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「私の源氏物語ノート」荻原規子

2024年02月26日 08時50分53秒 | 読書(古典)


「私の源氏物語ノート」荻原規子

「源氏物語」を全訳した著者によるエッセイ。

P70
『源氏物語』五十四帖には、さまざまな身の上の女性が出てきますが、一番の幸せを得たのは末摘花かもしれません。
成り上がった幸運をいうなら、明石の君が一番で、自分の娘が中宮になり、高貴な孫たちに囲まれて晩年を送ります。けれども代償に多くの苦悩や忍耐を重ねてきました。
花散里も運のよい女性で、あまり器量がよくなくても、六条院の夏の町に住んで第二夫人になりました。それは、この人がまれにみる気立てのよさで、多くを望まず大らかに構えていたため、源氏の親愛を得たのです。
マイナス面しか持たないのに幸せになったのは、末摘花一人でしょう。

P221
源氏はどこまでも愛執の人であり、口ではくり返し出家願望を語りますが、いつまでたっても真の発心に至りません。
紫の上がこの世を去って初めて、心の底から思い知るのでしょう。

*******

ところで、日本の職場は、役職で呼びかける。
「課長」とか「部長」、と。
本作品でも、昇級するたびに呼び名も変わり、覚えなおさないといけない。
登場人物が多いのに、さらに呼び方が変わるとついていけない。
そこが「源氏物語」のハードルのひとつ、と思う。

【参考リンク】

「源氏物語 紫の結び」荻原規子

「源氏物語 宇治の結び」荻原規子

「源氏物語 つる花の結び」荻原規子

【蛇足の感想】
少女を誘拐し、義母と密通、同僚の妻を寝取る・・・、
モラルハザード、不倫全開の物語が展開する。
「わたしはこういうことが許される立場のものだよ」、とパワハラも加味。
これを学校教育で教える日本はすごい。

【ネット上の紹介】
原文から全訳を成した荻原規子の源氏物語鑑賞エッセイ。同じ長編物語作家だからわかること、紫式部への深度あるその視点。
いつのまにか役割交代―頭中将の次男紅梅と、長男柏木
みんなの光源氏―紫式部の文通仲間
原因はいつも藤壺―源氏が求め続けたもの
巨大な「若菜」―大団円の暗転へ
なくもがなの求婚―『枕草子』参照の謎
似姿の連鎖―藤壺の宮から浮舟まで
「中の品」の範囲―落ちぶれた高貴な女性
好対照な二人―源氏の孫匂宮と、源氏の末子薫
女三の宮という人―紫の上の努力と限界
意地悪な「玉鬘十帖」―若い娘の悩みごと
浮舟の母親―高貴な連れ子をもった意地
紫の上の死―葬送の空の月
優雅な四季の邸宅1―中宮の秋の町
優雅な四季の邸宅2―春を好む紫の上
優雅な四季の邸宅3―花散里と初夏
優雅な四季の邸宅4―明石の君の冬
若い女の出家―宇治十帖のくり返し
父の帝の愛情―源氏の罪のゆくえ
源氏の出家願望―紫の上との対比
若い源氏の美と笑い―「青海波」の妙
若い源氏の甘え―夕顔と朧月夜
乳母子の奮闘―匂宮の時方、浮舟の右近
真相を得た夕霧―柏木の遺言と薫
鈴虫の宴―女三の宮と冷泉院


「古川柳おちぼひろい」田辺聖子

2023年04月03日 07時41分48秒 | 読書(古典)

「古川柳おちぼひろい」田辺聖子

P34
長病みに女衒の見える気の毒さ
男の子は丁稚、女の子は大店や武家へ行儀見習いの女中にゆくが、これが品下ると、女の子は六つ七つから遊里で養われるようになる。(中略)
禿というのは、六つかせいぜい十二三までの童女で、遊女の身のまわりの用をする給仕のようなものである。これも長ずると一人前のおいらんになるのである。

