【ネット上の紹介】
電車の行先を訊ねられたのがきっかけで親しくなった中国朝鮮族の女性と過ごした十六年間。実家の「地下教会」での抑圧された日々、日本で砕かれた夢と現実、植民地支配と戦争で分断され、移動を余儀なくされたナグネ(旅人)としての朝鮮族の歴史などを振り返り、東アジアを跨ぎ自立していく女性の姿を描くノンフィクション。
第1章 ハルビンにて
第2章 一九九九年春
第3章 日中韓のはざまで
第4章 朝鮮族と地下教会
第5章 帰国
第6章 ルーツ
「香港と日本」銭俊華
P33
現在の香港の通過は、日本、中国、台湾などと違って、中央銀行によって発行されたのではなく、香港上海銀行、スタンダードチャータード銀行、中国銀行という三つの銀行で発行されている。
P123
中国で活動する芸能人は、共産党政権を擁護する姿勢を示さないと、中国大陸の人々に非難されかねない。そのため普通の芸能人は中国市場から追い出されないように行動する。
【ネット上の紹介】
二〇一九年の「逃亡犯条例改正案」への反対デモは熾烈を極め、多くの負傷者を出し、その戦いの終わりは未だに見えない。香港がこのような事態になったのは、どうしてなのか?中国大陸の同化政策は、人びとにどのような影響を与えたのか?本書は、香港人としての実感と研究者としての分析で、現在に至る香港の変遷を考察する。また『ドラえもん』『進撃の巨人』と香港政治運動の意外なつながり、大日本帝国の記憶など、香港における「日本」の表象を詳細に分析する。香港出身の気鋭の若手研究者による、日本人のための香港入門。
第1部 「準都市国家」香港(香港とは何か―「準都市国家」を旅する
香港の主体性―国籍・「中国」・日本
二〇一九年の香港―運動と分裂)
第2部 香港と「日本」(香港と日本アニメ―表象・記憶・言説
日本イメージの変容とアイデンティティ
戦争の記憶と「中国民族意識」
戦争の忘却・想起・香港アイデンティティ)
「中国史とつなげて学ぶ日本全史」岡本隆司
P38
もともと「律」とは儒教の「礼」を転化し、強制力を持たせたもの、つまり礼を法律化したものを指します。また「令」とはもともと君主による命令のことです。したがって、律令は仏教とは関係なく作られ、古来ずっと中国政治の基盤になってきました。
P76
鎌倉幕府も温暖化を前提として成立していました。
(中略)
そこで室町幕府以降の最大の課題は、寒冷化という環境にどう対応していくか。
P80
京都に本拠をすえた足利幕府は、多数の守護大名による連合政権だったということです。(中略)これをどう安定させるかが長年の懸案でしたが、ついぞ解決することのないまま応仁の乱を迎え、その後の戦国時代を招いたわけです。
P97
自分が天下統一を果たそうとか、その頂点に立とうという野望を持つ大名はほとんどいなかったと思います。
ほぼ唯一の例外が織田信長で、(中略)日本の歴史上では空前、突然変異的な人物といっていいでしょう。
P132
勘定奉行の荻原重秀はそれ(デフレ)に対処すべく、金銀の含有量を減らした貨幣に改鋳して流通量を増やそうと試みますが、続いて登場した新井白石がその政策を否定し、貨幣の価値を元に戻しました。これによってデフレが進行したわけです。
そのあと登場した吉宗も、とりあえず通貨政策を棚上げし、ひたすら新田開発と米の増産に邁進します。(中略)吉宗は「米将軍」とも呼ばれますが、それはけっして尊称ではなく、むしろ米の増産しか経済政策を打ち出せず、米価の下落に有効な手を打てなかったことを揶揄する汚名と考えるべきでしょう。
【ネット上の紹介】
気候変動、人口動態、経済ネットワーク…。アジア史の視点から俯瞰的に捉えた意欲作、教科書で語られない「真実の日本史」。
第1章 日本史は中国の“コピー”から始まった 古代~平安時代
第2章 アジア・システムからの離脱 平安時代~鎌倉時代
第3章 「日本全体が入れ替わった」時代 室町時代~戦国時代
第4章 「国家」の成立 江戸開府~元禄・享保時代
第5章 「凝集」する日本 享保時代~開国前夜
第6章 開国と日中対立の始まり 幕末~明治維新
第7章 朝鮮半島をめぐる外交と戦争 明治時代
第8章 アイデンティティの破滅へ 大正時代~昭和時代初期
結 現代への展望
「東アジアの論理」岡本隆司
P23
「中国革命の父」というのは、「革命」を推し進めた国民党・共産党の生みの親だからである。台湾では「国父」と称するし、大陸でも「孫中山」といい、決して「孫文」と諱を呼び捨てにはしない。
P39
朝鮮王朝は500年以上つづいた、東アジアで最も長持ちした王朝政権で、そのモデルはおそらく、同じ時期に成立した中国の明朝である。
P107
そもそも儒教は、人間の上下関係を是認するところから出発した教理であり、それを哲学まで高めたのが朱子学である。そのため上下の区別をことさら強調した。エリートは非エリートがいないと存在しえないからである。
陽明学は朱子学をつきつめるところから生まれながら、はっきりと朱子学の経典解釈を批判した。王陽明の思想はむしろ区別・差別を否定する、逆の方向に展開したのである。
P108
陽明学は近世の日本にも、大きな影響を与えた。大塩平八郎や吉田松陰は、最も著名な人物だろう。(中略)
それに対し、陽明学を蛇蝎のように嫌ったのが、朝鮮王朝である。
【ネット上の紹介】
