【ぼちぼちクライミング&読書】

-クライミング&読書覚書rapunzel別館-

除草

2024年10月29日 08時46分37秒 | 身辺雑記

庭の雑草を除草してもらった。
玄関横にあった蜂の巣も除去して頂いた。
ありがたいことだ。(¥20,000円)
6:00~9:00
3人×3時間=延べ9時間、10/19

【覚書】
JAF年会費・・・4,000円
モンベル年会費・・・1,500円
JFA年会費も支払い・・・3,300円、11/5
植木剪定、11/16、13,000円、
 7:00~10:00
 2人×3時間=延べ6時間
LIXIL浄水器カートリッジ、1ヶ交換済(11/7)、
 予備3ヶAmazonで購入10,080円(翌日到着)。
年賀状、11/5(20枚1,700円)
以上、覚書として記載。


ハシビロコウ

2024年10月22日 08時16分54秒 | 動物園

ハシビロコウ ↓

ハシビロコウ ↓
ワオキツネザル ↓

ナマケモノ ↓

カピバラ ↓

クビワコガモ ↓

モモイロペリカン


神戸どうぶつ王国


freefan#88

2024年10月18日 10時21分46秒 | 読書(山関係)


freefan#88
特集「SDGs入門」

JFA | NPO法人 日本フリークライミング協会 (freeclimb.jp)


「日本近代史」坂野潤治

2024年10月15日 17時47分49秒 | 読書(幕末/明治)


「日本近代史」坂野潤治

P20
唯一の解決策は、「攘夷」か「開国」かの問題を棚上げにして、「尊王」か「佐幕」かに選択肢を絞り込むことであった。そうなれば薩摩と長州は「尊王倒幕」で手を握ることができる。

P31
お由羅の方は、自分が産んだ久光を藩主とするために斉彬の排斥につとめ、藩内保守派の調所広郷らがそれを支えた。

P250
李鴻章の主張を読めば、それは理にかなったものであった。(中略)
「朝鮮の独立」を目的とした戦争の講和条約で日本が清国領土の遼東半島の割譲を要求するのは筋違いであること、日本が戦争中に占領もしていない台湾の割譲を清国に求めるのは、さらに筋違いであること、独立国間の戦争での賠償金は、日本がこの戦争で実際に使った1億5000万円に限るべきで、3億円の要求には根拠がないことなどを李鴻章は主張したのである。

P444
2011年3月11日は、日中戦争が勃発した1937年7月7日の方に近く見える。

【ネット上の紹介】
この国が最も激しく揺れ動いた一八五七(安政四)年から一九三七(昭和一二)年までの八〇年間。近代日本の劇的な歩みを、「改革」「革命」「建設」「運用」「再編」「危機」という六つの時代に区分し、通観する―。はたして日本の近代とは何だったのか。わずか数十年の間にめざましい「近代化」を実現しながら、やがて「崩壊」へと突き進まざるをえなかった根本原因はどこにあるのか。史料を精緻に読み解くことで、図式的な理解を超えて、近代史をダイナミックに捉えなおす。
第1章 改革―1857‐1863
第2章 革命―1863‐1871
第3章 建設―1871‐1880
第4章 運用―1880‐1893
第5章 再編―1894‐1924
第6章 危機―1925‐1937


客家と日本

2024年10月11日 10時21分38秒 | お出かけ

企画展「客家と日本」







「戦跡巡礼」中津攸子

2024年10月07日 07時20分11秒 | 読書(戦争/引き揚げ/ 抑留)

「戦跡巡礼」中津攸子
 
読み返し
 
P28
旧満州から多くの人が引き揚げて来た時、七三一部隊の人が何の苦労もなく、証拠隠滅のため頑丈な建物を破壊し、無事に帰国したことが釈然としないのだ。
 
石井部隊長について
P29
戦後、新宿の若松町で陸軍の建物を旅館とし、女郎屋を営み、昭和34年に喉頭がんで死んだという。

P59
「日本人に良い人が二人います」
と聞かされ、いくらなんでも少なすぎると思った時、
「一人は柳宗悦先生で、(中略)もう一人は李方子様です。(後略)
 