P101
間男の来べき宵なり酒肴
これはむろん、古歌の「我が背子が来べき宵なりささがねの蜘蛛の行ひこよひ著しも」からとっている。「日本書紀」によれば、允恭天皇は絶世の美女衣通姫を妃とされたが皇后の嫉妬をはばかって遠い離宮にお置きになった。(川柳にも本歌取りがあったのね。間男の川柳、けっこう多い。江戸は男女比に偏りがあり、圧倒的に男性が多い。結果として少ない女性を取り合った。あぶれた男性は吉原に行くか、我慢するか・・・)

P118
させもせずしもせぬ二人名が高し
男の女ぎらい代表選手が弁慶とすると女の男ぎらい代表は小野小町ということになっている。小町は口碑俗説によれば穴なしといわれていて、これはいかに美女でも物の役に立ちがたい。(中略)私の思うに小町にふられた男のいやがらせである。男を知らぬ情け知らずの女が、あんな情緒纏綿たる恋歌をよめるわけはない。(中略)義経と(弁慶が)ホモだちであったというのは「吾妻鏡」にも「義経記」にも載っていないので、これまた推測の域を出ない。

P124
ほとんど句によまれないのに、頼朝がある。頼朝は、徳川家康と同じく、全然おもしろくない人間であって、からかう材料にこまるらしい。

P217
傾城を買ふと男が生きてくる
遊里の洗礼を受けて、はじめて男が一人前の戦士として社会に送り出される、という社会。
戦闘員と非戦闘員(つまりオトナとコドモ)、それから、男と女。シロウトとクロウト。非売品と売品。野暮と通人。金持と貧乏人。強者と弱者。
その区別がハッキリしている世界なのだ。
それは、男性文化の特徴である。(中略)
女房はすつぽん女郎はお月さま
これも男性文化の中でいうから、おかしい味になるのだ。こう威張る男、以前に朝帰りの句で拾ったように〈朝帰り命に別儀ないばかり〉――この句も女性文化の時代に作られたのでは面白くもおかしくもない。――しかく、現代の川柳がむつかしい岐路に立っているのは、現代が女性文化の時代だからではあるまいか。

P232
ひる過ぎの娘は琴の弟子も取り
ハイ・ミス(=ひる過ぎの娘)は、つれづれなるままに、お琴の弟子を取ったりしている。たぶん、この頃のひる過ぎは、21、2であろうか、現代なら娘ざかりであるが、200年前の娘の婚期は17、8だから、20すぎて、白歯でいると、目立ったろう。

P235
親爺まだ西より北へいく気なり
西は仏さまの極楽だが、北はこの世の極楽、吉原をさす。

【感想】

笑いは、その時代にリアルタイムで聞かないと分からないことが多い。流行もあって、50年前の漫才を聞いても面白くなかったりする。読み解くにも、教養が必要。直感で分かるくらいの素養が欲しいものだ。


「田辺聖子の今昔物語」

2023年02月27日 07時47分15秒 | 読書(古典)
「田辺聖子の今昔物語」

29話収録されている。
一番気に入ったのは「海からの土産物」。

ある受領は、北の方と仲良く暮らしていた。
ところがこの受領の殿に、ふとしたことから愛人ができた。
殿はすっかり若い愛人に夢中になってしまう。
ある日、殿は摂津国に遊山に出かける。
そこで珍しいものを見つける。
小さな蛤に、ふさふさと青い海松(みる)が生えているというもの。

小舎人童(ことねりわらわ)に命じる。
「これを京のあれにな、たしかに届けてくれ。『面白いものをお目にかけたくて』と申しあげるんだよ」

殿の「あれ」とは愛人のつもり。
ところが、小舎人童は北の方に届けてしまう。
さて、どうなるか?