強権的な姿勢を強める習近平政権、慰安婦問題や徴用工判決で悪化する日韓関係…。中国や韓国は同じ「漢字・儒教文化圏」に属すと言われるが、日本人にはわからないことだらけだ。日本には日本の立場がある一方、両国にもそれぞれ固有の思考・論法があり、それを理解するには歴史をひもとくのが最善である。本書は、近年の時事的な話題を切り口に、歴史的アプローチから日本・中国・韓国の違いを知るためのヒントを示す。
1 歴史から見た中国政治
2 皇帝制度と指導者論
3 中国経済を見る眼
4 中華意識と儒教的世界観
5 韓国の論理
6 日本の対中観と対外観
7 東アジアと日本の運命
8 歴史学の役割
「中国語は楽しい」新井一二三
P75
中華人民共和国公認の民族は56、そのうち漢族の人口が92パーセントを占めている。他はすべて少数民族という位置づけだが、それぞれに固有の言語があり、モンゴル族、チベット族、ウイグル族など独自の文字を持つ民族も23にのぼる。
P76
秦より前の時代、後の漢族は華夏という民族名を名のっていた。華と夏は伝説の皇帝、黄帝と炎帝が治めていたとされる国の名だ。草冠を持つ「華」の時は、定住して農業を営み、周囲の遊牧民族を凌駕する高度な文明を築いた誇りを示す。「華」は美しい服装、「夏」は優れた倫理文化を示すともいわれる。世界の中心、文明の地を意味する「中華」という表現も当時生まれた。「華夏」の皇帝を天の子、天下の「中心」ととらえ狩猟民族を「四夷(東夷、南蛮、西戎、北狄)」と呼んだのだ。
P82
北京で満洲族は旗人(きじん)と呼ばれた。(いわゆるチャイナドレスが中国語で「旗袍(チーパオ)」と呼ばれるのは、もともと旗人の衣装だったことによる)
P92
秦の始皇帝が始めた中央集権システムは、皇帝に代わって各地で権力を執行する中間支配層を必要としたが、士大夫階級の地位を裏書きしたのは漢字の知識を根拠とする古典的教養(儒学)だった。
中国の士大夫は日本の武士とは異なり、文人である。学問をして官僚になることで、権力と経済力の両方を手に入れることができた。
P93
中国語について語るときには、万人の話し言葉、市井の生活で使われた漢字と、ほぼ士大夫階級によって独占されていた書き言葉とを分けて考える必要があるのだ。
P93
科挙は隋の時代(598年)から清末(1905年)まで1,300年にわたって行われたが、隋の後を継いだ唐の時代、すでに状元こと最終試験の第1位合格者が南の涯の広東省から出ている。
P223
長年中国語を話すうちにしみじみ感じるようになったのは、「「中国語」は心底左右対称が好きだ」ということ。相手の問いに同じ形で答えて生み出される「左右対称」が、なんとも心地よく感じられるのである。
P237
中国語の「娘(ニャン)」は日本語の「母」、中国語の「姑(グー)」は日本語の「おば」、中国語の「姑娘(グーニャン)」は日本語の「お嬢さん」。日本語の「娘」は「女児(ニューアル)」という。
P239
故宮の後宮には「東六宮」「西六宮」があったが、東の地位が上と決まっている。だから、かの西太后は皇帝の夫人ではあったが、正室ではなく、東の側室の次にくる西の側室、つまり第三婦人だった。
P239・・・一人っ子政策時代の子どもは、わがままに育ち「小皇帝」と呼ばれた。
「小皇帝」はよくても「小皇后」は不可。(中略)なぜなら中国語の「大小」は第一義的には年齢の上下を指すが、スラングとして「大」が第一夫人、「小」は第二夫人を指すからだ。
P240
見知らぬ人に声をかけるとき、相手が学生なら「同学(トンシュエ)」と呼ぶが、社会人の場合には「同志(トンズー)」が定番だった。それが政策の変更とともに、意味合いも変わり、「同志」はその後、香港や台湾で同性愛者を指すようになった。
P240
若い女性に対して「小姐」という呼び方が使われるようになった。(中略)ところが、若い女性に対する「小姐」は、水商売の女性を指して使われることが多かったために、一般社会で激しいボイコットにあい、レストランなどホール係に向けて「小姐」などと呼んだ日には、いつまでたっても注文を取ってもらえない羽目に陥ったのであった。
P244
蔡英文総統はといえば、一家の末っ子として育った印象が強いからか、還暦を過ぎても「小英(シャオイン)」と選挙民を含め、みんなに呼ばれている。
P245
習近平国家主席と彭麗媛夫人はメディアに「習大大(シーダーダー)」「彭麻麻(ポンマーマー)と左右対称で呼ばれている。
【ネット上の紹介】
中国語の世界は広く、面白い。その話者は、中国のみならず、台湾、香港、東南アジア、北米…世界各地に分布し、十億人を超える。それだけの人が話せるのだから、じつは中国語はマスターしやすい。そして学ぶのが楽しい、魅力がたっぷりの言語である。中国語で書く作家として活躍する著者が、文法や発音など基礎はもちろん、華語として世界に広がるこの言語と文化の魅力を存分に描き出す。
第1章 十億人も話せる理由―合理的な文法構造
第2章 話すと楽しくなる理由―歌う発音の楽しみ
第3章 中国語で「中国語」は何と呼ぶ?―始皇帝と毛沢東をつなぐ中国語史
第4章 華語とは何か?―中国を飛び出した中国語
第5章 漢字の愛と哀しみ―字体と言語改革の歴史秘話
第6章 台湾、変貌する言語―「台湾華語」と南洋
第7章 香港の言語革命―民主化運動と広東語
