「SF魂」小松左京
2011年7月26日、肺炎で亡くなられた、享年80歳。
ちょっと感じるところがあったので、自伝を読んでみた。
小松左京さんは、SF界のブルドーザーと言われた。
そのあだ名のとおり、自伝をを読むと、その超人的な活動に圧倒される。
かつて、広範な領域、旺盛な活動力を評して「荒俣宏と立花隆と宮崎駿を足して3で割らない」と言われた。まさにそのとおり、と思う。私の中では、小松左京さんこそ、『知の巨人』である。
では、いくつか文章を紹介する。
P25
僕は「本土決戦」「一億玉砕」という言葉に死を覚悟していた、あの絶望的な日々を忘れることができない。「地には平和を」はもちろんだが、『日本沈没』を書いたのも、「一億玉砕」を唱えるような本当に情けない時代の空気を体験していたからだ。玉砕だ決戦だと勇ましいことを言うなら、一度くらい国を失くしてみたらどうだ。だけど僕はどんなことがあっても、決して日本人を玉砕などさせない―そんな思いで書いていた。
P36
反戦運動や学生組織としての活動には熱中したけれども、共産主義そのものには全く興味が持てなくなっていた。途中から、アジテーターたちの言っていることは、戦争中の「お国のためにみんな死ね」というのと同じだと思った。天皇の代わりにマルクスを拝んでどうするんだ、と。ブルジョワはみんな悪、プロレタリアートはみんな善――そんな単純さはわかりやすいが、善と悪の中間にもいろいろある。共産主義が本当に人民を幸せにするか、非常に疑問を持った。
P42
『悲の器』は高橋の愚痴みたいなものだと思ったが、『邪宗門』(1966年)は小説としてよくまとまっている。架空世界の設定の仕方はSFにも近い。これは僕の『日本アパッチ族』(1964年)の方法を意識しているのは間違いない。「アパッチのやり方をパクったな」と言ったら、「ばれたか」と笑っていた。
P47(小松左京さんが湯川秀樹博士を訪問した時のこと)
「小松君、この歌は知っているか」と仰る。
「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして」
僕が「在原業平ですね」と答えると、「おっ、よく知っているね」と。当時すでに量子力学の観察者問題が言われ始めていたから、「観察者問題ですか」と尋ねたところ、先生も一気にうち解けてくれた。
P55(SFそのものが直木賞的な文壇から排除されていったことに絡んで)
そういえば、「地には平和を」で小松左京というペンネームを初めて使ったのだが、あの時「右京」にしようか「左京」にしようか迷った。ちょうど兄貴が姓名判断に凝っていて、「右京」なら名誉と金が手に入る、「左京」は新しいことができると言った。まあ、単に左がかった京大生だったから「左京」にしたのだが、「右京」にしていればもっと賞に縁があったかもしれない。
P130(「日本沈没」のタイトルについて)
僕は最初、「日本滅亡」と付けていたのだが、編集者が「沈没」にしてくれたのだ。このタイトルでなかったら、売れ方も全く違っただろう。
P132(「日本沈没」がベストセラーになって話題になったことについて)
右翼からも左翼からも文句を言ってきた。右翼は、「あれだけ大事なことを書いていて、天皇という言葉が一回しか出てこないのはどういうことだ」。左翼は、「自衛隊を英雄視していてけしからん」。左翼系の方がしつこかった。
P133
『日本沈没』は74年の日本推理作家協会賞も受賞し、日本SF大会のファン投票で選ばれる星雲賞の日本長編部門賞も受賞した。ちなみに、日本短編部門賞は筒井康隆さんの「日本以外全部沈没」。筒井さんは後に紫綬褒章をもらうわけだけど、それはこの時、日本以外を沈めたからじゃないかという説がある。やっぱり勲章は愛国者でないともらえないらしい。
P156
『首都消失』は幸い各方面で好評で、85年の第6回日本SF大賞を受賞した。あの時の日本SF作家クラブの会長は筒井さんで、挨拶では「私が小松さんを表彰するなんて悪夢を見ているようだ」なんて言っていた。
P173
僕は『鳥と人』(1992年)というエッセイで、文化史や経済学、生物学、動物生態学など、あらゆるアプローチから鳥と人間の関係について考えたことがある。その基本にあったのは、昔ヒマラヤで飛行機から見たシーンだ。
タイ発のスカンジナビア航空でオスロに向かう時、ヒマラヤ山脈を越えるルートを飛んだ。高度6千メートルぐらいを飛んでいる時に、ふと窓の外を見ると、鳥の群れがヒマラヤ山脈を越えている。あんなに寒くて空気も薄いのに、人間が飛行機で飛ぶ前に鳥は進化の果てにこんな困難な飛行までやり遂げていたのだ、と感動した。その時こう思った。しかし鳥は宇宙まで行かなかった。宇宙は人間がやるのだなと。(これって「ヒマラヤの鶴」の元ネタか?・・・「海街diary4 帰れないふたり」吉田秋生)
P174
40年前、『未来の思想』のエピグラフに、僕はこう書いた。
「汝らは何ものか?いずこより来たりしか?いずこへ行くのか?」
P176
SFはよく荒唐無稽と言われる。しかし、文学とは元来が荒唐無稽なものだ。フィクションの語源はラテン語の「嘘」。そこにある素材を使って、面白い嘘をつくるのが文学だ。その王道は、合理主義や自然主義の芸術ではなくて、メルヘンやファンタジー、口承文芸も含めた古い古い伝統文学の中にある。『神曲』も『ファウスト』も『旧約聖書』もみんなそうだ。シュールあるいは非合理かもしれないが、人々に感動を与える。SFはそうした荒唐無稽で猛々しい伝統文学の後継者だ。
P178
SFとは文学の中の文学である。
そして、
SFとは希望である――と。
【おまけ】
ちなみに、私が好きな小松左京作品は・・・
①「日本アパッチ族」
②「エスパイ」
③「地には平和を」
【参考リンク】
小松左京ホームページ(小松左京研究会)
株式会社イオ・小松左京事務所
ウィキペディア(小松左京)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E5%B7%A6%E4%BA%AC
【ネット上の紹介】
『復活の日』『果てしなき流れの果に』『継ぐのは誰か?』―三十一歳でデビューするや、矢継ぎ早に大作を発表し、『日本沈没』でベストセラー作家となった日本SF界の草分け的存在。高橋和巳と酒を酌み交わした文学青年が、SFに見た「大いなる可能性」とは何か。今なお輝きを失わない作品群は、どのような着想で生まれたのか。そして、意外に知られていない放送作家やルポライター、批評家としての顔―。日本にSFを根付かせた“巨匠”が語る、波瀾万丈のSF半生記。
[目次]第1章 作家「小松左京」のできるまで(『SFマガジン』との出会い;戦争がなければSF作家にはなっていない ほか);第2章 「SF界のブルドーザー」と呼ばれた頃(吉田健一氏の言葉が励みに;新妻に書いた『日本アパッチ族』 ほか);第3章 万博から『日本沈没』へ(大阪万博に巻き込まれる;未来学と『未来の思想』 ほか);第4章 『さよならジュピター』プロジェクト(『ゴルディアスの結び目』から「女シリーズ」まで;「日本を沈めた男」の日本論 ほか);終章 宇宙にとって知性とは何か(還暦と『虚無回廊』;阪神大震災の衝撃;宇宙にとって生命とは何か、知性とは何か;SFこそ文学の中の文学である)