「ひかり舞う」中川なをみ
信長→秀吉→家康が時代背景。
針子としてのテクニックを持つ平史郎が主人公。
これは珍しい。(普通なら、少年剣士って設定だろう)
近江、和歌山、奈良、堺、京都、対馬、朝鮮、九州、伊豆と舞台はめまぐるしく移り変わっていく。
それだけで、目が離せない。
実在する人物も多数出演。
一気読みであった。
2018.1.27朝日新聞紹介記事
【蛇足】
ストーリー中心で展開するので、もう少しキャラ立ちさせて、心理描写も深くしたら完璧なんだけど…ない物ねだり。
【ネット上の紹介】
「男の針子やなんて、はじめてやわ。あんた、子どもみたいやけど、いくつなん?」仕事のたびに、平史郎は歳をきかれた。明智光秀の家臣だった父は討ち死に、幼い妹は亡くなり、戦場で首洗いをする母とも別れて、七歳にして独り立ちの道をえらんだ平史郎。雑賀の鉄砲衆タツ、絵描きの周二、そして朝鮮からつれてこられた少女おたあ。「縫い物師」平史郎をとりまく色あざやかな人物たち―。激動の時代を生きぬいた人々の人生模様を描く!!
「弱き者の生き方」五木寛之/大塚初重
五木寛之さんと考古学者・大塚初重さんの対談。
P173
人生を登山にたとえると、登山というのは登るだけでなく、無事に事故を起こさずに下山することも大事な仕事だと思うのです。
美しき下山といいますか、実り多き下山といいますか、人生の峠道にたたずんで、今度はゆっくりと成熟した豊かな下降をどのように人間的に充実してやっていけるかという、その考え方が熟年層には大切なことではないでしょうか。
p255
十九世紀、二十世紀の人間は傲慢になりすぎて、地上の王者のように振る舞ってきたじゃありませんか。これを、人間というのは非常に弱い、他の草や木と同じような存在であるという、謙虚な気持ちにいっぺん戻る必要があるのではないか。
【備考】
ページは、ハードカバーでのページである。
【ネット上の紹介】
「人間って、地獄に落とされたとき逆に、笑いがこみ上げてくるものですね」引き揚げ者の作家・五木寛之と、撃沈された輸送船の生き残り、考古学の泰斗・大塚初重の二人が、時に泣き、時に怒り、そして感動を共有した。戦後最悪のいま、地獄を見てきた二人が“弱き者”へ贈る、熱く、温かい、生き延びるためのメッセージ。
第1章 弱き者、汝の名は人間なり(人は弱し、されど強し
虎屋の羊羹、銀座のネオンで殴られる ほか)
第2章 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや(極限状態で交錯する善と悪
二度目の撃沈と敗戦 ほか)
第3章 心の貧しさと、ほんとうの豊かさ(肉親の死を身近に感じる大切さ
お金という魔物 ほか)
第4章 人身受け難し、いますでに受く(人生の峠道でたたずむ
人間性と謙虚さ―前田青邨先生の教え ほか)
第5章 人間は、ひとくきの葦である(「負け組」などいない
辛いことも直視する勇気をもちたい ほか)
「蚤とり侍」小松重男
この著者は、アンソロジー「大江戸猫三昧」で知った。→「大江戸猫三昧」澤田瞳子/編
その時、「小松重男さん要チェックだな」、と感じた。
今回、遅ればせながら短編集として、まとめて読んでみた。
江戸風俗の知識がしっかりしていて、尚且つ、楽しめる物語で感心した。
『猫の蚤とり屋』=『密夫屋(みそかおや)』とは何か?