第8章 中国語の宇宙観―方位と呼称の秘密
「香港とは何か」野嶋剛
P11
アヘン戦争による南京条約で割譲されたのは(中略)香港島だけで、1860年のアロー号事件の「北京条約」で九龍が割譲された。(中略)1898年の新界租借条約により、英国は99年の期限で清朝から新界を租借した。
P26
人口は1851年の太平天国の乱で10万人に急増し、1911年の辛亥革命で60万人になり、日中戦争が起きると160万人になった。日本占領時に60万人に減少したが、1950年には国共内戦で200万人に戻り、大躍進と文化大革命で400万人を突破した。
P106・・・林則徐
「貴国では、女王が阿片を禁止しているではないか。女王の命令で、広東に行く船は禁止品を運んではならないと定めている。英国でもアヘンは禁止されている。どうしてジャーディンのような連中が命令に反してアヘンを持ち込んでいるのか」
ジャーディンとは、英国人、ウィリアム・ジャーディンのことで、ジェームズ・マセソンと組んでアヘンを扱った。2人で設立した商社ジャーディン・マセソン商会はアヘンで荒稼ぎして巨大企業となった。長崎のグラバー園で知られる、坂本龍馬とも交流があった英国人トーマス・グラバーは、同社から派遣された。ジャーディン・マセソン・ホールディングスは、香港返還を前に本拠をバミューダ諸島に移して話題になった。
P207
中国にとって、香港が最大のオフショア人民元取引センターであることは言うまでもない。中国人の金持ちが香港に預けている資金は3兆億米ドルと言われる。
【ネット上の紹介】
香港が歴史的転換点を迎えている。一国二制度のもと特別行政区として五〇年間の高度な自治が保証されるはずだった。ところが中国・習近平政権は力による「中港融合」を推し進め、一国二制度を形骸化させる国家安全法を香港の頭越しに決めた。世界を驚かせた二〇一九年の大規模抗議デモに続き、香港問題はいま米中新冷戦の最前線に浮上している。東洋の真珠と呼ばれ、日本とも関係の深い国際金融都市・香港を知りたいすべての人に届ける一冊。
第1章 境界の都市
第2章 香港アイデンティティと本土思想
第3章 三人の若者―雨傘運動のあと
第4章 二〇一九年に何が起きたか
第5章 映画と香港史
第6章 日本人と香港
第7章 台湾の香港人たち
第8章 中国にとっての香港
第9章 香港と香港人の未来
「中国の歴史」(全10巻)小林隆
②P14
遠交近攻=遠方の国と友好関係を結び、近い国は攻め滅ぼす。この方法を全国に広げて領土を拡大していく外交方式。秦の昭襄王に、宰相の范雎がすすめた策略です。
②P162
秦の勢力が四方に拡大するにつれて「秦」という名称は中国そのものの名称として世界中に定着していきmす。現在、世界中で使われている「Chineチネ」「 Chinaチナ」 「Chinaチャイナ」は、「Chinシン」の語源です。
③P71
建業:現代の南京です。呉の都としては「建業」、このあと、晋では「建康」とよばれます。その後、明の時代に、「南京」とあらためられました。
⑦鉄砲伝来
1543年王直が所有していたとされるポルトガル船が九州の南方、種子島に漂着しました。
このとき、ポルトガル人と日本人はことばが通じなかったので、王直が砂に漢字を書いて、筆談で通訳したといわれています。
⑦万里の長城
⑧P71
現在の中国のうち、95%以上は漢民族ですが、言語も信仰もちがうモンゴル人(モンゴル語/ラマ教)やウイグル人(ウイグル語/イスラーム教)など、56の民族がいます。
⑧中国のお茶には、茶の若葉を発酵させない緑茶、半発酵のウーロン茶、発酵させた紅茶、弱発酵の白茶などの種類があります。紅茶はおもにヨーロッパに輸出されました。→「紅茶スパイ」サラ・ローズ
⑨孫文の中国同盟会
「民族」(異民族支配からの独立)、「民権」(共和制国家の樹立)、「民生」(地主や資本家の利益独占の排除)の三民主義を選択し、機関誌『民報』にのせました。
⑨武昌挙兵のあった1911年10月10日、辛亥革命は始まりました。この日は「双十節」といい、台湾では現代も最大の祝日です。また、中国でも「辛亥革命記念日」になっています。
⑨1934年10月、紅軍第一方面軍の86,000人(45人の女性をふくむ)は瑞金を脱出し、新しい根拠地の延安をめして、12,500キロの行軍を開始しました。これが「長征」(大西遷)です。
⑨1949年10月1日、毛沢東主席の中華人民共和国の成立宣言は、新中国の誕生でした。現在、「国慶節」として、「春節」(旧正月)とともに、国民的祝日になっています。
⑩1958年の大躍進の失敗により中国各地で飢饉が起こり、1959年から1961年までのわずか3年間に、2000万人から4000万人もの人々が餓死したともいわれています。
⑩毛沢東は、「鄧小平は、綿につつまれた針のようで、やわらかさにするどい行動力をもち、断固として問題にとりくむ人間」と、評価していました。
⑩1976年10月、「四人組逮捕・失脚」のニュースが全国に伝わると、多くの商店では酒がたちまち売りきれ、人々は酒をくみかわし祝杯をあげたといわれています。
【ネット上の紹介】
古代から現代まで、中国の歴史を全10巻に集約。複雑な歴史の流れも漫画でよくわかる。図版満載の資料ページや、日本や世界と対比する学習ページも充実。中国の歴史の実像が立体的に学べます!
