「みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」星野博美
久しぶりの読み返し。
P94
イエズス会はポルトガル王室と結びつき、ポルトガルの航海領域で独占的に布教する権利と経済援助を補償されていた(実際にはその金がとだえることが多かったが)。1534年にパリで創設され、40年に教皇から認可されたばかりの新進修道会、イエズス会が短期間で急成長を遂げたのは、ポルトガル王から与えられた排他的な特権のおかげだった。ポルトガルの行くところにイエズス会あり、なのである。(ところが、スペイン王フェリペ二世がポルトガル王位を継承してしまう・・・ショックだったに違いない)
P94
彼らが独占していた布教範囲が「市場開放」され、スペインを後ろ盾にする他の修道会が参入してしまうからだ。
P95
日本の民が与り知らないところで日本の争奪戦が行われていた。それこそ、魂の救済を求めて改宗した日本のキリシタンにはまったく関係のない話だ。
このあたりの経緯を読んでいると、不謹慎だが私は、コカ・コーラとペプシ、あるいはグーグルとアップルといった、グローバル企業の世界シェア争奪を連想してしまう。
P193
島原半島の南目と天草を中心とした3万7000もの民が、老いも若きも3か月間たてこもり、12万もの軍から総攻撃を受けて皆殺しになった。ここは焦土と化しただけでなく、人の姿が消えたのである。それでは石高が維持できないため、半島北部の北目や小豆島から農民が移住させられた。そうめんは小豆島から来た移民が作り始めたといわれている。
P243
長崎を訪れる観光客の多くが土産に買うカステラで有名なのは福砂屋だが、トレードマークのこうもりは崇福寺のシンボルである。ポルトガル人の伝えたカステラが、福州の砂糖で作られ(だから福砂屋というらしい)、いまも日本時に愛されている。(私も長崎空港で福砂屋のカステラを買った)
P278
宣教師も一枚岩ではなく、イエズス会と托鉢修道会では、白と黒くらい主張が食い違う。(托鉢修道会も、ドミニコ会、フランシスコ会、聖アウグスチノ修道会、カルメル会と派閥がある)
P291
一度洗礼を授けた人間には、司祭が定期的に会い、罪の告白「告解」を聴き、罪をゆるす「ゆるしの秘蹟」を授けなければならない。司祭が1人もいなくなれば、信徒は永遠にゆるしを受けられず、罪を抱えっぱなしで死を迎えることになる。(中略)大追放後は、信徒を訪ねて告解を聴き、ゆるす、それこそが司祭の務めだった。
それを踏まえるか否かで、潜伏した宣教師の姿がまるで違って見える。まして、隠れキリシタンが2世紀以上も司祭を待ち続けた理由が理解できない。キリシタンは、ただ隠れていたのではない。待っていたのだ。
P320
織田信長が一向宗門徒を大量虐殺したことは有名だが、もしも彼らひとりひとりの名前や生きざまを詳細に書き残し後世に伝えるシステムが一向宗にあったとしたら、キリシタンの殉教者と同じくらいのインパクトを後世の私たちに与えたことだろう。
タイトルの意味が語られる
P362
後世に残された絵や演奏の逸話は、南蛮文化の頂点というより、血なまぐさい迫害がすぐ背後に迫った、最後の一瞬のきらめきだったのである。それは、突然に現れて夜空を照らし、それを見たある者は珍しくて美しいと言い、ある者は不吉だと言う、彗星のようでもある。
P400・・・著者は、ビトリアを訪問する
バスクの生んだ聖人といえば、有名なのはイエズス会のロモラとザビエルですね、と言うと、「ザビエルはナバラです」と間髪を入れず訂正された。
ナバラはバスクであって、バスクでない。自分たちはバスク人同士で普通にバスク語を話すが、ナバラの言葉はまた違う。
P422・・・著者は、ラ・ハナを訪問する
「いま、神父の説教が日本の話に入りました。今日は日本からお客さんが来ている。あの人は観光客ではなく、ハシントに共鳴してはるか遠くの日本から来た、と紹介しています」(中略)
「レオン神父、ただ者じゃありません。あれだけ短い時間で日本の迫害を理解して、村人にわかるよう完結に、過不足なく伝えきりました。外から来て苦労している人だけあって、異文化に対する理解が深いんですね。すごいなあ。訳しながら、自分が感動しましたよ」
