「B面昭和史1926-1945」半藤一利
昭和史をB面=草の根レベルで振り返ろう、って企画。
P20
12月30日 宮中大奥(女官)のお局制度廃止に決定――東京日日新聞。
いまになると、この決定は新天皇の強い意志によるものであったことが明らかになっている。
ともあれ、その昭和元年は、12月25日から31日までの1週間しかない。
(昭和元年生まれの人は少ない…当時満年齢ではなかったから、生まれてすぐ2歳になって不憫であろうと、昭和2年1月生まれにして届けたそうだ)
P39
日本最初の地下鉄、上野―浅草、2.2キロ
「人間がモグラになった」
P98
「のらくろ」の本名は、“野良犬黒吉”である、と。
「僕は、のら犬の黒つまり『のらくろ』というものであります」
P378
昭和16年頃の替え歌
どんどん どんがらりと どなり組
まわして頂戴 ヤミ物資
教えられたり 教えたり
同じく昭和16年10月30日、
浅草寿町の本法寺境内に「はなし塚」が建立される。山ほどある演目のなかから花柳ダネ(明烏、居残り佐平次、廓大学、子別れ、品川心中、付け馬、つるつる、六尺棒など35種)、妾ダネ(権助提灯、星野屋など4種)、間男ダネ(紙入れ、包丁など6種)、艶笑ダネ(疝気の虫、不動坊、宮戸川など7種)、残酷ダネ(後生鰻)の計53種の古典落語をすべてここに葬ったのである。
上からの命令にあらず、落語協会の自粛によるというのであるから、ちょっと首をかしげたくなる。花柳ダネこそが芸のみせどころと思うのであるが、それを高座にのせないことが聖戦遂行や大政翼賛のためになるというのであろうか。もう日本人みんなわけのわからないままに集団催眠にかかっていたというほかはない。
落書きパロディ
P435
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
↓
「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」
男が戦場にかり出されて、町は女子どもばかり、と。「贅沢は敵だ」→「贅沢は素敵だ」に匹敵するパロディだ)
P449
有名なフレーズ「撃ちてし止まん」が古事記からきている、と。
神武天皇の御製
「みつみつし 久米の子らが 垣下に 植ゑしはしかみ 口ひびく 吾は忘れじ 撃ちてし止まん」
P464(昭和18年)
「米機を撃つなら、英機を撃て!」などと大書きしたビラが、電信柱やガード下の壁に貼り付けられているのを見かけるようにもなった。この場合の「英機」とは東条英機首相のことであったのであろう。
P529(昭和20年の冗句)
「戦争はじまっていらい、
○増産されたもの=法律とお金、歌わぬ音楽とシラミ
○減産されたもの=物資、食料と親切心
○不明のもの=大和魂あるいは必勝の信念」
特攻隊員の残した川柳
P555
慌てし者小便したいままで征き
万歳がこの世の声の出しをさめ
父母恋し彼女恋しと雲に告げ
(川柳とは言え、一般の詩歌と同じで、胸にせまるものがある)
【感想】
正史からもれた巷の雑学ネタが満載。
約600ページの厚さ、読みごたえがあった。
ところで、「B面昭和史1926-1945」という事は、戦後史篇も出る、ってことか?
楽しみに待っている。
【ネット上の紹介】
国民はいかにして戦争になびいていったのか?政府や軍部の動きを中心に戦前日本を語り下ろした『昭和史1926‐1945』(=A面)と対をなす、国民の目線から綴った“もうひとつの昭和史”
[目次]
プロローグ 一週間しかなかった年―昭和元年
第1話 「大学は出たけれど」の時代―昭和二~四年
第2話 赤い夕陽の曠野・満洲―昭和五~七年
第3話 束の間の穏やかな日々―昭和八~十年
第4話 大いなる転回のとき―昭和十一年
第5話 軍歌と万歳と旗の波―昭和十二~十三年
第6話 「対米英蘭戦争を決意」したとき―昭和十四~十六年
第7話 「撃ちてし止まむ」の雄叫び―昭和十七~十八年
第8話 鬼畜米英と神がかり―昭和十九~二十年
エピローグ 天皇放送のあとに