「みなそこ」中脇初枝
深い味わいのある作品。
かつてピアニストを目指し努力したが、なれなかった「私」。
お盆に、「私」は娘をつれて、東京から高知の小さな集落に帰省する。
その時の出来事、思いが丁寧に描かれる。
方言で会話が進み、その土地の風俗・風習も読んでいて興味深い。
出版社の紹介では、「恋愛小説」のように書かれているが、読んでみると、
それ以外の要素の魅力が強すぎて、カテゴリーから外れているのが分かる。
P90
同じ昔話を知っている二人。それは二人が、人生の始めのうちに同じ場所で同じ時間を過ごしてきた証だった。それはほんのちょっとの短い間のことなのだけれど、あとからどれほどの時間を重ねたとしても、その深さに及ばない。
P151
こどもが思っているより、いつでもこどもは守られていた。なんにも知らされないことによって、こどもは守られている。
こども時代は作られる。こどもでいてほしいと願う大人によって。知ってしまったら、こどもではなくなる。
そして、あたしはこどもを演じた。なんにも知らないふりをして。
おへんろさんについて
P189
「昔は、食べられんなった人が食べるために回りよったがやもん。へんどさんいうがは、家ものうて家族もおらんで、帰るところものうて回りよる人らあよね。今みたいにルートが決まっちょうわけやなかったし。死ぬまで回る人もようけおったわ。毎年春にうちに来よった人が来んなって、ああ、あの人も死んだがやなあ思うてね」
立ーって食べるはへんどの子
あたしはひかるをからかった歌を思いだした。そういう意味だったのだ。
PS
以前、「わたしをみつけて」を紹介したが、まさかこのような作品を書かれるとは思わなかった。
嬉しい驚きである。(「わたしをみつけて」中脇初枝)
今回の作品では、なんらかの賞をとってもおかしくない。
【ネット上の紹介】
あたしたちは繋がったまま、橋から飛びおりた。彼と触れあうことは、きっともう、二度とない―。考えもしなかった相手に心を奪われ、あの腕に、あたしはからめとられた。水のきらめき。くもの巣。お旋餓鬼の太鼓。夜のピアノ。台風の日のかくれんぼ。誰もかれもがしてきたこと。何万年もくりかえしてきたこと。読者の想像を裏切る衝撃恋愛小説!
今週は、本を読もう、と思っていた。
でも、とても天気が良かったので、気分が「お出かけモード」に。
そこで、ポンポン山に登ってきた。
雪を期待したが、さっぱり無かったのが残念。
陽気のせいか、山頂は登山者で賑わっていた。
山を歩くと、全身の血のめぐりが良くなる気分だ。
でも、次回こそは、自宅で読書にしよう。
・・・本がたまりすぎなので。
「逢沢りく」(上・下)ほしよりこ
りくは事情により、東京から関西に転校になる。
単に関西となっているが、言葉から京都、と分かる。
関西文化を嫌っているりくだが、いったいどうなるのか?
評判の作品である。
けっこう楽しめた。
P178
どうしてここの人達は物事の価値の決め方が
「おもしろい」か
「おもしろくない」なんだろう
P189
「私関西弁ってムリなの!
イライラするし!
友達とかありえないしっ」
「あんた、今言うた事、阪神電車の中で大声で言うてみ
こわいことがおこんで」
「そんな電車に乗らないしっ!」
PS
この絵は好き嫌いが分かれるでしょうね、私はちょっと苦手・・・かな。
雰囲気と味で読ませる作品、である。
【ネット上の紹介】
りくは中学生。おしゃれなパパと、カンペキなママ、「オーラがある」と友だちが憧れる、ちょっと特別な存在。美しい彼女は、蛇口をひねるように、嘘の涙をこぼすことができた。悲しみの意味もわからずに――『きょうの猫村さん』で老若男女の心を鷲掴みにしたほしよりこの、傑作長編コミック!