P439
海バスクは確かに華僑に似ている。しかし山バスクは、客家に似ているのだ。
P440
客家には、中華圏の近現代史を飾る人物が多い。(具体例として、洪秀全、孫文、鄧小平、リー・クアンユー、李登輝が挙げられている)
【感想】
長崎旅行の際に、とてもに立った。
旅行に行く1週間前あたりから読み返し始めた。
8年くらい前、この本を読んで気になり、
「いつか行こうかな」と思ったのが経緯。
実行するのにだいぶかかったけど。
(熟成に時間がかかる。あとはタイミング)
【ネット上の紹介】
「キリシタンの時代」とは、何だったのか?はるかな歴史の糸に導かれるように、著者はリュートに出会い、長崎からスペインへと殉教をめぐる旅に出る。遠い異国からきた宣教師と、救いを求めた信徒たち。迫害の果てに辿り着いたものとは。世界文化遺産の陰に埋もれた真実を照らす、異文化漂流ノンフィクションの傑作。
はじめに―宙をゆく舟
第1章 リュート
第2章 植民地
第3章 日本とスペイン
第4章 有馬
第5章 大村
第6章 大殉教
第7章 スペイン巡礼
「世界裁判放浪記 」原口侑子
P48・・・2011年バングラデシュ、タンガイルの街にて
私たちは縁石に座ってチャイをごちそうになり、おしゃべりをしていた。女の子の1人は「日本は遠い国?」と聞いた。私はそうだと言った。(中略)
「こことは全然違うの?」
「うーん。あまり変わらないかな。日本の人もお米を食べてお茶を飲む。でも、日本のお茶は、甘くない」
「えー!甘くないお茶なんてあるの」
P201
ブラジルでは、大統領だけでなく、誰がどんな裁判をしているかもネットで検索できるのだという。かたや日本では、注目の裁判は裁判所に並んで傍聴券の抽選を待つ。
P203
日本の紙証偏重主義はおそるべきものである。刑事裁判では、弁護人側が検察官の手元にしかない証拠をコピーしないといけない。コピーに1枚40円かかる地域もある。原則は被告人の自己負担で、コピー代に600万円支払った事件もあるという。
P259
娼館街は、付近にある女学校から訴えられ、2020年になってまたつぶされたという話を、タンガイルの友人経由で聞いた。
P336
ルワンダでは、裁判ももう何年も前からIT化されている。提訴するのもオンライン。支払もオンライン。
「通信がない人たちをどうカバーするかは課題になっている。(中略)政府がサービスセンターを作ったりNGOがステーションを作ったりして、サポートできる体制を作ればいい。日本は?」
「日本は逆だな。『ネットを使えない人もいるから』を理由に、新しい技術の導入を先送りにしている。まだ裁判所は『ファクシミリ』を使っている」(ファクシミリは、既に「遺物」としてスミソニアン博物化に展示されているらしい。日本は新しいもの好きなわりに、現状維持にもこだわる。キャッシュレス化も進まない。プリペイドカードも複数あり不便。統一してほしい。台湾には悠遊カード、香港には八達通カードがあり旅行者には便利。インバウンドで海外の方が大勢来られているが、現金支払が多くて困っていると聞く)
【朝日新聞記事】2023年11月19日
【ネット上の紹介】
とある法律事務所に勤めていた弁護士は、あるとき世界各国放浪の旅にでる。目的の1つは裁判傍聴。訪れる先々で法廷へ赴き、傍聴したその国は30カ国。各国で出会う魅力的な人々や文化、緊張感漂う法廷内外の様子、裁く者・裁かれる者たちの人間模様を、ときに弁護士、ときの旅人の視点でみずみずしく描く。番外編として東京地方裁判所での裁判員裁判をおった迫真のルポも収録。
第1部 ユーラシア(その一)
第2部 アフリカ(その一)
第3部 アフリカ(その二)
第4部 ユーラシア(その二)
第5部 北太平洋と南米
第6部 ユーラシア(その三)
第7部 南太平洋
「故事成句でたどる楽しい中国史」井波律子
P198
フビライすなわち元の世祖は中国を支配するにあたり、すべての官僚機構のトップにモンゴル人を配置するなど、モンゴル優先の原則を堅持し、行政や財政の機構や制度についても、あくまでモンゴル固有の方式をつらぬきました。こうしたやりかたは、すんなり漢民族の中国方式に同化した、元に先行する異民族の征服王朝、契丹族の遼や女真族の金とはまったく異なるものです。
