「百年の手紙 日本人が遺したことば」梯久美子
20世紀100年間に、日本人が書いた手紙を100通あまり集めてある。
今から110年前に、天皇に直訴状を書いた人物がいた。
足尾銅山による鉱毒被害の救済運動に尽くした田中正造である。
P4
田園荒廃シ数十万ノ人民ノ中チ産ヲ失ヒルアリ(中略)満目惨憺ノ荒野ト為レルアリ
(中略)
のちに大逆事件で死刑になる幸徳秋水が正造の意を受けて起草し、さらに正造が加筆訂正したものだが、書き写していると何ともいえない気持ちになる。震災以降の福島県の状況と重なるからだ。
戦時中の手紙も多く収録されている。
P126-127
空母「飛龍」と最期をともにした山口多聞。帝国海軍でもっとも優秀な提督のうちの1人に数えられる彼は、大変な愛妻家だった。
山口が艦隊勤務から一時帰宅するときは、いつも「ニモツアリムカエタノム」と電報が来たと書いている。東京駅に迎えに行くと、大した荷物はなく(中略)妻の顔を早く見たいがための電報だったのだ。
ミッドウェーに出撃する前日にも、山口は手紙を書いている。妻への最後の恋文である。
〈貴女さえ居ればどんな事でも凌げます。貴女こそ本当に私の心のオアシスです。姿も心も美しい貴女は、私の天使です。どうか御大事にして、心に希望を持ち、どんな逆境に立っても、心中正しい行いをして居る自信があれば、人に恥じる事はありません〉
戦中にこんな夫婦がいたのか!
現代であっても稀有、と思われる。
* * *
厚労省かどっかで、統計を取って欲しい。
(少なく見積もりすぎ?定期金利くらいあるか?)
だからこそ、上記の手紙に感動するのである。
【ネット上の紹介】
田中正造、寺田寅彦、宮柊二、端野いせ、吉田茂、中島敦、横光利一、山田五十鈴、室生犀星、管野すが…。恋人、妻・夫、子どもへの愛、戦地からの伝言、権力に抗った理由、「遺書」、そして友人への弔辞…。激動の時代を生きぬいた有名無名の人びとの、素朴で熱い想いが凝縮された百通の手紙をめぐる、珠玉のエッセイ。
[目次]
1 時代の証言者たち(権力にあらがって;かれらが見た日本);2 戦争と日本人(戦場の手紙;女たちの戦争;敗戦のあとさき);3 愛する者へ(恋人へ;妻・夫へ;親から子へ;友情のことば);4 死者からのメッセージ(夭折者たち;遺書と弔辞)