【ぼちぼちクライミング&読書】

-クライミング&読書覚書rapunzel別館-

オランウータン

2024年12月16日 09時03分39秒 | 読書(旅・紀行)

「オランウータンに森を返す日」川端裕人

「オランウータンに森を返す日」川端裕人


「オランウータンに会いたい」久世濃子
P17
オランウータンを専門にしている研究者は、世界に数人しかいません。

P126
オランウータンの雌は15歳くらいで最初の子を産みます。その後は、平均7年に1回、1頭の子どもを産み、それから死ぬまで産み続けます。オランウータンの寿命は60歳くらいです。双子はめったに生まれません。

P132
オランウータンの子育ては、子どもの世話から守ることまで、お母さんがすべてをたったひとりで行います。


「オランウータンに森を返す日」川端裕人
【ネット上の紹介】
1999年5月。大阪で4頭のオランウータンが保護された。なぜ、彼らが日本にいるのか。彼らの来たカリマンタン島では何が起こっているのか。
ペットショップで野生動物が売られているという現実から何が見えるのか。
 著者の旅がはじまった。


「森のなかのオランウータン学園」スージー・エスターハス/海都洋子
【ネット上の紹介】
ボルネオ島の密林に、孤児になったオランウータンのための特別な施設―オランウータン・ケアセンター/検疫所があります。センターはオランウータン基金インターナショナルが運営しています。地元のボランティアたちが、そこに収容された赤ちゃんオランウータンの世話をし、野生に戻す訓練に協力しています。写真家スージー・エスターハスが、赤ちゃんオランウータンと、彼らを育てる里親のお母さんの大変な仕事ぶりを心温まる写真で見せながら、センターを案内してくれます。彼女は、成長過程や野生に戻されるオランウータンの様子とともに、センターが、オランウータン保護のために重要な役割をはたしていることも、大事な情報として伝えています。


「オランウータンの森」鈴木晃/鈴木南水子
【ネット上の紹介】
野生のオランウータンは、その一生のほとんどを熱帯雨林の木の上ですごします。オランウータンが何を食べ、どのように子育てをし、親子の生活をいとなんでいくのか。その知られざるくらしぶりと、生命を育む熱帯雨林のたいせつさを、オランウータンを、20年にわたり追いつづけた研究者のとらえた貴重な写真でつたえます。


「オランウータンに会いたい」久世濃子
【ネット上の紹介】
ボルネオ島の深い森の中、高い木の上で孤独にくらすオランウータン。森の中で彼らに出会う方法とは?意外と厳しい食生活、命がけの樹上移動、いじめもケンカもない平和な社会、そして「俺は強い」と思うと変身するオス!さあ、一緒にオランウータンの不思議な生活をのぞいてみましょう!


「馬の惑星」星野博美

2024年05月03日 07時54分51秒 | 読書(旅・紀行)


「馬の惑星」星野博美

馬をテーマに、世界各地を旅する。

P87・・・グラナダ王室礼拝堂
ここには、カトリック両王と、2人の次女である「狂女」ファナ、その夫である「美公」フェリペ一世の4人が眠っている。

P256
強制的住民交換協定が締結されたのは、1923年1月。これにより、約110万人のギリシャ人がギリシャ王国に送還され、約38万人のムスリムがギリシャ領からトルコに強制送還された。

【ネット上の紹介】
君は馬だ。どこまでも走っていく馬だ--。謎の老人が告げた一言から、その旅は始まった。モンゴル、アンダルシア、モロッコ、トルコ。土着の馬にまたがり大地を行くと、テロ、感染症、戦争……不確実な世界の輪郭が見えてくる。「馬の地」が紡いできた歴史と人々の営みをたどる、さすらい紀行。【目次】はじめに第一章 極東馬綺譚火の馬君は馬馬と車そこに馬はいるか第二章 名馬の里、アンダルシアレコンキスタ終焉の地、グラナダコルドバのすごみアンダルシアンに乗る馬祭りの街、へレスへ第三章 ジブラルタル海峡を越えて二つの大陸青の町、シャウエン砂漠の出会い第四章 テロの吹き荒れたトルコ文明の十字路雪の舞う辺境へトルコのへそ、カッパドキア第五章 遊牧民のオリンピック未知の馬事文化いざ、イズニクへ馬上ラグビー、コクボルコクボルの摩訶不思議な世界おわりに


