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【ぼちぼちクライミング&読書】

-クライミング&読書覚書rapunzel別館-

「寿フォーエバー」山本幸久

2011年08月31日 20時00分07秒 | 読書(小説/日本)


「寿フォーエバー」山本幸久

山本幸久さん最新刊。
著者お得意の「お仕事小説」で楽しめる。
最後まで安心して読める、エンディングも分かっている、「水戸黄門」のような作品。
それでも読むのは、読んでいて楽しいから。
登場人物のキャラクターや、その成長をみまもりながら、業界の知識も得られる。

さて、本作は結婚式場が舞台。
そこで働く靖子、他人のラブラブ状態ばかり見続けて5年。
自然、コメントはシニカルになる。

P5
よもやお互い、運命の出逢いとか思っちゃいないよね。ちがうから。全然違うから。残りものがくっついただけだから。

肩の凝らないオフィス小説としてオススメ。
読んだからと言って、教養が身につくわけでもないし、人生の真理も見えてこないけど。
そういう読書があっても良いと思う。(私の読書は、そればっかり・・・スマン)
(難を言えば、『エンディング』、とってつけた感あり)
同じ著者の同系列作品・・・「ある日、アヒルバス」「カイシャデイズ」の方が完成度高い、と思う。

【おまけ】
お仕事小説、オフィス小説で印象に残っている作品を紹介する。
次のような感じでどうでしょう。


また、特殊な「お仕事」として、次のような感じ。


【ネット上の紹介】
結婚式場・寿樹殿で働く入社5年目の井倉靖子は、頼りにしていた大先輩が急に辞めてしまったため、超ビッグな結婚式をたった一人で担当することに。そんなある日、近所に強力なライバル店が出現!さらに、ラブラブだったはずのカップルには破局の危機が…!恋もシゴトもままならない崖っぷちの井倉靖子が、他人の“人生で一番幸せな日”のためにひた走る。


「SF魂」小松左京

2011年08月30日 23時37分58秒 | 読書(伝記/自伝/評伝)


「SF魂」小松左京

2011年7月26日、肺炎で亡くなられた、享年80歳。
ちょっと感じるところがあったので、自伝を読んでみた。
小松左京さんは、SF界のブルドーザーと言われた。
そのあだ名のとおり、自伝をを読むと、その超人的な活動に圧倒される。
かつて、広範な領域、旺盛な活動力を評して「荒俣宏と立花隆と宮崎駿を足して3で割らない」と言われた。まさにそのとおり、と思う。私の中では、小松左京さんこそ、『知の巨人』である。
では、いくつか文章を紹介する。

P25
僕は「本土決戦」「一億玉砕」という言葉に死を覚悟していた、あの絶望的な日々を忘れることができない。「地には平和を」はもちろんだが、『日本沈没』を書いたのも、「一億玉砕」を唱えるような本当に情けない時代の空気を体験していたからだ。玉砕だ決戦だと勇ましいことを言うなら、一度くらい国を失くしてみたらどうだ。だけど僕はどんなことがあっても、決して日本人を玉砕などさせない―そんな思いで書いていた。

P36
反戦運動や学生組織としての活動には熱中したけれども、共産主義そのものには全く興味が持てなくなっていた。途中から、アジテーターたちの言っていることは、戦争中の「お国のためにみんな死ね」というのと同じだと思った。天皇の代わりにマルクスを拝んでどうするんだ、と。ブルジョワはみんな悪、プロレタリアートはみんな善――そんな単純さはわかりやすいが、善と悪の中間にもいろいろある。共産主義が本当に人民を幸せにするか、非常に疑問を持った。

P42
『悲の器』は高橋の愚痴みたいなものだと思ったが、『邪宗門』(1966年)は小説としてよくまとまっている。架空世界の設定の仕方はSFにも近い。これは僕の『日本アパッチ族』(1964年)の方法を意識しているのは間違いない。「アパッチのやり方をパクったな」と言ったら、「ばれたか」と笑っていた。

P47(小松左京さんが湯川秀樹博士を訪問した時のこと)
「小松君、この歌は知っているか」と仰る。
「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして」
僕が「在原業平ですね」と答えると、「おっ、よく知っているね」と。当時すでに量子力学の観察者問題が言われ始めていたから、「観察者問題ですか」と尋ねたところ、先生も一気にうち解けてくれた。

P55(SFそのものが直木賞的な文壇から排除されていったことに絡んで)
そういえば、「地には平和を」で小松左京というペンネームを初めて使ったのだが、あの時「右京」にしようか「左京」にしようか迷った。ちょうど兄貴が姓名判断に凝っていて、「右京」なら名誉と金が手に入る、「左京」は新しいことができると言った。まあ、単に左がかった京大生だったから「左京」にしたのだが、「右京」にしていればもっと賞に縁があったかもしれない。

P130(「日本沈没」のタイトルについて)
僕は最初、「日本滅亡」と付けていたのだが、編集者が「沈没」にしてくれたのだ。このタイトルでなかったら、売れ方も全く違っただろう。

P132(「日本沈没」がベストセラーになって話題になったことについて)
右翼からも左翼からも文句を言ってきた。右翼は、「あれだけ大事なことを書いていて、天皇という言葉が一回しか出てこないのはどういうことだ」。左翼は、「自衛隊を英雄視していてけしからん」。左翼系の方がしつこかった。

P133
『日本沈没』は74年の日本推理作家協会賞も受賞し、日本SF大会のファン投票で選ばれる星雲賞の日本長編部門賞も受賞した。ちなみに、日本短編部門賞は筒井康隆さんの「日本以外全部沈没」。筒井さんは後に紫綬褒章をもらうわけだけど、それはこの時、日本以外を沈めたからじゃないかという説がある。やっぱり勲章は愛国者でないともらえないらしい。

P156
『首都消失』は幸い各方面で好評で、85年の第6回日本SF大賞を受賞した。あの時の日本SF作家クラブの会長は筒井さんで、挨拶では「私が小松さんを表彰するなんて悪夢を見ているようだ」なんて言っていた。