朝日新聞2014年12月13日より
「百人一首で好きな歌」という特集であった。
私は、18位の歌に注目した。
あひみての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり
権中納言淳忠(ごんちゅうなごんあつただ)の作品。
田辺聖子さんの「文車日記」に次のように書かれている。
P19
「あう」というのは、昔の語意では男女のあいだの直接的な恋愛行為を指します。
(中略)
私はこの歌の「あひみての」という語句に、複雑な皮肉のひびきを感じます。そして作者が男であるという点でも、大いに興味をもたないではいられません。
(中略)
男にとって、女は思いのほか物足りぬ人だったのかもしれませんし、また、いったん躰を交わしたあとは、心ざまが急速に浅くなってゆく、男の性のせいかもしれません。
女のほうは昔より恋心が募り、男の方は反対の意味で「昔は単純だった」と思う。一つの歌が、女性的解釈と男性的解釈と両方にとれるところが私には面白いのです。
さすが田辺聖子さん、深い読みをされている。
感心した。
2015.1.16朝日新聞朝刊にクライミング記事が掲載された。
・・・しかも、国際欄。
エル・キャピタンをフリーで登った、と。
そんなの、何年も前から登られてる、って。
素人の方が書かれたようで、かゆいところに手が届かない内容、的とツボを外した記事となっている。
詳細を雪山大好きっ娘。+から、リンクしておく。
→ トミー・コールドウェルとケビン・ジョージスンのペア、ヨ...
昨年の読書を振り返ってみた。
すべてを網羅できないので、一部をピックアップしただけ。
時間がないので、漏れている作品があるかもしれない。
それぞれジャンル別に印象に残った作品をまとめた。
【小説】
どの作品も印象深く、それぞれに味がある。
1冊に絞るのは、困難きわまりない。
「機龍警察未亡旅団」月村了衛
「シロガラス」(1)(2)(3)佐藤多佳子
「鬼はもとより」青山文平
「エヴリシング・フロウズ」津村記久子
「逢坂の六人」周防柳
「本屋さんのダイアナ」柚木麻子
「山女日記」湊かなえ
「八月の青い蝶」周防柳
「邂逅の森」熊谷達也
「よるのふくらみ」窪美澄
「ゆうじょこう」村田喜代子
「春を背負って」笹本稜平
「終わらない歌」宮下奈都
「よろこびの歌」宮下奈都
「小説・捨てていく話」松谷みよ子
「天の梯 みをつくし料理帖」田郁
「しのぶ梅 着物始末暦」(1)中島要
「春はそこまで 風待ち小路の人々」志川節子
「さわらびの譜」葉室麟
「山桜記」葉室麟
「美雪晴れ みをつくし料理帖」高田郁
【ノンフィクション&伝記部門】
「たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く」石村博子
「浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち」石井光太
「愛と暴力の戦後とその後」赤坂真理
「あの戦争は何だったのか 大人のための歴史教科書」保阪正康
「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子
「昭和二十年夏、子供たちが見た戦争」梯久美子
「誕生日を知らない女の子 虐待-その後の子どもたち」黒川祥子
「セラピスト Silence in Psychotherapy」最相葉月
「降ろされた日の丸 国民学校一年生の朝鮮日記」吉原勇
「秘密 パレスチナから桜の国へ母と私の28年」重信メイ
「失われた名前」マリーナ・チャップマン
「大山倍達正伝」小島一志/塚本佳子
【マンガ部門】
「3月のライオン」(10)羽海野チカ
「あれよ星屑」(1)山田参助
「健康で文化的な最低限度の生活」(1)柏木ハルコ
「五色の舟」津原泰水/近藤ようこ
