紀伊國屋書店 2015年上半期「分野別」ベストセラー、ってのが発表された。
※集計対象=紀伊國屋書店 全店
※集計期間=2015年1月~6月
▼文庫
https://www.kinokuniya.co.jp/c/20150728100607.html
紀伊國屋書店 2015年上半期「分野別」ベストセラー、ってのが発表された。
※集計対象=紀伊國屋書店 全店
※集計期間=2015年1月~6月
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「世界の果てのこどもたち」中脇初枝
昭和18年9月、珠子は高知県から両親とその年に生まれた妹・光子と4人で満洲にやってきた。
満州国吉林省白林村大樺樹屯の温日本頭。
珠子は朝鮮人の美子(ミジャ)と、恵まれた家庭で育った茉莉と出会う。
日々の遊びの中で親しくなっていく3人だが、戦争の激化とともにバラバラになる。
やがて終戦を迎えるが、珠子は両親とはぐれ中国人に売られてしまう。
敗戦前に帰っていた美子と茉莉だが、それはそれで苦難の道の始まりであった。
中脇初枝版「昭和史」である。
私は、『きみはいい子』に匹敵する作品、と思う。
3人が出会ったあたりから、俄然面白くなる。
週末出かける予定をキャンセルして読み続けた。
最後まで一気読み。
お薦めの作品です。
P86-87
美子は二人が食べるのをうれしそうに見ていたが、不意に言った。
「あたしね、ほんまの名前は美子やないがで」
美子は故郷の村で初めて学校に行った日のことを思いだしていた。
「ミジャっていうが」
美子は両脇にすわる二人の友達を見た。
「富田でものうてね、ほんまはキムミジャっていうが」
珠子と茉莉は美子をみつめた。
「別にかまんがやけど、なんか、言うてみたかったけん」
美子ははずかしそうにわらい、自分の膝を両手で抱いた。
「ミジャっていうがや」
珠子はつぶやいた。
「知らんかった」
【蛇足】
最後の方が駆け足になったのが残念。
上中下の3巻くらいの長さにしてじっくり描いて欲しかった。
【参考作品】
【ネット上の紹介】
戦時中、高知県から親に連れられて満洲にやってきた珠子。言葉も通じない場所での新しい生活に馴染んでいく中、彼女は朝鮮人の美子(ミジャ)と、恵まれた家庭で育った茉莉と出会う。お互いが何人なのかも知らなかった幼い三人は、あることをきっかけに友情で結ばれる。しかし終戦が訪れ、珠子は中国戦争孤児になってしまう。美子は日本で差別を受け、茉莉は横浜の空襲で家族を失い、三人は別々の人生を歩むことになった。あの戦争は、誰のためのものだったのだろうか。『きみはいい子』『わたしをみつけて』で多くの読者に感動を与えた著者が、二十年以上も暖めてきた、新たな代表作。
先日、「サバイバル登山家」を紹介した。
巻末を見ると、2006年6月19日、第1刷、とある。
この著作の「序文」を書かれているのが山野井泰史さん。
ということは、山野井泰史さんが序文を書かれたのは、
2005年末か、2006年初め頃、と思われる。
P6
以前、ある友人と死に方を選ぶとしたら何がよいかなどと馬鹿げた会話をしたことがある。僕の頭に最初に浮かんだのは山のなかで不意に熊に襲われ、食い殺されることだ。それがいちばん幸せなような気がした。
ご存じのように、山野井泰史さんは熊に襲われた。
2008年9月17日、である。
・・・口にするなら、微笑ましい明るい事がよい、と思った。
迷信深いと言われるかもしれないが、自戒としたい。
【参考リンク】
→「山と渓谷」2010年12月号
「サバイバル登山家」服部文祥
面白かった。
