「朝陽門外の虹 崇貞女学校の人びと」山崎朋子
読み応えのある作品だった。
20世紀初め、北京のスラムに学校を創った日本人がいた。
どのように運営し、どんな内容だったのか?
敗戦後、どうしたのか?
著者は、膨大な資料と取材を重ねて調査している。
群像劇のようになっており、どの方も波瀾万丈の生涯を送っている。
分厚い本で、しかも岩波書店からの出版。
最初、硬い本で読みにくいかな、と思っていた。
ところが、読み始めると怒濤の展開に引き込まれた。
ノンフィクションの名作のひとつ、と思う。
とても面白かったし、興味深い記述も多数あった。
P298
わたしは、与謝野晶子のあの有名な歌を思い浮かべる――「劫初よりつくりいとなむ殿堂にわれも黄金の釘をひとつ打つ」。北京=朝暘門外の蓬の原にあった崇貞学園という小さな女学校は、三つの民族の少女たちの心に打ちこまれた正しく「黄金の釘」だったのである――
P351
天皇が全日本国民に向かって連合国軍への無条件降伏を告げたその当日、国民党の最高指導者にして最高軍事司令官である蒋介石は、これまたラジオをとおして、全中国の人びとに、「われわれは、日本に報復してはならない。まして、日本の無辜の人民に侮辱を加えるべきではない」という演説をおこなった。「怨みに報ゆるに、徳を以てす」という老子の言葉を引いた、近代戦争史に残る有名なスピーチである。
P399
北京は古く十世紀頃より中国の都で、明代に〈北京〉という名になったが、二十世紀、国民党政府が南京を首都と定めた1928より38年までのあいだ〈北平〉(ぺーぴん)と呼ばれていた。
【その後】
創設者である夫妻は、敗戦とともに日本に引き揚げた。
再び学校を創る・・・それが桜美林学園である。
【参考】1
南京大虐殺についてふれている箇所がある・・・P237-238
資料として次の作品を挙げている。
「南京戦 閉ざされた記憶を訪ねて」松岡環編
「第十六師団長日記」中島今朝吾(けさご)
【参考】2
昔、同著者の「サンダカン八番娼館」を読んだが、こちらも面白かった。
【ネット上の紹介】
二十世紀前半、北京随一のスラム。底辺の少女たちの自立を願って小さな女学校を創った日本人青年・清水安三。<志の結婚>によって彼を援けた二人の女性と、その女学校に学んだ中国・朝鮮・日本の少女たちの数奇なる人間ドラマ。取材十年、心血を注いだ傑作歴史ノンフィクション!
「マスカレード・イブ」東野圭吾
先日、「マスカレード・ホテル」を読んだ。→「マスカレード・ホテル」東野圭吾
面白かったので、シリーズ第2弾の本作品を読んでみた。
ホテル・コルテシアで働く山岸尚美と捜査1課・新田浩介が出会う前の姿を描いている。
4編収録されている。
それぞれの仮面
ルーキー登場
仮面と覆面
マスカレード・イブ
・・・わりと楽しめた。
(愛想のないコメントで申し訳ない)
【ネット上の紹介】
ホテル・コルテシア大阪で働く山岸尚美は、ある客たちの仮面に気づく。一方、東京で発生した殺人事件の捜査に当たる新田浩介は、一人の男に目をつけた。事件の夜、男は大阪にいたと主張するが、なぜかホテル名を言わない。殺人の疑いをかけられてでも守りたい秘密とは何なのか。お客さまの仮面を守り抜くのが彼女の仕事なら、犯人の仮面を暴くのが彼の職務。二人が出会う前の、それぞれの物語。「マスカレード」シリーズ第2弾。
ポンポン山に登ってきた。
登っていると、6歳くらいの子どもに声をかけられた。
「クマ見かけましたか?」、と。
よっぽど心配だったんでしょうね。
「ザックに鈴をつけると、クマは逃げていくよ」、と教えてあげました。
クマは音に敏感だから。
あちこちに、『クマ注意』の掲示ポスター。
子どもが不安を感じるはずだ。
ザックに鈴をつけているのは、私くらい。
すれ違う登山者を見ても、つけている様子はない。
しかも、トレイルランニングに精を出してるし。
万物の霊長たる人間、熊など恐るるに足らず?