「海街diary~四月になれば彼女は」(6)
「野田ともうします。」(6)柘植文
「いちえふ」(1)竜田一人
「瓜子姫の夜・シンデレラの朝」諸星大二郎
「中学性日記」シモダアサミ
【エッセイ部門】
「戸越銀座でつかまえて」星野博美
「迷子の自由」星野博美
「中野京子と読み解く名画の謎 陰謀の歴史篇」中野京子
「ポエムに万歳!」小田嶋隆
「シモネッタのドラゴン姥桜」田丸公美子
【対談・鼎談部門】
「死を想う われらも終には仏なり」石牟礼道子/伊藤比呂美
「先生!どうやって死んだらいいですか?」山折哲雄/伊藤比呂美
「毒婦たち 東電OLと木嶋佳苗のあいだ」上野千鶴子/信田さよ子/北原みのり
「昭和史 1926-1945」半藤一利
これぞ昭和史の決定版。
加藤先生の「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」もよかったが、
こちらの方が、多角的で臨場感あふれる。
さすが昭和史の語り部・半藤一利さんである。
文章も、とても読みやすい。
それもそのはず、4人の若者らを相手に「寺子屋」を開き、話したことを本にまとめたから。
全部で15回にわたる「授業」であった。
「昭和」という時代がが見事に再現される。
まさに「読むべし」という作品だ。
満州事変について
P81
この人たち(本庄繁・石原莞爾・三宅光治・板垣征四郎)は本来、大元帥命令なくして戦争をはじめた重罪人で、陸軍刑法に従えば死刑のはずなんです。
(中略)
昭和がダメになったのは、この瞬間だというのが、私の思いであります。
西安事件とは
P182
西安事件とは、中国のナショナリズムが一つになって誕生する、まさに対日抗戦を可能にする歴史の転換点だったのです。
しかし日本は、この情報が伝わってきたにも関わらず、中国が今や一つになろうとしていることをまったく理解していませんでした。
昭和12年、野上弥生子さん、年頭の新聞紙上での挨拶
P183
「(前略)どうか戦争だけはございませんように・・・・・・」
南京大虐殺について、著者は「あった」としている
P197-201
その根拠は・・・
旧日本軍の集まりである偕行社「南京戦史」
いわゆる不法な行為によって殺されたとすれば、三万強がその数ということになりましょうか。
(中略)
ただ、中国が言うように三十万人を殺したというのは、東京裁判でもそう言われたのですが、あり得ない話です。当時、南京の市民が疎開して三十万もいなかったし、軍隊もそんなにいるはずはないのですから。
(文化大革命の死者の方がはるかに多いかも・・・40万人から1000万人以上と諸説あるから・・・もちろん、数の問題ではないが)
ノモンハンについて
P239
作戦課長・服部卓四郎大佐「サイパンの戦闘でわが陸軍の装備の悪いことがほんとうによくわかった・・・(後略)」
何たることか、ノモンハンの時にすでにわかっていたではないか(後略)。
・・・学習能力のない陸軍だった。
三国同盟が結ばれた時の西園寺公望の言葉
P319
「これで日本は滅びるだろう。これでお前たちは畳の上で死ねないことになったよ。その覚悟を今からしておけよ」
著者・半藤一利さんの感想&結論
P498
それにしても何とアホな戦争をしたものか。この長い授業の最後には、この一語のみがあるというほかはないのです。ほかの結論はありません。
歴史からの教訓
P503
①国民的熱狂をつくってはいけない
②具体的な理性的な方法論を検討せねばならない(希望的観測に頼ってはいけない)
③日本型タコツボ社会における小集団主義の弊害・・・参謀本部と軍令部は小集団エリート主義の弊害そのもの
④ポツダム宣言の受諾が意志の表明でしかなく、終戦はきちんと降伏文書の調印をしなければ完璧なものにならないという国際的常識を、理解していなかった
⑤対症療法で、その場その場のごまかし的な方策で処理してしまった