P207
清王朝を立てた満洲族は、かつて中国に金王朝を樹立し、モンゴル族の元に追われた女真族と同じ民族です。(中略)ホンタイジは1636年に国号を清と改め、また女真という民族名を満洲族と改めます。
P210
清の行政機構は基本的に明の機構を踏襲したものですが、各機関の長官に満洲族と漢民族からそれぞれ1人ずつ任命して複数制をとったところに特徴があります。こうした巧妙な二重行政システムは、先行する征服王朝の元がモンゴル優先方式を強行して失敗したことを参考にして、編み出されたものだと思われます。
【参考図書】
「教養としての「中国史」の読み方」岡本隆司P288より
少数派の清が北京を占領してすぐに、一つだけ漢人に強要したことがあります。
服従の証として「辮髪」にすることでした。(中略)
しかも十日以内に実行するようにと、期限まで切っているのです。(中略)
高圧的に見えますが、裏を返せば、当時の清にはこれぐらいのとこしか漢人に命じられなかった、ということができます。
そしてもう一つ、辮髪を強要したのには、人工の1パーセントにも満たない自分たちの存在を目立たせなくするという目的もありました。
外見は辮髪にさせ、服装も満洲人のものに変えさせているのですが、その一方で、満洲人たちは懸命に朱子学や漢学を勉強しているのです。
つまり、人々の外見は満洲人になったのですが、その中身は漢人のままで、むしろ満洲人たちのほうが漢人に近づいていったといえるのです。
【ネット上の紹介】
中国四千年の歴史のなかに生起する数々の名場面。そこには名君、暴君、英雄、詩人、はたまた美女たちが入り乱れ、多くの含蓄ある言葉が生まれました。覆水盆に返らず、背水の陣、井のなかの蛙、登龍門…。それら珠玉の言葉は古びることなく、今もわたしたちの生活のなかに息づいています。故事成句をキーワードにたどる、ものがたり中国史。
第1章 「覆水盆に返らず」―名君と暴君の時代
第2章 「呉越同舟」―乱世の生きざま
第3章 「水清ければ魚棲まず」―統一王朝の出現
第4章 「破竹の勢い」―英雄・豪傑の時代
第5章 「春眠暁を覚えず」―大詩人のえがく世
第6章 「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」―故事成句をあやつる人びと
「これは経費で落ちません!」(11)青木祐子
シリーズ最新刊。
経理から見た、オフィス人間模様。
今回は、結婚に絡む諸問題と周囲の反応が描かれる。
沙名子はタスク表を作って順番に処理しようするが、想定外の問題も起こる。
P204
「――今回、特に大きな進捗があったようですね。森若さん。人生に関わるような」
足早に立ち去ろうとしたら、山崎が声をかけてきた。(中略)
「そうですね」(中略)
「そうなのか・・・・・・」(中略)
「今度、どこかにお茶を飲みに行きませんか。お酒でもいいけど」
山崎は声をいそめて沙名子を誘った。
「話し相手として?」
「話し相手として」
「落ち着いたら行きます。わたしも山崎さんにお尋ねしたいことがあるので」
「本当に?嬉しいな」
P229・・・真夕のモノローグ
なぜ・・・・・・なぜ山田太陽なのだ・・・・・・。
【関連図書】
「これは経費で落ちません! 」①―⑧青木祐子
「これは経費で落ちません!」(9)青木祐子
「これは経費で落ちません!」(10)青木祐子
【ネット上の紹介】
結婚に向けて、本格的に動き始めた沙名子と太陽。いまは東京と大阪で別々に暮らしているが、太陽の転勤任期は期限付きで二年か三年。結婚したら一緒に暮らすことになる。しかし一緒に生活をするとなると、決めなければならないことがあまりに多い。交際は順調な沙名子と太陽だったが、食い違うことも多く沙名子の不安は積み重なっていく。年始の休みを利用して、お互いの実家へと両親に挨拶に行くことになったのだが……? 仕事は続けるのか、家事はどう分担するか、婚約指輪や結婚指輪買うのか、結婚式は挙げるのか、どちらが名字を変えるのか、などなど。沙名子は結婚へと向けてタスク表をつくってひとつずつ処理していこうとするのだが……結婚準備は大変すぎる