大人を対象にした話が多く収録されている。
さすが田辺聖子さん、分かってらっしゃる。

【ネット上の紹介】
今は昔。いつのころか、一昨年のことだったか―。何だか怪しいなとは思ったが、不思議でならなんだが―。こんな話があった。ほんとの話だ。見果てぬ夢の恋、雨宿りのはかない契り、愛矯のある欲ボケ、猿の才覚話―。貧しい若者、ならびなき風流男、帝、生霊、動物、遊芸人、美女となんでも主人公になる。徹底して滑稽で、哀切で、怪くて、ロマンティックな29話。


「枕草子REMIX」酒井順子

2021年03月20日 20時01分07秒 | 読書(古典)


「枕草子REMIX」酒井順子

P84
似げなきもの(似つかわしくないもの)
・おじいさんが、寝呆けてるの。とか、髭の長いおじいさんが椎の実をボリボリ囓ってるの。
〈もういいお歳のおじいさんが、薬局で一番高い強精ドリンクを買って、その場でゴクゴク飲んでるの。その精力をいったい何に使うのだ・・・・・・〉

・歳をとった女が、妊婦姿で歩いてるの。歳をとった女が若い夫を持つだけでも見苦しいのに、「他の女のところに通ってる」なんて腹をたてるなんて、なおさら!
〈三十路を杉田女が、襟ぐりの大きく開いたシャツで胸の谷間を見せたり、ナマアシでミニスカートはいてたりするの。で、すっかり若い気になってクラブかなんかいって、そこで知り合った若い子にすりよっていくのは見苦しいし、その男の子が浮気したからって「どうせ私は若くないし」なんてすねてみせるなんて、なおさら!〉

・下種女が、女官の真似をして紅色の袴を着てるの。近ごろって、そんなんばっか!
〈その辺のよくわかんないチンコロねぇちゃんが、エルメスだのヴィトンだの持ってるの。近ごろって、そんなんばっか!〉

【ネット上の紹介】
あなたとは絶対に気が合う!千歳年上なのに同じ時代の親友のよう―。酒井順子が絶賛するお相手とはかの「清少納言」。大人になって読み返した『枕草子』は心から共感できることばかり。男・友達・恋・ブス・おしゃれ・老いetc.いつの世も変わらず女が気にするこんなトピックを、清少納言はどう見ていたか。平成の女言葉に大胆に変換した訳文も楽しい。清少納言にちなむ京都ガイド付。
リミックスものづくし(「女同士」というもの
「男」というもの
「キャリア」というもの
「待つ」ということ
「イベント」というもの ほか)
枕草子観光(清水寺
下鴨神社
逢坂の関
伏見稲荷大社
長谷寺 ほか)


「平安ガールフレンズ」酒井順子

2020年12月25日 08時56分02秒 | 読書(古典)
「平安ガールフレンズ」酒井順子
 
平安文学を対象とした古典エッセイ。
取り上げられているのは、次の5人。
 
清少納言
紫式部
藤原道綱母
菅原孝標女
和泉式部 
 
P43
『枕草子』は、そんな彼女のリア充アピールの舞台でした。自身の知性やウィット、そしてモテっぷりを披露し、「いいね!」と言ってもらえることに彼女は無上の快感を見出しており、その快感は貴公子と「する」ことと天秤にかけてみても、手放したくないものだった。
 そして、そんなリア充アピールが激しい清少納言をイライラしながら見ている女性が平安貴族の中に1人いて、それが紫式部です。
 
P60
やはり紫式部は、自分もまた「自慢したい、褒められたい」という強い承認欲求を持っていたからこそ、清少納言のことをあれほどまでに責めたのでしょう。
 
P203
並の女性には手の届かないモテと才能に、和泉式部は恵まれました。その代償として、様々な不幸をも引き受けていたからこそ、彼女は「女に嫌われる女」にはならなかったのだと私は思います。モテと不幸、両方をブレンドして発酵・熟成させ、歌として生み出していった彼女の人生が含むしっとりとした湿り気は、今の世となってもまだ、乾くことはないのでした。

