中島要さん最新刊。
札差の娘お亀久が、不幸続きに悲観して大川に身を投げようとする。
母は、命の尊さを教えようと、「産婆の神様」おタネ婆さんの家に連れて行く。
お亀久は、一念発起して見習い修行を始める。
今回も楽しませてもらった。
【ネット上の紹介】
浅草天王町の札差、坂田屋の娘お亀久は、元は男勝りのお転婆だったが、六年前にかどわかしに遭ってから、見知らぬ男と血を恐れ家から出られなくなった。さらには、許婚である材木問屋、万紀の長男紀一郎が紀州で山崩れに巻き込まれ行方知れずに。悲観したお亀久は大川に身を投げようとする。激怒した母は、命の尊さを教えようと、「産婆の神様」と呼ばれる八丁堀のおタネ様の家にお亀久を連れて行く。始めは恐れおののいていたお亀久だが、おタネ様から産婆は女相手の仕事だから男の出る幕はないと聞き、見習いを申し出る。
「アメリカの中学生が学んでいる14歳からの世界史」ワークマンパブリッシング
アメリカ中学生の学ぶ世界史。
500ページ超なので読み応えあり。
【理解度チェック】ユダヤ教の大きな特徴をいくつか挙げると?
【答え】一神教、イスラエル人と神との契約、十戒、預言者。
【理解度チェック】儒教や道教が、宗教というよりも哲学と考えられているのはなぜ?
【答え】宇宙における神の意味を追い求めるというよりは、人間のふるまいを分析するものだから。
【理解度チェック】スンナ派とシーア派のちがいは?
【答え】スンナ派は、信心深いイスラーム教徒の男性なら、だれでもイスラーム共同体のリーダーになれると考えていた。一方、シーア派は、ムハンマドの子孫こそが次の統治者になるべきだと考えていた。
【理解度チェック】神道の主な信条は?
【答え】神道では、自然や祖先の霊がいつもそばにると考える。
【理解度チェック】中世が始まったきっかけは?当時の西ヨーロッパをおさめていた王はだれ?
【答え】ローマ帝国が崩壊したことから中世が始まった。フランク人の王、カール大帝が、西ヨーロッパを掌握し、「ヨーロッパの王国」の神聖ローマ皇帝となった。
【理解度チェック】「ルネサンス」という用語はどんな意味?この時代を表すのに、ルネサンスという言葉が使われたのはどうして?
【答え】「再生」という意味。(中略)古代ギリシア・ローマの文化が再生したから。
【理解度チェック】「宗教改革」って何?
【答え】プロテスタントがローマ=カトリック教会から分離した変革のこと。
【理解度チェック】独立宣言を記したのはだれ?
【答え】トマス=ジェファソン。
【理解度チェック】アメリカの奴隷制を正式に廃止した修正条項は?
【答え】憲法修正第13条。
【理解度チェック】女性参政権がアメリカ全体で正式に認められたのはいつ?
【答え】1920年、憲法修正第19条を通じてアメリカ全土で正式に認められた。
【理解度チェック】1850年に太平天国の乱が始まった都市は?
【答え】南京
【理解度チェック】東インド会社って何?
【答え】インドとの貿易を独占するため、1600年につくられたイギリスの会社。
【理解度チェック】ソ連が崩壊したのはいつ?
【答え】1991年
【理解度チェック】アラブの春が始まったきっかけは?