山頂は静かであった。
芋掘りに行ってきた。
スコップで掘っていると、芋の頭が見えてくる。
引っ張ると、折れてしまった。
焦ってはいけない。
気長に、周囲を念入りに掘り下げる必要がある。
受付と青空市場
ここが、『大岩いも掘り園』・・・家族連れで賑わっていた
【参考リンク】1
大岩いも掘り園開園/茨木市ホームページ
【参考リンク】2
自分の家で、イモを育ててみたい、と思っているけど、なかなか難しそう。
サツマイモの育て方とコツ|肥料を控えめにすれば失敗しない
サツマイモの育て方/住友化学園芸
「謝々!チャイニーズ」星野博美
先日読んだ「愚か者、中国をゆく」の関連作品。
本作品は、著者が27、28歳の頃、1993年から94年にかけて行った旅の記録。
全部で9章有るが、終章を除いて、それぞれ独立して楽しめる。
いくつか文章を紹介する。
P28
「髪廊(ふあーらん)」とは、名目上は「床屋」だが、昼間から怪しげな赤い光を発して肌を露わにした女性が鏡の前に座って客を引き、中で売春行為を行う風俗店のことだ。
P176
中国に来てから、この厦門(あもい)に限らず、私が訪れた町には一つの例外もなく「髪廊」が存在した。金になるからそれを商売にする人間が現われ、金を持った人間がそれまで手にしたこともないものを手に入れようとする。資本主義の原点だ。
(中略)
しかし、こんなことをいったらフェミニストから袋叩きにあいそうだが、私には彼女たちを買う男たちを大声で糾弾する気にもなれない。それまで目にしたことのないものが目の前に並んでいる時、人間はどれだけ欲望を抑えることができるものなのだろうか。(イデオロギーや宗教に関係なく、どの国にも風俗店はある・・・性欲は個体差があるので、人それぞれ、と思っている)
P244-245
「黒猫と白猫の話知ってる?」
「ねずみを捕るのがいい猫だ、でしょう」
「そうだ。でも本当の意味は少し違う。黒だろうが白だろうが黄だろうが、自分でねずみを捕ってこない猫は飢え死にする、っていう意味だ。つまりいまの中国では、自分で金を稼がない奴は、死ぬってことだ。(中略)
中国は金がないと生きていけない国になっちまったよ」
P272
それまで中国は、職場や住居の確保から社会福祉に至るまで、すべて国がしてくれる国家だった。ところが改革開放で何でもしてくれた国は「自分でねずみを捕ってこい」という国に変わった。野心に燃える人間にはまたとないチャンスとなったが、それ以外の人たちにとっては、誰も何もしてくれない時代になった。持てる者と持たざる者との経済格差が限りなく広がり、持てる者の富は一族やその故郷にしか還元されない。持たざる者の心には、「誰も何もしてくれない」感が余計に強くなる。
【おまけ】
読んでいて、思った以上に親切な人が多い、という印象を持った。
初めて会った日本人を家に招いて歓待してくれる。
それが、1回や2回ではない。
かなり人相の悪い方の写真が掲載されている。
でも、とても親切にしてくれる。
これは、著者の人柄なのか?