P173
僕は『鳥と人』(1992年)というエッセイで、文化史や経済学、生物学、動物生態学など、あらゆるアプローチから鳥と人間の関係について考えたことがある。その基本にあったのは、昔ヒマラヤで飛行機から見たシーンだ。
タイ発のスカンジナビア航空でオスロに向かう時、ヒマラヤ山脈を越えるルートを飛んだ。高度6千メートルぐらいを飛んでいる時に、ふと窓の外を見ると、鳥の群れがヒマラヤ山脈を越えている。あんなに寒くて空気も薄いのに、人間が飛行機で飛ぶ前に鳥は進化の果てにこんな困難な飛行までやり遂げていたのだ、と感動した。その時こう思った。しかし鳥は宇宙まで行かなかった。宇宙は人間がやるのだなと。(これって「ヒマラヤの鶴」の元ネタか?・・・「海街diary4 帰れないふたり」吉田秋生

P174
40年前、『未来の思想』のエピグラフに、僕はこう書いた。
「汝らは何ものか?いずこより来たりしか?いずこへ行くのか?」

P176
SFはよく荒唐無稽と言われる。しかし、文学とは元来が荒唐無稽なものだ。フィクションの語源はラテン語の「嘘」。そこにある素材を使って、面白い嘘をつくるのが文学だ。その王道は、合理主義や自然主義の芸術ではなくて、メルヘンやファンタジー、口承文芸も含めた古い古い伝統文学の中にある。『神曲』も『ファウスト』も『旧約聖書』もみんなそうだ。シュールあるいは非合理かもしれないが、人々に感動を与える。SFはそうした荒唐無稽で猛々しい伝統文学の後継者だ。

P178
SFとは文学の中の文学である。
そして、
SFとは希望である――と。

【おまけ】
ちなみに、私が好きな小松左京作品は・・・
①「日本アパッチ族」
②「エスパイ」
③「地には平和を」


【参考リンク】

小松左京ホームページ(小松左京研究会)

 株式会社イオ・小松左京事務所

ウィキペディア(小松左京)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E5%B7%A6%E4%BA%AC

【ネット上の紹介】
『復活の日』『果てしなき流れの果に』『継ぐのは誰か?』―三十一歳でデビューするや、矢継ぎ早に大作を発表し、『日本沈没』でベストセラー作家となった日本SF界の草分け的存在。高橋和巳と酒を酌み交わした文学青年が、SFに見た「大いなる可能性」とは何か。今なお輝きを失わない作品群は、どのような着想で生まれたのか。そして、意外に知られていない放送作家やルポライター、批評家としての顔―。日本にSFを根付かせた“巨匠”が語る、波瀾万丈のSF半生記。
[目次]第1章 作家「小松左京」のできるまで(『SFマガジン』との出会い;戦争がなければSF作家にはなっていない ほか);第2章 「SF界のブルドーザー」と呼ばれた頃(吉田健一氏の言葉が励みに;新妻に書いた『日本アパッチ族』 ほか);第3章 万博から『日本沈没』へ(大阪万博に巻き込まれる;未来学と『未来の思想』 ほか);第4章 『さよならジュピター』プロジェクト(『ゴルディアスの結び目』から「女シリーズ」まで;「日本を沈めた男」の日本論 ほか);終章 宇宙にとって知性とは何か(還暦と『虚無回廊』;阪神大震災の衝撃;宇宙にとって生命とは何か、知性とは何か;SFこそ文学の中の文学である)


納涼ボルダーまつり

2011年08月29日 19時08分49秒 | ジム練習

先週木曜日、ナカガイ摂津店で、納涼ボルダーまつり(ボルダーセッション)が開催された。急に「参加してみようかな」、と思いたった。
結果、登れた課題は次のとおり。(前半15課題、後半15課題、全部で30課題)
前半・・・1,2,5,6,9,10・・・以上、6本
後半・・・16,17,18,21,24・・・以上、5本
合計=11本(3分の1しか登れなかった)

さて、日曜日にポンポン山に登ったあと、ナカガイジムに移動した。
再度、先日のセッション課題をトライしたくなったから。
条件は本番と同じ。即ち、前半赤テープ1時間トライ、15分休憩、そして後半黒テープ1時間トライ、である。(17:30から初めて19:45に終了、前回登れた課題も、再度トライした)
前回と比較して、ムーブが分かっているので、どれも少ない回数で登れた。
(実を言うと、2番はムーブを教えてもらって少し楽になった・・・感謝)
前回登れず、今回登れたのは、4番、23番。(これで2本増えて登れた合計13本となった)
でも、もっとがんばったら、さらに登れるかというと・・・「NO」、である。(これ以上、登れる気がしない)

登れなかった課題の感想は次のとおり。
前半で特に難しいのは・・・3,11,12,15
比較的マシそうなのは・・・7,8,13,14・・・かな?(でも、登れない)
後半は体力的にも弱っているので、どれも難しく感じる。
特に、22,25~30はムリそう。(19,20は比較的マシかも?・・・でも、登れない)

私が登れたルートを【設定者別】に別けて見ると、次のとおり。(意外と、特定の方に偏っていない)
山田君設定・・・4、10、21、24・・・合計4本
正田君設定・・・5、9、18、23・・・合計4本   
中貝君設定・・・1、2、6、16、17・・・合計5本
設定作業は、正田君、山田君が作って、中貝君が全体のバランスがとれるよう、
ムーブが偏らないよう調整して、グレードもうめた、と聞いている。
以上、これが先日のボルダー・セッションの感想&コメントである。

3ヶ月前から右肘が痛くて、弱っていたが、最近「激痛」→「鈍痛」に変わってきた。
なんとか、ボルダー練習も再開できそう。
それを試す意味でも、今回の参加を思いたった。
「調子悪いから、あまり登れなかった」と言い訳しているのではない。
もし絶好調でも、これ以上登れなかった、と思う。
ボルダーと言うのは、はったりが効かない。
登れるか、登れないか、実力が如実に顕れる。
残念ながら、これが私の実力なのだ。

登山やルートは、ごまかしが利く・・・つまり、実力より上手くみせることができる。
(山岳会でも、いわゆる、「口で登る」という先輩がいたりする)
ルートは、何度もトライしてるうちに、体が順応して何となく登れたりするし、
ムーブを発見したり、教えてもらったり、レスト技術やクリップ技術でカバーできたりする。
天候や気温、その時の『気合い』、応援なんかでも変化する。(複雑で様々な要因が絡む)
でも、ボルダーは、シンプルでごまかしが利かない、正味である。
時たま、しつこくトライすると、登れなかったのが登れる時もあるが、その確率1割もない。
それよりも、9割以上の確率で、身体を壊してしまうだろう。
だから、ボルダー練習は慎重にしなければならない。(特に高齢者!)