【答え】2010年12月18日にチュニジアで始まった抗議運動。
【ネット上の紹介】
1時間目 最古の人類 先史時代~前3500年
2時間目 最初の文明 前3500年~後300年
3時間目 中世 476年~1500年
4時間目 ルネサンスと宗教改革 1350年~1650年
5時間目 大航海時代 1400年~1800年
6時間目 革命と啓蒙思想 1500年~1865年
7時間目 帝国主義の時代 1800年~1914年
8時間目 20世紀初頭の世界大戦 1914年~1945年
9時間目 第二次世界大戦後の世界 1945年~現在
シリーズ累計700万部突破!!むっちゃ面白くて、わかりやすい。学び直すならこの一冊! 全世界700万人が感動した「伝説の学習参考書」シリーズ日本上陸!!本書は、「人類の誕生から現代まで」をこの一冊で学びなおせる、グローバル視点の「世界史超入門」。学校の授業内容をすっかり忘れてしまった大人も子どもも、ゼロから学び直すならこの一冊! 中学生も大人も必読!!◎本シリーズのここがスゴい!!◎●2016年に発売を開始して以来アメリカで話題となり、中国・ドイツ・韓国・ブラジル・ロシア・ベトナム・ロシアなど8カ国にも広がり、全世界700万部を突破した学習シリーズ。●「クラスでいちばん頭のいい子が取った授業のノート」というコンセプトで作られている先生が教えるという参考書」とは違う等身大の世界観で貫かれていので、「上から目線でます。「全編オールカラー」&「手書き風ノート・ポップなイラスト」というワクワクする紙面が魅力。●原書のBIG FAT NOTEBOOKSというシリーズ名に相応しく各巻が500ページ以上あり、「本気でその科目を学びたい」という真面目な読者のニーズに耐えうるコンテンツボリューム。
「学校でまなびたい歴史」斉藤武夫
日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや、云々
A 日出づる処→日没する処
B 天子→天子
P103
(Aについては)「そんなに気にしなかったのはないか」というのが最近の研究のようです。
皇帝がいちばん許せなかったのはBの方、〈天子〉という言葉なのです。
P105・・・冊封体制
これまでの上下関係を考えると、許せなかったのでしょう。
P109・・・遠交近攻作
随はちょうどその頃、高句麗と戦争中で手こずっていた。
P110・・・翌年の遣隋使国書の書き出しの部分(再び小野妹子が代表)
東の天皇、敬しみて、西の皇帝に白す
【ネット上の紹介】
歴史の中のご先祖様、鎖国から見る西洋とのつきあいかた、武士の自己犠牲で実現した統一国家日本、東京裁判における不公平さ・・・。「わが国のあゆみ」を真摯な形で子ども達に伝える歴史の本。櫻井よしこ氏、石原慎太郎氏も絶賛です!!
第1章 歴史入門の授業「歴史の中にはご先祖様が生きている」―命のバトンと国づくりのバトンを受けつぐために
第2章 聖徳太子の授業「仏様か、神様か」―外来文化と伝統を統合した日本
第3章 続・聖徳太子の授業「遣隋使の国書」―中華冊封体制から自立した日本
第4章 鎖国の授業「西洋とどうつきあうか」―日本の安全を脅かしたキリスト教問題の解決
第5章 明治の改革の授業「廃藩置県に賛成か反対か」―武士の自己犠牲で実現した統一国家日本
第6章 昭和の戦争の授業「東京裁判について考える」―戦争の勝者が敗者を裁いた
終章 教育内容と指導計画の提案「わが国のあゆみ」の大きな物語
「勝海舟の腹芸」野口武彦
P49
鳥羽伏見の戦いで勝敗を決めたのは武器の優劣だとする通説がある。最近刊行されて多くの読者を持つ半藤一利『幕末史』でも「幕府側の東軍は旧式の先込め銃、薩長の西軍は元込め銃」といわれているが、これは見直した方がよい。
P69
新政権は無一文だった。王政復古で徳川家を追い落とすのに夢中だった岩倉具視らは、旧幕府から国庫を引き継ぐのを忘れていた。孝明天皇の一周年祭の費用にも事欠く有様だ。
