「おらおらでひとりいぐも」若竹千佐子
第54回文藝賞受賞作。
1人暮らしの婆さん・桃子さんのモノローグ。
男性のほうが短命なので、女性が最後に残る確率は高い。
子どもと同居しないなら(嫁が拒否するなら)、独りで生きることになる。
「老いの境地」が描かれる。
P100
(前略)老いるというのは結局のところ、負けを承知の戦のようなものではないのか、普段はきっちり栓をして微塵も表に出さない疑念までもがやすやすと浮上して、それがついつい桃子さんの心を暗くしていた。
さて、この手の作品には先例がある。
「魂萌え」である。
但し、こちらは59歳で夫に死なれた女性。
「おらおらでひとりいぐも」の桃子さんは74歳。
この差は大きい。
私は、「魂萌え」のほうが、ずっとおもしろく感じた。
(作品のタイプが異なるので、比べること自体が間違っているけれど)
次に、「魂萌え」の印象に残る言葉を記す。
P362
若い頃は、歳を取ったら穏やかになると思っていたが、六十歳を目の前にした自分の心は若い頃以上に繊細だし、時々、暴力的といってもいいような衝動が湧き起こる。感情の量が若い頃よりも大きくなった気がする。
P299
独りでいるということは、穏やかで平らかな気持ちが長く続くことなのだ。人に期待せず、従って煩わされず、自分の気持ちだけに向き合って過ぎていく日常。
→「魂萌え!」桐野夏生
【ネット上の紹介】
74歳、ひとり暮らしの桃子さん。夫に死なれ、子どもとは疎遠。新たな「老いの境地」を描いた感動作!圧倒的自由!賑やかな孤独!63歳・史上最年長受賞、渾身のデビュー作!第54回文藝賞受賞作
「星ちりばめたる旗」小手鞠るい
米国在住・小手鞠るいさんの新刊。
アメリカに渡った日本人3世代の物語。
戦前から戦中、戦後へと時代をどう乗り切ったのか?
「渾身の一作」というフレーズが大げさでない。
読んで良かったと思える作品だ。
P18
「何も考えてない。ただ、ぼーっとしてただけよ」
言葉とは裏腹に、私はさっきから胸のなかで、ゴーギャンの絵のタイトルを反芻していた。
『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』――
ボストン美術館所蔵 D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?
(なんとなく「忍者武芸帳―影丸伝」のラストシーンを思い出す)
P87
広島と長崎に落とされた原子爆弾は、ナバホ、ホピ、プエブロ、山岳ユテの人びとの暮らしている土地から無断で採掘されたウラニウムによって製造されたものであること。アメリカ政府による度重なるウラニウムの採掘――しかも、その危険性をまったく告知することなく――によって、先住民たちの癌や腎臓病の発生率が異常なまでに増加していること。核爆発実験、放射性廃棄物の格納場所として、常にネイティブアメリカンの保留地が選ばれてきたということ。
P367
「何者でもない者として生まれてきた小さき者が、何者かになろうとして懸命に努力し、結局、何者にもなれないまま死んでいったとしても、その人が生きてきた時間は、決して無駄なものではないのです。(後略)」(ここのところは、実際読んでみて)
【おまけ】
欲を言えば、日本人強制収容所の生活シーンをもう少し詳細に描いて欲しかった。
この箇所を切り取れば、「草花とよばれた少女」になるのでしょうか?
【新聞での紹介】
【ネット上の紹介】
1916年、既にアメリカに暮らす大原幹三郎のもとへ「写真花嫁」として嫁ぎ、佳乃は海を渡った。そこから全ては始まった。夢が叶うと言われる大地で日々を積み上げていく一家。彼らはやがて時代の激流に呑み込まれていく。日本人というルーツに苦しめられた祖母、捨てようとした母、惹かれる「私」―これまでの百年、そして今のこの世界の物語。
2週間前に登ったばかりだけど、再び登ってきた。
今回は、交野山から国見山につなげてみた。
時間はそう変わらず。(前回より早かった)
交野山山頂、今回も賑わっていた
生きものセンターから、国見山経由で下山
【資料】
9:40自宅出発(自転車で)~京阪枚方市駅10:15~京阪私市駅10:30(210円)
↓
(私市駅-月輪の滝-すいれん池-くろんど荘-八ッ橋-榜示-交野山-いきものふれあいセンター-トンネル-国見山-JR津田駅…ハイキング3時間半)
↓
2:15JR津田駅前から京阪バスで京阪枚方市駅南(230円)
4:00自宅到着(途中で買物立ち寄り)
「雨にもまけず粗茶一服」松村栄子
「風にもまけず粗茶一服」松村栄子
「花のお江戸で粗茶一服」松村栄子
シリーズ通して再読した。
しっかりプロットを考えて初巻から作られているのが分かる。
あ~おもしろかった。
また、そのうち読み返そう。
「大阪デビュー」小林裕美子
夫の転勤により大阪に移住。
いままで自分も含めて周囲の人間関係は関東人ばかりだった著者が大阪に住むことに。
カルチャーショックと異文化コミュニケーションを描いた作品。
あるあるネタ満載。
お洒落はインパクトやー
おばちゃんのマネキンだーっ
【ネット上の紹介】
生まれも育ちも関東圏。身内もぜーんぶ関東人。そんな著者の夫に突然、大阪転勤の辞令が。 大阪の「お」の字も知らなかった彼女が、大阪の文化に放りこまれた顛末は? よそもんと大阪人の異文化コミュニケーションを綴ったコミックエッセイ。 大阪をよく知っている人も、知らない人も、思わず噴き出してしまうエピソードが満載です!