【関連図書】
女性と民間伝承

【ネット上の紹介】
誰とガールズトークしてみたい?「あるある」の元祖、女子に人気のリア充清少納言。ねっとり濃厚な性質、内に秘めるタイプ紫式部。負けず嫌いな“出家してやる詐欺”美女藤原道綱母。平安の“中二病”夢みる物語オタク菅原孝標女。モテと才能に恵まれるも、なぜか不幸体質和泉式部。千年前と今とをつなぐ古典エッセイ。

「人生の半分はトラブルで、あとの半分はそれを乗り越えるためにある」

2020年08月10日 19時05分38秒 | 読書(古典)
「清少納言と紫式部」奥山景布子 

奥山景布子さんが児童書として書いた作品を読んだ。
奥山景布子さんなら、きちんと史実を押さえて読み手の興味を引きながら書かれるだろう、と。実際、上手くまとめられている。

ところで、清少納言と紫式部は4歳違い。紫式部が年下。
また、2人が働いていた時期は、ずれていて重ならない。
それでも、後世の人たちは2人の仲が悪かっただろうと憶測した作品が書かれている。(「紫式部日記」にある悪口のせいでしょうね)実際、2人が会っていたら、どんな会話をしたでしょう? もしかしたら、2人は晩年に会っていたかも。

「八月の鯨」という映画がある。(1987年公開)
リリアン・ギッシュとベティ・デイヴィスの豪華共演。
撮影当時、リリアン・ギッシュは93歳、ベティ・デイヴィス79歳。
こんな高齢のヒロイン共演の映画があるだろうか?
アメリカ・メイン州の小さな島で暮らす老姉妹の日常を描く作品。
淀川長治さんも当時絶賛したそうだ。(もともとリリアン・ギッシュのファンと聞いている)

ここで、私がファンタジーを思い描く。
清少納言と紫式部バージョンの「八月の鯨」はどうだろう?
どんなやりとりになるだろう?

「人生の半分はトラブルで、あとの半分はそれを乗り越えるためにある」
・・・これは、映画の台詞。

「源氏物語 つる花の結び」荻原規子

2018年07月29日 21時16分28秒 | 読書(古典)

「源氏物語 つる花の結び」荻原規子

「源氏物語」を3部に分けて構成した「結び」三部作の最終章。
「紫の結び」=紫の上を中心とした源氏の君の一生。
「宇治の結び」=匂宮、薫大将、浮舟の宇治十帖。
そして本作「つる花の結び」=夕顔と玉鬘十帖を中心とした作品。
玉鬘=つる草の美称であり、中の品の女性たちが登場する。
さらに言うと、玉鬘は夕顔の娘。

P95
「あの白く咲いているのを、夕顔と言います。花の名は人に似て、こうしたみすぼらしい垣根によく咲いています」
 たしかによく見れば、小家ばかりのむさくるしい界隈のここかしこ、みじめに傾いた軒先などに、同じつる草が這いまわっていました。

夕顔が突然死し、その遺体を運ぶシーン…非情にリアルだ。
P130
源氏の君には、もう夕顔を抱き上げることができそうにないので、惟光が上筵でくるんで車に乗せます。小柄できゃしゃで、気味悪くも見えずに愛らしい体でした。きつく包むことはできなかったので、髪が筵からこぼれでます。

P169
「機転のきく才気走った人ではないようだね。だが、女人は子どもっぽく大らかでこそかわいいものだよ」
 源氏の君は言います。(これは著者・紫式部の本音か?だから清少納言を嫌うのか?)


近江の君が登場する「行幸」
P127
「くさくさしたときは、近江の君の顔を見ると気が晴れる」
(これは、褒めているのではない。元祖・お局様たちの「いけず」である。都人のいけずは、年期が違う)



この分け方は、通して読んでみると、すっきりする。
「これが本来の形かも」って思ってしまう。
どうして、今までこのように順番で刊行されなかったのだろう?
その意味で、コロンブスの卵、画期的だ。

【感想】
多くの女性たちが登場するが、佐野洋子さんの言うように、格別幸せになった方がいない。
西洋の小説だと、もっとなんとかするのではないか。
紫式部が、冷めた眼で登場人物たちを見ている、って読んでいて感じた。