かなり前に上梓された作品だけど、色あせていない。
昨今の風潮は、技術やトレーニング、はたまた電子機器をいかに使いこなすか。
本書は、アンチテーゼとも言える作品。
登山は、『生活』である、と。(私は本書をそう理解した)
その為にも、食料は釣りをして自分で獲得する。
川を遡行してイワナを釣りながら登山を行っていく。
即ち、山での生活=サバイバル、である。
P76
燃料もコンロもなし。テントもなし。食糧は米(1日1合)と味噌と調味料のみ。電池で動くものは携帯しない。
1996年の年末から1997年の正月の話
P167
(前略)牛首尾根から2回の懸垂で黒部川の谷底に降り立つと、目の前に現れた黒部川には粘りけのある黒い水がごうごうと重たそうに流れていた。
少なく見積もっても水深は腰くらいまでありそうだった。僕は1目で「これは渡れない」とあきらめた。つづいて懸垂下降で降りてきた和田が下降器からロープをはずしながら言った。
「お、いけてるやないか」
耳を疑った。しかし「これが?」とも聞けずにきょろきょろしていると、和田は「いこか」といいながら黒部川にそのまま身を沈めていった。(ちなみに、ここに登場する和田とは和田城志氏のこと。私は昔、十字峡を見たことがあるが、とても渡れるシロモノではない。・・・「常軌を逸している」とはこのことだ。黒部川の水は冷たい。6月頃、膝下の徒渉をしたことがある。あまりの冷たさに気が遠くなった。それがヘソまでつかって、冬に徒渉できるのだろうか?やはり常軌を逸している)
【ネット上の紹介】
「生きようとする自分を経験すること、僕の登山のオリジナルは今でもそこにある」ハットリ・ブンショウ。36歳。サバイバル登山家。フリークライミング、沢登り、山スキー、アルパインクライミングからヒマラヤの高所登山まで、オールラウンドに登山を追求してきた若き登山家は、いつしか登山道具を捨て、自分の身体能力だけを頼りに山をめざす。「生命体としてなまなましく生きたい」から、食料も燃料もテントも持たず、ケモノのように一人で奥深い山へと分け入る。南アルプスや日高山脈では岩魚や山菜で食いつなぎ、冬の黒部では豪雪と格闘し、大自然のなかで生き残る手応えをつかんでいく。「自然に対してフェアに」という真摯な登山思想と、ユニークな山行記が躍動する。鮮烈な山岳ノンフィクション。
[目次]
知床の穴
1 サバイバル登山まで(満ち足りた世代
肉屋)
2 サバイバル登山(サバイバル始動
サバイバル生活術
日高全山ソロサバイバル)
3 冬黒部(黒部とは
二一世紀豪雪
三つの初登攀)
第153回直木賞・芥川賞が決定された。
私は、東山彰良さんの「流」を読んでいたので、納得の結果、である。
(まぁ、柚木麻子 さんが取ってもうれしかったかな)
→「流」東山彰良
第153回直木賞は東山彰良さんの「流(りゅう)」に決定しました
第153回芥川賞は羽田圭介さんと又吉直樹さんに決定しました
久しぶりにポンポン山に登ってきた。(4/29以来)
登山口
鹿を見つけた(目が合ったのに逃げない・・・こちらが気になる様子)
途中の景色
本山寺
山頂・・・比較的空いていた
「謝るなら、いつでもおいで」川名壮志
約10年前、2004年6月に起きた殺人事件。
その衝撃は忘れられない。
小学校6年の女の子がクラスメートの女の子にカッターで切られて死亡。
いわゆる「佐世保小6女児同級生殺害事件」を扱っている。
被害者の父は、毎日新聞記者。
著者はその部下。
事件当日をつぶさに見ており、その後の調査――関係者への聞き取りを交え、本書を著した。
なぜ小学校6年の女の子がこのような凶行に及んだのか?