1 東京を離れるなんて(大阪なんて大キライ!
ご近所へ挨拶回り
なにわの井戸端会議 ほか)
2 観光気分であちこちに(両親、ミナミにあらわる
名物店で食いだおれ
お笑い初体験 ほか)
3 大阪にも慣れてきた(夫の上司がやってきた
岸和田だんじり祭り初参戦
転勤から1年たって ほか)
「マンガ!認知症の親をもつ子どもがいろいろなギモンを専門家に聞きました」永峰英太郎
マンガといいながら解説の文字は多い。
注釈のやたら多いマンガと思ったらよい。
「相続」関係のページが興味深かった。
【ネット上の紹介】
2013年秋。母が末期がんであることが判明したとき、母から父が認知症であることを聞きました。ショックでした。そして、認知症について何も知らないボクは多くの認知症関連の本を読んだけれど、実際の介護の現場ではあまり役に立ちません。なんとかしなくては…。これからボクの実体験を紹介します。
第1章 認知症の発症(認知症とは?―普通のもの忘れと認知症の違いって、何なの?
認知症の種類―友人の父親は脳梗塞から発症したけど? ほか)
第2章 認知症の症状について(認知症の中核症状―認知症はある程度、起こることが共通なの?
認知症の周辺症状―医師に「この殺人鬼が!」と叫んだのだけど? ほか)
第3章 認知症の治療について(認知症治療の大前提の知識―母は、父の認知症を治そうとしていたけど…
認知症の親へのタブーな行為―母は父を叱りつけていたけど… ほか)
第4章 家族の負担を減らす(親の財産の相続―親の認知症を考慮した相続税対策って?
遺言書―親が認知症でも、家族に有利な相続がしたい! ほか)
「鬼平犯科帳」(19)池波正太郎
シリーズ19作目。
次の6編が収録されている。
「霧の朝」
「妙義の團右衛門」
「おかね新五郎」
「逃げた妻」
「雪の果て」
「引き込み女」
P70
馬蕗の利平治は、以前、盗賊の世界でいう[嘗役]をやっていた。
[嘗役]は、盗賊たちが押し込むのに適当な商家や民家を探しまわるのが役目で、つまり、自分の目で探り取ることを、
「嘗めた……」
というわけなのであろう。
【ネット上の紹介】
女密偵おまさは、万年橋から川面を見つめている女に気づく。以前、同じお頭の許で、「引き込み」をつとめた女賊のお元であった。(さて、どうしたらよいものか?)おまさは迷うが、平蔵は、密偵たちの複雑な心境を理解していた(「引き込み女」)。ほかに「霧の朝」「妙義の團右衛門」「おかね新五郎」「逃げた妻」「雪の果て」の全六篇を収録。
「「司馬遼太郎」で学ぶ日本史 」磯田道史
実際の歴史と、司馬遼太郎作品は違うかもしれない。
それでも、興味を持つきっかけにはなる。
その時代の空気を感じることが出来るだけでも有意義。
歴史家の磯田道史さんが客観的な視点で、司馬遼太郎作品を紹介してくれる。
P48
(前略)中東や西洋の世界とは違い、日本では一向一揆や島原の乱を最後にして、宗教的な理由で大勢の人が死ぬことはなくなるわけです。つまり、世俗権力が宗教権威に優越しました。
P155
板垣は、子孫に親が犯した罪が受けつがれないように、親の功もまた子々孫々に受け継がれることはおかしいという論理で一貫していたのです。
しかし板垣が世襲は一代限りにして、辞めようと言っていたにもかかわらず、政府は日露戦争の後になんと100人もの人たちに爵位を授けてしまいました。
P178
グローバル化がさらに進めば、異なる価値観を持つ国家や人間どうしが向き合わざるを得なくなる局面が増えてきます。相手よりいかに優位に立つかに汲々とするより、相手の気持ちがわかる、共感性が高いといった、どんな文化の違う人にも適応し理解することができる能力が重要になるはずです。
【ネット上の紹介】
当代一の歴史家が、日本人の歴史観に最も影響を与えた国民作家に真正面から挑む。戦国時代に日本社会の起源があるとはどういうことか?なぜ「徳川の平和」は破られなくてはならなかったのか?明治と昭和は本当に断絶していたのか?司馬文学の豊穣な世界から「歴史の本質」を鮮やかに浮かび上がらせた決定版。
序章 司馬遼太郎という視点
第1章 戦国時代は何を生み出したのか
第2章 幕末という大転換点
第3章 明治の「理想」はいかに実ったか
第4章 「鬼胎の時代」の謎に迫る
終章 二一世紀に生きる私たちへ