だったら最初から、ボルダー練習せずに長モノ練習ばかりしたらええやんけ!と言われるかもしれない。
でも、グレードを上げようとすると、ボルダー練習が必要。
核心を80%くらいの力で登るのと、100%使い切るのとでは、全く違ってくる。。
核心で100%だすと、その後ガバがきても、回復しない。
終了点直下の簡単なムーブでも「ポテッ」と落ちてしまう。
だから、ボルダー練習が必要、と感じる。

PS
ボルダーは才能、センス、年齢が物を言う、と思う。
若い時からボルダーをすると、瞬発力が全く違ってくる。
歳をとってボルダーが上手いのは、よっぽど才能がある方、と思う。

PS2
その後、8番、20番が登れた。日が変われば、気分も変わり、トライも変わる・・・のかな?(たまたま)


夏ポンポン山▲679m

2011年08月28日 22時07分58秒 | 登山&アウトドア(関西)

ポンポン山に登ってきた。
それにしても、暑かった。(汗びっしょり)

いつもより閑散とした山頂・・・私は設置されている椅子と机で昼食をとった。

なんだか元気のない蝉。

本山寺の水は冷たくて気持ちいい。

11:45頃、一番下の駐車場出発。
13:30頃、山頂到着、昼食を兼ねて15分ほど休憩
15:45頃、無事下山

さて、このあと、ナカガイジムへ移動。(つづく)


「山と渓谷」2010年12月号

2011年08月27日 23時06分15秒 | 読書(山関係)


時たま、過去の「山と渓谷」を図書館で借りて読んでいる。
これは、2010年12月号である。
P176に気になる記事が掲載されているので紹介する。
柏澄子さんによるレポート「クマ襲撃による外傷」、である。

クマの襲撃による1年間の外傷例
1980年代・・・10人
1990年代・・・20人
2000年代・・・50人
外傷の内容をみると、人間の顔や頭部をめがけて攻撃する例がほとんどある(最初に腕や肩を押して倒したあと、顔を咬む例も多い)、とある。

具体的な事例として、山岳写真家・早川輝雄さんと登山家・山野井泰史さんの事故をとりあげている。
以下、いずれも柏澄子さんの文章である。

【早川輝雄さんの事例】大尽山(青森県)
2009年5月16日午後1時ごろ、林道の終点まであと600mほどの地点で、クマに遭遇した。
クマは数十メートル先から早川さんに向かって登山道を突進してきた。早川さんは登山道脇のヤブの中に逃げたが、クマは顔をめがけて飛びかかってきた。最初は左側に避けてなんとかかわしたが、次の瞬間、振り向いたクマは再び顔をめがけて攻撃してきた。左手で顔をかくしたところ、左腕を咬まれた。その後もみあいになり、右腕、さらには頭部と顔も咬まれ、引っかかれた。衝撃で入れ歯がガシャッと壊れる音がした。(中略)クマは顔を咬んだあと、ヤブの奥へ走り去っていった。


【山野井泰史さんの事例】倉戸山(東京都)
2008年9月17日朝7時ごろ、、登山家の山野井泰史さんは、自宅裏にある倉戸山方面にひとりでジョギングに出かけた。(中略)
クマに遭遇した地点は小石がゴロゴロしていたので、山野井さんは足元を見ながら走っていた。スピードはそれなりにあったはずである。ちょっと顔を上げると、子連れのクマが自分に向かってきているところだった。母グマの後ろを走る子グマを見て「かわいい」と思ったのもつかの間、母グマが目をむいて「グォー」とうなりながら突進してくる様に、事態の深刻さを知った。
母グマは右手の上腕に咬みついたまま、首を激しく左右に振って山野井さんを倒し、体にのしかかった。顔の真ん中あたりに咬みついた。なんとか逃れようとした山野井さんは、クマを蹴飛ばし、肘鉄を食らわしたが、クマは顔に咬みついたままいっこうに離れない。あんまり強く蹴飛ばすと顔がもぎ取られそうなほどだった。
どれぐらい時間がたったか記憶は定かではないが、おそらく1分ほど格闘したのち、クマが一瞬ひるんだ隙に腹を蹴り、クマから逃れることができた。山野井さんは瞬時に起き上がり、一目散に逃げた。クマは吠えながら100メートルぐらいは追ってきたという。(中略)


山野井さんの話で印象深かったのは、「顔が変形すること」と「トラウマ」についてだ。
「外見にこだわりはないと思う私ですら、自分の顔が以前と違うことを意識した」。見栄えという問題ではなくとも、見目形は重要であり、顔はその人自身を表すものなのだから、精神的ダメージは無理からぬことだろう。(中略)
山野井さんは、これまでいくつもの大事故に遭遇したが、いずれも乗り越えてきた。しかし、クマは違う。(中略)
山野井さんは「この恐怖心は今後も消えそうにない。滑落などの事故は自分で対処していける範囲だけど、クマは違う。生き物は大好きだが、クマの恐怖心は克服できない」と語った。


以上、よかったら図書館で借りて読んでみて。
写真が掲載されていて、非常に生々しく、恐怖がストレートに伝わってくる。
頭部レントゲン写真も載っていて、骨が粉砕されている。

【関連リンク】
熊の生息地なのに無関心すぎる宮崎学さんブログ
「羆嵐」吉村昭


「PIL」ヤマザキマリ

2011年08月26日 23時28分28秒 | 読書(マンガ/アニメ)