「宝づくし」櫻部由美子
シリーズ第四作、最新刊。
第一話「剣術道場の奥方へ」
第二話「斜にかまえた餡屋の男へ」
第三話「ひもくの魚の片割れへ」
P39
同田貫というのは、その昔、肥後国を治めた加藤清正公お抱えの刀鍛冶たちが住んでいた土地の名前であり、タヌキとは何の関係もない。
(中略)
『折れず曲がらず同田貫』のうたい文句にあるとおり、実用を旨とする剛健な刀であるということだ。将軍指南役の柳生家や、お試し斬りで有名な山田浅右衛門なども、同田貫を愛用したと言われている。
P250
比目魚は二匹があわさってようやく一人前に泳ぐことができます。それで仲のよい夫婦のたとえに使われるのだそうです。(本書では伝説上の魚を指しているが、カレイやヒラメのように目が片側にしかない魚のことも意味する)
【ネット上の紹介】
神無月の朝、“出直し神社”の社殿にお蔵茶屋“くら姫”の女主人・お妙が座っていた。たね銭八両の倍返しに訪れたのだ。お妙は神社の守り人・うしろ戸の婆に、江戸中の菓子屋に「宝尽くし」の題に因んだ菓子を競わせる催しを計画中だと話した。神社の手伝いの娘・おけいは、その華やかな計画に胸躍らせる。そんなおけいに今回婆が与えた使命は、同心・丑之助の恩師の未亡人・房江の世話に赴いて「宝さがし」をすること。おけいが探すべき宝とは?そして菓子の競い合いの行方は!?抜群の読み応えで大好評、シリーズ第四作。
「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」島田裕巳
P22
四天王寺は宗派にこだわらないということで、「和宗」と称している。
P94
山伏が実践する修験道は、土着の神道と外来の仏教、とくに密教が習合することいよって生まれた民間信仰である。(中略)中世以降は天台宗系の本山派と真言宗系の当山派に分かれた。その当山派の中心となるのが京都の醍醐寺三宝院で、ソコは真言宗醍醐寺派の本山である。
P103
空也は正式な僧侶ではない私度僧として出発し、平将門や藤原純友の乱、あるいは天変地異で乱れていた京の都で念仏を勧め、「市聖」、あるいは「阿弥陀聖」と呼ばれた。
P132
武士にとっても川の民にとっても重大な問題は、彼らが日々、仏法において戒められた殺生を行っていることにあった。仏教徒が守るべき基本的な戒が「五戒」で、その筆頭には、「不殺生戒」があげられている。殺生を犯したものは、「等活地獄」に落とされると信じられていた。
つまり武士や川の民は、大罪を犯した「悪人」だったわけである。そうした悪人にとって『歎異抄』の悪人正機説は根本的な救いを与えるものである。あるはそこに、親鸞が東国で長く活動した理由があったのかもしれない。
P141
明治に時代が変わる際に、仏教界は、神仏分離と廃仏毀釈の影響を受け、深刻な打撃を被るが、本願寺の信仰では、神仏習合の傾向が希薄であったため、あまりその影響を受けなかった。
P232
団塊の世代が消滅した後からは、死亡者の数は減っていき、葬式の件数の減少も進む。その頃には、葬儀の簡略化はいっそう進み、檀家離れも加速されていることだろう。その時点で、本格的な葬式仏教の危機が訪れるはずだ。
【ネット上の紹介】
日本の仏教はさまざまな宗派に分かれており教義や実践方法が大きく異なる。にもかかわらず多くの人、とくに地方から都会に出て菩提寺とのつきあいを絶った人は関心を持たない。だが親や親戚の葬儀を営む段になって途端に宗派を気にするようになる。家の宗旨に合った僧侶を導師として呼ばねばならないからだ。そこで初めて「うちは○○宗だったのか」と知る。そもそも宗派とは何か。歴史上どのように生まれたのか。本書は、日本の主な仏教宗派を取り上げ、その特徴、宗祖の思想、教団の歩み、さらに他宗派との関係、社会的影響をわかりやすく解説した。
序章 仏教において宗派とは何か
第1章 日本仏教宗派の源流、南都六宗(法相宗、華厳宗、律宗+聖徳宗)
第2章 仏教の総合大学、比叡山の天台宗
第3章 謎多き密教のスーパースター空海の真言宗
第4章 元祖・念仏信仰、浄土宗
第5章 親鸞が開いた日本仏教の最大宗派、浄土真宗