【おまけ】
私が、印象に残った女性を3人挙げると、花散里、夕顔、浮舟かな…。
一番活躍し、貢献したのは、六条御息所と思う。
存命中は生き霊を飛ばし、亡くなっても死霊となって頑張った。
ちなみに、六条御息所の娘は秋好中宮。

【ネット上の紹介】
長雨の夜に語られた女性談義で若い源氏はさまざまな女性の魅力を知りたくなります。貴公子の恋は、身分を越え、人妻の空蝉、頭中将の可憐な女人・夕顔、落ちぶれた宮の姫君・末摘花と危うい綱渡りを続けていきます。


「源氏物語 宇治の結び」荻原規子

2018年07月22日 21時37分42秒 | 読書(古典)

「源氏物語 宇治の結び」荻原規子

今回はネタバレあり、未読の方ご注意。
「源氏物語」の「宇治十帖」に相当する。
二人の若者が登場する。
薫大将と匂宮。

都から遠く離れた宇治の地で、宮家の姉妹がひっそり暮らしている。
お忍びで訪れた薫大将がこの姫君たちに出会い、物語が動き出す。
薫大将は姉の大君、匂宮は妹の中の君が好きになる。
ところが、大君は亡くなってしまう。
大君には義理の妹がいた。
それが浮舟。

薫大将は浮舟に亡き大君の面影を見て、世話をする。
ところが、匂宮も浮舟が好きになる。
都でもてはやされる貴公子二人からアプローチされる浮舟。
いったい、どうしたらいいのだろう…。
思いあまって、浮舟は宇治川に身を投げる。

P56
「“夜明けにも家路は見えず、訪ね来た槇の尾山(宇治川右岸の山)には霧が立ちこめている”
 心細いことだな」

おそらくこの正面の山・仏徳山(大吉山)を指すと思われる、右が鳳凰堂。(写真・筆者)
2年前に、私もこの山に登った。ハイキングコースは整備されていて、山頂からの眺望良好。

P129
船頭が「これが橘の小島です」と。棹を立てて舟をしばらく留めます。
(この物語には、川を馬で渡ったり、舟で渡ったりするシーンがあるが、どうして宇治橋を利用しないのだろう?そんなに離れていないはず。当時もあったはずなのに…)

【感想】1
現在の感覚で言うと、モラルハザード全開、点滅しっぱなし。
匂宮は薫大将の恋人を取るので、漱石の「こころ」を思い出す設定。
薫大将は、優等生タイプ、まじめで、暗い。
匂宮は、不良っぽくて、明るく陽気。
浮舟は、都の二大スターから言い寄られるという、夢のような設定。
二人の男性から言い寄られる…現在なら、恋愛小説、少女マンガの『黄金律』だけど、
紫式部は1000年以上前に、この法則を見つけていたのがすごい。
更に言うと、浮舟はモテる為に、努力していない。
そのままの自分を見出されただけ…そこがミソ。(これも『黄金律』の一部)

【感想】2
薫大将も匂宮も、なぜ浮舟が身を投げたのか悩む。
現代人の我々からしたら、「二人して浮舟を追い込んだ」と、フェミニストならずとも、解釈するだろう。
でも、私の判断は違う。
『黄金律』が浮舟を死に追いやったのだ。

【おまけ】1
比叡山・横川に薫大将が登るシーンがあるが、位置関係から、雲母坂ルートを利用して、根本中堂から玉体杉を通る尾根筋をたどって横川に行ったのだろうか?
あるいは、大原からも仰木峠を経て横川に登るルートはある。
小野は、文面から現在の滋賀県の小野だと、齟齬が生じる。
京都側、修学院か大原のあたりでないと話が合わない。

【おまけ】2
荻原規子さんは、自身のオリジナル作品では「濡れ場」を描かない。
しかし、「源氏物語」は全編「濡れ場」の連続である。
…そこのところ(折り合い)を訊いてみたい。