南進について・・・
P529
根拠なき自己過信、驕慢な無知、底知れない無責任と評するのは容易です。けれども、よく考えると、いまの日本も同じようなことをやっているのじゃないかと、・・・(後略)
ノモンハンの教訓
P533
①失敗を率直に認めず、その失敗から何も教訓を学ばないという態度
②情報というものを軽視し、非常に「驕慢な無知」に支配されていた
③「底知れぬ無責任」勇猛敢闘させるようなものであれば、失敗しても責任が問われなかった
読んでいて、憤りと、何ともいえない虚脱感を交互に感じた。
つい、現在の日本と比べてしまう。
エリート主義の弊害、無責任、対症療法・・・。
東電上層部、政府関係者は、3.11まで、「原発は安全」と豪語していた。
少なくとも、一つは学んだ・・・「歴史は繰り返す」、と。
【ネット上の紹介】
授業形式の語り下ろしで「わかりやすい通史」として絶賛を博した「昭和史」シリーズ戦前・戦中篇。日本人はなぜ戦争を繰り返したのか―。すべての大事件の前には必ず小事件が起こるもの。国民的熱狂の危険、抽象的観念論への傾倒など、本書に記された5つの教訓は、現在もなお生きている。毎日出版文化賞特別賞受賞。講演録「ノモンハン事件から学ぶもの」を増補。
[目次]
昭和史の根底には“赤い夕陽の満州”があった―日露戦争に勝った意味
昭和は“陰謀”と“魔法の杖”で開幕した―張作霖爆殺と統帥権干犯
昭和がダメになったスタートの満州事変―関東軍の野望、満州国の建国
満州国は日本を“栄光ある孤立”に導いた―五・一五事件から国際連盟脱退まで
軍国主義への道はかく整備されていく―陸軍の派閥争い、天皇機関説
二・二六事件の眼目は「宮城占拠計画」にあった―大股で戦争体制へ
日中戦争・旗行列提灯行列の波は続いたが…―盧溝橋事件、南京事件
政府も軍部も強気一点張り、そしてノモンハン―軍縮脱退、国家総動員法
第二次大戦の勃発があらゆる問題を吹き飛ばした―米英との対立、ドイツへの接近
なぜ海軍は三国同盟をイエスと言ったか―ひた走る軍事国家への道
独ソの政略に振り回されるなか、南進論の大合唱―ドイツのソ連進攻
四つの御前会議、かくて戦争は決断された―太平洋戦争開戦前夜
栄光から悲惨へ、その逆転はあまりにも早かった―つかの間の「連勝」
大日本帝国にもはや勝機がなくなって…―ガダルカナル、インパール、サイパンの悲劇から特攻隊出撃へ
日本降伏を前に、駆け引きに狂奔する米国とソ連―ヤルタ会談、東京大空襲、沖縄本島決戦、そしてドイツ降伏
「堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ビ難キヲ忍ビ…」―ポツダム宣言受諾、終戦
三百十万の死者が語りかけてくれるものは?―昭和史二十年の教訓
ノモンハン事件から学ぶもの
【参考リンク】
「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子
半藤一利氏のコメント
「あの戦争は何だったのか 大人のための歴史教科書」保阪正康
「父が子に教える昭和史 あの戦争36のなぜ?」半藤一利ほか
「昭和二十年夏、子供たちが見た戦争」梯久美子
「よみがえる昭和天皇 御製で読み解く87年」辺見じゅん/保阪正康
「総員玉砕せよ」水木しげる
「降ろされた日の丸 国民学校一年生の朝鮮日記」吉原勇
「竹林はるか遠く 日本人少女ヨーコの戦争体験記」ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ
「たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く」石村博子
「広島第二県女二年西組」関千枝子
「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」辺見じゅん