「街道をゆく~南蛮のみち」司馬遼太郎

2024年02月23日 09時17分02秒 | 読書(旅・紀行)
「街道をゆく~南蛮のみち」司馬遼太郎

P12-13
日本では、ふるくから、
本朝、震旦(中国)、天竺(インド)
という3つの文明圏しかないという思いこみがあった。
(中略)
その三国世界観の壁をやぶってとびこんきたのが、南蛮というものであった。
(中略)
ちなみに、日本語解釈の上で南蛮というのはスペイン、ポルトガルのことであり、やや遅れて成立する紅毛というのはオランダのことである。

P14
ミカエルという「神に似たる者」は、古くからユダヤ教のなかに存在し、天使の首座であった。さらにいえば『新約聖書』になると、この大天使はイスラエルの守護天使である。
ザヴィエルは、こんにちの国別でいえば、スペイン国籍ということになるが、当時はピレネー山脈のスペイン側のふもとにあったナバラ王国の一城主の子としてうまれ、民族的な所属を厳密にいうとすれば、バスク人である。

P27
ケルト人という古ヨーロッパ人は、大文明をもつローマに征服されたが、紀元前のふるい時代にすぐれた青銅器文明をもち、紀元前900年以後は鉄器生産に長じ、諸道具を農業などの生産に役立てていた。ただケルト人広域社会を形成していなかったため、ローマ人の、戦士の大集団を組織づくる能力をもった文明の侵入者に対しては弱かった。

P183
聖ヤコブのことを、スペイン語では、サン・ティアゴという。サン・ティアゴはスペインの守護神のことであり、話が横へそれるが、天草・島原で戦った日本の切支丹たちも、勝利を祈るとき、
「さんちゃご!」
と、いっせいに叫んでいたらしい。

P272
私がかつて見た日本の城やヨーロッパの城は、戦闘よりも平和の象徴のような印象があった。というより城は市民生活と調和させねば生きてゆけない。その上で城じだいの永遠をねがっているようなたたずまがあるのだが、ザヴィエル城ばかりは、たけだけしいばかりに戦闘的である。


【ネット上の紹介】
1982年、筆者はフランス、スペイン、ポルトガルの旅に出る。『街道』シリーズ初のヨーロッパ行で、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザヴィエルの人生をたどってゆく。学んだパリ大学、イエズス会の結盟を誓ったモンマルトルの丘を訪ね、バスクの地へ。生誕地のザヴィエル城では自分を「オバケ」と呼ぶ修道士が現れる。濃厚なバスク人の世界に包まれてゆく。
バスクとそのひとびと(カトリーヌ
カンドウ神父
ザヴィエルの右手
カルチェ・ラタンの青春
十六世紀の大学生
ロヨラの妖気
ザヴィエルの回心
夏の丘 ほか)


「女人京都」酒井順子

2023年10月18日 07時56分31秒 | 読書(旅・紀行)


「女人京都」酒井順子

歴史に名を残した京都ゆかりの女性の史跡巡り。
私もたまに「聖地巡礼」するので、とても便利。
表紙絵は上村松園。

P52
薬子は、そもそも平城天皇の后の母親でした。が、平城天皇は義母である薬子と、関係を持ってしまいます。

P56
その後、平城天皇の子孫は臣籍に降り、在原姓を名乗りました。(中略)平城天皇の孫には、美男のモテ男として有名な在原業平がいます。(在原業平は清和天皇の女御になる予定の藤原高子=二条の妃とのスキャンダルが有名。東下りもこれが原因という話もあるそう)

P89
定子が24歳で亡くなったの対して、彰子は87歳まで生きました。

P98
道綱母がこのような行動をとったのは月経前症候群すなわちPMSのせいとの説を建てておられるのは、国文学の泰斗である故角田文衞博士です。

P239
五条大橋と言えば、牛若丸と弁慶が出会った場所、とされています。五条通の中央分離帯には二人の像もあるのですが、しかしその時代の五条通は、今の松原通。さらに言うなら二人は実際にこの地で出会ったわけでも、なさそうです。伝説の中で「映え」を狙った舞台装置だったのでしょう。

