙でもイスラーム原理主義政党が勝つのは知っているね。クルド人はシャーフィイー派が多くて、『宗教は阿片なり』の一言を聞くだけで無条件に反共なんだ。ところがマルクス・レーニン主義者かつ信心深い回教徒という人も結構あるし、左翼だけど反ソというのがまた随分多い。モスクワの政府がソ連の少数民族の民主主義を非難するのはロシアの民族主義の発露にほかならないことを見抜いているからだ」

【ネット上の紹介】
言語学者である著者はトルコ共和国を1970年に訪れて以来、その地の人々と諸言語の魅力にとりつかれ、十数年にわたり一年の半分をトルコでの野外調査に費す日日が続いた。調査中に見舞われた災難に、進んで救いの手をさしのべ、言葉や歌を教えてくれた村人たち。辺境にあって歳月を越えてひそやかに生き続ける「言葉」とその守り手への愛をこめて綴る、とかく情報不足になりがちなトルコという国での得がたい体験の記録である。

「戦後和解」小菅信子

2024年06月03日 07時01分47秒 | 読書(昭和史/平成史)


「戦後和解」小菅信子

2006年 第27回 石橋湛山賞受賞作品。

P81・・・東京裁判主席検察官・ジョセフ・キーナンの言葉
侵略謀議のかどで裁判にかけられるものがあるとすれば、それは日本の裕仁天皇ではなく、スターリン・ソ連首相である。

P180
サンフランシスコ講和には、参加に強い意欲を示した韓国政府も、対日参戦国ではないとして招請されなかった。

P189
1985年の中曽根首相の(靖国神社)公式参拝は、終戦から40年であり、時を同じくして「抗日戦争40周年」を迎え国内でさまざまなイベントを展開しつつあった中国を刺激した。(中略)
今日に続く日中間の靖国神社参拝問題の端緒はこのときの対立に遡ることができる。

P209
大躍進や文化大革命のような社会主義国家の失敗が政権のいわば正当性を喪失させていったのに対して、抗日戦争の勝利の記憶は、政権の正当性の、おそらくは唯一にして最大の拠り所となっている。

【ネット上の紹介】
第二次世界大戦が終わり六〇年が過ぎ、戦争を直接記憶している人も少なくなった。だがいまだに戦争についての歴史認識をめぐり、近隣諸国との軋轢は絶えない。日本はいつ「戦争」の呪縛から解き放たれるのか―。一九九〇年代後半まで、日本軍による捕虜処遇問題で悪化していた英国との関係はなぜ好転し、ここにきて中国との関係はなぜ悪化したのか。講和の歴史を辿り、日英・日中の関係を比較し、和解の可能性を探る。
序章 「戦後和解」とは何か
第1章 忘却から戦争犯罪裁判へ(神の前での講和
揺らぐ忘却―制裁の登場
勝者が敗者を裁く時代へ)
第2章 日本とドイツの異なる戦後(ドイツの選択
不完全だった東京裁判
曖昧化する日本の戦争責任)
第3章 英国との関係修復(日英関係に刺さった棘
さまざまな和解のかたち)
終章 日中和解の可能性


「お姫様とジェンダー」若桑みどり

2024年06月02日 09時50分55秒 | 読書(エッセイ&コラム)

「お姫様とジェンダー」若桑みどり

ぱらぱらとめくって軽く読んだだけ。
本来ならアップしないのだけど、気になった箇所があったので書き出しておく。
「「白雪姫」とフェティシュ信仰」(石塚正英)を引用しているところ。
P106
「ナチスは自己の思想を宣伝するのにおおいにグリムを利用した。たとえば第二次大戦中に『赤ずきんの狼はユダヤ人であり、赤ずきんはドイツ人、赤ずきんを救い出す猟師は国民を解放するアードルフ・ヒトラーである』」と宣伝した。

P106
『闇の王子ディズニー』によると、ディズニーはイングランド系移民の厳格な父と、優しい母という典型的な家父長制家族に育った。(ディズニーはアイルランド系移民のはず。元ネタが間違っているのか、著者の勘違いなのかは不明)
【参考リンク】
ウォルト・ディズニー - Wikipedia

ウォルト・ディズニーのルーツを探し求めてアイルランドへ(誇張)

【ネット上の紹介】
コレット・ダウリングの『シンデレラ・コンプレックス』が刊行され、話題をよんだのは一九八二年。すでに二十年以上になるが、その間、「白雪姫」「シンデレラ」「眠り姫」などのプリンセス・ストーリーは、ますます大量に生産され、消費されている。大量に消費されるからその影響力も絶大である。本書では、ディズニーのアニメを題材に、昔話にはどんな意味が隠されているかを読み解く。いつの間にか思い込まされている「男らしさ」「女らしさ」の呪縛から、男も女も自由になり、真の男女共同参画社会を目ざす。
第1章 女子大でどうジェンダー学を教えるか
第2章 プリンセス・ストーリーとジェンダー
第3章 「白雪姫」を読む
第4章 「シンデレラ」を読む
第5章 「眠り姫」を読む
第6章 「エバー・アフター」(それからずっと)