【おまけ】3
「源氏物語」を読んで感じるのは、氷室冴子さんも、松田志乃ぶさんも、
隅々まで読み込んで、自分の作品「ジャパネスク」「嘘つきは姫君のはじまり」を書かれている、ってこと。読んでいて、そう感じた。その意味でも「源氏物語」は偉大と言える。

【ネット上の紹介】
出生の秘密をかかえる青年は自らの体から芳香が漂い、競争心を燃やし調香に熱心な宮とともに、薫中将、匂宮と呼ばれていました。ひっそりと宇治で暮らす二人の姫君との出会いは、二人の若者を思いがけない恋の淵へ導くのでした。勾玉シリーズ、RDGシリーズの荻原規子によるスピード感あふれる新訳。


「源氏物語 紫の結び」荻原規子

2018年07月14日 21時33分11秒 | 読書(古典)

「源氏物語 紫の結び」荻原規子

先週は、購入してずっと積んだままにしていた「紫の結び」を読んでいた。
荻原規子版「源氏物語」である。
とても分かりやすい、シンプルで美しい日本語を駆使して、「源氏物語」が再現される。
また、読みやすいように工夫もされている。
源氏物語のメインキャストは光源氏と紫の上。
この二人を中心に物語が流れるようにしてある。
そして、二人の出会いから晩年までが描かれる。
すっきりスピーディに、それでいて原作を損なわない、という至難の業だ。
2巻の終わりあたりから3巻半ばが「若菜」になり、核心となる。
最終章は「雲隠」。

P89
大堰川ほとりの屋敷は、見映えもよく、住み慣れた海辺にも似たところがあるので、転居した違和感は少しでした。(現在の大堰川は南丹市八木地区から亀岡にかけてを指す。本作品の文章を読むと、嵯峨野、つまり嵐山の渡月橋あたりを意味しているようだ。明石の君が相続した屋敷が、この川のほとりにある、と。源氏の君の御堂も大覚寺の南にある。ちなみに、寂聴先生の寂庵は、化野念仏寺ほどじゃないけど、かなり嵯峨野でも奥にある。また、嵯峨野は源氏物語ゆかりの野宮神社もあり「賢木」の舞台。関係ないけど、「美しき言つくしてよ」で、真幸と有子がデートしたのも、この辺りではないかと推測される)

P157
斎院も今では仏道に励み、一心不乱に修行をしているようだ。
(斎院がなぜ仏道に、と不思議に思うかもしれない。でも、この朝顔斎院も出家している。神仏習合で違和感がないのでしょう)

【著者あとがき】
P333
紫の上は、女三の宮を妻に迎えた時点で、たいそう静かに源氏の君を見限ります。揺るぎない愛情という幻影を捨て去り、以後二度と考え直しません。そのことが、彼女の死期を早める要因になります。(この洞察がすばらしい。紫の上は、あれだけ源氏の君に愛され長い年月を共にしながら、子どもを産まずに亡くなる。このあたりが、佐野洋子さんにより、『源氏はあまたの女に情けをかけながら1人として幸せにしていない』と言われる所以だ)

P334
この物語は、読まない人から思われているほど、理想の美男子にうっとりするための読み物ではありません。もてはやされる人物のだめな部分が一貫していることろに、本当の凄味があるのです。

PS
登場人物たちは、名前の代わりに役職で呼ばれる。
役職が変わるたびに、呼び名も変わり、覚えなおさないといけない。
「源氏物語」のハードルのひとつ、と思う。
本作品では、分かりやすいよう工夫が凝らされているが、
それでも「誰だったっけ」となる。(歳はとりたくないものだ)

【ネット上の紹介】
帝に特別に愛された薄幸の女性に端を発して物語は進んでいきます。死んだ母に似ているという父の新しい妃に対する思慕。山里で源氏はその妃の面影を持つ少女を垣間見ます。紫の上との出会いでした。勾玉シリーズ、RDGシリーズの荻原規子によるスピード感あふれる新訳。紫の上を中心に再構築した、みずみずしい源氏物語。