「凍りの掌(て) シベリア抑留記」おざわゆき
第152回直木賞/芥川賞が発表された。
次のとおり。
2015年1月15日第152回直木賞の受賞作品が発表されました。
2015年1月15日第152回芥川賞の受賞作品が発表されました。
『サラバ!』(上・下) 西 加奈子
『九年前の祈り』(小野正嗣)
「水やりはいつも深夜だけど」窪美澄
窪美澄さんの新刊で、短編集。
窪美澄作品は全て読んでいる。
どれも素晴らしいが、今回も良かった。
新年早々ナンですが、今年のベスト3に入る内容、と思う。
短編集で、5編収録されている。
ちらめくポーチュラカ 初出:小説 野生時代 2013年7月号
サボテンの咆哮 2014年3月号
ゲンノショウコ 2013年12月号
砂のないテラリウム 2014年8月号
かそけきサンカヨウ 2014年12月号
同じ町に住む5つの家族が描かれている。
それぞれ同じ幼稚園に通っている子どもがいるという、ゆるいリンクが設定されている。
「家族」がテーマで、短編それぞれに植物の名前が冠されている。
幸せそうな家族、平凡に見える家族でも、悩みの種は尽きない。
ちょっとした行き違い、すれ違い・・・言葉にしにくい感情が見事に表現されている。
小説というのは、このレベルの心理描写が欲しいものだ。
微妙な心のひだが、丁寧に表現されている。
お薦めです。
【おまけ】
どの作品も、救いがある。
著者は、行き詰まった閉塞状況の家族に光を投げかけている。
だから、「雨のなまえ」と違って、読後感は良い。
渇いた心に水をもらった気分になる。
【参考リンク】
→『水やりはいつも深夜だけど』特設サイト
【他の窪美澄作品】
「晴天の迷いクジラ」窪美澄
「ふがいない僕は空を見た」窪美澄
「クラウドクラスターを愛する方法」窪美澄
「アニバーサリー」窪美澄
「雨のなまえ」窪美澄
「よるのふくらみ」窪美澄
【ネット上の紹介】
セレブママとしてブログを更新しながら、周囲の評価に怯える主婦。仕事が忙しく子育てに参加できず、妻や義理の両親からうとまれる夫。自分の娘の発達障害を疑い、自己嫌悪に陥る主婦。出産を経て変貌した妻に違和感を覚え、若い女に傾いてしまう男。父の再婚により突然やってきた義母に戸惑う、高一女子。同じ幼稚園に子どもを通わせる家々の、もがきながらも前を向いて生きる姿を描いた、魂ゆさぶる5つの物語。
ポンポン山に登ってきた。
雪上ハイクと言うほどでもないが、うっすらと雪化粧。
ほんの少し、雪山の雰囲気が味わえる。
本山寺を過ぎると登山道が始まる
ところどころ滑りやすい凍結がある
樹氷の雰囲気が味わえる
山頂は閑散としていた
「三人寄れば、物語のことを」上橋菜穂子/荻原規子/佐藤多佳子
お互いの「物語」についての鼎談。
「RDG」についての荻原規子さんの鼎談は「ユリイカ」2013.04で読んでいる。
今回、わざわざ買う必要ないかも、と思ったけど、
佐藤多佳子さんの「シロガラス」の鼎談も掲載されている。
この手の本は、一部ファンが買ったら重版せず、すぐ絶版になるし。(失礼!)
図書館に入荷しない可能性も高いし。
やはり、買っておくか、と。
P89
荻原 層のことを思いついたのは戸隠に行ったからですね。戸隠の歴史を調べると、最初は行者が寺を建てたけど、そこは地元のひとたちが土地神、つまり九頭龍大神を祀った場所で、それを封じ込めるためだったのね。それから、修験道の霊場としてすごく栄えた後に、戦国時代の戦乱で廃れて、神社だけが残ったという経緯がある。
P150
佐藤 この話(シロガラス)を考えだしたのはすごく前で、荻原さんがまだ「RDG」の原案を考えるよりも前に荻原さんと一緒に神社へ取材に行こうって言ったことがあったんだよね。
荻原 あったあった。そもそも、このお話を書こうと思ったときに最初に降ってきたものは何だったの?
