いわた山
京都御所、「小御所」では、明治維新の際、将軍に対する処置を決めた。
禁門の変の激戦地、蛤御門
二条城・・・二の丸御殿大広間で重臣を集めて会議を聞き、翌々日、大政奉還が成立
来年はへび年
幕末維新ミュージアム霊山歴史館
土方歳三の刀
近藤勇の刀
龍馬を斬った刀
寺田屋
入浴していたお龍は、二階に駆け上がり龍馬に知らせた、と言われている
右写真は、寺田屋のお登勢さん
左写真が、お龍さん
お龍さんの入浴していた一階のお風呂
龍馬の部屋
刀痕跡
一階
御香宮神社・・・鳥羽伏見の戦いでは官軍の本営となった
鳥羽伏見の戦いでは、会津藩200余名が宿陣とした伏見御堂の前に「会津藩駐屯地跡」の碑が立てられた。
伏見奉行跡・・・幕軍が陣を敷き、御香宮神社の官軍と戦った
*JTB『詳細京都地図』を参考に歩いた。
【おまけ】
対岸が月桂冠大倉記念館
月桂冠大倉記念館で試飲
黄桜レストランで試飲
史跡巡りは、その後、池田屋跡、蛤御門=禁門の変跡も訪ねる予定だった。
しかし、黄桜と月桂冠により、断念した。
*寺田屋騒動については、『幕末史』P236~P240を参照されたい。
著者の半藤一利さんは、おりょうさんのエピソード=『素っ裸で龍馬に危急を知らせた』、に関して次のように2回も否定的見解を述べている。
『どうもインチキくさいですがね』P237
『ちょっと眉唾かなと・・・』P238
しかしながら私は、『幕末史の彩りでもある』ので、信じたい気持ちもある。
(たしか司馬遼太郎さんも、このシーンを描いていた、と記憶している。司馬さんも、彩りがほしかったのかもね)
【参考リンク】
幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」
寺田屋|【京都市公式】京都観光Navi
1年に2ヶ月しか開かない美術館、南蛮文化館。(5月と11月)
原城跡から見つかった天草四郎陣中旗(レプリカ)
日本初のヨーロッパ訪問団「天正遣欧少年使節」
二条城
細川忠興が作ったといわれる朝顔の釣鐘(細川家・九曜紋)
奥の壁にあるのは、和風「マリアとイエス」
「みんぱく」に行ってきた。
今年は、「みんぱく」創設50周年。
何度も行ってるけど、飽きない。
企画展は水俣病
開催日:2024年03月14日〜2024年06月18日
石牟礼道子さん「椿の海の記」生原稿
*なお9月から、新しい企画展が始まる。
「客家と日本――華僑華人がつむぐ、もうひとつの東アジア関係史」
開催期間:2024年09月05日〜2024年12月03日
*客家は歴史上有名人が多いので気になる企画展
【覚書】
山岳保険を更新した。3年で76,860円
自分の怪我はもちろん、人を怪我させた場合を想定している。
天王寺動物園に行ってきた。
水遊びするシロクマ
通天閣がすぐ近くに見える
大坂の陣跡
動物園と茶臼山のすぐ近くに統国寺がある。
写真右にある壁=『ベルリンの壁』。
以前から気になっていたので、見ることができて良かった。
動物園=楽
茶臼山=戦
統国寺=聖
なお、統国寺の中に『統国寺会館』があり、葬儀会場となっている。
下の写真は、統国寺を出たところ・・・ラブホ街。
楽、戦、聖、死、俗が、混然一体となっている。
そこに心を揺さぶられた。
神戸どうぶつ王国に行ってきた。
阪急京都線→阪急神戸線→ポートライナー、けっこう時間が掛かるのが難点。
7、8割が室内という全天候型動物園。
ただそのせいで、野外の開放感はない。一長一短だ。
人気の動物園だけあって、動物との距離が近くなるよう工夫されている。
レッサーパンダが生き生きとしていた
ナマケモノは1日20時間眠るとか・・・たまたまよく動いていた
カピバラも動いていた
(長崎のカピバラは寝ていて動かなかった)
ラクダでかい
この時期、トナカイはスターだ
(服を着るのを嫌がってた・・・仕事だから我慢してね)
プレーリードッグは立ち姿が良い
また、レッサーパンダ見に来た。
あちこちの動物園で見たけど、ここのがいちばん愛敬がある
スマトラトラと目が合った
右の穴から遠慮がちに覗いているモルモットがいい
シロクロゲリがうろうろしていた
1年に2ヶ月しか開かない美術館がある。
それが南蛮文化館。(5月と11月)
個人美術館としては、日本最高レベルかも。
南蛮美術中心に展示してある。
開館:令和5年5月1日~31日、令和5年11月1日~30日
開館時間 | 午前10時~午後4時 |
休館日 | 期間中の月曜日 |
入館料 | 一般:大人800円 大学生・高校生600円 団体(20名以上):大人700円 大学生・高校生500円 |
↑ 島原の乱の『天草四郎陣中旗』・・・原城で見つかった天草四郎の持ってい旗。
『天草キリシタン館』にもあると聞いたが、どちらがオリジナルなんだろう?『1995年に個人の所有者から寄贈』とあるので、元の所有者・北村芳郎氏の南蛮文化館から天草キリシタン館に寄贈されたのかもしれない。
以下、『みんな彗星を見ていた』P197
キリシタン大名、有馬晴信の支城がのちに廃城となったもので、乱を起こした民はここに三か月籠城し、近隣諸藩連合軍の総攻撃を受けて寛永15年(1683)年2月28日に殲滅させられた。
(原城跡は、いずれ訪問しようと思っている・・・普賢岳の近く)
遣欧使節のメンバー・・・帰国後、聚楽第で豊臣秀吉を前に音楽を奏でた。
それが『千々の悲しみ』(ジョスカン・デ・プレ"Mille Regretz"・・・秀吉は感激して3回アンコールしたとか。但し、異説もあり)
また、撮影禁止なので写真はないが、黄金の十字架が展示してある。
これは、遣欧使節の少年たちがローマ教皇から預かって持ち帰ったもの。
いったいどれくらいの価値があるのか、計り知れない。
あと、私が注目したのは、ガラシャの遺物である十字架。
①天草四郎陣中旗
②黄金の十字架
③ガラシャの十字架
以上、3点は私の個人的チェックポイント。
この洋鐘はオリジナルで、細川忠興が作ったものだそう。
左端に細川家・九曜紋の一部が見える。
しっかり吊り下げられていて、阪神大震災でも落ちなかったそうだ。
南蛮文化館は堅牢に作られていて、すべての展示物が倒れず、損傷なしだったそうだ。ちなみに建築業者は大林組、さすが。
なお、釣り鐘の奥に見える母子はマリアとイエス。
(淀君と秀頼ではない!)
この二条城で、家康が淀君&秀頼と対面した。
家康は秀頼に脅威を感じ、大坂の陣が起きることになる。
高山右近
見どころ満載なので、見に行ってみて。
今月を逃すと、次回は来年5月。
(受付の方が親切で、いろいろ説明して頂いた)
(今シーズン1番乗りが良かったのかも)
【参考図書】
「みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」