P120
神仏分離令は、布告されるや否や、各地で暴走を始めてしまった。(中略)
比叡山では江戸時代を通じて神官は僧官の下流に置かれ、つねに差別待遇を受けていたのである。神仏分離令は積年のウップンを晴らす絶好のチャンスだった。
P147
戊辰戦争の死者はほぼ3人に1人が会津人なのである。
会津藩がいかに幕末維新のスケープゴートであったかがわかろう。
P151
世の中には偉くしてはいけないタイプの人間がいる。
奥羽鎮撫総督府の下参謀になった大山格之助と世良修蔵がそうだった。
P171
幕末まで徳川家は400万石の大大名だった。大政奉還と王政復古の後、新政府はそのうち200万石を差し出せと言い出し、それを拒絶して始めた鳥羽伏見戦争に敗れた結果、こんな窮地に陥ったのである。徳川家は破産企業のようなものだ。
P172
徳川家の石高は、400万石からいっきょに70万石に減らされたのである。
【ネット上の紹介】
維新の志士はみな傑物、明治は華やかな新時代―というのは教科書の中の幻想。デタラメな新政府と死に損ないの旧幕府がせめぎあい、実情はまさに大混乱!家来を捨てて逃げ出す慶喜、奸計を巡らす岩倉具視、世間知らずの公卿たち…。その間を取り持って勝海舟は孤軍奮闘!敗者は非情な淘汰で歴史から消え、勝者は好き勝手に国を創る。最終決戦・戊辰戦争を軸に、「めちゃくちゃ」な政権交代劇を描く。
第1部 明治回天録(明治のメの字はめちゃくちゃのメ
江戸湾の海戦
討薩の表
鳥羽街道の開戦 ほか)
第2部 明治滅法録(歴史の回り舞台
小栗上野斬首
会津藩追討
官軍は官賊なり ほか)
「物語オランダの歴史」桜田美津夫
P6
低地諸州がヨーロッパ屈指の人口密集地域であったのは、14世紀の黒死病(ペスト)大流行の際、この地域だけ著しく死亡率が低かったことに起因する。乳製品や魚から良質の蛋白質を摂取していたおかげで総じて栄養状態がよかったためという説があるが、確かなことはわからない。
P72
一般にユダヤ人は、中世以来、ヨーロッパ・キリスト教社会に身を置き、都市生活者として主に金貸しや行商によって生きてきた。(中略)
彼らがオランダに迎え入れられたのは、主にその国際商業上のノウハウや広範な通商網ゆえである。
P153
リーフデ号には18門の大砲、500挺の小銃、5000個の砲弾など武器弾薬が大量に積み込まれていた。商売敵のオランダ人に激しい敵愾心を抱くポルトガル人たちは、この重装備を根拠として、漂着したオランダ人たちを海賊ときめつけ、極刑にするよう家康に求めた。(中略)
もし家康がポルトガル人の讒言を安易に信じて、アダムス、ヤン・ヨーステンらを「海賊」として本当に処刑していたら、その後の平戸や出島での日蘭貿易もいっさいなかったかもしれない。
【ネット上の紹介】
16世紀、スペイン王権との戦いから「低地諸州」北部であるオランダは独立。商機を求めてアジアや新大陸へ進出し、17世紀、新教徒中心の共和国は、世界でも最有力の国家となった。だが四次にわたる英蘭戦争、フランス革命の余波により没落。ナポレオン失脚後は王国として復活し、20世紀以降、寛容を貴ぶ先進国として異彩を放つ。本書は、大航海時代から現代まで、人物を中心に政治、経済、絵画、日本との交流などを描く。
第1章 反スペインと低地諸州の結集―16世紀後半
第2章 共和国の黄金時代―17世紀
第3章 英仏との戦争、国制の変転―17世紀後半~19世紀初頭
第4章 オランダ人の海外進出と日本
第5章 ナポレオン失脚後の王国成立―19世紀前半
第6章 母と娘、二つの世界大戦―19世紀後半~1945年
第7章 オランダ再生へ―1945年~21世紀
「井伊直弼の首」野口武彦
P24
最初に日章旗を採用したのは徳川幕府であり、嘉永七年七月11日の老中通達に始まる。
P71・・・井伊直弼
彦根藩11代藩主井伊直中の14男として彦根城で生まれた。側室腹の庶子である。