少なくとも、「反日感情」を紙面から読めなかった。
私も中国を訪問したことがある。
(桂林にある岩を登るため・・・2008~2009年末年始)
けっこう親切にしてもらった覚えがある。
また、熱心にものを売ろうとする方が多い、と印象が残っている。
【↑私の撮った桂林の写真・・・岩塔が果てしなく屹立する】
【ネット上の紹介】
時は1993年。中国に魅せられた私は、ベトナム国境から上海まで、改革開放に沸く中国・華南地方を埃だらけの長距離バスに乗って旅をした。急激な自由化の波に翻弄される国で出会った、忘れえぬ人々。『転がる香港に苔は生えない』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した著者の、みずみずしいデビュー作。[目次]
第1章 東興
第2章 北海から湛江まで
第3章 広州
第4章 厦門(あもい)
第5章 〓洲島(めいちょうだお)
第6章 平潭
第7章 長楽
第8章 寧波
終章 東京
「降ろされた日の丸 国民学校一年生の朝鮮日記」吉原勇
1945年、敗戦の時、著者は朝鮮・仁川(インチョン)にいた。
当時の様子を記している。
P4-5
終戦直前には、満州からいち早く引き揚げる憲兵が宿泊していった。そして玉音放送の後、朝鮮半島で最初に米軍が上陸してきた。何人もの女性が米兵に陵辱され、その1人は隣組の説得で米軍相手の慰安婦にされた。家族はその娘を残して帰国しなければならなかった。
昨年読んだ「竹林はるか遠く」と比較すると、かなり違う。
つまり、敗戦を迎えた場所が重要。
38度より北だと、ソ連軍に襲われる可能性がある。
京城(ソウル)に辿り着くだけでも一苦労。
なお、「流れる星は生きている」の著者・藤原ていさんは、
満州・新京(長春)から引き揚げている。
こちらも、壮絶な「脱出」である。
【ネット上の紹介】
「何で日の丸を降ろすんだろう」―昭和二十年八月十三日、朝鮮の港町・仁川に住む七歳の著者は不思議な光景を目にする。それは、当たり前の生活と秩序が崩れ去る前触れだった。玉音放送の後、優しかった現地の青年は豹変して「この家の物はオレのもの」と凄んだ。隣組では、上陸した米兵に「慰安婦」を差し出す相談が持ち上がった。仁川神社の宮司は行方不明に…小さな目と耳が捉えていた、敗戦下の貴重な記録。
[目次]
第1章 なぜ日の丸を降ろすんだろう
第2章 仁川の港は世界一
第3章 玉音放送は分からなかった
第4章 うちの母さんが慰安婦に?
第5章 朝鮮人には、本当の名前があった
第6章 「公設慰安所」がお向かいにできた
第7章 柳君がくれた大きな朝鮮餅
久しぶりにポンポン山に登ってきた。
体力が落ちているので、一番楽なコースで往復した。
神峰山寺第2駐車場~本山寺~山頂~本山寺~神峰山寺第2駐車場
8:00am出発・・・山頂9:45登頂(10分休憩)・・・11:30下山
秋の空になってきた。
「迷子の王様~君たちに明日はない」(5)垣根涼介
シリーズ5作目にして、完結編。
リストラ請負人が首を切っていくシリーズ。
次の4編が収録されている。
トーキョー・イーストサイド
迷子の王様
さざなみの王国
オン・ザ・ビーチ
いくつか文章を紹介する。
P7
今の日本の潜在的な社内失業者は、500万人にも達するという。
それらの膨大な人員を整理するため、会社側は達成が到底不可能な目標を与え、クリアできない社員を容赦なく降格させ、子会社に追いやり、それまで携わってきた仕事のスキルを何も活かせない職場に放り込む。当然、そこでの人事評価は以前にも増して悪くなり、その査定の結果として、さらに劣悪な労働環境の中に落とされる。
P8
「(前略)企業とそこに勤める人って、どこか男女関係に似ているような気もする」
・・・そう言えば、奥田英朗さんの「我が家の問題」にも次のようなセリフがある。
「結局、男と会社の関係って、永遠の片想いなのよね」
「言えてる。一生のうち半分以上を過ごすところだもんね。そりゃあ愛されたいわよ」
P170-171
「あのさ、日本ではいつの時代から、外向的な人間が良くて、内向的な人間が駄目だって言われ始めたんだろうね?」
(中略)
だが事実そうだ。沈黙は金なり、などという言葉は今ではもう死語に近い。謙譲の美徳、などという言葉もこのご時世ではいい笑いものだろう。別に格言を並べ立てて生きようとも思わないが、真介が子どものころには、確実に「実直」とか、「寡黙」とかいう言葉が、周囲の大人の間でも生きていたように思える。