佐藤 さっきも言ったように、最初はとにかく子どもが複数でてきて、やりたい放題にいろいろと動くというものだった。
荻原 そのときにはもう神社は降ってきていた?
佐藤 それに神社が合体したってわけ。
う~ん、そうだったのか。
重要な証言が多々ある。
マニアに受ける、貴重な鼎談、である。
【ネット上の紹介】
三人の物語の秘密が解き明かされる! ? 〈守り人〉シリーズ、『獣の奏者』、『西の善き魔女』、『RDG レッドデータガール』、『一瞬の風になれ』、『シロガラス』… 当代きっての物語の書き手でありまた読み手でもある3人の作家が、 お互いの作品を時にするどく時になごやかにあますところなく語り尽くす!
「父が子に教える昭和史 あの戦争36のなぜ?」半藤一利ほか
月刊文藝春秋2003.10月号、2004.1月号の記事を元にしている。
全体に右よりであるが、読むべき内容も多く参考になる。
著名人多数が寄稿されている。
満州について
P18
満州にいたツングースは、女真族と呼ばれ、17世紀に勃興して金国を建て、後に明朝が崩壊した時中国全土を支配下に置いた。これが清帝国で、つまり清は中国から見れば征服王朝ということになる。
辛亥革命で清朝が倒れた時、満州の帰属が問題になった。満州は漢民族の土地ではない。孫文は、清打倒に日本が手を貸してくれれば、満州を日本が領有するのを承認すると申し入れたことがあるくらいだ。
零戦の名前の由来
P102
昭和15年(紀元2600年)に正式採用された傑作は、その紀元号の末尾をとって「零戦」と命名される。
北方領土について
根室町長・安藤石典氏のGHQへの「陳情書」
P171-172
趣旨として、あの地域はペリー来航から2年目の1855年、伊豆・下田で日露通好条約を締結したときに、四島の外側に国境を引いて調印し互いに日本の領土として認めあったもので、日本の降伏後に攻撃、占領したのは不法だと明記してあった。
マッカーサー「御会見」の文献
P176-180
①「マッカーサー回想記」朝日新聞社
②「アチソン電」
③「侍従長の回想」藤田尚徳
④フェラーズ秘書から家族宛の手紙『昭和天皇二つの「独白録」』(東野真)に収録
巣鴨プリズンについて
P221-222
刑の執行は、絞首刑になった7人のA級戦犯を覗いて、驚くほど緩やかなものであった。
岸信介をはじめ19人の容疑者は不起訴処分で巣鴨プリズンから釈放され、残りのA級戦犯は巣鴨プリズンで刑に服することになった。
・・・昭和25年6月の朝鮮戦争以後は、自由に外出できたという。
・・・B、C級戦犯に至っては外に働きにでたり、会社づとめをしたりする者もいて、実質的に収容は意味をなさなくなる。
A級戦犯に限れば、昭和30年には荒木貞夫をはじめ多くの者が仮釈放となっている。そして昭和33年になって連合国はこれ以上の服役の必要なしとして、戦犯全員の釈放を日本政府に通告している。
【ネット上の紹介】
「日本はなぜ負ける戦争をしたの?」と子供に聞かれたら。あの戦争をめぐる問いに、日本を代表する知性がズバリ答える。満州事変から東京裁判まで、昭和史入門の決定版。
[目次]
第1部 戦前・戦中篇(昭和恐慌―なぜ起きたのか?
満州事変―日本の侵略なのか?
二・二六事件―昭和最大のクーデターか?
戦前暗黒史観―すべては暗かったのか? ほか)
第2部 戦後篇(無条件降伏―国体は護持されたのか?
引揚げ―満州からの帰途になにが?
シベリア抑留―六十万人抑留の真実は?
北方領土―無法者スターリンの暴挙は? ほか)
昨日、珍しく大阪に雪が積もった。
せっかくなので、近くの阿武山に登ってきた。
安威川の横の田んぼ
稜線アプローチ
山頂にて
吹田、大阪市内方面