結果からいうと、分からない。
少年犯罪の変遷
P193
社会全体が貧しかった戦後の動乱期、少年犯罪の原因は無秩序な社会そのものにあると考えられていた。ひもじくて荒れた世相が子どもたちを犯罪に駆り立てる。それが通念だった。実際、少年の殺人事件は、この時期がピークだった。
やがて経済が復興し、一億総中流化が進む。すると今度は、少年犯罪の火種を、社会ではなく、個々の家庭や教育現場にはめ込む考え方がトレンドとなった。ドラマ「3年B組金八先生」で描かれたような時代性である。
そして90年代。酒鬼薔薇聖斗事件や西鉄バスジャック事件など、家庭や学校の枠組みだけでは説明のつかないような、突発的で不可解な少年事件が発生。
(中略)
そうした社会の要請にこたえるようにして登場したのが、少年の発達や成長に視点を向けた、精神鑑定だ。
精神鑑定はもともと、容疑者に刑事責任能力があるかどうかを判断するためのものだった。しかし、最近の少年事件においては、こういった不可解な事件の原因と、その子固有の特性とを結わえ付ける仕掛けとして、導入が進んだのである。
(こうして、「発達障害」が脚光を浴びるようになった)
このタイトルの元になっている発言は、被害者の父、ではない。
被害者の兄、である。
P317
こちらも、今までのことを断ち切って前に進みたいという思いがある。諦めじゃなくて、結果として僕が前に進めるから、1回謝ってほしい。謝るならいつでもおいで、って。それだけ。
(さらっと言っておられるが、この兄もそうとうひきずり、苦しんでいる)
PS
読んでいて、ずっと暗く、つらい気分が続いた。
さらに、めずらしく体調もくずし、しんどかった。
とことん気の滅入る作品である。
単に「サイコパス」による事件、と片付けられたら、どれほど楽だろう?
この手の本を読むのは、しばらく止め。
【ネット上の紹介】
友だちを殺めたのは、11歳の少女。被害者の父親は、新聞社の支局長。僕は、駆け出し記者だった―。世間を震撼させた「佐世保小6同級生殺害事件」から10年。―新聞には書けなかった実話。第十一回開高健ノンフィクション賞最終候補作を大幅に加筆修正。
[目次]第1部(1本の電話
僕は新聞記者
昼日中の教室で
抱き上げてやれなかった
加害少女は ほか)
第2部(御手洗さん/被害者の父として
加害者の父として
被害者の兄として)
「小泉八雲 日本の面影 日本人の優しさを愛する」
100分 de 名著、今月は「小泉八雲」。
気になるので、観ている。
当時日本を訪れた外人、宣教師たちは、日本人を「啓蒙」しようとした。
今で言う、上から目線で。
日本人もそれを望んだ。
ところが、小泉八雲は、当時の日本を愛した。
伝承や迷信に思いを寄せた。
軍国主義へと大きく舵を切ろうとしている時代の中で。
名著45 「日本の面影」:100分 de 名著
【ネット上の紹介】
アイルランドの父とギリシャ人の母の間に生まれたラフカディオ・ハーン。アメリカで通信記者として活躍していた彼はなぜ、日本に帰化して小泉八雲となったのか。『怪談』と並び称される八雲の代表作『日本の面影』に描かれた明治の日本のありかたから、近代日本の歩みの意味を考える。
先日「リアルシンデレラ」を紹介した。
関連して、もう少し書いてみる。
P14
「(前略)この人が、〈いい〉とか〈すてき〉だと思っていることや望んでいることは、継母とその連子と同じわけじゃない?
つまりこの人の価値観と、継母たちの価値観とは寸分違わないから、エグい合戦ものにしか見えなくてさあ・・・・・・」
(中略)
「こう言う意地悪をだれかにされたら、あなたはその倍の意地悪をやり返しなさいと推奨する話なのかと考えたよ」
同じ土俵の泥仕合、パイ投げ状態。
シンデレラは半沢直樹か?
ところで、昔話には、継母が登場する。
そして、子どもをいじめる。
なぜ継母なのか?
継母でも親切な母もいる。
実母でも悪い母親はいる。
なぜこうなったのか?
実は、グリムが昔話を再話したとき、 『実母』を『継母』に変えて再話した、と。
昔、このように読んだ記憶がある。
話は変わる。
赤ずきんを有名にしたのは、ペローである。
グリム版とペロー版はなぜ違うのか?
ドイツのフランスの違いか?
赤ずきんはなぜ赤いずきんをかぶっているのか?
赤は何を象徴するのか?(ほとんどユング?)