(いまやコミュニケーション・スキルがないとスクール・カースト最下層で、いじめにもあってしまう・・・イヤな世の中だ)
【関連作品】
【参考作品】
【ネット上の紹介】
一時代を築いた優良企業にも、容赦なく不況が襲いかかる。リストラ請負人・村上真介のターゲットは、大手家電メーカー、老舗化粧品ブランド、地域密着型の書店チェーン…そして、ついには真介自身!?逆境の中でこそ見えてくる仕事の価値、働く意味を問い、絶大な支持を得る人気シリーズ、堂々完結。
「愚か者、中国をゆく」星野博美
星野博美さんの中国旅行記。
いくつか、文章を紹介する。
天安門事件・・・通称「六四」について
P318-319
1989年の天安門事件が大きな分岐点だったのだろう。
改革解放政策の自由な空気に触発されて民主化要求が一気に高まり、それが弾圧されたのが天安門事件だった。この一件を通して人々は、政治的自由を主張しない限り、経済活動の自由は保障する、という政府の強い意志を感じとった。そして心の中に開かずの間を作っていいたいことを封印し、経済活動に邁進してきたのだ。天安門事件が改革解放政策をより一層推し進める拍車となったということもできるだろう。
P330
私は中国を「学習」したかった。しかし学習しても学習しても、中国の変化のスピードについていけない。(中略)中国に関する報道を目にする時、また実際中国へ行った時、無性に悲しい気持ちになるのは、自分が変化のスピードについていけないことを自覚してしまったからだろう。
しかし同時に思うのは、中国全土でどれだけの人が同じような落伍感を味わっているだろう、ということだ。その落伍感が高まった時が私は怖い。
なぜなら、中国では何かが起きる時、徹底的に、破壊的に起きるからである。
著者は3回大きな体験をしている。
90年代前半・・・南中国海岸線沿い・・・『謝々!チャイニーズ』
96年~98年・・・返還直前の香港・・・『転がる香港に苔は生えない』
87年・・・香港~烏魯木斉(シルクロード)・・・これが本作、『愚か者、中国をゆく』
星野博美さんは1966年(丙午)生まれ。著者が大学生の時の記録である。
いずれ、本作以外の2作品も読む予定。
【ネット上の紹介】
交換留学生として香港に渡った著者は、一九八七年、アメリカの友人、マイケルと中国旅行に出る。中国社会が大きな転換期を迎えたこの時期に、何を感じ、何を見たのか。「大国」の本質を鋭くとらえた貴重な記録。
第1章 香港
第2章 広州
第3章 西安から蘭州へ
第4章 嘉峪関まで
第5章 シルクロード
第6章 ウイグル
第7章 旅の終わり
第8章 それから
またまた、阿武山に登ってきた。
(老化を食い止めようと、いろいろ苦心している)
上半身と下半身は、バランスをとる必要がある。
安威川横の田んぼ
「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子
著者は、大学教授。
近代史が専門。
本作品は、高校生を相手に、5日間にわたって講義した記録である。
非常に丁寧、分かりやすく説明されている。
単に講義するだけでなく、質問が出て、高校生が答える、という授業形式。
一方通行でなく、双方向の関係。
内容もハイレベル。
よく、高校生がついていった、と思う。
それも、そのはず。
栄光学園・歴史研究部のメンバーを相手にしている。(ちなみに、加藤先生は桜陰高校出身・・・女子校では全国トップの進学校)
読んでいて、目からうろこの数々。
(講義を受けた高校生がうらやましい・・・この本は、教科書の副読本にしてもいいくらい)
ネット上の紹介によると、
『今までになかった日本近現代史の本。日清戦争から太平洋戦争まで。歴史の面白さ・迫力に圧倒される5日間の講義録』、とある・・・そのとおり、と思う。
内容は、序章+5章ある。
序章 日本近現代史を考える
1章 日清戦争―「侵略・被侵略」では見えてこないもの
2章 日露戦争―朝鮮か満州か、それが問題
3章 第一次世界大戦―日本が抱いた主観的な挫折
4章 満州事変と日中戦争―日本切腹、中国介錯論
5章 太平洋戦争―戦死者の死に場所を教えられなかった国
私が興味深く感じた箇所を、いくつか紹介する。
P63-64、なぜトロツキーでなく、スターリンが選ばれたのか?