P81
水戸藩主徳川斉昭は子だくさんだったが、その七男にあたる七郎麿は生まれたときから特別扱いだった。後に徳川最後の将軍になる慶喜である。(母は有栖川宮織人親王の娘登美宮)
P100・・・関税自主権
そもそも日本全権はハリスから《関税とは何か》の初歩をレクチャーされる段階からスタートしたのだらか自主権も何もあったものではない。
P138・・・安政の大獄
井伊直弼は「敵」を見境なく殺しすぎた。反対派の勢力を削ぐだけでは満足せず、殲滅し尽くさなければ安心できない性格の暗さが、幕末流血史の幕を切って落としたのであった。
P222
現代日本が本当に必要としているのは、井伊直弼のように、あえて泥をかぶるのを辞さない政治家なのではあるまいか。
【ネット上の紹介】
黒船到来という外患が内憂に転じ、動乱期が始まった―。激動期には、誰が政治権力を握るかが決定的な重要を帯びる。本書で扱う安政期のキーパーソンは、部屋住みの庶子から幕府権力の絶頂、大老にまで駆け上がった井伊掃部頭直弼だ。条約勅許、将軍継嗣問題、地震、インフレ、コレラなど難問が山積する中、京都朝廷の意向を無視して調印を強行し、反対派を弾圧することで自ら墓穴を掘ることになる…。
第1部 安政内憂録(下田開港
便利屋役人
ひるがえる日の丸
伊豆の大津波
海上の遊牧民
爆発事故
お台場崩壊
水戸と彦根
日本橋と深川
江戸大風水害
講武所始まる
お茶坊主
井伊の赤鬼
ストレスに死す
英遇公子
英国領事は見た
幕末親米派
日米交渉
堀田の大汗
攘夷利権
条約調印
押し掛け登城
戌午の蜜勅)
第2部 安政血風録(安政の大獄
暗黒裁判
安政コロリ
薩海入水
至誠人を動かす
死地の思想
小塚原の首
金貨大流出
天狗の羽ばたき
桜田門外の変
あいまい解決
富士女人解禁
斉昭の死
万延遣米使節団
外国奉行憤死
ヒュースケン暗殺
万延小判
五品江戸廻送令
江戸城御金蔵破り
三人吉三)
「名画で読み解くプロイセン王家12の物語」中野京子
P44
(フリードリッヒ)大王は父フリードリッヒ・ヴィルヘルム一世よりもっとオープンで、入植を希望するならどんな異教徒でもかまわない、モスクを建ててもいい、宗教より実直な人間性のほうが重要だ、と言い切り、移民・難民受け入れをさらに拡大してプロイセンを大躍進させることになる(現代ドイツが移民に寛容な背景にはこうした歴史がある)
P55
18世紀ヨーロッパは、絶対君主が啓蒙思想を身にまとおうとした時代だ。
P72
フランスはプロイセンを非文明国と蔑んでいたが、すでに15年も前にフリードリッヒ大王は拷問を廃止していたし、信教の自由は彼の祖父の代から認められていた。
どちらが野蛮やら。
P98
とかく隣国同士は仲が悪い。冗談まじりとはいえ、フランスは「ヒトラーのせいでひどい目にあわされた」とドイツを非難し、ドイツはフランスに「ナポレオンはもっとひどかった」と言い返す。
P102
プロイセンでは、他国ほどフランス発祥の革命運動に大きく影響されなかったが、それは歴代の王が総じて質素で、禁欲的でさえあったのも要因だ。
P162・・・岩倉具視使節団について
一君主にすぎなかったプロイセンが短期間に、それもほぼビスマルク一人の剛腕によって統一帝国にのし上がったという事実は、使節たちを興奮させずにおかなかった。ビスマルクも遠いアジアからの若い訪問者たちにアドバイスして曰く、列強の植民地にならぬためには、富国強兵に励み、独立を守らねばならない。
【ネット上の紹介】
長い群雄割拠時代を経て、十九世紀、プロイセンのホーエンツォレルン家はついにドイツを一つにまとめ、帝国を形成してヨーロッパ最強国の一角に食い込んだ。フリードリヒ大王とビスマルク―二人の傑物がいなければ、この偉業は成しえなかったろう。激動の二百十七年の光と闇、運、不運、そして熱い人間ドラマを、色彩豊かな名画とともに読み解いてゆく。オールカラー版、中野京子の人気シリーズ、第五弾!