P252・・・今宮神社
お万の方は、家光の寵愛を一集め集めた側室でした。しかし彼女には子ができず、「おしとねすべり」、すなわち閨房での関係を辞した後に、将軍に側室として献上したのが、お玉であったという話も。(中略)
八百屋の娘ながら、将軍の母となるまでに出世した桂昌院が「玉の輿」の語源、とも言われることから、お守りの袋には、蕪や人参等、野菜の刺繍がしてあるのでした。

【おまけ】
幕末の志士たちは若かったので、それぞれ彼女がいた。
坂本龍馬=お龍
桂小五郎=幾松
井上馨=君尾
西郷隆盛にはお玉。
この関係は歌舞伎にもなっていて「西郷と豚姫」。
お玉はふくよかな女性だったらしい。
でも、ニックネーム・豚姫とはあんまりじゃないの、と思うけど。
西郷隆盛の外見にこだわらない、おおらかな人柄が忍ばれる。

【ネット上の紹介】
京都の旅5回目以上のあなたへ!小野小町、紫式部、清少納言、日野富子、淀君ほか、歴史上の女性たち43人の足跡をたどる、酒井順子流新たな京都エッセイ&ガイド。散策に便利な地図付き。
古代のお后達、アウェイとしての京都―光明皇后、高野新笠
神に仕えた皇女「斎王」達のドラマ―有智子内親王、選子内親王、済子女王
美女の信仰、美女への復讐―檀林皇后、小野小町
平安初期の悪と愛―藤原薬子、藤原高子、伊勢
『源氏物語』誕生の背景は―中宮彰子、紫式部
『枕草子』の裏にある悲劇―皇后定子、清少納言
受領の娘達は、なぜ書くのか―藤原道綱母、和泉式部、菅原孝標女
院政期に揺れる女人達―讃岐典侍、待賢門院璋子、美福門院得子
平安と現代、「伝染病が蔓延する世」を生きる
自粛の日々で知った「憧れる」想い〔ほか〕


「タイムトラベル世界あちこち旅日記」益田ミリ

2023年02月22日 06時38分51秒 | 読書(旅・紀行)


「タイムトラベル世界あちこち旅日記」益田ミリ

ベルギーの小便小僧。
P19
放尿する少年の像だ。観光名所であるが「世界三大がっかりスポット」のひとつと言われているとか。ちなみにあとのふたつは、デンマークの人魚姫像とシンガポールのマーライオンであるらしい。

「フランダースの犬」
P21
あの物語がベルギーとは知らなかった。少年ネロが愛したルーベンスの絵はアントワープのノートルダム大聖堂で見ることができ、その前の広場にチョコレートショップ「ネロ」がある。

【ネット上の紹介】
ポーランドで飲んだおいしい発酵スープ、台湾で食べた花の香りのする温かいお団子…。タイムトラベルをするかのように1987~2019年の世界の旅を振り返るエッセイ。あの頃の旅は、今でも大切な宝物。さまざまな国の人との出会いから生まれたあたたかくて切ない数々のエピソードが、互いを思い合い日常を生きることの大切さを伝える。
イタリア―トレビの泉のコインの行方
ベルギー―ベルギーワッフルとホイップクリーム
フランス―パリでオペラを
ハワイ―「気まずい事件」と冷えたコーラ
マレーシア―お土産探しクアラルンプール
スペイン―夜、バルセロナで闘牛を見る
ポーランド―ワルシャワでショパンの調べとピエロギを
ノルウェー―北のパリ、淡いピンクの夕焼け
スウェーデン―アイスホテルに泊まるとしたら
シンガポール―ドリアンアイスをもうひとつ〔ほか〕


「女三人のシベリア鉄道」森まゆみ

2021年11月01日 13時01分29秒 | 読書(旅・紀行)


「女三人のシベリア鉄道」森まゆみ

明治から昭和、シベリア鉄道で旅をした作家たちがいた。
与謝野晶子、宮本百合子、林芙美子。
彼女たちの足跡をたどる旅。
紀行+評伝作品・・・味わい深く濃い内容だ。

P9
当時、晶子は33歳で7人の子の母であった。下の二人は養女に出し、上の五人を夫寛(鉄幹)の妹静子に預けて、たった1人、シベリア鉄道に乗ったのである。(中略)
「かにかくシベリアの汽車にして1人旅をいたさんとするにて候へば暴挙に近きことゝは自らおもひ居り申候」