この人たち(ボリシェビキ)は、1789年に起きたフランス革命が、ナポレオンという戦争の天才、軍事的なリーダーシップを持ったカリスマの登場によって変質した結果、ヨーロッパが長い間、戦争状態になったと考えていました。
(中略)
レーニンが死んだとき、軍事的なカリスマ性を持っていたトロツキーではなく、国内に向けた支配をきっちりやりそうな人、ということでスターリンを後継者として選んでしまうのです。
(そうだったのか!確かに、スターリンは「支配」をきっちりした・・・やりすぎたけど。スターリンの「粛正」の犠牲者は数百万と言われる)
(中略)
一つの事件は全く関係のないように見える他の事件に影響を与え、教訓をもたらすものなのです。しかも、此処が大切なところですが、これが人類のためになる教訓、あるいは正しい選択であるとは限らない。
P78、ベトナム戦争の遠因
満州事変、日中戦争の時期においてアメリカは、中国の巨大な市場が日本によって独占されるのではないか、門戸開放政策が守られないのではないかと考え、中国国民政策を支持してきたわけです。それが、せっかく敵であった日本が倒れたというのに、また戦中期に大変な額の対中援助を行ったのに、49年以降の中国が共産化してしまった。
これはアメリカにとっては、嘆きであったでしょう。10億の国民にコルゲート歯磨き1本売っただけで、10億本分儲かる、とはよく言われた冗談ですが。こういった景気のよい資本主義的な進出ができなくなる。この中国喪失の体験により、アメリカ人のなかに非常に大きなトラウマが生まれました。戦争の最後の部分で、内戦がその国を支配しそうになったとき、あくまで介入して、自らの望む体制つくりあげなければならない、このような教訓が導きだされました。ですから、北ベトナムと南ベトナムが対立したとき、南ベトナムを傀儡化して間接的に北ベトナムを支配するのに止まるではなく、北ベトナム自体を倒そうとするわけです。
以上が、ベトナム戦争にアメリカが深入りした際、歴史を誤用したという、アーネスト・メイの解釈です。
(う~ん・・・ベトナム戦争の遠因が、「中国喪失」にあったとは!しかも、いまだに引きずっているし)
P166、日露戦争の原因
日露戦争が起きたのはなぜかという質問への答え方には、時代とともにかなり変化があったのです。
(中略)
戦争を避けようとしていたのはむしろ日本で、戦争を、より積極的に訴えたのはロシアだという結論になりそうです。
(2005年国際会議、ルコイヤノフ先生の報告・・・このところは、実際読んでみて・・・私は逆だと思っていた)
P174、代理戦争
日清戦争は帝国主義時代の代理戦争でしたが、日露戦争もやはり代理戦争です。ロシアに財政的援助を与えるのがドイツ・フランス、日本に財政的援助を与えるのがイギリス・アメリカです。
P238、血脈について
吉田茂は自分の妻のお父さんが、パリ講和会議で次席全権大使を務める牧野伸顕だった。(中略)岳父である牧野に連れて行ってくれと頼み、1918年にパリに旅立つのです。
(牧野伸顕は大久保利通の二男である。麻生太郎は牧野伸顕の曾孫・・・権力者の血脈が絡まり合っている)
P241、アメリカ人は「折れた葦」
ケインズは、ドイツから取り立てるべき賠償金の額をできるだけ少なくするとともに、アメリカに対して英仏が負っている戦債の支払い条件を緩和するよう求めたのです。しかしアメリカ側は、このような経済学が支持する妥当な計画に背を向け、とにかく英仏からの戦債返済を第一とする計画を、パリ講和会議において主張したのです。
1919年の時点で、ケインズの言うとおりに、寛容な賠償額をドイツに課していれば、あるいは29年の世界恐慌はなかったのではないか、このように予想したい誘惑にかられてしまいます。そうであれば、第二次世界大戦も起こらなかったかもしれません。けれども、ケインズの案は通らなかった。その結果ケインズは「あなたたちアメリカ人は折れた葦です」という手紙を残してパリを去ることになりました。
P254、関東軍とは?