この辺りを調べ出すとマニアの領域に入ってくる。
ただ、ずきんを赤くしたのはペローのアイデアなので、
民俗学を語るのは早計と言われる。
「リアル・シンデレラ」姫野カオルコ
「昭和の犬」で第150回 直木賞を受賞された姫野カオルコさん。
その前に、本作が第143回直木賞候補になった。
「昭和の犬」より読み手を選ぶかもしれない。
私は、面白いと感じたけど。
母親に冷遇される女性の半生を描く。
周りの方が『不公平感』を感じるが、
主人公は淡々と生き続ける。
そのあたり、「昭和の犬」と同じ。
直木賞候補になった時の。宮部みゆきさんのコメントを掲載しておく。
「(引用者注:「天地明察」とともに)丸をつけて、選考会に臨みました。」「私はキリスト教の「聖人伝」として読みました。倉島泉という黒い子羊が聖人になるまでの物語です。」「読後、自分のなかに溜まっていた自分ではどうすることもできない澱が、いくばくかでもこの作品によって浄化された気がして、静かに涙しました。姫野さん、支持しきれなくてごめんなさい。でも、この小説を書いてくれてありがとう。本を閉じたとき、多くの読者がそう呟くに違いない秀作です。」
【参考リンク】
姫野カオルコ-直木賞受賞作家|直木賞のすべて - nifty
【ネット上の紹介】
童話「シンデレラ」について調べていたライターが紹介された女性、倉島泉。長野県諏訪温泉郷の小さな旅館の子として生まれた彼女は、母親に冷遇され、妹の陰で育ったが、町には信州屈指の名家、片桐様の別荘があり、ふとした縁で、松本城下の本宅に下宿することになる。そこで当主の一人息子との縁談がもちあがり…。多くの証言から浮かび上がってきた彼女の人生とは?不況日本に暮らす現代人にこそ知ってほしい、新たなるドキュメント・フィクション。
「ナイト&シャドウ」柳広司
合衆国シークレットサービスで研修を受けることになった主人公・首藤。
初日、デモに遭遇した首藤は、突如暴れ出した男を瞬く間に制圧し、人質の幼女を助ける。
このオープニングから、大統領暗殺の陰謀へ繋がっていく。
スパイ小説「ジョーカー・ゲーム」の著者だけあって、良くできている。
面白かった。
P5
チームで行う要人警護にはいくつかの基本的ルールがある。
そのひとつが「振り返って撃たない」。
背後にいる敵はチームの仲間に任せる。
味方同士撃ち合うことを避けるための鉄則だ。
【参考リンク】
「ジョーカー・ゲーム」柳広司
「ダブルジョーカー」柳広司
「怪談」柳広司
【ネット上の紹介】
知力、体力、先読み能力―すべてが一級のエリートSP・首藤武紀は、合衆国シークレットサービスで“異例の研修”を受けることに。初日、銃規制を求めるデモに遭遇した首藤は、突如暴れ出した男を瞬く間に制圧し、人質の幼女を助ける。しかしその現場には、大統領暗殺計画を示唆する二枚の写真が残されていた。超一流警護官たちに忍び寄る死神の影。2014年を撃ち抜く怒涛のオープニング&驚愕のラスト!!
「近所の犬」姫野カオルコ
「昭和の犬」がとてもよかったので、こちらも読んでみた。
この作品も面白かった。
著者によると、「昭和の犬」が自伝的小説、
「近所の犬」が私小説、とのこと。
でも、ほとんどエッセイ。
(少なくとも私は、エッセイとして読んだ)
「昭和の犬」より、さらに『犬』にテーマを絞って、書かれた作品。
著者の人柄が偲ばれる。
日常のストレスが解消される、読む薬のような作品。
P241-242
「わん」
ロボが吠えた。
「あれ、吠えましたね」
犬係さんが私を見た。
「前にこの犬と会われてますか?」
「・・・・・・会っています」
「それで吠えたんですね」
たしかにロボの「わん」は威嚇する吠え方ではなかった。
「こいつは吠えないやつなんです。人にもほかの犬にもちっとも吠えない。でも、会ってうれしい人にだけ吠える」
【ネット上の紹介】
お金持ちのプライド犬モコ、姉のように優しかったシャア、昭和じゃないスピッツ拓郎、男好きのグレース、聡明で情緒豊かなラニ、とんま顔でたらし犬のロボ…。飼い主ではない。その家族でもない。彼らにとって私は、ただの通りすがり、近所の人。それでも…、それなのに…。もっさり暮らす或る小説家が、身辺の犬たちを愛でる「犬見」私小説。書き下ろし、直木賞受賞(『昭和の犬』)第一作。
「天使のナイフ」薬丸岳
少年犯罪がテーマ。
妻を生後五ヵ月の娘の目の前で殺された主人公・桧山。
ところが、犯人が中学性だったため、罪に問われなかった。
連日のマスコミの取材攻勢。
犯人の人権は守られ、被害者の「人権」はないのか?