「愚か者、中国をゆく」星野博美
久しぶりの読み返し。
P133・・・西安・解放路餃子館
「こんな小さな餃子はいままで見たことがありません。まったく用意ではありません」
「この店はすべてが餃子ですからね。西太后もこの小さな餃子が好物だったそうですよ」
天安門事件・・・通称「六四」について
P318-319
1989年の天安門事件が大きな分岐点だったのだろう。
改革解放政策の自由な空気に触発されて民主化要求が一気に高まり、それが弾圧されたのが天安門事件だった。この一件を通して人々は、政治的自由を主張しない限り、経済活動の自由は保障する、という政府の強い意志を感じとった。そして心の中に開かずの間を作っていいたいことを封印し、経済活動に邁進してきたのだ。天安門事件が改革解放政策をより一層推し進める拍車となったということもできるだろう。
P330
私は中国を「学習」したかった。しかし学習しても学習しても、中国の変化のスピードについていけない。(中略)中国に関する報道を目にする時、また実際中国へ行った時、無性に悲しい気持ちになるのは、自分が変化のスピードについていけないことを自覚してしまったからだろう。
しかし同時に思うのは、中国全土でどれだけの人が同じような落伍感を味わっているだろう、ということだ。その落伍感が高まった時が私は怖い。
なぜなら、中国では何かが起きる時、徹底的に、破壊的に起きるからである。
星野博美さんは1966年(丙午)生まれ。
本書は、著者が大学生の時の記録。
時代背景を整理しておく。
①1986~1987年「愚か者、中国をゆく」(香港~烏魯木斉)・・・2008年出版
②1992~1994年「謝々!チャイニーズ(華南、南中国海岸線沿い)・・・1996年出版
③1996~1997年「転がる香港に苔は生えない」(返還前後の香港)・・・2000年出版
実際の旅と発表された順番は合わない。
【ネット上の紹介】
交換留学生として香港に渡った著者は、一九八七年、アメリカの友人、マイケルと中国旅行に出る。中国社会が大きな転換期を迎えたこの時期に、何を感じ、何を見たのか。「大国」の本質を鋭くとらえた貴重な記録。
第1章 香港
第2章 広州
第3章 西安から蘭州へ
第4章 嘉峪関まで
第5章 シルクロード
第6章 ウイグル
第7章 旅の終わり
第8章 それから
「項羽と劉邦」(全12巻)横山光輝
項羽と劉邦、対照的な性格の2人を対比させながら物語を進める。
背水の陣、四面楚歌、有名な故事の元となったエピソードが披露される。
「覇王別姫」も再現される。
覇王=項羽
姫=虞美人
この2人の別れのこと。
項羽と虞美人が、劉邦の軍師・張良の四面楚歌作戦により追い詰められる。項羽と虞美人は、別れの宴をはり虞美人は舞を舞う。有名な京劇の演目である。
これを踏まえて映画「さらばわが愛」も作られた。(カンヌ映画祭パルム・ドール賞受賞)
第1巻P72
始皇帝の政治を批判した儒者は次から次へと捕らえられた
その数460余人
彼らは坑に入れられ見せしめのため生き埋めとされた
これが悪名高い「焚書坑儒」である。
(「キングダム」を見ているかぎり、「嬴政がこんな風になるなんて」、って思うかもしれない。中国では、始皇帝の評判は悪い。だから「キングダム」もイマイチ盛り上がらないのかもしれない。『史記』『十八史略』には、始皇帝は、虎や狼のような残忍で冷たいという意味「虎狼の心あり」と書かれています。「中国の歴史」②P19(小林隆)より。ちなみに呂不韋は中国で人気)
第1巻P136・・・項羽のセリフ
書は自分の名前が書ければよい
剣は1人を相手にするもの
俺は万人を相手にする術を学びたい
第3巻P94
「陛下に馬を献上致します」
「なにっ?何をたわむれている これは鹿ではないか」
(始皇帝が築いた秦を、宦官・趙高が滅亡させたと言える)
第3巻P179・・・項羽と劉邦の足取り
第12巻・・・四面楚歌作戦発動、張良が韓信に言う。
「楚軍の兵士の望郷の念を駆り立てるのです」
【ネット上の紹介】
少年項羽、天下を望む。「書は自分の名前が書ければよい。剣は一人を相手にするもの。俺は万人を相手にする術を学びたい」紀元前221年、中国統一を果たした秦の始皇帝は、自分の権威を示すために、軍用道路を作り、各地を巡行していた。ある時、始皇帝は、青い服の子供と赤い服の子供が日輪を奪い合い、青い服の子は赤い服の子を72度なぐるが、赤い服の子が一撃で青い服の子を倒す夢を見る。不老長寿の薬を得るために徐福を東の島へ派遣した始皇帝は、万里の長城、阿房宮、陵墓などの建設に人民を駆り出す。人々の怨嵯の声は日増しに高まっていった。
「謝々!チャイニーズ」星野博美
久しぶりの読み返し。
本作品は、著者が27、28歳の頃、
1993年から94年にかけて行った旅の記録。
P28
「髪廊(ふあーらん)」とは、名目上は「床屋」だが、昼間から怪しげな赤い光を発して肌を露わにした女性が鏡の前に座って客を引き、中で売春行為を行う風俗店のことだ。