P7-8
猫好きの妾や後家に呼ばれて住居へ出入りしているうち、遂には淫らな遊び相手もつとめて、正当な《蚤とり仕事》のそれとは比較にならぬ報酬を受け取るようになり、瞬く間に『猫の蚤とり屋』は表看板、裏看板の『密夫屋』が本業となってしまったのである。(つまり『密夫屋』=女性客目当ての淫売夫、である)
田沼意次のセリフ
P8-9
「(前略)買う者がおるから売る者が成り立つ。その分だけ金銭が動いて江戸が繁栄するぞ。男に女を買う楽しみがあれば、女にも男を買う楽しみを与えねばならぬ。捨て置け!」
P65
「自慢高慢、莫迦のうち。わが子自慢は、もっと莫迦」
P196
旗本は自分の妻を奥と呼ぶ。目下の他人は旗本の当主を殿様、婦人を奥様、嫡男を若殿様と呼ぶが、御家人に対しては旦那様、御新造様、若旦那様である。
【おまけ】
昨年映画化もされた。
→映画「のみとり侍」公式サイト
【ネット上の紹介】
「猫の蚤とりになって無様に暮らせ!」主君の逆鱗に触れた長岡藩士・小林寛之進は、猫の蚤とり―実は“淫売夫”に身を落とす。下賎な生業と考えていた寛之進だが、次第に世に有用な、むしろ崇高な仕事だと確信する。ところが政権が変わり、蚤とり稼業が禁止に。禁令の撤廃を願い出る寛之進だが…。(表題作)江戸の浮き世を懸命に生きた愛すべき人々の物語、全六編。
ポンポン山に登ってきた。
金曜の夜に雪が降ったので、それがまだ残っていた。
もうすぐ山頂
縦走路
このところ毎週ハイキングしているので、
平均往復4時間かかるところを3時間半に短縮した。
早ければ良いってもんじゃないが、いざという時の脚力は必要。
(大切なのは、自然を味わうこと…これが一番重要)
楽しくないと持続しないから。
「ひょっこ茶人、茶会へまいる。」松村栄子
松村栄子さんのお茶エッセイ。
最初にお茶の先生を訪ねるときの作法
P47
〈束脩〉と書いた奉書の封筒にこれこれの金額と自分の連絡先を書いた紙を入れて、これくらいの大きさの菓子折に載せて風呂敷に包んで持っていきましょうと指示してもらったその具体性が、わたしにはどれほどありがたかったかしれない。(そんなこと、今でもしてるの?!)
着付けについて
P201
女性はウェストで帯を巻くが、男性はおへその下に巻く。
上賀茂神社の〈神馬堂〉の〈やきもち〉について
P208
噛みつく場所によってお餅が柔らかかったり焼けてパリパリしていたり、その素朴さが粒餡の味をいっそう引き立てるのだ。
【ネット上の紹介】
京都で紛れ込んだ正式なお茶会。そこには、当然のように作法をこなす小学生の男の子がいた。一方、自分の手には、ティッシュまみれになったお茶菓子が…。このままじゃいけない。一念発起して茶道の門を叩いた著者が、素人ゆえの無邪気さで描く、茶道ほのぼのエッセイ。
第1章 茶の湯はこわくない!?(お茶は気取ったおばさまたちのものか?
たかがお辞儀、されど… ほか)
第2章 ひよっこ茶人、茶会へまいる。(お茶会というもの
初めてのお茶会 ほか)
第3章 ひよっこ茶人、ちょっと開眼。(利休の茶の湯、理系な茶の湯。
男の茶の湯 ほか)
第4章 ML茶の湯ワンダーランド(男の着物教室
お菓子の世界は甘くない。 ほか)
外伝 ひよっこ茶人のお茶会十番勝負(1K茶会―異空間創造
追い出し茶会―道具はなくても ほか)
付録 ひよっこの茶道流派調査
次の6編が収録されている。
1.黒と白のあいだの真実…2013年
2.任侠のジレンマ…2003年
3.クワンのいちばん長い日…1997年
4.テミスの天秤…1989年
5.借りた場所に…1977年
6.借りた時間に…1967年
普段ミステリを読まないのだが、本作品は、香港を舞台にしている。
しかも、2013年から1967年まで、順に年代を遡っていく。
そこに惹かれた。読むしかないな、と。
P66
ロー警部、愛情と憎しみは非常に近接した感情だ。
P122
「家は小さいほど楽だ。電気代もかからない」
1997年香港返還の年
P174
ツォウの家族はすでにイギリスへ移民していた。彼もまたイギリスの居住権を取得していたが、香港に残ったまま、警察官の仕事を続けていたのだ。香港では、祖国返還後の社会情勢や生活環境の変化に疑問をいだき、海外への移民を選択するものが多かった。イギリスでは、数百万人の香港市民にイギリス国籍を与える議案が否決されたが、政府は香港政庁の公務員が大量に流出して、政策執行能力が落ちることを懸念し、イギリス居住権取得の施策を打ち出した。資格を満たした公務員の申請を受け入れ、安心して香港で仕事を続けられるようにというのだ。したがって、一部の公務員は、家族がすでにイギリスかイギリス連邦の国へ移住しており、子どもたちにいたっては早くより海外留学し、現地で仕事を見つけるものが多かった。(1997年前後の香港事情は「転がる香港に苔は生えない」に詳しい)
【おまけ】
タイトルの「13・67」の意味は、2013年・1967年の事と思う。
それにしても、構成がすばらしい!