第6章 さまざまな禅文化が花開いた臨済宗(+黄檗宗)
第7章 葬式仏教の生みの親でもある道元の曹洞宗
第8章 2度も流罪に処された日蓮の日蓮宗
第9章 その他の宗派(融通念仏宗、時宗、日蓮正宗)、そして新宗教と葬儀
「縁切り上等! 離婚弁護士松岡紬の事件ファイル」新川帆立
新川帆立作品を読むのは、これで3冊目。
いずれも面白く、楽しめる。
P80
「予防施主や病気のときに、医者に連れて行ったりしましたか。子供の服の洗濯とか、園に持参する着替えなど荷物の準備、持ち物への名前付け、園との間の交換ノートに子供の様子を書いたりするのは、どちらですか。子供が熱を出したときにお迎えに行ったり、園の説明会に行ったり、トイレトレーニングをしたり、しましたか?」
P207
「二人を元鞘に戻すことで紛争解決」という道筋を組み立てているらしい。
「本人が別れたいと言っている以上、それ以外の道はありません。縁切り上等なんですよ」(中略)
依頼人は結婚生活に耐えられないと行っている。それを、たかが浮気ぐらい我慢しなさいとか、他人が言っていいわけがない。本人が無理というなら、それは無理なのだ。二人は別々の道を行くしかない。
【参考図書】
「競争の番人」新川帆立
「倒産続きの彼女」新川帆立
【ネット上の紹介】
夫の言動に耐えられなくなった聡美は、子供を連れ実家のある北鎌倉に逃げ帰る。そこで出会ったのは、縁切りで名高い「東衛寺」の娘で弁護士の松岡紬。勢い込んで紬に離婚相談をした聡美だったが、思いがけないことを言われ…。モラハラ、浮気、熟年離婚、同性カップルの離婚、養育費の不払い。パートナーと離婚したいと思ったらまずは何から?財産分与や親権の争い方は?個性豊かなキャラクターたちが織りなす、リーガル・エンターテインメント!
既に、帰宅して書いてる。
最終日の様子を書いておこうと思う。
まず、大浦天主堂を訪問した。
現存する日本最古の教会で、ここで隠れキリシタンが見つかった。
次に出島に移動・・・オランダ商館が復元されている。
周囲が埋め立てられビルに囲まれているが、かつてと同じ場所に復元されている。
稲佐山にも登った・・・長崎を一望できて史跡の位置関係が分かる。
中腹駐車場から遊歩道で山頂にたどり着ける。(ずっと階段で疲れる)
公園には鹿もいる。
長崎中華街・・・神戸の中華街より規模は小さかった。
孔子廟も訪問・・・中華街から歩いたけど、けっこう離れていた。
長崎は交通量も多く、曲がりくねって坂道だらけ。
道も狭いところがあり、一方通行もあって運転しにくい。
でも、車がないと不便。
特に、雲仙普賢岳は車でないと行きにくいし、そこから原城跡に移動となると、
公共機関だけだと無理かも。
駐車場はあちこちにあるので、そこは便利。
6日間のうち、雨に降られたのは11月10日(金)のみ。ちょうど雲仙普賢岳の日。
雨の中を登ることになり、誰にも会わず、静かな登山となった。
バイオパークは土曜日になったけど、次回行くとしたら平日がいい。
*ガソリン代・・・長崎市内174円、福江島200円超、離島プライス30円差、
電気自動車を借りた方がいいかも?満タン返しの手間が省けるし。
長崎歴史文化博物館では、「大シーボルト展」開催中。
その後、バイオパークに移動。
人気者のラマ「クララ」が出迎えてくれる。
後ろを向くと背中のザックを咬んて咀嚼しようとする。
けっして背中を見せてはいけない。
カピバラはお疲れのようす
このおさるさんは背中に乗ってくる。
なかなか降りようとしない。
係のお姉さんに頼んで、降りるように誘導してもらった。
このおさるさんも油断して後ろを向くと背中に乗ってくる。
フクロウは就寝中
じっと見ていると、サービスでウィンクしてくれた
立派なイグアナ
ウサギがよってきて迷惑そう。
今回の長崎ツアーで、今日がいちばん楽しいかも。
雲仙普賢岳に登った。
雨のため、登山者は全くいなかった
下山後、有馬キリシタン遺産記念館に移動
さらに、原城跡に移動
原城跡は、島原の乱の合戦跡。
先日、南蛮文化館で見た『天草四郎陣中旗』は、ここで見つけられた。
『黄金の十字架』もここで発見された。