P112・・・広州の駅の路上生活者との会話
江西省の廬山。いいかね?中国で一番きれいなところだ。それに山東省の泰山。いや、泰山の方がきれいかな?それから安徽省の黄山市。今度中国に来たら、この三つに必ず行きなさい。中国のきれいなところを旅行しなさい。もうこんなところに来るんじゃないよ。
P164・・・厦門のコーヒーショップでの会話
「やっぱり彼女たちは娼妓なの?」
「ここにいる子は全員そう。ホテルの前で立ってる子も。違うのはあなたと私ぐらいのものだわ」
社会主義、か。
社会主義経済が資本主義経済のシステムに呑みこまれた時、真っ先に流通するのがポルノと娼婦であるとこは、いまや世界中に共通した現象となっている。
P222・・・「一人っ子政策について」湄州での話
ホテル近くの宮下村に住む漁師さんは、二人目が男の子だったため、三人目の女の子の時は2000元の罰金を払った。同じ宮下村の雑貨屋の店主は、1人目も2人目も女の子だったため、三人目にトライしたところ、男の子だったので、罰金は払わずに済んだ 。
P176
中国に来てから、この厦門(あもい)に限らず、私が訪れた町には一つの例外もなく「髪廊」が存在した。金になるからそれを商売にする人間が現われ、金を持った人間がそれまで手にしたこともないものを手に入れようとする。資本主義の原点だ。
(中略)
しかし、こんなことをいったらフェミニストから袋叩きにあいそうだが、私には彼女たちを買う男たちを大声で糾弾する気にもなれない。それまで目にしたことのないものが目の前に並んでいる時、人間はどれだけ欲望を抑えることができるものなのだろうか。
P244-245
「黒猫と白猫の話知ってる?」
「ねずみを捕るのがいい猫だ、でしょう」
「そうだ。でも本当の意味は少し違う。黒だろうが白だろうが黄だろうが、自分でねずみを捕ってこない猫は飢え死にする、っていう意味だ。つまりいまの中国では、自分で金を稼がない奴は、死ぬってことだ。(中略)
中国は金がないと生きていけない国になっちまったよ」
P256
いまの中国には種類を問わず、宗教が浸透する素地があると思う。格差が広がれば広がるほど、その度合いはさらに強くなるだろう。
P272
それまで中国は、職場や住居の確保から社会福祉に至るまで、すべて国がしてくれる国家だった。ところが改革開放で何でもしてくれた国は「自分でねずみを捕ってこい」という国に変わった。野心に燃える人間にはまたとないチャンスとなったが、それ以外の人たちにとっては、誰も何もしてくれない時代になった。持てる者と持たざる者との経済格差が限りなく広がり、持てる者の富は一族やその故郷にしか還元されない。持たざる者の心には、「誰も何もしてくれない」感が余計に強くなる。
【注意】
最初と2回目、文庫本と単行本と異なるので、頁番号が合致しない場合がある。
ご了承ください。
【ネット上の紹介】
時は1993年。中国に魅せられた私は、ベトナム国境から上海まで、改革開放に沸く中国・華南地方を埃だらけの長距離バスに乗って旅をした。急激な自由化の波に翻弄される国で出会った、忘れえぬ人々。『転がる香港に苔は生えない』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した著者の、みずみずしいデビュー作。[目次]
第1章 東興
第2章 北海から湛江まで
第3章 広州
第4章 厦門(あもい)
第5章 〓洲島(めいちょうだお)
第6章 平潭
第7章 長楽
第8章 寧波
終章 東京
「転がる香港に苔は生えない」星野博美
久しぶりの読み返し。
P130
「炒(ちゃう)」という言葉がある。チャーハンの「チャー」、文字通り「炒める」ことだが、何かの値段がどんどんつり上がっていくこと、あるいは故意につり上げていくことを広東語では「炒」という。炒の対象として代表的なものは股票(かぶ)」そして楼(まんしょん)。フライパンで炒めれば中のものはどんどん熱くなるが、やりすぎれば必ずこげる。
P232
(前略)97年2月19日、鄧小平が死去した。私はそれを学校へ向かう地下鉄の中で知り、とりあえず身近にいる香港人、つまり学校の先生たちに感想を尋ねた。
一時間目の先生はノーコメントだった。(中略)
二時間目の先生はもう少し柔軟だった。
「驚きました。もう少しで返還なのに、それを見ることができずにかわいそうだと思いました」
三時間目の先生は正直だった。
「心の準備はできていたから驚きませんでした。同時に、やっと本当の情報が出たなと思いました。安心している人はたくさんいると思います」
私はその真意を尋ねた。鄧小平の死去に「安心する」とはどういう意味か。
(この続きは、実際読んでみて)
P244かつての同級生・維真(わいちゃん)の言葉
新移民(さんいーまん)――大陸から香港に移民してきた人たちをこう呼ぶ。彼らの存在が今、香港の大きな社会問題になっている。(中略)
おかしいな、って思った。だって香港はもともと大陸からの移民の寄せ集めでしょ?