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴァイデマン『フリードリヒ一世』
ザムエル・ゲーリケ『少年時代のフリードリヒ・ヴィルヘルム一世』
アントン・グラフ『フリードリヒ大王』
アドルフ・フォン・メンツェル『サンスーシ宮殿の食卓』
アントン・グラフ『フリードリヒ・ヴィルヘルム二世』
F・G・ヴァイチュ『シャルロッテンブルク宮殿庭園のフリードリヒ・ヴィルヘルム三世と王妃ルイーゼ』
エドゥアルト・ゲルトナー『ブライテン通りのバリケード』
カール・シュテフェク『散歩中のルイーゼ妃と二人の息子』
フランツ・フォン・レンバッハ『ビスマルク』
アントン・フォン・ヴェルナー『ドイツ皇帝即位式』
マックス・コーナー『ヴィルヘルム二世』
ジョン・シンガー・サージェント『ガス』
「 美術品でたどるマリー・アントワネットの生涯」中野京子
読み返し。
デュー・バリー夫人との対立について
P67
「負けて勝つ」という戦いができなかったのは、年齢のせいばかりではないだろう。皆が感じたように、すでにもうここにアントワネットの性格上の特徴がはっきりあらわれている。侮辱を許さぬプライドの高さだ。それは自信のない人間に限って極端な表出となる。
ポリニャック夫人について
P105
ポリニャック家はブルボンの疫病神だったのかもしれない。
(ランバル公爵夫人は最後まで忠誠を尽くし暴徒に惨殺される、一方ポリニャック夫人は財産を抱えて国外逃亡、息子は王政復古で首相となりブルボン終焉に導く)
ヴェルサイユからチュイルリー(1世紀以上も捨て置かれた建物で荒れ放題)へ移される・・・P135
ルイ・シャルルが、「ここはずいぶん汚いね、ママ」と言ったとき、アントワネットの返事はみごとなものだ。「ここにはルイ14世がお住みになり、居心地が良いと思われていたのですよ。わたしたちがそれ以上を要求してはなりません」。
この誇り高い言葉は、次の感慨へ一直線に続いている、「不幸になって初めて、自分が何者かわかるのです」。
ルイ16世の遺書
P165
「我が妻には、わたしのせいで彼女の身にふりかかってしまった不幸、そしてともに過ごした期間にわたしが彼女に与えたであろう悲しみについて赦しを乞います」
P182-189
荷馬車がようやくコンコルド広場に着いた時、ギロチン台の周りには一万人もの群衆が集まっていた。アントワネットはしっかりした足取りで階段を上がったが、死刑執行人の足を踏んでしまい、「ごめんなさいね」と謝った。急激に痩せたせいなのか、その時、靴が片方脱げてそのままになったという。まるでシンデレラのように。(死ぬ直前、死刑執行人を気遣うこころばえに心がうたれる。その時の靴は、カン美術館に保管されている)
【参考リンク】
「マリー・アントワネット運命の24時間」中野京子
【ネット上の紹介】
フランスの栄華をきわめたヴェルサイユの歴史。なかでも最も魅惑的な人物として語り継がれる悲劇のヒロイン、マリー・アントワネット―その三十八年の生涯を、「ヴェルサイユ宮殿(監修)マリー・アントワネット展」の出展作品を題材にしながら紡いでいく。王妃の運命を決めた“偶然・暗転・想定外”(コラム)を収載。
[目次]
ハプスブルク家のプリンセス
変わりはじめた国際地図
嫁ぎ先ブルボン家
王太子妃としての生活
神に選ばれた王妃
ロココの薔薇
忍び寄る革命
「パリへ!」
逃亡失敗とフェルゼン
引き裂かれた家族
忘れ得ぬ王妃
「名画で読み解くブルボン王朝12の物語」中野京子
読み返し。
P32、P32、P40・・・マリー・ド・メディシス
●「告白好きの人間は逸話が少なく、面白みもない」
●政治より自己陶酔が大事だったのだろうか?「見て見て、わたしを見て!」と主張せずにおれなかったのか。確かに、周囲の顰蹙に対して徹底して鈍感なのが、ある意味彼女の強みではあった。