最終話「借りた時間に」P480「豊海プラスチックって知ってるか?」から始まる文章。
これを読んで、第1作「黒と白のあいだの真実」を振り返ると、何とも(感無量)としか言えない気分になる。トリック、人間ドラマ、社会情勢が複雑に交錯した作品だ。
【ネット上の紹介】
華文(中国語)ミステリーの到達点を示す記念碑的傑作が、ついに日本上陸!
現在(2013年)から1967年へ、1人の名刑事の警察人生を遡りながら、香港社会の変化(アイデンティティ、生活・風景、警察=権力)をたどる逆年代記(リバース・クロノロジー)形式の本格ミステリー。どの作品も結末に意外性があり、犯人との論戦やアクションもスピーディで迫力満点。
本格ミステリーとしても傑作だが、雨傘革命(14年)を経た今、67年の左派勢力(中国側)による反英暴動から中国返還など、香港社会の節目ごとに物語を配する構成により、市民と権力のあいだで揺れ動く香港警察のアイデェンティティを問う社会派ミステリーとしても読み応え十分。
2015年の台北国際ブックフェア賞など複数の文学賞を受賞。世界12カ国から翻訳オファーを受け、各国で刊行中。映画化件はウォン・カーウァイが取得した。著者は第2回島田荘司推理小説賞を受賞。本書は島田荘司賞受賞第1作でもある。
「ゲゲゲの女房」武良布枝
NHKドラマにもなった有名な作品。
急に読みたくなったので手に取ってみた。
読んでいて、著者の人柄の良さを感じた。
P250
どんな生き方を選んだとしても、最初から最後まで順風満帆の人生なんてあり得ないのではないでしょうか。人生は入口で決まるのではなく、選んだ道で「どう生きていくか」なんだろうと、私は思います。
【ネット上の紹介】
巨人・水木しげると連れ添って半世紀。赤貧の時代、人気マンガ家の時代、妖怪研究者の時代、そして幸福とは何かを語る現在…常に誰よりも身近に寄り添っていた妻がはじめて明かす、生きる伝説「水木サン」の真実!布枝夫人にとって、夫と歩んだ人生とは、どんなものだったのか…!?水木しげる夫人が、夫婦の半生を綴った初エッセイ。
「明治乙女物語」滝沢志郎
2017年度松本清張賞受賞作品。
時代考証、ストーリー、キャラクター、いずれも思った以上によかった。
エンディングまで一気に読めて楽しめた。
明治21年から22年、御茶ノ水・高等師範学校女子部、横浜、鹿鳴館が主な舞台。
幕末同様、テロと暗殺がはびこっている。
高等師範学校女子部に通う夏と咲たちは爆弾テロを阻止できるか?