心が疲弊していき、人前で言ってしまう・・・「犯人を殺してやりたい」、と。
主人公・桧山と刑事・三枝の会話。
P51
「桧山さんは刑法41条というのをご存じでしょうか」
三枝が切り出した。
「知りません」
「刑法41条には14歳に満たない者の行為は、罰しない、とあります」
桧山は暗澹たる思いで三枝を凝視した。
「14歳未満の少年は刑事責任能力がないんです。刑罰法令に触れる行為をしても犯罪を行ったとはいえないので、触法少年と呼ばれて保護手続きの対象となります」
P60
罪を犯した子どもたちが立ち直っていくことは必要なことだとは思うが、その理念は、犯罪に遭った被害者やその家族の慟哭を踏みつけた上で成り立っているのだ。
この箇所だけを読むと被害者側から書かれているように思うかもしれない。
実際は、加害者、被害者の両面から描かれる。
故に、両者の感情を追体験できる仕組み。
何重にも伏線が張られ、「そうだったのか!」の連続。
真犯人が分かった、と思ったら、さらに真犯人が!
非常に練られたプロット。
見事である。
【参考リンク・・・少年事件、少年犯罪】
・・・「少年事件」
「心にナイフをしのばせて」奥野修司
「ユニット」佐々木譲
「殺人症候群」貫井徳郎
【ネット上の紹介】
生後五ヵ月の娘の目の前で妻は殺された。だが、犯行に及んだ三人は、十三歳の少年だったため、罪に問われることはなかった。四年後、犯人の一人が殺され、檜山貴志は疑惑の人となる。「殺してやりたかった。でも俺は殺していない」。裁かれなかった真実と必死に向き合う男を描いた、第51回江戸川乱歩賞受賞作。
「きみはいい子」中脇初枝
とても良かった。
次の5編が収録されている。
サンタさんの来ない家
べっぴんさん
うそつき
こんにちは、さようなら
うばすて山
虐待がテーマ。
主人公が替わっていくが、ゆるいリンクが設定されている。
「サンタさんの来ない家」の主人公は新任教師。
学級崩壊させてしまう。
その翌年も、再び崩壊。
いったいどうなるのか?
教師間、親、生徒、それぞれの関係も描きながら展開する。
「べっぴんさん」は、自分の子を虐待してしまう母親の話。
その母親も虐待された育った。
負の連鎖。
断ち切れるのか?
ママ友の関係も描きながら進展していく。
どの作品もすばらしい。
これはお薦めです。
「わたしをみつけて」「みなそこ」と読んできたが、
本作品がもっとも私のストライクゾーンであった。
映画化もされた。
→映画『きみはいい子』公式サイト
【蛇足】
2013年本屋大賞4位であるが、1位でもよかった、と思う。
(ついでに言うと、「晴天の迷いクジラ」が6位・・・こちらも、もっと上位でもおかしくない)
【参考リンク】
これまでの本屋大賞 | 本屋大賞
【ネット上の紹介】
17時まで帰ってくるなと言われ校庭で待つ児童と彼を見つめる新任教師の物語をはじめ、娘に手を上げてしまう母親とママ友など、同じ町、同じ雨の日の午後を描く五篇からなる連作短篇集。家族が抱える傷とそこに射すたしかな光を描き出す心を揺さぶる物語。