P268
「どうして日本人は英語ができないの?日本の大学生もビジネスマンもほとんど英語が話せないんだってね。どうして日本人はレベルが低いの?」
「それは日本がイギリスの植民地じゃないからでしょ」
彼女は顔を赤くして黙りこんだ。
P275
阿強、議論して相手を負かすことで、あなたは自分を守ろうとしているだけだ。
あなたが自分の現状を私にぶつけるのはかまわない。でも何の関係もないお店の人たちを見下すのだけは許せなかった。
P286
「金が好きだ」「香港はゴミだらけ」「香港人は声が大きくて乱暴だ」「階級社会だ」「芸術を理解しない」「せっかちだ」「愛想が悪い」・・・・・・香港の何をけなしても、彼らは大抵のことを許してくれる。絶対に口にしてはならないタブーは、食に対する批判。これをうっかり口にすると、彼らの逆鱗に触れることになる。
P465・・・大陸の高級官僚の言葉
『香港の人は何かと汚職汚職っていいますが、慣れていないから怖いだけですよ。なにすぐ慣れますよ』
P535・・・日本人の妻をもつ香港人・阿波の言葉
香港人は経済活動が自由だったから、自分たちは自由を知っている人間だと思っている。でも経済の自由と政治の自由の違いが全然わかっていないんだ。
P621
今我々に必要なのは、誇りではなく、多様性だと私は思う。単一の方が楽だから、楽な方法へ向かおうとしているだけだ。多様な文化と接してこそ、自分たちの誇りは意味を持つ。単一性の中だけで誇りを持つのは、狂信である。私たちは本当に、深く眠っている場合ではない。苔など生やしている場合ではない。
【参考リンク】
「謝々!チャイニーズ」星野博美
「華南体感 星野博美写真集」
「転がる香港に苔は生えない」星野博美
「銭湯の女神」星野博美
「のりたまと煙突」星野博美
「迷子の自由」星野博美
「愚か者、中国をゆく」星野博美
「コンニャク屋漂流記」星野博美
「島へ免許を取りに行く」
「戸越銀座でつかまえて」星野博美
「みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」星野博美
「今日はヒョウ柄を着る日」星野博美
「旅ごころはリュートに乗って 歌がみちびく中世巡礼」星野博美
「世界は五反田から始まった」星野博美
【ネット上の紹介】
1997年7月1日、香港返還。その日を自分の目で、肌で感じたくて、私はこの街にやってきた。故郷に妻子を残した密航者、夢破れてカナダから戻ってきたエリート。それでも人々は転がり続ける。「ここは最低だ。でも俺にはここが似合ってる」。ゆるぎない視線で香港を見据えた2年間の記録。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。
[目次]
第1章 香港再訪
第2章 深水〓
第3章 返還前夜
第4章 返還
第5章 逆転
第6章 それぞれの明日
第7章 香港の卒業試験
「故事成句でたどる楽しい中国史」井波律子
P198
フビライすなわち元の世祖は中国を支配するにあたり、すべての官僚機構のトップにモンゴル人を配置するなど、モンゴル優先の原則を堅持し、行政や財政の機構や制度についても、あくまでモンゴル固有の方式をつらぬきました。こうしたやりかたは、すんなり漢民族の中国方式に同化した、元に先行する異民族の征服王朝、契丹族の遼や女真族の金とはまったく異なるものです。
P207
清王朝を立てた満洲族は、かつて中国に金王朝を樹立し、モンゴル族の元に追われた女真族と同じ民族です。(中略)ホンタイジは1636年に国号を清と改め、また女真という民族名を満洲族と改めます。
P210
清の行政機構は基本的に明の機構を踏襲したものですが、各機関の長官に満洲族と漢民族からそれぞれ1人ずつ任命して複数制をとったところに特徴があります。こうした巧妙な二重行政システムは、先行する征服王朝の元がモンゴル優先方式を強行して失敗したことを参考にして、編み出されたものだと思われます。
【参考図書】
「教養としての「中国史」の読み方」岡本隆司P288より
少数派の清が北京を占領してすぐに、一つだけ漢人に強要したことがあります。
服従の証として「辮髪」にすることでした。(中略)
しかも十日以内に実行するようにと、期限まで切っているのです。(中略)
高圧的に見えますが、裏を返せば、当時の清にはこれぐらいのとこしか漢人に命じられなかった、ということができます。
そしてもう一つ、辮髪を強要したのには、人工の1パーセントにも満たない自分たちの存在を目立たせなくするという目的もありました。
外見は辮髪にさせ、服装も満洲人のものに変えさせているのですが、その一方で、満洲人たちは懸命に朱子学や漢学を勉強しているのです。