●自意識と自惚れは強いが強烈な個性やカリスマ性に乏しく、周囲を平伏させる能力はなかった。
P69
アンヌ・ドートリッシュの人気が高いのは、女性としての魅力もさることながら、この母性、それも盲目的な愛ではなく賢明な愛を息子に与え、導き、偉大なる王にし、さらには息子からも深く愛されたという、その点にあるに違いない。
P98・・・マリア・テレサ
「王妃になって以来、幸せな日はたった1日しかなかった」と言い残して44歳でみまかった。悲しい言葉だ。(中略)王妃の死を知らされたルイの感想は「彼女が余に迷惑をかけるのはこれが初めてだ」
P138
王はポンパドゥールの死後4年間、公式寵姫の座を空位にした。だが王妃の亡くなった1か月後には、娼婦あがりのデュ・バリーを新たにヴェルサイユに引き入れた。人々はそこで改めて、ポンパドゥールがいかに類希な女性であったか思い知るのであった。
P141
処刑前夜、家族で過ごしたいと願うアントワネットに対し、王はひとりでいたいからと自室へこもっている。翌日も、会いたがる妻を避け、悠々とひとりで朝食をとってギロチン台への馬車へ乗り込んだ。みんなを悲しませたくなかったからとも、悲しむみんなをみたくなかったからとも言われるが、むしろひとりが居心地良かったのではないだろうか。
淡々と死んでいった。
フランス革命→ロベスピエール→ナポレオン
この移り変わりを分かりやすく説明してくれている。(P176-P178)
ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』について。(P190)
実は彼女は人間ではない。人間の姿形をとった抽象概念なのだ。
擬人像「自由」は従来、フリジア帽をかぶった女性として描かれるのが決まりである。
【総括】P199
栄華を誇ったブルボン王朝だが、こうして見ると、終わるべくして終わったとの感が強い。ルイ太陽王の過去の威光があまりにまばゆく、プライドばかりが肥大して柔軟性を欠き、自滅の様相を呈しての終焉だ。とはいえ壮大なヴェルサイユと、世界に対するフランスの文化的優位は立派に残したのであった。
【ネット上の紹介】
[要旨]
世継ぎの混乱と血みどろの宗教戦争に彩られた王朝の誕生から、十九世紀、ヨーロッパ全土に吹き荒れた革命の嵐による消滅まで、その華麗な一族の歴史を、十二枚の絵画が語りだす。『名画で読み解くハプスブルク家12の物語』に続く、ヨーロッパの名家を絵画で読み解く第2弾。
[目次]
ルーベンス『マリーのマルセイユ上陸(『マリー・ド・メディシスの生涯』より)』;ヴァン・ダイク『狩り場のチャールズ一世』;ルーベンス『アンヌ・ドートリッシュ』;リゴー『ルイ十四世』;ベラスケス『マリア・テレサ』;ヴァトー『ジェルサンの看板』;カンタン・ド・ラ・トゥール『ポンパドゥール』;グルーズ『フランクリン』;ユベール・ロベール『廃墟となったルーヴルのグランド・ギャラリー想像図』;ゴヤ『カルロス四世家族像』;ダヴィッド『ナポレオンの戴冠式』;ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』
「仮面後宮~女東宮の誕生」(1) 松田志乃ぶ
「仮面後宮~修羅の花嫁」(2) 松田志乃ぶ
松田志乃ぶさんの最新刊。
(1)が出たのが、昨年1月。
(2)を読むにあたって1巻から読み返した。
これで、謎は解明され物語は終了するが、続編を予感させる終わり方となっている。
期待したいと思う。
P190
「皇族というのは蚕のようだと、わたくし、幼いながらに思いましたわ。誰かの庇護がなければ生きられない。自分の力で食べるものさえ見つけられない。翅はあっても飛ぶことはできない・・・・・・(後略)」
1、2巻通して読んで感じるのは、シリアスな内容ということ。
「嘘つきは姫君のはじまり」のようなコミカル要素は控えられている。
少し淋しい感じがする。
続巻があれば、火の宮の「その後の都生活」になるのでしょうか?