P12
「みねちゃん、相変わらず編み物がお上手ですことね」
「うふふ、ありがとう、キンちゃん」
高等師範学科一年の小澤キンである。学科と級は違うが、みねと同年齢であった。後に「女学生言葉」「てよだわ言葉」などと呼ばれる奇妙な言葉遣いは、この頃から流行り始めた。
P87
「もしかして、部屋で読んでいたスタディ何とかという本?」
「“A Study in Scarlet"よ」
前年に英国で出版された、コナン・ドイルという医師兼作家の小説である。後年、『緋色の研究』の題で邦訳されるが、名探偵シャーロック・ホームズが初めて登場した作品として知られる。
P108
そして森(有礼)は、後世に残る言葉を発した。
「富国強兵の根本は教育にあり。教育の根本は女子教育にあり。国家の行く末は、女子教育の成否にかかるものと心得よ」
【ネット上の紹介】
明治中期、高等師範学校女子部に通う夏と咲たちは、鹿鳴館の舞踏会に招待を受ける。そこには暴徒の魔の手が忍び寄っていた……。
「ルポ児童相談所」慎泰俊
昨今、虐待にからんで児童相談所が話題になる。
本書は、児童相談所に併設されている一時保護所を中心にレポートされている。
P78
やってきたとたん服を含めた私物をすべて取り上げられ、保護所内に置いてある服を選び、それを着ることから生活が始まるところもあるそうで、ある子どもは「パンツに番号が振られていて、どこの中学生が番号のついてパンツなんか履くんだと思った」と話していました。
P121
一時保護所は、児童相談所に併設されていることがほとんどです。ただし、すべての児童相談所ではなく、地域で中心となる児童相談所に置かれている場合が多く、その数は2015年4月現在135となっています。年間で一時保護所にやってくる子どもの数は約2万人で、平均して約1ヵ月滞在します。
【参考リンク】
慎泰俊『ルポ 児童相談所』
【ネット上の紹介】
児童相談所併設の一時保護所は、虐待を受けた子どもや家庭内で問題を起こした子どもらが一時的に保護される施設。経験者の声は「あそこは地獄」、「安心できた」と二つに分かれる。社会起業家である著者自ら一〇カ所の一時保護所を訪問、二つに住み込み、子供たち、親、職員ら一〇〇人以上のインタビューを実施。一時保護所の現状と課題点を浮かび上がらせ、どのように改善したらよいのか、一方的でない解決の方向性を探る。
序章 「一時保護所」とは、どういう場所なのか
第1章 「一時保護所」で、子どもたちはどう過ごしているか(子どもたちの一日
保護所間格差は、なぜ起きているのか)
第2章 子どもたちの生活環境―様々な証言から(職員と、そこで生きる子どもたちのギャップ
一時保護所の運営を規定するもの
ルールを破ったら、どうなるのか)
第3章 児童相談所と一時保護の現状(「むしろ、かかわらないでほしい」という意味
なぜ、子どもたちは一時保護所にやってきたのか
一時保護決定後、保護所での生活が始まる
一時保護委託の拡大がカギ
児童相談所は、どうあるべきなのか
増加する貧困と虐待
激務に明け暮れる児童相談所)
第4章 よりよい子ども支援のために(行政ができることは何か
民間の人間にできることもある)
「昭和二十年夏、女たちの戦争」梯久美子
P42
あまり誰も言わないけれど、当時の東京では、未婚の若い女性と、既婚男性の不倫が多かったのよ。他の都市部でも多分そうだったと思う。男の人は職場のある東京に残って、妻子を地方に疎開させるでしょう。だから一人暮らし。で、独身の女性と恋愛になってしまう。
8月15日、東京の情景
P53
――その日、放送局を出ると、まだ夕方にはだいぶ間があるのに、空が一面、黒ずんだ灰色をしていました。あちこちから黒煙が上がっていて、紙の燃えかすがひらひらと舞い降りてくる。各官庁が、書類を燃やしていたんです。
最初はわからなかったけど、しばらくしてああそうかと気がついたわ。アメリカが進駐してくる前に、機密書類を焼いてしまおうとしているんだ、って。NHKは内幸町にあったから、まわりはお役所だらけ。(中略)艦政本部からの煙が、とくにすさまじかったのを覚えています。