満州事変のほうは、二年前の29年から、関東軍参謀の石原莞爾らによって、しっかりと事前に準備された計画でした。関東軍というのは、日露戦後、ロシアから日本が獲得した関東州(中心地域は旅順・大連です)の防備と、これまたロシアから譲渡された中東鉄道南支線、日本はこの鉄道に南満州鉄道と名前をつけましたが、この鉄道保護を任務として置かれた軍隊のことをいいます。
P266
長谷部恭男先生の説・・・どんな時に戦争が起きるか?
ある国の国民が、ある相手国に対して、「あの国は我々の国に対して、我々の生存を脅かすことをしている」あるいは、「あの国は我々の国に対して、我々の過去の歴史を否定するようなことをしている」といった認識を強く抱くようになっていた場合、戦争が起こる傾向がある、と。
(これって、現在の韓国、中国の人たちが日本をそう思っているのに近い?そして、日本はその状況を察して憲法解釈を変えた、ということ?カウントダウン始まってる?)
P267、満州とは?
満州というのは「あて字」で、もともとはManjju(マンジュ)と発音する民族が住んでいた地域に対し、ヨーロッパ人や日本人などが、その発音に漢字の音をあてて「満洲」と書き、それが慣用的に戦後の日本では「満州」と表記されるようになったものだといいます。
P323、日本切腹、中国介錯!
日中戦争が始まる前の1935年、胡適は「日本切腹、中国介錯論」を唱えます。すごいネーミングですよね。日本の切腹を中国が介錯するのだと。
(この箇所はすごい・・・最後にリンクしておくから読んでみて)
P394-396、分村移民について
国や県は、ある村が村ぐるみで満州に移民すれば、これこれの特別助成金、別途助成金を、村の道路整備や産業振興のためにあげますよ、という政策を打ちだします。
このような仕組みによる移民を分村移民というのですが、助成金をもらわなければ経営が苦しい村々が、県の移民行政を担当する拓務主事などの熱心な誘いにのせられて分村移民に応じ、結果的に引揚げの課程で多くの犠牲を出していることがわかっている。
(中略)
満州からの引き揚げといったとき、我々はすぐに、ソ連軍侵攻の過酷さ、開拓移民に通告することなく撤退した関東軍を批判しがちなのですが、その前に思いださなければならないことは、分村移民をすすめる際に国や県がなにをしたかということです。
P399、日本とドイツの食糧事情について
戦時中の日本は国民の食糧を最も軽視した国の一つだと思います。敗戦間近の頃の国民の摂取カロリーは、1933年時点の6割に落ちていた。40年段階で農民が41%もいた日本で、なぜこのようなことが起きたのでしょうか。日本の農業は労働集約型です。そのような国なのに、農民には徴集猶予がほとんどありませんでした。(中略)
それにくらべてドイツは違っていました。ドイツの国土は日本にもまして破壊されましたが、45年3月、降伏する2ヶ月前までのエネルギー消費量は、なんと33年の1、2割増しでした。むしろ戦前よりよかったのです。
【満蒙とはどこか?】P154
P268↓
満州事変・・・柳条湖は奉天の近く
日中戦争・・・盧溝橋は北京郊外
【まとめ】
学者らしく、文献に徹底してこだわっている。
タイトルを見て、この歴史の分岐点で別な行動をとっていたら、戦争を避けられたのか?、といった仮定の話を期待したら裏切られる。少しは出てくるけど、メインの論点ではない、そこが、ジャーナリストの作品とは異なるところで、内容も硬い。
でも、この本は面白く読む価値もある、と思う。
著者の歴史に対する情熱を感じて読み進む事が出来る。
様々な文献も記載されていて、次のステップも示されている。
【参考リンク】