大量殺戮があったので、ここは『負のパワースポット』と言われている。
あまり長居は禁物。
でも、キリシタン遺跡関連を巡っているので、外すわけにいかない。
午前中に、福江島からジェットフォイルで長崎港に移動。
午後、軍艦島ツアーに参加。
明治産業革命の遺産、軍艦島。
島全体が石炭鉱山、三菱が買い取って採掘していた。
しかし1970年代、石炭から石油へのエネルギー転換期となる。
廃鉱へと追い込まれるが、まだ未採掘の石炭は眠っている。
角度によって、軍艦に見える ↓
注意点として、風が強くて波が高いと接岸できず、上陸できない。
視界が悪い場合も桟橋が利用困難、すべて船長の判断による。
晴れててもダメな場合があるということだ。
また、人気ツアーでチケット入手困難。
あらかじめ予約しておくこと。
複数の会社が運航しているので比較すると良い。
(私が利用したのはブラックダイヤモンド号)
女性の方が説明してくれる、へび年70歳とのこと・・・私より元気、声もよい。
午前、午後の2コースあり。
事務所集合で、そこでお金を支払う。3,910円
現金のみで、カード払いできない。
レンタカーの場合、自分で駐車場を見つけること。
事務所近くに小さな駐車場があるが、4台くらいしか駐められない。20分100円。
(廃墟マニア、って思った以上に多いのかも)
大瀬崎灯台 ↓ 「悪人」「舞いあがれ」の舞台
高浜ビーチ ↓
ボルダー発見 ↓
手前が高浜海岸、向こうが頓泊海岸(五島のビーチはどこも美しい)
井持浦教会・ルルド ↓
三井楽教会 ↓
水ノ浦教会 ↓
楠原教会 ↓
堂崎天主堂 ↓
キリシタン史跡をたどると悲惨な過去が見えてきて暗くなる。
でも、自然が美しいので救われる。
伊丹から長崎空港に向かうところ
さらに、長崎空港から福江島に向かう↓
福江島・五島つばき空港到着↓・・・離島の空港って、どこも雰囲気が良い
五島うどんで腹ごしらえ↓
向こうに見えるのが鬼岳、ホテルレストランから撮影↓
鬼岳に向かって出発↓
登頂!
五島自動車学校、「島へ免許を取りに行く」の舞台↓
「ブッダは、なぜ子を捨てたか」山折哲雄
P92
最初の息子の誕生を迎えたシッダールタは、あろうことか、その息子に「悪魔」という名を与えた。
P130
キリストの十二使徒や、孔子の十哲とくらべてみると、仏の十大弟子のほうが、それぞれの弟子たちの個性をきわだたせようとする意図が強く働いているように私にはみえる。
P170
「涅槃の宗教」は、地上に静かに横たわるブッダの死=涅槃からはじまったが、「犠牲の宗教」は血塗られたイエスの死=犠牲から創始されたのである。
P214・・・インドでの仏教の衰退
十世紀前後を堺に、インドに侵入してきたイスラーム勢力によるたび重なる襲撃、聖地の破壊ということがえいきょうしたかもしれない。あるいは仏教の理念、とりわけその平等思想が、ヒンドゥー教社会にゆきわたっていた「カースト」的な枠組みと相容れなかったということもあるだろう。そして何よりも、ブッダの教えそのものがしだいにヒンドゥー教の信仰体系の中にとりこまれ、その中に混融していった事情も見のがすことができない。
【ネット上の紹介】
北インド・シャカ族出身の王子でありながら、自らの子に“ラーフラ(=悪魔)”と名づけ、さらに妻子を捨て、一族を捨てて家を出た若き日のブッダ!この仏教最大ともいえる謎に、宗教学の第一人者が挑む。そこから浮かび上がってきたのは、日本の仏教とはあまりに隔絶したブッダその人の思想であった。少子高齢化の時代を生きる二十一世紀の日本人にブッダは何を語りかけてくるのか。いまの日本にブッダを呼び戻し、その教えの真髄に迫る画期的な試み。
第1章 ブッダは、なぜ家を出たのか(「家出」にはじまる
理想の人生 ほか)
第2章 ブッダは、なぜ子を捨てたか(シャカも、捨て子同然であった
親を失った子どもに未来はあるか ほか)
第3章 ブッダの思想の真髄とは、どのようなものであったか(わが骨にかかずらうな
アーナンダの裏切り ほか)
第4章 ブッダの教えは、日本へどのように広まったか(アジアの周辺の国々へ
旅をする僧たち ほか)
第5章 ブッダは今、どこにいるのか(ブッダの姿をさがして
今なら死ねるか ほか)