甘粕正彦に対する赤木春恵さんの印象
P120-121
きっと厳しくて怖い人なんだろうと思っていたんです。精悍できりっとした感じの。そうしたら意外と小太りで、ずんぐりむっくりと言っちゃ悪いけれど、そんな感じのかたでした。
P132-133
終戦時の満洲における日本人の数は約150万人だったが、そのうち、開拓民は約24万人。うち、8万人以上が日本に帰還することなく亡くなっている。
(中略)
そして8月15日がやってくる。日本政府は当初、「居留民はできる限り定着の方針をとる」としていた。敗戦時に満洲にいた日本人は、日本に帰らずそのまま現地で生活せよというのである。
定着どころか満洲の日本人は生命の危険にさらされており、政府の方針は初めから無謀なものだった。
P239
「女が女にやさしくしなければ民主主義が成り立たない」という言葉を、その後、吉屋信子さんにお会いする機会があったときに、ご本人から直接うかがったことがあります。
【参考】
これにてこのシリーズを全て読んだことになる。
もし――どれも未読なら、「僕は兵士だった」から読んでみて。
「昭和二十年夏、僕は兵士だった」梯久美子
「昭和二十年夏、子供たちが見た戦争」梯久美子
【ネット上の紹介】
大宅賞作家が綴る戦争ノンフィクション第2弾!元NHKアナウンサーで作家の近藤富枝、生活評論家の吉沢久子、女優の赤木春恵、元国連難民高等弁務官でJICA理事長の緒方貞子、日本初の女性宣伝プロデューサー吉武輝子。戦争の陰でも、女性たちは輝いていた。
実らないのよ、なにも。好きな男がいても、寝るわけにいかない。それがあのころの世の中。それが、戦争ってものなの。(近藤富枝)
空襲下の東京で、夜中に『源氏物語』を読んでいました。絹の寝間着を着て、鉄兜をかぶって。本当にあのころは、生活というものがちぐはぐでした。(吉沢久子)
終戦直後の満洲、ハルビン。ソ連軍の監視の下で、藤山寛美さんと慰問のお芝居をしました。上演前に『インターナショナル』を合唱して。(赤木春恵)
はじめての就職は昭和二〇年春、疎開先の軽井沢。三笠ホテルにあった外務省の連絡事務所に、毎日、自転車をこいで通いました。(緒方貞子)
終戦翌年の春、青山墓地で、アメリカ兵から集団暴行を受けました。一四歳でした。母にだけは言ってはいけない。そう思いました。(吉武輝子)
薔薇のボタン―あとがきにかえて
「昭和二十年夏、僕は兵士だった」梯久美子
レベルが高く読みやすい。
さらに、読んで良かったと思える作品。
P7
この本で話を聞いた金子兜太、大塚初重、三國連太郎、水木しげる、池田武邦の五氏は、終戦時に18歳から26歳だった。(中略)
かれらもまた、あの夏、ひとりの兵士だった。ゼロからスタートして、何者かになったのである。その半生は、戦争に負けた国が、どのようにして立ち上がっていったのかの物語でもある。
P20
あんたは男色の話を聞いて驚いていたが、爆撃が激しくなって、島にいる慰安婦がみんな内地に帰ってしまったら、恐るべき勢いで男色が広まった。若い男の取り合いでケンカが絶えなかった。わたしはそれを見ていて、そうか、人間というものは、こういうものなんだと思った。
P28-29
「もうこれ以上痩せられないというくらい痩せると、今度は下腹が異常にふくれあがり、脚がむくんできます。膝から下が象の脚のようになり、足の甲が盛り上がって歩けなくなる。そでれも工員は這って作業にでようとするんです。休むように言うんですが、班の仲間同士で、作業に出る者と出ない者の食事差をつけていたらしく、そんな身体になっても、決して休もうとしませんでした。
P72
都会っ子であることは、軍隊ではマイナスだった。地方出身で苦労してきた者が多く、虎屋の羊羹を食べたことがある、銀座のネオンを見たことがあるというだけで目の敵にされ、殴られた。(日本のいじめは根が深い…軍隊でも学童疎開でも隣組でもいじめはあった。和の国日本である)
P92-93
日本はもう危ない、駄目かもしれないと思ったんです。
東京大空襲で、大勢の民間人の無残に焼けこげた死体を片づけたときからずっと心のどこかにあった思いが、東シナ海の暗くて冷たい海を漂いながら、どんどん強くなっていきました。