「PIL」ヤマザキマリ

内容を見ずに購入したので、『PIL』とは何のことか、分からなかった。
まさか、あの『PIL』の事だったのか!
(ヤマザキマリさんとPILのイメージが結びつかなかった)

ジョン・ライドンと言われてもピンとこない。
ジョニー・ロットン、と言ってくれたらすぐ分かる。(rotten=腐った、不潔な、ぼろぼろの、堕落した等の意)
セックス・ピストルズのボーカルで、学生時代よく聴いたし、レコードも持っている。
(ちにみに、ヘロイン中毒の為、21歳で亡くなったシド・ヴィシャスは、ピストルズのベーシスト)

彼がピストルズ脱退後結成したのが、パブリック・イメージ・リミッティッド(PIL)である。
セックス・ピストルズというグループ名から猥褻なイメージを持つかもしれないが、歌詞の内容は政治的である。
イギリス政府、王室、女王を揶揄、批判して右翼に襲われ、右手を貫通するような怪我をし、ギターを弾けなくなったと言う。

以上、ジョニー・ロットンやPILの話はこれくらいにしておく。
さて、本作は高校時代のヤマザキマリさんがモデルになっている。
あとがきを読むと・・・

ある日、自分で作ったギャルソン風ボロルックに身を包み、前髪ボサボサの刈り上げ頭で調子に乗って深夜の街を歩いていたところ、なんと補導員に捕まってしまいました。すんなり迎えに来た母は「うちはいいんです、認めてましたから」とあっさり私を連れて帰ったのですが、その頃から「そんなに日本が窮屈なら早くどこへでも行きなさい」と言う様な事を口にするようになっていたのを記憶しています。

結局、高校2年で中退、単身イタリアに移り住み、その後世界各地を放浪、現在に至っている。(今はシカゴ在住)

【ネット上の紹介】
時は1983年。ミッション系お嬢様学校に通うパンクな女子高生・七海と英国帰りの爺ちゃん・徳四郎が巻き起こすラジカルライフ・コメディー!! あぁ、この愛すべき無意識過剰な人々をご堪能あれ!!


「日本共産党VS.部落解放同盟」筆坂秀世/宮崎学

2011年08月24日 22時53分17秒 | 読書(対談/鼎談)


「日本共産党VS.解放同盟」筆坂秀世/宮崎学

学生時代から不思議に思っていた。
共産党と解放同盟は、なぜ仲が悪いのか?
この疑問に答える本は意外と少ない。(単に、左翼どうしだから、では芸がない)
昨年秋にこの本が出版された時、チェックしていた。
図書館に入るかな、と思って待っていたが、結局入荷しなかった。(何らかの理由で除外されたのでしょう)

では、さっそく文章を紹介する。
なぜ対立するようになったか?おもいっきり(はしょって)超簡単に説明すると・・・
P7
直接のきっかけは、この年(1965年)の8月にだされた同和対策審議会の答申をめぐる評価だった。(中略)
ようするに、高度経済成長にもとり残されていた被差別民が、政府の同和対策を利用して、生活の改善・向上をつうじて差別を打破しようとしたのにたいして、それは独占資本に丸めこまれるものだ、だまされるな、と共産党が反対したという構図である。(中略)
1974年(昭和49年)9月から11月にかけて、兵庫県の八鹿・朝来(ようか・あさご)を舞台に同和教育をめぐる対立が激化し、八鹿高校では、解放同盟員1000人あまりが暴力をまじえて教職員を糾弾する事態に発展し、対決は決定的なものとなっていった。(中略)
こうして、共産党は解放同盟を「利権暴力集団」ときめつけ、解放同盟は共産党を「宮本差別者集団」と規定するという修復不能の敵対関係におちいっていったのである。


以上、これで終了してもよいのだけど、本書ではここからさらに、歴史を振り返りながら、詳細な検討をしていく。(ホンネ・トーク全開)

P34
封建制確立の課程で、支配権力によって民衆にたいする分断支配のために差別が政治的につくりだされた、と。
1980年代半ばまでは、この近世政治起源説が定説として信奉されていたから、差別は権力支配の道具であるということが自明のこととされていたのである、と。(私は主に70年代を学生時代としておくったので、学校でそう習ったように記憶している・・・byたきやん)
だが、近年、差別を中世までさかのぼって考えるべきだというとらえかた、さらにはケガレ観念や不浄観念などの民衆意識に起源を求めていこうとするとらえかたがあらわれてきた。全体としては、差別には民衆意識の層と政治支配の層との両方があり、その両方をとらえつつ、その関連を考えていくことが必要になっている、といえよう。

問題と言えば、『地名総鑑』が有名だけど、P40-42で、触れられている。
宮崎「(前略)それを買って就職差別に使う、使わないという話になるが、被差別の子弟を排除して何か利益になることはあるのか。独占資本側のメリットは、なにもなかったじゃないのか」
筆坂「ぼくもそう思う」
宮崎「とくにメリットはないと思うんです。運動の到達段階で、たまたま1975年は、反独占と反差別が、連動した闘争のテーマとして、割合と入りやすい全般的な状況があり、この問題を利用したんだと思いますよ。じつはよく考えてみると、あんな本をあんな高い値段で買わされたほうがたまらんでしょう。5万円という値段で押し売りされていたというのが実態だったんじゃないんですか」


P44
そして、筆坂さんのいう「無理筋の話」の起源には、民衆はいつも正しくて、悪いことが起こるのは権力のせいだという、戦前共産党以来の左翼共通の神話があったんだと思うんですよ。民衆はもともと差別なんかしないのに、権力が人民を分断するために差別をもちこんだという話になるわけで、そこから、権力と闘って政治を変えれば差別はなくなるかのような方針がでてくる。

P65
権力のありかたと差別の問題とは、まったく別問題ということです。じっさい、左派が権力を奪取したところのほうがむしろ差別の解決から遠ざかっている。ロシアもそうだし、北朝鮮もそうだし、中国もそうでしょう。権力をだれがとるかということと、差別の問題はあまり関係のないことなんだということです。そして、その権力の性格がどういうものであれ、権力性が強い権力、独裁制が強い権力ほど、差別的になるんじゃないか、という気がする。