「事件」が起きるんでしょうね。
登場人物は、一新されるのでしょう。
もったいないけどしかたない。
普賢、映の宮、貴の宮、五百重・・・
1匹と3人はレギュラー出演間違いない。
そこは喜んでよい。
【もの足りない点】
著者の「あとがき」がないのが残念。
短くても、なにか書いてほしかった。
編集者も段取りすべし。
【誤植】
火の宮と残る三人の
↓
火の宮と残る四人の
【ネット上の紹介】
前代未聞の「女東宮候補」として、八雲の院の御所に集められた五人の姫君たちーー。両親を早くに亡くし、宇治の田舎で貧しく暮らしていた火の宮もその候補となるが、強引で高慢な八雲の院のやりかたに憤りを覚えていた。五人の姫君--火の宮、犬の宮、恋の宮、四季の宮、和歌の宮--は、雷光殿という一風変わった建物に滞在することになる。だが、八雲の院との顔合わせ直後、和歌の宮が命を落とす。病死や事故死ではありえない、明らかな殺人--。雷光殿は池の中州に建てられた建物であり、渡るには船を使うしかない。船は中州側につながれたままであることなどから、「犯人は外部からの侵入者ではなく、もともと雷光殿にいた人間であり、今もこの建物内にいる」という状況が発覚。お互いがお互いを疑う中、さらなる犠牲が……。一方、森羅殿に滞在している貴の宮は、宇治で自分たちを襲った賊の「ある特徴」を思い出す。急ぎ、雷光殿にいる姉・火の宮に伝えようとするが……!?熾烈で哀しい道を進み、「女東宮」の座に就く姫君とはーー。
「歳三往きてまた」秋山香乃
土方歳三を描く。
無血開城、というがそれは江戸城の話。
政権交代で争いが起きないわけがない。
時代は大きくうねる。
戦いはもはや刀や槍でなく鉄砲と大砲。
それも新式となり、性能は向上していく。
鳥羽・伏見の戦、甲府、宇都宮、会津、そして箱館。
時代は新しく変わろうとするが、幕府に忠誠を尽くす。
薩摩・長州の新しい軍隊、装備に戦いを挑み、負け続ける。
これが著者のデビュー作。
よく調べている。
いつもながら剣劇シーンが巧い。
それもそのはず、柳生新陰流居合道四段、とのこと。
P390・・・会津落城
集まった女たちは思い思いの辞世の歌を詠んだ。このとき13歳の瀑布子が、
「手を取りて共に行きなば迷わじよ」
と詠んで、言葉を涙で詰まらせる。細布子がすばやく、
「いざたどらまし死出の山道」
下の句を継いで妹の手を握り締めた。
P408
「鉄、俺たちは箱館(函館)に行く。そこに幕府の作った城がある」
「城ですか」
「五稜郭だ」
【ネット上の紹介】
鳥羽・伏見の戦で近代的な軍装の薩長軍に、なす術もなく敗れた新選組。時代はすでに日本刀ではなく、小銃の時代になったと土方歳三もわかってはいるのだが、その後も、甲府、宇都宮、会津で戦い続け、そして敗れた。北の果て箱館に行き着いた歳三は、最後の戦いに臨む。新世界に背を向け、負け続けた漢の姿を鮮烈に描く。
「月と日の后」冲方丁
中宮彰子さんの生涯が描かれる。
P258
定子が生前、大量の紙を清少納言という女房に与え、『枕草子』を書かせたとき、女房は忠義をもって応じたのだ。
P305
「日記を書いていると聞いています」
「はい・・・・・・宮中で私が学んだことを、娘に教えようと思っています」
もちろん宮中の女房たる者が、そして物語のつむぎ手たる紫式部が、ただそれだけのために日記をしたためるはずがない。彼女が記す言葉は、一条天皇が尊ぶ過去の天皇の日記とはまた別の意味で、宮中のありさまを後世に伝えるものとなるだろう。
「わたくしが、おのれの子と同じように、敦安や脩子や大勢の子らのことを愛していた・・・・・・そう、書いてもらえるよう振る舞うつもりです」
(彰子は長命だったので、紫式部の娘も清少納言の娘も彰子の女房として仕えている。紫式部は清少納言を嫌っていたけど、娘同士はどうだったのだろう?)