つまり、人々の外見は満洲人になったのですが、その中身は漢人のままで、むしろ満洲人たちのほうが漢人に近づいていったといえるのです。
【ネット上の紹介】
中国四千年の歴史のなかに生起する数々の名場面。そこには名君、暴君、英雄、詩人、はたまた美女たちが入り乱れ、多くの含蓄ある言葉が生まれました。覆水盆に返らず、背水の陣、井のなかの蛙、登龍門…。それら珠玉の言葉は古びることなく、今もわたしたちの生活のなかに息づいています。故事成句をキーワードにたどる、ものがたり中国史。
第1章 「覆水盆に返らず」―名君と暴君の時代
第2章 「呉越同舟」―乱世の生きざま
第3章 「水清ければ魚棲まず」―統一王朝の出現
第4章 「破竹の勢い」―英雄・豪傑の時代
第5章 「春眠暁を覚えず」―大詩人のえがく世
第6章 「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」―故事成句をあやつる人びと
「孔子さまへの進言」楊逸
毛沢東、蒋介石、始皇帝、魯迅、武則天、孔子、李 煜が取りあげられている。
P53
父の紇(こつ)が母である顔(がん)氏の女と「野合」して孔子が生まれた――今時の言葉で言えば不倫による私生児である。(これがトラウマとなり礼儀にこだわる思想を生んだ?孔子は180cm以上あるイケメンだったとか。しかし、妻が弟子を誘惑して駆け落ちしたという話もある。ソクラテス曰く「良妻をもてば幸せになり、悪妻をもつと哲学者になる」)
P65
科挙の出題範囲である四書(大学、中庸、論語、孟子)五経(詩経、書経、礼記、易経、春秋)とは全て孔子に由来するものである。(儒教を中興し、朱子学を創始した朱熹によって、より男尊女卑が極められたとか)
P118
窅娘(ようじょう)という踊り子は、白い絹で足を三日月状に縛って李 煜(り いく)の前で踊って見せた。(中略)足が「三寸(約9cm)金蓮」と称えられたこの窅娘(ようじょう)こそ、中国纏足の発明者で、以後千年もの間、中国女性を苦しめた張本人である。
P135
唐の典制によれば、皇帝には、一皇(皇后)、四妃、九嬪、七世婦(婕妤、美人、才人各九人)、そして八十一名の御妻がいて、総じて「後宮佳麗」と呼ばれている。才人である武則天は二十七世婦に属し、「正五品」の官僚に相当する。(後宮佳麗三千人と言われるが、一年に千人としても一巡するのに3年かかる。現実問題として、3人でもしんどいように思うけど)
P40
陽明山――台北の郊外にある山。もともとは「草山」と呼ばれていたが、毛沢東に敗れ、台湾に逃げた蒋介石は「落草為寇」(草山に落ちて山賊になる)というジンクスにはまることが忌まわしく、「陽明山」と改名した。「知行合一」思想の王陽明を尊敬する思いからだという。(中略)草山行館は、園林、竹山と池に包まれた伝統中国建築である。(草山行館は、蒋介石の住居で、現在は応接室がレストランとなっている)
↑ 陽明山・・・麓に無料の温泉もあるけど満員御礼状態。
【「後宮」に関連した参考故事】
盛り塩:合計1万人もの宮女を収容した広大な後宮を、司馬炎は毎夜、羊に引かせた車に乗って回った。この羊の車が止まったところの女性のもとで、一夜をともにするのである。そこで、宮女たちは自分のところに皇帝を来させようと、自室の前に竹の葉を挿し、塩を盛っておいた。羊が竹の葉を食べ、塩をなめるために止まるからである。この塩を盛るという故事が、日本の料理店などで盛り塩をするようになった起源とも言われている。Wikipediaより)
【ネット上の紹介】
毛沢東・蒋介石から孔子・魯迅まで、中国4000年の歴史で重要な役割を果たした7人が登場。教科書には載らないエピソードが満載。
毛沢東―太陽の陰で目を擦る
蒋介石―見果てぬ大陸への帝王夢
孔子さま―人間から離れつづけた二千五百年
始皇帝―善も悪も全てがそこから始まった
李〓(いく)―亡国帝の千古絶唱の人生
武則天―性と姓に囚われた女皇
魯迅―絶望から絶望へたどった闘士
「島国チャイニーズ」野村進
島国とは日本のこと。
日本に住む華僑・華人がテーマ。
P114
私の教え子のうち7人が来日後に結婚してるのだが、漢族は漢族との、モンゴル族はモンゴル族との、ウイグル族はウイグル族との、同じ民族同士の組み合わせばかりであった。
P115
池袋界隈には「東北三省」、すなわち遼寧省・吉林省・黒竜江省の出身者が多い。
P203
孫文は日本の学生服をアレンジした詰めえり服を愛用しており、これは「中山(ちゅうざん)服」と呼ばれ、のちの中国・人民服の元となった。「中山」とは、孫文みずから称した号で、彼が滞日中、「中山(なかやま)」という日本名を名のったことに由来している。