そのときわたしはこんなふうに考えたんです。もし生き延びて、ふたたび日本の土を踏めるようなことがあったら――この後も人生というものが私にあるなら――もう一度、歴史を勉強しなおそうと。(海軍一等兵曹として乗り組んでいた輸送船が二度撃沈され、二度とも九死に一生を得た大塚氏は、戦後、働きながら大学に通い、考古学を学ぶ。その後、登呂遺跡の発掘等、多くの発掘を手がけ第一人者となり、日本考古学協会会長もつとめた)
三國連太郎氏…上海の昭和島から日本に引き揚げたのが昭和21年
P147
何か買うものはないかと思って、ひとりで広島駅で下車しました。そこから広島の街に入ったんです。
そうしたら、ほんとうに何もないんですね。街は跡形もなく、一面の焼け野原。見えるものは原爆ドームと、ところどころに立っている鉄塔のようなものだけでした。
建築家・池田武邦氏の章が凄まじい…マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、天一号作戦を生き抜いている。天一号とは、戦艦「大和」とともに出撃した、いわゆる沖縄海上特攻である。
P234
――軍艦というものは、もちろん戦うためにあるんですが、同時に生活の場でもあります。そこで食事をし、眠り、訓練をする。戦友と語り合ったり、読書をしたりもします。乗組員にとって、普段は家のようなところなんですね。その「家」が、ひとたび戦闘が始まると、そのまま戦場になる。日常と戦場が重なっているんです。
P265
そのまま浦賀の復員局で復員業務にあたっていた池田氏のもとに、父が訪ねてきたのは二月末のことだった。
「父は東京帝國大学の願書を手にしていました。元軍人でも、定員の一割までなら大学に入れるらしいから、受けてみろというんです。ご奉公は十分したんだから、もう一回、勉強してみたらどうかと」(こうして親孝行も兼ねて一か月の受験勉強で工学部に合格する。その後、霞が関ビル、京王プラザホテルなど手がける一流の建築家となるのだ)
P280
軍部が勝手に戦争を始めたという人たちがいます。戦争指導者たちがすべて悪いんだと。本当にそうでしょうか。戦前といえども、国民の支持がなければ戦争はできません。開戦前の雰囲気を、僕は憶えています。世を挙げて、戦争をやるべきだと盛り上がっていた。ごく普通の人たちが、アメリカをやっつけろと言っていたんです。真珠湾攻撃のときは、まさに拍手喝采でした。(例えば近い将来、北朝鮮のミサイルが本土に落ちたとする。すると、世論は「叩くべし」と好戦的な雰囲気に一気に変わるだろう。倍返しの好きの国だし。水を差すような意見を言ったら非国民呼ばわりされるかもしれない…以上、杞憂であって欲しい)
【ネット上の紹介】
かれらもまた、あの夏、ひとりの兵士だった。俳人・金子兜太、考古学者・大塚初重、俳優・三國連太郎、漫画家・水木しげる、建築家・池田武邦。廃墟の中から新しい日本を作り上げた男たちの原点は、太平洋戦争の最前線で戦った日々にあった。何もかも失った若者は、どのようにして人生を立て直したのか。過酷な戦場体験と戦後の軌跡を語り尽くした感動のノンフィクション。巻末に児玉清氏との対談を収録。
賭博、男色、殺人―。南の島でわたしの部下は、何でもありの荒くれ男たち。でもわたしはかれらが好きだった。(金子兜太)
脚にすがってくる兵隊を燃えさかる船底に蹴り落としました。わたしは人を殺したんです。一八歳でした。(大塚初重)
逃げるなら大陸だ。わたしは海峡に小舟で漕ぎ出そうと決めました。徴兵忌避です。女の人が一緒でした。(三國連太郎)
もうねえ、死体慣れしてくるんです。紙くずみたいなもんだな。川を新聞紙が流れてきたのと同じです。(水木しげる)
マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、そして沖縄特攻。二〇歳の頃に経験したことに比べれば、戦後にやったことなんか大したことない。(池田武邦)
すべてを失った若者たちの再生の物語―対談 児玉清×梯久美子