P123
長崎には「長崎原爆死没者追悼平和記念館」「長崎原爆資料館」などがあるが、私は、永井隆博士の住んでいた「如己堂(にょこどう)」をまず訪ねた。

P180
日露戦争の時の連合艦隊司令官、神将とか聖将などと称えられながら戦死でない東郷平八郎は靖国神社に祀られていない。
 
【ネット上の紹介】
1章 大陸・巡礼(秋天の悲しきまでに白き雲
二〇三高地さざんか揺らす風
乃木坂の思はぬ蟇に逢ひにけり
秋風の僅か流るる盧溝橋
伏牛の辺より白蝶翔ちにけり ほか)
2章 太平洋諸島・巡礼(拳強く握る真夏の真珠湾
バンザイ岬海上に湧く雲の峰
夏草やモンテンルパの観世音
水牢をのぞき込みたる暑さかな
逝く夏やB29の滑走路 ほか)
3章 東京・広島・長崎・巡礼(飛行雲夏草の果て暮れ残る
小舟漕ぐ人新樹光あふれゐて
亡き父の真意に気付く今日の花
灯消し正座して聞く花火音
蜻蛉や水草揺るるままにゐて ほか)
4章 特攻兵士・巡礼(天炎えて特攻の碑の影深し
白雲の映るがわびし夏の川
海に向く特攻の碑や寒雀
人間魚雷錆びひとひらの山桜
逃げ水や霞ケ浦に浮く帆船)
5章 沖縄・巡礼(海原の沖へ沖へと白き蝶
秋の空墓石声なく群がりて
激戦の跡紫のすみれ草
獅子を誘ふに似て黄水仙
とかげの子瞬時石垣に隠れたる ほか)
6章 戦後・巡礼(藁馬に水を供へる敗戦日
一枚を文庫にはさむ渓紅葉
消防車幾台通る雪の夜半
色なき風白衣の人の会釈して
若夏や江田島に寄る波の音 ほか)

「密航のち洗濯」宋恵媛/望月優大

2024年10月02日 11時14分00秒 | 読書(ノンフィクション)
「密航のち洗濯 ときどき作家」宋恵媛/望月優大

2024年 講談社本田靖春ノンフィクション賞受賞

P112・・・8月15日正午に玉音放送、夜7時には安在鴻による特別放送
「わが朝鮮は連合軍によって独立が保証されています。それから、日本人に危害を加えるようなことは絶対につつしんで下さい。朝鮮にいる百数十万の日本人の生命財産をみなさんの手で保護して下さい。同胞のみなさん!日本には引き揚げなければならない五百万のわが同胞がいることを深く静かにお考え下さい。――」

P142
入管の収容所は針尾から同じ長崎の大村に移転した。劣悪な待遇、日韓外交の失敗による長期収容、収容所内のイデオロギー対立で知られた大村収容所だ。大村収容所は、大村海軍廠の跡地に設置された。

P190
敗戦時、朝鮮北部には約27万の在朝日本人がいた。(南部には約50万人)ソ連軍による進駐ののち、「38度線」は早々に封鎖される。軍関係などで8月中に南部京城(現・ソウル)や釜山に到達した者もいたし、満鉄や満州国の関係者で朝鮮から満洲に再び戻った者もいたが、満洲避難民の多くは38度線以北の各地に収容され、極寒の越冬を経験した。

【ネット上の紹介】
1946年夏。朝鮮から日本へ、男は「密航」で海を渡った。日本人から朝鮮人へ、女は裕福な家を捨てて男と結婚した。貧しい二人はやがて洗濯屋をはじめる。蔚山、釜山、山口、東京―洗濯屋の「その後」を知る子どもたちへのインタビューと、わずかに残された文書群を手がかりに、100年を超える家族の歴史をたどる。
密航1946
第1章 植民地の子ども(朝鮮 1911‐24
日本 1924‐44
朝鮮 1944‐46)
送還 1946
第2章 洗濯屋の家族(尹紫遠 ユンジャウォン
大津登志子 おおつとしこ
泰玄 テヒョン たいげん
逸己 いつこ イルギ)