P11
与謝野鉄幹は表立って金を稼がない人であったから、収入を得るのも、家事も、育児もすべて晶子の肩にかかっていた。その苦労を傍で見ていた啄木は「姉と話しているような気がする」と慕っていた。

P34
晶子はまだ多産多死の、医療技術も整わぬ中で13人も産んだ。あるお産の前に有島生馬邸を訪ね「私は難産なので、今度は死ぬかもしれませんからご挨拶に伺いました」といったそうである。

P184
両者(ゴーリキーとその息子)ともスターリンによる毒殺だという説はいまもって根強い。

P192
「宗教はアヘンである」というレーニンの言葉に従い、革命後、教会は弾圧され、(中略)スターリンの命令で爆破された。(私は「イデオロギーもアヘン」と思う)

P224
「あと五(ウー)は福(フー)に通じるから、六(リュウ)は利(リー)に通じるから中国人は好きです」

P226
「走れ!走れ!汽車よ、泪せきあえずです」(林芙美子「巴里まで晴天」)

P344
「ロシアは驚木桃の木さんしょの木だ。レーニンをケイベツしましたよ」労働者であった芙美子にはこの革命が人民の名をかたりながら人民のものになっていない、ということが見えたのであろう。

【ネット上の紹介】
与謝野晶子、宮本百合子、林芙美子。明治末から昭和初めの動乱期に、シベリア鉄道で大陸を横断した逞しい女性作家たちの足跡を辿り、著者もウラジオストクから鉄道で旅に出た。愛と理想に生きた三人に思いを馳せながら、パリを目指す。車中での食事、乗客とのふれあい、歴史の爪跡が残る街…世界で最も長い鉄道旅をめぐるエピソードの数々。三人と著者の旅が、時を超えて交錯する評伝紀行。
第1章 ウラジオストクへ
第2章 バイカルの畔にて
第3章 エカテリンブルクのダーチャ
第4章 「道標」のモスクワ
第5章 東清鉄道を追って
第6章 夜汽車でワルシャワ、ベルリンへ
第7章 パリ終着の三人
あとがき―旅を終えてから


「あやしい探検隊アフリカ乱入」椎名誠

2019年01月17日 21時49分01秒 | 読書(旅・紀行)


「あやしい探検隊アフリカ乱入」椎名誠

キリマンジャロに登りに行く話。
椎名誠さんのキャラクターと文章が楽しめる一冊だ。

P24
やはり旅というのは目的地に向かうあいだ、どこか自分でもわからないところで心が浮きたっているところがあるのだろう。いくつになっても、どんな旅をしても、未知の場所に進んでいく過程というのはいい気分のものだ。

P90
アフリカでは伝統的な日本人的な旅の仕方は最もそぐわない。名所旧跡を求めて一泊単位であちらこちらを移動していく旧来の日本人の観光スタイルでは、この国は何も見ることができないだろう。

【ネット上の紹介】
やって来ました今度は野獣の大草原。キリンに笑われ、ゾウには踏まれ、カバにかじられ、じわじわ進む。めざすは名峰、雪のキリマンジャロ!お待たせしました。「あやしい探検隊」シリーズ第5弾
熱風草原でライオンに笑われる
バカたちは西へ向かった
ボンベイで卑屈化する
カルピス青年はナニワ訛りだった
ワニ眼画伯、心の父と会う
キリマンジャロでたとこ勝負
共産マサイの国へ
コンバット・カメラツアー
なんのなんのとマンダラ小屋へ
第二キャンプでダメ化する
インド洋でスルメを焼いた
迷惑な便所サンダル男
真昼のスルメ・パーティ
戦いはまだ終わらない
さらばバカデカ大陸〔ほか〕


「十五の夏」佐藤優(上・下)

2018年07月06日 20時05分47秒 | 読書(旅・紀行)


「十五の夏」佐藤優(上・下)