「怖い絵のひみつ 「怖い絵」スペシャルブック」中野京子
「怖い絵」展に行こうと思いながら、時間の都合がつかなかった。(後悔している)
代わりに、オフィシャルブックともいうべき本作品を読んだ。
「怖い絵」展の主要14作品が解説されている。
「レディー・ジェーン・グレイの処刑」
20世紀初頭、ロンドン留学中の夏目漱石が観、後に短編小説『倫敦塔』にも結実させました。
「スザンナと長老たち」
「スザンナ」という名前は、ヘブライ語で「ユリ」を意味します。ユリといえば、西洋美術では「純潔」の象徴で、処女懐胎したマリアや、肉体の愛を知らない童貞(処女)聖人とともに描かれます。
P41
本来セイレーンは、3人ないし7人姉妹で、胸までが人間の女性、その下は鳥の姿をしていると言われてきました。しかし、中世以降、その複数形の表記が人魚と同じであることから、下半身を魚で表現することが増えてゆきます。
P69
当時、エレベーターもないパリのアパルトマンは、まず1階に管理人が、バルコニーのある2階は金持ちが、3階が中産階級、4階が小市民、そして屋根裏部屋は貧乏人や芸術家が住むようになっていました。
【ネット上の紹介】
「怖い絵」展の主要14作品を中野京子が徹底解説!「怖い絵」を楽しむために知っておきたい5つのこと。あの「怖い絵」はここにある。世界「怖い絵」MAP。「怖い絵」展オリジナルグッズ。汗と涙と苦労の連続!?「怖い絵」展ができるまで。
中野京子が解説!(ダモクレスの剣
神罰
裁判
海の怪物
殺人
ラ・トラヴィアータ)
「怖い絵」展開催記念!対談 宮部みゆき×中野京子
「戦争と日本人 テロリズムの子どもたちへ」 加藤陽子/佐高信
加藤陽子さんと佐高信さんが、次のテーマで話し合う。
序章 世の中をどう見るか?―歴史に対する眼の動かし方
第1章 政治と正義―原敬と小沢一郎に見る「覚悟」
第2章 徴兵と「不幸の均霑」―「皆が等しく不幸な社会」とは
第3章 反戦・厭戦の系譜―熱狂を冷ます眼
第4章 草の根ファシズム―煽動され、動員される民衆
第5章 外交と国防の距離―平和と経済を両立させる道を探る
第6章 「うたの言葉」から読み解く歴史―詩歌とアナーキズムと
終章 国家と私―勁く柔軟な想像力と、深き懐疑を携えて
P75
加藤:昔は徴兵保険というのがあったようですね。生命保険会社、例えば富国生命というのは富国徴兵保険、大和生命は日本徴兵保険という会社だった。徴兵保険の会社だったんですよね。
佐高:そうです。日清、日露ぐらいまでは徴兵に伴う保険が成り立った。養老保険の一種のようなもので、子どもが小さいうちに加入しておくと、その子が徴兵のときに保険が給付される。しかし、国民総力戦になると民間の保険として成立しなくなって、あとは国家が遺族年金なり、恩給として補償する方向になりました。
P117
加藤:戦死した人の遺族年金を、お舅さんお姑さんが受け取るか、お嫁さんが受け取るかの、じつになまなましい紛議が、いたるところで見られたといいます。(3.11東日本大震災で、この問題は再び浮上した。即ち、夫が死んで家が損壊し、その交付金を嫁が受け取るか、義父が受け取るか…。→「女たちの避難所」垣谷美雨)
P119
佐高:戦死した、あるいは抑留されて帰ってこない、だったらこの際、弟の嫁さんになれというようなケースがけっこうあったといいますが、それは逆に言えば、息子の遺族年金をもらう嫁さんをよそに出さないという意味もあったわけですね。
「小倉庫次侍従長の日記」について
P200
昭和天皇は、1944年(昭和19)年くらいでしょうか、「自分が雑草の種などを集め、雑草を愛で育んでいるというようなことは、世の中から批判を受けないだろうか」と、二度くらい小倉に尋ねている場面が出てきます。
【ネット上の紹介】
少年たちが従軍した西南戦争、政治家・思想家を狙った「子ども」によるテロ、戦争と徴兵制、知られざる昭和天皇の姿、そして検察ファッショ、尖閣問題―。“国家と戦争”を軸に、気鋭の歴史研究者と練達のジャーナリストが歴史の重層的な見方を語り、時代に爪を立てる方法を伝授。柔軟な“非戦の思想”を日本人の経験にさぐる。