P92
1970年(昭和45)末には、住井すゑ原作・今井正監督の映画『橋のない川』第二部が差別を助長する映画だとする解放同盟の指摘から、各地で上映阻止闘争がとり組まれ、この映画を支持する共産党系の労働組合員、学生などとの衝突が起こった。

P151
たとえば、1928年(昭和3)の時点では外との通婚率が3%でした。いまは80%を超えています。結婚差別の解決が1番解消につながるわけですから、そういう意味では、すごく運動の成果がでている。もちろん、一般地区出身側の親元・親戚から絶縁された例も多いことを知っておくことは重要です。また、このことと関連して、進学率にしてもその裏にある中退率との関係を考慮に入れない議論は皮相である、ということは断っておかなければならないことですけど・・・・。

ここから、少し駆け足になる。(ひとつひとつ紹介すると、膨大な文章量になるので)
P175
幕末、長州藩のとった政策「屠勇取立」の話は興味深い。

P180
解放令に対する反対一揆の話も興味深い。

P190-191
コンプライアンスが国を滅ぼす・・・これも興味深い。

P201
麻生太郎の野中広務氏にたいする差別発言・・・読んでみて。

P205
1950年代、60年代には「非行は同和教育の宝だ」といっていた。
1970年代に入ってからは、「非行は差別に負けた姿だ」といわれるようになった。

P209
大衆団体が割り込めなかった分野では、利権は官僚や政治家のやりたい放題だったってことですよ。そのとき、問題は、ややこしい問題だし、それを解放同盟のほうが全部仕切ってくれるわけだから、官僚のほうからしたって、非常に好都合な存在だったわけでしょう。そういう点では、利権が解放同盟に浸透する必然性があったんだと思いますよ。

P227
90年代以降、共産党の現状について・・・
やがて、党員・活動家の平均年齢がどんどんあがっていき、また女性(なかでも主婦)の比重が高くなっていく。その女性党員・活動家のなかからやがてヤマギシ会とエホバの証人に流れていく人たちが相当数出てくるようになったという。(中略)
また、議会主義党になっていくにつれ、専従以外の党組織のリーダーが「地方議員」「弁護士」「医師」「教員」などインテリ専門職、亜インテリ中間層にシフトしていった。そこから、党組織がプチブルジョア化し、「人並み」意識・「ねたみ」意識が温存、培養されていったと考えられる。この面においても、共産党活動家と支持層の意識のありかたが変化していった。


【ネット上の紹介】
共産党とは、ともに近代日本の汚辱のなかから生まれ出た栄光の結社であった。それがなぜ、どうしようもない敵対関係に陥ってしまったのか。同和対策は毒まんじゅうか?糾弾イコール暴力か?利権とはなにか?共産党と解放同盟の蜜月がひび割れ、暴力的対決に至った真相をめぐってかわされる両氏の議論は、日本の社会運動のあり方をめぐる本質論となる。

[目次]
第1章 蜜月の時代に生まれていた対立の萌芽;
第2章 同和対策は毒まんじゅうか―解放同盟内での対立;
第3章 矢田事件、八鹿事件―同盟と党の暴力的対立;
第4章 全面的な路線対立・組織対立へ;
第5章 解消論と利権問題;
補論 日本共産党と解放同盟対立の歴史的・社会的背景

筆坂 秀世 (フデサカ ヒデヨ)  
1948年兵庫県生まれ。元共産党常任幹部会委員。高校卒業後18歳で日本共産党へ入党。95年参議院議員初当選。党ナンバー4の政策委員長、書記局長代行をつとめる。2003年に参議院議員を辞職。2005年離党
宮崎 学 (ミヤザキ マナブ)  
1945年京都生まれ。父は伏見のヤクザ寺村組組長。早稲田大学中退。早大在学中は共産党系ゲバルト部隊隊長として活躍。週刊誌記者、家業の土建業を経て、96年に自身の半


2011近畿ブロック大会リザルト

2011年08月23日 21時53分46秒 | クライミング(コンペ、国体)

2011年8/20-8/21、国体出場の為のクライミング近畿ブロック大会が開催された。
結果が気になる。
次のリンクを参考にして。

兵庫県山岳連盟サイト
2011/08/22 第66回国体 近畿ブロック大会成績表をUPしました。

gravity researchブログ
近畿ブロック大会速報!

noriさんブログ
http://noriclimb.exblog.jp/16153532/

才能のある方が、さらに練習を重ねて試合に臨んでいる。
試合会場、熱気に包まれていたことでしょう。
(私は陰ながら応援してました)

結果を見ると、大阪は少年女子にエントリーしてませんね。
あと数年したら、次世代を担う子が出てくるかも、と期待している。
(けっこう小学生クライマーが増えてきた、と感じるから)
でも、このままどんどん子ども増加したら嬉しいか、と言われると・・・微妙かな。
1人、2人ならいいけど、あまり多いとしんどい。
(子ども嫌いじゃないけど、好きでもない・・・今後さらに増えて大勢になった場合、時間帯を別けてもらったら嬉しいかな)

PS
久しぶりにクライミング・ネタ。
クライミング・ブログなのに、これでいいのか、とお叱りを受けそう。
こんなブログだと思って、ガマンして下さい。(スマン)


「パパは今日、運動会」山本幸久

2011年08月22日 21時33分13秒 | 読書(小説/日本)


「パパは今日、運動会」山本幸久

山本幸久さん新刊。
久しぶりに山本幸久作品を読んだ。(ブログ内検索で調べたら1年ぶり)
どうしたんだろう、と心配していたところ。
E-honで検索をかけると、8月と9月に新刊発売予定。
たまっていた作品が一気に出るようだ。(よかった、嬉しい)

さて、山本幸久さんと言えば、ユーモア小説。
日本では、このジャンルの書き手は少ない。
ミステリなんかと比べると弱小ジャンルで、作家も読者も少ない?
ファンタジーにも負けるかも・・・日本では一般ウケしないんだろうか?
多分、書くのが難しいんでしょうね。