定子が24歳で亡くなったの対して、彰子は87歳まで生きました。P89
【関連図書】
「はなとゆめ」冲方丁
【ネット上の紹介】
わずか12歳で一条天皇の后となった、藤原道長の娘・彰子。幼すぎる入内、未熟な心。夫である一条天皇は優しく彼女を包み込むが、彼が真に愛した女性・定子の存在は、つねに彰子に付きまとう。しかし、定子が遺した子を抱きしめた日から、彰子の人生は動き始めた。父や夫に照らされる“月”でしかなかった彰子は、紫式部にも支えられ、やがて「国母」として自ら光を放ち出す―。平安王朝を新たな視点からドラマチックに描いた著者渾身の傑作長編。
「マンチュリアン・リポート」浅田次郎
張作霖爆殺事件がテーマ。
P63-64
支那ではこの千年の間に6つもの王朝が交代し、しかも漢民族の王朝はそのうちたった2つ。宋と明しかないそうです。ほかは契丹族の遼、蒙古族の元、満洲族の金と清です。
P196
北京は経済上の利によって営まれた都ではありません。その起源は北方から侵入した元が、本領の蒙古に近い砂漠のオアシスに築いた砦ですから、政治上軍事上の利点しか見いだせないのです。
P197
欧米列強の植民地政策には、「未開の民を救う」という、甚だキリスト教的な大義名分があります。むろん本音ではありませんが博愛精神の発揮は十分な建前となるのです。しかし「満洲は日本の生命線」と口を滑らせてしまったのでは、「わが国益のために他国を侵略する」と言ったも同然で、今後どのような対満洲政策をとろうが、国際的非難を浴びること必至と思えます。
【ネット上の紹介】
これを読まずして昭和史は語れない! 張作霖はなぜ爆殺されたのか――瞠目の新史観で、闇に葬られた「真相」に迫る! 昭和三年六月四日未明、張作霖を乗せた列車が爆破された。関東軍の暴挙に激怒した昭和天皇の密命を受けて、若き軍人が綴った「満洲報告書」で明かされる「真相」とは? 該博な知識と丹念な取材に裏打ちされた浅田史観で、闇に葬られた昭和史最大のミステリーを追う。絶好調『蒼穹の昴』シリーズ第4部開幕。
「大奥づとめ」永井紗耶子
久しぶりの読み返し。
P7
物を知らぬ私にとっては、上様の御目に留まり、御手付きになり、いずれは子を産んで側室となることと思っておりました。
しかし、大奥の内側に入ってみますと、その考えは何やら違っていたのではないかと思うようになりました。何せ、数百もいる女たちの中で、御側室はほんの一部。それ以外の女たちの方が多いのです。
P167
名の宇江に「お」を添えて呼ばれる名のことを「おの字名」と申します。お役が重くなると、「初瀬」「音羽」「矢島」などといった「三文字名」という名に変わるのが習わしでございました。またその名は役職によって受け継がれるもの。
【感想】
「くれなゐの女」の夕顔さんは2度登場する。
名前をお正と改め御三の間に昇進。
「ちょぼくれの女」で登場し舞を披露する。
印象に残るキャラだ。
日本は中国の制度を参考にしている。
でも、マネをしなかったこともある。
中国歴史を読んでいると、やり過ぎ、って感じるときがある。
宦官、纏足も日本では普及しなかった。
【参考図書】
大奥を舞台にした作品で「大奥の座敷童子」がある。
こちらも面白かった。
【ネット上の紹介】
女の道は、つとめをきわめることなり―。己を磨きたて、美しく着飾り、上様の目にとまって寵愛を受け、子を授かる―。それこそが本望とされてきた大奥。だが、「汚れたかた」と呼ばれたお手つきとは対照的に、色恋はそっちのけで、仕事に生きた「お清」がいた。着物の善し悪しもわからぬまま、衣装係を命じられた女。苦にしていた巨体を役立てる職を見つけた女。文書係から代表役へと、出世街道を目指す女。大奥に“就職”した女たちの情熱と苦楽を描く連作時代短編集。