P221
1972年の日中国交回復のさい、われわれ日本人が知らないところで、日本の華僑社会は大混乱に陥っていた。台湾、すなわち中華民国の国籍を持つ華僑の多くが、国籍の喪失や中華人民共和国への強制的な変更を恐れて、われ先に日本国籍取得に走ったのである。
P256
彼らの帰化に対する抵抗感は、驚くほど薄い。対照的に、在日コリアンの中で
帰化したものは、最後まで「裏切り者」の烙印を押されてきた。
P260・・・老華僑の話
「(前略)日本の国籍を取ったからといって、本当に日本人になれますか。たとえば、同和問題を見ても、私はそう思うんです。明治になって、それまでの身分制度がなくなって、もう百何十年も経つのに、まだ部落の人たちを同じ日本人として扱わない。じゃあ、中国人が日本の国籍をとったら、同じ日本人として扱われるのか。(後略)」
【参考図書】
「コリアン世界の旅」野村進
大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞、受賞
【ネット上の紹介】
名作『コリアン世界の旅』から15年。練達のノンフィクションライターが緻密な取材で描く、「在日華僑」「来日華僑」たちの、ひたむきで悲喜こもごもな人生模様。
【ネット上の紹介】
第1章 劇団四季の中国人俳優たち
第2章 日本で大学教授になる中国人
第3章 中国人芥川賞作家の誕生
第4章 留学生は“反日”か
第5章 北国の中国人妻たち
第6章 神戸中華同文学校
第7章 女たちの池袋チャイナタウン
「ふしぎな中国」近藤大介
P75・・・習近平の娘
1992年に生まれた一人娘に、『明るい毛沢東』のように育ってほしいと願って『明沢』と名づけた。(ハーバードに留学して、心理学の学士号を取得したそうだ。アメリカ批判してるのに、娘を米留学させるのはなぜ?党の幹部、富裕層も自分たちの子どもを留学させている。受験競争が苛烈すぎるのも一因かも。北京大学5,000倍と聞く。それだったら留学させようか、となるのかも。但し、ハーバードは年間500万必要、そこまでお金がない富裕層は、日本留学に切り替える。早稲田は中国で人気らしい。池袋でガチ中華の店が増えたとか)
P76
習近平総書記が説く「初心忘るべからず」とは、「毛沢東主席とその時代を忘るべからず」という意味なのだ。(中略)
毛沢東時代の負の遺産――4000万人が餓死した大躍進や、10年間経済が麻痺した文化大革命など――も、今後再現されるのか?
「不忘初心」を最初に唱えた白居易は、草葉の陰で何を思うだろう。
(「初心忘るべからず」は、世阿弥「風姿花伝」だけど、元ネタは白居易だったの?)
P85
国交正常化40周年の2012年が、転機の年になった気がする。(中略)
胡錦濤政権の「和諧社会・和諧世界」(調和のとれた社会・世界)に変わって、「中華民族の偉大なる復興という中国の夢の実現」(中国の夢)をスローガンに掲げた習近平政権は、ひたすら「強国・強軍」の道を邁進していった。
P130
1984年12月、イギリスのマーガレット・サッチャー首相との中英首脳会談に臨んだ鄧小平氏は、痰唾を吐き散らしながら凄んだ。
「租借期限が切れる1997年7月1日、新界だけでなく、香港島と九龍半島も、きっちり中国に返還してもらう。もしイギリスが拒否するなら、この時刻をもって人民解放軍を派遣し、武力によって返還を実現する」
P132
6章66条からなる国安法は、習近平政権に逆らう香港人を最高で無期懲役刑に科すという衝撃の法律で、香港人は「火星法」と揶揄した。火星で火星人が習主席の悪口を言っても有罪となるような条項(38条)が含まれていたからだ。
【ネット上の紹介】
「白衛兵」「西朝鮮」「外売騎手」「45度人生」「新能源人」「錦鯉」「凡人」…あなたは、この意味わかりますか?中国ウォッチャーとして知られる著者が、新語・流行語で現代中国を読み解く。読み始めたらとまならい面白さ!
第1章 スマホ世代の中国人の素顔(社恐―会社が恐い?いえいえ…
仏系―宗教用語ではありません ほか)
第2章 毛沢東の再来を目指す習近平(共同富裕―中国IT企業は約2兆円を投資
不忘初心―説くのは、「あの御方」 ほか)
第3章 「皇帝」習近平を悩ますもの(動態清零―これが原因で中国経済が急ブレーキ
新能源人―「新能源車」(新エネルギー車)と一字違い ほか)
第4章 24時間戦えますか?弱肉強食の中国ビジネス(九九六―中国版「月月火水木金金」
打工人―打撃の職人という意味ではない ほか)
第5章 気になる隣人「日本人」(凡学―男装の麗人といえば…
迷惑行為―コロナ流行で日本から消えた ほか)