本作品の内容だけど、タイトルどおり。
ある文房具メーカーが社内運動会を開く。
その1日を、群像劇風に描いている。
様々な登場人物たちを描き分けている。
さらに、それを絡み合わせ、絶妙な作品となっている。

山本幸久さんは、オフィス小説、お仕事小説も得意とする。
だから、会社を舞台にしたユーモア小説は得意技でしょう。
いくつか文章を紹介する。

P203
わからない。なぜあたしはあの男とつきあっていたのかしら。
はじめは同情だった。それが愛情に変わり、やがて軽蔑となった。そして憎悪になる前に別れた。


運動会で借り物競走が始まる。
その指示用紙には『不倫相手』、と書いてあった!
何を思ったのか、かつての不倫相手を追いかける社員。

P218
「絢花っ、ぼくにはきみが必要なんだっ」(中略)
なに言ってるの?わけわかんない。あなたとの関係はとうの昔におわっているわ。
「ふたりで人生をやりなおそう」
人生はやりなおしたい。
だけどあなたとだけは御免よ。


【ネット上の紹介】
嘘っぽく晴れ渡った青空の下、来年五十周年を迎えるカキツバタ文具の史上初の社内運動会が開かれた。ごますり男も泣き虫も、不倫男もアイドルも、強面もお調子者も、みんないつもとちょっと違う。いや、ちょっとどころか、え?こんな人だった?いろんな笑いがぎっしり詰まった会社小説の真骨頂。


「レインツリーの国」有川浩

2011年08月19日 20時59分00秒 | 読書(小説/日本)


「レインツリーの国」有川浩

図書館シリーズ2巻目「図書館内乱」で、テーマに関わる作中作品が「レインツリーの国」。
架空の作品だったけど、著者自ら作品化したのが、この作品。
著者の甘いだけじゃない、シビアな面を知ることが出来る。

P144
狭い歩道を歩いているときのことだった。(中略)
耳が悪いためにどうしても歩調が遅くなりがちなひとみを、男がわざとらしく横へ突き飛ばしたのだ。
モタモタすんなと吐き捨てた男に、程度の合った隣の女も「やだぁ、イジワル-」などと聞こえよがしにケラケラ笑って通り過ぎようとした。(中略)
「ちょっと待てやお前ら!」
(中略・・・・ここで一悶着おきる)
「だから私、ああいう人はもう同じ人間だと思わないんです。同じ形をしているだけの別の生き物。だから理解したり気遣いあったりもできないの。あれは、私にとっては人間じゃないの、もう」

このシーンに絡んで、さらに別な作中人物ミサコがひとみを分析する。
P160
「何かね-、わざと空気読まない人が多い感じがする。普通なら流すところ、わざわざ突っかかってわざと喧嘩になるようなことするのよ。ミサコも『こないだあたしのツレがねー』って言ったら、『ツレって相手を見下した言葉だよね、そういう言葉遣いの女性って下品でどうかと思う』とか言われたの。チョー余計なお世話でしょ?別に見下してないし、こっちはフツーに遣ってる言葉だし。でもね、それって試してるんだって。そんなイヤミな言い方してもその人が自分のこと嫌いにならないかどうか。(後略)
さらに、ミサコは「甘えてるんだと思うけど、甘え方すごくヘタだよね、彼女」、と。

さて、タイトルにつても説明されている。
(「レインツリーの国」とは、ひとみのブログのタイトル、である)
P219
レインツリーはアメリカネムノキの別名で、ひとみ的にはレインツリー=ネムノキ。
そして、ネムノキの花言葉は「歓喜」、「胸のときめき」。


【ネット上の紹介】
きっかけは「忘れられない本」。そこから始まったメールの交換。共通の趣味を持つ二人が接近するのに、それほど時間はかからなかった。まして、ネット内時間は流れが速い。僕は、あっという間に、どうしても彼女に会いたいと思うようになっていた。だが、彼女はどうしても会えないと言う。かたくなに会うのを拒む彼女には、そう主張せざるを得ない、ある理由があった―。


「別冊図書館戦争」(1)有川 浩

2011年08月18日 22時46分20秒 | 読書(小説/日本)


「別冊図書館戦争」(1)有川 浩

このシリーズは全部で6冊ある。
本編4冊+別冊2冊、である。
次のとおり。

『図書館戦争』
『図書館内乱』
『図書館危機』
『図書館革命』
『別冊 図書館戦争I』
『別冊 図書館戦争II』

ハードカバーで買うと、「おまけ」の短編が付いてこない。
だから、もしこれから読もうと思う方は、文庫本で読んだ方が良い。

さて、本編のような雰囲気を期待して読んだら、かなり違った。
えらく甘い、甘味濃度が高い。
オビの文句を読むと・・・『ベタ甘モード全開の、大人気シリーズ番外編第1弾』、とある。
さらに、 『恋愛成分が苦手な方は、十分に体調を整えてお読み下さい』、と。
・・・どうりで、しんどかったはずだ。
読んでいて、行き詰まって、何度も休憩をいれた。
「本編だけ読んで、止めておけばよかった」、と後悔したほど。

でも、フト思った。
これだけ甘い内容を書けると言うことは、そうとう辛い内容も書けるはず。
人生表裏一体、である。
だから、有川浩さんが、桐野夏生さんクラスのエグい話を書いてもおかしくない、と思う。
単に、針が甘い方に傾いているに過ぎない。
相当シビアな話を書けるはず、と読んでいて思った。
実際、シリーズ本編では、女性同士の陰湿な「いびり」がリアルに描写された。

PS
別冊は、第2弾が残っている。
最後の1冊を読むかどうか、検討中。

【ネット上の紹介】
晴れて彼氏彼女の関係となった堂上と郁。しかし、その不器用さと経験値の低さが邪魔をして、キスから先になかなか進めない。あぁ、純粋培養純情乙女・茨城県産26歳、図書隊員笠原郁の迷える恋はどこへ行く―!?恋する男女のもどかしい距離感、そして、次々と勃発する、複雑な事情を秘めた事件の数々。「図書館革命」後の図書隊の日常を、爽やかに、あまーく描く、恋愛成分全開のシリーズ番外編第1弾。本日も、ベタ甘警報発令中。