1975年、高校1年の夏休み、佐藤優少年は旅に出る。
約40日間、東欧とソ連の旅。
「栴檀は双葉より芳し」と言うが、佐藤少年は、既に問題意識が高かった。
それにしても、両親もよくOKしてお金を出してくれたなぁ。
今回の場合、本人より両親がえらいように感じる。

上巻P336
「日本で知ったルーマニアのイメージは、もっと肯定的でした。東欧社会主義国でありながら、自由がある。アメリカのニクソン大統領もルーマニアを訪問した。ルーマニアはワルシャワ条約機構の一員でありながら、1968年の『プラハの春』に対する軍事介入をしませんでした」
「対外的な自主外交と国内統治は違う。この国の内政は実に酷い。ソ連の方がずっと自由だ。おそらく、この国よりも国民に対する抑圧が厳しいのはアルバニアしかないと思う。ニコラエ・チャウシェスクに対する個人崇拝は、スターリンを上回っている。(後略)」

下巻P105
「日本人は思想に関して鈍感だ。だから、天皇制神話のようなものを本気で信じ込んでいた。もっとも陸軍将校では、神憑り的な皇国神話を信じていた人は少ない」

下巻P109
「高校1年生の夏休みにソ連・東欧に一人旅をするような少年が、将来、中学校の教師になることはない。佐藤君は、自分では認めたくないだろうが、大きな野心を持っている」
「野心なんかないと思います」
「いや、ある。ただ、若者が抱く立身出世や発明家になりたいという類とは異なる野心だ」
 そう言って、篠原さんは笑った。

下巻P435
「ほんとうに好きなことをしていて、食べていけない人を僕は一人も見たことはない。ただし、中途半端に好きなことではなく、ほんとうに好きなことでないとダメだよ。(後略)」

高校一年の旅、これだけ克明に記憶しているのか、と驚嘆する。
その時につけた記録を見ながら書かれてるのだろうか、会話を詳細に覚えているのがすごい。
会話までノートに記録しないだろうから。
またそれとは逆に、数学の問題について、何度も繰り返し説明される。
「それさっき聞いたから」と言いたくなる。
本書を書いていて、その辺のダブりは記憶から抜けるのか、全体を通して読み返していないのか、気にならないのか、よっぽど強調したいのか、何度も繰り返し言いたくなるほどトラウマなのか、どれなの?

【おまけ】
現代日本の「知の巨人」と言うと、佐藤優さんと池上彰さんを思い出す。
両者を比べると、佐藤優さんは少し癖がある。
言動を見ても、共感するものもあれば、首肯出来ないものもある。
そこが違う。

【さらにおまけ】
TVでの池上彰さんは、例えば原発問題など意見の分かれている事案には、自分の意見を前面に出さない…でも注意深く聞くと、地震列島に原発を乱立するのは無謀だ、と婉曲に表現しているんだな、と分かる。そのように、映像の流れを演出している。

【蛇足】
本書を読んで、ハンガリーとポーランドに行ってみたくなった。
ウクライナ、ロシアも一度くらい行っておきたい…かな。

【ネット上の紹介】
一九七五年、高一の夏休み。ソ連・東欧一人旅。 異能の元外交官にして、作家・神学者である“知の巨人"の 思想と行動の原点。40日間の旅行記。 僕がソ連・東欧を旅することになったのは、高校入学に対する両親からの「御褒美」だ。旅行費用は、僕の手持ちの小遣いを入れて、48万円もかかる。僕は父の給与がいったいいくらか知らないが、浦和高校の3年間の授業料の10倍以上になるのは間違いない。両親には申し訳ないと思ったが、好奇心を優先した。 羽田→カイロ空港→チューリヒ→シャフハウゼン→シュツットガルト→ミュンヘン→プラハ→ワルシャワ→ブダペシュト→ブカレスト→キエフ→  →モスクワ→サマルカンド→ブハラ→タシケント→ハバロフスク→ナホトカ→バイカル号→横浜
第1章 YSトラベル
第2章 社会主義国
第3章 マルギット島
第4章 フィフィ
第5章 寝台列車
第6章 日ソ友の会
第7章 モスクワ放送局
第8章 中央アジア
第9章 バイカル号
第10章 その後