「昭和史が面白い」半藤一利/編著
半藤一利/編著となっているのは、対談というか鼎談、だから。
昭和史の重要なテーマを、貴重な証言から発掘しよう、って企画。
実際、すごい証言が出てくる。よくこれだけのメンバーを集めたものだ。すごい!
P12
あれ(昭和5年ロンドン条約)以来、統帥権の干犯問題がやたら出てくるんですが、あの言葉を案出したのは北一輝であるとよく言われます。
P13
昭和になってから、軍部が政治的に目覚めたんです。軍人は政治に関与せず、もっぱら軍事に精励していればいいというのが、それまでの軍の考え方ですね。その考え方を捨てた。あれは左翼の影響だと思います。共産主義、社会主義。あの左翼の政治運動がいろんな政治意識を目覚めさせた。
P15
半藤:(前略)満州事変の責任者を全部クビにしたら、相当ブレーキがかかったと思いますよ。
村上:主な人だけでいいですよね。
半藤:本庄、板垣、石原。
P52
近衛さんの頭のなかには、天皇の次に自分が日本で偉いんだという考えがある。
桃太郎の別な解釈
P64
鳥越:(前略)持って帰った桃をお婆さんが食べて若返って・・・・・・という話もある。
半藤:回春型というやつですね。
俵:お婆さんの股の間から桃太郎が生まれてくるという・・・・・・
(若返ったらお婆さん嬉しかっただろうし、お爺さんも、その方が嬉しかったかも・・・但し、お爺さんは、若返ったお婆さんに捨てられた可能性がある)
P133
岩田:私が最後にお目にかかったとき、もう死の準備をされていましたが、「今おれは死のうと思うがおまえはどう思うか」といきなり問われるのです。即座に「結構です」と答えると、大臣(阿南)は喜ばれましてね。ところが「私も閣下のあとを参ります」と言ったら怒られまして、私の頬を両手でバンバンと叩き「死ぬのはおれひとりでいい。みんなは死なずに国家再建のために尽くしてくれ」と。そう言って、私がハイというまでいつまでも私を抱きしめられました。
半藤:阿南さんは最後の最後まで、国体を護持しての国家再建を念願していたのでしょうね。(これぞ、貴重な歴史の証言だ)
P139
鈴木:ソ連参戦の報が来たときに祖母、つまり貫太郎夫人は「これで肚が決まりましたね」って私に言ったんです。
P140
半藤:日本の「国体護持」に関する問い合わせに対する連合の回答、サンフランシスコ放送でバーンズ回答が流された。
鈴木:そうそう、そのことです。「私は父に英和辞典を借りてしきりに考えていた。母の話によると、subject to some supreme commander(注=連合国最高司令官の制限下おかれる)と言う文句が聞こえたそうだ」
P150
大井:終戦後、私は陸軍作戦課長だった服部卓四郎と二人きりで会食したとき、「どうしてあんな負け戦をあなた方はやったんですか、主戦論の筆頭はあなたと辻だそうじゃないですか」と、ぶしつけに聞いたんです。同じ故郷の人間ですから、しゃべりよかったんです。すると「ドイツがヨーロッパで必ず勝つと信じたから」と言うんですね。(これも貴重な証言だ)
P165
ウェッブ裁判長がしばしば言ってますよね。「彼が泥棒したということはおまえが泥棒したことの弁解にならない。ここは日本を裁く法廷であって、連合国を裁く法廷ではないから連合国側の違法を立証しても何の助けにもならぬ。よって却下する」
【ネット上の紹介】
「昭和」もすでに歴史になったというけれど。二・二六事件、「少年倶楽部」、引き揚げ、浅草ロック座、数寄屋橋、美智子妃誕生、東京オリンピック、大阪万博、昭和天皇―。リアルタイムで感じた昭和がここにある。
昭和史の“バケモノ”統帥権(杉森久英
村上兵衛)
新証言二・二六事件(池田俊彦
秦郁彦)
「少年倶楽部」懐かしの子供時代(加太こうじ
赤瀬川隼)
近衛新体制の教訓(林健太郎
野田宣雄)
桃太郎の履歴書(鳥越信
俵万智)
世界史から見た日米開戦(土門周平
池田清)
奇襲の日本史(津本陽
岩島久夫)
日本海軍提督論(千早正隆
吉田俊雄)
出陣学徒の真実(田英夫
野原一夫)
「日本のいちばん長い日」の証人(岩田正孝
高木俊朗)〔ほか〕