「地球恋愛」(1)ヤマザキマリ

2011年08月17日 22時28分48秒 | 読書(マンガ/アニメ)


「地球恋愛」(1)ヤマザキマリ

昨年2010年8月、梓崎優さんの「叫びと祈り」を紹介した。
世界各地を舞台に、謎の事件が起こる、というミステリ集。
このヤマザキマリさん最新作は、恋愛版「叫びと祈り」、である。

世界各地を舞台に、熟年男女の恋模様が描かれる。
それにしても、ヤマザキマリさんほど、このような作品を描くにふさわしい方はいない。
実際、世界中を放浪、あるいは定住しながら、生きてこられた方だから。
(他の作家、描こうと思っても、描けないでしょう)
その地域の生活がリアルに表現され、結果として登場人物も生き生きと描写される。
普遍的な人情や心理描写を味わいながら、異国情緒も楽しめる趣向になっている。

PS
ところで、(1)巻というからには、シリーズなんでしょうね。
楽しみが増えた、と喜んでいる。


「海街diary4 帰れないふたり」吉田秋生

2011年08月16日 22時36分28秒 | 読書(マンガ/アニメ)


「海街diary4 帰れないふたり」吉田秋生

シリーズ最新刊、4作目。
出版されて、すぐ読んだんだけど、アップするのが遅れた。
以下、ネタバレありなので、ご注意。

前作では、過去を振り返ったり、現状に行き詰まったりで、それが緊迫感を演出していた。
本作では、登場人物たちが前を見て歩き出した、あるいは一歩を踏み出した。
すずは、風太と大仏を見に行ったし、
幸は、不倫に区切りをつけ、ヤスと食事をしたり、
佳乃は、職場の上司・坂下さんと飲みに行って、お互いのハンドルネーム「えべす」さんと「弁天」さんであることが判明、「え~」となったし。(こんな早くバレる、とは思わなかった・・・もっと引っ張るかと思っていた)
それぞれに、新しい展開があった。

さて、本作では4つの作品が収録されている。
「帰れないふたり」
「ヒマラヤの鶴」
「聖夜に星降る」
「おいしいごはん」
・・・私が特に印象に残ったのは「ヒマラヤの鶴」。
店長が自分の撮った写真を、裕也に説明しているシーン。

「岩の横に白く光る点々が見えない?」
「え?あれが鳥!?」
(中略)
「だってすごいと思わないか?
鳥がヒマラヤ山脈のさらに上空を飛んでいくなんて」

(中略)
「アネハズルって種類でね、秋になるとチベット高原からヒマラヤを越えてインドへ渡っていく 経験豊かなやつがトップを交代しながら仲間どうし助けあって8千メートル級の山を越えていくんだ」

それにしても、レベルが高い。
キャラクターの造形、その絡み合いの見事さ、さりげない資料と取材の駆使。
以前も書いたが、その業界をよく調べている。
「ひどい医者ばかり見てるから、医者に対してハードル低いんじゃないか」、ってセリフがあった。(「海街diary3-陽のあたる坂道-」)
医療業界に身を置いてないと言えないセリフである。
佳乃の金融業界・・・地方銀行についても、よく調べてリアルに表現されている。

そして今回は千佳が勤務するスポーツ店で、店長の語る山岳知識。
(いったい、どうやって調べてくるんだろう?)
これらのディーテイルが積み重なって、名作となっていくのである。
心理描写、演出、表現力・・・どれをとっても見事。

PS
初巻から比べて、すずの表情がだいぶ大人っぽくなってきた。最初はホント、子ども子どもした、まるみのある顔立ちだったんだけど。成長を感じる。

【参考リンク】
「海街diary3-陽のあたる坂道-」吉田秋生...


「心星ひとつ みをつくし料理帖」高田郁

2011年08月14日 08時10分32秒 | 読書(小説/日本)


「心星ひとつ みをつくし料理帖」高田郁

シリーズ最新刊、6作目。
「八朔の雪」
「花散らしの雨」
「想い雲」
「今朝の春」
「小夜しぐれ」
そして、本作「心星ひとつ」。
このシリーズも6作目だけど、ホントおもしろい。
季節が描かれ、それに応じた食材、日常が描かれる。
まるで、自分が江戸時代にいるようで、読んでいて幸せを感じる。
以下、感想だけど、ネタバレありなのでご注意。

さて、今回は揺れに揺れた。
もう、ハラハラした・・・「いったいどこへ流れていくのだろう」、と。
ストーリーの根幹に関わる激震だった。
殊に、「新星ひとつ」では、「シリーズ終わるんじゃないか」、と思ったくらい。

以前、シリーズ4作目「今朝の春」の感想で、物語の方向とゴールが示された、と言うようなことを書いた。
それは、あさひ太夫を身請けして、天満一兆庵を再建することである、と。
それなのに、澪が嫁にいってめでたしめでたしで終わるのか?
(まぁ、それはそれで、ひとつのゴール、だけど・・・)
和久井香奈子さんじゃないけど
自分の培ったキャリアを捨てて、男の愛情に頼るのは、ギャンブルに等しい』と苦言を呈したくなる。
「それでいいのか、澪」、と。
皆さんも、最後までハラハラして欲しい。

PS
特別付録『みをつくし瓦版』に小説作法について書かれていて、これが興味深い。

質問:作家さんの中には、最初の段階で展開を作り込んでいくタイプと、書きながら話を転がしていくタイプがある、と聞きますが、どちらですかねぇ?
作者:前者、つまり書き始める前に設計図を作ってしまうタイプです。ですから「みをつくし料理帖」でも、何巻でどんな出来事が起こるか、大枠は最初に決めています。最終話のタイトルと場面も決まっています。

ここまで設計図が出来ているとは、驚いた!もう少し、おおざっぱかと思っていた・・・というか、キャラクターにまかせているか、と思っていた。(byたきやん)

【ネット上の紹介】
酷暑を過ぎた葉月のある午後、翁屋の楼主伝右衛門がつる家を訪れた。伝右衛門の口から語られたのは、手を貸すので吉原にて天満一兆庵を再建しないか、との話だった。一方、登龍楼の采女宗馬からも、神田須田町の登龍楼を、居抜きで売るのでつる家として移って来ないか、との話が届いていた。登龍楼で奉公をしている、ふきの弟健坊もその店に移して構わないとの事に、それぞれが思い揺れていた。つる家の料理人として岐路に立たされた澪は、決断を迫られる事に――(第二話「天つ瑞風」より)。野江との再会、小松原との恋の行方は!? 「みをつくし料理帖」シリーズ史上もっとも大きな転機となる、待望の第六弾!!