日本切腹中国介錯論
「ひやかし 連作時代小説集」中島要
吉原を舞台にした短編集。
次の5編が収録されている。
「素見」
「色男」
「泣声」
「真贋」
「夜明」
2008年、「素見(ひやかし)」で第2回小説宝石新人賞を受賞している。
私は、2作目の「色男」が1番良かった、と感じた。
8月、「着物始末暦」シリーズを読んだが、今回も楽しめた。
ホント、実力のある方である。感心した。
【関連リンク】
第2回小説宝石新人賞|最終選考
【関連作品】
「しのぶ梅 着物始末暦」(1)中島要
「藍の糸 着物始末暦」(2)中島要
「夢かさね 着物始末暦」(3)中島要
【ネット上の紹介】
吉原に身を売られた武士の娘おなつ。我が身の不幸を嘆くばかりで、お茶を挽く毎日だったが、あるとき、自分を見つめる浪人がいることに気付く。毎日ただ立ち続けるだけの男のことが気になり、おなつは当てつけるかのように客をとって、売れっ妓へと変わっていく。浪人の真の目当ては!?(「素見」)もの哀しくも艶やかに生きる遊女たちの矜持を活き活きと描く全五作。
山と渓谷 2014年8月号
先日、「山女日記」を読んだ。→「山女日記」湊かなえ
P174に、湊かなえさんのインタビューが掲載されている。
私が山に登り始めたころには、今のようなオシャレな服や道具はありませんでした。「山ガール」が見てみたくて白馬岳に行ったのですが、そのときは若い女性がまったくいませんでした。いまだに見たことがありません。どこにいるのでしょうね。
(私も見たことがない・・・・「山ガール」とは「つちのこ」のようなものか?それとも、見た者に幸運が訪れるという「ざしきわらし」のようなものか?あるいは、「山姥の子ども」の事か?)
今回は「入門編」とタイトルにつけようかと思っていました。出てくるのが、初心者向きの山やブランクある人が多かったので。物足りないと感じる部分もあるかもしれません。ただ「入門編」とつけてしまうと、次を絶対に書かなければいけないので・・・・・・。次が出るときは「中級編」とつけようと思います。今度は本格的な縦走をして、それを書いてみたいです。
(どうやら、続編を期待できそうな雰囲気だ・・・楽しみに待ちたい。ただ、気になるのはタイトル・・・「中級編」とかつけない方が良い。名付けるなら、「縦走編」「岩稜編」「雪稜編」とかの方が良いように思う。なぜなら、「入門」「中級」と語るほど実力があるのか、とつっこまれるおそれがあるから)
今回は、このインタビューが目当てで読んだが、特集が「山のデジタルガジェット活用術」。
こちらも、読んでいて楽しかった。
それにしても、いろんな小道具が出ている。
アナログ世代のおやじには、ついて行くのが困難な状況だ。
【ネット上の紹介】
特集「南アルプス温故知新」~コースガイド+綴じ込み全エリアマップ付き
今年、国立公園制定50周年を迎えた南アルプス。
山岳写真家・白籏史朗が写した昔と今の山々の姿、開拓の歴史と最新情報、
山小屋を支えてきた男たちの物語などなど、南アルプスの過去と現在、未来をご紹介。
コースガイド+綴じ込み全エリアマップも付いて、
この夏、南アルプスへ行きたくなる大特集です。
第2特集「山のデジタルガジェット活用術」
デジタル機器を上手に使いこなして、登山をより安全にもっと楽しく!
スマートフォンの地図アプリの使い方を中心に、最新の山用腕時計、
デジカメも紹介します。
綴じ込み付録「携帯して役立つ 山のピンチシート」
もし山で緊急事態に遭遇したら、あなたはうまく切り抜けられますか?
「山のピンチシート」は山でさまざまなピンチに陥ったときの対処法を
一枚にまとめたシートです。山行時にぜひ携帯して役立ててください。