北アルプス・剱岳山行・資料&食事覚書

2011年08月13日 21時01分20秒 | 北アルプス(立山・剱)

【鉄道・JR】大阪23:27-富山4:28着(5460円+特急1260円)
【鉄道・富山地方鉄道】富山5:44発―立山6:32着
【ケーブル・バス】立山-美女平-室堂(富山駅で室堂往復購入=6530円、片道だと3530円・・・5日間有効)
【剱沢】テント幕営費用500円×2日(何泊しても1000円が最高・・・用意しておいた登山届け提出)
【バス・ケーブル】室堂-美女平-立山(0円・・・往復で購入済み)
【鉄道・富山地方鉄道】立山12:54-富山13:52着(0円・・・往復で購入済み)
【鉄道・JR】富山14:19発-(サンダーバード30号)京都-大阪(5460円+特急2310円)
【その他】雄山にて神社参拝料(お祓い・御神酒込み)=500円
以上、22,520円

【装備】
薄手セーター、フリース、ゴア・パーカー&オーバーズボン、帽子、フリース帽子、(着替え用Tシャツ・膝下ズボン・靴下)
(現在所有するゴア・パーカーとフリースかさばりすぎ、改善の余地あり)
ヘッドランプ、ライター、カメラ、時計、携帯、ゴミ袋、地図、資料(テント場用サンダルは持っていかなかった)
ペットボトル500ml×2本、コッヘル、コンロ、ガスカートリッジ、箸、スプーン、食糧3日分(行動食、予備食含む)
テント、フライ、ポール、銀マット、シェラフ、シェラフ用マット
靴はローカットシューズ使用(でも一般には、くるぶしまでの登山靴を履いている方が大多数)
*これ以外に、落石に備えてヘルメットあったらいいかも(少なくとも子どもを連れてくるなら、これくらいの対策は必要)
何歳くらいの子どもならOKなのか、判断は難しい・・・クライミング経験ないなら高校以上?
大人の方も、最低限の腕力とバランス必要、高いところを極端に怖がる方は引き返したり、中止する勇気をもってほしい。
山岳会等、団体で行動される方、しっかり練習して(全員の体力&技術レベルを上げて)来て欲しい・・・一般ルートでは日本一難しい山なんだから(「あぁ、思ったより簡単だったな」、と思えるぐらい練習する方が良い)。

【テントと料理】
食糧は重かったけど、自炊の価値はあった。
食事内容は、別途記載。



【テント山行】
昨年同様、1人用エスパースを使用した。
もう少しフライがコンパクトで軽くて、前室があったら申し分ないんだけど。なんせ、かなり旧いから。(過去の山行写真を見ると、少なくとも1983年にはあったようだ)それにしてもエスパース・・・丈夫で長持ち。

http://www.heritage.co.jp/online_top1.html
ちなみに、山小屋に泊まるなら、予約が必要。剱沢下りる際に『予約のない方お断り』の看板があがっていた。

【携帯】
剱沢が谷すじのためか、電波入らず・・・そうこうしているうちに、バッテリーが切れた。
docomoだったら少しましなのだろうか?(私の携帯はau)
以前、『山と渓谷』で携帯電波状況・検証結果が掲載されていた。→山と携帯

【参考リンク】
鉄道アクセス&時刻検索に使っているサイト
http://ekitan.com/
バスで行くなら
http://www.sunshinetour.co.jp/alps/

雄山神社 - 公式サイト
みくりが池温泉→http://www.mikuri.com/
アルペンルート周辺宿泊施設→http://www.tateyamakankoukyoukai.jp/lodgings/index.html

【剱岳山行・食事表】

8月5日 

バナナ、スポーツ飲料

(金曜))

ピーナツミックス、SOYJOY、SOYJOYチョコ、カロリーメイト、

フルーツ缶詰、スポーツ飲料

 


雑炊(ご飯+雑炊の元)、豆のポタージュ、こうや豆腐

8月6日

こうや豆腐、餅、かんてんクック、フルーツ

(土曜))

ピーナツチョコ、SOYJOY、SOYJOYチョコ、カロリーメイト、

フルーツ缶詰、スポーツ飲料(水+ポカリ粉末)

 

雑炊(ご飯+雑炊の元)、クラムチャウダー、さんまの蒲焼き

8月7日

ラーメン、餅、プリンミックス、レーズン

(日曜))

チーズ柿種、SOYJOY、カロリーメイト、

スポーツ飲料(水+ポカリ粉末)

 

 立山駅で山菜きのこ蕎麦を食べた

予備食

嗜好食

抹茶カフェラテ2本、プリンミックス1袋、かんてんクック4本、

レーズンミックス1袋、杏仁フルーツ


*食事は登るのと同じくらい重要なので、力を入れた。感想を書くと・・・
フルーツ缶詰の容器は、プリンを作る際に役だった(フタのあるタイプなのでよかった)。プリンもかんてんも中にフルーツやレーズンを入れたので、
美味しかった。雑炊は普段から好きだし、流動食なので、疲れている時に食べやすい。ラーメンや雑炊に餅を入れたのは、腹の足しになってよかった。
SOYJOYチョコは普通のSOYJOYほどおいしくなかった。SOYJOYを2本持っていった方がよいかも。カロリーメイト、ピーナツミックス、レーズンミックス、チーズ柿種は余った(予備食を兼ねているから、これでOK)。こうや豆腐も少し余った。
【参考リンク】
http://blog.goo.ne.jp/takimoto_2010/s/%BB%B3%A4%C7%BF%A9%A4%D9%A4%EB